「「日本一新運動」の原点(13) ── 偽造された「世論」は国を滅ぼす!」
「平野貞夫の『永田町漂流記』」から貼り付けます。
(転載貼り付け開始)
2010年8月29日 00:01
「「日本一新運動」の原点(13) ── 偽造された「世論」は国を滅ぼす!」
8月26日朝、小沢一郎は鳩山前首相と会談して、民主党代表選挙に出馬する決意を、礼節をつくして表明した。
これで「日本一新の会」の期待通りの局面となり、とにもかくにも、この日本をどう一新するのか、国民の生活・経済の活性化・安全保障の確立などを徹底的に提起し、ポスト”ポスト冷戦”の国家戦略を打ち立てて、わが国の方向性をはっきりと示して欲しい。
明けて、翌27日の新聞各社の社説を読んで驚いた。小沢氏の出馬について「小沢氏出馬 ── あいた口がふさがらない」(朝日)、「大義欠く小沢氏の出馬」(毎日)、「日本の進路を問う代表選に」(読売)、「『国のかたち』こそ争点だ」(東京)、「主導権争いだけの党代表選なら不毛だ」(日経)、「小沢出馬 国の指導者に不適格だ」(産経)と、みごとなまでに横並びである。タイトルにクレームをつけるのも大人げないとの思いはあるが、不思議なことに、いつ倒産してもおかしくない新聞社ほど、小沢に批判的なタイトルになっていることにお気づきの読者も多いと思う。
じつにちんけな現象ではあるが、小沢のメディア改革を恐れていると解すれば胃の腑に落ちる。
「新聞で食えなくなったら不動産で食う」と、私に豪語したのは朝日新聞の幹部だが、これが日本の巨大マスメディアの実体であり、社会の木鐸を自ら放棄していることから、健全なマスメディアは、日本に存在しなくなったといえる。他社の論説内容も似たり寄ったりであり、マスメディアの「大政翼賛会」を、自ら証明してくれている。
検察審査会で審理中の問題についても、「起訴相当」の議決の可能性があるから出馬すべきでないとの主張をくり返している。この件の問題点については、再三この論説で述べたからくり返さない。
主張は岡田外相と同じ意見だが、どうしてかくも憲法の原理や議会民主政治に無知な政治記者が多いのか。もしくは、その昔には持っていたはずの「記者魂」を大学に置き忘れたのか、新聞社のロッカーに仕舞いこんで「知らぬ顔の半兵衛」を装うっているのか。
そうではなく、問題を意識して語っているのなら犯罪的行為であると指摘せざるを得ない。百歩譲って、彼らの論に従えば、議会民主政治は成り立たなくなることも再三述べた。再現すれば、首相にしたくない政治家を検察が不起訴にしても、検察審査会に申し立てて、メディアを使い棚上げにすれば、その政治家の自由な行動を阻止できるわけだ。
小沢出馬表明の26日午後3時頃、関西テレビの電話インタビューに応じた。相手は山本というアナウンサーだったが、小沢氏が出馬を決意した経過を誠実に答えていたところ、「世論調査で80%の反対を押して出馬することはおかしい」とか、「起訴逃れの出馬か」という無礼千万な質問をした。「検察のリークでメディアが太鼓を叩き、鐘を鳴らして、小沢悪人の世論をつくりあげ、それを大衆にオーソライズさせる。悪質なのは君たちマスメディアだ」と、私は激怒して電話を切った。
YOMIURI ONLINEに、政治へあなたの思い(http://sum.qooker.jp/O/election14/ja/sp1.html?from=yoltop)という投稿コーナーがあり、小沢氏の立候補に76%の人が「支持する」と答えているが、新聞各社は公式に発表する世論調査との乖離を説明して欲しいものだ。
同じように、偽造された世論で国を滅ぼした例はドイツだけではない。この日本を戦争の道に導いたのは、当時の朝日新聞をはじめとするメディアだったことは歴史上の事実であり、戦後の新聞はその謝罪から再スタートしたのである。
小沢出馬をめぐる各社の社説は、「いつか来た道」を、まざまざと思い出すものであり、危険きわまりない社会現象であることを、メルマガ読者諸氏も心に留めていただきたいと切望する。しかし、マスコミの中にも良心と正義を主張する「わずかな」勇士たちがいるので、その一つを紹介しよう。
新聞各社が国を滅ぼしかねない社説を出した同じ日に、テレビ朝日のスーパーモーニングで、民主党代表選挙をテーマとし、小沢の出馬に関連して、「政治とカネ」が話題となった。生方幸夫民主党議員の小沢出馬批判に対して、週刊朝日の山口一臣編集長は「小沢さんの政治と金の問題は虚構だ」と明確に断言した場面を目にされた読者も多いと思う。反して、同じ民主党に所属する生方議員が、きまずそうにひと言も反論できなかったのが印象的だった。
西松事件で大久保逮捕以来、私が主張してきたのは「何故、民主党は小沢氏個人の問題としているのか。検察ファッショとして、民主党への政権交代を阻止する検察のあり方を調査、追求すべきだ」であり、それは『小沢一郎 完全無罪』(拙著・講談社)を始めとして、あらゆる機会を通じて述べてきたとおりである。
当時の菅代表代行を中心に、民主党として取りあげることを意識して避けたのは、今から思うと「小沢排除」の前兆であり、それを巧みに利用した、と仮定すれば、ただいま今日の現象すべてに納得がいく。
小沢一郎が代表選に出馬することで、「政治と金」(ここは敢えて「金」とする)について説明するなによりもの良い機会となる。小沢氏本人もそのつもりでいるし、メディアも正面から聞き取ってくれれば、それで少しは報道の姿勢も変わるだろう。
余談ではあるが、七月下旬、野中元官房長官と久しぶりに会う機会があり、その時に野中氏が、仙谷官房長官が『いろいろ』と相談に来ていることをふと漏らしたが、私はそれを聞いてたいへん驚いた。
ところで、この機会にメディアに言いたいことがある。それは、私の経験則に従えば、「内閣機密費」が代表選に使われる可能性が大であることだ。例えれば、すでに毒饅頭を食べた顔、さらには、もうすぐ毒饅頭が手に入る顔、そしていかにも欲しそうにしている顔、こんなことは、よくも悪しくも50年近く永田町の片隅で生きてきた私には、テレビに映る政治家の、その顔、立居振舞を見ればほぼ分かる。
これはまた、政治評論家、論説担当など、斯界にいる人々も同じであることも付記しておきたい。
(転載貼り付け終了)