阿修羅掲示板から転載5本

会員番号4655 佐藤裕一 投稿日:2011/02/03 17:55

 会員番号4655の佐藤裕一です。

 阿修羅掲示板から転載貼り付け致します。

 

(佐藤裕一による転載貼り付け始め)

「自由報道協会」発足直後から財界他から支援申入れが殺到。情報開放が日本の市民社会を動かし始めた革命的な出来事(山口一臣)
http://www.asyura2.com/10/hihyo11/msg/520.html
投稿者 クルテクと森の仲間たち 日時 2011 年 2 月 01 日 13:19:42: Z7xl4Cth248vg

週刊朝日2011年2月11日号の
山口一臣編集長の「編集後記」を転載します

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ジャーナリストの上杉隆さんらを中心に、フェアな報道の場を提供するための非営利組織「自由報道協会」(仮称)が発足しました。

政府など公的な記者会見は一部のメディアに限定されるべきでなく、オープン化すべきだという運動の延長で、27日には、同会主催で小沢一郎氏の会見が開かれました。

驚くのは、会の発足直後から財界をはじめ各層各分野から支援の申し入れが殺到していることです。

SNSなどの普及による情報の開放が、日本の市民社会を動かし始めた、まさに革命的な出来事ではないでしょうか。
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●「自由報道協会」設立準備会の公式サイト
http://fpaj.exblog.jp/14067698/

(佐藤裕一による転載貼り付け終わり)

 

(佐藤裕一による転載貼り付け始め)

明らかにエジプトや中東の出来事を誰かが恐れている
http://www.asyura2.com/11/senkyo106/msg/309.html
投稿者 月と星 日時 2011 年 2 月 02 日 12:48:11: vebXXayRfpINQ

エジプトでのムバラク退陣要求を叫ぶ無数の民衆の姿は過去にない広がりを国中に及ぼしている。もはやムバラクは9月の大統領選挙を前に辞任せざるを得ないだろう。30年にわたる独裁による官僚機構の腐敗と、国民への適正な分配なき政策に対して民衆の怒りが爆発したのだ。チュニジアにおけるジャスミン革命に端を発した市民革命は中東にどんどん広がるだろう。

我が国はどうなのだろうか? 「ジャスミン革命は日本で起きるか」という投稿をしたが、驚いたことに意図的に趣旨を変えようとする多数のコメントに晒された。明らかに誰かが組織的かつ意図的に小生の投稿内容を捻じ曲げようとしていた。暴力革命や自衛隊の決起など何も記載しないのに、わざと論点をそちらに誘導する内容のコメントばかりだったのには本当にあきれさせられた。

いずれにせよ、中東各国の独裁と言われている政体の長さは一番長いものでも40年くらいである。それに比べればわが国の官僚独裁の期間は戦後以来ずっと続いているのであるから65年という驚くべき長期になっている。国民は見せかけの民主主義に騙されて、戦後のわが国は民主主義国家だと思わされているが、実態は「官僚社会主義国家」なのである。その事は何度も投稿しているが、敢えて繰り返すなら、三権分立が何も機能していない事、特に立法行為が実質的に官僚に委ねられている「閣法制度」の存在で明らかである。さらに司法機能も「判検交流」という憲法違反の人事交流が行われている事から、官僚の恣意的な取り締まりと裁判が長年にわたり続いている。その最も良い例は小沢一郎に関わる陸山会事件などに見られるものや、有罪率が99%以上という世界的に見ても異常と言える数字に表れている。

これらの事実を認識し始めている国民に対して、ここ数週間に起きた中東におけるネットを通じた市民革命の成功に対して、明らかに日本のマスコミは報道が少ない。海外のマスコミは大々的に報道しているにも拘らず、その報道の少なさ、専門家の評論の無さについては異常ともいうほど少ない。誰かが裏で操作している事が透けて見える。

我々も声を挙げよう、マスコミの世論操作に負けることなくネット上で、ツイッター、FaceBook、その他のあらゆるツールによってこの国の実態を討論するべきである。阿修羅のような誰でも投稿可能なサイトがある事はとても素晴らしい事なので、多数の人々が多末の意見を投稿するべきだと思う。現象だけを見ないで、その本質にあるものを考えて我々が覚醒すれば、必ずわが国を本当の意味の民主国家に変える事が出来ると信じている。マスコミによる下らない政治家の醜聞などに惑わされずに、官僚独裁の実態を本当にこのまま許していいのか、しっかりと考えるべきである。  

(佐藤裕一による転載貼り付け終わり)

 

(佐藤裕一による転載貼り付け始め)

議会制民主主義を守れ! (参議院議員 森ゆうこ )
http://www.asyura2.com/11/senkyo106/msg/324.html
投稿者 純一 日時 2011 年 2 月 02 日 16:25:53: MazZZFZM0AbbM

http://my-dream.air-nifty.com/moriyuuko/2011/02/post-b3f1.html

2011年2月 2日 (水)

