映画なんでも文章箱
◆メッセージ◆
65件の投稿があります
この掲示板への参加資格は、『アメリカの秘密』と『ハリウッドで政治思想を読む』との2冊をお読みになっていること、のみです。
映画に関する皆様のお話しをお待ちしております。※作品のストーリーを書いて論じることなども、特に禁止しておりません。作品鑑賞の前にストーリーを知りたくない方々も、自己責任で、当掲示板とお付き合い下さい。
「いつも捜し物ばかりだ。」
「答えがないからだ。」
「不公平さが当たり前なんだ」
「母は6歳の私にたいしてー”わかるように話せ”と」
「学歴も資格もないのだから すべて独学だ」
「30年来の仲間を一瞬でクビしたりもする”向上心を失った時点で終わりだ”」
「”古き良き時代”などはない ”常に変わっていくもの”」
「ひとつの考えに凝り固まると先には進めなくなる」
LAGERFELD CONFIDENTIAL (2007年)
http://www.youtube.com/watch?v=KAFLcp27Ty4
ELLE TV JAPAN
http://youtu.be/vhD7WN8XzvU?t=1m11s
日本にも君島一郎ていたよ
PCだけあれば良い。
Swordfish 2001年制作
http://www.youtube.com/watch?v=sRndPJxvGIQ
人を騙すには、何もいらない。
The Wolf of Wall Street 2013年制作
逃げ足が、早いに越したことはない。ということか。
キューブリックの映画を分析しているこの映画はなかなか興味深い。
ルーム237は月面にいる宇宙飛行士を撮影している部屋だと・・・
いつか人類が月には着陸していないことが暴かれる日がくるかもしれませんね。
『キャロライン・ケネディと安倍晋三』のDVD(2倍速再生でも、理解できる。)
この地上に、答えなんか無いんです。自分で考えなさ~い。かつ、答えなんか無いんです。
サカナクション – グッドバイ (MUSIC VIDEO)
http://www.youtube.com/watch?v=kt5-Al0CMuk
アルコールに魂を売ったとしても・・・
http://www.youtube.com/watch?v=aT32eTWtv18
帰る理由
http://www.theperennialplate.com/episodes/2012/10/episode-105-from-japan-with-love-and-dashi/
Contact 1997年制作
http://www.youtube.com/watch?v=SRoj3jK37Vc
この映画の後半の部分が、ま~で(まるで)「人類の月面着陸は無かったろう論」裁判をしているように見えます。
最後の部分が、とってつけたような結末でとても良い。
件名でこう書けば、45歳以上のロック好きはすぐわかると思います。
そう、映画「ウッドストック」のトリで、ジミヘン(ジミ・ヘン
ドリックス)が演奏したアメリカ国歌です。
当時、この壊れたアメリカ国歌でベトナム戦争を痛烈に批判した
と言われていましたが、40年以上先の今の壊れゆくアメリカを予
言していたような気がします。
ジミヘンは副島先生と同じ、予言者だったのではないでしょうか。
ところで、ジミヘンって、生きてたらいくつだ?
http://www.youtube.com/watch?v=wt3cYpFLJiM
映画『図書館戦争』をこの前観て来た。怖かった。
映画『図書館戦争』公式サイト
http://www.toshokan-sensou-movie.com/index.html
今風の言葉でいえばキモオタ(気持ち悪いオタク)である出版社勤務の馬締(まじめ=松田龍平)に,彼の下宿先のおばさんの孫娘である香具矢(かぐや=宮崎(さきは立つ)あおい)がなぜ惹(ひ)かれるのか、そこにちょっと引っ掛かりました(松田龍平が気持ち悪すぎる)が、良作です。ちょっと後半間延びした感じもありましたが、観に行って後悔することはないと思います。私としてはもうひとつくらい辞書作りの苦労話があって良いのかなと考えました。
※もしかしたら、ここでは「崎」の変字体が反映されず、文字化けするかも知れません。
辞書の監修役を務める国語学者・松本を演じる加藤剛、その妻役の八千草薫、長年、出版社で辞書編纂(へんさん)してきた荒木役の小林薫、先述の下宿のおばさん役の渡辺美佐子など、年配の役者さんが見事な演技でした。顔の皺(しわ)、白髪それ自体が素晴らしい。若い頃のスタローンやシュワルツェネッガーが筋肉で観客を圧倒していたのと同様に。
※少し余談になりますが、池脇千鶴が31歳という歳の割には老けて見えるのが気になりました。大酒飲んで煙草吸って…という不摂生な生活を送っているのではないかと少々心配になりました。
辞典の編纂には膨大な時間を要する。その歳月の経過というのが、この映画の見せ所になっていて、老いた加藤剛が更に老い、定年を迎えた小林薫が老境に達する。同時に若者言葉も変化し続け、編集者も研究を怠(おこた)ることが出来ない…そのあたりの描写が巧みでした。
恐らくキネマ旬報では上位に食い込むでしょうし、出演者の誰かが主演賞、助演賞受賞しても不思議ではない。まだ上映中なので、興味のある方、ご覧になってはいかがでしょうか。
新聞連載小説をリアルタイムで読み、単行本が出て再読しました。
実は、単行本ではかなり改編されていました。連載時は世之介が、将来鉄道事故にあって死ぬんだろうな、と匂わせて終わり(駅のホームで、風に飛ばされた女の子の帽子を危うくキャッチするのがラストシーン)ですが、本では死後の祥子と世之介の母のやりとりで締めくくりになっています。
新聞連載の方が私は好きです。
まあ最後まで付き合ってやるか、みたいな気持ちで観に行きました。
小説をすべて映像化することは困難であり、ディテールをかなりカットする必要があるのですがが、脚本が原作のエッセンスをうまく掬(すく)っていたと思います。バブル期にバブルとは気付かないで過ごした懐かしさに溢れています。
