書評「革命とサブカル」 安彦良和 著

相田英男 投稿日:2020/01/20 18:32

相田です。とある本の書評を書きました。

書評「革命とサブカル」 安彦良和 著、2018年、言視社 出版

安彦良和(やすひこよしかず)という人物の名を聞いた時の印象は、年齢により相当に違うだろう。60歳以上の多くは、おそらくは「誰それ?」だ。30歳代より下の世代になると「年寄りのイラスト書く人だよな」という感想だろう。しかし、私を含める40〜50歳代は違う。「おお、あのアニメのカリスマではないか!!」と、誰もがすぐに気付く。

彼の名前を知らずとも、彼が描いたイラストなら、日本人のほぼ全てが目にしている筈だ。テレビアニメ「機動戦士ガンダム」の、登場人物を手掛けたアニメ画家(イラストレーター)だ。今では缶コーヒーのイラストにも、安彦氏の描くガンダムのキャラが印刷されている程である。

安彦良和は、日本のアニメ業界の作画家として、文句無しに、歴代トップに挙げられる人物だ。安彦氏の描くアニメキャラクターには、他の画家の追付いを許さない気品と力強さがある。

アニメ作家として、誰もが真先に思い浮かぶのは、かの宮崎駿(みやざきはやお)だろう。が、人物画を描くならば、宮崎駿の腕前は、安彦氏の足元にも及ばない。アニメ評論家の岡田斗司夫(おかだとしお)が書いていたが、有名な宮崎キャラの、クラリスやナウシカのイラストを止め絵で見ると、あまりにも単純で貧相な絵だと気付く。宮崎キャラの魅力は、動画で見た際の動きや、きめ細やかな演出で支えられているのだ。キャラ自体の絵の魅力は、安彦氏や、彼と同時代の作画家の湖川友謙(こがわとものり)の方が、宮崎氏よりも遥かに優れていると、私は思う。

安彦氏はガンダム以前にも、「宇宙戦艦ヤマト」の初期シリーズ、「ゼロテスター」、「ライディーン」、「コンバトラーV」といった、当時の子供の記憶に残るSFアニメの、主力画家として参加している。これらのアニメを私は、子供時代に、再放送を含めて全話見ている。これらの作品に登場する、安彦氏の描く人物達には、他のアニメと違った、気品と人間味が感じられて、続きをついつい見たくなってしまうのだ。

「ガンダム」(第1作目)についての思い入れは、皆々にそれぞれあると思う。私の場合は、本放送を途中まで見ていなかった。その内に、クラスの友人達の間で、「何やらトンデモないロボットのアニメが、テレビで放映されてるぜ」という話題が広がった。それで私はある日、自宅のテレビのチャンネルを、番組に合わせてみた。

そこでテレビに出てきた、ロボット同士の戦闘場面はこんな感じだった。ガンダムが敵のロボットに向けて、離れた距離からビーム砲を何発も撃つ。しかし、相手は足を止めたまま、上体だけを前後左右に揺らして(スウェーさせて)そのビームを躱す(かわす)。ガンダムのパイロット(実は14歳の少年)は、操縦者としての適性を味方に疑われていたため、「避け(よけ)もしないのか?この野郎」と逆上する。一方の敵は、経験豊富な傭兵パイロットだった。彼はロボットの操縦席で冷や汗をかきつつも、「正確過ぎる射撃だ。それゆえに(ビームの軌道を)コンピュータにも予測しやすい」と、うそぶくのだ。(ファンならここまでで、どの話数なのかすぐにわかるだろう)

それまでのロボットアニメの戦闘シーンは、例えば神谷明(かみやあきら、当時の代表的な声優さん)が、ロボットの持つ武器の名前を連呼しながら、最後に必殺技を繰り出して怪物を倒すという、水戸黄門的なワンパターンが定番だった。しかしガンダムのドラマは、そんなパターンとは、異次元のレベル差なのが瞬時にわかった。子供の私でも「凄い、アニメでこんな、人間臭いリアルな芝居が出来るのか」と、観ながら息を呑んだ。ついでにその時に、「ライディーンで見た絵柄の主役が、「巨人の星」の声で喋っているじゃん」と、私は気づいた。

