映画なんでも文章箱

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  1. 相田英男
    2022-04-22 21:52

    松村雄策さんが亡くなったニュースが、しばらく前に流れた。数日であっという間に、ネットから消え去ったのが、少し悲しかった。

    松村さんは、作家(評論家)といえばそうなのだが、洋楽のファン、特にビートルズの大ファンで、そのまま生涯を終えた人、というのが正解だろう。渋谷陽一の友人で、雑誌「ロッキングオン」の創刊メンバーの一人だった。

    その雑誌の中で、松村さんと渋谷の二人が、長年途切れることなく、延々と対談をやっていたのは有名だ。私が時々ここで書く対談文は、二人の対談のもろのパクリである。ぼやきの広報ページに東芝の原発の話を書いてくれ、とSNSIから頼まれた時に、私は、普通の論説文だと、いつまで経っても書き終わりそうにない、と感じた。それで苦肉の策で、松村さんと渋谷の対談を思い出して、あんな感じでやってみようと思った。そうしたら、あっさり書けたのだ。それ以来、私は渋谷と松村さんには恩義がある、と、勝手に思っている。

    松村さんのエッセイはほとんどが、ビートルズの関係である。それでも、似たような内容であっても、毎回きちんと読ませる文章であって、40年もの間彼は書き続けた。それだけでも価値がある、と私は思う。

    今でこそビートルズの曲は、日本でも聴くのが常識のレベルに広まっている。しかし、ビートルズが解散する前の60年代は、日本では一般に全く認知されていなかった。いい大人は全て、ビートルズのアンチだったのだ。俳優の高島忠夫が、夫婦で来日コンサートを観た感想で、「あんな失礼な態度の連中は見た事がない」と、言っていたそうだ。その記事を読んだ子供の頃の私は、「貴重なコンサートを見た後で、その言い草は何だ?おまえのコメントの方がよっぽど失礼だろう?」と怒りを感じた。

    今では彼の息子(長男)の方が、キング・クリムゾンの大ファンであると公言し、音楽雑誌で時々語っていたりする。それを見ると、何ともいえない理不尽さが、今でも私の心中に込み上げてくる。「あんたは高級オーディオセットに囲まれて、ゆっくりソファーに座って、クリムゾンを聴いてるんだろうな。俺は自分の、なけなしの小遣いで買ったLPレコードを、知り合いの家に持って行って、46分のカセットテープにダビングしてもらって、実家にあったモノラルの、ボロいラジカセで、畳に寝っ転がって曲を聴いてたよ。カセットテープがノーマルタイプじゃなく、クロムテープだったのが、唯一の俺のこだわりだったよ」という風に。単なるひがみなのだが。

    音楽を聴くことは(人によるのだが)単なる楽しみではなく、「どうしようもないと日々感じる、重たい現実を、綱渡りでもいいから、ぎりぎりになんとか、乗り越えてゆくための力を与えてくれる」ものである。この事実を、子供の頃の私に、最初に、言葉で教えてくれたのが、松村さんのエッセイでは、なかっただろうか?

    昔の洋楽の評論文も、変な知ったかぶりをかますか、適当なウソを並べるのが大半だった。まともな内容は少なかったように思う。前にも書いたのだが、クリムゾンのアルバムタイトル自体が「ポセイドンのめざめ」「太陽と戦慄」「暗黒の世界」である。「クリムゾン・キングの宮殿」も、よく考えたらおかしい気がする。courtとは「宮殿」ではなくて、「法廷」などの裁判に関する用語ではないのか?歌詞の内容から推測すると。結局、まともなアルバムタイトルは「リザード」「アイランズ」「レッド」だけだという。全てカタカナ単語の一言である。日本語の直訳ですらない。レベルがわかるよ、全く。

    これは断言できるのだが、現在の日本で、きちんとした洋楽の評論が書けるのは、ブレイディみかこさんただ1人である。特に、70年代後半からのパンク以降、ニューウェーブから現在までの評論文が、きちんと書けるのは、彼女だけだ。

    60から70年代のオールドウェーブロックについては、他の評論家でも何とか書ける。理由は簡単で、この時代のロックバンドは、他のバンドがやっていないことばかりやっていたからだ(日本語がおかしい)。それまで、未だかつて誰も聞いたことがない音楽を(ついでにLPアルバムのジャケットデザインを)、工夫して編み出して、演奏する(表現する)。他人のサル真似など絶対に、絶対に、しない。それこそが昔のロックの、オールドウェーブの真骨頂である。

    大学時代に、キング・クリムゾンが、誰も客がいない福岡の会場で熱演した話を、私に教えて頂いた女性の方が、しみじみ語っていた。「昔のロックは、誰もそれまでやっていない音楽をやるものだったのよね。それが今では、誰かがやっているのと似たような、同じ音楽をやるのがロックになっちゃった。時代が変わったのよね」と。

    なので、昔のロックについては、自分が感じた印象を単に綴るだけで、割と簡単に文章が書けるのだ。手間ミソであるが、私がジャックスとクリムゾンで書いたように。だって、早川義夫のように歌う人など、他には誰もいないではないか。(あれを歌だといえるかどうかは、意見が分かれる処だろうが)私は今まで、ジャックスの音楽がクリムゾンと同じ方向性で作られている、と書かれた評論を、不勉強かもしれないが、読んだ事がない。ジャンルが違うのでリスナーが被らかったのだろうが。「なるほど」と気付いた私は、あの文章がすらすらと書けた。

    一方で、ニューウェーブロックの評論は難しい。どれも、どっかで聞いたような曲ばかりなので、すぐに内容が尽きて、文章に詰まってしまうのだ。例に出すにはどうかと思うが、レニー・クラビッツなどは、見た目も含めて、ジミヘンとストーンズとツェッペリンを足して、三で割っただけだ、と書いてしまえば、それで終わってしまうのではないのか?(聴かないで書いている・・・・)それ以上は、何とも書きようがない。あえて文章を続けるならば、音楽の内容とは無関係の自分の個人的な話を、無理矢理にこじつけて、延々と書くしかなくなる。

    私がロッキングオンを自分で買って読み始めたのは、80年代に入ってからだった。そこで書かれている英国の新人バンドの評論を読んでも、私の頭に全く入って来なかった。バンドの情報よりも、筆者が自分の身近な出来事をひたすら語るだけ。そんな文章ばかりが、ニューウェーブの曲の評論だった。なので、松村さんが毎月載せていたビートルズのエッセイと、後は、まだ若かった市川哲史(いちかわてつし)が、時々書いていたプログレ漫談文くらいが、当時のロッキングオンで、私の読める箇所だった気がする。

    ニューウェーブが似たような曲ばかりとはいえ、当時の(英国の)若者達の支持を受けてはおり、流れた時代の世相を映してはいる。音楽の内容の差が小さい分、社会情勢の影響はむしろ強いだろう。しかし、それゆえに、日本人が、ニューウェーブロックと英国の社会情勢を正しく分析して、文章にするのは、相当に難しい。単に音楽が好きで、英語も読めて、文章もそれなりに書ける、では、ニューウェーブ評論にはならない。その曲が流行る彼の地の状況、政治や経済状況がきちんと理解できて、わかりやすい文章にして伝えなければならない。

    一方で、日本人の音楽評論家のほとんどは、単なる音楽ファンの延長でしかない。英語が出来たとしても、英国の政治経済状況を調べて理解し、語れる音楽評論家など、誰もいない。そりゃそうだろう。

    仕事の都合でロンドンに在住し、現地の生の情報が送れる、だけでも、多分ダメだ。大手企業の駐在員(又は大学教員)、並びにその奥様や家族の方々では、無理である。ロンドンの街中での、狭いコミュニティの生活では、低所得者層の生活が肌感覚でわかる、までにはおそらくは行かない。

    ニューウェーブロックを語るには、リスナー達が生活する、現地の下層レベルの環境で、長年生活した経験が必要だと思う。でも、外国の下層階級に溶け込んだ日本人で、きちんとした日本語の評論文が書ける方は、まずいないのではないのか。

    そのように考えたら、ブレイディみかこさんだけが、正しくニューウェーブロックの評論ができる理由がわかるだろう。

    彼女は音楽ファンであり文章が上手いだけではない。彼女は(おそらくは何処かの大学の夜学などで)大学院レベルの経済学を学んでいる(公言はしないが)。政治についても、恐らくは独学で、本に書ける程度まで勉強している(実際に本を出版している)。なので、ブレイディさんには、政治、経済について正しく語る実力がある。さらに彼女は、言わずもがな、貧乏な(私と同じ)家の出であり、ブライトンという郊外の街で、下層階級層として今でも生活している。ニューウェーブを語るのに文句無し、である。

    私は、ブレイディさんの書いた音楽エッセイを読みながら、「ああ、モリシーとはこんな人だったのか」と、しみじみ感じた。それまで、ロッキングオンに書かれたスミスの記事を、何度読んでも全くピンと来なかったのが、初めて腑に落ちた。ブレイディさんと他の論者では、文章の説得力がまるで違うのだ。

    パンクやニューウェーブロックは、実は、尖ったセンスの、浮世離れした人間だけが聴くような、取っ付きにくい、偏った音楽ではない。普通の人でもわかるように、平易な文章で、正確に内容を語る事が出来る。そんなことが出来るのを、ブレイディさんの文章から私は初めて知った。

    ただし、そんな文章を書くのには、相当な知性の持ち主ではないと無理である。アホではパンクを語れないのだ。残念な事に。単に文章の中でツッパるだけが関の山である。「俺はこんなにイケてる曲をいつも聴いてるんだぜー、イエイ」てな感じで。(こんな奴は流石にいないかもしれんが)

    まあ、とにかく、だ。音楽評論家の中で、やたらとツッパる文章を書くのは、全てアホだとみなしてよい。相手にする必要などない。

    ぶっちゃけ言えば、洋楽の評論については、ブレイディさんが一人で書くだけで十分なのだ。彼女とその他大勢では、内容のレベルが違いすぎる。他の十ぱ一絡げ(からげ)の評論家などは、全てAIに替えてしまえ。それで全く問題ないではないか。

    私は真剣にそう思う。

    でも、そうなったらなったで、日本の洋楽評論家の全員が失業してしまう。それはそれで問題か・・・・・・・。なので、武士の情けかどうかは知らんが、ブレイディさんもあまり、音楽の文章を積極的に書こうとしないようだ。誰よりも上手く書けるのに、だ。

    「まあ、あの人達にも、生活があるやろうけんねえ」という事なのだろう。

    松村さんのエッセイはどれも、気負いやツッパりが全く無い、優しい平易な文体である。彼の訃報のニュースのコメントで、誰もが「ロッキングオンの文章で一番理解しやすいのが松村さんだった」と記していた。洋楽の入門者への優れた手引きとして、松村さんの一連の文章の価値は、薄れずに残り続けると思う。

    松村さんの推しは、バッドフィンガー、ニック・ロウなどの優しい、軽いポップスが殆んどだ。バッドフィンガーは、ビートルズが作ったレコード会社のアップルで活動していたのだが、リーダーのピート・ハムが首を吊って自殺してしまうという、悲劇で終わったバンドだ。きれいな曲を作りながらも、心に深い深い闇を抱えていたのか、というやるせなさを、誰もが感じた出来事だった。

    ハリー・ニルソンという歌手が昔いて、「ウィズアウト・ユー」というヒット曲を持っている。実家で姉がしょっちゅう聴いていたので、私もカラオケで歌えるレベルまで、曲を覚えてしまった。この曲は、元はバッドフィンガーの曲だった。私は一度だけ、ラジオで、バッドフィンガーのオリジナルが掛かるのを聴いたことがある。

    ニルソンの、「さあこれでヒットを飛ばしちゃるぜ」といった、ウケ狙いのあざとい熱唱とは全く違い、ピート・ハムの歌う「ウィズアウト・ユー」は、恋人と別れた悲しみを抑えようとして、それでもダメだ、という辛さが淡々としみる曲だった。切ない気持ちになるのは、ピート・ハムの方だと思う。

    松村さんのエッセイで、まとわりつくヤブ蚊を手で払いながら、「人の生き血を吸って太るニルソンのようなやつだ」と毒づく箇所があり、笑った記憶がある。あと、ロンドンまでポールのインタビューに行って、会って自己紹介する際に「ヤー、クリティック、オーケー」とだけ言われて終わってしまい、後で一人でホテル泣いた、とかの、悲しいエピソードも思い出される。ジャックスを私に教えてくれたのも松村さんだった。

    ありがとう、松村さん。これからも、ビートルズを聴くようになる日本の若者達の全員が、あなたの文章に触れると思うよ。

    相田英男 拝

    追伸

    松村さん唯一の小説「苺畑の午前五時」は、青春小説の名作である。ビートルズを聴かなくとも一読の価値がある。主人公が高校を退学になる過程も、ほぼ実話だと思う。60年代後半の世相を丁寧に描かれている。少なくとも村上春樹の「ノルウェイの森」よりは、ずっと良い。

    村上のあの本は、やたら売れたみたいだが、やっぱりいかん。喫茶店で友人と語っている最中に、クリームの「ホワイト・ルーム」が掛かっていた、と書かれていた。そうすると私の頭の中には、イントロでジンジャー・ベイカーが叩く5/4拍子のティンパニの音と、クラプトンのワウワウを掛けたギターの名演が流れていっぱいになり、文章が全く入って行かなくなった。

    あんた事を平気でする村上春樹は、洋楽を舐めている。もしくは、洋楽を真面目に聴いておらず、単に小説のテクニックとして、曲名を使っているか、の、どちらかだと思う。松村さんと喧嘩した小林信彦のように。

    あれ以来私は、村上春樹の本に全く触れていない。苗字が悪いのかもしれんとも思える。

    タイトル
    或る音楽評論家との別れ
  2. 相田英男
    2021-08-09 00:01

     しつこいと思われるだろうが、小此木圭吾の問題で、ロッキング・オンの社長であり、ロック評論家の渋谷陽一が、何事かをコメントするかどうかが、私は大変関心があった。それで、渋谷陽一のブログの “社長はつらいよ” を日々眺めている。が、そこで更新される記事は、ストーンズがどうした、とか、ディランの息子がどうした、とか、クリムトの絵がどうした、とかの話ばかりであって、小此木についての話は、出てくる気配が全くない。

     渋谷陽一が、小此木の話に未だに自分では触れない理由について、幾つかの可能性を私は考えてみた。

    1. 小此木の音楽に、渋谷陽一は全く関心が無い。興味もない。なので、小此木がどれほど批判されようが、音楽活動に支障が出ようが、別にどうでも良い、と渋谷陽一は思っている。

    2. 自分の処の雑誌の記事よりも、別の雑誌の記事の方が、より詳細な過激な内容だったので、自分の雑誌の責任は、あんまりない。だから、自分のブログでは別に触れなくてもいい、と渋谷は思っている。

    3. 小此木が語った程度の反社会的な内容は、ロックアーチストならば全然許されるもので、特に騒ぎ立てるような物ではない。あのくらいのいじめの話で、騒ぐ連中の方がおかしい、と、渋谷は思っている。

    4. 部下の山崎陽一郎が謝罪文を載せたので、それで済んだ、と渋谷は思っている。山崎と同じく、小此木の記事の内容は問題だったとは、渋谷も考えてはいる。

    5. 自分が今更、小此木について何かしゃべると、雑誌の売り上げが落ちたり、イベントの集客が減ったりして、会社の収入が減り、従業員達が動揺するので、うかつな事は書けない、と、渋谷は思っている。社長としての責任から、小此木の問題に触れるのを渋谷陽一は避けている。

     だいたいこんな処であろうか。もっと色々あるか、と思っていたが、書き下すと意外と少なかった。推測するに、この件で渋谷陽一は、自分が批判される事を極度に恐れている、としか、私には思えない。渋谷の頭がボケて、小此木の問題を全く忘れてしまった、のならば話は別だが。

     語るに落ちた、と、私はただ思う。

     小此木が散々に叩かれ続けて、音楽家として抹殺されても、渋谷は何も感じないのだろうか?自分には、全く関係ない話だと、無視して過ごせる話なのであろうか?

     一人の人間としての考えでは、そうではあるまい。私にもそれくらいはわかるよ。

     組織の社長としての渋谷の判断は正しいのであろう。が、小此木の問題を無視続ける渋谷の現状は、社会評論家としては自殺行為である。自民党の代議士連中や、原子力村の連中の行為と、渋谷陽一の行いは全く同じではないか。どの面下げて、他人の振る舞いを批判することができるのだ?!

     才能ある人間には、おかしな性格の持ち主や変態が多い。しかし、彼ら変態達の作り上げる作品の中から、多くの聴き手の胸を打つ名作が生まれて来たのも、無視できない事実だ。映画「ボへミアン・ラプソディ」で、はっきり描かれていただろう。その矛盾に対して向き合い、一般の方々への啓蒙を広げる絶好の機会ではないのか、今回の小此木の問題こそは?何故、そこから逃げるのだ?!

     比べればいい、というものではないが、超名曲の「いとしのレイラ」の、クラプトンと共作者になっているドラマーのジム・ゴードンは、莫大な印税を受け取るようになったせいか、精神を病み、実母の額をハンマーで割って撲殺して、終身刑を食らっている。これなど小此木の所業とは、悲劇のレベルが違う。我々洋楽のリスナーは、こんな理不尽さを頭の隅に置きながらも、曲を聴き続けている。渋谷もよく知っているだろうが。

    「悪かった、反省しています」等と、いまさら謝罪しなくても良い。渋谷自身が、あの記事が掲載された時にどう考えていたのか、そして、今の小山田の状況を見てどう思っているのか、その事実だけを正直に語れば良いのだ。洋楽評論家のパイオニアである渋谷が、事実と正直に向き合わないならば、物事は全く先に進まないのではないのか?

    「あんたの言いたい事はわかってはいるけど、書けないんだよ」と、渋谷陽一は、内心つぶやくのだろうか。左翼の論客ならば、もっと矜持を持って欲しかったが、所詮はこの程度か。

     左翼連中は攻める時には強気だが、守りに弱い。弱すぎる。鳥越俊太郎も、広河隆一も、上杉隆も、米山隆一も、女問題で脆くも敗れ去った。左翼は女問題に弱いのか、寛大なのか?渋谷の場合は女絡みではないが、私から見て、渋谷の情けなさの度合いは、それ以上の酷さである。

    相田英男 拝

    (P.S. 間違えた処をしれっと直しました。「警視庁捜査一課長」のドラマに、いつの間にか復帰していた斉藤由貴のように。私はあのドラマのファンである。ちなみに、NHK Eテレの高校物理の授業の番組に、斉藤由貴が出演しているのを見た時には、流石に目が点になった。家内が纏めて録画していた数回分を続けて見たら、笑いが止まらなくて困った。この位攻めた方が面白いではないか)

    タイトル
    Wasted Time
  3. 相田英男
    2021-07-24 17:14

     相田です。

     サブカル関連の文はあまり書くまい、とは思う。だが、小山田圭吾の一件で、ロッキング・オン側が、以下の一文を載せるだけで、沈黙しているのが、私にはどうしても気になる。

    (引用始め)

    ロッキング・オン・ジャパン94年1月号小山田圭吾インタビュー記事に関して

     小山田圭吾氏が東京オリンピック・パラリンピックのクリエイティブチームの一員に選出されたことを受け、94年1月号のロッキング・オン・ジャパンに掲載されたインタビューで、氏が話された中学時代のいじめエピソードが、各方面で引用、議論されています。

     その時のインタビュアーは私であり、編集長も担当しておりました。そこでのインタビュアーとしての姿勢、それを掲載した編集長としての判断、その全ては、いじめという問題に対しての、倫理観や真摯さに欠ける間違った行為であると思います。

     27年前の記事ですが、それはいつまでも読まれ続けるものであり、掲載責任者としての責任は、これからも問われ続け、それを引き受け続けなければならないものと考えています。傷つけてしまった被害者の方、およびご家族の皆様、記事を目にされて不快な思いをされた方々に、深くお詫び申し上げます。

     犯した過ちを今一度深く反省し、二度とこうした間違った判断を繰り返すことなく、健全なメディア活動を目指し努力して参ります。

     ロッキング・オン・ジャパン編集長 山崎洋一郎
    2021/7/18

    (引用終わり)

     問題の記事の内容については、「インタビュー当時の時代では、許される雰囲気もあった」という主張と、「当時から看過できない酷い内容だった」という反論が出されて、ネットで紛糾している。前者の意見の方が、かなり分が悪い様子であるが。

     私が思うに、インタビューアーの山崎氏は、本心では反省などしていないのではないか。「反省してお詫びします」と書いても、口先(筆先)だけではないのか、と疑われても仕方ない状況に思える。

     ロッキング・オンのリーダーの渋谷陽一の考えは、どうなのだろうか?該当雑誌が出版されたという事実は、インタビューの内容を渋谷自身が了承していた事を示している。今の時点でも渋谷陽一は、インタビューの内容を「あれでよかった」と、思っているのだろうか?

     福島原発事故の後で渋谷は、原発事故の責任を体制側に激しく追求する記事を、自らの雑誌に盛んに掲載していた。立場が追求される側に変わった今回、渋谷は、上の山崎の一文を自らのサイトに載せただけで、ダンマリを決め込むのであろうか?

     私自身は、「あの当時は、小山田のインタビューを載せても許される雰囲気があった」と、正直に認めても良いと、思っている。洋楽を長い間聴いていると、演奏者達は皆、非道徳者と性格破綻者ばかりである。昨日のオリンピック開会式で曲が使われたジョン・レノンも、麻薬中毒者で、不倫者で、かつ息子(ジュリアン)への精神虐待者である事実は有名だ。ポール・マッカートニーとその取り巻き連中も、何度も麻薬で逮捕されたり、死んだりもしている。それなら、ビートルズの曲は永久に封印するべきなのか、となると、流石に誰もが考え込むだろう。

    (あのイマジンという曲も、天国は無い、神もいない、国境もない、という無神論[エイシズム〕の、マルクス、レーニン、スターリン様万歳、の内容だと、かねがね私は思っているが、堂々と合唱曲で使われていた。あと、あの故黛敏郎氏の正当な後継者といえる、反中国、嫌韓国の、偏屈右翼思想の爺様が作曲した、ドラゴン・クエストの曲が、選手入場時に使われたりして、よく中国共産党から怒られなかったな、と、感心したりもした。結局は、みんなテキトーで、どうでもいいと思っていることが、私は非常によくわかった。単に因縁をふっかけた者の勝ちである)

     それで、であるが、渋谷陽一は自らの責任で、小山田の記事を掲載するに至った経緯を、当時の社会情勢も含めて調査して、自らの考えを交えて、詳しく報告するべきではなかろうか。あれは、山崎が勝手にやった事で、俺には関係ない、とは、流石に言えまい。

     これまで、体制側や原子力村の不誠実な対応について、散々非難して来たならば、自らが招いた混乱についても、誠実に対応するのが、正しい大人の対応ではないのか。当事者達の正直な考えを、きちんと記録として後世に残すべきである。そうでなければ、渋谷達の、これまでの体制側への激しい非難についても、説得力が全く失われてしまう事を、重々覚悟する必要があるだろう。

    相田英男 拝

    タイトル
    渋谷陽一は小山田問題について自らの考えを語るべきだ
  4. 相田英男
    2020-10-16 07:40

    (相田) あのさ、アラン・ホールズワースって知ってるか?

    ーそれって、速弾きで有名なギタリストの名前ですよね?曲は聞いた事ないですけど、名前だけなら・・・・でも、しばらく前に亡くなりましたよね、70歳になる少し前位でしたっけ?

    ・・・・って言うか、何で僕が、またよばれたんです?ここでの音楽談義は、この間終わったんじゃないんですか。ブレイディみかこさんの解説が途中なんじゃないですか?

    (相田)いやまあ、何というか・・・・・70年代後半に、UKってバンドがあっただろう?そこでアランが、ギターを弾いてたのを思い出してさ。で、この間、輸入盤CDを買って聴いたんだ。いつもの如くさ。

    ー UKって、1975年にキング・クリムゾンが一旦解散した後で、ドラムのビル・ブラフォードと、ベースのジョン・ウェットンが作ったバンドですよね。クリムゾンのリズム隊に、当時のロック界最速と言われたアランのギターが加わった、スーパーバンドだと評判だったと聞いています。でも、あっという間に解散したんでしょう?

    (相田)そうなんだよ。ロバート・フリップが抜けた代わりに、アランの高速ギターが穴埋めするという、期待度Maxのバンドだったんだ。なのに、アルバムを1枚出したら、すぐにドラムとギターが脱退してさ。「なんじゃそりゃあ!?」って誰もが呆れたという・・・・

     それで、実情はどうだったのか、聴かなきゃわからんわな、てな事で、UKのファースト・アルバムをようやく聴いたんだ。そしたら、やっぱり微妙な内容で・・・・・・・何というかさ、期待したアランのギターの速弾きが、あんまりよく聴こえないんだよ。

    ー そりゃ、歳のせいで相田さんの耳が衰えて、音が聞こえにくくなっただけじゃ、ないんですか?

    (相田)・・・俺も最初は「そうなのかな?」って、不安になったけれど、そういう訳ではないみたいだ。そもそもこのUKってバンドは、ギターじゃなくて、キーボードが主旋律を作るんだな。何回も聴いて気付いたけど。エディ・ジョブスンていう、当時は若手のイケメンだった鍵盤演奏家を、ロキシー・ミュージック(ブライアン・フェリーがボーカルだった、スタイリッシュ系のバンド)から、引張って来たんだ。彼のキーボードがバンドのリード楽器で、ギターは付け足しで、サビの処でソロを取るだけなんだ。ギターがメインリフを刻むのも殆ど無い。

     そもそも最初は、イエスのキーボード奏者だった、リック・ウェイクマンに声を掛けて、ギター無しのELPみたいなバンドを考えてたらしい。それがダメで、代わりにエディを連れて来て、3人で録音を始めた。けれど、途中から「やっぱし、ギターもいるわな」て、なってさ。それでビルが、知り合いのアランを誘ったらしい。

    ー それはまた、なんとも・・・・安易すぎる流れですね。

    (相田)だから、そもそもUKは、ギターの出番自体が少ないんだよ、普通のバンドに比べて。そのエディのキーボードも、テクニックは十分だけど、キース・エマーソンみたいなアクの強さも無い、あっさりした演奏なんだ。だからどうにも、アルバムの雰囲気が派手さに欠けるんだよな。

     でも、それよりも問題なのは、ギターの音自体なんだわ。

    ー ちゃんと速弾きしてるんでしょう、アランは?

    (相田)確かに、速いことは速い。速弾きだけならアランは、ジミヘンを遥かに上回るのは間違いない。たださ音がさ、どうにもロックギターぽくないんだよ。ピッキングした時の「ガーン」という、アタック音が全くなくて、「ホワー」とした入りの音なんだ。音符を滑らかに繋ぐ「レガート奏法」って言うらしい(レガートとは、二つの音符が途切れないように、音の間をつなぐこと)。

     で、その結果どうなるかと言うとだな、ギターの音がキーボードとそっくりになるんだ。音の出だしのアタックが弱いからさ。俺が最初にUKのアルバムを聴いた時には、ギターの音に全く気づかなかった。「これ全部キーボードの演奏じゃん、どこでギターを弾いてるんだ?」って、不安に駆られたよ。何回か聴くと耳が慣れて来て、「ああ、ここはギターの音だな」と、段々わかってきたけれど。

    ー 音を滑らかにつなぎながら、ギターを速弾きするとか、ちょっと想像つきませんけど、そんなの出来るんですか?

