東証にまで及ぶ企業統治の欠如、経営のチェックが働かない日本企業の構造問題「自壊する「日本型」 株式会社 オリンパス症候群(シンドローム)」(チームFACTA著 平凡社)を読む

六城雅敦 投稿日:2012/07/21 12:10

書評との体を為していないとのことで掲載されなかった駄文ですが、夏休み読書感想文としてこちらに投稿しておきます。書評とはどう書けばよいのか<だめな参考>としての意味があるかと思うので載せておきます。
書評として掲載されなかった理由は論旨がわかりにくいからです。

(講評)「残念ながら、三回読んでも論旨がわかりません。書評なのに引用があまりないということが一番いけません。引用部分があるにはありますが、全体の六城さんの視点との関連がはっきりしません。引用というものは引用する場所に文章全体との関係性がないと宙に浮くだけになります。」

バブル崩壊から四半世紀が経った現在でも、日本経済に大きな傷を残しており、癒えていないことが本書からよくわかります。飛ばしは大蔵省(当時)と証券・信託会社の共同作業であったのです。事件発覚後の役員人事に三井住友が強くウッドフォードの就任に反対したことが、三井住友ファイナンシャルグループが不正会計の手助けをしたという事実をはからずも知れ渡ることになりました。新聞記者OBと大蔵官僚OBの備忘録としてお読み下さい。

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東証にまで及ぶ企業統治の欠如、経営のチェックが働かない日本企業の構造問題
「自壊する「日本型」 株式会社 オリンパス症候群(シンドローム)」(チームFACTA著 平凡社)を読む

六城雅敦です。本日は6月11日です。
本書は元日本経済新聞証券部記者の阿部重夫氏(雑誌FACTA編集発行人)と磯山友幸氏、松浦肇氏と元財務官僚高橋洋一氏による4人の共同執筆です。オリンパス事件の背景とそれに連なる歴史を当時の新聞記者と官僚がわかりやすく解説した一級の資料と思います。簡単に本書の内容を追ってみます。

1.言えない秘密(タンスの中の骸骨:Skeleton in the closet) 失われた20年の正体

遡ること20年前、本書では山一証券が破綻した頃の話から金融史の裏側の解説が始まります。失われた20年(lost 2 decades)の根源を著者はえぐり出しています。発端はFACTAに寄稿した山口義正氏の記事ですが、そのパンドラの箱の中身を著者(おそらく高橋洋一氏)が内部情報として詳細に語っています。
25年にわたり「飛ばし」を隠していたオリンパスの正体こそ世界からは日本の不振の謎の答えであったのです。損失隠しを「ウチ」のためだと3代(下山敏郎(しもやまとしろう)岸本正壽(きしもとまさとし)菊川剛(きくかわつよし))の社長らが株主の金を使って不始末を処理してきたのです。
なぜ日本を代表する企業のひとつオリンパスがこのような不正を続けることができたのでしょうか。それは日本独特の「ウチ」という概念があると著者(阿部重夫と思われる)はまず指摘しています。
犯罪行為であるにも関わらず「会社のため」という身勝手な美徳で化粧した「ウチ」を信じ込んでいる経営者、役員たちこそが日本の病巣であり、失われた時代がまだまだ続くこと冒頭で述べています。

