「「代表選」を示唆する「辻元事件」。「看板議員」の「社民党離党」の背後に「政権右派」の影。「民主内紛」の原因は「現実主義の台頭」だ!」

投稿日:2010/09/16 07:01

「森永卓郎「厳しい時代に『生き残る』には」」から貼り付けます。

(転載貼り付け開始)

2010年 9月14日
「「代表選」を示唆する「辻元事件」。「看板議員」の「社民党離党」の背後に「政権右派」の影。「民主内紛」の原因は「現実主義の台頭」だ!」

http://www.nikkeibp.co.jp/article/sj/20100913/245054/?P=1

代表選の「原点」ともいうべき「小さな事件」
  本日(2010年9月14日)、民主党代表選挙(国会議員投票)が行われる。
 本コラム執筆時点では、残念ながら、菅直人首相と小沢一郎・前幹事長のいずれの候補者が新代表に選出されているかは明らかでない。
 したがって、代表選の結果に関する論評はいずれ稿を改めて行うことにしよう。
 ただし、本コラムは事実上の次期首相を選ぶ代表選当日付の記事である。
 コラムの内容もやはり代表選に絡むものにしたほうがよいだろう。
 そこで思い出されるのが、今回の代表選の「背景」というか、「原点」ともいうべき「小さな事件」である。
 (政治の大勢に影響がないという意味で、敢えて「小さな事件」と表現させてもらった)

辻元氏離党の背景に、同氏特有の選挙事情も
  その事件というのは、1カ月半ほど前に起きた、辻元清美・衆議院議員の社民党からの離党である(同氏の離党表明は2010年7月27日)。
 ご存じの方も多いと思うが、辻元氏は土井たか子・元社会党委員長の秘蔵っ子であり、鳩山政権では国土交通副大臣を務めていた。
 また、社民党内では福島瑞穂党首の後継者として将来を嘱望された「看板議員」でもあった。そのため、辻元氏離党によって社民党の受けた衝撃は大きかった。
 では、その辻元氏離党の理由とは何か。
 1つは、選挙事情にある。
 辻元氏は、民主党と国民新党の選挙協力の下、大阪の小選挙区から選出されている。
 社民党の連立政権離脱で民主党と国民新党の選挙協力が得られなくなれば、次期衆院選(総選挙)での当選がおぼつかなくなる。
「批判だけでは、日本を変えることができない」
 
 いま1つは、辻元氏が「現実主義に傾いた」ということである。
 そして、実はこちらのほうがより本質的な理由といえる。
 辻元氏は離党表明会見で次のように語っている。
 「批判だけでは、日本を変えることができない。いろんなことを具体的に解決していく政治を進めたいとの思いが強くなった」
 本人は明言こそしていないが、この発言は明らかに福島党首との路線対立を示している。
 私は福島氏とも辻元氏ともわりと親しく、両氏とは何度も議論を重ねてきた仲だ。
 その私から見ると、福島氏は明らかな理想主義者である。
 だからこそ、鳩山由紀夫・前首相が連立政権の合意(本人の事実上の政権公約)を破って、沖縄・米軍普天間基地の移設先を同・辺野古沿岸に決めたとき、福島氏は迷うことなく社民党の連立政権離脱を決断したのだ。

「理想」と「現実」のどちらを優先すべきか
 
 辻元氏は、そのあおりを受けて国交副大臣を辞めざるを得なくなったわけだが、同省を去るときには涙を流して辞任を悔しがった。
 外にいて叫んでいても、何も変わらない――。
 どんなに批判を受けても、政権内に残って、中から1つずつ変えていくべきだ――。
 恐らく、それが辻元氏の本音なのだろう。
 福島氏が普天間問題でスジを通して(あるいは理想を貫いて)政権離脱を決断したのと比べると、その対照性が際立つ。
 理想と現実のどちらを優先すべきか――。
 それは誰もが直面する難題であり、どちらが正しいとは一概にはいえない。

「政権右派」の思想・政策に染まってしまった
 
 しかし私は、「現実」はもちろん重要だが、「理想」を掲げる人(なかんずく政治家)がいなくなったら、世の中は決して良くならない、と思っている。
 その意味では、福島氏のほうにシンパシーを感じている。
 やはり今回の「事件」の本質は、辻元氏が政権に入って「変わった」ことだ、と思う。
 もっと直截にいえば、辻元氏が前原誠司・国交大臣と一緒に仕事をするうちに前原・野田グループの思想に染まってしまったのだ。
 前原・野田グループとは、この連載で何度も述べてきたように、「政権右派」ともいえる集団だ。その基本思想は自民党政権下の小泉内閣に近い「構造改革・対米追従路線」である。
 そして、それは辻元氏の「師匠」である土井たか子氏の思想とは対極にある。
 にもかかわらず、辻元氏は前原・野田グループの思想に染まってしまった……。

「リベラル派」とは思えない過酷なリストラ策
 
 その「証拠」はいくらでもある。
 たとえば、辻元氏は国交副大臣として日本航空(JAL)の再建案の策定に深く関わった。
 その再建案は、かつて辻元氏が属していた「リベラル派」が到底容認できないような厳しい内容だった。
 まず、38万にのぼる株主に100%減資を求め、個人株主の「最大の目的」ともいえる株主優待の権利も切り捨てた。
 あの「ダイエー再建」のときですら、99%減資にとどめて株主優待の権利は残したのに、である(ちなみに、ダイエーはJAL同様に公的資金を投入した企業再建例)。
 加えて、1万6000人の人員削減や国際線28路線・国内線50路線の撤退(事業規模では国際線4割減・国内線3割減に相当)など、「過酷」ともいえるリストラ策を盛り込んだ。
 ことほどさように、辻元氏が策定に携わったJAL再建案は、極端な縮小均衡を図るという、およそ社民党の政策とはかけ離れた内容だった。

