「後期高齢者医療「新制度」中間案  厚労省役人の執念は凄まじい 民主党政権の二重の裏切り」

投稿日:2010/07/28 07:06

「プロメテウスの政治経済コラム」から貼り付けます。

(転載貼り付け開始)

2010-07-27 21:48:09
「後期高齢者医療「新制度」中間案  厚労省役人の執念は凄まじい 民主党政権の二重の裏切り」

昨年の総選挙で自公政権が退陣に追い込まれた原因のひとつに後期高齢者医療制度があった。名前が悪いと、長寿医療制度と言い換えてみたが、老人層を中心に怒りが収まらなかった。民主党は、マニフェストに「後期高齢者医療制度の廃止」を掲げ選挙に大勝したが、早くも長妻昭厚労相は10月に入り廃止の先送りを明言、厚労省役人は制度廃止を求める声を無視した次年度予算の概算要求を出した。
厚労省役人は、民主党政権になっても、“政治主導”など“クソ食らえ”であった。政治家が役人と同じ土俵で議論したのでは勝てっこない。制度の詳細についての研究の度合いが違うからである。高い政治理念をもたない政治家は簡単に丸め込まれる。

厚生労働省は23日、高齢者医療制度改革会議を開き、特定の年齢以上の高齢者を差別して負担増と医療抑制を強いる後期高齢者医療制度の根幹を残す「新制度」の中間とりまとめ案を示した。制度の廃止を4年後に先送りした上に厚労省役人が狙った差別制度の根幹を残すことは、国民に対する民主党政権の二重の裏切りである。
中間案によれば、サラリーマンとして働く高齢者やサラリーマンの家族に扶養される高齢者は組合健保や協会けんぽなどの被用者保険に残すこととし、制度の手直しをしたが、残り約8割の高齢者を別勘定に囲い込み、国民健康保険(国保)に加入させる。75歳(または65歳)以上の高齢者は都道府県単位、それ以下は市町村単位の財政運営とする。別勘定の対象年齢を65歳以上とするか75歳以上とするかは、引き続き検討するという。その上で、高齢者の医療給付費の1割を高齢者自身の保険料でまかなうとする。何のことはない。後期高齢者医療制度の根幹である高齢者を別勘定にしておいて一定割合を高齢者に負担させるという差別制度はまったくそのままなのだ。

年齢で区分する別勘定制度をつくったのは「医療費が際限なく上がっていく痛みを、後期高齢者が自分の感覚で感じ取っていただく」(厚労省役人)のがその第一目的。現役世代に重い「支援金」を課して高齢者医療費を負担させる仕組みにすることで、現役世代と高齢者を対立させ、こちらからも医療費抑制の圧力をかけさせようというのが第二の狙いである。
高齢者の負担割合は、当初は1割で、高齢化や医療費増加に合わせて2年ごとに引き上げられる。実際に制度開始から2年後の今年、多数の都道府県で保険料が値上げされた。お年よりの医療費を別勘定にし、お年よりに肩身の狭い思いをさせて無理やり医療費を抑制する――。お年よりの人間としての尊厳を踏みにじり、医療費が負担できないお年よりは、病気になれば早く死んでくれ――これが後期高齢者医療制度の根幹に有る思想であり、エリート厚労省役人の非人間的執念なのだ。

高齢者差別の根底には、「負担と給付の明確化」という考え方がある。病気になるのも自己責任なのだから、給付を受ける高齢者自身が負担すべきだという「受益者負担」主義の立場である。これは福祉の思想と真っ向から対立する思想だ。
教育や医療、介護、障害者サービスなど選択の余地のない基礎的社会サービスは、何人も格差を付けられることなく、必要なサービスを受けることができ、利用料は無償とし、その財源は、応能負担の税(社会保険料を含む)によるというのが、福祉の思想である。
「必要な医療を受けると負担増」「負担増がいやなら医療抑制」という二者択一に高齢者を追い込む「受益者負担」主義は、社会保障を整備して国民の命と健康を守るという憲法25条にもとづく国の責任を投げ捨てるものだ。

かつてはこの日本でも医療については、保険料は賃金額に応じて、つまり応能負担で徴収され、提供されるのは医師が必要と判断した医療サービス(現物給付)であり、本人自身の窓口負担は無料であった。その後、利用料が有料化されて3割まで上がり、さらに、保険外診療と保険診療の組み合わせ(混合診療)が解禁されて、徐々に、“支払い能力に応じた医療サービス給付”という状態へ移行が始まっているが、まだ、保険診療そのものにあらかじめの上限設定はされていない。
高齢者については、被用者保険の家族でも、国民健康保険でも、1973年から82年まで窓口負担は無料であった。もちろん年齢で差別されることなど想像もしなかった。

50年前に、老人と乳児の医療無料化に先鞭をつけたのは、映画「いのちの山河~日本の青空II」にも描かれているように、岩手県沢内村の深沢晟雄村長であった。その後、京都、東京、大阪などの革新自治体が次々と生まれ、国の施策となったのだ。福祉はやる気があれば実現できる。国には徴税権があり、すべての予算を福祉的経費に当てることもできる。財源がないというのは、社会的経費を負担すべきものが政治家・官僚を買収して負担しないで逃げているからだ。お年よりに命の格差をつけてはならない。

(転載貼り付け終了)