2.角谷通達によるバブル崩壊から始まるオリンパス事件簿

1985年下山敏郎が社長の時代に、プラザ合意による急激な円高による営業利益の減少をうけて積極的な金融資産の運用(財テク)に走りました。5年後の1990年バブル崩壊により損失が膨れあがったために、一層ハイリスクハイリターンの金融商品へと邁進していきます。円高抑制のために日銀がとったドル買い(円を増刷)することでマネタリーベースが増えて、87~88年頃に資産インフレを誘発しました。
その当時、もてはやされた金融商品が特定金銭信託(特金)とファンドトラスト(ファントラ)というものです。どちらも同じで証券会社が売れば特金と呼ばれ、信託会社が扱えばファントラと呼ばれたものです。本書では含み益を計上しなくて済む金融商品と説明しています。企業にとって含みの利益を計上して税金を払うことは避けたいことが本音なので広く企業に受け入れられます。この商品を開発したのが野村證券です。原理は単純で、価値が変動して解約しない限り利益が確定できないことを理由に税金の支払い義務がないこと。そして特金やファントラを担保にして銀行から融資を受ければ企業としては借り入れとなるために本業の利益を圧縮できるという理由だからでしょう。
しかし一方では一般投資家にとっては不透明きわまりなく、証券会社や信託会社の一任勘定(顧客が銘柄を指定することなく運用できる)であるために証券会社自身による価格の吊り上げも野放しで行われております。野村や山一といった証券会社は幹事として新規企業を上場させる役割もあり、集まる資金でいくらでも株価操作ができた無法時代です。当時姉が証券会社に勤めていたので鉄火場の場立ちの様子やNTT株の狂乱と新規公開株が急上昇する様子も毎晩聞いていました。まさに証券会社の「我が世の春」です。
好調な業績をあげる裏では証券会社の営業マンが絶対に負けることのない投資として損失補填をするという念書まで書いて強引な販売していたそうです。驚くことに日経新聞にも野村證券が7%の利回り保証で特金を発売した記事があるそうです。(当時のインフレは8%だった)
しかし株価が軟調になると一転して証券大手は増え続ける損失補填で大蔵省に助けを求めます。そして出された通達が角谷正彦証券局長の通達(当時、高橋洋一氏が原案を作成した)で損失補填は禁止され、一任勘定は名目上では投資顧問会社へ移管させられます。
損失補填は証券取引法違反ですが、明文化していない行為にはお咎めがないことを理由に証券会社は厚生労働省の年金福祉財団(現在の年金積立金管理運用独立行政法人)といった大口優良顧客に損失を肩代わりし、大蔵省も黙認していました。
特金やファントラの損失補填は読売新聞の記者であった清武英利氏(後に読売巨人軍球団代表)が政府関係団体を含む損失補填先の実態をスクープしています。清武英利氏により証券会社の運用損だけではなく、年金基金や公務員組合にも巨額の損失が隠されていることが世間に知れ渡りました。
92年頃住友系企業に勤めていた私は日経記者だった山口氏から住友信託がファントラの運用損で危機的状況であることを教えてもらったことがあります。太陽神戸と三井銀行が合併し、さくら銀行と名前を変えた頃でまさか住友系の信託会社がと半信半疑でしたが、当時、信託銀行も証券会社と同じく損失を抱え、顧客も損失を与えていたことが高橋洋一氏の記述でわかります。
同時に一兆円の預かり資産の半分5000億円もの含み損で身動きできない山一証券は損失補填ができないことを理由に顧客企業の簿外処理を山一の営業マンは請負いだしたという経緯があるのです。特金やファントラの損失をタックスヘイブンのペーパーカンパニーへ「飛ばす」手口は野村ではなく山一が始めたことなのです。

3.山一の飛ばしという幻のスクープ

日経新聞証券部で不自然な山一証券の財務諸表に注目していた著者の一人である阿部重夫氏が、ペーパー・カンパニーという舐めた社名(のペーパーカンパニー)の海外企業を使って6300億円もの巨額な損失を飛ばしている証拠を突き止めます。
ところが山一に泣きつかれた日経上層部は阿部の記事を黙殺してしまいます。20年後に山口義正氏がオリンパスを糾弾した記事と同じものがすでにFACTA発行人の阿部重夫氏の手で輪転機を回す手前まで用意されていたのです。
破綻直前の山一証券の「飛ばし」とオリンパスの「飛ばし」の違いは額の大小の差でしかありません。阿部重夫氏の場合は、同業他社と比べて稼ぎ頭セクターで稼がず、利益がでないはずのセクターで過剰な利益を計上しているというチグハグさから山一上層は何かを隠していると踏んでいます。
山一が破綻するほど巨額債務でほとんどの日本の代表的な企業、そして我々の掛け金を運用する厚生労働省の年金福祉財団(現在の年金積立金管理運用独立行政法人)でさえ苦しんでいたのです。そしてその傷跡はいまだ癒えていない状態、それが失われた20年であり現状でもあることを著者群は暴露しています。

