新刊 「臆病者のための裁判入門」
臆病者のための裁判入門
橘 玲 (著)
価格: ¥ 819
登録情報
単行本: 254ページ
出版社: 文藝春秋 (2012/10/19)
言語 日本語
ISBN-10: 4166608835
ISBN-13: 978-4166608836
発売日: 2012/10/19
商品の寸法: 17.4 x 10.8 x 1.6 cm
目次
PART1 裁判所という迷宮をさまよって
1 訴訟に至るまで
民事調停
東京簡易裁判所
東京地方裁判所
東京高等裁判所)
2 少額民事紛争に巻き込まれたら(紛争は当事者同士では解決できない
調停と仲裁
簡易裁判所の民事訴訟
本人訴訟
福島原発事故の損害賠償請求)
臆病者のための裁判入門 目次
PART1 裁判所という迷宮をさまよって
1 訴訟に至るまで
えっ、ぜんぶウソだったの?
事態は予想もしない展開に
「たんなる勘違い」にしておこう
本社に送った“前代未聞”の文書
保険会社としてあってはならないこと
部長の謝罪と交渉打ち切り
損保会社にも事情はある
当事者同士では解決不可能
2 民事調停
そんがいほけん相談室
法テラスの法律相談
民事調停の申立て
調停委員会
長屋のご隠居さん
3 東京簡易裁判所
法テラスの弁護士ウシジマくん
裁判の3つの選択肢
泡と消えた少額訴訟
門前払いの簡易裁判
民事裁判の傍聴はつまらない
裁判官と直接、話してください
陽気な総括判事
ようやく口頭弁論までたどり着いた
椅子から転げ落ちそうになる
簡易裁判所判事の“秘密”
4 東京地方裁判所
生真面目な書記官
特例判事補
敗訴の判決
バイクとマセラッティ
でっちあげの陳述書
理不尽な事実認定
ここで揚げ足をとられたんですね
「嘘をついてもかまわない」という判決
判決は最初に決まっている
いちばんの心残り
5 東京高等裁判所
ゴビンダさんの弁護士
形勢逆転
証人尋問
法廷前の廊下で立ち聞きをする
幻聴と幻覚
提訴は門前払いされて当然
その意味を重く受け止めていただきたい
実質勝訴なんだからもういいでしょう
2年5カ月目の決着
狡猾な裁判所
三方一両損
PART2 少額民事紛争に巻き込まれたら?
6 紛争は当事者同士では解決できない
コンプライアンス化する社会
「菊の御紋」による調停
暴力団を取締まると抗争が増える?
困ったら誰に相談するのか
弁護士による法律相談
感情とコストパフォーマンス
7 調停と仲裁
日本人はアメリカ人より訴訟が好き?
アメリカから逆輸入されたADR
超効率的な交通事故ADR
仲裁は「民営化された裁判所」
金融ADRの片面的義務
消費者紛争のADR
「代理店の説明が不十分」で解決金
顧客の質問が聞き取れなくて金銭賠償
ADRなら解決できたか?
8 簡易裁判所の民事訴訟
シュールな少額訴訟
「調停化」する民事訴訟
簡易裁判所の3つの司法制度
どこに訴えればいいか?
訴えられたどうなるのか?
9 本人訴訟
“利益”は1億数千万円
名誉毀損は特異な民事訴訟
判決はケツ拭く紙ほどにも役にたたない
危険な「サラリーマン大家」
賠償債務5億円でも「支払うのはばかばかしい」
和解より判決を好む特例判事補
アメリカが“訴訟大国”の理由
公的扶助と弁護士費用保険
弁護士選びは難しい
見知らぬ依頼人にはリスクがある
弁護士は親身になってくれない
本人訴訟で国を負かした主婦
10 福島原発事故の損害賠償請求
賠償資金の原資は電気料金
風評被害と間接被害
首都圏の「避難民」にも賠償を
破綻する仕組み
手弁当の弁護士
“行政的手法”の復活
触れてはいけない問題
シジフォスの神話
はじめに
最初に断っておくが、「裁判入門」といっても、本書で扱うのは刑事事件ではなく民事訴訟で、それも数万円から数十万円といったきわめて少額の話だ。そのうえ私は法律に関してはまったくの素人で、専門教育を受けたこともない。そんな私がなぜ、司法制度についての本を書くのか?
裁判員裁判が始まったこともあり、ほとんどのひとが「裁判」と聞くと刑事事件を思い浮かべるだろう。だが刑事裁判は、平凡で堅実な社会生活を送っているひとにとって身近なものではない。
年間の刑事事件は110万件前後だが、これは略式事件などを含めた数字で、裁判官や裁判員の前で検察官と被告弁護人が主張をたたかわせる訴訟事件はそのうち8万件程度だ(簡易裁判を除く)。それに対して民事訴訟は、地方裁判所で年間75万件、簡易裁判所で120万件。損害賠償など主として財産に関する紛争を扱う民事の通常訴訟だけを見ても地裁で約20万件、簡裁で約55万件、これに行政訴訟や人事(離婚)訴訟、少額訴訟、民事調停や特定調停などを加えると、年間で100万件ちかい紛争が裁判所を舞台に争われている。あなたが刑事事件の被告になることはおそらくないだろうが、誰もが人生のうちで一度や二度、民事紛争の当事者になったとしてもおかしくはないのだ。
民事訴訟というと、法廷ドラマに出てくるように、代理人(弁護士)が原告側と被告側に分かれて激論を交わす場面を想像するにちがいない。だが、次のようなデータを知っているだろうか?
