中国発“ODA”は「何でもあり」?「北京コンセンサス圏」拡大で我が道をゆく 日経ビジネスオンライン連載 荒木 光弥 【ODA削減でいいのか日本】より

黒瀬祐子 投稿日:2011/07/13 15:08

 会員の黒瀬祐子です。最近、副島隆彦先生の『あと5年で中国が世界を制覇する』(2009年 ビジネス社 刊)を読み返しました。その中にあった中国のODA戦略に関連する記事を、日経ビジネスオンライン連載 【ODA削減でいいのか日本】で見かけたので紹介します。

 なお、副島先生のODA論=敗戦後に軍事国家(自力防衛国家)であることを禁じられた日本が、密かな国家戦略として取り組んで着々と実行してきた戦後最大の国際戦略(対世界戦略)。外務省の陰に隠れて、経済産業省(旧通産省の官僚たち)が営々と30年に渡って実行=という分析は「今日のぼやき」の下記の記事にあります。あわせて必読です。

「323」 力作論文 「ODA(政府開発援助)のからくりを大きく謎解きをする」を載せる 2002.7.15 
https://www.snsi.jp/tops/boyaki/350
「336」 続・ODAのカラクリ 2002.8.25
https://www.snsi.jp/tops/boyaki/369

 「中国のODAは日本のODAを手本にした国際戦略である」というのが、副島隆彦先生の『あと5年で中国が世界を制覇する』での分析でした。
 以下は、日経ビジネスオンライン連載【ODA削減でいいのか日本】より転載です。

(転載はじめ)

中国発“ODA”は「何でもあり」
「北京コンセンサス圏」拡大で我が道をゆく
http://cmad.nikkeibp.co.jp/?4_114514_533209_139

荒木 光弥  
2011年7月11日(月)

 アメリカン大学のデボラ・ブローディガム教授は2009年に「ドラゴンの贈り物(Dragon’s Gift)―アフリカにおける中国の真実」を出版した。その内容は、中国のアフリカ援助を丹念に現地調査しているだけあって新鮮だった。それは、中国の対外援助に関する情報が絶対的に不足していたからである。

 それでは少し本の内容を紹介してみよう。
 まず、(1)中国援助の特徴についてこう述べている。
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 中国援助の特徴は、ヨーロッパや日本から受けた援助のやり方を模倣していることだ。特に、中国は日本がかつて援助を商業的利益と結び付けた手法をアフリカで多用している。
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 1958年、日本は最初の円借款をインドのゴア鉄鉱石の採掘に供与するが、当時、ヨーロッパの掘削機材に比べて日本製品は品質が悪かった。

 そこで、日本はヒモ付き(タイド)の円借款により日本製品の輸出に結び付け、10年間にわたって毎年200万トンの鉄鉱石輸入を行い、その代金を日本からの融資の返済に振り向けた。中国はこうした体験を下敷きにアフリカを援助している。

 当時、日本ではこれを開発輸入と名付け、時にその事業を「ナショナル・プロジェクト」と呼んでいた。ナショナル・プロジェクトの多くは資源開発型で、常に国家が支援し、そのリスクも国家が担保していた。

 日本は開発輸入をこう解釈していた。資本、技術、経営の一体化した経済活動を通じて途上国の潜在的な資源開発を行い、それに市場性を与えて、これを輸入することにより、日本の必要な資源の安定供給確保に資する、であった。

■“モデル国家”として映る中国
 次に(2)アフリカ人から見た中国の援助については、このような意見を紹介している。
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 ナイジェリア外交官「アフリカ人には中国企業との競争に脅える人もいるが、中国は貧困から繁栄へと立ち上がった“モデル国家”として多くのアフリカ人の想像を刺激するものだ」。
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 この意見に関しては、「国家モデルについては欧米の民主化より国内体制の安定を優先する国家資本主義モデルだとし、このモデルに共鳴する途上国や新興国が増えている」と指摘した上で、「中国は経済協力(対外援助)を武器にロシアや中央アジア、中東、アフリカ、中南米と連携を深めている」と分析する人もいる。

