「「植民地」から脱するために、必要なことはなんだろう?(追記)」

直木 明 投稿日:2010/06/04 06:06

「渡瀬夏彦の「沖縄 チムワサワサ 日記」」から貼り付けます。

(転載貼り付け開始)

2010年06月03日
「「植民地」から脱するために、必要なことはなんだろう?(追記)」

けさ写真家・石川真生さんのブログhttp://blog.livedoor.jp/ishikawamao/を開いてみて、なるほどその通りだよなぁ、と思った。長年名護市へ撮影に通い続けている真生さんならではの、ウチナーンチュとしての実感が書かれていた。

民主党代表選びや参議院議員選挙より大切なのは、9月の名護市議選挙と11月の沖縄県知事選挙だというべきかもしれない。

そこで名護市には、すでに「アメリカの代理人」や「安保マフィア関係者」が入り込んで、市民や市議会への切り崩し工作に力を入れているという情報がある。「新基地建設反対」の意思が明確な人は別として、基地誘致に慎重だった人まで、札束でほっぺたピタピタされて、懐柔されたりグラつき始めているのだという。軍需、土建の利権が絡んで、おぞましい光景が繰り広げられているのかと思うとウンザリする。

フラフラする市議会議員も情けないが、何より憎むべきは、沖縄をあくまでわがまま放題の許される「植民地」にしておきたい日米政府周辺の安保マフィアでろう。

では、わたしたちは、いったい何ができるだろう。

「普天間基地危険除去」の名を借りた「辺野古・最新型出撃基地建設」のたくらみを、完全に断念させるために。

名護市や沖縄県の、新たな「植民地化」を進めさせないために。

「海にも陸にも絶対に基地は造らせない」と表明している稲嶺進・名護市長をしっかりと支えるために。

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「新基地建設計画」を14年間押し付けられてきた地元は、辺野古・豊原・久志の辺野古周辺3区だけではない。名護市東海岸は、その3区と大浦湾をはさんで隣接する「二見以北10区」を含めた「久志13区」から成っている。そのことは、まだまだ全国的には知られていない。(追記:この計画によって大きな影響を受ける地域としては、名護市の南に位置する宜野座村松田区などもあげられる。なお、この記事のアップ当初の3区の地名が、辺野古・豊浦・久辺となっていました。訂正します。失礼しました)

青く美しい海と緑豊かな山とに抱かれた、「アメ」などしゃぶらされなくても、もともと「豊かな」場所。どんなに逆立ちしても都会では味わえない「心豊かな生活」のある地域である。

ジュゴンが回遊し、その餌場の「海草藻場」(海の中の牧草地帯のようなもの)があり、アオサンゴの大群落はじめ、希少生物の宝庫としての海が、住民のまさに眼前に広がる地域である。豊かな海は、間違いなく豊かな山が支えている。そういう土地である。

その地域に大規模自然破壊の最新型軍事基地を造ろうというのが、5月28日の「日米共同声明」の中身である。旧自公政権時代から、基本的に何も変わっていない、「実現不可能」なお粗末な計画なのである。

そこに小手先の訓練移転等「負担軽減策」をいくら付け加えたって、賢明なる名護市民、沖縄県民は、そんなごまかしに、だまされないのである。

わたしは今、東京に滞在しながらつくづく思う。
おのれの軸足を、少なくとも「心の軸足」をどこに置くべきか。
原点に立ち返りたいとしみじみ思う。

拠って立つべき場所は、永田町や霞が関なんかでは決してない。

名護市東海岸には、やむにやまれず基地建設反対運動に立ち上がった「地元住民」がいる。
それまで市民運動と無縁な暮らしを送っていた人たちが、96年に普天間移設候補地として名指しされてから、14年間も地道な運動を続けている。

旧自公政権の「アメとムチ」政策のおかげで、静かに暮らしていた地域の人びとは「賛成派」「反対派」に分断され、家族・親戚の間にさえ反目が起こった。この14年間の「心の被害」は、すでに甚大だ。それでも、信念を曲げずに辛抱強く、政府の横暴と対峙し闘ってきた人たちが、この名護東海岸に生活している。