ここで私は別の結論が見いだせます。
日本の大企業が資金運用で失敗しているのであれば、年金基金も大きく毀損している可能性が高いのです。財務省の傀儡である民主党野田政権が増税に異常なほどこだわっていることが証左です。消費税増税で年金基金を補填する目論見が裏では財務省主導で図られていると見ることが出来ます。

4.宮沢喜一首相の不良債権処理を先延ばしで葬った寺村信行こそA級戦犯者だ

金融機関の40兆円という不良債権処理が緊迫の懸案となっていた宮沢喜一首相当時、大蔵省銀行局長は寺村信行という男でした。経済にうとい大蔵大臣の羽田孜(はたつとむ)を籠絡(ろうらく)して寺村はあからさまに宮沢の公的資金投入案に反対しました。後に「寺村先送り行政」と言われ、決定的な不良債権処理の好機を逃します。ここでも大蔵省と銀行頭取らの責任問題をうやむやにするという「ウチ」という共通の倫理観が優先されます。
しかしすぐにツケが回ってきて日住金、拓銀、長銀、日債銀など大手が破綻することでひたすら先送りする寺村信行に批判が集まります。結局大蔵省は最後まで寺村を庇い続けるのですが、「巨額損失みんなで渡れば怖くない」という大蔵省の小役人により、たった6000億円で金融機関を救済する宮沢喜一の案を葬ったことが日本経済の先行きの分水嶺(ぶんすいれい)であったのだと、著者(阿部重夫と高橋洋一と思われる)が述懐しています。
同時に宮沢喜一首相が大蔵省銀行局に見切りを付けて、郵貯や簡保を株式投資へ回す経済対策を行いました。これはPKOと揶揄されましたが、いまではさらに状況は悪く、日銀自体でも株やETFを買い上げて価格維持をしなくてはならない状態です。
90年代から買い支えによる価格操作が公的に行われていることを冷静に見なくてはなりません。人工呼吸器と人工心肺装置でむりやり動かしている株式市場は既にゾンビとなっていると見て差し支えないと思えます。どうせ死に体なのだから1000億2000億程度の損失は永久に隠して体裁を繕ったところでどの企業も似たような物だという本音がオリンパス経営陣にあったのだと思われます。それは飛ばし先の企業名が山一の「ペーパー・カンパニー」と同じように「グローバル・カンパニー」という一瞥して実態もなく愛着も感じない社名から推し量れます。

5.エンロン破綻から綿々と連なる飛ばし請負人達

山一証券や長銀などの破綻が最初の10年とすれば、Lost Decade(失われた10年)の二巡目は2001年に起きたアメリカのエンロン(Enron Corp:エネルギー取引商社)のサドンデス(突然死)が発端となります。
エンロンもデリバティブに手を染め巨額損失はChewco(チューバッカのもじり)やJEDI(ジェダイ)といったスターウォーズの登場人物名のペーパーカンパニーに隠しています。翌年には通信会社ワールドコムも損失を隠すために38億円の架空利益による粉飾が発覚して破綻しています。どちらもオリンパスは手口を踏襲していることに注目です。
日本では同時期にクレディスイスが顧客企業の不正経理に関与していた疑いがあり、検査妨害・忌避や財務開示での不正行為で免許停止、信託銀行部門の業務停止処分がなされています。このクレディスイスの残党がBNPパリバ証券に移り、オリンパスを食い物にしていくだけではなく、野村出身であるBNPパリバ証券の債券部長は社外取締役に収まるほどの鉄面皮ぶりです。
またプリンストン債という飛ばしを目的とした詐欺商品を国内30社が購入していたことを筆者の阿部重夫は記者時代を追想しています。このような大企業の実態を記者として身近に見てきた筆者達はまだまだ「飛ばし」を請負う連中がエンロン以降も跋扈していると見ています。

