独立した「I」

会員番号4655 佐藤裕一 投稿日:2010/12/27 08:00

 会員番号4655の佐藤裕一です。

 今回は「文書の倉庫」「(8)言語学関係・英語もの」に保存されている、Imanishi Harukiさんというかたの投稿「2~3日前に気付いたこと(投稿遅れ)」について私が感じたことを書きます。

 投稿日は2000/12/01(Fri) 21:48なので、もう10年が経過しています。この投稿者のかたが今現在も学問道場にいらしているのかどうかは分かりません。「文書の倉庫」URLを貼り付けますが、すぐ下の投稿[115]にも転載貼り付けしてありますのでご覧下さい。上から2番目の転載文章です。

 

 文書の倉庫 (8)言語学関係・英語もの
http://soejima.to/souko/text_data/wforum.cgi?room=8

 タイトル:2~3日前に気付いたこと(投稿遅れ)
http://soejima.to/souko/text_data/wforum.cgi?room=8&no=2&reno=no&oya=2&mode=msg_view

 

 ● 独立した「I」

 英語の一人称「I」についての大変優れた考察です。英語が構成上、一人称を省略出来ないのではないか、という主旨です。

 私も英語駄目人間なりに、漠然とした疑問を抱いていたものです。Imanishiさんの見解が完全に正しいと断定はしませんが、かなり共感を持ちました。私の場合、全くの英語出来ない派の立場からみた疑問と視点になるしか他にないので、お読み頂けるかたは、あらかじめご了解下さい。

 私は、中学校の英語の授業に最初からついていけませんでしたが、英語の「I」についてもいろいろと不思議に思っていました。

 まず最初に浮かんだ疑問は、何故一人称の「I」(アイ)だけは文中どこに使われても大文字のままで、小文字にしないのか? ということです。冠詞の「a」だって一文字ですが、文頭でなければ小文字にしますよね。これについて英語教科書に書いてあった記憶はありません。

 誰にも教えられることがなかったので、小文字の「l」(エル)があって紛らわしいせいだろうと勝手に納得していました。筆記体だとどうだか分かりませんが、大文字の「I」を書く場合は上と下にチョンチョンと付けなければいけない決まりなのでしょうか。これも混同防止のためなのでしょうかね。

 大文字の「I」と小文字の「l」、アラビア数字の「1」がみんな似たような形をしているので、本当にややこしいなぁとずっと思っています。下手すると「7」も、書き方によっては同じ様になってしまいます。そこで「7」の中に線を入れて、分かるようにすることがありますが、日本では馴染みが薄いですね。

 さらには日本語の伸ばし棒の縦の「ー」です。これは正式には長音符とか呼ばれている、便利な記号ですね。縦書きと横書きで、形状が縦と横に変わるのですが、それは記号だからいいんでしょうね。文字であれば縦書きでも横書きでも形状は変わらないはずです。今、この文章を書いているのはエディターというもので、縦書きで書いているのですが、コピペして横書きの掲示板に投稿すると自動的に「ー」が横になっているんですね。むしろ縦のままにしたくても出来ないのではないでしょうか。横になると今度は漢数字の「一」やマイナスの「-」と似てきます。

 私は小学校で伸ばし棒の「ー」はカタカナにしか使わないと習いましたが、みんな平気で平仮名に「ー」を使っていますよね。「ー」も、踊り字の「々」も記号なので、基本的に前の字の音を繰り返して読みますが、それそのものだけの話を声に出してしようとすると、結構困ってしまいます。単独で言おうとしたら記号の名称を言うしかないのですね。

 まぁ文字も記号の一種ということなので、そんなに区別して考えなくてもいいみたいですね。苗字の佐々木さんとかは「々」、それから日本に帰化したカタカナの名前の人は「ー」などを使っていますが、別に普段から記号だと思って、認識しているわけではないでしょう。普通に文字だと思ってますよね。

 Imanishiさんの投稿によると、アメリカ人は普段「I」をそんなに強く発音しないのではないかという指摘がありまして、強く主張したい時以外はそうなのではないかと、私も想像で思っています。

「I」は日本語表記にしてみると(アイ)になりまして、これは日本語と英語でも、そんなに発声に違いは少ないほうだと思います。日本語の(アイ)と発声する言語は沢山ありますが、「愛」が一番メジャーだと思います。
 
 Imanishiさんの、英語の組み立て方から構造上、第一人称を省略しにくいということも、その通りなのではないかと思います。

 私はそれに加えて、「I」の(アイ)という発声方法が、単に簡単明瞭だからではないかと、率直に思います。「アイ」というのは口に出して言いやすいです。

「私」の(わ・た・し)というのは計3音ある上に、わざわざ子音を明確にして言わなければなりません。もっと発声しやすい言葉だったら日本語も少しは違ったでしょう。いちいち(わたし)と発声しなければならない面倒くささが、日本語の日常会話において主語を定着して置かずに話すことを促進してしまい今日に至ったのではないでしょうか。

