植田信氏公式サイトから転載「戦後世代の時代が来ても、なぜさっさと対米従属を終わらせることが出来ないのか」

会員番号4655 佐藤裕一 投稿日:2010/10/22 22:59

 会員番号4655の佐藤裕一です。

 植田信氏公式サイトから重要な投稿文章を転載貼り付け致します。

(佐藤裕一による転載貼り付け始め)

戦後世代の時代が来ても、なぜさっさと対米従属を終わらせることが出来ないのか 投稿者:ウエダ 投稿日:2010年10月22日(金)16時24分17秒 編集済
 こんにちは、皆さん、植田です。

 今週の最大の旬の話題は、羽田国際空港の開業もありますが、為替レートでした。
 今週は、かろうじて81円の前半に踏みとどまりました。
  ドル(円)81.09-81.12±0.00(22日、15:19)

 瞬間風速では、今週はロンドンでも、ニューヨークでも、東京でも80円台に入りました。
 きょうのところは、ただいま韓国で開催中のG20の結果待ちです。
 その結果次第で、来週はいよいよ80円台に入り、それが常態になるか、というところです。

 さて、話題は変わって、戦後世代に期待する、というさきほどの続きです。
 何を期待するか。
 といえば、もちろん、さっさと対米従属を離脱して、日本を普通の主権国家にしよう、です。

 実際に戦争をした世代には、無理でした。
 敗戦は彼らの現実であり、それゆえに東京裁判も現実でした。
 日本人の戦争は間違っていた、と。
 だから、憲法9条は当然である、となりました。
 おまけに、丸山真男は、憲法9条は世界で最先端の憲法であると主張しました。日本は世界に先駆けているのであり、やがて世界が日本に追いついてくる、と。もちろん、アメリカ軍に保護された中での主張ですから、「天皇無責任体制」の指摘とは異なり、誰も真面目に受け取りませんでしたが、しかしそれにしてもここまでの居直りの姿勢は見事と言うしかありません。この点では、丸山氏は、ルーピー鳩山由紀夫氏など霞んでしまうほどのルーピーぶりを発揮しました。

 しかし、丸山氏も1996年に死にました。
 だから戦前の世代のことをあれこれ言う必要は、もうありません。
 死んだ人は、あの世で、この世の出来事を静かに見守ってください、チーン。

 だから、戦後世代なのですよ、期待できるのは。いや、するしかないのは。
 で、不思議なのは、この世代はなぜ今も日本を普通の主権国家にしないのか?
 さっさと憲法9条を改正して、駐留米軍にご帰国してもらわないのか。
 そうすれば、アメリカがなんだかんだ、という議論も必要もなくなるだろうに。

 反米だろうと、嫌米だろうと、親米だろうと、戦後のすべての日本人のアメリカ問題は、安保・吉田体制の中での話です。だから、アメリカに対する自分の立場がどうであろうと、日本の社会体制そのものがすでにアメリカに従属している中での話です。
 このことをまったく気にせずに、戦後の日本は独立・自立した主権国家であると考えてきた戦後世代がいるとしたら、今度の尖閣諸島・漁船衝突事件は少しばかり目覚まし時計になったかな。
 中国は、また監視船を巡回させています。もう彼らには尖閣諸島は中国の領土である、という認識でしょう。その証拠に、日本は自分の非を認めて、船長を釈放したではないか、と。
 「それでもまだ日本が尖閣諸島は日本の領土だと言い張るとしたら、日本の傲慢だ」、という論理を組み立ててくるでしょう。

 戦後世代は、この中国の論理に押されるのか、押し返すのか。
 それをするには(押し返すには)、アメリカがなんだかんだ、という以前に、憲法9条の改正と、集団的自衛権の行使の公認が不可欠ですが、なぜ戦後世代はこれをやらないのか?
 私には、戦後史の大きな謎です。

 で、この問題をよくよく考えた結果、私は、原因は、軍隊の問題、あるいは武力の問題にあるのではないと結論しました。
 戦前の日本を振り返れば、日本人と軍事は、あまりに親密でした。
 だから、いったん戦後の日本人が軍事の公認に踏み切れば、たちまち軍事力と仲良くなることは請け合いです。
 だから、問題は、軍事そのものではなく、なぜ自分でそれを公認しないのか、です。なぜ自制しているのか。