    (相田)出来るんだよ、これが。そこがアランの天才たる所以でさ。ピックを右手で弱くつまんだり、柔らかい材質のピックを使うとか、色々と工夫してるらしい。ただな、ロックギターで、そんな弾き方する意味が、はたしてあるのか・・・・俺にはどうにも疑問だよ。

     ギターとキーボードが競演するロックのアルバムには、他に有名な作品が幾つもある。ジェフ・ベックの「ワイアード」(ジョージ・マーティンがプロデュースした「ブロウ・バイ・ブロウ」の姉妹作。日本ではこっちの方がヒットした)では、ヤン・ハマーのシンセとジェフのギターが合わせてる。もっとベタだと、ディープ・パープルの、ジョン・ロードのオルガンと、リッチー・ブラックモアのストラトキャスターの掛け合いが、日本人にはお馴染みだ(アルバム「ライブ・イン・ジャパン」を参照、などと、今さら私が書くまでもない)。

     これらのアルバムでは、どれも、キーボードの音にディストーションを掛けて(注1)、ギターの音に併せてるだろう?普通のロックの演奏ではそうするよ。ところが何と、UKのアランは、逆に、ギターのアタック音を消してキーボードの音に近づけてるんだよ。キーボードの速弾きに似せてギターを弾くなんて曲芸は、アラン以外には誰にも出来ないだろうけどさ。

    (注1:ディストーションとは、直訳すると“ひずみ”であるが、ロックの場合は、ギターを繫いだアンプ(昔は真空管を使用)の音量を過度に上げて、意図的にギターの音を歪ませる奏法のことを指す。オーバードライブとも言う。所謂“ガギューン”という、典型的なロックギターの音が出せる。英国にいたエリック・クラプトンが、58年型ギブソン・レス・ポールとマーシャル・アンプの組合せで、この音を見出して演奏を始めた。以来、クラプトンは“ギターの神様”と呼ばれるようになる。

     その少し後に、アメリカからジミ・ヘンドリックスという黒人青年が、英国にやって来た。彼は、レス・ポールよりもパワーは小さいが、表現力が豊かなフェンダー・ストラキャスターというギターを使って、クラプトン以上の、強烈なディストーション音を鳴らしながら演奏する事が出来た。ジミの演奏を聴いたジェフ・ベックは、「ギタリストを廃業したくなった」と語ったらしい)

     俺が「ワイアード」を聴いた時も、最初はギターかシンセの音か、「あれっ、どっちだ?」て迷うところがあった。けれども「ワイアード」では3回位聴くと、聞き分ける事が出来たよ。でもUKでは、十回以上アルバムを聴いた今でも、キーボードとギターの区別が付かない演奏がある。確かにアランは、凄いギター・テクニックの持ち主なのは間違いない。けども、こんなんで良いのか、俺にはどうにも・・・疑問だよ・・・

     本人がリーダーのソロアルバムなら、もっと普通に弾いてるのかな、と期待して、最近出たアランの2枚組ベストアルバムを、買って聴いてみた。でも、やっぱりキーボードの音と区別が付きにくい、紛らわしい演奏だった。シンタックスという、ギター形状の特殊なシンセを、一時期アランは愛用してるけど、それだと完全にキーボードの音そのものなんだわ。ロックファンが、超絶速弾きギターを期待してアルバムを聴き始めると、キーボードの音で、不思議な感じの高速のスケール(音階)練習が、繰り返し耳に入って来るだけだ、という・・・・

     アマゾンのアルバムレビューでは、「蛇が曲がりくねって進むような、高速スケールの繰り返し」と、書き込みされていたけど、言い得て妙の説明だわ。

    「それなら最初から、キーボード奏者に全部弾いてもらえばいいんじゃねえか?別に、苦労してギターの練習なんかしなくても」と、リスナーの誰もが、一度は疑問に思うみたいだ。それ乗り越えてから、晴れて、真のアランのフアンに解脱できるらしい・・・・けれども・・・・何だかなあ。

    ーアランは左手がすごく大きくて、普通の演奏家よりも沢山のフレットを押さえられるそうですね。その押さえ方も、常識外れの、変則的なコードの押さえ方を多用するので、変わった雰囲気の音階になると聞きました。手の小さな日本人には、真似できない弾き方が出来るとか。

     エディ・バン・ヘイレンがアランの速弾きギターをコピーしていた時に、指が届かなくて、どうしてもコードが左手で抑えられないので、右手の指でフレットを叩き始めた、というのが、ライトハンド奏法の始まりだそうですが?

    (相田)といった、まことしやかなデマが作られるほど、アランのギター・テクニックは凄い訳だ。アランは手だけじゃなくて、身長が190cm以上の大柄で、全身がでかいんだ。ギターを始めたのは、17歳位と遅かったけど、父親がピアノとかの楽器を弾ける人だった。彼は、親から習ったピアノの鍵盤の押さえ方を参考にして、自己流の勝手なやり方でフレットを押さえて、ギターを練習してたらしい。ギターの音も変わっているけど、性格も相当な変人だぜ。

     レコード会社からは、どっかのバンドに入ってレコード出すように、何度も声を掛けられたらしい。けど、断り続けてさ。そのうちに金が無くなって、ギターや録音機材を全て売り払う羽目になって、録音もできなくなった。その窮乏ぶりを見かねたバン・ヘイレンが、アランに金を援助して、80年代半ばにソロレコードを録音させてリリースした。それから、少し持ち直したんだよな。それでもあんな感じの、弾いているのかどうか、素人にはさっぱりわからない音だから、ギターの玄人以外には全くアピールしない。そんなんで年が経って行って、この間死んじゃったんだ。

     中島敦(なかじまあつし)の短編小説に、弓の名人の話があってさ。弓道を極めたいと思う男が、山にこもって修行する。厳しい修行の成果で、遂には弓を持たずに手で弾く真似をするだけで、鳥を落とせるようになる。でも修行をやり過ぎて、最後は外でただボーッと座っているだけで、弓に触りもしなくなり、名人であることすら誰も覚えていない、ていう内容だけど。

     その弓の名人みたいな雰囲気を、俺はアランに感じるよ。弾いているのかよくわからないけど上手い、という。「小説の中だけの話じゃ無かったんだ」と、なんか感銘を受けたぜ。

     たださ、アランの演奏の毒気に当たると、ギターの聴き方が変わるよな。ワイアードの頃にジェフ・ベックが、凄腕のジャズ・ベーシストだったスタンリー・クラークと、共演してただろう?あのジェフのソロは、以前は「凄い最先端のテクを使った、難解な演奏だな」とか思ってた。けれど、アランのギターの後で聴き直したら、「何と単純で、健全過ぎるハードロックのフレーズだ」と、目から鱗が落ちたよ。あと、ロバート・フリップのクリムゾンのギターソロも、それまでやたら難解な気がしてたけど、アランに比べると、普通のブルースギターにしか聴こえなくなった。「クラプトンと変わらないじゃん、これ。えらい単純だよな」てな感じで。

     やっぱりさ、名人の醸し出す、怪しげな雰囲気には、侮れないものがあると思ったよ。

    ー・・・・それで、ごたくは散々聞きましたけど、他にも何か言いたい事が、あるんじゃないですか、相田さん?

    (相田)・・・それが君と最後に対談した時さ、「ポールが羽田空港に大麻を持ち込んで掴まらなかったら、ジミー・マックローチがギターを弾く、最強のウイングスが日本で聴けたのに、残念だ」とか言っただろう?あの後で、本屋でポールの本を立ち読みしてたらさ、ポールが逮捕されたのは、1980年の年始だったと書かれてた。でさ、ジミーはその前の年の1979年に、麻薬のやり過ぎで既に死んじゃってたんだ、これが・・・・

    ーあっちゃー、やっちゃいましたね、相田さん。死んじゃった人が来日して、コンサートでギターを弾くのは、ちょっと難しそうですねえ。

    (相田)参ったよ、全く。ポールが逮捕されたのと、ジョンが年末に撃たれて死んだのは、同じ年だったんだよな。すっかり忘れててさ。ポールが捕まったのは、もっと前だとばかり思ってた。ダメだな俺も。で、これだけはさすがに懺悔しとかんといけんな、と、また君に来てもらったのよ。

     あとさ、ジェフ・ベックを褒めてもさ、「もっと上手くギタリストが大勢いるから、あんなのダメだ」とか、ウルサいマニアからケチがつけられないかと、ちと不安になってさ。昔はヘビメタの伊藤政則とかが、「ジミー・ペイジはギターが下手だ」と散々ケナしてただろう?。それなら最後に、アラン・ホールズワースを出しとくか、となったのよ。流石にアランより早弾きのギタリストは、そうはいないだろうからな。そこまで行くと、もはや人間の耳には聞きとれない世界になっちゃうぜ。

     あの年(1980年)は、テレビで「イデオン」を放映してて、訳のわからん話に子供ながらに、必死でついて行ってた時期なんだよな。色んなイベントが重なって、サブカル的にカオスの時代だったよ。

    ー何言ってるんですか。それなら、10年以上前の60年代末期の方が、もっとカオスでしょう?何せ、あのジャックスの演奏が、テレビで生放送されてたんですから。

     ジャックスのギタリストだった水橋春夫(故人)が、前に話してましたけど、彼は当時、自分のギターを持って無かったんですって。それで友達からギターを借りて、電車に乗ってテレビ局まで行って、そのまま生演奏して帰ってたそうですよ。

    (相田)今では女子高生でも、平気で自分のギターを持って、その辺を歩いてるのにな。人から借りたギターを担いでテレビ曲に出向くとか、プロらしからぬ有様だ。ちなみにあいつらが演奏してたのは、「マリアンヌ」とか「からっぽの世界」だろう?あんな曲が今時テレビで流れていたら、苦情が殺到する事請け合いだ。全く、今では考えられない非常識さだよな。

    ーあの頃は、大学紛争の真っ最中ですからね、時代そのものがカオスだったんでしょうけど。

    (相田)まあ昔は色々あったよ。実家に置いてあったミュージック・ライフにさ、丁度結成したばかりのUKのメンバー4人の、インタビューが載ってたんだ。そこでビル・ブラフォードがさ、「パンクの理念なんて、僕からすれば、隣の男の子でもギターを弾ける、というものだった。けれどもUKの哲学はパンクの反対だ。誰もアランのようにはギターを弾けない、というのがUKの自慢だ」てな話を、自信満々にしてたのよ。「これから期待しててくれ」てな感じでさ。読みながら「おお、カッコいいなぁ」と、俺は思ったよ。

     それからしばらく情報が入らなくて、UKはどうなったんだろう、と思ってた。そしたら、「アルバム一枚限りで、ビルとアランが脱退したんだぜ」と、誰かが言っててさ。あの時に初めて俺は、「大人は自信満々に、平気で嘘をつくものだ」というのを学んだよ。

     その後はビルも、アランをなんとかメジャーな場所に出してやろうと、2人で幾つかアルバムを出したらしい。けど、結局パッとしないで、再結成したクリムゾンに出戻りで加わるんだよな。そしたら福岡の、誰も客がほとんどいないガラガラのホールで、ドラムを叩く羽目になったという。

     まあ、ブラフォードも苦労人だよ、今思えば。渡辺加津美と一緒にやった時に、コンサートに行ったよ。上手いドラムだった、流石に。一回観といて良かったよ。もう本人は、外国にツアーに出てコンサートをやるのがきつい、って言ってるからさ。

    ーやっぱり、外国の誰もいない会場でドラム叩いたのが、トラウマになったんですかね?

    (相田)・・・・別に、そのせいで来日しない訳じゃないみたいだけどな。

    (エディ・バン・ヘイレンの逝去を悼みつつ)

    相田英男 拝

    タイトル
    音楽対談おまけ(こんな時期に・・・)
  5. 相田英男
    2020-08-14 10:25

    相田です。
    お盆の間に、ブレイディさんの本を読んでみては如何でしょうか?
    視点の豊かさと内容の濃さに、誰でも感動すると思います。

    (以下、前回より続き)

    3. 前代未聞のハードコアすぎるJK

    前回の音楽の話が長すぎたかもしれない。ここから、ブレイディさんの高校時代に話を戻す。福岡県トップの進学校に通い始めたにもかかわらず、早々に学校に幻滅した彼女の当時の様子を、本人のインタビューから引用しよう。

    (引用始め)

    (相田注:高校の先生に、アルバイトの件で怒られてからは)授業をさぼりがちになり、嫌いな科目の試験は「わかるところだけ埋めるのは、しみったれててイヤ」と、白紙で提出。試験終了までの余った時間は、答案用紙の裏に歌詞や文章を書いて過ごした。

    「高校の頃は大杉栄が好きだったので、彼についてのミニ評論みたいなものを書いたら、その教科の先生が、現国の先生に見せたらしいんです。現国は好きでちゃんと勉強していたので、現国の先生が『君は僕が引き受ける』と2年、3年の担任になってくれて。グレてる私を心配して、わざわざ家にも何度も訪ねてくれました。『とにかく学校には来い。嫌いな教科があったら、図書館で本でも読んでろ。本をたくさん読んで、大学に行って、君はものを書きなさい』って。本当に恩師ですよ。

    そういう奇特な先生と立派な図書館に出会えたのは、あの学校のいいところかも。でも、受験勉強って嫌いな科目も勉強しなきゃいけないじゃないですか。そんなのやってられるかよ、って結局大学には行きませんでした(笑)」

    朝日新聞デジタル
    「成り行きまかせ」で恩師が望んだ道に ブレイディみかこさん(後編)、より

    (引用終わり)

    相田です。高校で勉強する気を失った彼女は、嫌いな科目の試験の際には、白紙の解答用紙の裏に、好きな文章を適当に書いて出していた。大杉栄は、戦前の左翼作家で、関東大震災直後に憲兵に虐殺された人物だ。その恋人だった伊藤野枝と共々、両方のファンだったブレイディさんは、試験に全く関係ない大杉栄についての評論を、ある日の答案の裏側に書いた。

    ところが、捨てる神あれば、拾う神あり。その答案裏に書いた文章を、試験担当の先生から見せられた現国の先生が、彼女の文才を見抜き、学校をやめないように説得してくれたのだった。

    その先生は、彼女の自宅に何度も通い、「嫌いな教科は授業に出なくてもいい。自分が責任を持って卒業させるから、大学に行きなさい。君には物書きの才能がある」と、彼女に言ったらしい。うーん、流石は福岡一の名門高校だけの事はある。先生にも、眼力のある、懐の深い方がいるものだ、と、しみじみ感心する。これ以降、彼女は好きな授業にだけ教室に顔を出し、嫌いな授業の時は、堂々と図書館に逃げて読書に耽るという、誠に気ままな学園生活を送れるようになった。

    でも、これって、40年前のネットも無い、ゆるい時代だったから良かったものの、世知辛くなった今では、流石に、許されないのでは無いだろうか?今だと、同級生の父兄から、教育委員会に、「あすこん家の娘さんは、いっちょん授業に顔ば出さんで、図書館で本ばかし読みよんしゃるごたるばってんが、なして、留年させんとですか?どげん考えたっちゃ、おかしかとや、なかとですか?くわしか理由ば、はよ、説明してつかあさい」とかの、通報が電話で入って、まあその前に、SNSですぐに悪い噂が広まって、あっという間に、退学させられるのでは無いか、と、思う。

    私の高校時代には、まだ、腕の太い強面の柔道の先生がおり、学校内で普通に不良を殴っていた。その先生は「俺が本気で怒った時だけ(利き腕の)左手で殴る」と公言しており、実際に左手で殴られた不良が失神した事があった。当時は、「殴られる方も仕方ない(くらい悪い)よな」と、我々生徒の誰もが思っていた。私が卒業して数年後に、その先生は新設の高校に体育教師として赴任したが、暴力が問題になり、すぐに謹慎させられたらしい。この辺りから、世の中の雰囲気が世知辛くなって来たように感じる。自分としては、まだ周囲の締め付けがゆるい高校時代で、助かったと思っているが。

    そんなこんなで、彼女自身は、恵まれない人生のように見えるが、どういうわけか、間一髪で、ドツボに落ちるのを毎回救われている。単にラッキーだけでは無い、不思議な運命の巡り合わせが、ブレイディさんにはある。

    さて、大杉栄のファンだと公言するくらいなので、ブレイディさんは、明らかに左翼である。彼女が帰国した際に付き合う方々も、左翼の方々が多いようだ。しかし、彼女の文章を私が読むと、普通の左翼とは、ちょっと違う印象を受ける。所謂普通の左翼の方の、話の節々に出てくる、相手を見下すような「上から目線」、や、「私の話を受け入れない連中は、皆バカだ」的な、相手をマウンティングしてやろうと虎視眈眈に窺う雰囲気が(佐高信(さたかまこと)とか、広瀬隆(ひろせたかし)等が、その典型)、彼女の文章には薄いのだ。主張そのものは非常に厳しい内容もあるが、あくまでも彼女は、腰が低い下からの目線で、穏やかに相手を説得しようとする。

    「左翼にしては、何か不思議な感じがするな」と、私は思っていたが、それには、やはり理由があった。もっと驚くべき秘密が、彼女にはあったのだ。以下にネットにあった、別のインタビュー記事から引用する。

    (引用始め)

    (ブレイディ)いちばん読書をしたのは、高校生の時なんですよ。通っていたのは地元の福岡では一応進学校と呼ばれるところだったんですが、ちょっと変な学校で。そこで私は反抗的な生徒だったから、先生たちからも疎ましがられて「お前はもう授業に出なくていい。図書室で本を読んでいなさい」と言う先生もいて。じゃあその通りにしてやろうと思って、ずっと図書室でさぼってました。

    この高校はもともと江戸時代には藩校で、OBには玄洋社(明治時代に結成された、アジア主義を掲げる政治団体)の関係者が多かった。それで、高校にしては広いその図書室の一角に、玄洋社関係の書き手の本をまとめた書棚があったんです。

    それで、私はまず夢野久作の本から読み始めました。久作の父親は玄洋社の中心メンバーだった杉山茂丸で、玄洋社の人たちの破天荒な生き様を描いた『近世快人伝』がものすごく面白かった。そこから入り、中野正剛や、花田清輝あたりまで広がって行く郷土色の強いコレクションだったんですが、片っ端から全部読んでいきました。大杉栄の本も、パートナーの伊藤野枝の叔父が玄洋社の関係者なので、この棚に入っていました。

    玄洋社って、いまでこそ右翼の元祖みたいに言われていますけど、私はアナキストっぽいなと思ってました。高校時代の私にとっては、セックス・ピストルズと同等にカッコいい存在だった。だから、きっと当時の読書経験が基盤になっているんでしょうね。右と左ではない、上と下だ、というのも、なんか玄洋社っぽい気もするし。

    2017年12月7日
    不敵な薔薇を咲かせるために、第4回 玄洋社のアナキズム
    國分功一郎、ブレイディみかこの対談 より

    (引用終わり)

    この話を最初に読んだ時に、私は、よく意味がわからず、「えっ、この人一体、何を言ってるのだろう?」とだけ思った。二度目に読んでその内容を理解すると、私の頭の中は驚きのあまり真っ白になり、しばらく呆然としていた。気を取り直して、念のために、内容を再度確認すべく、三度目を読み直した。すると私の頭の中では、「何じゃああ、こりゃあああああああ!?」という、往年の「太陽に吠えろ」の誰かのような叫び声が、止まらなくなった。電車の中だったので、流石に声は出さなかったが。

    彼女のこの話を読んで、「ふーん、そうだったの」と、軽く流せるのは、相当に、相当に、ハイレベルの知識人か、普段から全く何も考え無い、単なるパンピー、かの、どちらかだ。

    彼女が語る玄洋社というのは、明治初期から太平洋戦争末期まで存在した、福岡を拠点とする政治結社である。幕末の福岡藩士達の間で興った改革思想が、明治になって引き継がれた組織だ。玄洋社は、一応会社の体裁は取っているが、その主張は、当時の日本政府を過激に批判し、武力闘争も厭わないものだった。なので、今ではその存在は、歴史の闇に葬られている。

    その玄洋社に関する本が、高校の図書館にまとめて置いてあったので、授業をサボったブレイディさんは、ひたすら読みまくっていた、というのだ。

    彼女の話を聞いて私は「なるほど」と思ったが、修猷館高校は、旧福岡藩の藩校が、明治になって名前を変えてできたのだ。そして、玄洋社の関係者には、当然ながら修猷館の出身者が多かった。だから、修猷館高校の図書館には、玄洋社の書籍が多く残してあったのだ。

    玄洋社の代表者として名高い、頭山満(とうやまみつる)という人物は、右翼の大物として知られている。玄洋社も、日本初の民間右翼団体とみなされており、戦後の混乱期に、GHQ -SCAPにいた、カナダ人歴史学者のE.H.ノーマンにより、危険な組織であると認定され、強制的に解散させられた。(ノーマンはその後、アメリカ政府によるレッド・パージの対象となり、逃亡中にカイロで服毒自殺した)

    しかし、玄洋社の思想は、現代の右翼とは完全に別の物だ。「日本人が日本の国を大事に、誇りに思うように、中国、韓国、インド、その他のアジアの人々も、自分達の国を大事に思うだろう。それぞれの国の生活者が、自分の国を大事にしながら、お互いに協力し合って、アジアを発展させましょう」ざっくりいって、これが玄洋社の主張である。

    副島隆彦の「アジア人同士戦わず」そのものが、玄洋社の思想なのだ。

    今の右翼の連中が、ネットの書き込みや街宣車で叫ぶような、「韓国人は日本に来るな、中国人は大陸に帰れ、フィリピン人は出稼ぎに来るな」、という主張と、玄洋社の主張は、全く別物だ。玄洋社こそが、本来の、真の「右翼」である。

    現在の世間で広く認知されている右翼とは、「商業的右翼」とでも呼ぶべき、単なる紛い物だ。イミテーション右翼だ。貧乏な生活者の日頃の不満やストレスの捌け口となるように、政府とマスコミと、薄汚い文筆家の多くが結託して、品の無いキャンペーンをやり、本や新聞を売って金を儲けているのだ。「金儲けを目的とした右翼思想」だ。そんな「右翼」しか、現代には残っていない。そんな紛い物に簡単に引っ掛かる程度まで、日本人は、支配層の目論見により、強制的にバカに堕とされている。そのことに誰も気付かない。

    話がそれてきたので戻す。私は、左翼の主張が相手に対して高圧的になりがちなのは、自分の主張に、根底では、自信が無いからだ、と思っている。インテリの左翼主義者が最後に拠り所にするのは、結局のところマルクスだ。しかしマルクス・レーニン・スターリン主義の旧ソビエトが崩壊し、北朝鮮もあんな感じで、本当に自分の思想は大丈夫なのか、という不安感が、インテリ左翼の頭の中からは、どうしても払拭出来ない。その不安感をごまかして、勢いをつけるために、彼らは議論の際に、上から目線の高飛車な態度に出るのだ。私は、そのように思っている。

    対してブレイディさんは、自分の頭の中の不安感が薄いのだ。その理由の一つに、彼女にはマルクス以外の思想の拠り所として、高校時代に読み込んだ玄洋社の本があるからだ、と私は思う。ブレイディさんの哲学の根っこは、他の左翼の論客よりも、非常に幅広く広がっており、しなやかで、かつ、強い。だから、相手に対して目線の低い立場から、穏やかに考えを主張出来るのだ。腰を低くして議論を始めても、相手に負けない強い自信が、彼女にはある。そこが、他の左翼と彼女は一線を画す、と、私は上のインタビューから理解した。

    (ここで、「右翼と左翼の正反対の思想が、どうやって頭の中で結びつくというのだ?」という、素朴な疑問を持つ方もいると思うが、その説明はしない。取り敢えずご自分で、玄洋社について多少なり調べてみれば、少しは納得するだろう、と思う)

    しかしである。女子高生が授業をサボって図書館に行き、あろうことか、並んで置いてある玄洋社の関連書籍を、かたっぱしから熟読しながら、毎日楽しく時間を過ごしていた、と、いうのだ。それも、アナーキー・イン・ザ・UK、とか、ゴッド・セイブ・ザ・クイーンなどの曲を、口ずさんだりしながら(おそらくは)、である。何というシュール、かつ、ハードコアな女子高生だろうか。どっかの古い曲の、校舎の屋上でタバコを更しながら、トランジスタ・ラジオから流れる音楽を聴く、という情景よりも、現実離れの度合いが、更にひどいではないか。

    別に、彼女以外の女子高生が、誰も玄洋社の本を読まない、という訳ではないだろう。テレビの「東大王クイズ」に出てくる、鈴木光嬢のような才媛ならば、もしかすると、読んだりするのかもしれない。しかし、それでも、教養を付けるため、とか、歴史のレアな知識の一つとして玄洋社を知っておく、くらいの認識ではないのだろうか?

    それこそ、自分が将来生きてゆくための、思想の礎に取り込むのだ、という熱い思いで、授業をサボって、学校の図書館で玄洋社の本を読み込む。そんなシュールな女子高生は、後にも先にも、ブレイディさんだけなのではないか?そんな少女が、今後も日本に現れるとは、私には到底思えない。(念のため付け加えるが、男の子でも、まずいないと思う)

    私の頭の中が真っ白になった理由が、少しはお分かり頂けただろうか?