愛を告白した祥子が照れてカーテンに隠れてしまい出てこないという場面が小説のクライマックスです。それまで存在感の薄かった祥子が読者を引きつけます。2010年度の本屋大賞3位でしたが、小説のファンは恐らくこの場面がお気に入りでしょう。蜷川幸雄監督「蛇にピアス」(評論家に映画を舐めるなと酷評されたし、確かに観られたシロモノではなかった)で、既に高良健吾(世之介役)と共演し、ヌードまで披露してしまっている吉高由里子が祥子役だけに初々しさが出るか心配だったが無難にこなしています。上手い役者です。
主役の高良健吾が達者になったと思います。男を手玉に取りながら世を渡っている千春役の伊藤歩が上手かった。この人が10代の頃から私は注目しているけれど(岩井俊二監督「リリイシュシュのすべて」)、輝く脇役に成長しました。
この映画とは関係ないが深津絵里も子役の頃から見てきた女優。周りの子役達よりも一枚上手で光っていました。そういう原石を見つけるのも映画の楽しみです。
佳作です。
大城義和です。
ゴダール高速ハイウェイ、という、映画評論を書きます。
ゴダール映画史を、視覚する知覚のパーソナル性、アーキテクチャ・コンポジションによる、シネマ・グラフィックデザインの前衛性、すなわち、ゴダール映像は、超高速関数的建築を暗喩するプロセスにおける、記号プログラミングである。映画史での記号論は、ナム・ジュン・パイクの、未来TVをイメージさせる、その音響的シニフィアン/シニフィエは、ゴダールという、パーソナルな声と、構成的な音声を、ネットワークし、エレクトロニック・ダイアローグする、電子機械的思考で構築する。ゴダールは、映像を音楽する、シネマというコード、それは、ハイウェイ連想する、そして、ハイテクノロジーと連結する、音楽的映像建築の暗喩である。ゴダールの映画史は、モダン・サイエンスの方法論で、シネマが再構築され、また、再構成される、そういう、速度やスピードのゲームでもある。知覚を視覚する、イメージとハイ・イメージの、オーガニックは、建築的関数と近似する超高速記号論である。
大城義和拝
大城義和です。
映画映像論を書きます。
電子頭脳パーソナル・コンピューターによる、オーガニック・ネットワーク思考は、ジャン=リュック・ゴダール映像を、リアルタイムMIX/RIMIX処理する、そんな、知性の海アーキテクチャ・プログラミング・ゲーム。知性とは、分類作業において、法則性を発見する、つまり、アンドレイ・タルコフスキーのノスタルジアやサクリファイス、惑星ソラリスと、ジャン=リュック・ゴダールのウィークエンドや気狂いピエロ、ゴダールの映画史、ベルナルド・ベルトルッチの1900年、暗殺の森、ラスト・タンゴ・イン・パリは、パーソナル・コンピューター・メディアでの、建築映像における、電子言語=アーキテクチャ構成言語のGraphical User Interfaceとして、ヨーロッパ・シネマが成立する。ヨーロッパ映画は、パーソナルなメディアの、コンピューター・シミュレーションを可能にし、過去-現在-未来ハードウェア/ソフトウェア/ネットワークにおける、情報=データのアーキテクチャ=サブジェクト・オブジェクトでの、ハイテク・パーソナル・システム、すなわち、ヨーロッパ・シネマとは、そういうことだ。ルキノ・ヴィスコンティの、地獄な堕ちた勇者ども、イノセント、家族の肖像、これらは、立体的思考における、3D眼のイメージと、時間軸/空間軸の、インフォメーション・テクノロジー・イメージが、複雑に再構築され、超複雑に再構成され、共同幻想を解体する、パーソナル・メディア・イメージの、仮想Central Processing Unitの、プログラミング・モデル=リアルタイムMIX/REMIX、つまりは、感覚と感性の情報通信革命=ハイ・イメージである。ジャン=リュック・ゴダール知性の速度は、超関数的高速度だ。
大城義和拝
2012年アカデミー賞授賞式概況をNHK再放送でみた。
すべて字幕が丁寧に作成されていた。
助演女優賞は、「ヘルプ-心がつなぐストーリー-」のオクタヴィア・スペンサーという黒人女性だった。
感動的な受賞シーンが終わった後、
なにか不自然さ、違和感を覚えたのは、この受賞シーンの直後の、一見、おちゃらけた小話であった。
白黒画面に変わり、昔の、なぜか、「オズの魔法使い」の試写会の設定で、
「オズの魔法使い」がTheEnd、となった画面から始まり、
この映画を視聴した後の、紳士淑女に今みた映画の感想を質問する
シーンが映し出された。
紳士淑女は、「なぜ大人をださないのかしら」、「最初に出てきた農民を途中でも出すべきだ」、
「猿をだすべきだ」、「猿も今後、出るようになるんじゃないのか」、猿、猿、Monkey、monkey
を連発している紳士がいた。
monkeyはおそらく日本人をさしている。(と、感じた)
黒人女性が受賞した後は、今度は、日本人じゃないのか?、とでもいいたげなストーリーライン。
なぜオズの魔法使いか、また、monkeyという言葉が多発する意味合い、
これは副島隆彦先生著ハリウッドで政治思想を読む、を読んでいれば分かることだ。
このアカデミー賞のストーリーラインに、いろんな視点をもつ人間を意識していることがよく分かる。
黒人女性が受賞をすることに対してまだ大きな抵抗を感じる層がいるということなのだろう。その人たちに対するフォローなのかな、などと思った。
また、差別という意識をしたとたん、monkeyがでてくるくらい、人々はmonkeyに対する、強烈に意識をしている、ということなのではないか。
今、アメリカの行き場がなくなりつつある今のアメリカにおいてmonkeyは、人々の意識下で、結構、大きな存在、なのかもしれない。
あるいは、アカデミー協会の、”to be continued”のメッセージなのかも。次は、日本人ですよという。
経済的に大きな負担をかけてきてこれからも負担をお願いする日本に対して、そのくらいのことは考えているよ、ということなのかも。
・・・と、いろいろ考えさせられる、ワンシーンでありました。
アガサクリスティ原作の「オリエント急行殺人事件」が2012年2月9日(木)10時~NHKBSで放映されたのをみた。今回放映されたのは、2010年に米英合作でとりなおしたものだったようだ(終わりのテロップに以下の記載があった。
「制作 ITVスタジオズ/WGBHボストン アガサクリスティー・リミテッド(イギリス・アメリカ2010年)」)。
