「続・「高野論説」に垣間見える、非人間性と欺瞞性」

投稿日:2010/06/17 07:25

「心に青雲」から貼り付けます。

(転載貼り付け開始)

2010/06/16(水) 17:41
「続・「高野論説」に垣間見える、非人間性と欺瞞性」

今日も「高野孟」にこだわってみた。

というのも、今まで「The Journal」を通じて民主党支持者、特に小沢支持者を騙し続けてきた、その罪は重いと思うからである。

本ブログ6/13エントリー≪高野論説で気づいたオリジナル民主党の台頭と小沢氏排除の論理≫は多くの人に読んでいただき、反響もあった。(参照:阿修羅掲示板)

「高野論説」の中で高野氏は、小沢氏の欠陥として内田樹『日本辺境論』を取り上げながら、

≪最初から「説得の言語」を持とうともせずに「恫喝の語法」に頼り、そしてさらに言えば、その恫喝の語法を貫徹するために、言語そのものを用いることさえも放棄して、組織や人事や選挙を通じて力をみせつけて、自分が「最高実力者」であり「闇将軍」であることを有無を言わせず認めさせ、「立場の差を構築」しようとするのが小沢流と言えるかもしれない。≫

と口汚く罵っている。かなりの決め付けであり、やはり考え方でも田原総一郎の子分であったことがよくわかった。
別に高野氏が「反小沢」だろうが「嫌小沢」だろうが、そんなことは知ったことではないし、勝手にどうぞくらいである。

ただ、何故こだわるのかといえば、小沢氏が進めてきた政治改革を支持するフリをして、多くの読者を取り込みながら、内実はその多くの読者を騙してきた、という結果的な詐欺的事実があるからである。

かくいう私も騙され続けてきたクチだ。
このサイトに何故、田原総一郎の説を載せるのか、いつも疑問に思いながら、親分子分だからしょうがない、くらいに思ってきた。

それが、この6月12日の「高野論説」で、その本性を思いっきり出してきて、今まで抑えてきたものが爆発したように書きなぐっている。ほぼ田原氏の意見とも一致しているのではないかと思う。

以前の「高野論説」”鼠一匹”も出ない?小沢事情聴取──追い詰められているのは検察であるの冒頭で、
≪東京地検特捜部が目指しているのは、政治家=小沢一郎の抹殺すなわち議員辞職であり、それは無理だった場合でも、せめて幹事長辞職に追い詰めてその影響力を決定的に削ぐことである。≫

と言っているが、今まで自分のホンネを隠し、表面的には「政治とカネ」で追及されている小沢氏をフォローしていたが、実は民主党のためだけだった、ということがよくわかった。

私も白状をすれば、高野氏の論説で今まで惹きつけられたものは一つもなかった。平野貞夫氏や二見伸明氏、田中良昭氏などの論説を楽しみにしていたくらいだ。

*****政治ブログ***********

知らなかったのだが、このジャーナルのコメント欄は、承認制になっているとのことで、もっと反論があってしかるべきと、反対意見の少なさを不思議に思っていた。
定かではないが、菅総理になったと同時くらいに承認制になり、反論を受け付けなくなった、と阿修羅コメント欄に書いてあった。

この「高野論説」の小沢氏の評価の中に、人と人との心情的なつながりというものを無視して語られていて、小沢氏がどのような理想に向かって行動してきたのか、どういう人たちに対して説得しようとしていたのかが、一切抜け落ちている。小沢氏が自民党を離党して、今日の政権交代に至る過程の全てを表層的にのみ捉え、その見方は悪意に満ち満ちている。

小沢さんは「政策」などに関しては、ストレートにわかりやすく、伝えようという努力の後がみられるが、こと「政局」に関係するような話題は、本人の口からは語られず、側近などから漏れ伝わってくるのが常である。

あることないことペラペラしゃべる、マイクを向けられたら喜びいさんでマスコミが意図するようなことを進んで言って媚びを売る連中とは、そもそも人間の重みが違うのである。

小沢さんの影響力を考えれば、当たり前の話なのだが…。

既に小沢一郎を過去の人だとして先日、私のツイートに変な返信がついていた。

「小沢さんにはまだ大きな仕事が残っている」というツイートに対して、

≪まだ小沢ですか。逃げた女房にいつまで未練を残しているんですか。≫ と、わざわざ返信してくる民主党支持者と思われる輩がいる。(参照)

そういう人間に限って歴史を軽んじ、先人達の功績に思いを馳せることもなく、年輩者に対しての尊念(尊敬の念)も持ち合わせていない、他人を思いやる心の余裕もない、自分の力で生きている、くらいに考えているような、自己中で傲慢な、人間として欠陥がある者だと思う。

これと全く同じことを高野孟氏に感じる。

菅政権も歴史的政権交代の最大の功労者に対して、その評価もせず、逆に「黙って引っ込んでろ」などと言えるのは、まさに同類である証拠といえるのではないだろうか。

(転載貼り付け終了)