大阪府知事橋下徹(はしもととおる)氏が検審起訴について、twitterで下記のように述べています。

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【t_ishin】

小沢元代表強制起訴の件について、メディアは大騒ぎしているけど国民としてはもっと冷静にならないといけないね。
民意で有罪にはできません。
有罪にできるのは法と証拠のみ。

今回は、民意で裁判の手続きに乗せただけ。
裁判で有罪か無罪か白黒つけましょうと。
だから検察官起訴よりも、推定無罪の原則はより強く意識しなければならない。

そもそも検察審査会の議決による強制起訴は、推定無罪の原則が働くからこそ、審査委員は一般の感覚で起訴相当と判断できる。
迷ったら裁判に乗せてしまえと。

もし検察官起訴と同じような有罪であろうという社会的雰囲気となれば、検察審査会は責任を感じ相当慎重な判断をすることになる。
そうなると、国民の一般的感覚で起訴を認めようとした強制起訴制度の趣旨に悖る。
検察審査会の強制起訴は、推定無罪の原則をより強く認識しなければならない。

(引用終わり)

――――――――――――――――――――――――――――――

検察審査会の起訴は推定無罪の原則をより強く認識するべきものである。
「検審起訴」と同時に何らかの処分が党や、国会で行われるようなことになれば、憲法で保障された国会議員の自由な政治活動を阻害することになり、議会制民主主義の根幹を揺るがすことになる。

この問題は小沢氏一人の問題ではない。

(佐藤裕一による転載貼り付け終わり)

 

(佐藤裕一による転載貼り付け始め)

森ゆうこ議員への脅迫事件と日本の民主主義
http://www.asyura2.com/11/senkyo106/msg/246.html
投稿者 wordblow 日時 2011 年 2 月 01 日 17:07:03: 0b5D99uguBdUI

民主主義を大切にしたい皆さまへ。

■ある検察幹部が発言、森氏に「鉄槌を下してやる」、「不祥事」を捜している――と司法記者が森氏に伝えた。
(民主党、森ゆうこ参院議員のツイッターより)

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上のリンクから読めますが、詳しい内容を以下に再録――。

「ある検察幹部が、私の調査に相当ナーバスになっているらしく、「鉄槌を下してやる」と言って、「不祥事」を捜していると司法記者から聞いた。「不祥事」は何でも、いつでも捏造できる。そして、私のやっている事は司法に対する政治介入だとキャンペーンを記者たちに行っているとのこと。気をつけなきゃ」

民主党の森ゆうこ議員は、いろいろ問題が多すぎる「検察審査会」について調べていることで有名。最近の議員のホームページでは、「検察審査会」が違法をおこなっていると告発しています。また、森氏は各検察官が適格かどうかを審査する「検察官適格審査会委員」のメンバーでもあります。

ある検察幹部が「鉄槌を下してやる」と発言した、という司法記者からの伝聞は、このあたりの文脈で理解できます。可能性としては次の2つでしょう。

1.ある検察幹部が、森氏を脅迫した。
2.司法記者が伝聞を捏造し、森氏を脅迫した。

みなさんの中には、民主党を支持しない方がいらっしゃるでしょう。民主党は支持するが、小沢氏はどうもと敬遠される方もいらっしゃるはずです。それで当然、いや健全な政治意識とさえいえます。一党独裁やワンマン政治は、この日本にあってはなりません。

しかし、というより、だからこそ、民主主義の発達は重要課題です。

みなさんの中には、共産党や旧社会党の支持者もいらっしゃるでしょう。ですが共産党も旧社会党系の議員も、国会議員・森氏への脅迫事件については沈黙していますが、理解できなくはありません。共産党、旧社会党系議員たちにとって民主党は政敵であり、たとえ森氏が危機に立たされても(暗殺されても)、政治的には自分たちに有利だろうと推論しているのでしょう。

これが、日本における民主主義勢力の現状です。

明治以来、もっとも早くから言論の自由について戦ってきたのは、板垣退助らの「自由民権」運動と、その流れを受けついだ(または挫折を乗り越えようとした)玄洋社などの右翼と、水平社などに見られる左翼運動だったでしょう。現在の共産党や旧社会党は、水平社など大正期に発生した左翼思想とも無縁ではないはずなのですが、政敵どうしの潰しあいなら、たとえ日本の民主主義が問題化している事件だとしても大歓迎なのです。残念なことに、いまの日本には右翼思想を受けつぐ政党は見あたりません。自民もみんなも(そしてもちろん街宣ウヨクも)違うと、ここでは結論的に述べておきます。

森ゆうこ氏のツイッターに現れた脅迫事件は、日本の民主主義に深く関係する事件です。特定の検察幹部にしろ、司法記者にしろ、国民の代表である国会議員を脅迫して、その政治活動を封殺しようと意図しているからです。これは民主主義政党を自称する弱小政党の無視にかかわらず、国民的なスケールの問題です。国家に巣食った、国民の意思を代表しない闇の第二権力が、国民の意思に挑戦しているのです。

