「「恥の文化」と民主党代表選挙」
「日々坦々」から貼り付けます。
(転載貼り付け開始)
2010/08/05(木) 10:08
「「恥の文化」と民主党代表選挙」
日刊ゲンダイまでもが小沢グリーン会談を報じている
兜町でウワサが飛び交っているとのこと。(参照:米国との密約で首相になる?兜町に流れるビックリ情報の真偽)
確かに何が起こるか解らない不安定なこの時期、様々な不確認情報や操作情報が流れ、まさに実戦前の情報戦の様相を呈している。
鳩山さんの動きが注目される中、基本的に多くの国民が気にしている総理がコロコロ代わる事への対外的な体裁を取り繕おうとする、大変消極的な菅支持を再び表明している。
真意の程は解らないが、二回も言っているということは、その方向で動き、小沢派を説得しようという魂胆なのかもしれない。
年替わりでトップが毎年かわる日本という、先進国だか途上国だかわけがわからん経済大国は、世界から見れば不思議な国というより、ジョークのネタになる程度の笑ってしまうような国と映るだろう。
が、こんな人目を気にしていられるような状況ではないのが、今の日本であり菅内閣なのである。
世界的な金融恐慌が迫り来る中、一番敏感になっている兜町にトンデモないウワサが流れていることからも、菅政権では乗り切れない、有効な経済対策を打てないと見ていることの証しだろう。
この日本人の「恥の文化」とも言われる、人目を気にして、人に迷惑をかけない、かけさせない、という潜在的に日本人に根付いている道徳律は、良くも悪くも今まで日本社会の秩序を保ち一定の役割を果たしてきた。
欧米は「罪の文化」と言われ、宗教に根ざした行動規範があるが、日本人は無宗教でどういう行動原理をとるかわからないから、恐ろしい、という意見をアメリカ在住時に耳にしたことがある。
(参照:菊と刀―定訳 (現代教養文庫 A 501))
恥の文化では人が見ていなければ、別に何をやったっていいと、旅の恥はかき捨て的に真の道徳観念ではないという人もいる。
その点、欧米人は万能の神がいつでもどこでも、心の中までわかっている、という観念が定着していて、どこにいても逃げられない、監視されているという恐怖が付きまとっている。
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まあ、どちらが秩序のある社会を形成できているかは、今の日本では自信はないが、「恥の文化」は国民性としては、人格をかたち作るうえでは一定の影響を与えてきたと思っている。
ただ、最近の電車の中で平気で化粧をしたり食べたり飲んだりしている姿(これは若い人だけではなく40、50代の女性も見かける)を見るにつけ、この文化も薄れてきていると実感することが多い。
※余談の余談だが、ある時電車の中で、40代くらいの女性がシルバーシートに座り化粧をしていたところへ、同じく40代くらいの女性が注意をした。「あなたいい年をして電車の中で化粧することが恥ずかしくないの?やめなさいよ!」というようなことを言った。私も含めまわりの反応は、突然だったので現状認識ができず、ちょっとおかしな方が座っている人に文句を言っている、というもので、注意されている方より、注意している方に”異常性”を感じてしまった。注意された方はその後の様子を見て、まともな人だった。
話を戻すと、日刊ゲンダイで掲載された兜町でのウワサの元は「板垣英憲氏のブログ」ではないかと思うが、もしこのブログではなく別の情報源だとすれば、様々な思惑の元に意図的に流されているとも言える。
このような情報は、ついつい目を通してしまう程、気になることは確かで、これを一言にトンデモと片付けるというより、独自の情報網があるのだろうから、それがブラフであろうと一つの見方として参考にはなる。
ストーリーとしては大変興味深いし、ミステリ小説よりも面白い。
その程度ならばいいのだが、結構、これがふとした時に影響を及ぼしていることに気がつく。
情報もそれ自体に価値はなく、受け取る側が、自分にとっていい情報であるのか悪い情報なのかと、自分の価値、今の自分に都合のいいものなのかどうなのか、と自然に取捨選択しているので、
そのトンデモとされる情報は今の自分にとっては都合がいいのであろうと思っている。
それは信じる信じないとは関係のない、興味という次元だとは思う。
それが世の中と真実とは違っているかもしれないが、その瞬間の自分にとっては真実と判断される場合もある。
まあ、それは現実世界の出来事で実証されていくのであるが、代表選が見えてくるまでは、このような情報が飛び交うことになる。
(転載貼り付け終了)