「守屋秘録から浮かび上がる沖縄利権の魑魅魍魎」

投稿日:2010/08/19 06:34

「永田町異聞」から貼り付けます。

(転載貼り付け開始)

2010年08月17日(火)
「守屋秘録から浮かび上がる沖縄利権の魑魅魍魎」

「一官僚が見つめてきた一つの記録として、沖縄問題の根深さを垣間見ていただければ幸甚である」

元防衛事務次官の守屋武昌氏が最近出版した「普天間交渉秘録」は、上記の序文が示すとおり、自らが日々書き綴った日記に忠実であろうとする姿勢が貫かれた著作であり、貴重な史料といえる。

2004年9月8日から2007年8月11日まで、防衛省の天皇といわれた男が、誰と会い、誰と電話し、どんな話をしたか。その詳細がメモされた日記のもつ迫力は尋常ではない。

かなりの分量なので、ここでは「沖縄問題の根深さ」と守屋氏が表現するうち、普天間と、その代替基地建設をめぐる「沖縄利権」に話を絞りたい。

どんな人物、団体が、守屋氏のまわりにうごめいていたか。いくつかの記述をとりあげてみよう。

2005年8月1日、米国防副次官、ローレス氏が来日。日米協議の場でローレス氏が示したのは全く新しい案だった。1500メートルの滑走路を辺野古沖の浅瀬に造るという「名護ライト案」だ。

この年の6月4日にはローレス氏は「ヘノコ・イズ・デッド」と言い、辺野古沖の海上空港案は日米間で消えたはずだった。この時点で、シュワブ陸上案が有力になっていた。

ところが、それを覆す「名護ライト案」が突然、米側から出てきたのだ。

これについて、守屋氏は以下のように書いている。すこし独断で“枝葉”を削除してコンパクトにしてある点はご容赦願いたい。

私には心当たりがあった。これは元となった案がある。6月13日に自衛隊の民間の親睦団体である「沖縄県防衛協会」の北部支部(名護市)がその総会で、決議したものだった。北部支部の会員はほとんどが沖縄県北部の建設業者だった。

どうして民間の建設業者が作ったに過ぎない案に、ペンタゴンともあろうものが乗っかり、米国の案として主張してくるのか。

「沖縄がこれなら賛成だと言っている」。ローレス副次官の理由はその一言に終始していた。つまり沖縄側は埋め立てを望み、アメリカは地元が呑まない案は実現性がないと考えている、両者の思惑が合致したのが「名護ライト案」ということだった。

この裏には沖縄県防衛協会北部支部会長の仲泊弘次氏が絡んでいた。名護市で総合建設業「東開発」を経営する沖泊氏は、沖縄の有力者だった。在沖米国総領事や第三海兵師団司令官のグレグソン中将(オバマ政権下では国防次官補)とも懇意にしていると聞いていた。

仲泊氏は海兵隊の幹部を広大な自宅のホームパーティーに招いてもてなしていた。驚くことに、ワシントンまで出向き、国防総省関係者にこの案を説明し「理解を得られた」と公言していると、部下から報告を受けた。同時に、東京でも、仲泊氏をはじめ県や名護市の首脳が官邸や外務省、内閣府、与野党の国会議員、沖縄と親しい財界人、マスコミにも自らの案を熱心に説いて回っていた。

ローレス副次官は日米協議の席上で、「現場の航空部隊も地上部隊も納得しているのだから、この案でいいのではないか」と理由を述べた。外務省も防衛施設庁も同じ理由でこれに賛成し始めていた。

守屋氏は環境を破壊し強い反対運動が避けられない「名護ライト案」のような埋め立て方式には反対で、キャンプ・シュワブという既存の基地の敷地内に飛行場を建設する「L字案」を進めようとしていた。