 そして「I」はどの単語からも独立(孤立)しています。「I’m」のようにしない限りは前後は空白で、しかもそびえ立つような形をしています。常日頃から「I」を見続けている英語圏の人々が個人主義者となり、自立心旺盛なのも分かる気がします。

 それに対して漢字の「私」という文字は、いくら眺め続けても自分勝手・気ままという負の印象しか湧いてきません。この字面からは誇りが生まれません。これが何百年、何千年単位での違いとなると隔絶したものがあります。

 印刷した時に「I」と他の字の違いを分かり易くするために常に大文字になったというのも本当の理由でしょうけれども、人間精神への影響も見逃せないものがあります。

 

 ● 「あなたにとっての自分」と「あなたにとっての私」の違い

 ※以後文中にて、私が単に私とだけ書いた場合は、それは間違いなくひとえに私、佐藤裕一のことを指します。他人を指すことは一切ありません。言葉そのものとしての「私」については、この投稿文章ではややこしいので混同防止のため、「私」とカギカッコで括っています。カギカッコ内の言葉は、一般的な言葉を指すものとしてであるか、台詞としてのものです。

 一人称の話では、英語は基本的に呼称は「I」のみですね。英語と違って日本語には沢山の一人称が有ることについては、広く知られているところです。

 その中で話し言葉としても書き言葉としても一番多く使われ、かつ正統性を持つと捉えられているのが「私」です。ところがこの「私」でさえ、読み方は(わたし)の他に、元々の読み方の(わたくし)と言ったりします。更に変化した女性言葉の「あたし」や「あたい」「あっし」などがあります。

 それこそ私事で恐縮なのですが、私は小学校高学年か、中学生くらいまで「僕」(ぼく)と言っていましたが、そのうち「俺」(おれ)に変わっていきました。それから他に「わて」とかいう、他の地方の方言でしょうか、なぜかこれを結構使っています。

 初対面かあまり面識の無い人と話す時は、ほぼ「私」(わたし)で通し、たまに話の流れで「自分」(じぶん)と言ったりもします。一人称として使う「自分」はかつて軍隊用語だったとのことですが、私としてはそんなに違和感なく使えます。

「私」ばっかりだと、我を張っている印象というか、つっぱっている感覚がする時があるんですね。この抵抗感こそが、主体性を明らかにすることへの抵抗の表れです。ある言葉を発声したり書いたりする際の責任の所在を明確にするということを妨害するんです。これが言葉をすっきりさせる上での厄介な敵です。

 主体をはっきりさせないということを奥ゆかしい、遠慮深い、慎み深い日本文化の表れなどといえば聞こえがいいですが、実は自分で言ったり書いたりしたことについて結果責任をとりたくない、ということなのです。言論責任を曖昧にしておいて後で逃げられるように、言い訳出来るようにしておきたい、ということです。

 ところで英語の「I」と日本語の「私」の単純比較に、「自分」などという言葉が出てきて思考を妨げるので、片付けたいと思います。なにしろ他の「僕」「俺」「わし」「己」(おのれ)などの、いわば俗語に近い呼び方と違って、「自分」は正規の、といったら変ですが、正しい使い方がある言葉だから、入ってこられると混乱の元となるので放っておけません。

 元々普通名詞であった「自分」を人称代名詞として、つまり呼称で実際に使うようになったのが何時なのか、有史以来使ってきたのか知りませんが、「自分」と実際に発声して「私」の意味で呼んで使っている人がいる。前述した通り私もなのですが。

 例えば電話している相手に対して、

「自分は今、そちらに向かっているところです」

 などと言ったりします。相手の立場が上である場合が多いでしょう。

 これに対して「他人」は、呼び掛ける時に使いませんね。

「おーい、他人。ちょっと待ってて、今行くから」

 なんてのは、冗談としてふざけて言う場合にしか考えられません。「他人」はそのままで「自分」だけが呼称に使われるようになってしまったということです。ちなみにここで書くところの「他人」とは「自分以外の人間」を指します。「自分」以外は親子であっても親戚であっても、全て「他人」にあたります。

 さて、普通名詞と人称代名詞の垣根が崩れたとなると、残りの「私」と「自分」の根本的な現代用法の違いは、「自分」には「その人自身」という意味を持つことが有る、ということだと思います。使い分けはそれにつきる、とまで言えるのではないでしょうか。