(引用開始)
2008年のリーマン・ショック前後に、また巨額の不良債権が生じたはずだが、再びヤミからヤミへ、簿外へ沈める方向に行ってしまった。20年前にオリンパスで起きたのと同じような問題が、第二のロスト・ディケイドに起きた。90年代のロスト・ディケイドに「飛ばし」という商法違反を行った体制が、形状記憶合金のように戻ってきたといえる。
 オリンパスの問題は、たまたまラッキーなかたちで暴露されたともいえるが、誰もが薄々感じているように、リーマン・ショック以降の不良債権にフタをしている企業はほかにもたくさんある。これからはそこにメスを入れていかないと、オリンパスが単なる特異例で終わってしまいかねない。
(引用おわり)

6.小泉政権の規制緩和は不良債権の飛ばしの手段となった

小泉政権時代にアメリカを見習い不良債権の証券化という手法が導入されました。具体的にはSPC(特定目的会社)や任意組合、匿名組合といった監査の緩い事業体が認可されています。当時竹中平蔵(金融および経済財政政策担当)大臣の元で財務局理財部長として働いた高橋洋一氏は、このSPCが結局不良債権の流動化ではなく、隠れ債務に苦しむ企業にとって飛ばしのビーグル(乗り物)として使われたことを指摘しています。構造改革という美名のもとに従来の法人格を廃止して有限責任事業組合(LLP)といった新たな法人格を創り出しましたが、結局は銀行の都合の良いものに当初の目的から換骨奪胎されていったのです。

(転載はじめ)
 銀行のバランスシートから不良債権を消すため、フンづまりの「導管体」を優先するあまり、あの手この手のアメを用意しすぎたのではないか。投資家保護といいながら、ディスクロージャー(情報開示)はおざなりなものだったし、コーポレート・ガバナンスも特定資産総額の5%以上の優先出資証券をオリジネーターが保有するといった例が少なくなく、オリジネーターからの切り離しが不十分で、監査法人から「これで売却といえるのか」と疑問の声が上がったほどだった。
・・・中略・・・
たしかにSPCやLLPは、動脈硬化を起していた会社法制に風穴をあけた。でも、いわば鬼っ子的な存在だったから、霞ヶ関の権益争奪が絡んで折衷的な制度にとどまり、全体のガバナンスやディスクロージャー、さらには行政の監視などで整合性がとれていない。不動産ミニバブルの発生も、オリンパスの「飛ばし請負人」たちのような“悪の花園”も、パッチワークだった制度そのものの欠陥に咲いたあだ花ではなかったか。
案の定、リーマン・ショックで邯鄲(かんたん)の夢は破れた。ティモシー・ガイトナー米財務長官は、危機の本質は「シャドー・バンキングシステム」(影の銀行システム)で取り付け騒ぎが起きたことにあると言っている。これは財務省など規制当局の管轄街にあるヘッジファンド、MMF、ストラクチャード・ファイナンスなどの金融機関の「並行システム」がパニックに陥ったというのだ。
日本でもモルガン・スタンレーは三菱UFJ傘下に入り、ダヴィンチは債務超過、上場廃止となった。新生銀行も連続赤字で業務改善命令を受け、痛手からいまだに立ち直れない。その躓(つまず)きはSPCやLLPなどの道具を使って生まれた「シャドー・バンキングシステム」から発生していると言っていい。
 だから第二のロスト・ディケイドの日本復活が頓挫したことと、オリンパスの不正経理スキャンダルは、実は裏表の関係にあるんだ。
(転載終り)

