グレッグ・レイクの死と私の青春の終わり

相田英夫 投稿日:2016/12/11 17:55

相田です。以下は映画の話では無いのですが、サブカル投稿のついでに今回に限り御容赦ください。

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グレッグ・レイクが死んだ。エマーソン・レイク&パーマー(ELP)というロックバンドが昔のイギリスにあり、そこでボーカルとベースをやってた人だ。音楽に興味がない方にはどうでも良いことだが、ELPは日本でも人気が高かった。72年位に当時の洋楽雑誌の代表だったミュージック・ライフの年間人気投票で、レッド・ツェッペリンを抑えて1位になったこともある。

ELPというバンドは、キーボード、ベース、ドラムの3人で、メイン楽器のギターがいないという変則的な編成だ。何でギターが無くてロックがやれるかというと、キーボードプレーヤーが、ロック史上No.1のテクニックを持つキース・エマーソンだからだ。彼は指が速いだけでは無く、オルガンの音を意図的に歪ませて「バリバリ」と弾くことで、エレキギターのリフよりも荒々しく分厚い音を鳴らしていた。

キースの凄さは音だけではなく、演奏中にオルガンを倒したり、上に乗ったり 、ナイフで刺して鍵盤を壊したりするという、過激なパフォーマンスも有名だった。ジミヘンやリッチー・ブラックモア(古い!!)がギターを壊すように、ステージでキーボードをバラバラにするのだ。エンターテイメントに徹する処もELPの魅力だった。

シンセサイザーを全面的に使い始めたのもキースだ。開発当初のシンセサイザーは、一つの部屋を丸々占領する馬鹿でかい実験装置だった。そのシンセサイザーをライブで使い始めたキースが、音を安定して出せるようにできないかと、発明者のムーグ博士に相談した処、シンセをステージで使うことなどあり得ないと、最初は相手にされなかったらしい。しかし、ELPのライブでキースの凄まじい演奏を見て感動したムーグ博士は、彼の全面的なアドバイザーとなり、シンセの能力が大きく向上したそうである。

ELPでのキースの狂気のキーボード・プレイに対して、優しく穏やかで、しかし力強い響きでバランスを取ったのが、グレッグ・レイクのボーカルだった。グレッグ・レイクはものすごく歌がうまい。彼の歌の上手さは、エルトン・ジョンと同等かそれ以上だと思う。グレッグは超名作として知られる、キング・クリムゾンのファースト・アルバムでもリード・ ボーカルを務めている。次の2枚目のアルバムの製作途中で、グレッグはクリムゾンを脱退してELPに加入するのだが、代わりのボーカルとして当時は無名のエルトン・ジョンが、候補に挙げられていたという。エルトン・ジョンがグレッグの代役だったのだ。凄い話である。

私が中学生の時に、最初に自分でお金を出して買ったレコード(LP)は、ELPの「展覧会の絵」だった。かのクラッシックの名組曲から数曲を選んで、間をアドリブ演奏で埋める単純な構成だが 、内容は凄まじい。何とライブ演奏であって、レコード化する際には後から音を全く加えていないという。

今、聴き返してみると「キエフの大門」でのグレッグの歌が凄い。あの有名すぎる旋律に歌詞を付けて歌うのだが、原曲の格調の高さにグレッグの歌は全く負けていない。何という歌声だろうか。比べて悪いが平原綾香の「ジュピター」とは、レベルの差が月とスッポンである。

私が買った時のLPレコードの値段は2500円で、中学生には結構な大金だったが、迷いは無かった。ちなみに私の家にはステレオセットが無く、姉が友達からダビングして来た、90分カセットテープの「展覧会の絵」を繰り返して聞くうちに、どうしてもレコードが欲しくなったのだ。(ちなみに裏面にダビングしていたのは、ピンク・フロイドの「狂気」だった)それで私は、買ってきたLPレコードのジャケットを眺めながら、カセットテープの録音を聴いて悦に耽っていたのだった。思い返せばアホであるが、それでも楽しかった。昔のLPレコードはジャケットも味があるんだよね。親に頼みこんで安いステレオセットを買ってもらったのは、1年以上後だった。