「ガンダム」の爆発的なヒットにより、アニメ界での輝かしい前途が、安彦氏の前には開かれていた。前にも後にも、安彦氏よりも上手く人物キャラを描けるアニメーターは、日本には存在しない。しかし、ガンダム以降の安彦氏は、アニメの仕事を徐々にフェードアウトさせ、1990年代以降には、アニメの仕事を完全にやめてしまう。以降は専業のマンガ家として、歴史を題材にした作品を単発的に発表するだけだった。

私は安彦氏の描く歴史マンガには、あまり魅力を感じなかった。安彦氏が去った後の、無味乾燥なアニメの世界を眺めながら、寂しさと煮え切らなさを感じつつ、その後の30年近くの年月を私は過ごした。

この本は2年前に出版されているが、私が書店で見かけたのは、今年の正月明けだった。この分厚い本を棚から取って、開いた私はギョッとした。その内容が、安彦氏の描くイラストのイメージから、あまりにも掛け離れていたからだ。

本書は、前半が安彦氏の大学時代(青森県の弘前大学)の友人達との対談、後半が自身で書かれた、(アニメでなく)政治に関する論考という構成だ。その前半で対談する、安彦氏の友人達の顔ぶれが凄い。元連合赤軍のメンバーで、「あさま山荘事件」の直前に、逃亡中の軽井沢で逮捕されて、20年以上の懲役刑に服した後に、出所した人物が2名。68,69年の東大紛争の際に、青森から上京して、安田講堂の占拠、封鎖に参加して、逮捕された人物が3名。その他の元劇団員、精神科医、等のメンバーも、全員が、大学時代に全共闘(全学共同会議)の活動家だった方々だ。

60年代後半に全国の大学で広がった大学紛争の最盛期に、安彦氏は弘前大学の学生だった。弘前大学での安彦氏は、全共闘の熱心な活動家だったのだ。安田講堂の紛争が鎮圧された直後に、弘前大学でのバリケード封鎖の際に、安彦氏は首謀者の一人として逮捕され、そのまま大学を退学となる。逃げるように青森から東京に出て来た安彦氏は、たまたま募集中だった、手塚治虫の虫プロ(当時は既に倒産寸前だったが)の従業員に採用された。最初は演出等のドラマ作りを担当していたが、元々趣味だったイラストの、尋常ではないレベルの上手さが、次第に周囲に認められ、作画家として引っ張りダコとなったらしい。

ガンダムの監督の富野喜幸(とみのよしゆき)氏が、最初に安彦氏を見たときに、「何と仕事が遅い、不器用な演出家だろうか」と、仕事振りにあきれたいう。「どうせ彼はすぐに、虫プロを辞めて、アニメ業界から居なくなるだろう」と、思っていた富野氏は、しばらく経ってから「ライディーン」の企画会議で、安彦氏のイラストを初めて見た。そのクオリティの高さに、富野氏は驚いたという。その時の印象を「学生時代に、手塚治虫のマンガを初めて読んだ時と同じ衝撃を、安彦氏の絵から感じた」と、富野氏は自伝で語っている。

以来、富野氏は安彦氏と一緒に作品を作ることを願っていた。ガンダムでそれは達成されたのだが、それ以降、安彦氏はアニメを止めてしまう。富野氏は仕方なく、代わりに湖川友謙に頼らざるを得なかった、という。だから湖川氏も、安彦氏に並ぶ程の超一流の作画家なのだ。ちょっとくらい性格が悪いからと、「イデオン」を見もしないで、湖川氏の悪口を流布するな、と、私は怒りを感じる。

この本を読んだ私は、安彦氏がアニメをやめた理由が、ようやく腑におちた。私の言葉で、大きく意訳すればこうなる。かつての自分達の、全共闘の学生達の主張、それは、「自分の目の前に見える理想を、手っ取り早く、最初に実現しさえすれば、世界全体への革命につなげることが出来る、そして良い世界が作れる筈だ」だった。その全共闘の主張と、アニメで繰り返し描かれる思いと願い 、それは、「主人公の身近に起こる出来事や、友人達の超常の力を使うことで、世界を変えられる(所謂セカイ系に通じる思い)」が、同じである事に、安彦氏は気付いたからだった。