2011(平成23)年度の地裁の民事事件(通常訴訟)21万2490件のうち、原告と被告の両者に弁護士がついた事件は全体の30%しかなかった。残りの7割は、原告か被告のいずれかしか弁護士がついていないか、あるいは原告・被告ともに弁護士のいない事件だ。
日本の民事訴訟の特徴は本人訴訟の割合が高いことで、地裁の事件のうち22.6%が原告・被告ともに本人訴訟、高等裁判所でも7.9%が双方ともに本人訴訟で、原告・被告のいずれにも弁護士がついた事件は高裁でも6割にとどまっている。
簡易裁判所ではこうした傾向がさらに顕著で、通常訴訟55万798件のうち当事者双方ともに弁護士・司法書士などの代理人がついたのはわずか2.8%しかなく、全体の97%超で原告・被告いずれかが本人訴訟だ。双方ともに本人訴訟のケースも32万件超と半数を超える。
少額訴訟は簡易裁判のなかでも請求額が60万円以下のものだが、じつに99%超が本人訴訟だ。総数1万4097件のうち、双方に代理人がついたものはわずか57件(0.4%)にすぎない。
ほとんど知られていないが、少額の紛争を中心に、日本の民事訴訟の多くは弁護士などの代理人を立てない本人訴訟で争われているのだ。
*
少額の民事紛争が本人訴訟で争われるのは、弁護士が扱わない(相手にしない)からだ。ほとんどの法律家は、請求額がきわめて些少で割に合わない少額の民事事件の実態をほとんど知らない。泡沫の裁判には誰も関心を持たず、書籍はもちろんインターネットを検索しても解説や体験談の類はほとんど見つからない(本人訴訟のハウツー本が何冊か出ているが、これも少額訴訟については概略が述べられているだけだ)。
私がこの「司法制度のブラックホール」に気づいたのは、2009年の秋、ちょっとした偶然から知人と大手損害保険会社とのトラブルに巻き込まれたからだ。詳細は本文に譲るが、それから2年半にわたって私はこの国の司法の迷宮をさまようことになった。
この私的な体験を本にしようと考えるようになったのは、次のようないくつかの要素が重なったことによる。
第一に、私は紛争の当事者ではないから、客観的な記述が可能だということ。被告(損害保険会社)に恨みもなければ、訴訟の結果に利害関係があるわけでもない。
第二に、たんなる支援者ではなく、原告の「代理人」になったこと。その結果、民事調停から東京高裁での審理まで、裁判のすべての過程にかかわることができた。
第三に、これがわずか12万円の保険金をめぐる少額の民事紛争だということ。医療過誤訴訟のような重い話でもなければ、相続争いのようなどろどろした怨念もない。
第四に、それにもかかわらず、司法の判断を求める正当な理由があること。私たちが“訴訟ストーカー”の類でないことは、東京高裁が地裁の判決に疑問を持ち、3時間に及ぶ証人尋問を行なったことからも明らかだろう。
最後に、裁判の構図がきわめて明快なこと。ほとんどの民事訴訟はどっちもどっちの罵り合いだが、この事件に関しては原告にまったく非がないことは明らかで、それは被告の損害保険会社も当初から認めている。
それなのになぜ、当事者同士で解決ができず、裁判へと泥沼化していくのか。すべての関係者が穏便な決着を望んでいるにもかかわらず、当事者に大きな負担をかけてまで、多額の税金が投入された司法の場にささいなトラブルを持ち込まざるを得なくなることに、この国の少額民事紛争の問題が集約されている。
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本書をこの時期に世に問うのは、福島第一原発事故の損害賠償請求がこれから本格化するからでもある。現在は被災者と東京電力が、原子力損害賠償紛争解決センターの仲介で賠償額を話し合っているが、交渉が決裂すれば裁判所の判断を仰ぐしかない。
深刻な風評被害を考えれば、福島県(あるいは東北各県)のすべてのひとが原発事故でなんらかの経済的な損害を被っているともいえる。そればかりか、放射能汚染とはなんの関係もない九州や沖縄まで外国人観光客に敬遠され、野菜や茶葉などの農産物は「日本産」というだけで輸入を拒否されるなど、被害は日本全国に広がっている。
紛争解決センターは、原発事故による賠償総件数が100万件を大きく上回り、そのうち紛争性のあるものは10万件を超えると予想する。日本の司法インフラではこれだけの民事紛争をとうてい処理することができず、今後、大きな混乱は避けられないだろう。金額の多寡にかかわらず正当な賠償が支払われるべきだと誰もが考えるだろうが、混乱のなかで、少額の賠償請求は支援の手から漏れてしまうかもしれない。
損害保険会社に交渉を打ち切られたとき、私たちに残された選択肢は、本人訴訟か、それとも泣き寝入りか、だった。今後、東京電力との交渉で同じ立場に立たされるひとたちが出てくるだろうが、そんなときには私たちのささやかな体験がきっと役に立つだろう。
ところで、ここまでの説明で不思議に思ったひともいるにちがいない。弁護士資格を持たない私が、原告の「代理人」になるのはおかしいのではないか?
ところが実際に、私は「代理人(補佐人)」として、簡易裁判所では法廷内に入り、地裁と高裁でも和解の場に同席した。そこでの稀少な体験が、この本を書くに至ったいちばんの理由だ。
いったいなぜ、そんなことが可能になったのか。
それは、原告が外国人(オーストラリア人)だったからだ。