そのために、どうすれば沖縄県の協力が取りつけられるかを、太平洋セメント相談役、諸井虔氏(故人)に相談したことがあった。

そのとき、諸井氏はこう言ったそうだ。

「政府は沖縄に悪い癖をつけてしまったね。米軍基地の返還などが進まなくてもカネをやるという悪い癖をつけてしまったんだよ」

これは何を意味するのか。1999年、小渕内閣はいわゆる「北部振興策」という特別な予算を10年間にわたり毎年つけることを閣議決定していた。その額は毎年100億円にのぼり、沖縄北部12市町村の財政を支えていた。

普天間移設という「ムチ」を受け入れてもらうための「アメ」が、「北部振興策」だった。

普天間移設は遅々として進まず、それが長引くほど、地元は長期にわたって公共事業を誘致できるという構造ができあがってしまったのである。

結局、守屋氏の「L字案」は、名護市側の要求に防衛庁長官、額賀福志郎が応じ、滑走路の先を300メートル沖合に移動する「V字案」に変更された。

守屋氏は納得がいかなかった。「L字案より埋め立ての面積が東京ドーム9個分広がることになる」からだった。

2006年11月19日の沖縄知事選で、仲井真弘多氏が当選した。翌年の1月7日夜、下地幹郎議員から守屋氏に電話があった。こんな内容だったという。

「国場組の国場(幸一郎)会長が訪ねてきた。自分のことを仲井真知事の使者と言っていた。仲井真知事は『V字案で二月の県議会で受け入れを表明する。受け入れ条件は、那覇空港の滑走路の新設、モノレールの北部地域までの延伸、高規格道路、それからカジノである』と」

国場組は沖縄最大のゼネコンだ。知事の提案通りになれば、沖縄で最も技術レベルが高い国場組が受け持つ事業が多いことになる。

国場組と親密な政治家は、財務相や沖縄担当相を歴任した尾身幸次氏(昨年の衆院選で落選)だった。

沖縄における尾身の後援会「沖縄幸政会」は、沖縄電力社長だったころの仲井真氏が設立し、沖縄電力グループ「百添会」、砂利採取事業協同組合、そして国場組グループ「国和会」が支援していた。

尾身氏は西松建設の政治団体から多額の政治献金を受けていたうちの1人だったことは周知のとおりだ。

もちろん、沖縄の基地にからむ公共工事に群がる業者、政治家はほかにもいっぱいいる。

たとえば、中川秀直氏だ。2006年の年明け早々、守屋は中川に呼び出された。

中川はこう言った。「名護市から修正案が出ているだろう。あれな、何とか応じるよう工夫をしてくれ」

守屋が「すでに日米で合意している」と答えると、中川は「それを工夫するのが官僚の役目だろうが」と、にべもなかった。

中川には沖縄後援会があり、沖縄セルラー電話会長の知念榮治氏が会長だった。中川の公設秘書の父親は、沖縄の高橋土建社長、高橋昇氏だった。

山崎拓氏の後援会「沖縄拓政会」というのもある。設立者は、年商800億円といわれた「金秀本社」創業者の呉屋秀信氏だった。

ため息が出るほどに、政官財の利権や思惑が複雑に絡んだ「普天間移設問題」。このなかに、いわば丸腰で飛び込もうとした鳩山官邸は、思えば無謀な冒険をしたものだ。

解決を引き延ばし、振興策名目に国からカネを出させ続けることが、地元建設業者の利益につながり、その支持をあてにしている政治家が魑魅魍魎のごとく動きまわる。この構図が解消されない限り、普天間を覆う暗雲はいつまでも晴れないのではないか。

辺野古の海を埋め立てて、新基地をつくるなど、どだい無理な話である。2005年6月に、米国防副次官、ローレス氏がいったんは「ヘノコ・イズ・デッド」と口にしたことがそれをよく表している。

その辺野古埋め立て案を生き返らせたのは誰なのか。そして、それは何のために。

米国の関係者も含むこの手強き沖縄利権の闇に立ち向かう力量は果たして菅政権にあるだろうか。

(転載貼り付け終了)