「「米国の原爆」情報をガセネタ扱いして敗れたDNAを、いまの日本人の大半が引き継いでいる」
「板垣英憲『マスコミに出ない政治経済の裏話』」から貼り付けます。
(転載貼り付け開始)
2010年08月05日 18時55分09秒
「「米国の原爆」情報をガセネタ扱いして敗れたDNAを、いまの日本人の大半が引き継いでいる」
◆戦後65回目の原爆記念日(広島8月6日、長崎9日)を迎えた。私は昭和21年8月7日生まれなので、戦争を知らない世代のはしりである。母親は、軍港・呉市にいて、広島に原爆が投下されたときの「ピカドン」という閃光と音に驚き、キノコ雲を見たという。同級生の母親の顔にはケロイドがあり、もう一人の同級生(昭和21年4月生まれ)は、両親が原爆ドーム近郊で被爆していたことから、原爆手帳を持っていた。
子どものころ、両親に連れられて広島市に出かけたとき、広島駅から見る風景は、廃墟がかなり残っていた。長じて、海上自衛隊幹部候補生学校(旧海軍兵学校跡)に入校し、手旗信号の訓練をしていたとき、教官は、合間に原爆の恐ろしさや敵艦から砲撃を受けた艦船は、一瞬にして沈没するというような悲惨な体験を力説していた。戦争の訓練か反戦か分からない感じだった。
毎日新聞政治部記者時代、文部省を担当したとき、井内慶次郎文部事務次官は、戦地から引き揚げて帰ったとき、家族全員が原爆の熱線で蒸発していたと話していた。実家は、なんと原爆ドームのすぐ側だったという。私の叔父は、25歳のころ東京にいて、終戦間近に召集令状(赤紙)を受け取り、呉海兵団に入隊、呉駅から出発して広島市の宇品港から兵員輸送船に乗せられてそのまま帰ってこなかった。戦死公報には「東シナ海方面にて戦死」と書いてあったそうである。
祖父は、墓所に行くたびに、墓の石を動かしてなかから汚れた紙包みを開いては、「あるう・・・」と涙を流していた。紙包みは、叔父が出征直前に切って残した指の爪をくるんでいた。祖父は、上京して靖国神社に参拝して、社殿に向かって礼拝している最中も必ず涙を流していた。その都度、ズボンのポケットからハンカチを出して、そっと手渡すのが、私の役目だった。しかし、私はこのごろ、こんな辛い話は、思い出したくない。まてや、戦争も知らない世代が、次の世代にいくら口で話しても、本当のことは伝えられない。少なくとも、文明社会維持のため石油、天然ガスやレアメタル争奪戦が止まない21世紀は、戦争はなくならないとと諦めている。それどころか、イスラエルVSイランの対立激化から第三次世界大戦、それも核戦争が時々刻々迫っているのを予感する。
◆日本人は、今も昔も、「情報」を空気や水のようにタダ同然と思い込んでいる。「安全保障」も然り。たとえば、アメリカが原爆を開発し、ネバダの砂漠で核実験を済ませて、それを日本の数箇所の都市に投下する計画を進めているという極秘情報をスペインの情報機関が、大本営に伝えてきていたのに、これを無視し、結局、多くの被爆者を出してしまった。この経緯については、NHKが昭和57年9月20日に放映したNHK特集「私は日本のスパイだった──秘密諜報員ベラスコ」に詳しい。これは、名作であった。
スペインは第二次世界大戦中、中立国(フランコ政権は中立政策を取りつつも、ドイツ、日本には友好的)だったので、連合国や枢軸国のスパイが情報収集のために暗躍、ベラスコは「TO諜報機関」という対英米スパイ機関を創設し、日本の在スペイン公使の須磨弥吉郎に、英米情報を提供していた。組織の資金は日本公使館から送られていた。「TO諜報機関」の組織網は、スペイン国内、南北アメリカをカバー。米国の三沿岸の大都市ニューヨーク、ワシントン、ニューオリンズ、サンフランシスコ、ロサンゼルス、サンディエゴには、機関員合計6人の情報員を教会の牧師(出撃前に懺悔に来る兵士から行く先を聞き出す)に化すなどして配置して、マドリードの本部が直轄管理、その6人の周辺にさらに数人、ときには十数人の端末部員を配した。原爆実験など機密情報をキャッチした機関員のなかには、アメリカFBIに発見されて射殺された者もいる。日本軍部の中枢である大本営の上層部は、ベラスコとその手下が何人もの犠牲者を出し、苦労して送ってきた機密情報を一瞥することもなく、ガセネタかゴミ扱いしたのである。まさに猫に小判であった。このどうしようもないDNAを、日本人の大半がいまも引き継いでいる
体質を、今日の日本人の多くが引き継いでいるのであるから、如何ともし難い。
◆孫子・用間篇第13に曰く「明君賢将の動きて人に勝ち、成功、衆に出ずる所以のものは、先知なり」(立派なリーダーが、戦いに勝てるのは、敵に先んじて敵情をさぐり出すからである)「先知は、鬼神に取るべからず、事に象(かた)どるべからず、度に験(けみ)すべからず。必ず人に取りて敵の情を知るものなり」(「情報」は、人によって得るものであり、神仏に頼ったり、占いに頼ったりしてはならない)
しかし、折角、重要情報に接していながら、我見にとらわれて、おまけに疑い深く、見れども見えず、聞けども聞こえずの輩は、度し難い。
(転載貼り付け終了)