    彼女は単に、異国に流れついてから、現地の生情報を送って日本を批判するだけの、何処にでもいる、中身の軽い左翼ライターではない。現在の日本で既に失われてしまった、由緒正しい保守思想の真髄を、若い時に(偶然にも)かつての総本山で会得した人なのだ。その人が外国で、底辺社会に身を置きながら、左翼をやっているのだ。

    ブレイディさんの文章を軽く見てはいけない。“ニュータイプ左翼”と、呼ぶに、ふさわしい人物だ、と私は思う。

    (続く)

    タイトル
    遅れて来たニュータイプの左翼論客、ブレイディみかことは何者か?(その3)
  6. 相田英男
    2020-08-12 07:59

    2. 私のパンクロック雑感(と、思って書いたら、全くそうでは無かった・・・)

    もしかしたら、ブレイディさんの本に触れたのがきっかけで、洋楽ロックを全く知らない方が、パンクの曲を聴いてみたい、などと、思うのかもしれない。それならば、やはり、セックス・ピストルズのアルバム “Never Mind the Bollocks, Here’s the Sex Pistols”(邦題:勝手にしやがれ、1977年)を聴くのが良い。これだけで、まずは十分だ。後はお好みで、少しずつ探せばいいだろう。

    しかし、単にこのアルバムを聴くだけでは、アルバム発表当時の、1970年代後半の雰囲気を味わうには、少し足りないかもしれない。そのためには、ピストルズの前に、次の2枚のアルバムをじっくり聴くのを薦める。

    ・キング・クリムゾンのファーストアルバム「クリムゾン・キングの宮殿」(1969年)
    ・レッド・ツェッペリンの「レッド・ツェッペリンⅣ」(1971年)

    「何を馬鹿な事を言うのか、お前は?」と、言われるだろうが、私は大マジだ。ニューウェーブを理解するには、オールドウェーブを知らなければならない。オールドウェーブとは言うものの、上の二つのバンドは、活動の全盛期の時期には、彼らの事を「アート・ロック」と呼んだのだ。「芸術の域まで高められたロック」である。

    楽器の演奏技術と音楽の深みを、極限まで高めて作られたロックのアルバムが、この2枚である。後者に入っている「天国への階段」は、当時のベルリンフィルの指揮者だった、あのカラヤンが聴いた際に、「完璧な音楽だ」とまで言わしめた(本当かどうかは定かで無い)、超名曲である。

    この2枚を先に聴き込んでから、「勝手にしやがれ」を聴いてみれば良い。余りの内容の、レベルの違いに、誰もが衝撃を受けるだろう。「何でこんな事になったんだ!?」と、頭を抱える事は、必定だ。ピストルズがデビューした時には、みんなそう思ったのだ。それ以降、「アート・ロック」は完全に死に絶えた。アホらしくなって、若者は見向きもしなくなった。

    何で大衆音楽であるはずのロックンロールが、ごく短い時期ではあったが(1967〜1975年位)、英国で「アート」にまで格上げされ、そして、消えたのか?その理由は、おそらくは英国の「格差問題」にある、と私は思っている。

    「教養としてのビートルズ」という、どなたかが書いた新書本が、最近出た。そこに書かれていたのだが、ビートルズの功績の一つは、音楽を通じて英国の階級社会の切り崩しをやった、という事だ。私は英国に行った事がないので、実情はわからないが、英国の社会では歴然たる格差と階級が存在しており、人々はそれを意識しながら、自分がどの階級に属しているのかを自覚しながら生活している、という。文化にも「格差」があり、ロックンロールなどは、下層の労働者階級が聴く音楽だ、と1950年代の英国ではみなされていた、という。

    しかし、ビートルズがデビューした後で、その見方が大きく変化する。最初は、若者に受けるだけの単純なポップスに過ぎないと、大人達は思っていた。が、ジョン・レノンと切磋琢磨しながら、ポール・マッカートニーが作り出した「イエスタディ」、「エリナー・リグビー」、「ヘイ・ジュード」等の曲の美しさには、クラッシックの音楽家達も一目置かざるを得なかった。ジョンもバンドの後半期には、両親に見捨てられた自身の幼少時代の辛い思いを、曲に込めるようになった。激しくも内省的なジョンの歌は、それまでのポップス曲に無い深い感動を、聞き手に与えるようになった。

    1960年代後半には、ビートルズの活躍を間近で見ていた英国の少年達の中で、楽器の腕に自信がある者達が集まり、ビートルズを超える高い演奏能力を持つバンドが、現れ始めた。クリームやムーディ・ブルース等がそうだ。更に、米国からロンドンにやって来た、ジミ・ヘンドリックスという無名の黒人青年は、それまで誰も聴いた事がない、激しく、華やかなギターを弾き鳴らして、英国の若者に衝撃を与えた。

    ジミ自身は数年後の1970年に夭折するが、ジミのギター・スタイルを消化し、基本フォーマットとして身につけた英国のバンドから、レッド・ツェッペリンやディープ・パープル等の、正統ハード・ロックバンドや、クリムゾン、ELP等の、捻りを加えたプログレッシブ・ロックバンドが出現し、ロックの黄金期を迎えることになる。彼らの別名を「アート・ロック」と呼ぶのだ。

    何で当時の若者達は、ロックを「アート」まで高めようとしたのか?音楽好きの楽器オタクが、単に集まっただけだから、とは多分違う。それは「俺たちを、もっと、人間らしく扱え!」という叫びだと、私は思う。

    下層階級に暮らす人間でも、美しい物に感動したり、何かをきっかけで深い思索に捉われたりする事はある。「安っぽい、軽い文化の中だけに、俺たちを閉じ決めておくのは、もうやめろ」という、上流階級への反発が、貧しい彼らにはあったのだ。イアン・ギランが、ライブの「チャイルド・イン・タイム」の演奏で、鬼のようなハイトーン・ボイスで叫び、キース・エマーソンがオルガンを日本刀で斬りつけたりするのは、「象牙の塔に篭った連中が聴いてる上品な音楽よりも、俺達の方がレベルが高いぜ」、と見せつけているように、私は感じる。

    しかし、いくらギターの速弾きが上手くなろうが、アルバムの曲の深みが増そうが、そのリスナーである貧乏な少年少女達の、現実の、惨めな生活が変わる訳では、全く無かった。バンドのプレイヤー達や、レコード会社等の取り巻き連中は、アルバムのヒットや満員のコンサートやらで、大層な金を儲けただろう。が、彼らのファンであるべき若者達は、相変わらず下層階級のままだった。真似してバンドをやろうにも、ギターは高くて買えないし、速弾きソロの技巧も、聞き真似で、たやすくコピーできるような代物では、最早無くなっていた。

    「何で今のレコード屋で売ってるのは、あんなプログレの、変ちくりんな曲ばっかりなんだ?楽器だって、あそこまで上手く弾けるならないと、レコードとか作れないのか?これが、俺達の聴く音楽なんて、どう考えてもおかしいぜ?!」と、若者達が怒っても仕方がない状況だった。かくして登場した、パンク・ロックによって、「アート・ロック」は絶滅するに至った。あまりにあっけない終わりだった。

    そのパンク・ロックが興ったのは、英国より先に米国だった。60年代後半に流行ったサイケデリック・ロックの流れを受け継ぐバンドが、ニューヨーク・パンクとして1970年代前半に活動していた。当時のロンドンに、洋服店を経営していたマルコム・マクラーレンという青年がいた。彼はニューヨークを訪れた際に、ニューヨーク・ドールズというバンドを見かけて、気に入り、バンドのマネージャーとして関係を持った。そのバンドは直ぐに解散してしまうが、ロンドンに戻ったマルコムは、自分の店にたむろしていた少年達を集めて、よく似たスタイルのバンドに仕立てて、1975年にデビューさせる。これこそが、セックス・ピストルズだった。

    何というか、あまりにも、テキトー過ぎる経緯であったのだが、英国ロックシーンに突如出現したピストルズは、当時のオールドウェーブのバンド関係者や、上流階級の連中達を、戦慄の渦に叩き込む一方で、貧乏な若者達からは熱狂的な支持を集めた。しかしその活動の絶頂期だった1978年に、カリスマ・ボーカリストのジョニー・ロットンが、米国ツアー中に脱退を表明し、バンドは早々と分解してしまう。その少し後に、ベースのシド・ビシャス(ロットンの幼なじみだった)が、恋人のナンシー・スパンゲンと一緒に、ホテルで変死するという、スキャンダラスな事件が起きて、騒ぎにもなった。

    これ以降のパンク・ロックの動向と、音楽シーンに与えた破壊的な影響については、私には詳しく書く自信がない、というか、書く資格が無い。ブレイディさんのブログや著作を読まれた方が、はるかにわかりやすく、役に立つと思う。

    ただ、SNSIのメンバーとして、副島先生が以前に出版されたある本の中から、一文を引用して、私のパンクについての説明を終えたい。短い文章だが、パンクロックに関する真実が、あからさまに描かれている。

    (引用始め)

    わたし(ヴィクター・ソーン)はこれまであらゆる種類の麻薬を試してきたので、それらがいかに人体に悪影響を及ぼすものか知っている。わたしと同じ経験を持つ人なら、きっと同意してくれるだろう。麻薬がもし、潜在的に“問題児”となる人々の更生の努力を蝕む道具として使われるとしたら、どうだろうか?

    つまり、こういうことだ。一九六〇年代末期、大衆の抗議運動が支配者達の計画を崩壊させないほどの脅威となったとき、彼らはどうしたか。一九六〇年代、マリファナの使用が広く流行したことは誰もが知っている。だが一九七〇年代初頭にかけて、より強く危険な麻薬が登場し始めた。

    数年の間に、愛すべきフラワーチルドレン(反戦平和運動家たち)は、覚醒剤常用者や、麻薬密売人や、ペテン師に変わり果て、誰もが惰性に流され、楽な金儲けを追いかけるようになってしまった。

    (中略)

    さらなる例は、一九七〇年代中頃から末期にかけて起こった。イギリスのパンクロック・ムーブメントである。当時、イギリス経済は最悪の状況にあり、多くの怒れるティーンエイジャー達がパンクロックという新しい音楽に熱狂的に触発され、政治批判を行った。セックス・ピストルズ、クラッシュ、ジェネレーションX、スージー・シオ&バンシーズといったグループを通じて、このムーブメントはイギリス社会のエリート達の脅威となった。

    これを阻止するために、元ニューヨーク・ドールズのギタリストで、おそらくロック史上最も悪名高い麻薬常用者ジョニー・サンダース(彼はペラペラと真相を喋った)と、ナンシー・スパンゲンがイギリスに送り込まれた。ナンシー・スパンゲンはセックス・ピストルズのメンバー、シド・ビシャスの恋人だったが、後に謎の刺殺体となって発見された。サンダースは、セックス・ピストルズを「死のドラッグ・ツアー」へと誘い、一方ナンシーは哀れなシドに目をつけ、ものにした。ジョニー・サンダースが鼻にかけ嘯いていたとおり、わずか数ヶ月のうちにイギリスのパンクロッカーは、一人残らず麻薬中毒になった。

    ジョニーとナンシーはいずれも文無しだったが、ヘロインだけはいくらでも手に入れることが出来、会う人間全てに渡していた。二年もしないうちに、セックス・ピストルズは解散し、ナンシーとシドは死んだ。パンクロックは、より安全で、清潔で、革命よりも金儲けを目指すニューウェーブ・ミュージックへと姿を変えていった。

    ここにも、まさにヘーゲル弁証法が作用している。
    テーゼ(正)=危険で、政治的なパンクロック、アンチテーゼ(反)=破壊的で、容易に手に入るヘロイン、ジンテーゼ(合)=清潔で、安全なニューウェーブである。

    (引用終わり)

    “ザ・ニュー・ワールド・オーダー・エクスポーズド・バイ・ヴィクター・ソーン”(邦題:次の超大国は中国だとロックフェラーが決めた:副島隆彦 翻訳、責任編集、2006年 徳間書店)より引用

    (続く)

    タイトル
    遅れて来たニュータイプの左翼論客、ブレイディみかことは何者か?(その2)
  7. 相田英男
    2020-08-10 15:36

    1. ああ、この人には、私は勝てない・・・

    相田です。

    私にしては、気付くのが遅すぎたと思う。

    この方の名前だけは、以前から知っていた。が、単なる雑多のライターの一人に過ぎないと、全く関心を持たなかった。しかし、今の私の心中は、正直に言って、かなりの敗北感で打ちのめされている。

    ブレイディみかこさん、という、英国在住の女性ライターがいる。数年前からエッセイを出版されて、ベストセラーにもなっている。ネットで検索すると、20年前頃から既に、数多くのエッセイを、御自身のブログや雑誌で書かれている。著作本も10冊くらいあるようだ。今になって知った私は、自分の不明を恥じている。

    彼女の経歴を見ると、福岡の生まれで、修猷館高校(しゅうゆうかんこうこう)の卒業だという。関東以北の方はピンと来ないだろうが、修猷館高校とは、福岡県で最も偏差値の高い、秀才が集まった県立高校である。私は実家が近いので、事情がよくわかる。

    関東と違って九州には、私立の頭の良い名門校の数は少ない。福岡の久留米大学附設高校(孫正義、ホリエモンなどの濃いキャラの卒業生がいる)と、後はあのラ・サール高校(こちらは全国的に有名)くらいだろうか、私立の進学校は。なので、九州の頭の良い高校生のほとんどは、県立の進学校に通うことになる。副島先生が、教員の一人を殴って退学したという、鹿児島の鶴丸高校(つるまるこうこう)も、名高い公立の進学校だ。そして、修猷館高校とは、人口100万人を超える大都市福岡の中でも、頂点の進学校なのである。地元の旧帝大の九州大学に、毎年100人以上を合格させる、恐るべき高校だ。ブレイディみかこさんは、その卒業生である。

    ちなみに、熊本県には県立熊本高校という、普通に授業についてゆけて学年の平均レベルの成績であれば、軽く九州大学に合格するという、修猷館と同等レベルの、旧帝国大学への附属高校ともいえる、凄い学校がある。その熊本高校よりも偏差値が2、3点だけ低い、済済黌高校(せいせいこうこうこう、本当にこういう名前である)という、県立の名門進学高校が、熊本にはある。テレビによく登場する、コメディアンのクリームシチューの2人は、この済済黌高校の卒業生である。上田晋也が司会で見せる、軽やかな会話の切り返しや、「全力脱力タイムズ」での、有田哲平の皮肉の効いた、タイムリーな時事コントのネタも、彼らの基礎学力の高さが理由だと私は思う。そんなことを彼らは、絶対に、ひけらかしたりはしないのだが。

    私がブレイディさんに敗北感を抱くのは、私の卒業した高校の偏差値レベルが、修猷館に遥かに及ばないから、では、全く無い。本当に。

    さて、その彼女は、修猷館に合格するために、別に頑張って勉強した訳では無いらしい。彼女の通った中学校は、余り品の良く無い、不良がたむろするような学校だった。それで、家から近い別の高校に通うつもりだった。が、中学の担任の先生が自宅に何度も通って、修猷館を受験するように、父親を熱心に説得したという。それで受けたら、あっさりと合格してしまった、と、いうのだ。

    ここから先が、だんだん信じ難い話になるのだが、合格したその名門校に通うのに、家からかなり離れていたので、通学の定期代が彼女の家庭では出せなかった。しかたがないので、彼女は交通費を稼ぐのに、放課後に学校で禁止されていたアルバイトを、自宅の近所のスーパーでやっていた。その時に時間が無くて、制服の上にエプロンを着て店に出ていたのを、客に見られて学校に通報された。当然、彼女は先生にこっぴどく怒られた。

    彼女は「家にお金がないので、定期が買えません」と訴えたが、先生は「こんな高校に通う生徒の家庭が、交通費を出せない筈が、ある訳ないだろう。遊ぶ金が欲しかったんだろう、嘘を言うな!!」と、全く信じなかったという。それ以来、学校に幻滅した彼女は、真面目に勉強する気が失せたのだった。

    はっきり言って、彼女の家庭は裕福ではなかった。父親は建設業の現場労働者で、母親は専業主婦だったらしい(昔はそれが普通だった)。当然だが、親の稼ぎは余り無い。なので、通った中学校も、不良が集まる柄の悪い学校だったのだ。その中学の先生が彼女を、修猷館を受験するように強く説得した、というのは、彼女の地頭(じあたま)が相当に良かったという事だ。柄の悪い生徒の中でも、彼女は光っていたのだろう。

    彼女は幼少の頃から、自分の家庭が普通よりも(とても)貧乏だという現実に、直面していた。さらに彼女は、人並み以上に多感で、(不幸にも)考える能力がとても高かったのだ。余り物事を深く考えない子供ならば、辛い状況でも、妥協して周りに流されて、それで済んでしまうだろう。しかし、彼女はそれが出来なかった。「何で世の中には、金持ちの家と、(私のような)貧乏人の家があるのだ?」と、真剣に考え続けた。そんな中で、彼女の唯一の救いの道になったのが、中学時代に出会った、英国パンク・ロックの、セックス・ピストルズだったのだ。

    偶然にも私は、彼女とほぼ同じ世代である。姉の影響であるが、私も彼女と同じ時期に、英国ロックを聴き始めた。自慢では無いが、私の実家も同じくらい貧乏だった、と、思う。大学時代に奨学金を借りる手続きで、私が地元の税務署に行き書類を貰うと、そこに書かれていた父親の収入を見て、愕然とした記憶がある。よくこんな収入で、息子を大学に出せたな、と、素直に感動した。昔は国立大学の学費が安かったから、辛うじて出来たのだと思う。私の実家が田舎だった事も幸いした。近所には、他に目立ったお金持ちの家庭は無かったから。福岡市内などに住んでいたら、周りにどうしても目が行き、劣等感に苛まれていたかもしれない。

    しかし、私はパンクを全く聴かなかった。パンクが始まった以降の1980年代からのロックをニューウェーブと呼ぶが、今でも私が聴くロックは、1975年より前のオールドウェーブだけである。ピストルズはおろか、クラッシュ、オアシス、ニルバーナ、スミス、などの、80年代以降のバンドは、全く聴かなかった。今もそうなのだが。

    自分では単に、「あんなの興味が無い」と馬鹿にしていたが、本心はそうではない。聴く事で、自分の中にある、偏ったこだわりが崩れてしまうのが、恐ろしかったのだ。今ではそう思う。

    パンクロックとは、単に汚い格好の不良が集まって、怒鳴り散らす音楽だ、と、ロックに興味が無い人は思うだろう。実はそうではない。パンク・ロックは、音楽ですら無い。音楽の体裁をまとった、社会体勢への破壊運動である。しかし、ピストルズが活動した当時は、日本の評論家連中で、パンクの本当の恐ろしさを理解し、語れる者は、誰もいなかった。渋谷陽一を含めても。単に、流行り物の、ちょっとイケてる音楽ジャンルの一つだぜ、という認識にしか過ぎなかったろう、日本では。

    断言するが、1975〜80年頃の時期に、私の周りで、パンクロックに真剣にはまっていた連中は、真正の不良か、心が病んでいるか、家庭環境に大きな問題があるか、の、どれかだった。私の中学時代の知り合いで、ピストルズを聴いていた一人は、大学時代の私が、実家に帰省した際に会うと、「借金の取り立てでくさ、毎日、大分(おおいた)まで、車で高速ば往復せんといけんとやけん。えらいきつかとばい」とか、愚痴をこぼしていた。そんな奴ばかりが、当時はパンクを聴いていたのだ。

    子供の私には、パンクロックは余りにも、汚すぎ、恐ろし過ぎる物だった。しかし、ブレイディさんは、全盛期のピストルズが発するメッセージをそのまま理解し、受け入れて、少女時代の心の拠り所としたのだった。そうせざるを得ない環境に、彼女はあった。大人になっても、彼女はその信念から離れる事なく、日々研鑽を積みながら、めげずに歳を重ねて、遅咲きのライターとして表舞台に立つようになった。

    こんな人が、自分の同世代から現れた事に、私は素直に感動する。白旗を上げざるを得ない。

    (続く)

    相田英男 拝

    タイトル
    遅れて来たニュータイプの左翼論客、ブレイディみかことは何者か?(その1)
  8. 相田英男
    2020-04-23 22:45

    太宰治は、「人間失格」と「斜陽」であまりにも有名であるが、基本的には短編の作家である。他の中長編の作品では、「津軽」、「正義と微笑(びしょう)」、「新ハムレット」、「右大臣実朝」、「惜別」、「パンドラの箱」、くらいだろうか。長めの作品は、それほど多くない。

    私は高校生の時に、新潮文庫の太宰の文庫本を全て買って読んだ。その中で、最もインパクトを受けた作品が「右大臣実朝」だった。「実朝」は太宰の書いた唯一の時代劇でもある。これを読んでしまうと、山岡荘八やら、その他の、NHK大河ドラマの一連の原作本などの、時代劇本はアホらしくて読めなくなる。

    「実朝」を読了した高校時代の私は、幾人かの友人に「この太宰の小説は凄いから、ぜひ読め」と本を貸してみた。が、誰もが「ふ〜ん、別に」というかいう対応で、私のように感動した様子は全くなかった。何だか熱が冷めた私は、それ以上「実朝」について、他人に語るのをやめた。それでも、「実朝」と「正義と微笑」だけは、社会人になってからも、時々は読み返していた。残りの太宰の文庫本は、田舎の実家に置いたままだった。

    「実朝」と「正義と微笑」が、太宰の作品で私は最も好きだ。でもこの2作は、太宰のランキングをざっと見渡すと、全く取り上げられていない。太宰ではマイナーな作品らしい。おかしい。やはり私のセンスは変わっているのか?

    その太宰の「実朝」に書かれている、あまりにも有名な一節が、先日、副島先生の「重たい掲示板」での投稿で引用されていた。私が長年ネットを見続けて、「実朝」に触れた論考を見たのは、これが初めてだ。嗚呼、副島先生も、太宰の数多い名作の中から、「実朝」を出してくるのか。流石は、私が師と仰ぐ方だよな、と唸った。やっぱりな、という縁を感じずにはいられない。

    今の私には、太宰の本来のスタイルと一般に見なされている、デカダン系の作品は、正直かなりきつい。「トカトントン」とかは、読みながらかなり恐怖を覚える。中学生の国語の題材に「トカトントン」が出ていたのを以前に見た。ちょっと教育上ヤバイのではないか、と、本気で心配になった。それでも、現実から逃避したい気分の時に「フォスフォレッスセンス」を読み返すと、多少、私は癒される。あの大きな鳥が静かに飛んで来て、主人公に語りかける場面が、大変良い。

    太宰の魅力の一つが、あまりにも斬新すぎる小説技巧にあるのは、誰もが認めるだろう。女性の語り言葉を使った本格小説は、「女生徒」や「斜陽」に遡るのではないか?女流小説の開祖は、実は太宰だろう(私が言うまでもないだろうが)。「実朝」は、その小説の名手たる太宰が、持てる技巧の全てを、惜しみなく投入した作品だ。事実として、どう考えても有り得ない「実朝」の人物像を、リアルに読者に伝えるために、あらゆる技巧を太宰は凝らしている。その太宰の創意工夫を眺めるだけでも、「実朝」は楽しい。

    太宰が描き出す、鴨長明、北条政子、義時(相州)、大江広元、和田義盛、そして公暁、といった、歴史上の人物達と、実朝の間で交わされるやり取りの様子は、極彩色の風景で私の脳内に浮かび上がって来る。本来の小説の持つ、文字の持つパワーに、私は今でも圧倒される。

    私が「物語」という概念を認識したのは、子供の頃に源義経の本を、小学校の図書室で借りて読んでからだった。不遇な身の上でありながらも、天才的な戦術で平家をやっつけた義経が、子供時代の私のヒーローだった。その義経が犠牲となって成立した源氏の政権が、三代目の実朝であっけなく消えた(正確には北条氏に乗っ取られた)。その事が私にはずっと不可解だった。和歌森太郎(東京教育大の有名な歴史学者で、朝永振一郎の愛弟子で統一教会に帰依した、物理学者の福田信之の一派に、大学から追放された人物)が監修した、児童向けの歴史解説本をずっと眺めても、納得いかないままだった。

    しかし、私の疑問に答えるべく(という訳では全く無いが)、太宰は「実朝」を残していたのだった。太宰の「実朝」を読んで、高校生だった私は「もうこれでいい」と、初めて、納得した。多分小説に描かれた内容は事実ではないだろう。が、これで良いのだ。これ以上の解答は、存在しないだろうから。

    太宰作品で最も商業的に成功した「斜陽」は、「右大臣実朝」の単なるリメイクである。「実朝」で描いた人間関係を、太宰の得意な女性言葉で、そのまま再構成しただけの小説だ。太田静子の日記がタネ本らしいが、太田静子の実母が、小説の主人公の母親(実朝に相当する立場)のような、浮世離れした人物であるはずかない。私は「斜陽」よりも、そのオリジナルの「実朝」のほうに、作者のより強い意気込みを感じる。

    私はまだ見ていないが、太宰の絶筆となった「グッドバイ」が、映画化された。私は「グッドバイ」も、大変好きだ。小説というよりも、あれは、ナンセンスギャグ漫画のノリが強い。吾妻ひでおのマンガに近い雰囲気を、読みながら私は感じた。相当以前のことだが、「重たい掲示板」で、どなたかが、マンガについて詳しい論考を書かれていた。その論考で「日本のマンガ史に最も大きな影響を与えたのが、吾妻ひでおだ」と、断言されており、私は「ああそうか」と納得した記憶がある。

    吾妻ひでおは、少し前にガンで死んでしまった。志村けんよりも、吾妻ひでおの死の方が、私は悲しかった。あまり長生きはできない人だろうと、内心感じてはいたが。日本の現代マンガ、アニメの基本フォーマットである、ロリコン美少女にSFを組み合わせるという形は、吾妻ひでおが「発明」したのだ。吾妻ひでお以前には、あの形は存在しなかった。寺沢武一の「コブラ」みたいな雰囲気が、それまでのSFマンガだったのだ(松本零士の「キャプテンハーロック」もそう)。少し遅れて登場した高橋留美子が、吾妻によく似たスタイルだった。だが、彼女の「うる星やつら」は、SFではなく妖怪の世界であって、あれは水木しげるの路線に繋がるものだ。なので、SFを打ち出した吾妻の方が、やはり偉大だ、と、私は強く言いたい。

    実は吾妻ひでおも、太宰の大ファンの人だった。何かの雑誌で、吾妻はマンガ形式で太宰について語っていた。その中で吾妻は、

    「太宰の代表作は「人間失格」だが、あれは読み返すとあまりに暗く、自己中心的な描写ばかりで、読むに耐えない。しかし、それ以外の全ての作品 ー「晩年」に始まり「ヴィヨンの妻」あたりに至るまでの、「人間失格」を除く全て ー は、傑作ばかりだ。なので、太宰を「人間失格」のバイアスを通して見るのは、大きな間違いだ」

    と、書いていた。正確には、マンガのキャラクターとして吾妻自身が登場して、そのように語っていた。その雑誌を立ち読みしながら、私は「ああ、この人は、私以上のコアな太宰のファンなんだ」と、理解した。だからあんなマンガが描けるのか、と、しみじみ思った。

    何年も読んでいないが、私の部屋の本棚の奥には、ジャストコミックの「ななこSOS」全5巻が、今でも置いてある。掲載本は手元に無いのだが、「死んだ馬が死んでいる」という、タイトルも中身も、あまりに不条理すぎる短編ギャグマンガの傑作が、吾妻にはある。今でも頭の中で思い返すと、私は一人で笑う。

    「グッドバイ」には、主人公の相方として、ダミ声で怪力で大食漢である一方で、黙って座ると気品のある物凄い美人という、あまりに破天荒な女性が登場する。まるで、吾妻マンガのヒロインそのままのような人物で、私は彼女が大好きだ。映画では彼女の役を、小池栄子が演じている。小池栄子も美人であるが、どちらかというと世間的な佇まいであって、私としては微妙な配役だ。吾妻ひでお的な世界を想像する私は、吾妻がファンだった小倉優子が演じるのを、アバンギャルドで期待していたが、流石にそれはなかった。演技力とか私生活の理由から、小倉優子が無理なのはわかっているが。

    以上の話は、副島先生の「実朝」の引用を読んでから、どうしても書きたくなった。太宰の作品の多くは、青空文庫から只で読める。コロナ篭りの空いた時間に如何だろうか?読んでいて陰鬱になる話ばかりでは、決してない。私が言うまでもないことであるが。

    (本当は、他に書くべき大事な論考があるのだが、難儀している。なんとか早く書き上げたい・・・・、副島先生、すみません)

    相田英男 拝

    タイトル
    あそこで「実朝」が出てくるとは・・・
  9. 相田英男
    2020-01-20 18:32

    相田です。とある本の書評を書きました。

    書評「革命とサブカル」 安彦良和 著、2018年、言視社 出版

    安彦良和(やすひこよしかず)という人物の名を聞いた時の印象は、年齢により相当に違うだろう。60歳以上の多くは、おそらくは「誰それ?」だ。30歳代より下の世代になると「年寄りのイラスト書く人だよな」という感想だろう。しかし、私を含める40〜50歳代は違う。「おお、あのアニメのカリスマではないか!!」と、誰もがすぐに気付く。

    彼の名前を知らずとも、彼が描いたイラストなら、日本人のほぼ全てが目にしている筈だ。テレビアニメ「機動戦士ガンダム」の、登場人物を手掛けたアニメ画家(イラストレーター)だ。今では缶コーヒーのイラストにも、安彦氏の描くガンダムのキャラが印刷されている程である。

    安彦良和は、日本のアニメ業界の作画家として、文句無しに、歴代トップに挙げられる人物だ。安彦氏の描くアニメキャラクターには、他の画家の追付いを許さない気品と力強さがある。

    アニメ作家として、誰もが真先に思い浮かぶのは、かの宮崎駿(みやざきはやお)だろう。が、人物画を描くならば、宮崎駿の腕前は、安彦氏の足元にも及ばない。アニメ評論家の岡田斗司夫(おかだとしお)が書いていたが、有名な宮崎キャラの、クラリスやナウシカのイラストを止め絵で見ると、あまりにも単純で貧相な絵だと気付く。宮崎キャラの魅力は、動画で見た際の動きや、きめ細やかな演出で支えられているのだ。キャラ自体の絵の魅力は、安彦氏や、彼と同時代の作画家の湖川友謙(こがわとものり)の方が、宮崎氏よりも遥かに優れていると、私は思う。

    安彦氏はガンダム以前にも、「宇宙戦艦ヤマト」の初期シリーズ、「ゼロテスター」、「ライディーン」、「コンバトラーV」といった、当時の子供の記憶に残るSFアニメの、主力画家として参加している。これらのアニメを私は、子供時代に、再放送を含めて全話見ている。これらの作品に登場する、安彦氏の描く人物達には、他のアニメと違った、気品と人間味が感じられて、続きをついつい見たくなってしまうのだ。

    「ガンダム」(第1作目)についての思い入れは、皆々にそれぞれあると思う。私の場合は、本放送を途中まで見ていなかった。その内に、クラスの友人達の間で、「何やらトンデモないロボットのアニメが、テレビで放映されてるぜ」という話題が広がった。それで私はある日、自宅のテレビのチャンネルを、番組に合わせてみた。

    そこでテレビに出てきた、ロボット同士の戦闘場面はこんな感じだった。ガンダムが敵のロボットに向けて、離れた距離からビーム砲を何発も撃つ。しかし、相手は足を止めたまま、上体だけを前後左右に揺らして(スウェーさせて)そのビームを躱す(かわす)。ガンダムのパイロット(実は14歳の少年)は、操縦者としての適性を味方に疑われていたため、「避け(よけ)もしないのか?この野郎」と逆上する。一方の敵は、経験豊富な傭兵パイロットだった。彼はロボットの操縦席で冷や汗をかきつつも、「正確過ぎる射撃だ。それゆえに(ビームの軌道を)コンピュータにも予測しやすい」と、うそぶくのだ。(ファンならここまでで、どの話数なのかすぐにわかるだろう)