 日本人はここらでストア主義者に変貌したのか。
 人生の幸福は、禁欲にある、と。
 だから自分の軍隊を持たないでいることは、主義主張としての幸福の獲得となる、と。

 それは冗談ですが、私が見つけた答えは、戦前とのバランスです。
 戦前の日本人が軍国主義という非道をしたのであれば、それにバランスが取れるまでは戦後の日本人には、軍事の公認はできないだろう、と。
 だから、それまでは、とにかくなんであれ、日本問題はアメリカ問題である、ということになります。これは、誰が考えてもそうなります。日本の安全保障を管理しているのは官邸ではなく、ワシントンですから。
 あとは、アメリカに好感を持つ人は親米の発言したり、反感を持つ人はアメリカをくそみそに言ったりすることになりますが、基本は同じです、戦後の私たちは全員吉田茂体制という「対米従属丸」に乗っています。

 だからアメリカは冷戦終了後に国際戦略を変えましたが、ーソビエトが消滅した以上、ごく当然の変化ですー、日本人には何の変化もありません。アメリカに保護されたままです。

 戦後世代はどうしちゃったのか?
 大いに気になるところです。

 対米従属は、もう、永遠にどうすることもできないと、戦後世代は、全員、ふて寝することに決めたのか。
 だから、政権交代という国内問題がやっと解決した途端、政治主導の脳死ぶりが明らかになった、というわけでした。民主党が元気だったのは、もともと権限のない霞が関官僚からその権限を奪うという事業だけでした。それが終わったら、脳死です。

 で、以上の話題、ここで終わると、愚痴です。
 自然理性人が、話題を愚痴で終わらせてなるものか。
 さて、ここからが本論です。

 なせ戦後世代は、ふて寝をするしかないのか、と行きましょう。
 なぜ脳死してしまったのか、と。

 今や「故」という冠詞を付ける必要が出てきた小室直樹氏ですが、戦後の日本のことを「アノミー」と名づけました。昭和天皇が人間宣言をしたことで、権威がなくなり、日本人は頼るものがなくなってしまった、という事態です。もちろん、精神的支柱がなくなった、という意味です。
 これはいかにアメリカ軍が日本国の安全を保障してくれても解決できない問題です。日本人の精神の問題ですから、ここにはアメリカの軍事力はタッチできません。

 で、私は、それは「アノミー」というなまやさしいものではなかった、と最近思います。
 菅政権の脳死ぶり、国会審議のお通夜ぶりを見て、あれはアノミーなんてものではなく、戦後日本人にとっての、文字通りの「神の死」だったのだ、と。
 自分が最も大切にしていたものが消えた以上、ふて寝するしかなくなってしまったのも当然です。
 アメリカ軍が日本に駐留するもしないも、どうでもいい、と。
 精神の支柱が折れてしまったのだから、もうあとはどうでもいい、と。

 では、戦後の経済高度成長とは何だったのか。
 といえば、あまりに大きな喪失感を忘れるために、他のことに夢中になっただけのこと。
 つまり、一種の精神安定のための一心不乱の行動だった、と。
 だから、高度成長してしまったあとは、虚脱感に襲われ、デフレ時代の到来、と。

 まさに昭和の時代が終わったとたんに「デフレ」時代が始まりました。
 虚脱感が支配する時代です。

 ということは、戦後世代も、要は、律令理性の世代だったのか?
 そこまでアマテラス神話の信者だったのか?

 そうではないと、戦後世代が言い張っても、事実が証明しています。
 戦後世代も、アメリカを頼るしかない、という事実です。
 自前で自国を守ることが出来ない精神。
 精神の支柱を失っている結果です。

 ではどうしたらいいか。
 自然理性人になれば、事は簡単ですが、しかし、西洋人が自然理性人になるには、2000年がかかりました。
 これを明治からの150年で達成できるか、といえば、到底無理です。だから、無理なことを現実が証明しています。
 「経済成長して、先進国に追いつけ、追い越せ」とはわけが違う問題です。

 戦後世代には、この問題が気づかれていませんでした。
 いや、私も、やっと気がついた次第です。
 菅政権の脳死ぶりを目のあたりにして。

 「脱官僚」問題が終わった後、「脳死」問題が浮上しました。
 日本人の精神の支柱が折れている、という問題です。
 それゆえに、戦後世代の時代が来ても、対米従属を如何ともしがたい事態が続く、と。

(佐藤裕一による転載貼り付け終わり)

 植田信氏公式サイト
http://www.uedam.com/