遅れて来たニュータイプの左翼論客、ブレイディみかことは何者か?(その3)
相田です。
お盆の間に、ブレイディさんの本を読んでみては如何でしょうか?
視点の豊かさと内容の濃さに、誰でも感動すると思います。
(以下、前回より続き)
3. 前代未聞のハードコアすぎるJK
前回の音楽の話が長すぎたかもしれない。ここから、ブレイディさんの高校時代に話を戻す。福岡県トップの進学校に通い始めたにもかかわらず、早々に学校に幻滅した彼女の当時の様子を、本人のインタビューから引用しよう。
(引用始め)
(相田注:高校の先生に、アルバイトの件で怒られてからは)授業をさぼりがちになり、嫌いな科目の試験は「わかるところだけ埋めるのは、しみったれててイヤ」と、白紙で提出。試験終了までの余った時間は、答案用紙の裏に歌詞や文章を書いて過ごした。
「高校の頃は大杉栄が好きだったので、彼についてのミニ評論みたいなものを書いたら、その教科の先生が、現国の先生に見せたらしいんです。現国は好きでちゃんと勉強していたので、現国の先生が『君は僕が引き受ける』と2年、3年の担任になってくれて。グレてる私を心配して、わざわざ家にも何度も訪ねてくれました。『とにかく学校には来い。嫌いな教科があったら、図書館で本でも読んでろ。本をたくさん読んで、大学に行って、君はものを書きなさい』って。本当に恩師ですよ。
そういう奇特な先生と立派な図書館に出会えたのは、あの学校のいいところかも。でも、受験勉強って嫌いな科目も勉強しなきゃいけないじゃないですか。そんなのやってられるかよ、って結局大学には行きませんでした(笑)」
朝日新聞デジタル
「成り行きまかせ」で恩師が望んだ道に ブレイディみかこさん(後編)、より
(引用終わり)
相田です。高校で勉強する気を失った彼女は、嫌いな科目の試験の際には、白紙の解答用紙の裏に、好きな文章を適当に書いて出していた。大杉栄は、戦前の左翼作家で、関東大震災直後に憲兵に虐殺された人物だ。その恋人だった伊藤野枝と共々、両方のファンだったブレイディさんは、試験に全く関係ない大杉栄についての評論を、ある日の答案の裏側に書いた。
ところが、捨てる神あれば、拾う神あり。その答案裏に書いた文章を、試験担当の先生から見せられた現国の先生が、彼女の文才を見抜き、学校をやめないように説得してくれたのだった。
その先生は、彼女の自宅に何度も通い、「嫌いな教科は授業に出なくてもいい。自分が責任を持って卒業させるから、大学に行きなさい。君には物書きの才能がある」と、彼女に言ったらしい。うーん、流石は福岡一の名門高校だけの事はある。先生にも、眼力のある、懐の深い方がいるものだ、と、しみじみ感心する。これ以降、彼女は好きな授業にだけ教室に顔を出し、嫌いな授業の時は、堂々と図書館に逃げて読書に耽るという、誠に気ままな学園生活を送れるようになった。
でも、これって、40年前のネットも無い、ゆるい時代だったから良かったものの、世知辛くなった今では、流石に、許されないのでは無いだろうか?今だと、同級生の父兄から、教育委員会に、「あすこん家の娘さんは、いっちょん授業に顔ば出さんで、図書館で本ばかし読みよんしゃるごたるばってんが、なして、留年させんとですか?どげん考えたっちゃ、おかしかとや、なかとですか?くわしか理由ば、はよ、説明してつかあさい」とかの、通報が電話で入って、まあその前に、SNSですぐに悪い噂が広まって、あっという間に、退学させられるのでは無いか、と、思う。
私の高校時代には、まだ、腕の太い強面の柔道の先生がおり、学校内で普通に不良を殴っていた。その先生は「俺が本気で怒った時だけ(利き腕の)左手で殴る」と公言しており、実際に左手で殴られた不良が失神した事があった。当時は、「殴られる方も仕方ない(くらい悪い)よな」と、我々生徒の誰もが思っていた。私が卒業して数年後に、その先生は新設の高校に体育教師として赴任したが、暴力が問題になり、すぐに謹慎させられたらしい。この辺りから、世の中の雰囲気が世知辛くなって来たように感じる。自分としては、まだ周囲の締め付けがゆるい高校時代で、助かったと思っているが。
そんなこんなで、彼女自身は、恵まれない人生のように見えるが、どういうわけか、間一髪で、ドツボに落ちるのを毎回救われている。単にラッキーだけでは無い、不思議な運命の巡り合わせが、ブレイディさんにはある。