    それまでのロボットアニメの戦闘シーンは、例えば神谷明(かみやあきら、当時の代表的な声優さん)が、ロボットの持つ武器の名前を連呼しながら、最後に必殺技を繰り出して怪物を倒すという、水戸黄門的なワンパターンが定番だった。しかしガンダムのドラマは、そんなパターンとは、異次元のレベル差なのが瞬時にわかった。子供の私でも「凄い、アニメでこんな、人間臭いリアルな芝居が出来るのか」と、観ながら息を呑んだ。ついでにその時に、「ライディーンで見た絵柄の主役が、「巨人の星」の声で喋っているじゃん」と、私は気づいた。

    「ガンダム」の爆発的なヒットにより、アニメ界での輝かしい前途が、安彦氏の前には開かれていた。前にも後にも、安彦氏よりも上手く人物キャラを描けるアニメーターは、日本には存在しない。しかし、ガンダム以降の安彦氏は、アニメの仕事を徐々にフェードアウトさせ、1990年代以降には、アニメの仕事を完全にやめてしまう。以降は専業のマンガ家として、歴史を題材にした作品を単発的に発表するだけだった。

    私は安彦氏の描く歴史マンガには、あまり魅力を感じなかった。安彦氏が去った後の、無味乾燥なアニメの世界を眺めながら、寂しさと煮え切らなさを感じつつ、その後の30年近くの年月を私は過ごした。

    この本は2年前に出版されているが、私が書店で見かけたのは、今年の正月明けだった。この分厚い本を棚から取って、開いた私はギョッとした。その内容が、安彦氏の描くイラストのイメージから、あまりにも掛け離れていたからだ。

    本書は、前半が安彦氏の大学時代(青森県の弘前大学)の友人達との対談、後半が自身で書かれた、(アニメでなく)政治に関する論考という構成だ。その前半で対談する、安彦氏の友人達の顔ぶれが凄い。元連合赤軍のメンバーで、「あさま山荘事件」の直前に、逃亡中の軽井沢で逮捕されて、20年以上の懲役刑に服した後に、出所した人物が2名。68,69年の東大紛争の際に、青森から上京して、安田講堂の占拠、封鎖に参加して、逮捕された人物が3名。その他の元劇団員、精神科医、等のメンバーも、全員が、大学時代に全共闘(全学共同会議)の活動家だった方々だ。

    60年代後半に全国の大学で広がった大学紛争の最盛期に、安彦氏は弘前大学の学生だった。弘前大学での安彦氏は、全共闘の熱心な活動家だったのだ。安田講堂の紛争が鎮圧された直後に、弘前大学でのバリケード封鎖の際に、安彦氏は首謀者の一人として逮捕され、そのまま大学を退学となる。逃げるように青森から東京に出て来た安彦氏は、たまたま募集中だった、手塚治虫の虫プロ(当時は既に倒産寸前だったが)の従業員に採用された。最初は演出等のドラマ作りを担当していたが、元々趣味だったイラストの、尋常ではないレベルの上手さが、次第に周囲に認められ、作画家として引っ張りダコとなったらしい。

    ガンダムの監督の富野喜幸(とみのよしゆき)氏が、最初に安彦氏を見たときに、「何と仕事が遅い、不器用な演出家だろうか」と、仕事振りにあきれたいう。「どうせ彼はすぐに、虫プロを辞めて、アニメ業界から居なくなるだろう」と、思っていた富野氏は、しばらく経ってから「ライディーン」の企画会議で、安彦氏のイラストを初めて見た。そのクオリティの高さに、富野氏は驚いたという。その時の印象を「学生時代に、手塚治虫のマンガを初めて読んだ時と同じ衝撃を、安彦氏の絵から感じた」と、富野氏は自伝で語っている。

    以来、富野氏は安彦氏と一緒に作品を作ることを願っていた。ガンダムでそれは達成されたのだが、それ以降、安彦氏はアニメを止めてしまう。富野氏は仕方なく、代わりに湖川友謙に頼らざるを得なかった、という。だから湖川氏も、安彦氏に並ぶ程の超一流の作画家なのだ。ちょっとくらい性格が悪いからと、「イデオン」を見もしないで、湖川氏の悪口を流布するな、と、私は怒りを感じる。

    この本を読んだ私は、安彦氏がアニメをやめた理由が、ようやく腑におちた。私の言葉で、大きく意訳すればこうなる。かつての自分達の、全共闘の学生達の主張、それは、「自分の目の前に見える理想を、手っ取り早く、最初に実現しさえすれば、世界全体への革命につなげることが出来る、そして良い世界が作れる筈だ」だった。その全共闘の主張と、アニメで繰り返し描かれる思いと願い 、それは、「主人公の身近に起こる出来事や、友人達の超常の力を使うことで、世界を変えられる(所謂セカイ系に通じる思い)」が、同じである事に、安彦氏は気付いたからだった。

    全共闘の主張が先鋭化して連合赤軍となり、「よど号ハイジャック事件」や資金調達のための銀行襲撃、そして「総括」と呼ばれる集団リンチ殺人に至って、最後は瓦解する、その破滅までの道のりと同じ景色が、アニメの仕事をやりつつ、安彦氏は見えてしまった。だから安彦氏は、アニメから離れたのだ。私はそのように理解した。

    サブカルには巨大な闇がある。その闇に無自覚なままで、サブカルに耽溺する事は危険だ、と、全共闘を経験した安彦氏は直感で感じた。その危機感を、わかりやすく紐解くために、かつての友人達を招き、あるいは自ら彼らの元を訪れて、消えそうな記憶を再度重ねてゆく過程が、この本の骨子となっている。私にはそう思える。

    安彦氏の主張は、実は私にも無関係ではない。元連合赤軍の友人との対談の中で、シールズの国会前のデモ活動の話がある。「シールズのデモに集まった半分が、60歳以上の高齢者達で、残りは30歳代以下の若者達が主体だった」という友人の話に対し、安彦氏は「その間の年齢層が、スッポリ抜けてるだろう。それがサブカル世代だ。俺たち全共闘世代の後に出現した、政治を論ずる事なく、代わりに、サブカルを選んだ連中だ」と、断言する。それに対して、友人曰く「お前がサブカルにこだわる理由が、ようやくわかったよ」だ、そうだ。

    私も、この安彦氏のコメントには「ああそうか、俺もサブカルにドップリ浸かってる世代なんだ」と、大いに納得した。サブカル世代の一員として、安彦氏の問いかけに応える義務がある、と私は思う。

    かつての宮崎勤による幼児誘拐連続殺人を始め、オウム事件や、最近では京都アニメ放火殺人事件、元エリート官僚による息子の刺殺、等、現実社会に向き合わず、サブカルに耽溺する人物の存在が引き金となった悲劇が、幾度となく繰り返されている。それは、今に始まった構図では決してない。大学紛争を経験した世代が、自らの行いに対して、正しく向き合わずに「総括」しないままだ。だからではないのか?と、安彦氏は繰り返し訴える。画家としての感性が強いだけでなく、あまりにも真面目過ぎる性格なのだ。

    私がこの本を買った理由は、単に安彦氏のサブカル論に共感しただけではない。私の上の世代の学生運動の様子を、肌感覚で知るためのテキストとして、この本が最適だからだ。私は原発問題を調べるうちに、左翼研究者達の政治活動が大きな力を持っていた事実を知った。しかし、政治的無関心の最右翼であるサブカル世代の私は、学生運動を含む昔の左翼運動について、全くの無知であった。全共闘と民生派と中核派の違いもピンとこないのは、流石にマズイと私は思った。それで私は、東大全共闘議長だった山本義隆氏の自伝等を読み始めた。が、内容がハイブロウ過ぎて、初心者の私には取っ付きにくかった。

    しかし、幼少の頃から安彦アニメを見続けた私には、本書は打ってつけである。私は読み進めながら、「こういう考え方の方が、あのアニメを作っていたのか」と、目から数多くの鱗を落としつつ、本書から深く学んでいる最中である。

    この本は著者が有名人であるにもかかわらず、ほとんど話題になっていない。あたり前だが、アニメを見ない人には、文筆家でも学者ではない安彦氏について、関心など持てない。一方で、ガンダムに詳しいサブカル世代の中年には、政治的知識や関心が乏し過ぎて、安彦氏が何を言っているか理解出来ないし、興味もないだろう。

    本書の内容にも、読むのにかなりきつい所がある。元連合赤軍の二人からは、「総括」に立ち会った際の状況と、その後の心境の変化について、安彦氏は詳細に訊きだそうとする。容赦がない。単なるアニメファンには、ちょっとついて行けないと思う。

    これらの事を十分理解しつつ、安彦氏はこの本を出した。彼の英断に私は感謝する。

    最近の私は、ここで、サブカル関係の投稿を繰り返して来た。無自覚ではあったが、その理由が、この本により、なんとなくわかった気がする。

    私も運命にそれとなく導かれているように感じている。

    この本については、あと何回か私は感想を書くだろう。

    相田英男 拝

    タイトル
    書評「革命とサブカル」 安彦良和 著
  10. 相田英男
    2019-11-20 18:59

    相田です。

    本タイトルは、これで終わりです。長文ご容赦のほどを。
    中年のダメダメな洋楽リスナーが正直に綴った、ロックの手引書の一つとして眺めて下さい。

    (前回より続き)

    4. 恐れていた大ミスマッチ

    (相田)それでだな、「ブロウ・バイ・ブロウ」で、遂にインスト路線に開眼したジェフは、同じような歌無しのアルバムを2枚続けてヒットさせる。しかし、このままスムーズに進まないのが、ジェフの哀しくも可笑しな運命だよな。

    「ブロウ・バイ・ブロウ」の直後から、イギリスのロック界全体が大きく変わり始めた。セックス・ピストルズを始めとするパンク・ロックの台頭だ。貧乏なニイちゃん達が、「何であんなに、チマチマと長いことギターの練習をしないと、デビューできないんだ。ヘタクソでもいいじゃねえか?もう、あんな変な、長たらしいプログレの曲なんか、ダサくて聴きたくもないぜ!!」と訴え始めた。

    今にして思えば、確かにわからなくもない主張だ。だけど、その当時は子供だった俺には、パンクロックは、汚さとだらし無さの印象が強烈すぎて、付いて行けなかった。まあ子供には、そこまで理解出来なくても当たり前なんだけど。

    これでイギリスのロックシーンが、ガラリと変わった。それまで活躍したベテランのバンドは、次々と解散した。まともな形で80年以降も残ったのは、クイーンとストーンズくらいだろう。ツェッペリンも解散して、イエスとかクリムゾンは、名前は同じでも全然別のスタイルに変わったしな。

    そんな時代の「重厚長大ロック」を否定する流れに合わせて、ジェフもインスト路線から、再度、軽い歌モノ曲への変更に迫られた訳だ。

    ーで、組まされた相手がナイル・ロジャースだったと。

    (相田)「フラッシュ」と同じ時期にナイルは、デビット・ボウイの「レッツ・ダンス」や、マドンナの「ライク・ア・バージン」をプロデュースして、大ヒットを飛ばしてる。デュラン・デュランなんかのアルバムも手掛けてたりして、80年代の代表的なヒットメイカーだった。レコード会社の奴らも、小難しいジェフの曲を流行りの聴きやすいアレンジに変えて、一発当ててやれ、と狙ってたんだろう。

    でも、結果は散々な出来だった。ナイルが連れて来た、ボーカルのジミー・ホールが、ジェフと全く釣り合わない。ナイルの曲のアレンジも、ジョージ・マーティンに比べたらあまりにも単純過ぎた。だから、蓋を開けてみると、ジェフの派手なギターが、地味な歌の後ろで空回りし続ける曲ばかりになった。ジミー・ホールも決して歌が下手ではないけど、あまりにも普通過ぎて、ジェフとのバランスが全く取れないんだよな。

    A面2曲目の「ゲッツ・アス・オール・イン・ジ・エンド」なんか、典型的なダメ曲だ。まるで、近藤マッチの後ろで野村義男がギターを弾いてるみたいな、安っぽい雰囲気になってる。聴いてるこっちの方が、顔から火が出るくらいに恥ずかしくて、いたたまれない気持ちにさせられたよ。「何で、こんなダセエ曲のバックで、ジェフがギターを弾かされてるんだ?」と、当時は聴きながら、怒りと理不尽さが増すばかりだった。

    ビジュアル系のデビット・ボウイとかマドンナには、この程度のアレンジで丁度いいんだろう。けれど、ジェフの場合は、彼らとは音楽家としての能力の次元が違いすぎた。結果、ナイルの曲ではジェフの持っている、フレーズの斬新さ、とか、ダイナミックさ、とかの長所が完全に消されている。本場ニューヨークで有名なアレンジャーでも、音楽センスが無い奴も居るんだな、と、俺も聴きながら勉強になったよ。ジョージ・マーティンとは正反対の野郎だよ、ナイルは。

    アルバムのB面でナイルは、ジェフ本人に2曲も歌わせている。これがまた、期待にたがわない情けない出来でさ・・・やる前からこうなるって、わかってるだろうに。ジェフ本人が乗り気でないのに、アルバムの穴埋めで、ナイルがおだてて無理矢理に歌わせたみたいだ。

    ここまで、ジェフのファンの神経を逆撫でする曲ばかりを、アルバムにずらりと並べるのも、大したもんだよ、ナイル・ロジャースは。喧嘩売ってるのか、全くよ?

    ーでもこのアルバムには、ロッド・スチュアートが歌っている「ピープル・ゲット・レディ」が、入っていますよね?

    (相田)そうなんだよ。この曲だけは唯一の例外で、もの凄い出来ばえなんだ。スローなバラード曲としては ー 歌詞はゴスペルなんだけど ー ジェフの作品では最高作だろう。おそらく、全てのロックシーンのバラード曲の中でも、ベスト3に入ると俺は思う。「イエスタデイ」にだって負けない格調の高さが、「ピープル・ゲット・レディ」にはある。100人が聴いたら、100人全員が感動する名曲なのは間違いない。

    ソロになってからのロッドの曲でも、おそらくこれが最高作品だろ?「セイリング」や「アイム・セクシー」なんかより、こっちの方が遙かにいい曲だよ。

    ーギターも、繊細、且つ大胆なテクニックを駆使した名演だと、僕も思います。この頃から、ジェフがピック無しの指弾きにした事もあり、ギターが凄くいい音で鳴ってます。

    (相田)この一曲だけが抜群の、歴史に残る程の名曲で、残りのほとんどが大駄作というアルバムも、なんか珍しいよな。アルバム全体で曲の出来がいいとか、全体がイマイチ、というのはあるけどさ。その意味では、やはり、ロック史に残る珠玉の「問題作品」だよな、「フラッシュ」は。

    でも、今になって考えると、「フラッシュ」がこうなった理由もわからなくもない。この時が、30代半ばだったジェフにとっては、キャリアとして最高の時期だったのよ、おそらくは。ギターのテクニックと音楽センスの両方が、最高のバランスでこの時のジェフには備わってたんだ。だから、ごくごく普通の実力のジミー・ホールの歌と併せると、ギターの音とのギャップが大き過ぎて、滑っちゃったんだ。

    逆に言えばだな、当時の絶頂期のジェフが、同じレベルの高い実力を持つボーカルと組んでいたら、自然と名曲が出来てしまう、という事なんだ。

    ロッドが歌う「ピープル・ゲット・レディ」が、唯一、名曲に仕上がっているのがその証拠だ。この時期にジェフは、ミック・ジャガーやティナ・ターナーとかの、実力のある歌手のアルバムにゲストで参加して、ギターソロを弾いている。その中に、名演が結構あるんだよ。並べるとこんな感じだ。

    ティナ・ターナー:アルバム「プライベート・ダンサー(1984年)」から
    ・プライベート・ダンサー
    ・スティール・クロー

    ミック・ジャガー:アルバム「シーズ・ザ・ボス(1985年)」から
    ・ロンリー・アット・ザ・トップ
    ・ラッキー・イン・ラブ
    ・シーズ・ザ・ボス

    この5曲は、全てが、強力なボーカルにトリッキーなジェフのソロが組みあわさった、名曲ばかりだ。これに、「ピープル・ゲット・レディ」を加えると、「フラッシュ」とは打って変わった、物凄い傑作が6曲並んだ作品集が出来る。このレベルの曲があと3曲くらいあったら、それこそが、ロック史に永遠に残る、超名作アルバムになっただろう。本当は、そんな名作を作れた筈なんだ、当時のジェフの実力ならば、自然とな。

    それが、どういう訳だか「フラッシュ」なんていう、ダサ過ぎるアルバムになっちゃったんだよ、全く・・・なあ。

    これ以降のアルバムでは、ジェフは懲りて、再び歌無しのインスト路線に戻る。そして今に至る訳だ。でも、そこでは、「フラッシュ」の時期には無意識にスパークしていた、迸るような音楽センスの発露(暴走)が、もう聴けなくなっている。周りの楽器とバランスを取るような冷静な演奏に、ジェフは変化してしまった。年取って落ち着いたせいだろうけど。

    やっぱりあの時期に、音楽センスに欠けたナイル・ロジャースに、ジェフをプロデュースさせたのは、大間違いだった。あまりにも罪深いとしか言いようが無い。

    5. ライトハンド奏法 vs ハーモニクス指弾き奏法

    ー「プライベート・ダンサー」は、名ギタリストのマーク・ノップラーの作詞、作曲です。けれども、彼は自分でギターを弾かずに、ジェフを呼んでるんですよね。

    (相田)ノップラーも相当にギターが上手いのに、自分じゃなくて、ジェフにソロ任せるとはな。あいつも、よくわかってるよな。そして、一緒にサックスを吹いてるのがあの・・・

    ー「アースバウンド」のメル・コリンズですよね。クリムゾンの後で、こんなのやってたんですね。

    (相田)夢の共演、て訳じゃないけど、二人揃うと、俺たちには味わい深いものがあるよな。

    ところで、同じティナのアルバムで、もう一曲ジェフが演奏しているのが「スティール・クロー」だ。あまり知られてないが、この曲のジェフのソロも、物凄い演奏だ。アップテンポの、シンプルな8ビートロックだけど、ギターのテンションが物凄く高い。甲高いハーモニクス(倍音)気味に音を調整して、どうやってあんな音を出せるのか不思議なくらいだ。アップテンポの歌もの曲では、これがジェフの最高作品だと、俺は思う。

    で、最後に、だ。どれくらいこの曲でのジェフが凄いかを、同じ時期にヒットした、マイケル・ジャクソンの「ビート・イット(1983年)」と、比較してみよう。ティナとマイケルの歌の実力が同じと仮定すると、ギターの違いがわかりやすいだろう?

    ー「ビート・イット」って、日本人なら誰でも知ってる、マイケルの大ヒット曲じゃないですか。有名なリフをスティーブ・ルカサーが担当して、サビのギターソロをバン・ヘイレンが飛び入りで弾いているという。あのギターソロは、それまで聞いたことないような、物凄い高速のタッピングですよ。テクニックでは、ジェフは全く敵わないでしょう?

    (相田)昔はタッピングじゃなくて、ライトハンド奏法って言ったんだよ。確かに「ビート・イット」のあのソロは、人間が可能な限りの大量の音符を叩き込んだ、という凄いテクニックだ。流石はバン・ヘイレン、という感じの、32分音符か64分音符なのか、ようわからん、という位の荒技だよ。

    片や「スティール・クロー」のジェフのソロだけど、驚くべきことに、全部8分音符なんだ。バン・ヘイレンのソロに比べると、音符の数が桁違いに少ない。ジェフはピック無しの指弾きだから、早弾きを追求しても限界があるからな。けれども、そこでのジェフのソロは、ゆるい雰囲気には全くならずに、「ビート・イット」に負けない位の緊張感を醸し出している。

    あの不可思議なまでに甲高いハーモニクスの響きと、指で弦を弾く時の微妙なタッチの違いを駆使して、絶妙な緊張感とテンポのノリを、ジェフは曲に与えている。調子が良い時のジェフは、こんな感じで、早弾きに頼らなくても、緊張感のあるフレーズを作れるんだ。「スティール・クロー」では、このことを証明している。

    ーリフの方も、スティーブ・ルカサーは、手の込んだ凝ったフレーズを使ってます。けれど、ジェフのリフは、長いコードを「ジャーン」と幾つか鳴らすだけの、単純なものですね。でも、その単純なリフが、物凄く曲にフィットしてます。トレモロアームの効果音を「ウィーン」とか入れたりして。それがまたカッコイイですね。

    (相田)あの長いコードの最後に合いの手で入れる、トレモロアームも、あまりに絶妙だよな。ことギターに関する限りジェフは、ノイズを含めて、どういう音を使えばカッコよく聴こえるかを、知り尽くしてるんだよな。テクニックを超えたレベルの、耳の良さというか、音感の良さでフレーズを作ることが出来る。こんな演奏家は、ジェフしかいないよ。「一生懸命に早弾きを練習しました。どうぞ練習の成果を聴いてください」てな奴等は、大勢いるけどな。

    6. やっぱり歌モノの方が、俺は好きだった

    ーなんか無事に対談がまとまりそうで、安心しました。ブロウ・バイ・ブロウのあたりでは、この先大丈夫かと心配しましたけど。

    (相田)対談しながら少しずつ思い出したけど、俺は本当は、ジェフに、歌モノの曲で勝負して欲しいと、ずっと期待してたんだよな。ジェフといえば、フュージョン系の偏屈なギター職人だと、みんな思ってる。所詮はインストだろう、てさ。けれども、本当は歌モノを弾かせても、ジェフは物凄くハマるんだよ。相手のボーカルが物凄く上手くないとダメだ、という条件が付くんだけど。

    ジェフの音に魅せられるとさ、テレビの音楽番組を見る時に、ギタリストのレベルをジェフの水準で見てしまうんだ。「何でコイツはこんなにギターがダサいんだ、ジェフが代わりに弾いてたらな」、とかいう風に、ついつい思う。自分が弾けないのは棚に上げてだけど。

    だから、1度でいいからベストな条件で、歌モノのアルバムをジェフは出して欲しい、と、俺は願っていた。それが叶うかどうかの別れ道が、「フラッシュ」だったんだ。「フラッシュ」が上手く仕上がっていたら、ジェフの評価も今とは相当違っていただろうけどな。

    でも、「タラレバ」を今更言っても仕方ない。それだったら、ジミヘンが死ななかったら、とか、ジョン・レノンがあの時に撃たれなかったら、とか、ポールが羽田空港に大麻を持ち込んで逮捕されなかったら、とか、キリがないからな。

    あの時にポールが強制送還されなかったら、リード・ギターにジミー・マックローチを入れた、最強編成のウィングスが、日本で観れた訳だろう?当時のLP三枚組のライブ盤を聴くと、マックローチのギターの上手さが際立っているよな。あのライブを聴くと、彼はテクニックと歌心を併せ持った、ギターの名手だったのがよくわかる。けれども彼は、数年後に麻薬中毒で死んじゃった。だから、あれが最後のチャンスだった。つくづく残念だ。

    でも、終わった事はしょうがない。しばらくブランクはあったけど、ここ20年くらいは、ジェフもコンスタントにアルバムを出して、日本でしょっちゅうコンサートをしてくれてる。俺も何回もジェフのライブを直接観れたから、有難い事だと素直に思うよ。

    ーそういえば、久米宏のニュースステーションに、ジェフが1回だけ、ゲストで生出演した事がありますよね。

    (相田)俺もあの時に慌てて、時代遅れのVHSビデオで番組を録画したから、よく覚えている。ジェフは最後にスタジオで、新曲の「ナディア」を演奏した。発売されたばかりのCDでは、アームのビブラートをふんだんに使った、綺麗な曲だと思っていた。ところがテレビでジェフは、左手の指にスライドバーを嵌めたまま、ストラトキャスターのアームを使わずに、曲を弾き切ったんだ。観ていた俺は驚いた。スライドバーとアームでは、ビブラートの掛かり方がかなり違う。スライドバーでは、ハワイアンみたいな感じになるんだ。ジェフはスライドを使って、あたかもアームのようなビブラートにワザと響きを変えて、演奏した事になる。

    スライド奏法でも、アームの音をそっくり真似たビブラート演奏が出来るのか?本当なら、気の遠くなるような練習が必要だろう。そんな神業のようなテクニックを、ジェフは使えるのか?その日は、ネットでもかなり話題になった。「流石にあれは無理だ」というのと、「いや、ジェフなら間違いなくあそこまで弾ける」というのと、意見が拮抗していた。

    俺も遊びで、ジェフのギターをタブ譜見ながら弾いてたから、あれが常識外れなのはわかった。俺自身は、ギターであれを真似するのは不可能だけど、あれを見た後で「人間は何でも努力を続ければ、あのレベルまで上達するものなのか。俺も仕事でもっと精進しないといけないな」とか、真剣に考えたよ。

    翌日俺たちは疑心暗鬼を抱えたまま、国際フォーラムでの、来日初回のジェフの公演に行った。そのステージで「ナディア」を演奏し始めたジェフは、イントロを弾いた後すぐに、スライドバーを指から外して、横に放り投げたんだ。それから後は、アームを使って普通に曲を弾いていた。観ていた俺たちは、脱力して「ああ、やっぱりテレビでは弾き真似をしてたのか」と呆れた。思い返すと、懐かしい事件だ。

    ーTV局から、生演奏じゃなくてテープの弾き真似(エアギター)をやらされたので、ふてくされたジェフが茶目っ気を出した、という話ですね。

    (相田)俺はまんまと騙された。全く人騒がせなイタズラだったぜ。

    あと、散々ケナしたけれど、ジミー・ホールもジェフと一緒に、何回もツアーに来てるんだよな。ステージでの彼の歌の出番は半分以下だけど、ジェフが頼んだら、心良く一緒に来てくれるらしい。いい人なんだよ、ジミー・ホールは。「ピープル・ゲット・レディ」も、ライブでジミーの歌で聴いたたけど、あんまり違和感はなかったな。本人の歌が前より上手くなったのと、ジェフがテンションを落として、ジミーに合わせてるんだろう。

    ー「ライブ+(プラス)」という最近のジェフのアルバムを、輸入盤で聴きましたけど、ジミヘンの「リトル・ウイング」を、2人でやってるんですよ。なかなか感動的でいいですよ、歌もギターも。僕は聴いていて涙が出そうになります。

    (相田)そうなんだ。最近になってようやく、「ジミーも意外と歌が上手い」と、俺も思えるようになったよ。ただライブでジミーを見るとさ、体格のいい土建屋みたいな中年がステージの袖から出てきて、マイク持って熱唱するだけで、全く華が無いんだよ。あれはちょっとなあ。場末のスナックで、酔っ払ったサラリーマンのカラオケを聴いてるような雰囲気になるのは、何とかして欲しいぜ。

    ーそれなら、目をつぶってジミーの歌だけ聴いてれば、いんじゃないですか?バーブ佐竹って、顔が不細工だけど、歌がとても上手い人が、昔いましたよね。彼がテレビでに出た時に、「目をつぶって歌だけ聴きなさい」って、親からみんな言われていたという。あんな感じでいいんじゃないですか?

    (相田)君は俺より年下なのに、何でバーブ佐竹を知ってるんだ?