「高速道無料化」にブレーキをかけてきた
 
 辻元氏と社民党の政策のズレは、それだけではない。
 辻元氏は「高速道路の無料化」にも反対の立場で、国交省内では同政策にブレーキをかける役割を担ってきたのだという。
 周知のとおり、高速道無料化といえば、歴史的な政権交代につながった昨年(2009年)の総選挙で民主党がマニフェストに掲げた看板政策である。
 そして、同政策を巡っては、福島氏(社民党党首)と親しい小沢氏が実施に積極的で、「反小沢グループ」を率いる前原・国交大臣が実施に消極的、といわれる。
 つまりは、辻元氏は「現実」から世の中を変えようとしたのではなく、思想・政策面でも既に「現実」に転換(あるいは転向)していたのだ。
 そして、その思想・政策は自身の属する政党より政権右派のそれに近づいていたのだ。

「思想は違うけれど、きちんと議論ができる人」
 
 とすれば、もはや社民党に辻元氏がいる場所はなかったはずだ。だからこそ、辻元氏は社民党を離党せざるを得なかったわけだ。
 では、なぜ辻元氏は変わってしまったのか。
 一番大きかったのは、やはり前原・国交大臣と一緒に仕事をしたことだろう。
 離党表明後のテレビ番組で、私は辻元氏に聞いた。
 「なぜ安全保障面で思想が180度違う前原大臣と仲良くなったのですか」
 辻元氏はこう答えた。
 「思想は違うけれど、彼はきちんと議論ができる人だった」
 朱に交われば赤くなる――。
 とりわけ、「ベース」のない人は、周囲に感化されて、その思想に染まりやすい。
 辻元氏も国交副大臣になるまでは国土交通行政に携わった経験がなかった。であるからこそ、やすやすと周囲に取り込まれてしまったのではないか。

鳩山政権は「理想主義」、菅政権は「現実主義」
 
 さて、ここまで長々と辻元氏の「事件」に紙幅を割いてきたのは、冒頭で述べたように、それがある意味では今回の民主代表選を象徴しているからでもある。
 前回のコラムで指摘したように、代表選を通じて民主党内の路線対立が鮮明になった。
 世上、鳩山政権の「理想主義」に対して、菅政権は「現実主義」ともいわれる。
 周知のとおり、鳩山政権を支えたのは小沢氏であり、菅政権を支えているのは前原・野田グループである。
 そして、今回の代表選は菅首相と小沢氏の一騎打ちとなった。
 換言すれば、民主党を二分する「現実主義派(菅氏支持派)」と「理想主義派(小沢氏支持派)」の争いでもある。

昨夏のマニフェストは「理想主義的内容」
 
 もっとも、小沢氏支持派を「理想主義派」と位置づけることに違和感を覚える向きもあるかもしれない。
 ならば、こう考えてみてはどうだろうか。
 昨年の総選挙のマニフェストは、その個別政策については議論の余地もあろうが、全般的に見れば、この連載で何度も述べてきたように、「国の仕組み」あるいは「国のあり方」を変えようとする意欲的なものだった。
 その意味では、「理想主義的」な内容だった、といえる。
 だからこそ、多くの有権者が民主党を支持し、歴史的な政権交代につながったのだ。
 そして、その理想主義的なマニフェストの策定を主導したのが、ほかならぬ小沢氏であった。

菅首相と辻元氏の姿がダブって見えないか
 
 ところが、政権運営の稚拙さからか、リーダーシップの欠如からか、鳩山政権ではそのマニフェストを十分に履行できなかった。
 そのせいか、あとを襲った菅政権は、当事者の弁を借りれば、「現実主義」に立脚して、その内容を修正・変更したのだという。それが今年の参院選のマニフェストである。
 このような視点で眺めてみると、どうだろう。
 現実主義派ともいえる菅氏支持派と「現実主義に傾いた」という辻元氏の姿がダブって見えないだろうか。
 とりわけ、菅首相の姿と辻元氏の姿が。
 (この連載で以前も指摘したが、消費税を巡る発言のブレに象徴されるように、菅首相には経済の「ベース」がないように思われる)

権力掌握後に「右派的言動」を弄するように
 
 いずれも左派(そして市民運動家)出身でありながら、権力掌握後に右派的言動を弄するようになったところも共通している。
 両氏によれば、それが「現実主義」なのだという。
 その結果、菅政権および辻元氏(国交副大臣当時)の思想・政策が自民党政権のそれに似通ってきているのは、どうしたことか(例えば、前々回のコラムを参照)。
 もっとも、菅政権を支える前原・野田グループの基本思想がもともと小泉政権のそれに近いのだから、それもやむを得ないことなのかもしれない。
 しかし、だとすれば、なぜ前原・野田グループは自らの思想・政策と相容れない(と思われる)昨年の総選挙のマニフェストを容認したのか、といった疑問も残る。
 ともあれ、民主党内における「現実主義の台頭」、あるいは党内一部勢力の「現実主義への転向」が、今回の代表選で露呈した「内紛」の大きな原因の1つになっていると思う。
 そして、その「現実主義」なるものが、どのようなものであるか。辻元氏の「事件」は、実に示唆に富んでいると思う。

(転載貼り付け終了)