さて、大杉栄のファンだと公言するくらいなので、ブレイディさんは、明らかに左翼である。彼女が帰国した際に付き合う方々も、左翼の方々が多いようだ。しかし、彼女の文章を私が読むと、普通の左翼とは、ちょっと違う印象を受ける。所謂普通の左翼の方の、話の節々に出てくる、相手を見下すような「上から目線」、や、「私の話を受け入れない連中は、皆バカだ」的な、相手をマウンティングしてやろうと虎視眈眈に窺う雰囲気が(佐高信(さたかまこと)とか、広瀬隆(ひろせたかし)等が、その典型)、彼女の文章には薄いのだ。主張そのものは非常に厳しい内容もあるが、あくまでも彼女は、腰が低い下からの目線で、穏やかに相手を説得しようとする。
「左翼にしては、何か不思議な感じがするな」と、私は思っていたが、それには、やはり理由があった。もっと驚くべき秘密が、彼女にはあったのだ。以下にネットにあった、別のインタビュー記事から引用する。
(引用始め)
(ブレイディ)いちばん読書をしたのは、高校生の時なんですよ。通っていたのは地元の福岡では一応進学校と呼ばれるところだったんですが、ちょっと変な学校で。そこで私は反抗的な生徒だったから、先生たちからも疎ましがられて「お前はもう授業に出なくていい。図書室で本を読んでいなさい」と言う先生もいて。じゃあその通りにしてやろうと思って、ずっと図書室でさぼってました。
この高校はもともと江戸時代には藩校で、OBには玄洋社(明治時代に結成された、アジア主義を掲げる政治団体)の関係者が多かった。それで、高校にしては広いその図書室の一角に、玄洋社関係の書き手の本をまとめた書棚があったんです。
それで、私はまず夢野久作の本から読み始めました。久作の父親は玄洋社の中心メンバーだった杉山茂丸で、玄洋社の人たちの破天荒な生き様を描いた『近世快人伝』がものすごく面白かった。そこから入り、中野正剛や、花田清輝あたりまで広がって行く郷土色の強いコレクションだったんですが、片っ端から全部読んでいきました。大杉栄の本も、パートナーの伊藤野枝の叔父が玄洋社の関係者なので、この棚に入っていました。
玄洋社って、いまでこそ右翼の元祖みたいに言われていますけど、私はアナキストっぽいなと思ってました。高校時代の私にとっては、セックス・ピストルズと同等にカッコいい存在だった。だから、きっと当時の読書経験が基盤になっているんでしょうね。右と左ではない、上と下だ、というのも、なんか玄洋社っぽい気もするし。
2017年12月7日
不敵な薔薇を咲かせるために、第4回 玄洋社のアナキズム
國分功一郎、ブレイディみかこの対談 より
(引用終わり)
この話を最初に読んだ時に、私は、よく意味がわからず、「えっ、この人一体、何を言ってるのだろう?」とだけ思った。二度目に読んでその内容を理解すると、私の頭の中は驚きのあまり真っ白になり、しばらく呆然としていた。気を取り直して、念のために、内容を再度確認すべく、三度目を読み直した。すると私の頭の中では、「何じゃああ、こりゃあああああああ!?」という、往年の「太陽に吠えろ」の誰かのような叫び声が、止まらなくなった。電車の中だったので、流石に声は出さなかったが。
彼女のこの話を読んで、「ふーん、そうだったの」と、軽く流せるのは、相当に、相当に、ハイレベルの知識人か、普段から全く何も考え無い、単なるパンピー、かの、どちらかだ。
彼女が語る玄洋社というのは、明治初期から太平洋戦争末期まで存在した、福岡を拠点とする政治結社である。幕末の福岡藩士達の間で興った改革思想が、明治になって引き継がれた組織だ。玄洋社は、一応会社の体裁は取っているが、その主張は、当時の日本政府を過激に批判し、武力闘争も厭わないものだった。なので、今ではその存在は、歴史の闇に葬られている。
その玄洋社に関する本が、高校の図書館にまとめて置いてあったので、授業をサボったブレイディさんは、ひたすら読みまくっていた、というのだ。
彼女の話を聞いて私は「なるほど」と思ったが、修猷館高校は、旧福岡藩の藩校が、明治になって名前を変えてできたのだ。そして、玄洋社の関係者には、当然ながら修猷館の出身者が多かった。だから、修猷館高校の図書館には、玄洋社の書籍が多く残してあったのだ。
玄洋社の代表者として名高い、頭山満(とうやまみつる)という人物は、右翼の大物として知られている。玄洋社も、日本初の民間右翼団体とみなされており、戦後の混乱期に、GHQ -SCAPにいた、カナダ人歴史学者のE.H.ノーマンにより、危険な組織であると認定され、強制的に解散させられた。(ノーマンはその後、アメリカ政府によるレッド・パージの対象となり、逃亡中にカイロで服毒自殺した)