なぜか邦題は、「オリエント急行の殺人事件」と「の」が付け加えられていた。
昔見た「オリエント急行殺人事件」では、最後の場面で、ポワロは、殺人のあった客車内の12人の乗客たちの前で、殺人の手口の概要を講釈したあと、12人の乗客たちを無罪放免する。警察に引き渡すようなことはしなかった。
(ねたばれ)
12人の乗客たちが、一人1刺しずつ、12の刺し傷で殺した、者は、凶悪なヤクザ者であり、マフィア等の検察等への根回し等によって罪を免れた極悪人であり、この殺人は、その極悪人に殺された、被害者の友人、親戚、また検察側の家族等による、復讐劇であった。
2010年英米制作版では、ポワロは、12人の乗客達を救うようなことはしない。そのまま「法の手で裁かれるべきだ」として突き放し、警察に概要説明をしてその場を立ち去る。
まさに「法に基づく支配を強化するためのプロパガンダ用」として制作された版なのだな、とあからさまに思える作品であった。
上田浩之です。今日は8月27日です。アーサー・C・クラーク原作・スタンリー・キューブリック監督「2001年宇宙の旅」とその続編「2010」DVDをみての簡単な感想です。
2つの作品を視ようと思ったのは『図解でわかるニーチェの考え方』富増章成作・中経文庫でとりあげていたからです。
まず「2001年宇宙の旅」(原題:2001; A SPACE ODDESEY)です。まるで猿いや猿人の惑星が出現、人類の夜明けとして描かれます。まるで反進化論=ファンダメンタリストの人達を挑発するかのように水争いのシーンが続く。最初観た瞬間「これ猿の惑星か?」でした。似てますね、「カプリコーンワン」や「猿の惑星」のトーンに、真実暴露ならぬ真実吐露ムービー。シナイ山のような山々をわざとスタンリー・キューブリックがワンカットで入れたシーンも見受けられました。
ある猿人のグループリーダーが牛の骨を武器に出来ることを発見し、別のグループのボス猿ならぬ猿人をぶち殺して雄叫びを上げた後にR・シュトラウス「ツァラトゥストラ」の名曲が流れる。クラシックの名曲を「2001年宇宙の旅」ではかなり使っていて重厚さを感じさせます。モノリスという謎の落下物に反応する猿人達。
キューブリックはこの作品のためにアポロ月面着陸映画を撮ったのだ。彼自身フランスのテレビで『あれはNASAから頼まれて撮ったんだ』と暴露、それをたけしの番組で観たのを覚えています。根は正直な人間ですね。今でもこの作品にあまり古くささを感じませんでした。
キュービズムを生かした彼のデザインソファーは今でも古くない。ホリエモンもこの作品を見たんでしょう。ショバから出たら宇宙旅行?この映画をみたら今起こっているフクシマの真実隠蔽も驚きません。「適切な条件付けなしに事実を公表したら全世界はパニックに陥るだろう」とはよく言ったものです。世界のワルどもがこの一言でその本性が割れる。キューブリック自身もこの若かりし頃の作品はかなり思い入れがあるはずです。ハリウッド映画思想本でオリバー・ストーン出世作『ウォール街』共々言及が無かったのが今でも残念です。「2001年宇宙の旅」はアポロ暴露本に言及されているんでしょう。この作品を観て後悔どころか更にああ嫌だな気付きたくない事・真実に気づいちゃった嫌だなというのが私の率直な感想です。
オリバー・ストーンの『ウォール街』だって公開いやビデオ化した時、酷だがまだデビューしてない副島隆彦含めた日本知識人・思想家共はバブルに浮かれハシャいで分析しなかったことに対して全責任を負え!震災で友達とも思っちゃいないアメリカ様から「トモダチ作戦」などと小馬鹿にされてシュンとなるようなソフトバンク犬国だ。今や『猿の惑星』どころか『犬の惑星』!
友達とも思っちゃいねえ奴に友達呼ばわりされるいわれはないし、友達と言われるほどムカつく事は無い!とにかくこの作品は一見の価値有り!ただのニーチェ哲学をSF解釈したとか宇宙旅行の願望を夢見た作品とかそんな上っ面の解釈はすべきでない。
D・ロックフェラーもスターチャイルドになって死んでゆく、ただそれだけだ。この作品にあった宇宙船から地球への通信は衛星回線やインターネットによって実現した。キューブリックの未来予知というか未来予測力には脱帽ものでした。次の作品「2010」は見なくていい、同じ事のリフレインだから。
とにかく原作者;アーサー・C・クラークもアポロ月面着陸の真相を知っているんだな。作品の中に巧くデフォルメして溶かして隠し込む事が出来るこういう才能を持つキューブリックやオリバー・ストーンのような天才を巨匠=マエストロというのだ、違うか!
では、来月2日福岡でお会いしましょう。フクシマ隆彦先生。
人気のシリーズ映画に「トランスポーター」というのがあります。その名の通り、どんな荷物も運ぶ運転手の話で、頼まれれば必ず届ける、途中で荷物を奪おうとする悪者に襲われるが、最後はその悪者を倒して任務を完了する、というありがちなアクション映画です。
このシリーズの第3作は「トランスポーター3 アンリミテッド」という題で、ある国の環境大臣の娘を無事に「運ぶ」というストーリーでした。この大臣は放射性廃棄物の輸入許可権限を持つので、「娘の命と引き替えに許可証にサインしろ」と脅かされるわけです。主人公が、この娘を救って、放射性廃棄物は上陸しませんでした、めでたしめでたし、という結末です
実は、この「ある国の環境大臣」のある国とはウクライナのことです。私はなぜウクライナか、当時はさっぱりわからなかったのですが、今回の福島原発事故でわかりました。チェルノブイリ原発事故があったのは、当時はロシアでしたが、現在のウクライナなのですね。
ここから、原発事故と放射性廃棄物ビジネスが微妙に結びついているのがわかります。
原発事故のあった福島はどうでしょうか?前書いたように、チェルノブイリに比べれば、放射性物質の放出は多くはありません。今の程度の土壌汚染なら、日本は雨が多いから、これらを洗い流してくれそうです。また、汚染した土壌の上の部分を削り、ひまわり(セシウムを吸収しやすいらしい)を植え、その後で、放射性物質のない作物をつくることも可能でしょう。年月がかかっても元に戻る。放射性廃棄物ビジネスなど関係ありません。
しかし、原発20km圏内が、永久に立ち入り禁止になったらどうでしょう?