 また、そこには安定と繁栄の弧としての「北京コンセンサス圏」(佐藤賢著『習近平時代の中国』=日本経済新聞出版社)が生まれ、欧米の「ワシントン・コンセンサス圏」と対立することになる、と予見する人もいる。
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 チサノ前モザンビーク大統領「欧米など援助国は、アフリカのインフラ支援や民間セクター支援を怠ってきた。中国の援助は、ほかの援助国が低い優先度をつけたインフラ開発や留学生への奨学金支給を重視してきた」。

 セネガルのワデ大統領「DAC(OECDの開発援助委員会)に加入している欧米、日本など伝統的な援助国は一種のカルテルを組み、援助の使い方やその内容まで高飛車に指導しようとする。1980年代の世銀ローンは平均60%の条件付きである。中国援助は押し付けず、我々のニーズに単純にして素早く対応してくれる」。
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 恐らく民主化のみならず、自分の価値観で正義を押し付ける欧米の流儀は、アフリカの指導者の目に「主権侵害」「内政干渉」と映っているのかもしれない。中国はそこを巧みに利用しながら、アフリカ諸国を国家資本主義的な「北京コンセンサス圏」内に引き込んでいるとも言える。

 著者のデボラ・ブローディガム教授は、中国のアフリカへの対外援助に対し、ある一定の評価を与えているように見える。恐らくこれまでの欧米諸国とは異なる援助の考え方や方法に一種の新鮮味を感じているのかもしれない。

■先進国が加盟するDACのルールを無視
 「ドラゴンの贈り物」発行から2年を経た今年4月、中国政府は初めて8カ国語に翻訳した「中国の対外援助」という小冊子を出版した。これで中国の対外援助は世界に向けて公式に情報開示されたことになる。

 それによると、1953年から2009年末までの援助総額は約2563億元(約3兆6000億円)で、161カ国に援助し、うち約50%がアフリカで、約30%がアジアである。これでも中国援助のアフリカ重点が明らかになった。

 もっとも中国の対外援助が急上昇し始めたのは2007年頃からで、そのピークは2010年で商業的な優遇バイヤーズ・クレジットを加えるとその総額は約650億元(約9000億円)の巨額に達すると見られている。

 中国の対外援助は、先進国が加盟するDACの援助ルールを無視しているので、その仕組みも方法も異なる。

■2006年に日本を抜いて世界一に
 要するに、インフラ整備から産業開発、農業開発、民間ベースの企業振興、市場開拓までのすべてを包括する援助が中国式で、その方法も無利子借款だったり、特恵貸付という優遇借款(返済帳消しもある)だったりで、中国輸出入銀行、国家開発銀行などがそれらの窓口になっている。

 ちなみに、中国輸出入銀行の2010年の融資承諾規模は4364億元(約6兆1000億円)、国家開発銀行の2010年の外貨融資規模は434億ドル(3兆7000億円)で、第12次5カ年計画期間中(2011~15年)には5000億ドル(42兆5000億円)の外貨融資を計画しているという。

 実際には、中国の国営企業なり私企業が援助事業に関与しても、それらは国家主導の下での仕事であって、国家の保護(リスクヘッジ)を受けているので安定性と持続性が高い。

 中国の外貨準備高は人民元の切り下げ圧力を受けながらも2006年に日本を抜いて世界一になり、その規模は3兆447億ドルを記録している。

 かつて日本は1980年代後半に外貨独り占め状態になって、世界中のバッシングを受けながら「資金還流計画」と称して650億ドルを一部は援助で、多くは投融資で外貨のバラ撒きを行ったことがあるが、この時の日本に比べてみると、中国の粘り腰は比較にならないほど強い。

 もっとも今の中国は最大の米国債保有国であり、2010年の保有残高は1兆1601億ドルの規模に達していて、米国への一種の圧力にもなっている。

■「中国は発展途上国」という意味
 中国はGDPの規模にせよ外貨準備高にせよ、また国防力にせよ、1人当たり国民所得を別にすると、どう見ても先進大国に等しい。ところが、2010年のトロントG20首脳会議で胡錦濤国家主席は「中国は発展途上国だ」と言い切った。

 この基本的なスタンスは、今も昔も変わらない。1960年末、東アフリカのタンザニアとザンビアを結ぶタンザン鉄道建設で4億ドルを投じて労働者4万人を動員した時は、今と違って最も貧しい途上国だった。