全共闘の主張が先鋭化して連合赤軍となり、「よど号ハイジャック事件」や資金調達のための銀行襲撃、そして「総括」と呼ばれる集団リンチ殺人に至って、最後は瓦解する、その破滅までの道のりと同じ景色が、アニメの仕事をやりつつ、安彦氏は見えてしまった。だから安彦氏は、アニメから離れたのだ。私はそのように理解した。

サブカルには巨大な闇がある。その闇に無自覚なままで、サブカルに耽溺する事は危険だ、と、全共闘を経験した安彦氏は直感で感じた。その危機感を、わかりやすく紐解くために、かつての友人達を招き、あるいは自ら彼らの元を訪れて、消えそうな記憶を再度重ねてゆく過程が、この本の骨子となっている。私にはそう思える。

安彦氏の主張は、実は私にも無関係ではない。元連合赤軍の友人との対談の中で、シールズの国会前のデモ活動の話がある。「シールズのデモに集まった半分が、60歳以上の高齢者達で、残りは30歳代以下の若者達が主体だった」という友人の話に対し、安彦氏は「その間の年齢層が、スッポリ抜けてるだろう。それがサブカル世代だ。俺たち全共闘世代の後に出現した、政治を論ずる事なく、代わりに、サブカルを選んだ連中だ」と、断言する。それに対して、友人曰く「お前がサブカルにこだわる理由が、ようやくわかったよ」だ、そうだ。

私も、この安彦氏のコメントには「ああそうか、俺もサブカルにドップリ浸かってる世代なんだ」と、大いに納得した。サブカル世代の一員として、安彦氏の問いかけに応える義務がある、と私は思う。

かつての宮崎勤による幼児誘拐連続殺人を始め、オウム事件や、最近では京都アニメ放火殺人事件、元エリート官僚による息子の刺殺、等、現実社会に向き合わず、サブカルに耽溺する人物の存在が引き金となった悲劇が、幾度となく繰り返されている。それは、今に始まった構図では決してない。大学紛争を経験した世代が、自らの行いに対して、正しく向き合わずに「総括」しないままだ。だからではないのか?と、安彦氏は繰り返し訴える。画家としての感性が強いだけでなく、あまりにも真面目過ぎる性格なのだ。

私がこの本を買った理由は、単に安彦氏のサブカル論に共感しただけではない。私の上の世代の学生運動の様子を、肌感覚で知るためのテキストとして、この本が最適だからだ。私は原発問題を調べるうちに、左翼研究者達の政治活動が大きな力を持っていた事実を知った。しかし、政治的無関心の最右翼であるサブカル世代の私は、学生運動を含む昔の左翼運動について、全くの無知であった。全共闘と民生派と中核派の違いもピンとこないのは、流石にマズイと私は思った。それで私は、東大全共闘議長だった山本義隆氏の自伝等を読み始めた。が、内容がハイブロウ過ぎて、初心者の私には取っ付きにくかった。

しかし、幼少の頃から安彦アニメを見続けた私には、本書は打ってつけである。私は読み進めながら、「こういう考え方の方が、あのアニメを作っていたのか」と、目から数多くの鱗を落としつつ、本書から深く学んでいる最中である。

この本は著者が有名人であるにもかかわらず、ほとんど話題になっていない。あたり前だが、アニメを見ない人には、文筆家でも学者ではない安彦氏について、関心など持てない。一方で、ガンダムに詳しいサブカル世代の中年には、政治的知識や関心が乏し過ぎて、安彦氏が何を言っているか理解出来ないし、興味もないだろう。

本書の内容にも、読むのにかなりきつい所がある。元連合赤軍の二人からは、「総括」に立ち会った際の状況と、その後の心境の変化について、安彦氏は詳細に訊きだそうとする。容赦がない。単なるアニメファンには、ちょっとついて行けないと思う。

これらの事を十分理解しつつ、安彦氏はこの本を出した。彼の英断に私は感謝する。

最近の私は、ここで、サブカル関係の投稿を繰り返して来た。無自覚ではあったが、その理由が、この本により、なんとなくわかった気がする。

私も運命にそれとなく導かれているように感じている。

この本については、あと何回か私は感想を書くだろう。

相田英男 拝