    (終わり)

    相田英男 拝

    タイトル
    明るい問題作を語る(ロックギター馬鹿一代)後編
  11. 相田英男
    2019-11-15 18:24

    (前回より続き)

    ーでも、自分の演奏スタイルを見出したジェフに、試練がやって来ます。あまりにもギターが上手すぎる、という試練が。

    (相田)70年代の半ばになると、ジェフと一緒に歌ってくれるボーカルが、誰も居なくなるんだな。「ラフ」が出来た後で、おそらくジェフは、この路線でパワーのあるボーカルを入れて、バンドをレベルアップしようとした。けれども、できないんだ。ジェフのギターのテンションが、あまりに高すぎるレベルに到達してるから、普通に上手いだけのボーカルだと、バランスが釣り合わないんだな。

    それこそ、ロッドとか、ロバート・プラントとか、ミック・ジャガーのような、超一流の存在感を持つ歌い手じゃないと、あのギターに張り合えなくたったんだ。でも、そんな超一流の歌い手は、みんな自己主張が激しい奴等だから、ジェフのようなコミュ障人間とは、バンドの中で上手く演れる筈が無い。

    まあ、一つの道を追求し過ぎると、周りの誰からも理解されなくなるという、求道者にとって皮肉な現実が、ジェフを待ち受けていたんだよな。

    ージェフは一時期は、自分でも歌ってましたよね。ギター弾きながら。

    (相田)そうだけどさ・・・、あれはやっぱりいかんよ。自分で歌うのはダメだな。

    俺も別にジェフの歌が、言われるほど下手だとは思わない。だけども、妙に甲高いハスキー気味の、薄っぺらい声質だからさ。あのハイテンションのギターをバックに、自分で歌うと、コミカルさが倍増するだよな。どうにも笑いが堪え切れなくて、腰を据えて真面目に曲が聴けなくなる。

    クラプトンやジミヘンが弾きながら歌うと、あんなに渋く決まるのになあ。あの違いは、一体何が原因なんだか・・・

    3. 開き直って出来た傑作

    ーそんな悩めるジェフが、助けを求めた人物というのが・・・

    (相田)音楽プロデューサーのジョージ・マーティンだ。ビートルズの一連の曲のアレンジを手掛けた、あまりにも有名な音楽家だ。

    ー元はというと、ジョン・マクラフリンという、物凄く上手いジャズのギタリストがいて、彼のアルバムをジョージ・マーティンがプロデュースしてたんですよね。で、マクラフリンのファンだったジェフが、そのアルバムを聴いて、ジョージにアレンジを頼んだんらしいです。

    (相田)ビートルズの曲を改めて聴き返すと、殆どの曲の骨格は、ジョージ・マーティンが作ってるのがわかる。あの「イエスタデイ」にしてからがそうだろう?。ジョージが途中から入れている弦楽アンサンブルの美しさが、曲の品位を高めてるもんな。あのアレンジが、ポップスとして相応しいかどうか、という異論はあるだろうけど。

    それこそ1966〜68年のビートルズの曲は全て、「ストロベリー・フィールズ」とか「ザ・フール・オン・ザ・ヒル」とかを始めとして、ジョージのアレンジが無ければ、成立しない曲ばかりだ。

    ーでも、あんまりマーティンに頼ってばかりじゃ面白くない、とかメンバーが思って、「俺達だけで、シンプルにアルバムを作ろうぜ」と、録音してみたんですよね。そしたら、全然ダメな駄作で、録音テープがお蔵入りになってしまった、と。後から「レット・イット・ビー」として発表されますけど

    (相田)あの時期は、毎日スタジオに小野洋子が来ては、ずっと録音風景を見てたそうだから、ジョン以外のメンバーは気が散って、演奏に集中できなかったのかもな。それで、仕方なくポールがマーティンのところに来て、「最後にもう一度だけ一緒に録音させてくれ」と、頼んだ。そうして出来たアルバムが、あの「アビー・ロード」なんだよな。

    ーそこら辺の話は、だいぶ前の「ゴールデン・スランバー」という映画の中で、半沢直樹、じゃなくて、その主役をやってた役者の人が語ってましたよね。サスペンス映画なのに、半沢直樹の主役と悪役の両方が登場して、ビートルズについて語るという、なんか変わった映画でした。

    (相田)悪役の方は、別にビートルズの話はしてなかったぜ。NHK教育テレビでは、昆虫について熱く語ってるみたいだけど。

    ーそんな細かい、どうでもいい処を突っ込まないでください。

    (相田)ビートルズ解散後のジョンとポールのソロ曲を聴いて、「何かビートルズと雰囲気違うな」と、違和感を持つのは、ジョージ・マーティンのアレンジが、加わっていないからなんだよな。ポールの場合はソロでも ”Live and Let Die”で、またジョージと一緒にやってるけど。あれを聴くと「ああ、ジョージ・マーティンだな・・・」と、しみじみ思うよ。

    ー「007死ぬのは奴等だ」のテーマ曲ですね。単純な曲ですけど、わかりやすいメロディーの名曲ですね。以前はテレビ番組のBGMでよく使われてましたよね。最近は流石に聴かないですけど。

    (相田)ジョージ・マーティンが自分で曲を作るだけだと、単なるその辺の映画のBGMになっちゃう。けども、優れたミュージシャンと彼が組むと、その才能を極限まで引き出せるんだよな。それで、悩めるジェフが、ジョージの協力を受けて出来たのが・・・

    ー「ブロウ・バイ・ブロウ(1975年)」ですね。遂に出ました、ジェフ最大のヒット作が。

    (相田)初の、というか唯一の(笑)、アメリカでゴールドディスクを獲得したジェフのアルバムだ。簡単に言うと、「歌ってくれるやつが誰もいないなら、ギターだけで全部やってやれ」と、開き直って作った作品だな。メジャーなロックアーティストが出した、初めての歌無しの、完全インストアルバムだ。

    それまではインスト系のロックといえば、プログレとかの難解で怪しげな、「一見(いちげん)さんお断りです」みたいな曲ばかりだった。それこそ、クリムゾンの「フラクチャー」みたいな。そうでなければ、ポール・モーリアとかの、軽めの映画音楽風の、お気楽系ポップスBGMしか無かった。

    けれども「ブロウ・バイ・ブロウ」は、どちらでも無い。ロックギターの頂点とも言える技術レベルを縦横に繰り出して、緊張感を保ちつつ、なおかつ、素人さんにも聞き易いように短く、手堅く曲に纏めるという、誰もやれなかった路線に成功したんだな、遂に。天才的な演奏者と編曲者がタッグを組んで、成し遂げた。

    基本的には「ラフ・アンド・レディ」の16ビート路線をベースに、マーティンが多彩なアレンジを加えて曲を作っている。「エア・ブロワー」とか、わかり易いよな。

    でも、このアルバムで凄いのは、当時のLPのB面に並んだ4曲だ。驚くべきことに、アルバム後半のこの4曲は、それぞれが、あるテーマを持って作られている。「悲しみの恋人達」は、スローな泣きのバラード。「セロニアス」は、エフェクター(ワウワウ、オクターバー、トーキング・モジュレーター)を使った多重録音。「フリーウェイ・ジャム」は、ストラトキャスターのトレモロアーム奏法。「ダイヤモンド・ダスト」は、難解な変拍子。という具合に、それぞれ明確なテーマを設定している。

    それを「テーマに合わせて、ただ弾きました」と、いうだけでなくて、ジェフのトリッキー且つ情感溢れるギターが、見事な音楽にまとめているんだ。これはあまりにも凄い。

    ー確かに、それまでのジェフのとっ散らかった作品と違って、「ブロウ・バイ・ブロウ」はとても「完成度の高い」アルバムですよね。ジミー・ペイジが、このアルバムを聴いて「これはロックギターの教科書だ」と、唸ったらしいですけど、そうとしか言えない内容の奥深さと、多彩さがあります。

    (相田)このアルバムの影響力は、デカかったよな。この頃からラリー・カールトン、リー・リトナー、ジョージ・ベンソンとかの、ジャズ系ギタリストが、ポップス路線に沢山進出して、フュージョンブームを作った。それを後押ししたのが、このアルバムのヒットだ。日本でも、高中正義や渡辺香津美とかの、フォロワーが続出したもんな。楽器はサックスだけど、スクエアの伊東たけし とかも、元を辿ればこの路線だよな。

    ースクエアって、あのフジの、F1中継が始まる時に掛かってた曲ですね。セナとかマンセルがいて、古舘伊知郎がアナウンスしてた時代の。懐かしいですね。そう言えば、柳ジョージは違うんですか?

    (相田)あっちはクラプトンの方だろ?見かけからしてほとんど、そっくりさんだったな。あそこまでクラプトンに似せなくても、という気が、テレビで柳ジョージを見る度に、いつも俺はしてた。まあ、浜田省吾も、佐野元春も、尾崎豊も、ついでに一時期の長渕剛も、当時の俺にはまとめて、ブルース・スプリングスティーンのそっくりさんにしか見えなかったな。みんなでGパン履いて、アコギ抱えて、カントリー・ブルース風の弾き語りしてさ。

    ー佐野元春は、エレキを持ってませんでしたっけ?

    (相田)どっちでもいいよ。俺の頭の中では、もはや誰が誰だか区別が付かない。最近は、福山雅治の弾き語りをテレビで見ても、同じように思えてきた。俺も末期症状に近いのかもしれん。

    ーあの、それで未だに、本題に入っていないんですが・・・

    (相田)だから、長くなるって最初に言っただろう。次回を期待してくれ。

    ー誰も期待してないでしょうけど。

    (さらに続く)

    相田英男 拝

    タイトル
    明るい問題作を語る(ロックギター馬鹿一代)中編
  12. 相田英男
    2019-11-14 12:39

    〔前編〕
    1. 最後くらいは明るく行こう

    (相田)どうしたんだ、ここで君の方から俺を対談に誘うなんて?悪い病気か、何かか?

    ーいやまあ、ここらでもう一回くらい、音楽の対談をやってもいいかな、と、僕も思い直しまして・・・

    (相田)君はいつも「素人が音楽の話をするのはやめろ」と、文句言うじゃないか?俺も毎日ロック聴いてるだけじゃないから、もう話すネタもないぜ。今更、ツェッペリンの「聖なる館」とか、ピンク・フロイドの「おせっかい」とかの、名盤について俺が話す必要も無いだろう。

    ーそんな、妙なひねりを入れずに、素直に「4枚目」とか、「狂気」とかの定番を、出してくれませんかね?

    (相田)でも俺は、ピンク・フロイドのアルバムでは、「おせっかい」がやっぱり一番だと思うな。アルバムの最初がなんといっても、全日本プロレス中継で、あのアブドラー・ザ・ブッチャーが、リングサイドから入場する時のテーマ曲だからな。馬場&鶴田とかファンクスとかとの試合の前にさ。満員のプロレス会場に響き渡る、ロジャー・ウォーターズの怪しげなベースの音が、子供心にも忘れられないぜ。

    ー空中戦に強かったミル・マスカラスは、入場曲が「スカイ・ハイ」でしたよね。ジグソーとかいうバンドの曲で、日本で大ヒットしました。映画の方はしょうもない内容でしたが。「エーゲ海に捧ぐ」とか、「稲村ジェーン」と同じパターンですね。

    ・・・・あの相田さん、こんなネタはどうでもいいんですけど、僕もですね、今までのここでの解説が、「ジャックスの世界」と「アースバウンド」の2枚で終わるのは、さすがにどうかと思うんです。ロックを知らない人が、相田さんの話を真に受けて、この2枚ばかり繰り返して聴いたりしたら、自殺しちゃうんじゃないかと、心配になって・・・

    (相田)いくら非常識人の俺でも、そんな奇特な人が世の中にいるとは、想像出来ないけどな。そもそも、この2枚に匹敵するような「ロックの問題作品」なんか、もう残ってないと思うぜ。というか、胃の中がキリキリする神経質な曲を聴きながら、これ以上は話をしたくないんだけど・・・

    ーそうだと思って今回は、気楽に聴けるようなアルバムを一つ、僕が選んだんですよ。

    (相田)イージーリスニングな「問題作品」が、まだあるっていうのか?そんなの知らないぜ。

    ーあるじゃないですか、相田さんがいつも聴いてるiPodの中に、ちゃんと。「フラッシュ」が。

    (相田)「フラッシュ」って、あのジェフ・ベックのアルバムか?・・・・・・う〜ん、確かに、あれは問題作と言えばそうだけど。でも、いいのか?俺がジェフ・ベックの話をすると、長くなるぜ?

    ーまあ、いいんじゃないですか?どうせネタ切れで、これが最後でしょ。

    (相田)それなら、やらせてもらうけど。まずは、ジェフ・ベックについて簡単に説明すると、歴代ロックギタリストのランキングで、No.2に位置する人物だと、俺は思う。

    ジェフを上回る能力を持つのは、文句無しに、伝説の黒人ギタリストの、ジミ・ヘンドリックスただ一人だ。ジミヘンだけには、ジェフも勝てない。誰もが知るように、ジミの演奏と曲の出来栄えは、どれも文句の付けようがない、あまりに完璧な内容だからな。

    ーでも、演奏テクニックだけなら、エディ・バン・ヘイレン、スティーブ・ルカサー、マルムスティーンとかの、明らかにジェフを上回るギタリストが、後から登場しましたよね?速弾きや運指の正確さでは、ジェフよりも上手い若い人が大勢いますよ。

    (相田)確かに歴代ギタリストの中で、ジェフが2番目にギターが上手い、という訳じゃない。でも、ギターを奏でることで繰り出す音楽の奥深さ、フレーズのオリジナルの度合い、そして後世への影響度の点では、ジェフ以降には、上回る人物は出ていない、と断言出来る。「演奏家」ではなくて「音楽家」としての能力が、どのギタリストよりも、ジェフは抜きん出て高い。齢70才を過ぎた現時点での実力も、そうだと思う。

    付け加えると、ジェフが上手いのは、エレキギター限定だ。アコギはジェフの管轄外だから。アコギを弾くジェフは、クラプトン以下の、単なる普通の人になっちゃう。要するに、アンプを通すことで出てくるノイズや、電気的にエフェクト処理された音を、音楽的に使うセンスが、ジェフは非凡なんだな。ギターの上手さだけじゃなくて、非常に耳がいい、とでも言うのかな?

    実は、エレキギターのノイズを音楽的に使うセンスも、ジェフよりジミヘンの方が圧倒的に上手い。とはいえ、ジミヘンのアルバムだけをずっと聴き続ければ良いのか、となると、それも辛いものがあるんだよな。ジミの演奏はあまりにも完璧すぎるから、聴くのに相当な緊張感を強いられるだろう?。なんか、田舎の実家で法事がある時に、仏壇前の畳に正座して、坊さんの有難いお経と説教を聴いてるような気分がして、どうにも落ち着かないんだよな、俺にはジミの演奏は。

    片やジェフの曲は、居間の床に寝っ転がって、酒を飲みながら聴くのに、丁度いいユルさがあるからな。

    ーそうなんですか・・・・で、「フラッシュ」というのは、ジェフが1984年に出したアルバムです。玄人好みのインスト(ボーカルなし)のアルバムを3枚出して、ヒットさせたジェフが、久しぶりに作ったボーカル入りの作品集です。プロデューサーに、マドンナの出世作「ライク・ア・バージン」を手掛けて名を挙げた、注目の黒人プロデューサーのナイル・ロジャースを起用した、期待作でした。

    その内容ですが、ジェフを知らない人が、偏見無しで聴く限りでは、80年代のダンサブルなポップス曲が並んだ、明るい、とても聴きやすいアルバムなんですね。あのロッド・スチュアートが1曲歌ってまして、これがまた稀に見る名曲に仕上がっているという、おまけも付いています。パッと聴くだけだと、ドライブのBGMに流すには、最適な曲ばかりのように思えるんですが、その実は・・・

    (相田)実は、俺たち筋金入りのジェフのファンにとって、「フラッシュ」は聴いた瞬間に、絶望の谷底へガケから突き落とされる、大問題作だったんだ。「もうダメだ。あのジェフも、これで遂に、終わってしまったアアアアア〜〜〜〜」てな感じでさ。少し前に、レッド・ツェッペリンも「イン・スルー・ジ・アウト・ドア」っていう駄作を出してから、解散しちゃった。けれども、駄作のインパクトは「フラッシュ」の方が、遥かにデカかった。

    ーと、いう事なんですよね。それではいきましょう。

    2. 結成してはすぐ解散するバンド時代

    (相田)さて、ジェフ・ベックのキャリアは長いけど、60年代中期から70年代前半のバンド時代と、それ以降のギター・ソロ時代に、大きく分けられる。

    ー前半が歌がある曲の時代で、後半が歌無しの楽器演奏だけ(インスト)ということですね。

    (相田)最初は、ヤードバーズから行くのかな?長くなるから端折ってやろう。今の60歳以上の、俺たちより上の世代では、ヤードバーズは神格化された、伝説のバンドになっちゃってる。けれど、ギター以外は取り立てて特徴の無い、地味なバンドだったんだよな。ただライブの時は、ギターのアドリブのテンションが凄く高かったらしい。まあ、日本人で現地に行って、生でヤードバーズの演奏を聴いた奴は、殆ど(誰も?)いないからな。

    その時代でも、ジェフには可笑しな話が結構ある。ある曲のレコードディングの時に「数十秒時間をやるから、ギターソロを好きに弾いてみろ」って言われたんだ。「スタジオではギターをちゃんと弾かせてくれない」って、ジェフが不満を言ってたから。周りは「ほら、せっかくだから弾かせてやるよ」てな感じだったらしい。

    それでジェフが、録音でどんな早弾きソロをやるか、周りが期待して見守っていた。すると、最初に「ガーン」とでかくコードを一回鳴らした後は、ギターをハウリングさせて「フォーン」と音を長く伸ばして、そのままソロの時間が終わったんだよな。所謂フィードバック奏法で、ジェフの得意技の一つなんだけど。

    それを聴いていた連中は、「こいつふざけんじゃねえ!!」って怒ったらしいけど、その曲がアルバムのハイライトになった、とかさ。あと、ヤードバーズに入ってすぐの頃に、マネージャーから頼まれて、前任ギタリストだったクラプトンのブルース速弾きソロを、そっくりモノ真似してライブで弾いたとか。

    いくらギターが上手くても、普通そんなことまでしないよな。余裕があるというか、遊び心に溢れてるよな、若い時から。

    ーヤードバーズを脱退したジェフは、若き頃の、あのロッド・スチュワートと、バンドを組みます。強力なギターとボーカルの二人が、フロントに並んでプレイする、現代ロックバンドの基本形を、レッド・ツェッペリンより早くやっていたと、今でも伝説のバンドです。でも、2年でこのコンビは解散して、その後のジェフは、バンドのメンバーを取っ替え引っ換えする事になります。

    (相田)あまりにもすぐに、バンドを解散し過ぎだろうと、非難されてた時期だよな。真面目にバンドを続ければ、レッド・ツェッペリンにも勝てるハード・ロック・バンドになるのに。何とも勿体ない、とか言われてた。

    でも、ジェフのファンなら誰でも気づくけど、あれだけの情熱をギターの音に注ぎ込みながら、リーダーとしてバンドを纏めるのは、人間の能力として不可能なんだ。ジミー・ペイジは、意図的に自分のギターの演奏を抑えて、曲のアレンジを纏める方に力を入れたから、上手くバンドが続けられた。けれど、そのせいでペイジはギターが下手だと、日本では、ヘビメタ連中から散々バカにされ続けた。片やジェフの場合は、最初から、人間関係に気を遣う気なんか、さらさらないからな。そもそもが、発達障害とコミュ障の気があるジェフには、そんなの不可能だ。

    でもこの時期は、バンドを次々に解散させるというよりも、ジェフを中心に、他のメンバーが離散集合を繰り返す、キング・クリムゾンと同じパターンをやってるんだよな。同じメンバー編成でアルバムを録音しても、毎回、音楽の方向が違うからな。だから俺は、ロッドの頃からBBA(ベック・ボガート&アピス)まで含めて、一つのジェフ・ベック・グループだと考えてる。ロバート・フリップの話をしながら、そう思ったよ。

    ーそれで、この時期のジェフのアルバムで、相田さんが一番良いと思うのは、どれですか?

    (相田)それは、なんといっても、「ラフ・アンド・レディ」(1970年)だよ。これに尽きる。ロッドの時代には彼の渋い歌声に合わせて、ジェフはギターの音を抑え気味だった。けれども、メンバーを一新したこのアルバムでは、存分に能力を出し切っている。ギターも初めて、全曲でストラトキャスターを使って、アーミングやスライド奏法とかの、トリッキーな技巧を沢山繰り出している。今につながるジェフのギター奏法が、この段階でほぼ完成してるんだよな。これ以降ジェフは、特に大きく弾き方を変えていない。80年以降に、ピックを捨てて、指弾きに変える以外は。

    実は俺が始めて聴いたジェフのアルバムが、「ラフ・アンド・レディ」なんだ。大学生だったけど、なんてカッコ良すぎるギターの音だ、と、聴きながら素直に感動した。俺が求めていたギターの音がここにある、と思ったよ。ギターが全く上手くない俺でも、衝撃的な音だった。未だに聴き返すけど、その考えは変わらない。

    ベースとボーカルに、黒人ミュージシャンを入れたのが、とても効いてる。それまでのロックでは殆どやられてなかった、16ビートのアップテンポのリズムに乗せて、ハードロック気味に縦横にストラトを弾きまくるのは、ただただ凄い。明らかに、当時のレッド・ツェッペリンを超えたレベルに到達してる。よくこんなアルバムが、あの時代に作れたと思うよ。

    ーでも「ラフ・アンド・レディ」は、評価の別れるアルバムですよね。相田さんがみたいに絶賛する人もいますが、どっちかというと、同じメンバーの次作の「オレンジ・アルバム」の方が出来が良い、って言うファンが多いですよね。

    (相田)確かにそうだよな。「オレンジ」の方がいい、と褒める人が結構いるんだよな。海外で出たジェフの伝記でも、「ラフ・アンド・レディ」は良くない、と書かれてた。でも、正直俺には、「ラフ」をけなす連中のセンスは、よくわからないな。曲のドライブ感や、演奏への気合の込めかたのレベルが、「オレンジ」よりも遥かに「ラフ」の方が高いと、俺には聴こえる。

    「オレンジ」はスティーブ・クロッパーっていう、ソウル系の有名ギタリストにプロデュースを頼んでる。だから、「ラフ」よりも聴きやすいのかもしれない。けど俺には、カントリーっぽさが充満してダサく聴こえるんだよな、「オレンジ」は。「ラフ」に比べると、弛緩した雰囲気がどうにも拭えない。クロッパーのファンだった忌野清志郎には悪いけど、彼のアレンジはジェフのセンスに合ってないよ。でも「オレンジ」をあまり貶すつもりはない。「ラフ」を悪くいう連中は、単に聴き方のセンスが俺とは違うんだろうな。

    ーあの、長くなったんで、ここらで休みません?

    (相田)まだ半分も進んで無いけど、仕方がないか。

    (続く)

    相田英男 拝

    タイトル
    明るい問題作を語る(ロックギター馬鹿一代)前編
  13. 相田英男
    2019-08-04 13:27

    ーまた唐突に呼ばれましたけど、何ですか?今回はアニメの話とか?

    (相田)最近京都のスタジオで痛ましい事件があったから、大した話でもないかもしれない。けれど、50歳以上の元アニメオタクからすると、看過できないニュースが出てる。以下に引用するよ。

    (引用始め)

    「メーテル」のイラストをヤフオクに無断出品 「銀河鉄道999」アニメーターの強欲ぶり
    7/30(火) 5:57配信

     原作の連載から40年余りを経て、まさかのトラブルだ。テレビ版「銀河鉄道999」にも参加したアニメーターがメーテルのイラストを勝手にオークションサイトに出品。原作の漫画家・松本零士氏(81)が嘆くことしきりなのである。

     アニメーターの名は湖川友謙(こがわとものり)(69)。「巨人の星」などに関わった後、1978年の「宇宙戦艦ヤマト」の劇場版や、同年のテレビ版「銀河鉄道999」で作画監督を務めた。アニメ業界ではちょっとした有名人なのである。業界関係者が言う。

    「70年代に活躍された方で、実は未だにファンクラブが存在しています。所属しているのは80人ほど。本人を交えて飲み会をやったり交流を深めているのですが、最近の湖川さんの行動には眉を顰めるファンも少なくないと聞いています」

     元ファンの男性に聞くと、「湖川先生は最近はあまりアニメの仕事はしておらず、実は3年ほど前から直筆のイラストを『ヤフオク!』に出品して荒稼ぎしているのです」

     実際にサイトを見ると、彼がキャラクターデザインを手がけたアニメ「聖戦士ダンバイン」のイラストなどが、毎月20点近く出品されている。

    「1作品、3万円から5万円ほどで落札されています。デザインを手がけたとはいえ、著作権を持つはずのアニメの制作会社から、許可は得ていません。何より『銀河鉄道999』のメーテルなども彼の直筆で出品されているのです。価格は20万円がつくこともあります」

     数年前までは飲み会の代金すら払えないこともあった湖川氏は、急に羽振りが良くなったのだという。

    「これまでに1千万円以上は稼いだのではないでしょうか。旅行に出たり、ブランドものの服も着るようになりました」

    (引用終わり)

    (相田)今回のニュースを見ながら、といっても、週間新潮の一つの記事が拡散しただけなんだけど、俺は静かに怒っている。「何だよ、みんな思い込みで無責任なコメントばかりしやがって」てさ。

    湖川友謙ていえば、50代以上のアニメファンだった連中にとっては、宮崎駿に並ぶアニメの巨匠だ。アニメ界が誇るべき、数少ないレジェンドの一人だぜ。「アニメ業界ではちょっとした有名人」なんかじゃない。人物画だけ書かせるなら、宮崎駿よりも湖川の方が今でも遥かにうまいぜ。その湖川が、何でこんな不名誉な報道をされることになったんだ?

    ーそりゃメーテルの絵を描いた色紙を、ヤフオクで売ったからでしょ?飲み代に困ってたのが、急に羽振りが良くなった、とかいう話ですよね。

    (相田)確かに湖川が、松本零士に無断でメーテルを描いて、色紙を売るのは問題だぜ。そこは非難されても仕方ないだろう。でも、素行の悪いゴロツキの元アニメ画家が、松本キャラの色紙をネットでこっそり売って荒稼ぎしている、ていう記事の書き方は、あまりに無知すぎる。

    メーテルの色紙が20万円で売れたのも、湖川の直筆画だからだろう。なんぼメーテルの絵だからといっても、無名の素人の上手な色紙を20万円で買う奴がいるか?単に絵が上手くて色紙を描いて売るだけで、一千万円稼げるなら、ちょっと絵が上手いなら誰だって売り出すだろう。

    そうじゃなくて、湖川という巨匠の絵だから、一千万円も稼げるんじゃないかね?要するに、湖川氏のやった事は悪いんだけど、彼のアニメ界での業績に対する理解と尊敬が全く感じられないよな。湖川を非難する連中は。

    俺が怒っているのはもう一つある。それは、湖川を非難する連中は、おそらく誰も「イデオン」を見ていない事だ。断言できる。

    ーイデオンて、1970年代末にテレビ放映されたロボットアニメですね。映画も作られてますけど。

    (相田)湖川が人物デザインして、作画監督としてリーダーだったアニメ作品だ。そして日本の全アニメ作品の中でも、最大の問題作でもある。俺は子供の時に本放映でずっと見ていた。そして未だにトラウマになって心に残ってるアニメだよ。庵野秀明もそうらしいけど。

    ー僕は、相田さんより世代が後なんで良く知りませんが、何でも、「イデ」という名前の無限大の力で動くロボットがいて、地球くらいの惑星を最後の方でレーザー剣で、真っ二つにぶった斬ったとかで、有名ですよね。でも、最終回の前にテレビ放送が打ち切られて、中途半端で放送が終わったんですよね。

    (相田)最初は、かの有名なリアルロボットアニメが人気になって、同じ感じのアニメが新しく始まる、とかいう噂で見始めたんだ。前半は意味不明なセリフがやたらと飛び交うだけの地味な話で、何話か飛ばしたけど、中盤から俄然盛り上がって来て見逃せなくなったんだ。後半になると登場人物がどんどん死んでいくし、それにつれてイデオンのパワーが際限なく上がって、遂には惑星をぶった切るんだよ。その時に、イデオンの主要パイロットが一人死んじゃうんだ。

    この後どうなるんだ、と期待して次週見たら、その回はロボット戦はほとんどなくて、敵と味方の地味な話し合いが続くだけだった。その最後に、唐突に「今週でイデオンは終わりです。どうもありがとうございました」とかの、テロップが出てきて、それが最終回だったんだ。

    「ええ〜〜、そんなのあるかよ!?」って、信じられなかったけど、本当にそれで放送は終わりだった。次週からは続きが見れないんだ。こんだけ話を盛り上げて、途中で終わるなんて、あまりに無茶苦茶だ、と、子供ながらに理不尽さが込み上げてさ。そのショックが大きくて、それからはアニメを見るのが辛くなって、俺は洋楽を聴くようになったんだ。

    打ち切り後の最終回までの話は、その後に映画化されてオチが着いたらしかった。けど、俺的には脱力感が大きくて、映画は見れなかったよ。テレビ放映よりも、映画は作画のレベルが格段に良くなった、とは、雑誌で読んだ。その映画の原画を、一人でほとんど書いたのが湖川氏なんだよな。

    ーイデオンの映画では、登場人物達が敵も味方も全員死んじゃうですよね。

    (相田)登場人物達だけじゃなくて、地球人と敵側宇宙人の民族全てが滅亡するんだよ。イデの力で惑星ごと破壊されて。無茶苦茶なんだけど。

    そもそも、どうして全員死ぬ羽目になるかというと、実は特に理由がないんだよ。驚くべきことに。イデオンというのは、謎の惑星の古代遺跡から発掘されたロボットで、よくわからない不可思議な力で動くんだ。その発掘現場に異星人の旅行者みたいなのが、たまたま通り掛かって、偶然に銃で撃っちゃってお互い数人死ぬんだ。

    それがきっかけで、戦闘になって、主人公達地球人はイデオンを持って逃げる。でも敵側宇宙人の方が強力な武器を持ってるので、やられそうになると、その度にイデオンがパワーアップして、敵を倒すんだ。そんな感じで戦いがエスカレートしながら、敵も味方もどんどん人が死んでいく。遂には敵側が、惑星一つを破壊する最終兵器を持ち出すけど、イデオンも惑星をぶった切るから、最後は相打ちで全員死ぬんだな。

    ーでも、そんな事になる前に、お互いに話あって和平交渉とかしないんですか?