立ち入り禁止になって、地元民が移住すれば、地元の人はいなくなります。地元の人がいなければ、反対者もいなくなる。また、福島には海があり、港があります。だから、海から直接運べるし、運べば何が運搬されたかわからない。さらに、「原発事故で漏れた放射能に比べれば、微少ですから!!」といわれれば、その放射性物質を受け入れるのも無理はないでしょう。
「原発とは、うんこを流さないトイレのようだ」とか、なんとかかんとか言った人がいるそうですが、本当にそうです。使用済みウラン燃料は放射性廃棄物となりますが、持って行くところはどこにもありません。仕方がないから、各原発の貯蔵庫に置いてあります。新たにでてきた使用済みウラン燃料をただ積んでいくだけです。青森の六ヶ所村に廃棄施設を拡張しようとしていますが、うまくいかないようです。
これは世界中で起きていることです。どの国もそれなりに廃棄するのに苦労しています。
もし、福島で、放射性廃棄物の最終処理をしてくれたら、それは日本以外では朗報でしょう。ビッグビジネスです。でも持ち込まれる福島の人と日本人は、たまったものじゃない。勘弁してほしい。やめてほしい。とんでもないことです。
私の杞憂かもしれません。でも、「福島原発の近隣にはもう住めない」という流れが気になります。というよりも、首相自らそう言っている。そして、もしそうなら、それを止めようとしてがんばっているのは、現在の日本では副島先生しかいないことになります。
下條竜夫拝
ウォール街続編〔イオンモール倉敷内:ムービックス倉敷〕
さすがにオリバー・ストーンですが、ちょっと最後はがっかり。ゲッコーはゲッコーらしく、つまりは我が娘に対しても鬼であって欲しかったと思います。
告白〔DVDを借りて見ました〕
原作の小説は、話題になっていたときに読みました。
しかし、映画の世界の方が原作より上を行っていました。たいてい文芸作品は原作に劣ることが多いのですが、見事です。
ラジオ深夜便で、詩人で直木賞作家のねじめ正一が「夫婦で見に行った。見た後二人でコーヒーを飲みながら『やり過ぎじゃないか』『そんなことはない』などと結構会話が続いた。」と言っていました。
中島監督は前回の「パコと魔法の絵本」で失敗(といってもそれはそれなりに面白い)を糧にした様な気がします。
中学校の教室=社会の縮図と私は受け止めました。イジメも生存競争もあります。
余談。ラジオ深夜便にはあまり感心しませんが、NYの市況を伝えてくれるのと、時間が分かるのでよく聞きます。
ソーシャルネットワーク〔岡山メルパ:進研ゼミのベネッセが経営しています〕
面白かった。
物事が動き出すと、もう止められないという図です。
遊び半分ではありますが、劇の脚本と演出を受け持ったことがあります。劇が始まってしまえば、もうその劇は脚本家のものでも演出家のものでもない、と感じたことを思い出しました。
新年あけましておめでとうございます。
今年もよろしくおねがいします。
さて、先日NHKの大河ドラマ「龍馬伝」が終わりました。
このサイトを見ている人は、「坂本龍馬はジャーディン・マセソン商会とアーネスト・サトウと深く関係していた」という副島先生の説を知っていると思います。だから、脚色してつくられた坂本龍馬の伝記ドラマなど、あまり興味がわかないかもしれない。
しかし、私は、NHKなりに、「ひとりで維新の改革を成し遂げた偉人・坂本龍馬」のイメージを損なわず、真実をいくつかいれていたと思います。副島先生の書いた「属国日本論」の真実が、ざわざわと世の中に伝わっているというひとつの証(あかし)です。
例えば、ドラマには、アーネスト・サトウが登場しました。坂本龍馬がアーネスト・サトウに向かって、「薩摩と長州のうしろにはイギリスがいるのでしょう」と啖呵(たんか)をきって、パークスやアーネスト・サトウらを慌てさせる場面があった。「おいおい、薩長連合をつくったのはおまえってことになっているんだろう、そんなこと言っちゃあ、いかんぜよ」とつっこみを入れたのは私だけではなかったと思います。ちなみに、アーネスト・サトウこそが倒幕の裏にいたイギリス外交官です。
また、坂本龍馬暗殺の下手人として、それとなく、長州藩の存在を示唆していました。坂本龍馬夫人のおりょうの夢として、長州人に暗殺される場面を映し出していた。また、大政奉還をもくろむ坂本龍馬は、薩摩藩・長州藩にとっては邪魔者でしかないという史実をきちんと描いていました。
最近、NHKは、ドラマの中で、さりげなく、少しだけ真実を暴露するという手法をとっています。白州次郎の伝記ドラマでも、彼とキャノン機関とのつながりを、新聞記者のことばとして暴露していました。白州次郎はキャノン機関をつかって裏の仕事をさせていたようです。
また、この「龍馬伝」の中で、いろいろな歴史の事実が確認できたのがよかった。
例えば、金と銀の交換比率がちがうために日本の金が海外に流れ出したという事実、および、これが志士たちが攘夷に走る理由であることをきちんと伝えていました。久坂玄瑞と坂本龍馬の会話として描いていました。
そして、文久3年5月10日の尊王攘夷決起も確認できた。この日、志士たちは皆、苦労して画策してきた尊王攘夷の活動が、ついに成就するのだと心待ちにしていた。ところが、藩からは何の命令もない。彼らは本当に落胆した。これらのことが確認できました。
坂本龍馬がなぜ大政奉還に走ったかは副島先生が詳しく論述しています。アーネスト・サトウが坂本龍馬の後ろで暗躍していたということが属国日本論を読めばわかる。「船中八策」という坂本龍馬が書いた明治維新の骨格方針はアーネスト・サトウがジャパン・タイムズに寄稿した「英国策論」がもとになっています。アーネスト・サトウは、「日本の元首は天皇であり、そのもとに諸雄藩の連合政権をつくるべきだ」と書いているそうですから、これが大政奉還のもとのアイデアでしょう。したがって、坂本龍馬もこの案のとおり動いている。これはアーネスト・サトウが土佐藩を訪問した直後に後藤象二郎が薩摩藩に大政奉還をかけあっていることからもわかります。
ところが、大政奉還に走った坂本龍馬が暗殺されたことから、急激な状況の変化が起きたことがわかります。いったい何がアーネスト・サトウに起きたのか?
