Re : [41]外交政策企画委員会「我が国の外交政策大綱」(昭和44年月25日)
菊地研一郎(会員番号2555)です。
この「転載掲示板」の投稿 [41](投稿日2010年10月1日)への追記、
あるいは、1960年代後半日本の核兵器開発姿勢について。
上の投稿の中で、孫崎亨『日本人のための戦略的思考入門』から
次の文章を引用しました。
>長く外務省で極秘文書とされたものを二〇一〇年
>一月二十七日付東京新聞が報道した
図書館へ行って東京新聞2010年1月27日24面を
コピーしてきたのですが、ついさっき
全文転載しているwebページを発見、
少々がっかりしました。
「石田望のメルマガ インターネット版」、
というwebページです。URLは以下。
http://www.geocities.jp/ishidanz/10_03_01.html
この掲示板へ全文転載すると著作権的に問題があるので、二箇所だけ一部分を引用します。
> この「大綱」の色彩はタカ派ともハト派とも色分け
>しにくい。その双方が混合している。
>
> 例えば、核武装については「当面(日本は)核兵器は
>保有しない政策をとるが、核兵器製造の経済的・技術的
>ポテンシャル(能力)は常に保持するとともにこれに
>対する掣肘(せいちゅう)(干渉)をうけないよう配慮
>する」と非核三原則に触れかねない視点に貫かれている。
> 六六年に外務省入省の元国際情報局長、孫崎享さんは
>「『大綱』は当時の外務省主流の考え方。六九年当時は
>モスクワ勤務だったが、この文書に関連してか、
>上司から意見を求められたことがあった」と振り返る。
(以上、東京新聞 平成22年1月27日 24面)
前者では、核兵器保有せず、しかし、製造能力は維持する、という大綱の方針が。
後者では、「当時の外務省主流の考え方」と孫崎氏の証言が。
偶然ながら、前者の核兵器開発に関する事柄を、
山田宏哉氏がブログで取り上げていました。
ジョン・スミスへの手紙
サイバー・ラボ・ノート (2710)
NHKスペシャル「”核”を求めた日本」要約
http://hiroya.web.infoseek.co.jp/john2710.htm
1964年に中国が核実験を行い、それに脅威を感じた日本が
西ドイツと極秘に核兵器開発について話し合ったというもの。
私が一番気になったのは、次の箇所です。
> 日本と西ドイツの秘密協議は人目を避けて、箱根の旅館で行われた。
>
> 日本側の出席者は、鈴木孝(国際資料部長)、岡崎久彦(分析課長)、
>村田良平(調査課長)。西ドイツ側は、エゴン・バール(政策企画部長)、
>ペア・フィッシャー(参事官)、クラウス・ブレヒ(参事官)。
何かと話題な“岡崎久彦”の名前がリストにある。
この1960年代後半日本の方針と、現在の岡崎久彦氏の説く
日米関係の緊密化という考えとの間には、無視しがたい違いがある。
その点を追求することは、次の機会に行いたい。