孫文は米国人、オバマ大統領の先輩だった(SP華字紙)
黒瀬です。今年は辛亥(しんがい)革命からちょうど100年。
革命の象徴的存在だった孫文(1866~1925)と映画会社日活創業者グループの一人、梅屋庄吉(1868~1934)の交遊を、梅屋の子孫に伝わる写真など遺品によって紹介する展示会が開かれています。
●特別展「孫文と梅屋庄吉 100年前の中国と日本」
会期:7月26日~9月4日
会場:東京国立博物館(東京都台東区上野公園)
http://mainichi.jp/enta/art/sonbun/news/20110622org00m100012000c.html
関連して孫文を調べていたら、気になる新聞記事がありました。
(転載貼り付け始め)
■孫文は米国人、オバマ大統領の先輩だった―SP華字紙
2011年6月7日 11時44分
http://www.excite.co.jp/News/chn_soc/20110607/Recordchina_20110607008.html
6日、シンガポール華字紙・聯合早報は記事「孫文は米国国民だった」を掲載した。史料整理中に孫文が米国籍を取得していたことを示す書類が発見されたという。写真は天安門広場に飾られた孫文の肖像。(Record China)
2011年6月6日、シンガポール華字紙・聯合早報は記事「孫文は米国国民だった」を掲載した。
今年7月4日の米国独立記念日、米国在台湾協会は台湾の国父記念館と共同で「孫文と米国展」を開催する。その史料整理中に思わぬ発見があったという。それが孫文の米国国民身分を示す書類だ。米国在台湾協会広報官は、アジアの民主主義国誕生を助けるために米国政府は孫文に米国籍を与え、清朝が勝手に逮捕できないようにしたと説明している。
一方、国民党党史館の邵銘煌(ジャオ・ミンホアン)主任は異なる見解を示している。米国での活動に有利になるよう、華僑の進言を聞き入れて米国籍を取得したのであり、いわば「方便だった」と説明している。
またハワイのプナホウ・スクールで勉強していたことを示す書類も見つかった。オバマ米大統領の先輩ということになる。(翻訳・編集/KT)
(転載貼り付け終わり)
黒瀬です。ちょうど今、台北の国父記念館で開かれている特別展「孫文と米国特別展」で、米国籍を取得していたことを示す文書が展示されているそうです。
(転載貼り付け始め)
■孫文と米国展:米国籍取得示す文書を一般公開
毎日新聞 2011年7月5日 19時08分(最終更新 7月5日 19時42分)
http://mainichi.jp/select/world/america/news/20110706k0000m040044000c.html
【台北・大谷麻由美】近代中国の革命家・孫文(1866~1925年)が辛亥革命(1911年)前に米国籍を取得していたことを示す文書が、台北の国父記念館で開かれている特別展「孫文と米国特別展」で展示されている。一般公開は初めて。
特別展は米国の対台湾窓口機関である米国在台湾協会(AIT)と国父記念館の共催。米国務省や米国立公文書館などが保管していた資料を集めている。
清朝政府を追われた孫文が友人の勧めで1904年に「ハワイ・マウイ島生まれ」として米国籍を取得したことを示す文書や、孫文を支えた米国軍人、ホーマー・リー氏の関連資料などが紹介されている。
4日の開幕式で馬英九総統は「国父(孫文)の三民主義の中でも民権と民生は米国の理想がもとになっている」と述べ、米台間で自由、民主、人権など共通の価値に基づく協力強化を希望した。
(転載貼り付け終わり)
黒瀬です。宮崎正弘氏によると、孫文は米国の国籍を持っていた証拠となる文書は、1981年ジョージア大学のトーマス・ギャンシュオー教授がワシントン国立アーアイブで発見したとのことである。
(転載貼り付け始め)
「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」平成20年(2008年) 2月20日(水曜日)
通巻 第2090号
http://melma.com/backnumber_45206_4006712/
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馬英九は1981年から米国パスポート(永住権)を持っていた
蒋経国をさえ欺いてグリーンカード保有を隠し通してきた
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お人好し日本人をたぶらかして大金を集め、最後にはコミンテルンの謀略も作用してかソ連に寝返った「革命商人」(革命を口にしてカネを集める天才)の筆頭は孫文。中国大陸ばかりか台湾でも、いまなお「国父」と呼ばれる。
孫文は米国の国籍を持っていた(1981年ジョージア大学のトーマス・ギャンシュオー教授がワシントン国立アーアイブで発見)。
1904年3月14日、孫文はカリフォルニア州当局に市民権を申請した。孫文の出生地は広東省香山県翠亮村となっており、この出生地に疑惑を持った当局と裁判沙汰になったが、弁護士をつけて孫文が勝訴し、同年4月7日にアメリカ国籍を取得した。
グリーンカード保有がばれたとき、馬英九はこう言って開き直った。
「孫文先生さえも米国籍だった。私がグリーンカードを保有したくらいで騒ぐことはない」。
孫文が国籍を獲得したのは清国政府がお尋ね者として海外手配していたからだ。
海外亡命先で政治活動を保護されるには当該国籍を取得せざるを得ず、戦後、日本に亡命していた多くの台湾独立活動家も本国送還になれば戒厳令下の独裁政権に逮捕されることに間違いはなく、いわば方便として仕方がない。
何人かの活動家は日本国籍を得た。それには弁明の余地が十分にある。
しかるに馬英九の場合、当時から政権与党=国民党員であり、国民党から米国へ留学し、その留学先に台湾から刺客が送られる心配はまるでなく、永住権を取る必要がどこにもないのである。
グリーンカードは、たとえばアメリカ人を配偶者としている日本人も保有することが出来るが、独立という精神から言えば祖国への裏切りになる。
台湾では国民党員でも密かにグリーンカードを保有した者が多かった。80年代には、ちょっとした役人でも持っていた。
また蒋介石と同時に逃げ込んだ香港からの難民にはイギリスのパスポートを保有していた者が多くいた。
そのため蒋経国は、二重国籍の徹底調査を命じていた、まさにその時期に馬英九は米国からグリーンカードを持って台湾に帰国し、蒋経国(当時は行政院院長=首相に相当)の英語通訳を務めたのだった。
(転載貼り付け終わり)