私の友達が、当時の最新のパイオニア製のステレオセット(私のやつの2倍以上高価なヤツ)を買っていたので、何回か「展覧会の絵」のLPを持って行ったことがある。ジャケットが綺麗なので、最初は期待した友達だったが、かかった演奏は暗く妖しい内容だったので、聴いた後は落ち込んでいた。もう持って来るなと友達に言われたものの、しつこく何回か持って行ったと思う。3年くらい経った後でその友達から、「実は自分でも 展覧会の絵 を買ってしまった」と聞いた時には笑ってしまった。何回か聴かされるうちに、友達もはまったのだった。

ちなみに、私の洋楽ロックの聴き方は、評論家の渋谷陽一の影響を強く受けている。私は今でも渋谷陽一のファンである。「ロックとは白人が黒人音楽を批評的に分解して作った音楽だ」と、日本で広めたのが渋谷陽一の最大の功績だ。ロッキング・オンを最初に読んだ中学生の時には、何のことかよくわからなかったが、音楽を聞くうちになるほどと思うようになった。宇多田ヒカルがデビューした時に私が直感で思ったのは、「女子高生にブラックミュージックを歌わせる」というコンセプトが新しいのだ、ということだが、これに気付いたのも渋谷の影響だ。今では宇多田もオバサンになってしまったが・・・・

今回のアメリカの大統領選挙の時には、マドンナやらスプリングスティーンやらレディ・ガガなどの、ポップスターのほとんどがヒラリーを応援したにもかかわらず、軒並み討ち死にしたのは大変可笑しかった。彼らは音楽のルーツに黒人音楽を持っているため、リベラルに傾き易いのだろうか。それに対して、テイラー・スウィフトというカントリー系の美人歌手だけは、ヒラリー支持を表明せず、政治的に中立を保ったため評価が上がった、そうである。カントリーは田舎で暮らす白人達に愛される音楽なので、ヒラリーを支持できなかったのだろう。私はテイラー・スウィフトの歌を未だに聴いたことがない(!!)が、写真で見ると確かに美人である。彼女は今のアメリカの女の子達のあこがれの的らしい。

渋谷陽一は、音楽や映画雑誌の出版以外に、政治を議論する「Sight」という雑誌を出版していることを、私が知ったのは最近である。雑誌の論者をながめると、古賀茂明、内田樹、飯田哲也、宮崎駿 などの反安部政権、反原発を訴えるバリバリの左派が並んでいる。渋谷陽一の政治主張が今の私の考えとは間逆であることに 、最初は複雑な心境だったが、私の渋谷に対する見方が変わることは無かった。音楽についてはいざ知らず、政治思想の理解に関しては、渋谷よりも私の方が遥かに上を行く自負がある。前にも書いたが、「覇権アメ」「日本永久占領」「歴史の終わり」を熟読した後では、ちまたに横行する左翼論者の主張など、アホらしくて聞いてられないレベルになってしまった。渋谷は上の3冊のどれも読んだことは無いだろう。

私は忌野清志郎の大ファンでもある。渋谷の今の活動は、清志郎の思いを受け継ぐことは明らかだ。原発推進論者の私が清志郎を聞くのはおかしいのだろうか、と今でも時々自問することがある。清志郎が死んだ時には私も凄く悲しかったが、その後の3.11の騒動に巻き込まれずに済んだことは、清志郎には幸いだったろうと思う。

渋谷陽一のELPの評価は「マジメさと娯楽性を追求しする素晴らしいバンドだ」と肯定的である。今年は先にキース・エマーソンも銃で自殺していたのだった。キースの自殺を知った時には、自分は特に何も感じることは無かった。多分、実感が湧かなかったのだと思うが、グレッグの死を知った今では、流石に切ない気持ちが湧いて来るのがわかる。ああ、もうELPは存在しないのだ。残ったカール・パーマーには悪いが、太鼓だけいてもしょうがないよな、それにもう、展覧会の絵 の時のような太鼓も叩けないだろう、と思う。ストーンズのチャーリー・ワッツはあれでもいいんだろうけどさ。

グレッグ・レイクの死によって、ELPが終わったこと、そして心の中に残っていた青春の欠けらが無くなったことに、自分が気付いたのは昨日だった。

相田英夫 拝