裏読みすれば、最初から騙すつもりだった、大政奉還させて、その後、薩長土肥の軍事力で制圧する筋書きが前もってあったと考えられる。または、フランスの出方によって、2つの場合を想定して、どちらにも対応できるようにしていたのかもしれない。
ただ、アーネスト・サトウの行動を好意的に解釈するならば、彼自身が急激なイギリス本国の方針転換に振り回されたのではないかという理論も成立します。坂本龍馬が暗殺された1867年ですが、その前の3年間というのは世界史でも希(まれ)な激動の時代です。ヨーロッパからアメリカ・アジアまで、いろいろなことが起こっている。オーストリア・ハンガリー帝国(ハプスブルク家)の誕生などいろいろありますが、特に記しておかなくてはいけないのが、「南北戦争の終了(1865年4月)」と「太平天国の乱の終息(1864年)」です。
これによって、武器商人であるジャーディン・マチソン商会は在庫をかかえたまま、武器が売れなくなったはずです。こういう急激な経済環境変化に普通はついていけない。そこで、イギリス本国とトーマス・グラバーが協力して、日本を内乱に導いて武器の在庫を一掃しようしたのではないか、そのため大政奉還の方に走っていたパークスやアーネスト・サトウを転向させ、また坂本龍馬を捨てゴマにしなければならなかったのではないか。これは典型的な「逆コース」といわれるパターンです。第二次世界大戦後の日本でもありました。
副島先生の話だと、イギリスのどこかにこれらの資料がまだ隠されているそうですから、いずれ、真実が明らかになるでしょう。
このドラマをみると、岩崎弥太郎がつくった三菱という会社は、坂本龍馬暗殺によって生まれたことがわかります。実は、いろは丸事件というのがあって、紀州藩が海援隊に8万両(本当は7万両らしい)の賠償金を払ったことになっています。ドラマでもきちんと取り上げていました。しかし、このお金は、いろは丸所有の大洲藩には行っていないらしい。つまり、岩崎弥太郎か後藤象二郎が賠償金を掠(かす)め取ったということです。ちなみに、坂本龍馬が暗殺されたとき、なぜ京都にいたかというと、この賠償金をとりにいったらしい。これらのことは津本陽という人の本で明らかになっています。
これが本当に歴史的な事実なら、いろは丸の賠償金で岩崎弥太郎は大もうけをしたということになります。坂本龍馬が生きていたらそうはならなかったわけで、岩崎弥太郎が創設した三菱は、坂本龍馬暗殺の上に成り立つ会社ということになります。
三菱という会社は、「三菱ゼロ式戦闘機」でわかるとおり、脈々とつながる武器商人でもあります。ドラマでは、そのことを、岩崎弥太郎のことばとして、「戦争こそが金儲けのビッグチャンスだ」といわせていました。
下條竜夫拝
「GONZO-ならず者ジャーナリスト、ハンター・S・トンプソンのすべて-」が2011年2月19日から公開されるようです。gonzo-eiga.com
「誰も知らない」
これは私が沖縄市に住んでいた頃、公開されたフィルムです。主演の柳楽優弥(やぎらゆうや)が主演男優賞を獲ったり、この作品自体もキネマ旬報で1位になっていますからご存じの方も多いでしょう。
那覇で見損ね、どうしても見たくて、今はなくなっていますが名護シアターという沖縄本島北部の映画館で見ました。往復の高速代金とガソリン代、駐車料金、入場料でかなり散財しました。が、その甲斐あってか傑作でした。
時間の経過がこの映画の見せ所です。
最初と最後で次男坊の顔つき体つきが違っています。かなりのリアリティです。いっぺんに撮影せず、何回かに分けて撮られたと云うことですが、それだけに作り手の本気度を感じます。
母親に新しい彼氏(旦那)が出来、子ども4人をほったらかして出て行ってしまいます。何とか生活して欲しいので、機会あるごとに長男にお金を渡しに来ようとしますが、続きません。長男が「お母さんは帰ってくる」と下の子たちに言い聞かせているものの、それぞれ成長して長男の嘘を見破ります。
‘こういう映画が見たかった’と手を叩きたくなります。
クリスマスケーキを安く手に入れるために、投げ売りが始まるのを待っているとか、カップ麺の残り汁をご飯に浸して食べるシーンなど説得力を持っています。
良くできた映画です。私は日本映画の記念碑と言って良いくらいだと思います。
「幻の光」
それぞれ子どもを抱えた男女が再婚で一緒になり、落ち着くまでを描いた映画です。
監督の処女作、また江角マキコの初主演作品です。
江角マキコ演じる女の元の亭主が自殺する以外は特に大きな事件もなく、淡々と話は進みます。だからといって決して退屈な話ではなく、味わいのあるものに仕上がっています。
欠点としては江角の生活感の無さでしょうか。元々モデルで顔もスタイルも美しい。普通の主婦に見えません。漬け物にするであろう大根を洗いながら近所の人と挨拶を交わすシーンなどで、嫁ぎ先である能登に溶け込ませようという意図は見えますが、空振りに終わっています。私は殆どTVをつけませんが、1度「ショムニ」という彼女主演のドラマをたまたま見ました。やっぱり容姿が奇麗で、周りの女優とは明らかに違う。OLに見えません。手足が長いのです。調べてみると彼女は身長170cmなので、やはり相方には183cmの内藤剛志(たかし)でないと釣り合いがとれなかったのでしょう。
撮影場所を捜すのに時間をかけたのではないかという感じがします。能登の季節感、風俗とかそういったものを出そうと苦心しているなと思いました。
「歩いても歩いても」
力作です。見て約1週間経ちますが、心の中で反芻しています。