    (相田)何回も和平交渉をするんだけど、その度に交渉は決裂する。お互いに話を全く聞かないんだよな、これがまた。

    テレビ放映の時は、お互いによく話をすれば、それで和解できる話じゃないのかな、と俺も思ってた。それで就職してから、映画版でどんな風に終わったのかを知りたくて、テレビ放映全話と映画まで、レンタルビデオで見直したんだ。でも、ビデオで見直した後で、子供の頃よりも、更に憂鬱な気持ちが込み上げて来たよ。

    イデオンを見直してわかったのは、登場人物達の死に方があまりに悲惨なんだ。ただやられるだけじゃなくて、生き残った人物達を凄く後悔させるような死に方が、ひたすら続くのよ、敵も味方もだけど。テレビアニメだから、残酷なシーンは直接は出てこない。けれど、普通の大人向けのアクションドラマでも見られないくらい悲惨な、見ていて「うっ」と来るような、後まで尾を引く死に方ばかりだ。

    悲惨な死の描写が続くのには理由があって、「イデ」というのが、無限の力を持つ神のような意思体なんだよな。それで、地球人と異星人のイザコザを見ながら、こいつらは両方とも宇宙の調和を乱す悪しき生き物だ、とイデが考えた。それでお互いを、恨みつらみが後まで続くような悲惨な殺し合いをさせて、怨念をどんどん積み上げて、自分達で絶滅させようとしていたんだ。

    主人公達は、そんなイデの目論見に後半気が付いて、争いを避けようとするんだけど、既に遅く、怨念のぶつかり合いの中で、結局は全員が死んでしまう、というのがオチだったのよ。

    ーう〜ん、そんな身もふたもない悲惨な話だったんですね。子供向け作品としては、ちょっと有り得ない、救いようのない設定ですね。

    (相田)今のテレビアニメだと、絶対に許されない内容だよ。放映が打ち切られたから、全員死ぬ場面がテレビに出てこなくて、丸く収まったんだろう、と、今では俺も思える。けれども、本放送を期待しながら見続けた小さな子供には、あんまりな内容だったよ。

    イデオンていうのは、哲学的とか宗教的とか当時は言われた。けど、俺がビデオを見直して思ったのは、人間がお互いに、自分の言いたい事だけ主張して、相手の立場や考えを全く受け入れようとしないから、結局はみんなでドツボにはまっていく、という話だったんだよな。端的に言えば。

    でもさ、50歳を過ぎた今になってしみじみ思うけど、イデオンで語られた人間のあり方は、残酷な迄に事実だった。大人の人間は、お互いに、他人の話は誰も聞かないし、関心も無いよ。ただただ自分の立場を、ひたすらに、相手に押し付けるだけだ。ニュースを見てもわかるだろう?安倍首相と山本太郎は、お互いを理解しようとしないし、電力会社と反原発派は相容れないし、百田尚樹と内田樹は意見が反対だし、日本政府と韓国政府はお互いの主張を譲らないだろう?絶対に。

    その結果として、数え切れない悲劇が周りで生まれているんだけど、「そんな事は誰も知った事ではありません」なんだよな。そういった世の中の真実が、イデオンにはあからさまに描かれている。だから、見ると憂鬱になるんだと思う。

    そんな問題作に、湖川氏が作画リーダーとしてコミットしていたなんて、今ではほとんど誰も覚えていなくて、最早どうでもいい事みたいだ。この夏も、所謂セカイ系のアニメ映画の話題作品が、大ヒットしてる一方でさ。セカイ系の元祖も、エヴァンゲリオンじゃなくて、どう考えてもイデオンだぜ。だって、ちょっとしたボタンのかけ違いで、最後は人類が滅亡しちゃうんだから。

    宮崎駿の一連のアニメ作品は、何十回も繰り返して地上波放送されるけど、イデオンの映画は、ほとんど地上波では見ないよな。作画、音楽、ストーリー全部が見事な出来栄えの感動作なんだけどな。

    ーでもあの映画は、最終回を含めたテレビシリーズ最後の数回を纏めた話だから、誰も話についていけませんよ。テレビダイジェストの「接触編」まで含めたら、3時間を超えちゃうし。地上波でイデオンを、CM入れて4時間見続けるのは、やっぱり苦痛ですよ。

    (相田)そしたら「NHKでイデオンを放送させる会」とかで、俺が参院選に立候補すればいいのか?

    話を湖川氏に戻すと、俺が一番怒りを感じるのは、今ではアニメを「クールジャパン」とかの風潮で、世界に発信しようとかしてるんだろう?それなら、湖川氏のような大功労者を、何故もっと大事に扱わないんだよ。

    本人は隠居して、単に昔の名声だけで生きてます、てな訳でなくて、未だにイラストをどんどん描いて、そのクオリティも以前とそんなに落ちてなくて、売ってお金も稼ぎたいと考えてるんだろう?それなら周りの連中が、何で、湖川氏を「マトモな形」で、世に出す事を考えないのかね。ちょっとイラスト描いてネットに出すだけで、一千万円稼げる位の市場価値が、湖川氏には今でもある訳だろう?

    別に松本キャラじゃなくても、湖川直筆なら買うファンは大勢いるよ。俺もイデオンの直筆イラストなら、5万円くらいで是非色紙を買いたいぜ。

    今の政府は、クールジャパンとかぶち上げて、税金を何百億円も使うみたいだ。けれども、あの湖川氏が生活に困って、ネットで色紙を売る状況まで追い込まれるなら、そんなのは全くの無駄金というしか無い。自民党代議士達の取り巻き連中に、税金を合法的にバラまくための新たなスキームに、アニメが使われてるだけだ。今回の湖川氏の報道から改めてわかったよ。

    アニメ業界には、クリエイター以外は、マトモに商売出来る人材が未だにいない。湖川氏も性格に色々問題があるみたいだけど、アートセンスが高い人物なら、周りのマトモな連中が性格の悪さをカバーして、上手く商売に結びつけてやるべきだろう?「クールジャパン」なんだから。何の為に税金を何百億円も投入するんだ?吉本興業の上役達を通して、悪どいメディア業界連中の懐に大金を回して、最後は賄賂で受け取ろうという魂胆が、ミエミエなんだよ。

    ー相田さん、珍しく熱いですね。

    (相田)当たり前だ。イデオンが打ち切られた時の怒りを思い出すと、未だに熱くなるんだよ。

    ーそれは、怒る相手が違うでしょう?

    相田英男 拝

    タイトル
    問題作を語る:番外ロボットアニメ編
  14. 相田英男
    2019-06-19 07:08

    1 . あまりに衝撃な初ライブ盤

    ーここで僕が呼ばれるのは、相田さん、もしかして・・・

    (相田)恒例の音楽の話題だよな。

    ーもう、たいがいにしましょうよ、音楽評論はプロに任せましょう。ここは場所も違う事だし。

    (相田)いやいや、世の中には埋もれたロックの名曲や名盤がまだあるからな。一見して近寄り難いけど、聴いてみたらなかなか良かったりするアルバムを、素人目線でわかりやすく説明しよう、というのが、今回の趣旨だ。

    ちなみに今回取り上げるアルバムは、前回の対談に続いてキング・クリムゾンだ。彼らの70年代の作品から、俺が一枚選んでみた。

    ーまたまたクリムゾンですか・・・・そうすると選ぶなら「ファースト」とか「レッド」ですか?それとも、相田さん一押しの「スターレス(暗黒の世界)」とか?

    (相田)残念だが全部外れだ。今回解説するのは、あの「アースバウンド」だ。1972年に出たクリムゾン初のライブ盤だ。

    ー・・・・・・・・

    (相田)何で絶句してるんだ?

    ーこれだけ名盤揃いの、クリムゾンのアルバムの中から、どうしてあんな海賊盤を選ぶんです?あのレコードは音があまりにも悪すぎるって、有名じゃないですか。

    (相田)海賊盤とは失礼な。数は少ないけど、昔は正規のLPレコードで店で売られたんだぜ。俺の近所のレコード屋には、置いてなかったけどさ。姉ちゃんが持ってた、雑誌のミュージックライフのクリムゾン特集でも、アルバムリストの中で紹介されてたよ。

    ー僕は聴いたことないですけど、「アースバウンド」は、4枚目のアルバムの「アイランズ」を録音したメンバーでのライブ盤ですよね。ギターがロバート・フリップで、ドラムがイアン・ウォーレス、ベースとボーカルが後からバッド・カンパニーに加わったボズ・バレル、そして、お決まりの管楽器にメル・コリンズがサックスでいる、という布陣です。

    でもLPレコードの発売時には、音があまりに悪いのと、演奏の内容がアイランズとあまりにも違いすぎて、物議を呼んだんですよね。他のアルバムは80年代にはCDが出たのに、このアルバムのCDは、2000年を過ぎるまで出ませんでした。

    (相田)本当は、ピート・シンフィールドっていう、楽曲アレンジと歌詞を担当するメンバーが、「アイランズ」の録音時にもう一人いたんだ。彼はフリップと同じ、クリムゾン結成以来のオリジナルメンバーだった。ライブの時には、扱いが面倒なメロトロンの操作も、ピートがやってたみたいだ。けれど、このライブツアーの前に彼は脱退した。新しいメンバーとの間で、意見が合わなくなったらしい。

    このアルバムの音は確かに悪い。何といっても、音源がカセットテープの録音だからな。再発されたCDを聴いても、ギリギリ鑑賞に耐えられるかどうかのレベルだ。これ以上悪くなると、もはや聴くに耐えない、というくらい悪い。録音のやり方は確かに海賊盤だ(笑)。

    ーカセットテープって、今の人たち見た事ないでしょう。カセットデッキも、でっかい家電量販店の隅の方に置いてあるかどうか、ですよね。マニア向けに。

    2 . 意外すぎる演奏の中身

    (相田)でも音は悪くても、演奏は凄い迫力があるぜ。試しに一曲目の「21世紀の精神異常者」(以下は 21’st)から、まずは聴いてみようじゃないか。CDは2002年のリマスター版だ。

    〔二人でCDを聴く〕

    (相田)どうだ、感想は?

    ーやっぱりこれ、音が悪すぎますよ。クリムゾンの曲の持つ、美しさのかけらも無いじゃないですか。それに、あのボーカルは一体何ですか?ただ叫ぶだけで、真面目に歌う気が全く無いですよね?でも、演奏は凄く上手いとは思います。半ばヤケみたいですけど。

    (相田)21’st はファーストアルバム以外にも、後に出たライブ音源でも沢山演奏されてる。けども、この「アースバウンド」の演奏は、別格のど迫力だよな。最初のフレーズの「タメ」の長さからが絶妙だ。それにボズ・バレルのボーカルが、また無茶苦茶で・・・。「アイランズ」では、ウイーン少年合唱団みたいな美声を聴かせるのに、このライブでは、打って変わった捨てバチな唱法だよな。

    ーそもそも、アルバムの長さは46分あるのに、ボズの歌の部分は全部合わせても5分位じゃないですか?それも真面目に歌わなくて、ひたすら叫ぶか、「アーアー」とか、流してるだけですよね。あの人バンドにいる意味あるんですか?

    (相田)そうはいえど、短くてもインパクトあるぜ、ボズの歌は。ディープ・パープルの「ライブ・イン・ジャパン」のイアン・ギランに匹敵するな、インパクトだけなら。

    ーそれはほめすぎです、流石に。投げやりの度合いがすごいだけです。

    (相田)この時のライブツアーは、アメリカ南部のフロリダ辺りを回っている。「アイランズ」を録音した後の音楽の方針で、リーダーのフリップと、他のメンバーが対立しちゃったらしい。それで、本当は誰もライブなんてやりたくなかったけど、バンドの契約上仕方なくアメリカまでツアーに行った。そこで2か月くらいライブを回って、そのまま現地で解散したんだと。

    そのバンドの仲の悪さが、そのまま音に出ている。演奏が投げやりなのはそのせいだ。ただし、演奏技術だけはみんな抜群だから、曲としてまとまってはいるんだよな。特に最初の21’st の演奏の、緊張感の高さは異常だ。本来のクリムゾンにある筈の、理性のタガが完全に外れて、素の「狂気」の部分が露わになっている印象だ。

    ーでも、2曲めの「ペオリア」になると、一気に緊張感が無くなってイージーリスニング風の演奏になりますよね。これ何なんですか、一体?

    (相田)そうなんだよ。最初の 21’st の無茶苦茶な勢いで、アルバム全部押し通すのかと思いきや、その後はマッタリ気味になるんだよな。そこがこのアルバムの一番の問題だ、と、俺は思う。「ペオリア」、「アースバウンド」そして「グルーン」の3曲は、クリムゾンにしては、何とも、らしくない雰囲気だ。

    この3曲に限っては、演奏がブラックミュージック風なんだよな。ファンクとかブルースとかの。ただブルース・ロックなら、普通はギターが前に出てアドリブをやる筈だ。けれども、この3曲ではフリップのギターは、全然目立たない。結果として殆どが、メル・コリンズが吹くサックスの独壇場になってる。管楽器が目立つから、クリムゾンらしいといえば、そうかもしれないけどさ。

    サックスばかり聞こえるから、一見ジャズのようにも思えるけど、雰囲気はもっとブラックだ。フリップがサックスの旋律に合わせて、ギターにワウワウ(音色を変えるエフェクターの一つ)を掛けて、リズムを刻んだりしてる。もろにファンクのリズムの取り方だよな。

    クリムゾンのアルバムで、ここまでブラックミュージックに寄せた演奏が聴けるのは、「アースバウンド」だけだと思う。その意味でこのアルバムは、クリムゾンとしてはあまりに異質だ。単に音が悪いだけじゃ無くて。

    3 . フリップの敗北宣言

    ーでもクリムゾンといえば、プログレバンドの頂点ですよね。本来なら黒人音楽から最も遠い筈のクリムゾンが、ブルースをやるなんて、一体どういうことでしょう?

    (相田)もしかしてフリップが、エリック・クラプトンに対抗したかったのかもな。曲の雰囲気から、クリーム(クラプトンがギターで在籍していた、3人組のバンド。ビートルズに次いで英国に現れたスーパー・ロック・バンド。クリームのスタイルを発展、完成させたバンドがレッド・ツェッぺリンである)の、未発表ライブ音源だって聴かせると、信じる人が結構いそうだよな。フリップのギターも、クリーム時代のクラプトンと同じレス・ポールだし、音も似てる。「このクラプトンと一緒にサックス吹いているの、一体誰かしら?とても上手だわね」とか、思うんじゃないか?ちょっと聴いただけだと。

    ーそんな間抜けなリスナーはいません。

    (相田)冗談は置いとくとして、評論家の渋谷陽一の 、あの共産党員の、彼風に言うならさ、アメリカの黒人達が歌っていたブルースを白人達がアレンジした音楽がロックな訳だ。ビートルズ、クリーム、レッド・ツェッペリンと続く、王道路線がこれだ。対して、そのロックから、黒人音楽の要素を極力薄めたらどうなるか、という実験が、ヨーロッパで広まったプログレッシブ・ロックと言える。黒人の要素をゼロにしたらロックじゃ無くなるから、少しは残すけど。黒人音楽からどれだけ離れるかで、音楽的な可能性を拡げていたんだよな、プログレバンドの連中は。

    その中心にいたバンドがクリムゾンで、フリップはそのリーダーだ。ところが、このアルバムでフリップは、あろうことかもろに黒人風の、ブルースやファンクの乗りで演奏してるじゃないか。本人がソロで前に出ないのは、やりにくさと後ろめたさがあったからだろう。

    これって、ある意味、フリップの敗北宣言だと俺は思う。プログレバンドで、ここまで黒人音楽に寄せるのは、まず有り得ないよな。今まで俺は、クリムゾン以外にも、ELP、イエス、ピンク・フロイド、あとムーディ・ブルースとかの、メジャーなプログレバンドのアルバムを聴いたけど、ここまでもろにブラックな演奏は無かったよ。正直、俺にはかなりショックだ。

    フリップと、バンドの他のメンバーが仲たがいしたせいで、こんなになったんだろう。フリップも内心は忸怩(じくじ)たる物があったと、俺は思う。この後フリップは、バンドを解散して直ぐに、イエスから、どうやってもブルースには転びそうにない、才人ドラマーのビル・ブラフォードを引き抜いて、一連の傑作の、あの後期三部作(ラークス、スターレス、レッド)を完成させる。迷いが吹っ切れたんだろうな。

    ーそれならフリップは、どうして、この不本意なアルバムを出したんでしょう?こんなに音も悪いのに。

    (相田)やってる音楽の方向には疑問を感じつつも、バンドの演奏自体には、フリップは自信があったんだろう。クリムゾン風の味付けでブルース・ロックをやるなんて、なかなか味があるじゃないか。投げやりな雰囲気でも演奏は上手いから、聴きごたえあるよな。それに、なんと言っても、一曲目の 21’st の凄まじさときたら・・・。ほとんどパンクの出鱈目さだぜ。

    この後数年後に吹き荒れる、パンクロックの嵐のせいで、栄光のブリティッシュ・ロックの全ては瓦解する。その運命を予兆するかのような、怖さを感じてしまうな、どうにも俺は。パンクバンドにしては、演奏はちゃんとしてるけどさ。

    ー演奏が上手いパンクロックですか。ポリスみたいなもんですかね?

    (相田)でもパンクとはいえ上品なポリスの演奏よりも、こっちの方がキレっぷりはもっとパンクだぜ。だから、改めて聴き直すと、60年代後半から70年代末までの、英国ロックの流れを、その後の未来さえも、総括するような内容なんだよな、この「アースバウンド」は。何とも贅沢で、聞き応えのあるアルバムじゃないか。

    ーこんなに音が悪いのに、ですね。

    4 . 実は性格のいい人だったフリップ

    (相田)それで、このアルバムを聴きながら思い出したんだけど、俺の大学時代に、年上のとある女性の先輩と、一度話したんだよ。酒の席で。洋楽好きで、福岡出身の人だった。その人から聞いたんだけど、80年代になってクリムゾンが再結成して、来日ツアーをやったんだ。それで福岡でも公演したんだけど、会場が確か九電記念体育館とかいう、数千人は入る場所だった。そしたら、公演当日になっても客がほとんど集まらずに、会場がガラガラだったらしい。

    当時は、マイケル・ジャクソンやマドンナの全盛期で、プログレなんか廃(すた)れて、誰も聴かなかった。あと再結成したクリムゾンも、曲調がパンクっぽくなってた。昔の曲もコンサートでやらないと言われてたから、以前のファンもチケットを買わなかったんだな。場所が地方だったせいもあるけど。

    その女の先輩によると、その福岡の、客がほとんどいないガラガラの会場なのに、クリムゾンはライブをやったんだと。それがまた予想を超えた、ど迫力の熱気溢れる演奏で、会場の ー 無茶苦茶数が少ないけど ー 観客の全員が、大感激して帰って行ったんだってさ。

    この「アースバウンド」を聴きながら、そのガラガラの会場でのライブも、こんな鬼気迫る感じだったのかな、と思えてさ。聴いた人がほとんどいないから、確認のしようがないけど。

    ーへえ~、そんな事があったんですね。でも、あのあともフリップは何回も、クリムゾンで来日して、日本でコンサートをやってますよね。去年も日本で全国ツアーやってるでしょう?そんな事があったら「日本なんて2度と来るかい!?」って、怒っても仕方ないでしょうけど。

    フリップって、凄くいい人なんですね。変人ですけど。

    (相田)全く沢田研二のセコさとは大違いだよな。ジュリーにフリップの爪の垢を煎じて飲ませたいぜ。この「アースバウンド」を聴くと、メンバーと喧嘩しながらも、正直に自分を語る事で、時代に残る作品になっている。紆余曲折しながらも、やってることに強い確信があったんだろうな。誰からも理解されずとも。やっぱりフリップは、変人のスケールが段違いだぜ。

    ーそういえば、相田さん、「アースバウンド」と一緒に、もう一枚CDを輸入盤で買ったんですよね。何を買ったんです?

    (相田)ああ、もう一つもライブ盤で、ウィングスの「オーバー・アメリカ」だよ。元々はLP3枚組だったのが、2枚組のCDで出たんだよな。国内盤は三千円以上するんだけど、輸入盤だと送料込で2千円以下で買えたから、得した気分だよな。

    ああ~、やっぱりポールの歌を聴くと、心が洗われるよな。録音も綺麗な音だし、変な屁理屈も考えないで気楽に聴けるから楽しいぜ。洋楽はやっぱりこれだよな。

    ー・・・・・・・

    相田英男 拝

    *相田追記
    1. アースバウンドのLPレコードは、英国では発売されたが、実験盤の意味合いが強かったため、米国と日本では発売されなかった、とのこと。日本では輸入レコード屋でないと買えなかった。どうりで田舎のレコード屋で、私が見なかった筈である。ただ、あの「ミュージック・ライフ」が、本作についてコメント記事を載せていたので、本作のユニークさは当時から業界で広く認知されていたと思う。

    2. 80年代に渋谷陽一が、自分のFMラジオ番組でアースバウンドの 21’st を、ノーカットで流したのを以前に聴いた。この世の音とは思えない凄さを感じた記憶がある。曲の後半から番組デレクターが、すごい目つきで渋谷をずっと睨んでいたと、かけた後で語っていた。

    タイトル
    英国ロック最大の問題作を素人目線で解説する
  15. 1018
    2019-05-12 22:19

    あの「弥助」の映画化が進行中だそうです。2本も。
    ファンタジーになるのかな。

    https://www.cinemacafe.net/article/2019/05/08/61441.html

    タイトル
    「黒人侍」の映画
  16. 相田英男
    2019-04-12 23:45

    相田英男です。

    またもやどうでもいい話なのですが、アメリカのフォーブスという有名な経済誌に、下記のインタビューが載ったそうです。

    https://www.forbes.com/sites/olliebarder/2019/04/04/mamoru-nagano-on-l-gaim-gundam-and-the-fractal-nature-of-the-five-star-stories/#687b8d226733

    こいつ一体誰やねん?と、多くの方がが思うでしょう。でも、その道の人は誰もが知るだろう、私もよく知っている、とある漫画家です。

    数年前にアニメ映画を作って上映していたので、ここに載せても良いかと。

    東京近辺の方は、JR線の駅内に少しの間ですが、彼の書いたロボットや女の子の奇天烈なイラストが、デカく貼ってあったので、目にされた方も多いかもしれません。

    ちょこっとした紹介のエッセイなのかしら、と、上の記事を読み始めたら、文章がいや長いこと長いこと。しかも、その内容がまたアレで・・・

    こんな酔狂な内容の、長い文章を、読み続けるアメリカ人が大勢いるとは、何ともはや・・・日本のソフトパワーの力は、実に偉大だと感心しました。

    彼は、日本の漫画とアニメで登場する、メカやロボットのデザインを、彼一人のセンスの力で、ほぼ完成させた人物です。この記事の中で自分で、私のロボットのデザインはビートルズみたいなものだから、と言い切っています。正確な自己認識だと私は思います。(私的には、ビートルズではなくて、レッド・ツェッペリンに相当するような気がしますが・・・)

    彼の描いたメカデザインと、アル中でノイローゼになってしまった漫画家の吾妻ひでおが描く、ロリコン美少女が組みあわさったのが、世界に通じるクール・ジャパンの骨格だと、私は言い切れます。

    記事にも登場しますが、彼は、有名なロボットアニメの監督さんが、見出して育てた「作品」でもあります。その監督さんは、彼に、例のシリーズの続編を作らせるつもりだったのが、周りの猛反対でボツにされたため、精神を病んでしまったみたいです。日本語だとオブラートに包んで言いにくい話でも、英語だとハッキリと断言してくれるのでありがたいですね。南部陽一郎の、英語のインタビュー記事を読んだ時にも思いましたが。

    日本人のポップカルチャー分野で、唯一、世界に出て真っ向勝負出来る人物が、彼です。村上隆のような胡散臭いインチキ人物など、彼の足元にも及びません。村上隆の事は、細野不二彦が前に漫画で描いてましたが。

    でも、アメリカ人の方が良く分かってるみたいですね。絵を見たら一発で凄さがわかりますからね。

    一応、時代の最先端を行く日本人の一人として、ここで紹介しました。若作りですが、もう60歳近いんですね。60のジジイが描くロボットが一番カッコイイという、凄い真実が、密かにあるのです。

    英語の記事だから、彼もこんなに沢山話せるんでしょうね。日本の雑誌だと、色々物議を醸して、また漫画の連載を休む羽目になるでしょうから。

    相田英男 拝

    タイトル
    外人相手だと話がはずむのでしょうね
  17. 相田英男
    2018-12-06 17:59

    相田英男です。

    映画を見たので、書きたくなったのですが、以下の堀井氏の感想と殆ど同じなので、引用させて頂きます。

    私は堀井氏よりやや年下ですが、ほぼ同じ洋楽体験をしています。歳の離れた姉が、家の中で映画タイトル曲や、「キラー・クイーン」とか、「マイ・ベストフレンド」とかを、毎日カセットテープで流すので、変わった曲だけどカッコいいなあ、と何気に感じていました。

    でも、クイーンはアイドルぽかったのと、姉がいつも聞いていたので、反発心から、ハードロックとプログレッシブロックに、私は興味が向かったのです。ただ、レコードはほとんど買えなくて、人からLPを借りて、カセットテープにダビングさせてもらうか、FMラジオを録音するか、でしたけど。当時は、深夜のNHKのFMで、レッド・ツェッぺリンやイエスのアルバムの、全曲を流したりする太っ腹の番組があり、重宝させてもらいました。

    今回の映画は賛否両論あるみたいですが、日本でも30億円以上売り上げたようで、大ヒットになりました。50代後半から60代の女性、70年代にティーンエイジだった方が、繰り返し観られているそうです。ミュージック・ライフを片手に、羽田空港に集まって「キャー、フレディー!!」と絶叫していた、かつての女の子達ですね。今回の映画は、彼女達のものですから。日本の場合は。

    私はクイーンのアルバムは、「オペラ座の夜」しか、自分で買ってません。が、クイーンは見かけ倒しではなく、本物のロックバンドだと、今更ですが、私は思うようになりました。演奏も上手いのですが、何といっても、フレディー・マーキュリーの「やり過ぎ感」が素晴らしい。普通にピアノを弾いて歌うだけでも十分に上手いのに、あの怪しさ満点の衣装とアクションで、ブチかます。

    今でこそLGBTやマイノリティーとか、気を遣って大事にされていますが、当時は単なる「変態」でした。その「変態感」をフレディーは敢えて逆手に取り、過剰にステージで打ち出しています。フレディーの「やり過ぎ感」は、キング・クリムゾンのロバート・フリップのギターの「やり過ぎ感」に、相通じるものがあります。片や極めてわかりやすく、片や難解と、音楽のタイプは全く違いますが、どちらも本物のロック・アーティストです。

    私がクイーンを避けていたのは、フレディーの醸し出すあまりの怪しい雰囲気に、ついていけなかったような気がしています。でも、70年代のティーンの女性ファン達は、そんな「怪しさ」を含むクイーンを全て受け止めて、一生懸命に応援していたんですよね。