 それでも中国は“アジア・アフリカ連帯”を叫び続けていた。それが今も継承されている。したがって、中国が「我が国は発展途上国だ」と言って対外援助を展開する時は、日本の定義するODAとは本質が異なっている、と見るべきだろう。

 もっと議論を煮詰めると、中国の対外援助は最初から1つの思想をもった戦略的援助であったと言える。

 つまり、自らを植民地支配の犠牲者とみなして、欧米の植民地支配で苦しめられてきた多くの途上国側に立って、今も民族自決を叫ぶ。

 特に貧しい途上国がひしめくアフリカ大陸との政治的連携(最近は経済的連携が強まっている)を強化し、さらにはG20首脳会議の中の南アフリカ、ブラジル、サウジアラビア、トルコ、インドネシア、アルゼンチンなど新興国との連携強化を図りながら、欧米の対局に立って発言権を強化しようとしている。

 それはまさに、先に述べた「北京コンセンサス圏」作りにつながっている。

 例えば、中国は戦後の米ドル基軸の世界経済秩序の守り神的なIMF(国際通貨基金)の議決権比率を見直して、新興国や途上国の影響力を強めようと画策している。その実現は時間の問題だと見られている。

 そうなると、新しい世界経済秩序のみならず、新しい世界秩序作りにも中国の「北京コンセンサス圏」の圧力が加わる可能性が高い。

 そこまで深読みしないと、中国が自らを発展途上国だと主張する発想の底流が見えてこない。

■一種の「生命維持装置」となった対外援助
 そう考えると、中国の経済援助による台湾孤立化作戦などは、今の中国にとって時代的価値を失ったものと考えてよいだろう。

 軍事面では、台湾海峡を通過して、東シナ海からインド洋の沿岸に“真珠の首飾り”と呼ばれる海外港湾拠点を、対外援助をテコに設けている。例えば、パキスタンのグワダル港、スリランカのハンバントタ港、バングラデシュのチッタゴン港、ミャンマーのシトウェ港などがあるが、それが中東、アフリカ沿岸に延びていく可能性は大いにあり得る。

 しかし、これらは単に、軍事的戦略の下での拡大政策というより、今では中国経済の発展を支える海運力増強にも深く関係しているという指摘もある。

 とにかく中国が一党独裁支配体制を維持していくには一定の経済成長を持続し、12億の民への所得配分を続ける必要に迫られている。

 少なくとも年率5%以下の経済成長になると民の不満が広がり、体制崩壊への亀裂が深まると考察する学者もいる。その自転車操業に必要なのが、今や中国の対外援助であると言ってもよい。

 中国の対外援助は、中国に同調する仲間を増やし、政治的影響力を発揮するための手段だけでなく、自らの経済成長の拡大路線を維持する手段としての政策的価値を持っていると言える。

 日本でも経済再建を進めていく上で、ODAに求める国益的価値は日々増大しているので、その思惑は中国と違っていても、対外援助、ODAに託す考え方は、まさに中国と同床異夢だと言えないことはない。

(転載終わり)

【筆者プロフィール】
荒木 光弥(あらき・みつや)
1967年「国際開発ジャーナル」創刊に参加し、40年以上にわたり代表取締役兼編集長を務める。2003年10月より現職。外務省「国際協力に関する有識者会議」委員、経済産業省「産業構造審議会経済協力小委員会」委員、文部科学省「国際教育協力懇談会」委員などを歴任。主な著書に『途上国援助 歴史の証言-1970年代、80年代、90年代』(国際開発ジャーナル社)などがある

【荒木 光弥「ODA削減でいいのか日本」バックナンバー】
2011年7月11日
中国発“ODA”は「何でもあり」
http://business.nikkeibp.co.jp/article/world/20110707/221341/

2011年7月4日
対中ODAが続いている理由
http://business.nikkeibp.co.jp/article/world/20110630/221205/

2011年6月27日
途上国で“汚職の海”を泳ぐ
http://business.nikkeibp.co.jp/article/world/20110622/221069/

2011年6月20日
欧米に骨抜きにされた日本の援助哲学
http://business.nikkeibp.co.jp/article/world/20110616/220831/

2011年6月13日
「恩義を返される国」が揺らいでいる
http://business.nikkeibp.co.jp/article/world/20110609/220634/