一般に、民主主義とは何でしょうか。その語源にあたる「デモクラシー」は、紀元前1000年くらい前のギリシャに発生した民主制のことだといわれています。当時のギリシャはポリスと呼ばれる都市国家の集合体であり、それぞれのポリスでは、主権をもつ市民を「デモス」と呼んでいたらしい。デモクラシーの意味はデモス主義ですね。女性や奴隷などがデモスでなかったのは、歴史的な制約です。

民主主義とは、国民(デモス)主権のことです。国として重要な事項を国民が決めるのです。法律も税もふくめ、国のあり方を国民が決めます。国民が多数になれば、ポリスと違って代表制も生まれてきます。

ですから、民主主義にもとづく国の制度や具体的な現れは、国によって違ってきます。これもまた国境をこえた民主主義の特徴であり、どの国も同じシステムで成り立つのがベストと考えるグローバリゼーションは、この点で民主主義に反しています。

私たち国民は、日本に最適な民主主義を戦いとるべきであり、日本的な非民主主義勢力と戦うべきであり、いまの場合は、森ゆうこ議員のツイッターに暴露された国会議員への脅迫事件と戦うことが、日本的な民主主義を発展させる重要な努力であると考えます。

(佐藤裕一による転載貼り付け終わり)

 

(佐藤裕一による転載貼り付け始め)

陸山会事件を冤罪と叫んでも何も変わらない
http://www.asyura2.com/11/senkyo106/msg/367.html
投稿者 月と星 日時 2011 年 2 月 03 日 06:32:02: vebXXayRfpINQ

「何も変わらない」とは言い過ぎかもしれないが、根本が変わらなければ意味はないという事でそのような題名をつけた。根本とは官僚側にある権力の集中の実態を変える事である。小沢一郎や元秘書達の事件で彼らが無罪となっても、検察も裁判官も検察審査会も誰も責任は取らないから痛くもも痒くもないのが事実だろう。傷をこうむった側は負わされ損で済むだけではないのか? しかも裁判は3審制なのだから、だらだらと最高裁まで引き延ばされたら無罪確定までは果てしない年月になる事も考えられる。判決が確定するまでは被告の身のままでいなければならない事は明らかであり、その間はどのような非難にも耐えなければならないのが事実である。百歩譲って、小沢一郎や元秘書達の無罪が確定しても、現行の制度のままなら、同じような事が他の国会議員たちに起きないという保証はどこにもない。

本当に大事な事は検察特捜に許されている「捜査権」「逮捕権」「起訴権」という権力の集中を無くさなければならない事だ。その意味では特捜という組織を法律と共に改正して廃止する事だろう。冤罪を防ぐために必要な事は完全可視化と証拠の全面開示、判検交流の廃止等々があるが、これらは誰が決めるのか。国会議員たちは又しても立法行為や規制を官僚に丸投げするつもりなのだろうか? なぜ有識者会議など検察関係者が入っているようなまやかしが設定され議論などが必要なのか、そんなものは不要ではないか。過去の冤罪ですでに必要な事は全て立証されているのに、何でわざわざ有識者などという形だけの時間稼ぎと、本質の矮小化を図るようなやり方が取られるのか。国民はいつもこのようなやり口で騙されてきたのに、まだ気づかないのだろうか。必要なら国家手議員たちの立法作業の過程で参考人招致すれば良いのだ。大事な事は「国会議員自身が立法行為をする」と言う事である。

検察審査会法の酷さで分かるように、官僚に立法行為を許していても何にもならないし、完全に憲法違反である。なのに何故、誰もこの事実を叫ばないのか。人員や組織が足りないというなら、それこそ法律を作って国会の中に独立した組織と必要な人員を揃えればいいだけの事ではないか。内閣法制局などという閣法制度のための憲法違反の組織や制度は禁止し、衆参の「議員法制局」を一つにして、現行の官僚制度から完全に独立させた、議員たちが行うべき立法のための組織と人員を作らなければ何も変える事は出来ない。それこそが憲法で規定されている権力の集中を行わせないための三権分立なのである。

小沢一郎の裁判とか、秘書達に関わる検察の問題という表面的な事を騒いでも何も変わらない。もういい加減に国民も、何が本当に必要な事なのかを自覚するべきなのだ。一刻も早く三権分立を確立させなければ、せっかく明確にされた数々のこの国の不具合を直す事ができない。そのためにも国会議員たちが本来の業務をしなければならない。彼ら、彼女らをつかまえて、事あるごとくこの問題を実行することを求めなければならない。全ては我々が声を挙げ、それが実行されるまで国会議員たちに働きかけ続ける事にかかっている。その意味では、小生は同じことを何度でも投稿する、「閣法制度」こそがこの国の癌である。  

(佐藤裕一による転載貼り付け終わり)