    フレディーが死んだ時には、彼女達は全員が涙したと思います。あれから二十数年が経って、年齢を重ねた彼女達が再びフレディーと出会えた。そして、彼からエネルギーをもう一度もらうことが出来た。それだけで、もう十分なのではないでしょうか、今回の映画は。

    (引用始め)
    男子高校生にとって、Queenは「憧れのロックスター」だったか
    堀井 憲一郎
    12/5(水) 11:00配信、現代ビジネス

    クイーンのフレディ・マーキュリーを描いた映画『ボヘミアン・ラプソディ』が人気である。

    クイーンのレコードデビューは1973年、日本で売られたのは1974年だった。その年から翌年にかけて、ヒット曲を出し始める。

    私は高校生だった。ヒット曲はだいたい聞いていたことになる。でもあまり関心を抱いていなかった。当時の“洋楽”は好きだったのだが、クイーンはあまり積極的に聞かなかった。

    これは私個人だけではなく、当時のロック好き十代「男子」のふつうの動向だったようにおもう。理由のひとつは「先に女子が熱狂したから」ということにある。

    クイーンに飛びついたのは、まず日本の十代の女性だった。世界的にもかなり先駆けだったらしいのだが、その現象を受けてぼくたちは「クイーンは女子のもの」と強くおもいこんでしまったのだ。

    高校の同級生女子が騒ぎ、その前後世代の女性が熱狂していた。なんだかおもしろくない。とてもつまらない感情だけれど、高校生だからしかたない。先に見つけたなら、それは任せた、というような気分である。

    また、女子が熱狂したから、アイドルなんだろうとおもってしまった。

    ちょうど同じ時期、ベイ・シティ・ローラーズというアイドル的なポップグループが人気で、そちらにも女子は熱狂していたから(たぶん棲み分けていたんだろうけれど細かくは知らない)、それと同じタイプのミュージシャンだとおもってしまった。アイドルだとするとそれは歌謡曲に近く、いっときの徒花のような人気しかないはずで、豊川誕、伊丹幸雄、城みちるらと似たようなグループだと考えればいいのだな、と判断したのだ。

    そのころ小遣いを何とかやりくりして買っていたレコードは、たとえば、ローリングストーンズ、ボブ・ディランやビートルズ、サイモン&ガーファンクル、レッド・ツェッペリン、シカゴ、アリス・クーパー、あたりである(アリス・クーパーにやたら固執していた記憶がある)。

    ディープ・パープルやピンクフロイド、イエスも買いたかったが買えず、友だちのを借りて、録音していた。レコードプレイヤーのスピーカーの前にテープレコーダーを置いて直接録音していた。ときどき弟や母の声が入ってしまった。レッド・ツェッペリンも、4枚目のアルバムを買ったけれど、その前3作がなかなか買えずにもどかしかった。

    まだ当時はロックミュージックの歴史が浅く、ここは男の世界だ、という意識が強かった。よくわからないけれど、でもそうだったとしか説明のしようがない。だから女性が先に熱狂してしまったクイーンを、男の世界で認めるわけにはいかなかった。つまらないところでつまずいていたのだとおもうが、でも十代の当時、この事態に巻き込まれるのは避けられなかった。

    (中略)

    なぜ、ここまできれいにクイーンを避けていたのかは、よくわからない。そもそも「曲はほとんど知っているのに、クイーンについては何も知らなかった」という事実も、今年、映画『ボヘミアン・ラプソディ』を見てやっと気がついたくらいである。

    やはり1970年代当時から、少し特異なグループだったということだろう。

    フレディ・マーキュリーが、何だかずっと不思議であった。特に髪を短くしてゲイぽいキャラになってからは、よくわからなかった。少なくとも若い男子が、ああいうふうになりたいとおもう「憧れのロックミュージシャン」ではなかった。

    いまあらためて見ると、まだ長髪だったころ、1970年代のロックミュージシャンらしいフレディには、えもいわれぬ色気がある。女性の感覚でいえば「かわいい」と言うしかない魅力だ。

    彼の歌唱を見ていると、発声しようとするときのタメというかごくわずかな間合いがあって、そこに「がんばる」という意気込みが少しあり、ためらいと自負が垣間見えて、いまの私は、その若さに惹かれてしまう。若いころだと絶対に気がつかないポイントだ。そういう魅力をわかれって言われても、男子高校生には無理である。

    そして彼らの楽曲はやはり美しい。耳に残る。あまり真剣に聞かなかったくせに、だいたいのヒット曲は覚えている、やはり彼らの楽曲が強く刺さってくるものだからだろう。

    中学・高校の友人で、音楽をよく聞いていて、いつもギターばっかり弾いていた友人に、あらためてクイーンのことを聞くと、やはり高校時代はきれいに無視していたと答えてくれた。

    彼は少しあと、おそらく1980年代だとおもわれるが、クイーンのベストアルバムを買い、それをクルマの中で流していたところ、同乗していた彼の母に「あなたのいつも聞いている音楽はよくわからないけど、この音楽は素敵ね」と言われたそうである(いつも聞く音楽はおそらくローリングストーンズやフランク・ザッパだったのではないかとおもう)。

    おそらくこれがクイーンに対する正しい評価なのだ。

    ただうるさく叫び続ける音楽ではなく、大人の耳にもきちんと届く音を彼らは作っていた。だから、これほど無視しているぼくたちにもその音楽はきちんと刻まれている。

    そのことに、2018年になるまで気づいてなかった。映画『ボヘミアン・ラプソディ』を見るまで、きちんと正面から向き合ってクイーンを聞いたことがなかったからだ。

    自分でレコードを買ったことも友人から借りたこともなく、レンタルレコード店でレンタルしたこともなく、カセットに落としたこともなければ、CDもMDも持っておらず、DVDを借りたこともなかった。自分から初めてクイーンの音楽を探して聞いたのは、先だって映画を見たあと、ユーチューブでだった(ユーチューブは偉大である)。

    1970年代から1980年代にかけて、ぼくも何とか生きていたころ、彼らも彼らなりに懸命に音楽を作り、提供していた。そしてそれはいつもどこかでクロスしていたのだ。それに気づいた。クイーンとぼくらは、一緒に生きていたのだ。

    映画を見たあとには、クイーンの曲がすべて胸に迫ってくる。そこには懸命に生きていた若者の声がある。いまここに、彼らの存在とあの時代が強くよみがえってくる。

    あまりに単純な反応で申し訳ないが、しかたがない。映画が素晴らしいということであり、クイーンの楽曲の力があまりにも突き抜けているということなのだろう。

    映画のクライマックスは1985年のライブエイドで、これも当時の空気をおもいだした。日本での中継は、とにかくコマーシャルが多かったことばかり覚えている。ボブ・ディランを見たくて録画していたのだが、全体の印象としては(中途半端な中継だったこともあって)かなり散漫なものだった。もう一度見返したいとはおもわなかった。映画を見て、33年前のビデオテープを探している。どっかにあるとおもう。

    2018年に映画「ボヘミアン・ラプソディ」を見たとたんに、かつての音楽的な記憶が一挙につながって、よみがえってきた。クイーンだけに限らず、あのころ聞いていた音楽とそれにまつわる風景がリアルにおもいだされたのだ。不思議な映画体験である。

    映画に触発され、自分のなかにあったクイーン音楽の欠片がすべて掻き集められ、ばらばらだった1970年代の記憶がまとまっていく体験だ。自分の内側で、勝手に物語の生成されていくようであった。異様に興奮した。

    二度目に『ボヘミアン・ラプソディ』を見に行ったときには、クイーンをまったく知らない21歳の男子学生と行ったのだけれど、彼も深く感銘を受けていた。それぞれの音楽記憶とは関係なく、強く訴えてくる映画のようだ。フレディと家族の姿を見ているだけで、胸に迫ってくる。ママーという叫びがずっと頭の中で鳴り続けている。

    (引用終わり)

    結局、映画とあまり関係ない話ですみません。

    相田英男 拝

    タイトル
    ボヘミアン・ラプソディー
  18. 森本達樹
    2018-10-30 21:15

    会員番号8177番の、森本達樹です。

    重掲[2361]で、ピンクの龍さま、が紹介されている「1987、ある闘いの真実」を観た、私の思うところを投稿させていただきます。

    この映画は、ハッピーエンドでない。全斗煥(チョン・ドファン)大統領の、国民向けの声明を「永久独裁宣言だ!」と、憤って終わる。

    ついでに言うと、ヒロインの女子大生が、街宣車に仁王立ちし、大統領の直接選挙制が実現するまで、まだまだ闘いが続く、と、暗示している。

    実際に、大統領の直接選挙制が復活したのは、全斗煥の次の、第十三代大統領の盧泰愚(ノ・テウ)の時だ。

    とにもかくにも、この映画の、最大のキーパーソンは、公安(?)の、パク所長だ。

    彼は、脱北者で、北朝鮮で家族を殺された、という、設定である。

    脱北者で、韓国の公務員の要職に就いたり、幹部になれた者がいたのだろうか?

    本当にいたのなら、きっと、背後に大きな組織がついている。

    世界反共同盟(WACL)のメンバーであるのは、もちろんだが、旧称 統一教会の幹部なのだろう。

    1980年代は、統一教会の活動の様子が、日本でもTVを通じて騒がれていた頃でもある。

    統一教会とは 1/2
    https://www.youtube.com/watch?v=q710za-HEwo

    統一教会とは 2/2
    https://www.youtube.com/watch?v=nhw-kTyjN8M

    統一教会は、ソ連が崩壊して、北朝鮮が存続の危機に瀕した時に、文鮮明(ムン・サンミョン)が訪朝して、金日成と義兄弟の契りを交わすまでは、世界でも指折りの反共組織であった。今でもそうらしいが、現在、共産主義国家は存在しているのだろうか?

    映画では、デモ隊は、デモクラシーを渇望し、不審死した大学生の真相を公表するよう要求しているように描かれている。

    しかし、パク所長は、反政府分子を、共産主義者とレッテル貼りをして、弾圧を加え続ける。

    その、パク所長の思想も分からなくはない。思想を弾圧するにも思想が必要だからだ。

    こと、最近の、韓国のデモ隊は、親北勢力だと思われる。

    彼らは、反日勢力でもあるだろう。

    呉 善花(オ・ソンファ)女史の言うところの、韓国人のイデオロギー「親北=反日=民族主義」である。

    1980年代から、デモ隊は、北朝鮮シンパだったのだろうか?

    資金の出処は、どこだろうか?

    そのような事を、考えさせられた映画であった。

    一度見ただけでは、味わい深さが分からない。

    もう少し、朝鮮半島の事がわかれば、その映画で新たな発見もできるだろうが、そうするつもりは無い。

    ただ、韓国の民主化までのプロセスが、良くまとめられている動画を見つけたので、そのURLを貼らせていただいて終わります。

    韓国民主化運動歴史
    https://www.youtube.com/watch?v=eVd6XJlNnw8

    タイトル
    「1987、ある闘いの真実」を観て
  19. 相田英男
    2018-06-28 22:27

    相田英男です。
    掟破りの投稿ですが、何卒ご容赦下さい。

    副島系掲示板は、自分が真剣に向き合った内容について書くべきと思ってます。
    今回の内容は、かなり真剣に考えました。

    ロックの固有名詞が頻出しますが、いちいち解説すると、文章量が3倍くらいに増えそうなので、わからない用語は、ウィキペディアでとりあえず御参照下さい。機会があればアルバムを聴かれて、こんな世界があるのか、と体験されるのも良いかと思います。ただし、万人受けする音楽ではない事だけ、ご承知下さい。

    *********************************
    題目:あまりにレトロな日英最強バンド対決
    1. 伝説の邦楽ロックバンド、その名はジャックス

    (相田)よう、今度もすまないねえ。

    ー別にいいですけど、ここ掲示板が違いやしませんか?

    (相田)いいんだよ。今回は技術じゃなくて音楽の話だから。毎日、仕事に行く途中で、i-Pod でロックをいつも聴いてるんだ。それで、最近あっと気付くことがあってさ。どうしても話したいんだけど・・・

    ー相田さんはガラケー持ちだから、スマホじゃなくて未だにi-Podなんですね。そもそもここは、音楽掲示板ですらないんですけど。

    (相田)前のグレッグ・レイクの投稿では、今回限りとか言ったけどやっぱりさ・・・

    ーしょうがないですね。それで話したいロックのネタは何なんですか?

    (相田)ジャックス、って知っているか?

    ー ・・・・・・・

    (相田)絶句してるけど、どうやら知ってそうだな。

    ーまた、よりによって・・・。山下達郎でも、桑田佳祐でも、忌野清志郎でもなく、ジャックスですか?

    (相田)あの早川義男が、ボーカルで歌ってたジャックスだよ。

    ーでもジャックスの活動期間て、1967年から68年ですよ。相田さんの年代で、ジャックスなんか知る訳ないでしょう?

    (相田)俺が産まれて物心つく頃には、もう解散してたバンドだからな。でも出したアルバムも、たったの2枚だけだから、すぐに聴き終わるし、話もしやすいんだよな。

    ー・・・それで、なんで今頃ジャックスなんか持ち出すんです?

    (相田)音楽評論家で、松村雄策(まつむらゆうさく)さんているだろう?ビートルズのファンで、渋谷陽一と雑誌(ロッキングオン)で長年対談してた人でさ。

    ー僕等の対談もあれのパクリですからね。あちらは二人で、こっちは一人でやってますが。

    (相田)その松村さんがエッセイで、ジャックスについて書いてたのを、大学時代に読んだんだ。そこで松村さんは「ジャックスは、オリジナリティーに溢れた、日本のロックバンドの草分けだ。特に早川義男の歌がすごい」と書いていた。それを読んでずっと気になったんだ。

    それから数年後に、廃盤になってたアルバム「ジャックスの世界(1968年)」、「ジャックスの奇跡(1969年)」の2枚が、CDで再発されたんだ。で、早速俺はCDを買って聞いたんだよ。会社の独身寮で、音楽好きな同期入社の友達と二人でさ。

    ーで、どうだったんです?

    (相田)どうしたもこうしたも、最初の一曲目に流れてきたのが、あの「マリアンヌ」だろ。想像を超えた異様な歌と伴奏が、あまりに衝撃的でさ。寮の狭い部屋で、友達と二人で顔を見合わせながら、「ちょっと、これ、すごすぎるよな」と、呆れたことを思い出すよ。それ以来、二度と聴くことは無かった。早川の怨念の世界に引きずり込まれそうで、正直怖かった。

    俺も買ったアルバムを、中身がしょうもないから聴かない事は何度かあった。けど、恐怖を感じて聴くのをやめたのは、ジャックスだけだったよ。

    ー「ジャックスの世界」を最初に聞いて、衝撃を受ける人って、多いみたいですね。ハマる人と、二度と聞かない人と、パターンが別れるみたいですけど。

    (相田)俺の場合は後者だな。「こんなの勘弁してよ」て、流石に思った。それで、そのまま20年以上経ったんだけど、この間ネットで「ジャックスの世界」のレビューを偶然見かけたんだ。「時代を超えた傑作だ」とか、そこには書かれていた。「やっぱりそうなのかな?」と、俺も思い直したんだ。

    それで、しまっていた棚の奥から、CDを2枚引っ張り出して、聞いてみたんだよ。20何年ぶりに、清水の舞台から飛び降りる気持ちでさ。

    ー今度も、やっぱりオカルトの世界でしたか?

    (相田)それが、思っていたよりも、聴きやすい曲ばかりだったよ。早川の怨念に満ちた歌の迫力は、やっぱり凄まじい。だけど、楽器の演奏がとても上手いと思った。以前は、早川の声に圧倒されて、伴奏の良さに気付かなかったんだ。

    50年前のアルバムだから、演奏技術は今のバンドの方が格段に上だよ。でもジャックスは、楽器の出す音が上品で、とても気が利いた演奏だと思った。特に、木田高介(きだたかすけ)のドラムは上手いよな。

    それに楽器が、きちんとした旋律に従う演奏じゃなくて、アドリブ(即興)をかなり入れてるんだ。早川の歌は迫力は抜群だけど、旋律があるような無いような、ヘタウマ系の歌だろう?そのヘタウマの早川の歌を引き立てるのに、アドリブの伴奏がすごく機能していると感じた。演奏も歌も不安定だけど、全ての曲がバランスの取れた上品な音楽に仕上がっている。あの早川の歌の伴奏で、アドリブ演奏でここまで曲をまとめるのは、演奏者が相当に上手くないと出来ないと、俺は思う。

    ーへえ、今度はベタぼめなんですね。

    2. キング・クリムゾン ー 最強のアドリブ集団

    (相田)それで気がついたのは、俺がよく知っている、有名な洋楽バンドの演奏に、ジャックスは似ているんだよな。

    ー当時流行っていた、サイケデリック系のバンドの先駆けだって、よく言われるみたいですね。ベルベット・アンダーグラウンドやドアーズとかの。

    (相田)俺はベルベットもルー・リードも聞いたこと無いんで、よくわからないんだ。情け無いけど。ドアーズも曲は聴いてない。バル・キルマーが主役してた映画(1991年)をテレビで観ただけだよ。映画はとても良かった。オリバー・ストーン監督だったよな。

    ーメグ・ライアンのヌードが見れますからね。

    (相田)そっちの話じゃ無いよ。それで、サイケデリックバンドとは、ちょっと違う有名なバンドに、ジャックスは近いと俺は思った。それはズバリ、英国がビートルズ、レッド・ツェッペリンと並び誇るバンドの、キング・クリムゾンだ。

    ーえええ~~~?あの、プログレッシブ・ロックの頂点に君臨する、キング・クリムゾンですか?そもそも、グレッグ・レイクと早川の歌って、全然似てないでしょう?

    (相田)そりゃあたりまえだ。グレッグ・レイクと早川じゃ、歌の上手さは月とスッポンだ。でも、クリムゾンのスタジオアルバム(全部で7枚、ここでは1970年代前半まで)の中で、グレッグ・レイクが歌っていたのは、最初の2枚だけだ。仕方ないから3枚目からは、リーダーのロバート・フリップ(ギタリスト)が、ベースを弾く奴に取り敢えず歌わせて、しのぐ。けどそのベースも、アルバム毎にコロコロ変わるから、歌唱力には最早こだわらなくなるんだよな。後半のクリムゾンは。当時の日本で知られていた、メジャーな洋楽バンドで、一番歌がヘタなのが後期のクリムゾンじゃないか?あ、ピンク・フロイドのロジャー・ウォーターズの、歌のヘタさもいい勝負かもしれない。

    その代わりに3枚目からのクリムゾンは、純粋に楽器の演奏力で勝負する。それも普通に弾かないで、楽器間のアドリブ合戦の様相を呈するようになる。俺がジャックスと似ていると思うのは、こっちの方のクリムゾンだ。グレッグ・レイクが抜けた後の。

    ークリムゾンといえば、何と言っても、ファーストアルバム(クリムゾン・キングの宮殿、1969年)が大傑作として、あまりに有名ですよね。華麗なストリングス (本当はメロトロンというテープ装置)を使った、クラッシックの様式美で完成されたイメージがあります。この間亡くなった西城秀樹が、ライブで歌っていたとかで話題になった「エピタフ」も入ってます。

    (相田)俺が中学生の頃に、テレビで西城秀樹のツアー特集をやってて、「ヤングマン」なんかと一緒に、「コンフュージョン ウィル ビイ マイ エピタフ」て歌ってるのを、見た記憶がある。「こんなのやるんだ」と感心したのを覚えてるな。

    まあ、クリムゾンを聴く人間が100人いたとすると、ファーストアルバムしか聞かないのが、およそ90人だよな。その次のセカンドアルバム「ポセイドンのめざめ(1970年)」まで聴くのが、あと8人、残りの3枚目以降のアルバムまで聴くのは、100人のうちの2人くらいじゃないか?後半の方が、本当のクリムゾンなんだけどさ。

    かくいう俺も20代までは、クリムゾンはファーストアルバムしか、ちゃんと聴いた事なかった。クリムゾンのラストアルバムは「レッド(1974年)」だ。評論家の渋谷陽一が、昔ロッキング・オンで「レッド」を、「親の薬代を削ってでも買って聴くべき、傑作アルバムだ」と、書いてたんだ。高校生だった純朴な俺は、渋谷の話を真に受けて、「レッド」のLPレコードをわざわざ買って、家で聴いた。貧乏高校生で金も無いのにさ。そしたら、単調な演奏が延々と45分間続くだけの、全然盛り上がらない内容で、がっくし来た記憶がある。せっかく買ったから、我慢して何回かは聴いた。けども、お経を聴いてるような気分から、どうしても抜け出せなかった。そのまま実家にレコードを置きっ放しにしてたら、どっかに行っちゃった。

    「ファーストアルバムは凄いけど、後期のクリムゾンって、クソしょーもないバンドだな」としか、当時の俺には思えなかった。歌もヘタだったし。それでも30歳を過ぎてから、CDで「レッド」を聞き直すと、「ああ、そうか」と、良さがわかって来たよ。後期のクリムゾンの良さは、わかりやすい旋律や強烈なリフレインじゃないんだ。楽器のアドリブの細かな音の掛け合いと、重なりの変化を地味に楽しむんだよな。俺も20代になって、ジェフ・ベック(ギタリスト)の「ブロウ・バイ・ブロウ(1975年)」とかの、歌のない、楽器だけのアルバムを聴くようになったから、わかったと思う。

    やっぱり「親の薬代を削ってでも聴け」と言った、渋谷陽一は偉かったと、後から思ったよ。中学生にELPの「展覧会の絵」は聴けても、高校生が「レッド」を聴くのは、さすが無理があったな。

    3. 木田高介 ー 神業のマルチタスク

    ーそれでジャックスに話を戻しますが、そんなにクリムゾンと似てますか?

    (相田)アマゾンの「ジャックスの世界」のレビューにも、「演奏がクリムゾンを思わせる」という指摘があったから、俺だけの思い込みじゃないと思う。まずは、どっちのバンドもドラムが上手い。マイケル・ジャイルズ、イアン・ウォーレス、ビル・ブラフォードと、太鼓の達人が続くクリムゾンは別格だけど、音のセンスの良さなら、木田高介も引けを取らないレベルだ。木田高介は、東京芸大の打楽器課を卒業してるんだよな。そりゃ上手い筈だわ。

    ーでもドラムが上手いのは、プロだから当たり前ではないかと思いますが?

    (相田)その木田高介だけど、ドラムだけじゃなくで、フルートやサックスとかの管楽器や、ビブラフォンなんかの鍵盤楽器も弾くんだ。2枚目の「ジャックスの奇跡」になると、木田はドラムを後から入った角田(つのだ)ひろに任せて、自分は管楽器と鍵盤楽器だけの専門になる。この木田の管楽器がまた上手い。この時の木田は、何とまだ10代だった。メンバー全員が未成年の、才気溢れる若者達だったんだな。

    早川義男の歌は、旋律らしきものがほとんどない、情念だけの唱法だろう?ある意味、詩の朗読というか、よく言えばボブ・ディラン的な、単調な歌い方だよな。日本人なら中島みゆき系か?その単調な早川の歌に、木田の管楽器やビブラフォンが華やかさを加えるんだ。それも単純なリフレインの繰り返しじゃなくで、木田はアドリブで音をコロコロ変える。そのアドリブが、すごくセンスがいい。バンドの音に木田のアドリブが、深みを与えてるんだ。

    一歩間違えると、中島みゆきのダサイ世界に落ちそうな早川の歌が、オシャレで洗練されて聴こえるのは、木田のアドリブ演奏とアレンジの見事さだと思う。

    それでクリムゾンの方も、専門の管楽器奏者が、いつもメンバーにいたじゃないか?

    ーああ、そうですね。イアン・マクドナルドとメル・コリンズが、サックスとかフルートとかやってましたね。バイオリンしか弾かないデビッド・クロスもいましたよね。

    (相田)バイオリンしか弾かないレギュラーメンバーがいるロックバンドなんて、前代未聞だよな。彼等の、ロックでは普通使わない、特殊楽器を演奏するプレーヤーを入れるのが、クリムゾンのスタイルだ。特殊楽器のアドリブを入れて、演奏の深みを増すんだよ。クリムゾンは最初からそうだった。そうすると、ジャックスでの木田高介の役割は、イアン・マクドナルドやメル・コリンズと同じなんだと、俺は思う訳よ。

    早川義男の強烈な歌に最初はビビらされるけど、よくよく聴くと、ジャックスのスタイルは、キング・クリムゾンの演奏と同じなんだ。しかも、クリムゾンのデビューは、ジャックスが解散した1969年だからな。クリムゾンの前に、同じスタイルのバンドが日本にいたんだ、と思うと感慨深くてな。別にクリムゾンが、ジャックスの真似した訳じゃないだろうけどさ。

    ー確かに、「堕天使ロック」の後半にある木田のサックスを聴くと、「アイランズ」(クリムゾンの4枚目のアルバム、1971年)でメル・コリンズが吹くサックスに、似ている気がします。

    4. 変な邦題はさっさと直せ

    (相田)そうすると「マリアンヌ」の異様な演奏も、クリムゾンのファーストアルバムの、「21世紀の精神異常者」みたいなもんかな、とか、今になって思えるんだよな。

    ーもう今は「21世紀の精神異常者」って、書いたらダメなんですよ。「21世紀のスキッツォイド・マン」て言うんだそうです。怒られちゃいますよ、相田さん。

    (相田)一体なんで、そんなツマラン事を気にして、あの名曲の邦題を変えるんだ?何が「スキッツォイド・マン」だよ。精神異常者を精神異常者だと、はっきり書いてどこが問題なんだ?

    そんなの考える前に、アルバムの邦題の方を何とかしろよ。何が「ポセイドンのめざめ」だよ。wake を「目が覚めた」とか訳しやがって。本当の意味は「航跡」だから、「ポセイドンの航跡」が正解なんだろう?

    5枚目の「太陽と戦慄(1973年)」も、さっさと変えるべきだ。英題直訳の「ひばりの舌」の語感が悪いなら、そのままカタカナの「ラークス タングス」で、いいじゃないか。ジャケットの絵が太陽だからとはいえ、いくらなんでも「太陽と戦慄」という、英題と全く違う名前はやめろ。クリムゾンのリーダーのロバート・フリップが来日した時に、渋谷陽一のライバルだった評論家の今野雄二(こんのゆうじ)が、邦題の意味をフリップに告げ口した。そしたらフリップが、呆れて絶句したらしいじゃないか。全く恥ずかしいぜ。

    ーその次のアルバムの「暗黒の世界(1974年)」も、凄い邦題ですよね。英題は「スターレス アンド バイブル ブラック」ですけどね。

    (相田)「暗黒の世界」て、またおどろおどろしい語感だよな。まるで、早川義男が10人集まって、アカペラで歌うような内容を想像するな。でも意外に、キャッチーで聴きやすい曲が多いんだよな。曲の構成もクリムゾンにしてはゆるいし。後期のクリムゾンでは俺は、この「暗黒の世界」が一番好きだな。「太陽と戦慄」と「レッド」の方が完成度は高いけど、この2枚は何回も聴くと疲れるからな。

    こっちもせめて英題を直訳した、「星無き聖書の闇」とか、気の利いた邦題に、早く変えて欲しいぜ。「暗黒の世界」はあんまりだ。悲しいけど、クリムゾンのアルバムの邦題は、ほとんどが外れだ。

    ー僕は、ピンク・フロイドのリーダーだった、ロジャー・ウォーターズのソロアルバムの「死滅遊戯(1992年)」の邦題を変えて欲しいです。英題ままの「アミューズド トゥ デス」でいいじゃないですか。せっかくジェフ・ベックがギターを弾く、カッコいい曲も入ってるのに、あの邦題だと・・・

    (相田)ロジャー・ウォーターズが、黄色のボディスーツを着て、ヌンチャクを振り回す姿が目に浮かぶよな。「ロジャーの長いアゴに、ヌンチャクが当たると痛いだろうな」とか想像すると、曲に入り込めないよ。「曲の途中で、ボーカルが「アチョー」とか叫んだら、どうしよう」とか、気になって仕方ないぜ。俺たちはあの映画を、水野晴郎の水曜ロードショーで繰り返し見てるから、黄色のスーツが一生目に焼き付いてるもんな。映画を知らない若い世代の人達は、関係ないだろうけど。

    5. 最強の邦楽ロックバンドはこう作れ

    ーで、話が長くなりましたが、結局何言いたいんですか、相田さん?