「私」と違って「自分」には、自分だけを指す使い方があり、自分も他人も含める使い方もあり、他人だけを指す使い方もあるのです。例えば、学校の運動部の顧問が、

「練習を続けるべきなのか止めるべきなのか、自分で考えろ」

 などと、へたばっている部員に向かって、言い放ったりしますね。その場合の「自分」は明らかに言っている顧問本人ではなく、言われている部員を指すわけです。この台詞を、

「練習を続けるべきなのか止めるべきなのか、私で考えろ」

 などと言ったら、一気に意味不明になりますね。こんなことを口走ろうものなら、後に影で生徒達に物笑いの種にされます。結局、顧問本人が答えを出すんじゃんっていうことになりますよね。

「自分」にはその人自身としての、「自分自身」という意味合いが含まれているのです。「あなたにとっての自分」ですね。これが「自己」や「自我」になると愛知学的になるし、これは文章語ですが、やっぱり、指されているその人自身を表したりします。

 私は方言に詳しくありませんが、関西地方の方言で、自分から向かって相手のことを「●●しろや、自分」とすごんで呼んだりするのは、この「自分」という言葉が持つ性質に由来していると考えます。

 他にも「手前」「てめぇ」「お前」「おめぇ」など、第一人称と第二人称の垣根が低くなって、どんどんごっちゃになっていった経緯のある呼び方があります。これには「貴様」などに見受けられる、敬語・敬称のインフレや反転なども、ぐちゃぐちゃになって絡んできます。

 それどころか、たまに人類全体を含む人間、各自1人1人を一気に指す時の「自分」という使い方まである始末です。「我々」みたいな感覚です。

「人類は地球環境を他人事ではなく、自分自身のこととして考えなければならない時にきていのではないでしょうか」

 などのような気色悪い感じで使います。

 このように「自分」という言葉の悪い部分は、このように日常会話で人称代名詞として使ってしまうと、誰のことを指しているのか一義的には分からないところです。その場の状況や使い方で分かる、書き言葉や文章としての台詞であれば前後の文脈で分かる、ということになりますが、意味不明瞭になりがちなところがあります。

 そして「自分」という言葉の良いところは、相手にも「自分」というものがあるのだから、相手の主体性や意見というものも尊重しなければならない、ということが分かることです。地球上に沢山いる「私」以外の人間達は単なる登場人物ではなく、それぞれに「自分自身」というものがある「自分」と同じような人間であるということです。

「自分」は物事を常に客観視出来る言葉です。「自分」というのは「人類」・「人間」の中の1個体として「自分」もあるということです。「あなたにとっての自分」は「あなた自身」となります。

 対して「私」は違います。「私」という言葉は、口に出して発声したその人物以外だけを指すのです。書き言葉としても基本的に「私」と書いているその人物だけを指します。本であればその著者です。この世には「私」という人間は常に1人であり、他にはいません。

 これを他の人間にも「私自身」がある、などと言おうものなら、たちまちおかしな事態になります。他の人間が発声者と同一人物であるということになるからです。まるで映画『マトリックス』THE MATRIX(1999)のエージェント・スミスのように。

 なので「あなたにとっての私」というのは、話している相手に向かって一体「私」はどういう人間に映っているのかを問うているということです。具体的に言えば恋人間や夫婦間で「あなたにとって私は何なの? 大切に思ってるの? 本当に愛してるの?」ということになります。発声者の意識は常に世界の中心にあります。

 だから私、佐藤裕一がこの文章を書くのにも、わざわざカギカッコをつけて辞書に載っている一般的言葉としての「私」と明確に区別しなければならないのです。辞書のように「私」という言葉そのものを説明する際にだけ、仕方なく「私」を客観視することになります。「私」という言葉は常に主観的な用法であり、主体性を明白なものにします。

 英語の人称代名詞「I」に対応するのは、現代日本語において「私」(わたし)であるべきであり、正式の一人称として、実際に呼称して使用するに相応しいということです。「私」は常に会話や対話として使われます。本などに書く「私」も、いわば読者との対話ですから、読み手側が「あなた」ということになります。

 では「自分」の反対語は何かというと「他人」ということになりますが、それは普通名詞の「自分」の反対が「他人」であるということです。使い方によっては「自分」には相手や全体を含む意味を持つ時もあるということです。

 そして英語にもそういう、紛らわしい用法がある言葉があると思います。この分野においても日本の先駆的開拓者であり日本最高峰である先生が書いています。『完結・英文法の謎を解く』(副島隆彦著、筑摩書房刊、1998年8月20日 第1刷発行、1999年4月30日 第2刷発行)の第一章「「人、人間」を表す one と a person」です。