さりげない登場人物たちのやりとりが巧く描けています。「幻の光」よりも更に監督の力量がついてきたな、と感じさせます。前述の江角マキコの様に、浮き上がった存在がいません。
長男の法事に故郷に戻ってきた妹一家、弟一家、両親が接する2日間と、短い後日譚だけの話ですが、人物各々の悲喜こもごもが良く出ています。
夏川結衣(ゆい)が非常に上手い演技をしています。阿部寛(ひろし)演じる弟の妻役です。初婚ではなく、先立たれた夫の連れ子を持ち、夫の家族に後ろめたさを感じている。それだけに気をつかって義理の両親、姉の家族に溶け込もうとしている姿がよく表現されていました。
最近、映画誌などに目を通していないので分かりませんが、是枝監督は小津安二郎を意識しているのではないか、と思います。日常的な描写から登場人物の心情を描き出そうとしているところから想像しました。
是枝監督は、「下妻物語」「嫌われ松子の一生」を撮った中島哲也監督と共に、期待している監督です。※中島監督の「告白」は今ひとつという評判ですが…(なんでかなさん、感想を投稿していただけると幸いです。)
茨城県つくば市在住の菊地研一郎(会員番号2555)です。
以下は、アクション映画『エクスペンダブル(以下、EX)』の感想です。
日時:先週末の夜(2010年11月13日夜21時)
場所:近所のシネコン「MOVIXつくば」
環境:大人一人で入場。収容約200人の部屋に観客が約25人。
『EX』はシルベスター・スタローンが主演・脚本・監督を務めたB級アクション映画だ。
火薬量が多いだけの取るに足りない暇つぶし映画であり、
例えば近年の名匠クリント・イーストウッド作品等とは対照的である。
この映画は北米では8月に公開され、初週の成績は第一位。
第二位のジュリア・ロバーツ主演『食べて、祈って、恋をして』とは大きな差が付いた。
あらすじ紹介など無価値な映画だが、一応素描する。
民間軍事会社……ではなく、単なるゴロツキ傭兵部隊が
いつものように引き受けた仕事をいつものように遂行して終わり、というもの。
任務は、麻薬製造を始めたメキシコ湾の軍閥の島の壊滅。
裏事情も単純で、ヤメ検ならぬヤメCIA局員が麻薬ビジネスを指導しているため、
世間バレないうちに片付たい、というのが真の依頼主であるCIAの希望である。
ストーリーに関して、それ以上の深みは一切無い。
よって、観る側としても興行的な事柄の方により大きな感心を抱くのが自然だ。
そもそもこの映画の売りのひとつは豪華キャストである。
ブログ『徒然なる日常』の記事「エクスペンダブル 2010年10月22日」から、
出演俳優に関する記述をお借りする。以下、
『徒然なる日常』
「エクスペンダブル 2010年10月22日」
http://blog.livedoor.jp/giuseppe_farina/archives/1503712.html
(引用始め)
ということでキャストの話。主人公のバーニー・ロス役には“イタリアの種馬”ことシルベスター・スタローン。還暦を過ぎたアクションスターの「いい感じ」のショボくれさが哀愁感を誘う。リー・クリスマス役には『トランスポーター』のジェイソン・ステイサム。イン・ヤン役には『ロミオ・マスト・ダイ』のジェット・リー。ガンナー・ヤンセン役に、かつて『ロッキー4/炎の友情』で死闘を演じたドルフ・ラングレン。そして、ツール役に『レスラー』で見事カンバックを果たしたミッキー・ローク。謎の依頼主チャーチ役には『ダイ・ハード』のブルース・ウィリス。さらにトレンチ役として、現カリフォルニア州知事のアーノルド・シュワレッツェネガーまで出演する豪華なキャスト。その他、ランディ・クートィア、スティーヴ・オースティン、テリー・クルーズ、エリック・ロバーツ、デヴィッド・ザヤス、ジゼル・イティエなど。
本当に豪華なキャストなのだが、ただひと言だけ言わせてもらうなら、ジェット・リーが出てるのに、
何故、ジャッキー・チェンが出てないのだろうか。
(引用終わり)
スタローン、シュワ、ウィリス、ロークにラングレン。
筆者は74年生まれであり、鑑賞中に頭の中が90年前後の
アクション洋画界にタイムスリップした。
いや、木曜洋画劇場や深夜映画の世界と書くのが正確だ。
なぜならば、筆者の脳裏に浮かんだ映像は、
闇の中に浮かぶスクリーンではなく、
明るい居間のブラウン管であったからである。
湾岸戦争の前後だったか、CNNによる戦場の生中継が
いろいろ論議されていたことを思い出す。
もう私の机の周囲からVHSのビデオテープも消えたし、
ブラウン管のディスプレイも同様に消えた。
現在の私は、自室のPCに接続されたカラー液晶の前だ。
スクリーンの向こうにもこちらにもヒトがいるが、
装置ほどには置き換わっていないようにも感じられる。
もっとも、それは錯覚であって、ただ単に私が
見たいもの/見うるものだけを見ているだけかもしれない。
ただ、人間の経年劣化は近年の家電よりも緩やかなのは事実と見えた。
最後にYahoo!辞書/eプログレッシブ英和中辞典から
英単語「expendable」の説明を引用して、送信します。
(引用始め)
ex・pnd・a・ble
【章】(目的達成のために)費消してよい; 使い捨ての; 保存に値しない, 重要ではない;
【軍】(作戦上)消耗してよい〔物資〕, 犠牲にしてよい〔兵員など〕.
The soldiers were regarded as ~.
兵士たちは消耗品として考えられた.
〈普通 ~s〉消耗品(扱いの人[兵]).