しかし、玄洋社の思想は、現代の右翼とは完全に別の物だ。「日本人が日本の国を大事に、誇りに思うように、中国、韓国、インド、その他のアジアの人々も、自分達の国を大事に思うだろう。それぞれの国の生活者が、自分の国を大事にしながら、お互いに協力し合って、アジアを発展させましょう」ざっくりいって、これが玄洋社の主張である。
副島隆彦の「アジア人同士戦わず」そのものが、玄洋社の思想なのだ。
今の右翼の連中が、ネットの書き込みや街宣車で叫ぶような、「韓国人は日本に来るな、中国人は大陸に帰れ、フィリピン人は出稼ぎに来るな」、という主張と、玄洋社の主張は、全く別物だ。玄洋社こそが、本来の、真の「右翼」である。
現在の世間で広く認知されている右翼とは、「商業的右翼」とでも呼ぶべき、単なる紛い物だ。イミテーション右翼だ。貧乏な生活者の日頃の不満やストレスの捌け口となるように、政府とマスコミと、薄汚い文筆家の多くが結託して、品の無いキャンペーンをやり、本や新聞を売って金を儲けているのだ。「金儲けを目的とした右翼思想」だ。そんな「右翼」しか、現代には残っていない。そんな紛い物に簡単に引っ掛かる程度まで、日本人は、支配層の目論見により、強制的にバカに堕とされている。そのことに誰も気付かない。
話がそれてきたので戻す。私は、左翼の主張が相手に対して高圧的になりがちなのは、自分の主張に、根底では、自信が無いからだ、と思っている。インテリの左翼主義者が最後に拠り所にするのは、結局のところマルクスだ。しかしマルクス・レーニン・スターリン主義の旧ソビエトが崩壊し、北朝鮮もあんな感じで、本当に自分の思想は大丈夫なのか、という不安感が、インテリ左翼の頭の中からは、どうしても払拭出来ない。その不安感をごまかして、勢いをつけるために、彼らは議論の際に、上から目線の高飛車な態度に出るのだ。私は、そのように思っている。
対してブレイディさんは、自分の頭の中の不安感が薄いのだ。その理由の一つに、彼女にはマルクス以外の思想の拠り所として、高校時代に読み込んだ玄洋社の本があるからだ、と私は思う。ブレイディさんの哲学の根っこは、他の左翼の論客よりも、非常に幅広く広がっており、しなやかで、かつ、強い。だから、相手に対して目線の低い立場から、穏やかに考えを主張出来るのだ。腰を低くして議論を始めても、相手に負けない強い自信が、彼女にはある。そこが、他の左翼と彼女は一線を画す、と、私は上のインタビューから理解した。
(ここで、「右翼と左翼の正反対の思想が、どうやって頭の中で結びつくというのだ?」という、素朴な疑問を持つ方もいると思うが、その説明はしない。取り敢えずご自分で、玄洋社について多少なり調べてみれば、少しは納得するだろう、と思う)
しかしである。女子高生が授業をサボって図書館に行き、あろうことか、並んで置いてある玄洋社の関連書籍を、かたっぱしから熟読しながら、毎日楽しく時間を過ごしていた、と、いうのだ。それも、アナーキー・イン・ザ・UK、とか、ゴッド・セイブ・ザ・クイーンなどの曲を、口ずさんだりしながら(おそらくは)、である。何というシュール、かつ、ハードコアな女子高生だろうか。どっかの古い曲の、校舎の屋上でタバコを更しながら、トランジスタ・ラジオから流れる音楽を聴く、という情景よりも、現実離れの度合いが、更にひどいではないか。
別に、彼女以外の女子高生が、誰も玄洋社の本を読まない、という訳ではないだろう。テレビの「東大王クイズ」に出てくる、鈴木光嬢のような才媛ならば、もしかすると、読んだりするのかもしれない。しかし、それでも、教養を付けるため、とか、歴史のレアな知識の一つとして玄洋社を知っておく、くらいの認識ではないのだろうか?
それこそ、自分が将来生きてゆくための、思想の礎に取り込むのだ、という熱い思いで、授業をサボって、学校の図書館で玄洋社の本を読み込む。そんなシュールな女子高生は、後にも先にも、ブレイディさんだけなのではないか?そんな少女が、今後も日本に現れるとは、私には到底思えない。(念のため付け加えるが、男の子でも、まずいないと思う)
私の頭の中が真っ白になった理由が、少しはお分かり頂けただろうか?
彼女は単に、異国に流れついてから、現地の生情報を送って日本を批判するだけの、何処にでもいる、中身の軽い左翼ライターではない。現在の日本で既に失われてしまった、由緒正しい保守思想の真髄を、若い時に(偶然にも)かつての総本山で会得した人なのだ。その人が外国で、底辺社会に身を置きながら、左翼をやっているのだ。
ブレイディさんの文章を軽く見てはいけない。“ニュータイプ左翼”と、呼ぶに、ふさわしい人物だ、と私は思う。
(続く)