川内村に獏原人を捜せ!

六城雅敦 投稿日:2012/05/06 22:21

■バスツアーとその後

会員の六城雅敦です。2012年4月28日~5月1日で行われた学問道場主催「福島難民村見学バスツアー」参加後に愛車(12段変速の自転車)で川内村を見学して回りました。
すでに福島県阿武隈地方は車で走り回ったので土地勘というか広大さは認識しております。
学問道場福島復興事務所が置かれる田村市都路も数年前の合併前は都路村でした。その北と南に位置する飯舘村と川内村もやたら広い。どちらも私が住む東京23区と広さ的には変わらないようで、縦横に自動車で走るだけでも1時間近く山道を走ることになります。
バスツアーでわかったことは、津波で破壊された海岸線の瓦礫は大部分が撤去され整地された土地にほぼなっていたことです。不謹慎ながら元々の街並みを知らないので視界の良い更地には清涼感さえ覚えたました。すでに四ツ倉では新築住宅が建てられており逆に清潔ささえ感じました。
ちょうど1995年1月の阪神大震災で神戸市長田地区が倒壊と火災で大部分が更地となりました。それでも6年後には見違えるほどきれいな街並みに変貌していました。古くて込入った区画整理もされていない汚い街がパンフレットにでてくるような街になったのです。
たぶん5年後10年後には津波の面影もほとんどわからなくなるでしょう。

それと各所に設置されている放射能線量計の表示ですが、どこもコンマいくつ(毎時マイクロシーベルト、毎時マイクログレイ)という自然放射線量とたいして変わらない値であったことです。あの飯舘村役場まえでも0.2μSv/h、福島第一原発10km圏境の検問前でも0.4μSv/hでした。
もう何も憂慮する点がないことが難民バスツアーの最終的な結論であり、よそ者の私としては水も空気も良い恵まれた土地を放棄して逃げているのだろうと考え込んでしまいます。
バスツアーでは田村市で有機農法を実践されている「ひふみ農園」を見学させてもらいました。福島第一原発から40km近く離れている場所です。水が豊富なのでもともとから農耕に適した土地のようです。有機農法といっても肥料として堆肥や籾殻を丁寧に鋤込むだけのようですが、農園主の渡辺氏は「土の光りかた」が隣とは全く違うのだそうです。
フクシマで高級米づくりを実践されている農園を見学したことで新たな可能性を見た気がします。それは有機農法だけではなく、自主流通米(農協を通さないお米)の強さです。
補助金もらえるから今年は耕作をやめる農家が多いそうですが、裏切られることがわかっているのに目先の金で楽なことへ転ぶ百姓根性では結局足腰が弱まるだけでしょう。農家の生活はたぶん大変なのでしょうが奮起しないことには何も変わらないのです。

■田村市から川内村を走る

そんな傍観的な感想を述べましたが、自分の関心は川内村に移っています。田村市以上に川内村はコンビニどころか食料品店も見あたらないド田舎です。見渡す限り田んぼと山以外何もない。ホーホケキョとあちこちから鳴き声が聞こえています。山間の国道といっても急勾配が続き自動車がないと生活には不便な場所です。
川内村の観光資源といえばイワナの渓流釣りと詩人・草野心平の天山文庫です。(草野心平の生家は国道399から少し脇のいわき市小川町に保存されて公開されています。)
とはいうものの道を走ればそこそこ大きな集落があり、人々は垣根があり瓦屋根の立派な家でした。通り過ぎれば普通の日本の農村風景です。信州や信越の農村と何もかわらない。

違う点があるとすれば、あちこちの農家では除染作業という看板を掲げて、数人から5、6人の作業着姿の方々が側溝の土や玄関周りをユンボや人力で土のうに詰めています。立派な庭では植木も剪定していました。おそらく近所の土木会社が請負っているのでしょう。その作業をされている方々も農家のおじいさんおばあさんばかりです。
そんな作業自体は無駄なのでしょうが、お金が動くことは悪いことではないので仕方がないと見つめていました。
そこで一句
「ウグイスや 除染という名の どぶさらい」