[ 新グローバル英和辞典 提供: 三省堂 ]
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=EXPENDABLE&dtype=1&dname=1na&stype=0&pagenum=1&index=025470000
(引用終わり)
スピルバーグ映画を見て思ったことを簡単に書きます。
シンドラーのリスト、プライベートライアン、ET…私はどこが良いのだろうがと思います。
シンドラー…なんで主人公がユダヤ人を救おうと思ったのか、よく分からない。映画館ですすり泣く人が多かったと聞いたが、なぜ泣く?ロマン・ポランスキーの「戦場のピアニスト」は、夢に出てくるほど迫力があった。夢の中でナチスとユダヤ人の銃撃戦に私が加わっていた。怖くてしかたなかった。
プライベート…登場人物に思い入れが湧かない。冒頭のノルマンディ上陸作戦はよく描けていたと思うが、それだけ。
ET…何が面白いのか、さっぱり分からない。興奮も感動も全くない。
その点、ひたすら主人公が謎のトレーラーに追われるDuel(激突!)の方が面白いです。
今回ジョーズを初めて(日曜映画劇場か何かでちらっと見た覚えはありますが)見ましたが、いくつか迫力ある場面はあったものの、「ああ、そうかい」と思うくらいです。まあ、これから後のホラー映画などに与える影響はあったのかも知れませんが、つまらないですね。
結局、視聴率欲しさにおどろおどろしいTV番組を作る連中と大差無いのかも知れません。スピルバーグは迫力ある映像を作る才能はあるものの、幼稚な感じから免れません。
8月22日にリメイクの『ベスト・キッド(The Karate Kid)』を見た。
オリジナルの『ベスト・キッド』は80年代にヒットした他愛のない青春娯楽映画だ。普通のイタリア系の少年が日系人から空手を習ってJocks(体育会系のいじめっ子の意味)に勝つ、という筋。日本でもそこそこヒットし、テレビの洋画劇場でもよく流れていた。
リメイク版ではいくつか設定が変更されている。場所がアメリカから北京に、少年がウィル・スミスの息子ジェイデンに、空手マンがジャッキー・チェンに。武術も空手からカンフーに。異論はあると思うが、ジャッキー・チェンのおかげで“オリエンタリズム”な違和感は少ないだろう。ジェイデンくんも小柄で童顔で、まだ可愛い小学生という容貌である。
映画後半のカンフー修行からトーナメント戦で優勝するまでの流れはスポ魂の定番通りなためコメントの必要が無い。学問道場的に意味があるのは前半だろう。露骨にアメリカ大衆向けの「Welcome to 北京」ビデオしており、北京の意図が透けて見える。例えば、天安門広場を背後にするシーンがあるのだが、さりげなく毛沢東の肖像画が長々と写り込んでいた。
明示はされないが、ボーイのママはデトロイトのGMに勤務していたようである(父は数年前に死亡)。ホームシックのボーイが「中国なんかイヤだ。ホームに帰りたい」と叫ぶが、ママはこう叱る。「帰るところはないの。もうデトロイトの家はないの。ここがホームなの!」どうやら一時転勤ではないようなニュアンスである。続編があれば、その辺りのことがもう少し描かれるかもしれない。オリジナルの続編『ベスト・キッド2』はオキナワが舞台で、日本人にとってはかなり珍妙に見えたのを覚えているが…。
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(転載貼り付け開始)
2009年05月30日
「C・イーストウッドの描くアメリカ保守主義の再興は本物か」
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(転載貼り付け終了)
「ビデオニュース」から貼り付けます。
(転載貼り付け開始)
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■マル激トーク・オン・ディマンド 第485回(2010年07月31日)
「「カジノジャック」と「インセプション」に見るアメリカの今と昔とこれから」
ゲスト:町山智浩氏(映画評論家)
5回目の金曜日に普段のマル激とはひと味異なる特別企画を無料放送でお届けする5金
スペシャル。今年2回目となる5金は来日中の在米映画評論家・町山智浩氏と映画特集を
お届けする。
今回取り上げた作品は、まず1本目が町山氏イチ押しのドキュメンタリー映画『カジノ
ジャック』。アメリカで伝説のロビイストとして知られるジャック・エイブラモフの栄
光と転落を通じて、カネとロビイストに牛耳られたワシントン政治の実情を鋭く暴いた
社会派作品で、日本での劇場公開は未定ながら、現在公開中のアメリカでは既に高い評
価を得ているという。
町山氏はエイブラモフ事件を、アメリカの政治が1980年大統領選でのレーガン当選以
来、事実上ワシントンを支配してきた共和党保守派による保守革命の終焉を象徴する歴
史的なできごとと位置づける。
しかし、ニューディール時代の大きな政府の腐敗を批判し、綱紀粛正を主張しつつ、
規制緩和によって小さな政府を実現することが強い経済と社会を再現すると主張してき
たエイブラモフら保守派の重鎮たちが、なぜいとも簡単にその影響力をカネで売るよう
になってしまったのかについては、より詳細な検証が必要だろう。
2本目は今日本でも公開中の『インセプション』を取り上げた。レオナルド・ディカ
ブリオ扮するコブが、人の夢の中から企業秘密を盗み出すことを専門とする産業スパイ
という設定で、人の夢に入り込み秘密を盗み出したり、それを守るために夢の中でガー
ドマンを雇ったりと、ややSF的な設定。
初っ端に映画素人を自認する神保哲生が、SFとは言えあまりに現実味のないストー
リー設定に「子供騙しとしか思えない」と酷評したところ、宮台真司、町山智浩の2人
が口を揃えて大反論。なぜストーリーを意図的に荒唐無稽にしているかや、「夢の中
の夢の中の夢」という概念の奥深さなどを説き、全面的にこの作品を擁護する一幕も。
今回の5金映画特集は、この2作品を入り口にアメリカ政治の現実とオバマ当選の
意味、そして本当の現実とは何か(今、自分が現実だと思っているものが、本当に現
実であるという証拠はあるのか)などについて、町山智浩氏と語り合った。
<今週のニュース・コメンタリー>
・死刑廃止論者の千葉法相が死刑執行を命じたことの意味
・政権の方向性を示さない菅氏
リーダーシップ欠如に不満の声相次ぐ
<関連番組>
■マル激トーク・オン・ディマンド 第472回(2010年04月30日)
5金スペシャル 映画特集 豊かな国日本がかくも不幸せなのはなぜか
