「午年生まれの小沢一郎前幹事長の方が、戌年生まれの菅直人首相よりも「リーダー犬」に相応しい」

投稿日:2010/09/05 07:18

「板垣英憲『マスコミに出ない政治経済の裏話』」から貼り付けます。

(転載貼り付け開始)

2010年09月04日 23時40分35秒
「午年生まれの小沢一郎前幹事長の方が、戌年生まれの菅直人首相よりも「リーダー犬」に相応しい」

◆南極観測隊の第1次越冬隊(1957年)、隊員だった北村泰一(当時京都大学大学院生、のち九州大学名誉教授)が犬係を任じられる。そこで見栄えのいい、格好いい犬を先頭に据え犬そり隊を編成していたが、それぞれが勝手な方向へ動こうとしてまるで統制が取れず、ガタついてうまく走れない。どうしたことかと原因を探ってみると、犬の群れには、必ず「リーダー犬」がいることを教えらる。どの犬が「リーダー犬」なのかとよくよく観察してみると、小高いポジションに、一見どこにもいそうな見栄えのしない不細工な犬が、のんびり腰を下ろして、様子を眺めている。
 犬ぞりの専門家に「リーダー犬」について教えられた北村氏は、「この犬では!」と、その見栄えの悪い犬を先頭に犬ぞりを再編成したところ、なんと好き勝手に動いていた犬たちがリーダー犬の行く方向に従い、足の裏から血を出しながら、一糸乱れず、一生懸命走り続けたという。ただし、犬たちが、群れの中で互いに「リーダー犬」をどう見分けているのかは、謎であるという。
◆阪神淡路大震災が起きたときの話である。作家の藤本義一氏が、自宅から外を見ていて、異様な光景を目撃したという。1頭の犬を先頭に多くの犬が群れをなして、一つの方向に向かって歩いていたというのである。先頭の犬は、決して見栄えのいい犬ではない。だが、なぜかその犬が率いているように見えたという。
◆そのむかし、徳川家康は、三方ケ原の合戦で武田信玄にコテンパンに敗れ、恐怖のあまり馬上で脱糞し命がらがら、浜松城に逃げて帰った。そのとき、すぐに絵師を呼んで我が姿を描かせた。「しかみ」と言われるこの絵は、徳川家康の実像を伝える唯一の絵と言われている。徳川家康の実像を説明した文献は、一つもないげれど、孫の家光(三代将軍)について記述した文献が手がかりになる。というのは、家光が徳川家康に最もよく似ていたというからである。こう書かれている。「お背低く、色黒く、見苦しき男ぶり」。要するにチビで色黒の見るに耐えない、チンチクリンだったということである。
◆小沢一郎前幹事長は、どことなく、アンコウに似ている。決して見栄えがいいわけではない。かたや菅直人首相は、夜明けのガス灯、いつも眠そうなフクロウといったところだが、メディアの支持は、とりあえず高い。アンコウVSフクロウの一騎打ちは、見栄えを競うわけにはいかない。果たしてどちらが国民を正しく率いてくれる、真の「リーダー犬」か。昭和21年10月10日生まれの菅首相は、戌年である。好きなペットは、猫。要するに「猫派」。対する小沢前幹事長は昭和17年5月24日生まれの午年。この馬は、上野の山の西郷隆盛に自らをだぶらせて、犬を連れた写真を撮らせ、自宅では、チビと名づけた犬を可愛がっていた。チビは他界したものの、犬好きである。「犬派」だ。
 序でながら言えば、平野貞夫元参院議員は、小沢前幹事長のことを「百年に一度、歴史の裂け目から出てくる逸材である」と語っていた。田中角栄元首相は、かつて若き小沢前幹事長のことを「あいつは玉が違う」と評して百年に一度の逸材を見抜いていたという。
 馬である小沢前幹事長の方が、どうも「リーダー犬」なのかも知れない。見栄えがしない容貌が、有力な根拠であるとでも言えよう。昭和21年8月7日生まれ、戌年の私が見立てているのであるから、間違いない。

(転載貼り付け終了)