■川内村に獏原人はいるのか
「裸のフクシマ(講談社 たくきよしみつ著)」という事故直後のドキュメンタリーを読んで自給自足をするコミュニティーがあることを知りました。自給自足を目指すには福島の過疎地域はぴったりです。川内村は広大な面積ですが、その集落は中心地にまとまっており郵便局や日用雑貨はあるので、そこに住めばそれほど不便は感じないと思います。
それでもあえて水道も電気もない場所で暮らすコミュニティーとはどのようなものなのか、そもそも本当にそのような集落があるのかが疑問でした。
そのような人たちがいれば、それこそ筋金入りのリバータリアンでしょう。
でも川内村の国道を走っている限り、どうもそのような感じはいたしません。川内村役場には清流に多くすむ蛙に引っ掛けたスローガン「かえる かわうち」という大きな垂れ幕がかかり、帰宅を促しています。ということはまだ自ら難民という選択をしている村民も多くいるのでしょう。

正直がっかりしました。「裸のフクシマ」の書評で川内村の村民達はリバータリアンの手本だと思ったのは自分の考え違いだったのかとペダルを踏みながら自問していました。

広々とした片道一車線が続きます。八王子ナンバーのパトカーがたまに通るぐらいで自転車野郎にとっては理想的な道路です。 こんな牧歌的な良い場所を独り占めして申し訳ないなあ、などと思いながらペダルを踏んでいると、向こうからマウンテンバイクで走ってくる奴がいます。またしばらくすると派手な姿のロードバイクがすごい勢いで下っていきました。その後も何人かの自転車野郎とすれ違いました。休憩しているときおばさんから聞いたら、いまでも競輪選手達が平から走ってきて練習しているそうです。車がほとんど通らず道は整備されて広いし、山間部の勾配さえなければサイクリングにはうってつけに思えます。国道399を走り続け、手古岡トンネルを越えると脇道の入り口に「獏原人村入口4km」という簡単な看板が見えました。車で通っていれば見過ごしてしまうところです。

舗装されていないわき道を入ってみました。軽自動車、それも4輪駆動じゃないと入りたくない道です。

水も電気もない土地を開墾していまだに家族で暮らす「獏原人(ばくげんじん)」さんたちは本当にいるのだろうか?轍があるから可能性はありますが、単に富岡方面への抜け道だったら可能性はありません。荒れた砂利道に足をとられながら進みます。

道中にはそれらしき古びた表示が残されています。 場違いなトーテムポールが立っています。 30分ほどして辿り着いたところ、はたしてここが獏原人村なのか!?

大きな養鶏舎ではたくさんの鶏が鳴いています。ワンボックスと軽四駆があるのでどうやら人はいるようです。奥にはドーム型の建物が見えますし、脇には立派で大きなログハウスがあります。山水がひきいられて池が2つ作られています。 立派な施設が並び、電気はなくても巨大な太陽電池パネルが置かれておりますし、畑は耕されて新緑に覆われています。
ドラマ「北の国から」の家を想像していたら、洋風のログハウスにドーム型屋根の集会所らしき建物、広場や池、農地が開けた場所に効率よく配置されています。 そんじょそこらの農家よりもはるかに立派な農家のようです。

門扉はないので(トーテムポールが玄関かも?)敷地に立入させてもらい「こんにちわーどなたかいませんかー?」と何度か呼びかけたのですがどなたもいらっしゃらない様子でした。鶏だけが返事してくれるので、とりあえず獏原人さんの村を確認して引き返しました。
国道399に戻って駐車中の軽トラックの方に様子を伺ったところ、平市街へ出かけているそうです。反原発のジャーナリストがよく取材に来ているのでアンタもその口かいと聞かれました。単に自給自足の生活を見学に来ただけと答えておきました。
親切で面倒見の良いご家族だから会えれば良かったのにねえとおっしゃっていました。話し口調では一家族が住んでいらっしゃるようです。
自給自足とはいっても、自動車があればガソリンは必要ですし、現金のために鶏卵を売られているのです。おそらく農作業の合間には除染作業などもされているのではないかと思いました。 外界から切り離された生活ではなく、鶏卵を売り、日雇い作業を行う田舎暮らしを実践されている普通の農家でした。
有機農法の「ひふみ農園」と川内村、獏原人村の見学はとても興味深いものでした。