その代表格が、当ブログにも何度か登場していただいている渡具知武清さん智佳子さん夫妻と子供たち。

渡具知ファミリーの「5月28日緊急集会」での訴えを、「ヘリ基地いらない二見以北10区の会」のホームページで読むことができる。ぜひご覧ください。
http://kichi-iranai.jp/d_10kumovement/d_konsyu/20100530/20100530..html

さて、渡具知さんと同じ集落に住む名護市議会議員・東恩納琢磨さんも、わたしは13年前の市民投票の頃、取材で出会った人のひとりだ。きたる9月の市議選でも、絶対に当選してほしい人である(応援ゆたしく、です)。

琢磨さんは、97年の市民投票の直前に、それまで勤めていた土木会社を辞めた。生活のためとはいえ、基地建設誘致派の会社にいることは、自らの良心に照らして、できなかった。基地に頼らないシマおこしをしようと、ピンチをチャンスに変える発想の転換で、エコガイドの事業を起こし、ジュゴン保護活動に力を入れるようになっていった。国際的なネットワークに積極的にコミットして、新基地建設計画の理不尽さを訴えてつづけてきた。土木会社を辞めるとき、妻には「おれは出世はしないかもしれないけど、子供たちに誇れる生き方はできる」と告げていた。もちろん妻も親も、彼の心を理解し、そうして今の琢磨さんの活動がある。

わたしは、おのが胸に「普天間問題」に関する日米政府の仕打ちへのワジワジー(怒り、腹立たしさ)がたまり、沸点に達したように感じるとき、辺野古・大浦湾の美しい景色や、この地域に住む人たちの顔を思い浮かべる。その瞬間、ふっと肩の力が抜けて、自分のできる範囲で地道に頑張ろう、という気持ちになれる。

岡田克也外相は、つい最近も「伊波洋一・宜野湾市長が、地元普天間の危険除去のための県内移設に反対するのはおかしい」という意味の暴言を吐いて、市長はもちろん沖縄県民の怒りの炎に油を注いだ。アメリカに脅され外務官僚に取り込まれ、腰が引けたまま仕事らしい仕事もできず、あげくに彼は、沖縄に対して不満をぶつけてきたわけである。

岡田氏にひとつ、明らかな事実を、控えめに申し上げておこう。
伊波市長にも、「県内移設」に反対する多くの宜野湾市民、沖縄県民にも、名護市東海岸に住む人や、豊かな自然が傷つけられることに対して、その「痛み」を共有する能力がある。あなたには、それが皆無なのである。

沖縄の人びとは、そういうあなたの、日米同盟のために沖縄の人間が泣いたって当然、といわんばかりの悪しき「官僚的」体質を、とっくに見抜いている。そして、地元合意無視の「日米共同声明」発表の「A級戦犯」の一人としてのあなたを、多くの沖縄県民は、決して許さないだろう。

沖縄県民から全国民に対して投げかけられているのは、まず第一に、この「痛み」に対する想像力を、あなたは持てるのか持てないのか、というシンプルな問いである。

それを抜きにして、普天間「閉鎖・返還問題」を「移設問題」などとすりかえて、お茶の間の話題にしていること自体、ちゃんちゃらおかしいのである。

ああ、なんだかこのところ、お気楽な話題がめっきり減って、普天間問題ばっかり書いている。

わたしが利用しているこの「てぃーだブログ」には、「足あと」機能という便利なものがある。昨日一昨日の2日間は、なぜかたまたま、バスケットの琉球キングス関係者や、ハンドボールの琉球コラソンの選手や、世界ランカーのプロボクサーといったスポーツマンの皆さんが、当ブログへの訪問の印である「足あと」を集中的に残してくださっていた(つまり、その人たち、みーんな「てぃーだブロガー」なんですなぁ、、、それもすごいことです、、、笑)。

もしかしたら「おいおい、渡瀬は最近、スポーツのこと全然書いてないけど、大丈夫かねー」という意味かもしれないし、「おれたちだって、普天間問題、ちゃんと関心持ってるよー」という意味合いもあるかもしれない。いずれにしても、ありがとうございます。ときには、テレビでスポーツ観戦したり、楽しいこと考えつつ暮らしてますので、ご安心を。

皆さんのことも、今後また書かせてもらいたいと思ってますので。

お互い、地に足つけて、頑張っていきまっしょい。
本日も良き一日になりますように。

(転載貼り付け終了)