 それから基本的な二人称の「you」は「あなた」、三人称「he」は「彼」、「she」は「彼女」でいいのですが、日本語も英語もいちいち厄介さを抱えているようです。

 人間全般を指す「you」があったり、漢字にするかどうかとか「貴方」「貴女」、「彼」(彼氏)・「彼女」には付き合っている人間を意味することがある混乱とか、ジェンダーにおける女性詞・男性詞・中性詞(ドイツ語?)などの世界的な訂正運動の問題(日本語の場合、「彼」を無理やり「彼男」(かのだん)と呼称するように訂正するとか?)など、いろいろあります。

 ただについては、日本ではあまり盛り上がらなかったので、大して巻き込まれずに済んで良かった。別に訂正運動なんてしなくても、今の若い世代は男も女もみんな同じ様なしゃべり方をしています。

 

 ● 「漢字」という元凶にして日本語の元

 タイトル:何故、日本語キーボードは使いづらいのか
http://www.soejima.to/souko/text_data/wforum.cgi?room=8&no=4&reno=no&oya=4&mode=msg_view

 

 Imanishiさんの投稿「何故、日本語キーボードは使いづらいのか」による日本語の根本問題の指摘も重要だと思います。[115]では上から4番目の転載文章です。

 日本語の漢字仮名交じり文章は、単語と単語の間に空白(スペース)を作って区切っていくということがありません。

 文中で区切るとしたら句読点の読点「、」ということになります。それもあえて区切るとしたらということであって、読点を打たずにズラズラ長文を書こうと思えばいくらでも書けます。日本語の文法がどうだこうだと国語の先生方はおっしゃいますが、ハッキリ言ってどのくらいの頻度でどの箇所に読点を打つかは書き手個人の感覚に任されているとしか言いようがありません。

 翻って英語は基本的に単語間に空白を置きます。多分ですが筆記体というのは区切りの面倒を避ける手段として発達したのではないでしょうか。筆記体以外で普通に単語を全部繋げていったら、何を書いているのかわけが分からなくなるでしょう。

 Imanishiさんの言う通りで、日本語では漢字仮名交じり文だから空白による区切りなくしてズラズラ書きが成り立ちます。たまに日本語文章においても、書いている一文が偶然に平仮名ばかりでしか書けない時に、「読みにくいなぁ……でも漢字表記できないし……」と感じることがあります。そういう場合、不自然ではあるものの頻繁に読点を打つか、文章自体をわけるかすることもあります。

 漢字と平仮名、片仮名が適切な頻度で配置されているから、日本語は空白なしのズラズラ書きが成立しています。読みやすく美しい日本語とはそういうことであり、文法は二の次ということになります。文章の技巧、上手さというのは名人芸です。下手でもそれなりになんとか文意が伝わります。

 漢字こそがキーボード入力における「変換作業」強制の元凶です。平仮名と片仮名だけならばなんとか直接入力出来ますが、どうせ漢字変換があるならば英数入力を選ぶことになります。半角と全角もいちいち分けなければなりません。

 漢字廃止運動が起こるのも心情的には理解出来ます。といってもまだまだ理想だけで実現は程遠いでしょう。ハングルとは違い、平仮名も片仮名も成り立ちからして漢字が元ですから、漢字抜きでは最低限の論理的な文章ですら書けません。韓半島やヴェトナムのようにはいかないのです。日本語の悲劇は美しさと共にあるともいえましょう。

 

 ● 参考サイト

副島隆彦の論文教室 「0075」 論文 存在構文と存在論哲学 副島隆彦(そえじまたかひこ)筆 2010年3月2日
http://soejimaronbun.sakura.ne.jp/files/ronbun078.html

英語で「私」はなぜ大文字でIなのか?大文字、小文字はどうして出来たのか? Jackと英語の木-ウェブリブログ
http://jack8.at.webry.info/201012/article_2.html

英語のI(私は)は、なぜ文の途中でも大文字で書くのでしょうか? – Yahoo!知恵袋
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1126647401

何故英語の「I」(私は・・・)だけ、文の途中でも大文字になるのですか? Iが大文字に… – Yahoo!知恵袋
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1232987527

LINGUIST List 9.253 Pronoun I again
http://linguistlist.org/issues/9/9-253.html

変な質問ですが、なぜ私“I”だけがいつも大文字なのでしょうか?日本人的 OKWave
http://okwave.jp/qa/q6077778.html

一人称のIはなぜ大文字? – 歴史 – 教えて!goo
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/1518859.html

雑学ENGLISH #83 ■なんで「私」だけいつも大文字なの? [英語の「試験に出ぬ雑学ENGLISH」] – メルマ!
http://www.melma.com/backnumber_125292_3253322/