2010年12月6日(月) 鈴 木 宗 男
ムネオ日記
http://www.muneo.gr.jp/html/diary201012.html
(以下貼付)
2010年12月6日(月) 鈴 木 宗 男
昨夜は鈴木家全員で家内の手作りの夕食。何とも言えぬ格別な味がした。
孫の元気な姿が神々しく見える。
いよいよ収監の日、家内は私の大好物をしっかり用意してくれる。
娘とたわいのない会話をしながら一緒に明治神宮に向かう。厳粛な気持で「真実が明らかにならなかった悔しさ無念さを正直に思いながら、国家の安泰と世界平和」を祈念する。見事な天気のもとで参拝し心洗われる思いである。
多くの人から「身体に気をつけて」と、電話・FAXが入る。かけがえのない素晴らしい凄い後援者にめぐまれ感謝の気持で一杯だ。
松山千春さんから「ムネオさん胸を張って堂々と行って下さい。足寄が故郷の我々はどこまでも一緒です。居ない間のことは心配しないで任せて下さい」と励ましを受ける。私にとって一番の「お告げ」であり、精神安定剤である。
松山千春さんはじめ北海道・全国の後援会、新党大地の皆さんしばらく留守をしますがどうぞ宜しくお願い致します。
それでは行って参ります。私は元気です。私はへこたれません。私には心ある人が付いています。お目にかかれる日を楽しみにしています。ごきげんよう。
2010年12月5日(日) 鈴 木 宗 男
昨夜、釧路からの最終便で上京。家に着いたのは23時になった。限られた時間しかないので雑誌の校正とか残された仕事をしたら夜中の3時近くになってしまった。
9時から日程が入っていたので予定通りこなしながら午後からは事務所で書類整理や留守の間の打合せを事務所の人達とする。9月15日異議申し立て棄却、10月7日食道ガンと言われ26日手術。あっという間の80日だった。
8年前逮捕される時は検察のリークによるメディアスクラムともいうべきバッシングで身動きが取れなかったが今回は同情や激励ばかりで、メディアの皆さんも冷静に受け止めて下さり。北海道内の後援会はもとより全国の主要な処にも挨拶に行く事ができよかった。
与えられた宿命の中でしっかり頑張って結果を出したいと改めて決意する。北海道はもとより全国の後援会、仲間、同志の皆さんしばらく留守を致しますがお許し下さい。
東京も北海道の事務所も従前通り機能しておりますので宜しくお願いします。一日も早くお目にかかれる事を楽しみにしながら行って参ります。
2010年12月4日(土) 鈴 木 宗 男
収監までの限られた時間の中で種々打合せをする。
昨日昼は私の指南役ともいうべき佐藤優さんと様々なシミュレーションの中で戦略・戦術を話し合う。佐藤さんの分析・先見性にうなずきながら自信がわいてくる。
夕方、札幌に向かい松山千春さんと私の居ない時・留守の間・選挙になった時を含めて新党大地の立ち位置・対応・細部にわたり相談する。
松山さんの考えと私の思いは一致し価値観を共有できることは有難いことである。松山さんの人間失ってはいけない「情」「心」「感性」を改めて感じながら凄い「心友」に心から感激した。
今日も松山さんから電話があり「ムネオさん堂々と胸を張って行って下さい。どんなことがあっても最後迄ムネオさんと一緒ですから。足寄がルーツの2人ですから。何も心配しないで何かあった時には先頭に立ってやりますから」と励ましを受ける。ただただ涙が流れてくる。電話の向でも千春の涙声が伝わってきてお互い言葉が繋がらない。足寄に生まれ育ち、故郷にこだわって生きてきた2人だけにしかわからない価値を確認でき幸せである。私にとって松山千春さんは特別の人である。
10時から帯広・十勝管内、14時から網走管内、17時から釧路・根室管内の鈴木宗男後援会新党大地支部の拡大役員会。皆さん「待っていますよ。身体に気をつけて」「死ぬ迄鈴木宗男ですから心配しないで」「必ずカンバックして下さい。応援しますから」等々声をかけられる。
厳しかった昭和58年最初の選挙。有罪判決を受けての平成17年9月、21年8月の選挙を乗り切ってくれた我が後援会は日本一の後援会である。
人間関係に感謝しながら収監前にお詫びの挨拶が出来ホッとする。8年前逮捕の直前はマスコミにも追いかけられ選挙区に帰ることはままならなかった。
今、世の中空気は変わり東京・北海道の事務所には激励の山である。判ってくれる人、理解してくれる人が圧倒的に多い。私は意を強くして6日に臨んで行く。