「小沢一郎前幹事長の現代版「関ケ原合戦」は、綿密な事前の調略と最後の1時間半で勝負が決まる」
「板垣英憲『マスコミに出ない政治経済の裏話』」から貼り付けます。
(転載貼り付け開始)
2010年09月06日 23時06分26秒
「小沢一郎前幹事長の現代版「関ケ原合戦」は、綿密な事前の調略と最後の1時間半で勝負が決まる」
◆米国対日工作担当者マイケル・ジョナサン・グリーンが、「小沢一郎は総理大臣にならない」とデマ情報を垂れ流しながら、実は生命の危機に陥っているという。米国スパイが生きようが殺されようが、日本国民にとっては、何の感慨もないけれど、だれに狙われているのかは、興味がある。マイケル・グリーンに向けられた銃口は、4つというからややこしいやら、恐ろしいやら。一つは、マイケル・グリーンの飼い主であるディビッド・ロックフェラーである。自分を裏切り、同族ながら宿敵のジョン・D・ロックフェラー4世に乗り換えようとしたのがバレて裏切り者として始末されそうになっている。2つ目は、ディビッド・ロックフェラーの強敵であるジェイコブ・ロスチャイルドが発しているというヒットマンに狙われているらしい。3つ目は、イスラエルのスパイ組織モサドであるという。4つ目は、英国ロンドン・ロスチャイルドの分家であるイヴリン・ロスチャイルドである。極めて凶暴という。
こうなると、枕を高くして寝られない。もっと大変なのは、マイケル・グリーンの対日工作の対象だった日本のマスメディアの幹部らである。後ろ盾失い、いま小沢前幹事長に関する支離滅裂の報道を繰り返し続けている。相変わらず忠誠を誓うが如くピント外れの「小沢批判」をしているのは、悲しい限りである。近々、処分されるであろう
◆ともあれ、今回の民主党代表選は、ますます関ケ原合戦の様相を深めている。
週刊現代は、9月18日号で「とうとう小沢総理」という大特集を企画、このなかで、「明治維新じゃない。関ケ原だ」との小見出しをつけて、「菅首相はすでに、石田三成同様『信じてはならない者』を信じてしまい、前哨戦で小沢氏に後れを取った点は否めない」と述べて、石田三成=菅首相を設定して、勝敗を論じている。しかし、「信じてはならない者」を鳩山由紀夫前首相と断じているのは、大きな間違いである。鳩山前首相に泣きついたのは、菅首相であり、そればかりか、菅首相を見限ってロシアへ発った鳩山前首相を追いかけるが如く、まるでストーカーのように電話をかけ続けて、再度、小沢前幹事長に取り成しを懇願したのは、情けなや、菅首相であった。週刊現代は、この事実を取り違えている。そもそも鳩山前首相は、不肖私にも明言していたように、菅首相を信用していないのであるから、菅首相から泣かれること自体、鳩山前首相には、迷惑至極であった。それをバカなほど人の良いお坊っちゃま、鳩山前首相が、「トロイカ体制に戻りたい」という菅首相の哀願に応えて小沢前幹事長との仲介の労を取ろうとしたまでの話であった。それが菅首相の我がままで、不調に終わり、鳩山前首相は再び、菅首相に騙される結果となった。政治オンチの鳩山前首相の名誉のためにも、週刊現代編集部には、「もっと正確に書け」と厳重注意を言い渡しておきたい。
◆さらに、「買って損した」とガッカリさせられたのは、この特集の「菅陣営の極秘資料を入手 小沢×菅 これが最終的な票読みだ!」の記事だ。このなかで「前出の小沢派幹部はこう語る。『国会議員票は、すでに280票は固めた。これで560ポイント、菅サイドは130票程度と見ており、計260ポイントの差がある』」と述べている。だが、週刊現代編集部が、個々の国会議員に当たりして、独自の予想を立てるべきであった。実にいい加減な記事だ。私が独自で調べた小沢支持の国会議員票が「280」と同じであったとはいえ、喜べない。
◆それはさておいて、民主党代表選は、関ケ原合戦に照らし合わせると、1600年9月15日払暁からの決戦直前に接近している。
西軍方は、石田三成のいる「笹尾山」、宇喜多秀家のいる天満山、小早川秀秋のいる松尾山、そして毛利秀元が布陣する南宮山の線により東軍を囲む鶴翼の陣を敷いていた。東軍は、圧倒的に不利と見える鶴翼の陣の奥深くに陣を置いていた。
明治時代、ドイツ帝国陸軍のクレメンス・メッケル少佐が、軍事顧問として来日し、関ヶ原における両軍の布陣図をみて、直ぐに「西軍の勝利」を断言したという。
東軍7万、西軍12万は午前8時15分ごろから、関ケ原部落西方の山裾で衝突する。北国街道に沿う地域の主決戦場では、両軍主力が、必死の突撃を繰り返す。勝敗は容易に決しない。東軍危うしの場面が、幾度か現われる。
しかし、家康は、内心じりじりしていた。松尾山の小早川秀秋軍が動こうとしないからである。内応しているはずの秀秋がまだ決心できないでいた。秀秋が石田三成の作戦計画通り東軍の背後に回り進撃してくれば、西軍の運命は、それで終りとなる。家康は「若造秀秋に謀られたか」とまで思いつめる。
だが、正午ごろ、家康は意を決して、松尾山に向かって一斉射撃を命じた。威嚇射撃である。驚いた秀秋は、三成を裏切り、石田軍の副将・大谷刑部(吉継)に襲いかかり、東西両軍の形勢を逆転させる。西洋甲冑に身を固めた徳川家康は、本陣を出払い、石田三成軍に直面する最前線に姿を現す。今川義元の人質だったころから、合戦のたびに最も消耗率が高い危険な最前線で戦う野戦の名手であった。石田軍の鉄砲隊の銃口が一斉に火を吹く。だが、西洋甲冑が弾丸を跳ね返し、徳川家康は、微動だにしない。この姿に、石田軍の将兵は、動揺を隠さない。合戦は午後1時半、終了。秀秋裏切りからわずか1時間半で、家康は勝利したのであった。
小沢前幹事長は、背広に身を固めて、代表選の最前線に立っている。背広は、現代ビジネス戦士の制服、いわば軍服であり、さしずめ徳川家康の西洋甲冑といったところである。選挙と言えば、直ぐに体が動き、ドブ板選挙を始める。小沢前幹事長も野戦型政治家である。
しかし、徳川家康は、開戦から終結まで、敵将に対して懸命に手紙作戦や調略を重ねていた。要するに寝返り工作を進めていたのである。これが功を奏し、小早川秀秋や吉川広家らが動かず、最後は、秀秋の裏切りと進撃で勝負が決したのである。徳川家康の勝利は単に戦場の勝利というよりは、野戦型の裏で苦心して積み重ねられた巧妙な政治力の勝利であった。
同様に、小沢前幹事長が完全勝利は、舌戦の裏で政治力を発揮し、懸命かつ綿密な事前の調略によって決まる。もちろん、小沢前幹事長が、これを怠っているはずはない。果たして玉虫色の前原誠司国交相は、小早川秀秋となるか、否や?
(転載貼り付け終了)