7.偽りのコンプライアンスと監視不在の日本

オリンパス事件の裁判では被告側の弁明で「経営判断原則」が焦点になると思われます。オリンパスは今回の粉飾に関して企業存続と発展のためにやっていたことだから経営側の責任を問うなという答弁をしています。ここで旧経営陣の反論のキーワードは「経営判断原則」という言葉です。経営判断原則とは「将来、仮に損失を計上したとしても、十分に情報を収集して判断した経営方針なら取締役義務違反ではない」という米国型会社法の理念を日本では経営判断原則という概念で倣っています。
オリンパスはこの世界的な共通認識を悪用し、露骨に「M&Aは中核的戦略」として不正を隠した例であると指摘しています。ウッドフォード氏が取締役会で議題をM&Aに提出したとたん社長信任の議題へ変更し、役員全員が不信任に挙手するといった具合に経営陣全員が不正を隠すという意志に現れています。
でたらめなM&Aに対し、社外役員や会計士がチェックを行う体制はオリンパスにも名目上存在しますが、その社外役員や会計士らはゲートキーパーの役とはなっていないとウッドフォード氏は社長となってはじめて知るのです。
株式会社とは誰のものかというと、株主がオーナーであり取締役らは委託をうけた代理人であることが欧米では共通の認識です。本文中ではその一例として、株主総会では「マイカンパニー」ではなく「ユアカンパニー」と株主には説明するのです。
これは政治世界でも同様でエージェントのはずの人たちが我が物顔で振る舞う仕組みになっていると指摘しています。その代表例が国会議員であり、トップを首相とする行政機構であるはずが日本ではエージェントが主体(プリンシパル)のように振る舞う土壌があるからだと企業コンプライアンス専門の弁護士が指摘しています。

8.結局オリンパスは誰の所有物だったのか?

解任されたウッドフォード氏が株主の委任状争奪戦(プロキシー・ファイト)を挑みますが早々にあきらめます。撤退の理由を説明した記者会見でメーンバンクの三井住友銀行がウッドフォード氏の復職を歓迎しないことであると述べています。
本書では三井住友銀行の持ち株会社である三井住友ファイナンシャルグループが不正会計に関与していたという疑惑もあるとした上で、現経営陣を温存したままいち早く「支援」を明言していることは不自然であると指摘しています。900億円もの融資先であるために不正を暴いたウッドフォード氏に協力を求めることが最善であるにも関わらず頑なに排除する三井住友銀行には「銀行の利益にならない何かがある」と本書では指摘しています。
前述したように山口義正氏も日経記者時代に「住友信託銀行がとてもあやしい」とにらんでいたようですが、まさか20年後にオリンパスと住友銀行本体までが不良債権で一心同体だったと知ることになるとは私も驚きです。
企業は誰のものか?少なくとも我が国では経営者の生殺与奪は銀行が持っているようです。

9.株価が上がらないのは日本市場では支配プレミアムがないため

結局日本の株式市場が低迷している理由に、オリンパスのような不祥事に対して銀行側の債権保全が優先されてしまい、銀行と経営者間の「ウチ」の論理でかたづけられるからであると説明しています。このように株主の企業統治は形骸化して、オリンパスの再建案も三井住友銀行系SMBC日興證券が主導して資本提携先を探しています。
株式には転売できる「物的証券」と配当を受け取る「利潤証券」、そして経営に関与できる「支配証券」という3要素があると教科書では示していますが、日本には支配証券としての価値は欠落していることを本書では述べています。

日本株は8~9割が機関投資家により株式指数と連動するパッシブ(受け身)運用をしているだけで、個別企業を評価して株式売買を行うアクティブ(積極)運用は少数です。アクティブ運用は支配権を重視した投資ですが、買収防衛を名目に株式の持ち合いが横行している現状では支配プレミアムが見込まれないから割安のままなのだと本書で解説されています。M&Aに脅かされない環境下では経営者には外部からの圧力がなく、ガバナンス自体が意味をなさないのです。
いうまでもなく、根本の理由は銀行との持ち合いがあるために支配権を争奪すること自体が閉ざされているからです。日本の株式市場は株式の持つ支配権の流通という役目を無視したものであるのです。