    (相田)要するに、今回ジャックスを聴いて改めて感じたのは、日本語でロックを歌う可能性だよ。

    ジョン・レノンが撃たれる少し前から、洋楽ロックにハマった俺には、日本人がまともなロックをやれるなんて、不可能としか思えなかった。だって、郷ひろみや西城秀樹とか、ジャニーズならあの頃はフォーリーブスか、彼等アイドルがテレビで歌う海の向こうで、レッド・ツェッペリンやら、ディープ・パープルやら、ELPが演奏してるんだぜ。こっちでかかる曲は天地真理(あまちまり)で、向こうはピンク・フロイドの「原子心母(1970年)」とかさ。あの頃の、70年代の英米と日本のロック、ポップスのレベルの、彼岸の差は、どうしようもないと思えた。

    今、邦楽ポップスをやってる若い音楽家達は、洋楽より自分達の曲が劣っているとか、あまり思わないだろう。邦楽のレベルが上がったんじゃなくて、洋楽のレベルが前より下がったんだけど。

    それでも、邦楽の歌手達が歌う詞は、今でも俺には意味がさっぱりわからない。日本語の歌詞なんだから、ちゃんと意味があるんだろうと思う。でも、個々の単語は聞き取れても、全体の詞の内容が全く頭に入らない。

    俺が単に、流行りの歌について行けないだけかもしれない。けど、昔の忌野清志郎の歌詞は非常によくわかるよな。「雨上がりの夜空に」とか「ボスしけてるぜ」とかさ。あまりに歌詞がわかりやすかったせいで、原発反対ソングが社会問題にまでなっちゃったけど。

    その清志郎が、以前にタイマーズで「今の連中は、英語だかなんだか、さっぱり意味がわからない曲ばっかり歌いやがる」と訴えたことがある。今でも状況は全く変わらない。誰も変えようとしないんだよな。

    ーあれは、自分じゃなくでゼリーという別人だと、清志郎が言ってましたよ。

    (相田)清志郎によく似たやつが、タイマーズで歌ってるんだよな。

    それはともかく、日本人がロックを歌うなら、日本語のわかりやすい言葉でメッセージを発するべきだと、俺はずっと思う訳よ。歌詞の内容に意味が無いなら、所詮は洋楽の劣化コピーにしか過ぎないじゃん。

    しかし、俺も今になって気付いたのが情けないけど、日本語でロックを歌うバンドの、理想の一つと思える形が、実は50年前に既に存在してたんだ。早川義男という、清志郎を上回る情念とメッセージを発する歌い手と、一人でキング・クリムゾンをやってしまう木田高介の音楽センスが併さった、ジャックスというバンドが。

    清志郎の唱法は、黒人歌手の歌い方を日本語に置き換えたもので、リズミカルで軽快だ。対して早川の歌は、東アジア土着系の、どす黒い、重い情念に満ちている。演歌系と言ってもいい。どちらかというと早川の方が、日本人には訴える力が強いと思う。その早川の強烈な情念を、高度なセンスの演奏で美しい曲にまとめるのが、ジャックスだ。彼等が伝説のバンドといわれる理由も、わかるよ。

    清志郎以降の歌い手で、歌に力があると俺が思えるのは、ブルーハーツの甲本ヒロトくらいだよな。ただ、ブルーハーツは演奏があまりに単調すぎる。「トレイン・トレイン」が入ったアルバムは、最初の何回かは楽しく聴けるけど、回数を重ねると飽きるのが早いんだよな。甲本のバックの演奏が、ジャックスくらい気が利いていたら、曲の深みが全然違うだろうけどな。

    だから話は簡単で、まずは、強烈な日本語のメッセージを歌えるボーカルを見つけることだ。清志郎みたいに作曲は別に出来なくてもいい。早川は作詞さえも、他の女性にやってもらってたらしいから。次に、音大出てるけど、イマイチ芽が出ずにくすぶってる、腕の立つ演奏者達を集めて、バックに付ける。そして、歌に併せてアドリブで演奏をやらせれば、凄いバンドになるんだ。このわかりやすい(!!!)方法論を提示したのが、ジャックスの偉大な功績だよ。

    今だったら、例えば椎名林檎の歌い方を過激にさせて、バックにジャズミュージシャンのアドリブを入れたら、面白くなりそうな気がするな。彼女は、ジャックスを相当聴いてるだろうし。当然だけど。

    ー・・・・なんか最後の方は、話がだんだんテキトーなりましたね。でも、音楽性は高度かもしれないけど、そんなバンド、果たして売れますかね?相田さんみたいな偏屈なリスナーしか、レコード買いませんよ。今は配信だっけか?

    (相田)確かにそれは大問題だ・・・・・。どんなに屁理屈をこねた処で、ポップスは売れなきゃおしまいだからな。ジャックスがアルバム2枚で解散したのも、全く売れなかったからだもんな。レコードの枚数自体が少ないから、凄いプレミアがついたんだよな、ジャックスは。

    ーあと、あんまり尖った奴ばかりバンドに集めても、仲悪くなるんじゃないですか?人間関係最悪で、すぐに解散しそうですけど。

    (相田)だからクリムゾンは、アルバム一枚作る度に、フリップ以外のメンバーを総取っ替えしてたんだろう?「レッド」になると、フリップも流石に疲れてきて、一回クリムゾンを解散しちゃうけど。まあいいじゃん。いまのバンドみたいに、女性タレントと不倫して話題になるより、真面目に音楽やって歴史に名が残れば。花の命は短くとも、さ。

    ー・・・・最後にまだ何か言うことあります?

    (相田)ロックを聴く奴はリベラル系の左翼と相場が決まってるけど、「右の方にも真面目に音楽を聴くのが居るぜ」、てのを言いたかったのかな、俺は結局は。

    ーそれなら前に、黛敏朗(まゆずみとしろう)さんという、偉大な右翼の音楽家がいらっしゃったじゃないですか。

    (相田)いいや、あいつと一緒に扱われるのは、やっぱり俺は嫌だな。

    ー向こうも墓の下で、同じように思ってますよ。

    相田英男 拝

    タイトル
    あまりにレトロな日英最強バンド対決
  20. 5980
    2018-01-12 18:15

    第一章 映画館の終わりの終わり

    ひっそりと、日本最大のIMAX(70mmフィルム上映が、できる)スクリーン映画館(スペースワールド・ギャラクシーシアター)が、終わりを迎えた。
    第二章 映画館の終わりの始まり

    シドニーIMAXシアター 2019年
    https://www.imax.com.au/ 

    東池袋一丁目シネマコンプレックスプロジェクト2019年

    IMAXシアターが、続々開館するとなると。映画館に行かずには折れないのではなかろうか。
    最終章 
    70mmフィルムを上映(商用上映)する 日本の映画館は、できないと思う。タダでさえ日本のシネコンは、2K(ブルーレー画質)だからまず無い。最低でも4K(35mmフィルム画質)にしてほしい。コダック復活か?

    Changes at IMAX Melbourne and the re-installation of the IMAX 1570 GT projector
    https://www.youtube.com/watch?v=3uYhUOUHVfQ

    タイトル
    日本最大のスクリーン静かに消える。
  21. 7721 中西
    2016-12-24 10:15

    シン・ゴジラに続いてのレスです。相田さんとは趣味が合うみたいです。

    そうですか、グレッグ・レイクもキース・エマーソンも死んだんですか。僕も大ファンだった
    んで残念です。
    僕は、高2まではビートルズ聞いてましたけど、高3~浪人の時はELPばっかり聞いてましたね。
    ELPのLPは全部持ってます。後年、電化マイルスの方をよく聞くようになったけど、圧倒的に
    よく聞いたのは、ELPでしたね。
    展覧会の絵は、当時NHKでも放送されて格好良かった、3人とも。やっぱ僕はキースが一番好き
    だったけど。

    渋谷陽一さんも、今はそんなことやってるんですね。まあ今では化石のような活動っぽいです
    が、彼も知的でちょっとすねてて格好良かったなあ。

    ※相田さん、本業の原発論文、非常に面白いです。いつも良く読んでます。特に、12月17日の
     重掲の書き込みはすばらしかったと思います。是非続編をお願いいたします。

    タイトル
    ELP
  22. 相田英夫
    2016-12-11 17:55

    相田です。以下は映画の話では無いのですが、サブカル投稿のついでに今回に限り御容赦ください。

    +++++++++++++++++++++++++++

    グレッグ・レイクが死んだ。エマーソン・レイク&パーマー(ELP)というロックバンドが昔のイギリスにあり、そこでボーカルとベースをやってた人だ。音楽に興味がない方にはどうでも良いことだが、ELPは日本でも人気が高かった。72年位に当時の洋楽雑誌の代表だったミュージック・ライフの年間人気投票で、レッド・ツェッペリンを抑えて1位になったこともある。

    ELPというバンドは、キーボード、ベース、ドラムの3人で、メイン楽器のギターがいないという変則的な編成だ。何でギターが無くてロックがやれるかというと、キーボードプレーヤーが、ロック史上No.1のテクニックを持つキース・エマーソンだからだ。彼は指が速いだけでは無く、オルガンの音を意図的に歪ませて「バリバリ」と弾くことで、エレキギターのリフよりも荒々しく分厚い音を鳴らしていた。

    キースの凄さは音だけではなく、演奏中にオルガンを倒したり、上に乗ったり 、ナイフで刺して鍵盤を壊したりするという、過激なパフォーマンスも有名だった。ジミヘンやリッチー・ブラックモア(古い!!)がギターを壊すように、ステージでキーボードをバラバラにするのだ。エンターテイメントに徹する処もELPの魅力だった。

    シンセサイザーを全面的に使い始めたのもキースだ。開発当初のシンセサイザーは、一つの部屋を丸々占領する馬鹿でかい実験装置だった。そのシンセサイザーをライブで使い始めたキースが、音を安定して出せるようにできないかと、発明者のムーグ博士に相談した処、シンセをステージで使うことなどあり得ないと、最初は相手にされなかったらしい。しかし、ELPのライブでキースの凄まじい演奏を見て感動したムーグ博士は、彼の全面的なアドバイザーとなり、シンセの能力が大きく向上したそうである。

    ELPでのキースの狂気のキーボード・プレイに対して、優しく穏やかで、しかし力強い響きでバランスを取ったのが、グレッグ・レイクのボーカルだった。グレッグ・レイクはものすごく歌がうまい。彼の歌の上手さは、エルトン・ジョンと同等かそれ以上だと思う。グレッグは超名作として知られる、キング・クリムゾンのファースト・アルバムでもリード・ ボーカルを務めている。次の2枚目のアルバムの製作途中で、グレッグはクリムゾンを脱退してELPに加入するのだが、代わりのボーカルとして当時は無名のエルトン・ジョンが、候補に挙げられていたという。エルトン・ジョンがグレッグの代役だったのだ。凄い話である。

    私が中学生の時に、最初に自分でお金を出して買ったレコード(LP)は、ELPの「展覧会の絵」だった。かのクラッシックの名組曲から数曲を選んで、間をアドリブ演奏で埋める単純な構成だが 、内容は凄まじい。何とライブ演奏であって、レコード化する際には後から音を全く加えていないという。

    今、聴き返してみると「キエフの大門」でのグレッグの歌が凄い。あの有名すぎる旋律に歌詞を付けて歌うのだが、原曲の格調の高さにグレッグの歌は全く負けていない。何という歌声だろうか。比べて悪いが平原綾香の「ジュピター」とは、レベルの差が月とスッポンである。

    私が買った時のLPレコードの値段は2500円で、中学生には結構な大金だったが、迷いは無かった。ちなみに私の家にはステレオセットが無く、姉が友達からダビングして来た、90分カセットテープの「展覧会の絵」を繰り返して聞くうちに、どうしてもレコードが欲しくなったのだ。(ちなみに裏面にダビングしていたのは、ピンク・フロイドの「狂気」だった)それで私は、買ってきたLPレコードのジャケットを眺めながら、カセットテープの録音を聴いて悦に耽っていたのだった。思い返せばアホであるが、それでも楽しかった。昔のLPレコードはジャケットも味があるんだよね。親に頼みこんで安いステレオセットを買ってもらったのは、1年以上後だった。

    私の友達が、当時の最新のパイオニア製のステレオセット(私のやつの2倍以上高価なヤツ)を買っていたので、何回か「展覧会の絵」のLPを持って行ったことがある。ジャケットが綺麗なので、最初は期待した友達だったが、かかった演奏は暗く妖しい内容だったので、聴いた後は落ち込んでいた。もう持って来るなと友達に言われたものの、しつこく何回か持って行ったと思う。3年くらい経った後でその友達から、「実は自分でも 展覧会の絵 を買ってしまった」と聞いた時には笑ってしまった。何回か聴かされるうちに、友達もはまったのだった。

    ちなみに、私の洋楽ロックの聴き方は、評論家の渋谷陽一の影響を強く受けている。私は今でも渋谷陽一のファンである。「ロックとは白人が黒人音楽を批評的に分解して作った音楽だ」と、日本で広めたのが渋谷陽一の最大の功績だ。ロッキング・オンを最初に読んだ中学生の時には、何のことかよくわからなかったが、音楽を聞くうちになるほどと思うようになった。宇多田ヒカルがデビューした時に私が直感で思ったのは、「女子高生にブラックミュージックを歌わせる」というコンセプトが新しいのだ、ということだが、これに気付いたのも渋谷の影響だ。今では宇多田もオバサンになってしまったが・・・・

    今回のアメリカの大統領選挙の時には、マドンナやらスプリングスティーンやらレディ・ガガなどの、ポップスターのほとんどがヒラリーを応援したにもかかわらず、軒並み討ち死にしたのは大変可笑しかった。彼らは音楽のルーツに黒人音楽を持っているため、リベラルに傾き易いのだろうか。それに対して、テイラー・スウィフトというカントリー系の美人歌手だけは、ヒラリー支持を表明せず、政治的に中立を保ったため評価が上がった、そうである。カントリーは田舎で暮らす白人達に愛される音楽なので、ヒラリーを支持できなかったのだろう。私はテイラー・スウィフトの歌を未だに聴いたことがない(!!)が、写真で見ると確かに美人である。彼女は今のアメリカの女の子達のあこがれの的らしい。

    渋谷陽一は、音楽や映画雑誌の出版以外に、政治を議論する「Sight」という雑誌を出版していることを、私が知ったのは最近である。雑誌の論者をながめると、古賀茂明、内田樹、飯田哲也、宮崎駿 などの反安部政権、反原発を訴えるバリバリの左派が並んでいる。渋谷陽一の政治主張が今の私の考えとは間逆であることに 、最初は複雑な心境だったが、私の渋谷に対する見方が変わることは無かった。音楽についてはいざ知らず、政治思想の理解に関しては、渋谷よりも私の方が遥かに上を行く自負がある。前にも書いたが、「覇権アメ」「日本永久占領」「歴史の終わり」を熟読した後では、ちまたに横行する左翼論者の主張など、アホらしくて聞いてられないレベルになってしまった。渋谷は上の3冊のどれも読んだことは無いだろう。

    私は忌野清志郎の大ファンでもある。渋谷の今の活動は、清志郎の思いを受け継ぐことは明らかだ。原発推進論者の私が清志郎を聞くのはおかしいのだろうか、と今でも時々自問することがある。清志郎が死んだ時には私も凄く悲しかったが、その後の3.11の騒動に巻き込まれずに済んだことは、清志郎には幸いだったろうと思う。

    渋谷陽一のELPの評価は「マジメさと娯楽性を追求しする素晴らしいバンドだ」と肯定的である。今年は先にキース・エマーソンも銃で自殺していたのだった。キースの自殺を知った時には、自分は特に何も感じることは無かった。多分、実感が湧かなかったのだと思うが、グレッグの死を知った今では、流石に切ない気持ちが湧いて来るのがわかる。ああ、もうELPは存在しないのだ。残ったカール・パーマーには悪いが、太鼓だけいてもしょうがないよな、それにもう、展覧会の絵 の時のような太鼓も叩けないだろう、と思う。ストーンズのチャーリー・ワッツはあれでもいいんだろうけどさ。

    グレッグ・レイクの死によって、ELPが終わったこと、そして心の中に残っていた青春の欠けらが無くなったことに、自分が気付いたのは昨日だった。

    相田英夫 拝

    タイトル
    グレッグ・レイクの死と私の青春の終わり
  23. 相田英男
    2016-10-10 21:56

    相田です。
    しつこいですがシン・ゴジラです。

    今日ようやくTOHOシネマズで観直すことができました。
    偉そうなことばかり書いていますが、実は今日が2回目でした。

    前に重掲で書いた自分のコメントが、あれでよかったのか少し不安だったのてですが、観終わった後の感想は最初時と全く変わらず、むしろ政治的メッセージが前回より強く感じられました。

    何といっても2度目の今回の方が、前半の「蒲田くん」が暴れるシーンの恐怖感が増していました。あれは別に単なる特撮シーン過ぎないのですが、記憶の中にすり込まれた3.11の状況が重なってしまうため、「所詮作り物だ」と突き放して観ることがどうしてもできないのですね。制作者達の造った映像以外の「モノ」が、画面の裏側から強烈な圧力を観る者に与えるのを感じました。普通の映画は見直す度に、印象が薄くなって行くものですが、この映画だけは繰り返すと インパクトがより強烈なります。

    なんか70年代のプログレッシブ・ロックの名盤を、初めて中学時代に聴いた時の印象が、イエスの「こわれもの」や、キング・クリムゾンのファースト・アルバムや、ELPの「展覧会の絵」なんかを、繰り返して聴いた時の感じが、観終わった後で久々に思い出されました。映像の裏にいろんな「モノ」が取り憑いているんですよね、この映画。

    藤森先生が「君の名は」が仕掛ける「陰謀」についてブログで書かれていますが、僕も全く同感です。あのアニメ映画は、シン・ゴジラが発する毒々しい影響を中和するために、体制側が一大キャンペーンを打っているとしか思えません。今回わかったのは、小林よしのり氏が体制側を攻める振りをしつつも、シン・ゴジラのネガティヴ・キャンペーンに加担して、毒を打ち消す側で尽力していることです。

    「ゴジラに政治的メッセージを加えることなど許さん」と怒りながらも、自分はこれまでにマンガを使って、政治主張をさんざん繰り広げて来たのではないのですかね?サブカルを散々政治主張に利用しながら、他人が同じことをやるとボロクソに貶すとは、いったいどういうことか?島本和彦 みたいに「俺より面白いモノ作るんじゃネエ!」と叫ぶ方が、まだ正直で許されると思える。単に自分の作品を越えた物が出て来てしまったので、焦っているのか、はたまた体制側の別働隊で毒消しに奔走しているかのどちらかでないのか?あの人は。

    ちなみに場末の映画館ではあったが、今日も3/4以上の座席が埋まってたよ。怪しげなオタクリピーターなど誰もおらず、落ち着いた大人の客ばかりに見えたけどね。私は別かもしれんが・・・

    相田英男 拝

    タイトル
    実は今日でまだ2回目…
  24. 相田英男
    2016-09-26 00:16

    相田です。
    中西さん、どうもです。

    さて以下は、炎上必至でしょうが、小林よしのりのシン・ゴジラ評への私の反論です。
    http://yoshinori-kobayashi.com/11382/

    小林よしのりの「ゴジラは神の化身であり、生物として扱うなどもっての他だ」という批判については、自分にもわからないでもない。しかし、物心ついた時に観に行った「対ガイガン」の中で、ゴジラとアンギラスが吹き出しを使って会話するという衝撃的(笑劇的)な場面を見せられた、我々アラフィフ世代には、ゴジラが神格化した存在であるなどの認識は、ハナから頭の中にはないのだ。

    ゴジラに怖さがあったのは、ザ・ピーナッツが歌を披露した「モスラ対ゴジラ」までで、それ以降は間の抜けた情け無い顔付きとなり、しょうもない怪獣達とプロレスを繰り広げるだけだったではないか。平成シリーズになって以降も、沢口靖子、釈由美子、阿部寛、といった錚々たる役者達が主演するも、次々と討死にする情け無い内容だったろう。(金子修介監督のやつは見ていないが、「平成ガメラ」と同じレベルならば、これだけはまともな怪獣映画なのだろう)

    そんな中で登場した「シン・ゴジラ」は、映画としてもう十分すぎるレベルの内容ではないか。これに文句をつけるならば、今迄のは一体何だ、ということになる。シン・ゴジラを海外上映しても受けないだろう、とはいうが、それならば「メカゴジラの逆襲」をグローバル展開したら(してたら)、大ヒットしたりするのかね?

    オタクが集まって盛り上がってるだけに見えるかもしれない。確かに映画の中には、サービスのためのオタクネタは多々入れてあるものの(ゴジラが「イデオン」の技を使うみたいに)、一番の核心は、「属国日本がアメリカからの独立するための処方箋」について、分かり易く解説している処にあるのは、明らかではないのか?

    「反米」では無くて「属国らの脱却」が本当のテーマではないのか。

    「こうやれば日本がアメリカから独立できますよ」、なんて映画を外国に持ってっても、別に誰も見たくないよね。 ノンポリの日本人は絶対に見るべきであっても。

    さて、ネットを見て知ったのだが、ゴジラに熱核兵器を使うという今回の展開は、この映画のオリジナルでは無くて、「帰ってきたウルトラマン」の序盤のハイライトだった、グドンとツインテールの話に由来するそうである。私はリアルタイムに近い時にあれをテレビで観ており、ストーリーを空で辿ることが出来る。

    2大怪獣の挟み討ちによりウルトラマンが敗北したため、東京は壊滅的な被害を受けてしまう。怪獣を殲滅する最後の手段として、小型水爆と同じ威力を持つスパイナーと呼ばれる強力爆薬の使用が決定されるが、東京が廃墟と化すことも必然となる。MAT(怪獣攻撃隊)はスパイナー使用前に、怪獣の弱点への至近距離からの攻撃を主張し、火器を携帯したMAT隊員達がJEEPに乗って怪獣へ接近して攻撃を試みる、という話だった。

    振り返るとこれは、シン・ゴジラの終盤の展開とそっくりではないか?! 核攻撃を指示するのが、日本政府上層部か、アメリカ(国連軍)かどうかの違いでしかない。

    ウルトラマンのこの回のシナリオを書いたのは、上原正三さんという沖縄出身の脚本家だった。大平戦争で故郷を焼かれた上原氏は、その怒りと怨みをぶつけるために、ウルトラマンの中で怪獣達に東京を何度も蹂躙させた、という話を読んだことがある。

    40年の時間を経ることで、戦争で故郷を焼かれた怒りが、属国からの独立を目指す決意として、受け継がれていったということだろうか?シン・ゴジラはオタクの内向きの盛り上がりだけの映画ではないよ。

    相田英男 拝

    タイトル
    元ネタはウルトラマン
  25. 7721 中西
    2016-09-24 10:24

    皆さん
    相田さん

    昨日、4回目見ましたよ、シン・ゴジラ。藤森先生よりは少ないです。

    なんで4回も見るのか?
    尾頭さんをまた見たいからという訳ではない。(少しはあるが)

    この映画、メッセージ性で見たい訳ではなく、見ると脳が凝縮されるような感覚になるんで
    見たいようだ。

    俳優たちがアップで次々と変わって早口でしゃべりまくる。しかもあの長い肩書の字幕付き。
    あのセリフと字を同時に一生懸命頭に入れようとしている感覚が、本当に脳が凝縮されている
    みたいなのだ。(副島先生の本を読んだ時にそういう感じになったことがある)
    ついてこれない奴はついてこなくてよい、という潔い感じが非常に良い。

    すみません、藤森先生と同じようなコメントで。

    そろそろ上映している映画館も減ってきているみたいなので、見てない人は是非。

    タイトル
    Re: またもやシン・ゴジラ
  26. 相田英男
    2016-09-22 20:29

    相田です。
    見つけましたよ、中西さん。

    コメント頂きありたいです。
    TOHOシネマズでは、まだやってるんですよね、シン・ゴジラ。
    ここのみなさん、あまり見てないのかな?来るものありますよね、あの映画。

    石破茂や田原総一郎までコメントし出したシン・ゴジラですが、評価の内容が見た人の踏み絵みたいになってるのが可笑しいですよね。怪獣映画なのにさ(なんてね)

    結局あれの一番のキモは後半部のストーリーで、危機に陥った属国日本 に対して、宗主国のアメリカ様は迷うこと無く原爆を落として、東京を焼き尽くそうとする。それに対して属国(植民地)の原住人達が、無い知恵を振り絞って自分達の国土を守ろうとする。その駆け引きと、宗主国様を出し抜く過程を寓話として描いてる処ですよね。

    こんな話をよくも入れ込めたもんだと。

    小林よしのりは、体制側がこの映画を政治利用してるとか批判してるけど、「どうぞ、バンバンやって下さい」だよね。心配御無用だって。ハッキシ言ってゴジラなんか別にどうでもいいんだよね、実の処は。日本がアメリカ様から自立する方法を子供達に分かり易く説明するのが、この映画の本当の狙いなんだから。自衛隊がやたらと活躍するのも、本当の狙いをゴマかすための煙幕にしかすぎない。わかっとるんかね、アホ左翼達よ。

    とはいえ、監督は別に、政治的主張を狙って入れた訳じゃないんだろうなあ。映像作家としてゴジラを追求したら、結果としてこんなになっちゃったんだよね、多分。それも凄い話だけど・・・。

    この映画の続編はもういいよ。次は単なるゴジラが出るだけの映画になっちゃうもん。こんな突き詰めたストーリーは、2度はないよ。

    相田英男 拝

    タイトル
    またもやシン・ゴジラ
  27. 7721 中西
    2016-08-27 20:39

    重掲には書きずらかったんでこっちに書きます。相田さん見つけてくれるかなあ。

    いやあ、シン・ゴジラ見ましたよ。昨日二回目。
    必要なことはすべて重掲の相田さんが言ってくれるんでそっちを見てください。

    二回目行った理由は、まあ見た人はわかると思うけど、情報量が多くて一回目には
    画面で圧倒されるんでセリフが全部理解できなかったから。
    さすがに二回目は言葉の意味がよくわかったね、

    とにかくこの映画は必見。僕も藤森先生みたいに三回目以降もありそう。

    <外国(彼の国他)にはぐずぐずしながら頭下げたりしたふりしながら、日本の国
    は僕らが守るんだ>

    タイトル
    シン・ゴジラだよ
  28. 5980
    2015-03-18 12:18

    ドラマの設定について

    「世界中に無人機が飛び回っている」

    「大統領が、アルツハイマーで頭を手術している。副大統領が主任する可能性」

    「今、話題のプロポフォール(麻酔薬)が出てくる」

    「容疑者への尋問(もう、薬物でどうのこうのは、終演か)」
     8:00pm-9:00pm    26分42秒~28分36秒

    タイトル
    「24リブ・アナザー・デイ 」
  29. 5980
    2015-01-19 20:35

    映画「渇き。」2014年

    この映画は、精神薬や麻薬が、脳に作用する様子をカットバックの手法を使って痛みからの解放やら悩みの解放を劇中に延々映し出している。

    薬物(何も知らずに服用して半殺し状態にある人たち)の入り口から出口までを描いている。

    薬=愛だとしたら簡単にやめられないだろう。(今、はやりの薬の擬人化ですね。)

    最後どうなるか「わ・かっ・た・な。」(DVD『2015年、世界は平和か戦争への岐路に立っている』1時間31分8秒)ということか

    デヴィ夫人「ちんぷんかんぷんな映画」でもちゃんとわかっていた。
    http://youtu.be/sI_w3f0Ewng

    タイトル
    まさに「    」と言っていかんのか
  30. 5980
    2014-10-03 20:55

    「あの~~」
    http://www.dropbox.com/s/wkm9xh8h1wn4e4z/miyazaki.mp4

    「殺し殺され 400年」
    http://youtu.be/WLbCS6fGlcA

    「ワーグナー「ワルキューレの騎行」のメロデーが」
    http://youtu.be/zI65FSXGrec

    「シュプレヒコール RADWIMPS MV」
    http://youtu.be/AyFVBhLS4ak?list=UUIVqvhyo8ttjYOmMJuhq_YQ

    タイトル
    宮崎駿監督が、言わんとしていること