ゲスト:寺脇研氏(映画評論家、京都造形芸術大学教授)
http://www.videonews.com/on-demand/0471480/001421.php
マル激トーク・オン・ディマンド 第387回(2008年08月30日)
5金スペシャル 映画とイラク戦争と大統領選挙
ゲスト:町山智浩氏(映画評論家)
http://www.videonews.com/on-demand/0381381390/000790.php
マル激トーク・オン・ディマンド 第335回(2007年08月31日)
5金スペシャル映画特集 マイケル・ムーアは終わったのか
ゲスト:森達也氏(ドキュメンタリー作家)
http://www.videonews.com/on-demand/0331331340/000737.php
(転載貼り付け終了)
オリバー・ストーンフィルムです。
映画館で見たのは社会人になる直前か、直後かそのあたりだったと思います。
今回、「特別版」を改めて見直しましたが、基本的なストーリーに代わりはないものの、最初に公開された物の方が良かったのかな、という気がします。
作品としては、マイケル・ダグラスが良い味を出しているし、チャーリ・ーシーン、マーチン・シーン親子も上手い演技をしていて、最後まで飽きなく見させてくれます。
惜しむらくはダリル・ハンナ演じる女がどういう過去や背景を持っているのか知りたい気になります。
当時と違い、今は実際に私も生計の為に株売買をします。
株式取引をインターネットを通してされた経験のある方はお分かりだと思いますが、金のあるところには、たんとあります。寄り前の板がストップ高近辺、逆にストップ安近辺にあったりするのは珍しいことではありません。いわゆる「仕手」が日本で一番時価総額の大きいトヨタの株価を操作するなんてのは、朝飯前でしょうね。
映画かでは当時はかなりコンピューターは導入されていることは伺えるものの、一部分でしかありません。今の方がよりスピーディーに、巧妙な仕掛けがあるのかも知れませんが。
実は、株取引しているなんて私は親父には言えません。この作品に出てくる、ひたすら身を粉にして働くマーチン・シーンと被さってしまいます。
強欲greedと、親子の情の間で揺れるチャーリーに共感を覚える人は少なくないと思います。
オリバー・ストーン映画では異色作ですが、良くできていると思います。
「赤いスイートピー」です。ご免なさい。
この三作品は、確か私が社会人になって間もない頃、ほぼ同時期に公開されたはずです。
ビッグ…若い頃のトム・ハンクスが主演しています。心は子どものまま、身体だけ大人になってしまう少年の物語。他愛ない話ですが、後のトムの大成を予感させます。小学校高学年か、中学生くらいのお子さんがいらっしゃるのであれば、一緒にご覧になっても良いのでは。
グレードブルー…ヒットはしていませんが、後に編集し直され「グランブルー」なる題で再度公開されました。こちらでご覧になった方もいらっしゃるでしょう。監督はリュック・ベッソンです。
異人たちとの夏…大林宣彦監督は無名の頃からの片岡鶴太郎を知っていて、将来の大化けを予感していたそうです。
「囲む会」会員の方々には、俗な話で恐縮ですが、街でふと耳にした曲で、思わず立ち止まってしまったとか、有線で流れていて、一度聴いたら忘れられなくなった、いわゆる流行歌ってないでしょうか。
中島みゆき「時代」、甲斐バンド「安奈」、松田聖子「赤いスートピー」、スピッツ「ロビンソン」、キロロ「長い間」などが、今思いつきました。
ここに挙げた映画三作品は、流行歌のように、短い間ではあるけれど私の心を奪っていったものです。
NHKラジオ深夜便で、五木寛之が言っていました。「学生に隠れて美空ひばりの曲を聴いていた大学の先生がいた。インテリがひばりの曲だなんて恥ずかしいと思っていたのかな。」
それはともかく、映画も音楽も理屈ではないんですね。感覚に訴えるものです。
職場の後輩で「異人たち」が好きという子がいました。彼はガールフレンドと一緒に見て、「自分は興奮したけれど、彼女は意味が分からないと言っていた」そうです。よくある話です。
ウディアレン監督の活動写真です。
ポスターでもDVD等のジャケットでも、スカーレット・ヨハンソンをメインに押し出していますが、彼女無くしては成り立たなかった映画だと思います。
顔は奇麗だし、胸の形も良い。男は惹(ひ)かれますね。
ジョナサン・リース・マイヤーズ演じる主人公は、上流階級の女性と良い関係になり結婚もするのです。自(おの)ずと社会的な地位も上がるのです。おとなしくしていればいいのですが、アメリカからイギリスに来た女(スカーレット演じる)とも関係を結んで、妊娠までさせてしまいます。いい女なので、性欲を押さえ切れないんですね。
私も、かつて性格の良い彼女がいながら、可愛くておっぱいの大きい嘘つき女を抱いてしまいました。
男とは、そういう生き物です。中途半端な美人女優では説得力を持たなかったと思います。
良い映画です。私は好きです。
見損ねていた「おくりびと」をDVDで見ました。
脇役の俳優さん達がとても良い仕事をしていると感じました。
しかし、滝田洋二郎監督は浅田次郎原作の「壬生義士伝」でもっと評価されるべきだったと思います。
アカデミー賞で話題になりましたが、こんなものを有り難がる日本のマスメディアは情けないと思います。
『アメリカの秘密』を拝読しました。
「そこまでは考えなかったな」「そうだったのか」と納得させられる点が多々あり、とても有意義な本です。
私は社会人になると、休日は映画館に入り浸りました。30代の半ばまで、軽く年間100本くらいは観ていました。キネマ旬報も読む熱心な映画ファンでした。
評論家が絶賛しているのに、私が感動しない映画もあれば、私が心を奪われているのに、評判が芳しくないものもあります。
例えば「七人の侍」は日本映画のベストだ、と言う方は多いのですが、私は感動しません。黒沢作品自体があまり好きでなく、私にとっては山田洋次監督の方が重要です。
いつの日か、映画は彼我(ひが)の違いを知る方法だと考えるようになりました。手塚治虫氏は古今東西の映画を観た人ですが「デートで映画を観て、同じところで笑ったり泣いたりする人を配偶者にするのがよい」と書かれていました。納得です。
『アメリカの秘密』に話を戻します。
ジャン・ジャック・アノー「セブンイヤーズ イン チベット」は、がっかりした映画でしたが、ナチスが絡(から)んでいるなどという背景がわかれば、それなりに意義はあるのだと思いました。
これからも映画を観て、本を読んでいこうと思います。