日本のみなさまへ。ワタシの脳内妄想を聞いてください。

かたせ2号 投稿日:2025/01/23 10:23

かたせ2号です。
ワタシの脳内妄想を聞いてください。
「フラットアース説」と変わらない、芥川竜之介の小説「河童」の主人公が語るような、脳内妄想です。

では「語り」を始めます。

「JFK暗殺の黒幕がイスラエル」という言説よりも、神秘のベールに包まれているのが、
イスラエルと中国とが、核兵器開発協力が縁で、裏で密接な連携をとっている」ということ。
そのつながりは、アメリカによる中国への相対的な接近(1970年代のキッシンジャー電撃訪問)より前の出来事。

あ、そうか、
1964年10月の第1回東京オリンピック開催月に、
わざわざ「中国が核実験に成功」というニュースをぶつけてきたのは、
「日本よ、おまえらの繁栄を、いつまでの座視はしておかないぞ。」という
「イスラエルと中国との共同声明」だったのか。。。

日本のみなさまへ。
杉原千畝さんの美談は、イスラエルの政府関係者から持ち込まれたものです。
たとえ、その美談が事実であったとしても、
それは、「イスラエルは日本に悪意を抱かない」と日本人に信じ込ませるための「偽装工作」です。
「イスラエルと中国とが、核兵器開発協力が縁で、裏で密接な連携をとっている」事実を覆い隠すための、手段のひとつにすぎません。

https://www.guidoor.jp/media/reunion-chiune-sugihara/
(引用開始)
1968年(昭和43年)8月のある日、ソ連との貿易の仕事の間に一時帰国していた杉原の元に、イスラエル大使館から一本の電話がかかってきた。
特に心当たりもなく不思議に思う杉原だったが、兎にも角にも大使館に赴き、一人の参事官と面会する。

その参事官は杉原に会うなり「私のことを覚えていますか?」と聞いてきたが、記憶に無い人物であったため「申し訳ありませんが・・・」と答えると、その参事官はボロボロになった一枚の紙切れを杉原に差し出した。
それこそがまさに杉原が発給し、多くのユダヤ人を救った「命のビザ」であった。
「あなたは私のことを忘れたかもしれませんが、私たちは片時たりともあなたの事を忘れたことはありません。28年間あなたのことを探していました。やっと、やっと会えました”Sempo Sugihara”。」
彼は涙ながらにそう杉原に告げた。
この参事官こそ、カウナスでユダヤ人代表の一人として、ビザの発給について杉原と交渉を行ったニシェリだった。
実に28年ぶりの再会である。
彼は参事官として日本のイスラエル大使館に赴任すると、”Sempo Sugihara”をなんとしても見つけ出し、あの時のお礼をしなければと八方手を尽くしていたのだった。
杉原の発見に繋がるきっかけとなったのは、杉原自身がユダヤ人たちのその後の消息を気にかけてイスラエル大使館に自らの住所を伝えてあったためであり、これによりニシュリはついに杉原を探し出すことができたのだ。
この年、杉原の四男伸生がイスラエルのヘブライ大学に公費留学生として迎えられた。
これは杉原の恩に報いるため、イスラエル政府が招聘したものであった。
翌1969年(昭和44年)、杉原自身もイスラエルに招待された。
出迎えたのは宗教大臣のゾラフ・バルハフティク。
彼もまたカウナスでビザ発行の交渉を杉原と行い、「命のビザ」によって命を救われたユダヤ人の一人だった。
(引用終わり)

かたせ2号です。
以上のワタシの主張・言説は、
2003年に皇居に突然タクシーで乗りつけて「紀宮さまは私の妹。お会いしてお手紙を渡したいのです」と警察官に詰め寄るという奇行に走ったあと、ほどなくして表舞台から姿を消してしまった、女優の藤谷美和子さんと同じカテゴリーの評価になる言説だと思います。

それはそれでいいのですが、

すくなくとも、イスラエルのユダヤ人と日本人との個人的な心の交流と、国家という大きな組織同士の関わり・ぶつかりあいとは、完全に別次元の話だと、考えた方がいいと思います。

たとえば、東北地方を襲った、311の真相なんて、そうしないと絶対に究明できないと思います。
唯一の誤算は、打倒すべき当時の日本の首相がたまたま、原発事故に関する専門家であったこと。
菅直人さんへ。東北地方はあなたによって助かった。日本人はまだ誰もあなたのことを高く評価していないので、先乗りで、ワタシから言っておきます。

ありがとうございました。

(以下、ご参考)
https://x.com/narumi3kaqp/status/1660143171144417282
「原発時限爆弾を置かれる日本。しかも日本には管理権は無く、全ての原子炉の管理会社は「マグナBSP」というイスラエルの会社。311地震の1年前に契約したとか何とか…経緯を国民に説明すべきですよね。311の当時メディアも毎日報道してたのに、この企業名には一切触れず。」

以上