10.株主を見殺しにする東京証券取引所

本書ではコンプライアンスを監視する東京証券取引所の実態もわかりやすく解説しているので転載します。
(転載はじめ)
オリンパスの上場維持を決めた東証は株式会社と自主規制法人に分かれていて、一応ルールを監督し、上場廃止の是非を判断するのは自主規制法人ということになっている。理事が5人いて、理事は財務省から天下りしている林和元事務次官、残り4人のうち2人は東証出身で、あとは弁護士の久保利英明さんと公認会計士協会の元会長の藤沼亜起さんという構成だ。分かる人には分かる。これはもう最初から3対2で動かない。天下りの元役人と取引所のプロパーの3人が多数となるよう、わざと選んでいる。
 これは、完全に財務省が握っている人事だ。安倍政権で天下りが問題になったとき、自主規制法人なのだから役人が行くのはおかしいという話になった。そんなに役人が行きたいのなら、金融庁でやればいい。すると、当時、財政精度等審議会会長であった東証快調の西室泰三氏が「これは民事の人事で、うちがお願いをした」と言って、塩崎恭久官房長官に要請してきた。(現東証社長の)斉藤惇氏は、規制業種は「1センチ動かそうとして2ミリしか動かない」からつらいと言っていたが、ほとんどあきらめ顔だね。最初からお上ありきが前提で、資本市場の総本山を財務省が握って離さないことは明らか。財務省が腹をくくって、オリンパスのような会社はアウトだと言わない限り、東証としては上場廃止の結論は出せないんだ。今回も勝栄二郎財務事務次官の意向を忖度(そんたく)したというよ。
(転載終り)
このように天下りでずぶずぶです。東証と大証の統合も自主規制法人が一つ減ってしまうために財務省は統合を反対していたというオチまで暴露しています。勝栄二郎以下財務官僚と天下り役人が証券市場を倒壊させた大罪人です。

11.感想:P.F.ドラッガーも指摘していた日本企業の問題

本書「オリンパス症候群」を読了したところ、ドラッガーを思い出しました。既に1981年(昭和56年)の時点で取締役会が機能していない日本企業へはドラッガーも警鐘を鳴らしています。
ドラッガーのキーワードに「モダン」(近代的合理主義)という単語があります。ドラッガーによるとモダン時代はジェームスワットによる蒸気機関で工業社会と同時にアダムスミスにより「国富論」が発表されたことで始まりました。ジェームスワットとアダムスミスはイギリス・グラスゴーの親友同士です。
モダンは第二次大戦で終焉し、戦後は「ポストモダン」の時代へと移ったとドラッガーは説明しています。さらにポストモダンとは「組織」の時代であると定義しています。組織が大切だからこそ経営者は責任とマネジメントを重視すべきと喝破しているのです。(組織とは家庭から国家体制まで含まれます)
「モダン」は副島隆彦先生もよく説明されます。西洋で一大転機となったモダン(近代的合理主義)を経験していないのが我が日本の実状であると。口汚く言えば今でも「土人国家ニッポン」です。社会制度のどこに「モダン」があるのか!という嘆きが副島隆彦の著書の根底にあるのです。
本書「オリンパス症候群」では日経新聞証券部の元記者達と元財務官僚の著者達が口々に日本の企業統治のどこに「モダン」があるのか!と読者に投げかけているように思えます。
ドラッガーは戦後にゼネラルモーターズ(GM)に経営コンサルタントとして招かれて企業組織を徹底的に調査しました。ポストモダンを見据えて膨大な調査結果を元に作成された分権の勧告はGM幹部を激怒させ、無視されました。皮肉なことにライバル社がドラッガーに注目して業績を上げていきます。はたして失った10年(lost decade)を繰り返す日本の硬直した社会に未来はあるのかと思わずにはいられません。(了)