「関ヶ原合戦と民主党代表選は相似形、菅首相と小沢前幹事長のどちらの味方か、負けた民主党議員は、斬首!」
「板垣英憲『マスコミに出ない政治経済の裏話』」から貼り付けます。
(転載貼り付け開始)
2010年09月02日 20時30分22秒
「関ヶ原合戦と民主党代表選は相似形、菅首相と小沢前幹事長のどちらの味方か、負けた民主党議員は、斬首!」
◆「民主党代表選は、天下分け目の関が原合戦の様相だが、勝算と戦略を聞きたい」といった趣旨の質問が投げかけられた。9月2日午後1時すぎから3時すぎまで、日本記者クラブで民主党代表候補公開討論会が行われ、NHK総合テレビで約2時間中継された。同じ党内での代表選なのに、いかにもライバル政党・自民党との間で繰り広げられる政権争奪戦でもあるかのような質問の仕方であった。
菅直人首相は「全国のみなさんの激励を受けて戦いたい」と、小沢一郎前幹事長は「代表選が戦いであるとすれば、勝利をめざして戦う。勝敗は別問題で、結果はどうあれ、挙党一致でいく。アメリカでは、オバマとヒラリーが大統領選挙戦中は、お互いに罵り合っていたのに、終われば仲良くやっている。そのようにしたい」とそれぞれ答えていた。
◆しかし、日本の場合、現実には、選挙の後、そううまくはいかない。とりわけ小沢前幹事長は、一旦敵に回った者に対しては、厳しく報復するのが、常である。これは、師匠の田中角栄元首相譲りのところがある。その最たるものが、選挙において「刺客」を送って落選させる手法である。
たとえば、師匠・田中元首相は、「おじいちゃん」の愛称で知らた西村英一(1897年8月28日 ~ 1987年9月15日、運輸官僚出身、自民党副総裁)を信頼しご意見番とし、田中派(七日会)の初代会長に充てていた。だが、1979年10月の総選挙後、大平、田中の主流派と福田、三木武夫、中曽根康弘ら反主流派は四十日抗争を繰り広げていたなか、西村副総裁は両陣営の調整役を務めた。1980年6月の総選挙(衆参同時選挙)中に大平が急死し西村副総裁は自民党総裁代行として総理大臣臨時代理の伊東正義と二人三脚で選挙運動を遂行していた最中、田中元首相の知らないところで、大平政権の後継として西村副総裁の名前が上がったことから、怒った田中元首相が、秘書の佐藤昭子を使い、西村副総裁のライバル田原隆前衆院議員を実質的な「刺客」に仕立てて積極的に支援、このため西村副総裁は落選(次点)、その後、政界引退に追い込まれた。たとえご意見番であっても、「背いた者」には容赦はしなかったのである。
◆弟子の小沢前幹事長は、師匠の手法を踏襲している。「来る者拒まず、去るもの追わず」をモットーにしながら、とはいえ、「背いた者」には、師匠同様に容赦はしない。この点から、小沢前幹事長は9月1日、自分の陣営と菅陣営がそれぞれ開いた「総決起集会」に参加した顔ぶれに神経を集中していた。読売新聞は2日付け朝刊6面「国際面」に「菅・小沢両陣営 総決起集会の参加者」(菅氏は読売新聞調べ、小沢氏は小沢陣営調べ)を掲載している。
総決起集会の参加者は、菅陣営は120人、小沢陣営130人。全議員412人なので、態度を決めていても何かの都合で参加できなかったり、様子見の中間派(勝ち馬に乗ろうとしているで者を含む)であったりの国会議員は、162人(39・3%)ということになる。
両陣営が狙っている陣笠・新人衆院議員は全体で143人、このうち菅陣営に37人、小沢陣営に49人が駆けつけた。ただし、両陣営ともに、スパイを送り込んでいると見られ、実数には、増減がある。態度が不明の陣笠・新人衆院議員は、残り57人ということである。
◆民主党代表候補公開討論会のなかで、小沢前幹事長は、「衆参ねじれ」を解消するための方法として「他党との連立、組み換えを想定しているか」と質問を受け、「いまは選挙戦が始まったばかりで、選挙後のことを言うのは不謹慎。もし、勝利したときは、スカッと申し上げます」と答えていた。これは、小沢前幹事長が代表選挙に勝利すれば、直ぐにスカッと言えるところまで、連立組み換えの下準備を済ませていることの証拠でもある。事実、小沢前幹事長は、参院選後、水面下に深く潜り、各党トップクラスとの折衝を進めていた。自民党の一部、みんなの党、たちあがれ日本、新党改革、国民新党、公明党である。
各党は、菅政権は「左翼政権」と感じて、菅首相との連立を嫌っており、連立は難しく、「衆参ねじれ」の解消は絶望視されている。このためか、菅首相は、公開討論会での質問に対して、「野党時代の民主党が作成した金融再生法案を自民党に丸呑みしてもらった。本当に国民ために謙虚に話し合い、共に責任を感じて行けば、合意形成はあり得る。政策合意して法案を成立できる」と延べ、熟議の民主主義による合意形成に期待していた。だが、自民党は、政権奪還を激しく対抗してくる可能性が大であり、連立組み換えにより参院で過半数確保ができなければ、2011年度政府予算案の国会審議がヤマ場を迎える2011年3月に民主党政権は、デッドロックにぶつかる危険があるということだ。
こうした危機状態を回避するには、どうしても他党との人脈豊富な小沢前幹事長の手腕が欠かせない。たった一人しか当選できない衆院小選挙区制下での連立組み換えは、本来は難しいけれど、他党とバッティングする候補者との調整に当たって、小沢前幹事長が、菅首相支持に回った陣笠・新人衆院議員を他党候補者に差し替えて支援することは、十分あり得る話である。当事者の1人として初めての権力闘争に加わる陣笠・新人衆院議員のこれからの命運を左右する代表選でもある。菅首相が勝利すれば、立場は逆転する。
1600年9月15日の関が原合戦の人間模様は、410年の時空を超えた2010年9月14日の民主党代表選の人間模様とは、実に恐ろしく相似形である。菅首相と小沢前幹事長のどちらを支援するか、負けた民主党議員は、斬首!
(転載貼り付け終了)