文書の倉庫 (7)自然学問・理科系学問 転載貼り付け2

会員番号4655 佐藤裕一 投稿日:2010/12/27 01:21

 会員番号4655の佐藤裕一です。

 引き続き「文書の倉庫」から転載貼り付け致します。各個人掲載のEメールアドレス及びURLは省きます。

 

 文書の倉庫 (7)自然学問・理科系学問
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(佐藤裕一による転載貼り付け始め)

投稿時間:2003/05/20(Tue) 00:21
投稿者名:廣瀬哲雄
タイトル:”月の石”は日航機で受取り

毎日新聞 朝刊 1969年10月2日 17面(14版)
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“月の石”を受取りに
久城講師が渡米

 アポロ11号が持帰った”月の石”を米航空宇宙局(NASA)から受取るため、東大理学部久城育夫講師は一日午後五時羽田発の日航機で渡来した。十五グラムのチリと岩石四個(計14グラム)を受取り。五日午後六時ごろ帰国の予定。またすでに渡米中の東大理学部永田武教授はチリ5グラムと十六グラムの岩石一個を持って十日ごろ帰国するとの連絡があった。

(転載貼り付け終わり)

毎日新聞 朝刊 1969年10月2日 17面(14版)

(佐藤裕一による転載貼り付け終わり)

 

(佐藤裕一による転載貼り付け始め)

投稿時間:2003/05/21(Wed) 01:37
投稿者名:廣瀬哲雄
タイトル:12号着陸船を月面に衝突

毎日新聞 夕刊 1969年10月4日 1面(4版)
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用ずみの着陸船を衝突させ
月面に地震を起こす
アポロ12号の計画を発表

 【ケープケネディ三日ロイター=共同】十一月十四日に予定されている米国アポロ12号の月飛行計画が二日、発表された。
 これはケネディ宇宙センターでの記者会見でアポロ12号で月着陸するアラン・ビーン飛行士が明らかにしたもので、それによると月着陸船の上昇部分(重さ二・二六トン)が月から離れて司令船とドッキングし、宇宙飛行士が司令船に移ってから、再び切離し、わざと月面に衝突させる。その結果起こる人工地震を測定することによって、月の内部構造を調べることができるという。
 このほか、この日の記者会見は、アポロ12号計画での月面歩行計画は三時間半ずつ二回にわたって行なわれ、そのもようは初めてカラーテレビで地球に送られることが明らかにされた。

(転載貼り付け終わり)

毎日新聞 夕刊 1969年10月4日 1面(4版)

(佐藤裕一による転載貼り付け終わり)

 

(佐藤裕一による転載貼り付け始め)

投稿時間:2003/05/21(Wed) 01:39
投稿者名:廣瀬哲雄
タイトル:12号以降は未定だった?

毎日新聞 朝刊 1969年10月6日 1面(14版)
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月着陸、来年は3回
米航空宇宙局 アポロ20号まで発表

 【ワシントン五日共同】米航空宇宙局(NASA)は、十一月のアポロ12号以後に予定される20号までの月着陸予定を明らかにした。
 五日付けのワシントン・ポスト紙がミュラーNASA次長の話として伝えるところによると、12号あとのアポロ計画では七〇年に3回、七一年に二回、七二年に三回、次のよな打上げスケジュールで月着陸を試みる。
 ▽13号=七〇年三月九日▽14号=同年七月七日から十四日の間▽15号=同年十一月▽16号=七一年四月▽17号=同年十一月▽18号=七二年二月▽19号=同年七月▽20号=同年12月
 NASAはいままで12号以後の月着陸計画について、アポロ計画以後の米国の宇宙計画が決まっていないこともあって、20号までの発射予定は未定としていた。

(転載貼り付け終わり)

毎日新聞 朝刊 1969年10月6日 1面(14版)

(佐藤裕一による転載貼り付け終わり)

 

(佐藤裕一による転載貼り付け始め)

投稿時間:2003/05/21(Wed) 01:44
投稿者名:廣瀬哲雄
タイトル:月に原子力を持っていく???

毎日新聞 朝刊 1969年10月6日 1面(14版)
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12号では原子力観測ステーションも

 【ケープケネディ四日UPI】アポロ12号は十一月十四日打上げられ、コンラッド船長とビーン飛行士は同十九日、月面に着陸(ゴードン飛行士は司令船に残留)し、打上げ十日後に太平洋上に着水する予定である。
 コンラッド、ビーン両飛行士は、各三時間半の月面歩行を二回行なう。第一回では、月の地震、磁力、太陽風活動および月のきわめて希薄な大気などの観測データを少なくとも一年間地上に送り続けられる月物理学ステーションを設置する予定。同ステーションの動力は原子力である。
 二回目のときは、行動半径を八百メートルまで延ばして、岩石および土砂の標本を採取する。

(転載貼り付け終わり)

毎日新聞 朝刊 1969年10月6日 1面(14版)

(佐藤裕一による転載貼り付け終わり)

 

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投稿時間:2003/05/27(Tue) 01:06
投稿者名:廣瀬哲雄
タイトル:”月の石”とUSスチール

毎日新聞 朝刊 1969年10月16日 18面(14版)
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月の石第二陣
永田教授持帰る

 アポロ11号が月面で採取してきた”月の石”を持った東大理学部、永田武教授は、十五日午後八時三十分、東京羽田着の日航機で帰国した。月の石は五日、久城育夫東大講師が持帰ったのに続く第二陣。
 永田教授は、ヒューストンの店で買ったという黒皮製のカメラ用ショルダーバッグの中に、岩石のかけら二個(計十三・五グラム)と砂五グラムのはいった二本のガラスビンを納めていった。
 永田教授の話では、アポロ11号のアームストロング船長が、月着陸船から数メートルの範囲内で記録採取した岩石と砂で、岩石には「一〇〇八四―八九」、砂には「一〇〇二四―二二」と米航空宇宙局(NASA)が通し番号をつけてあるという。
 二日、ヒューストンの月面資料研究所でアンダーソン博士から石を手渡された永田教授は、その後、ピッツバーグ市内にあるUSスチール会社研究所で、岩石と砂を窒素入りの二つのビンに分けて密封してきた。同教授は、十六日から共同研究者の伊藤宗造東大宇宙航空研究所助教授ら四人と、月の岩石を磁気的に調べるための方針を検討、来年の一月五日にヒューストンで研究報告する。

(転載貼り付け終わり)

毎日新聞 朝刊 1969年10月16日 18面(14版)

(佐藤裕一による転載貼り付け終わり)

 

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投稿時間:2003/05/27(Tue) 01:07
投稿者名:廣瀬哲雄
タイトル:アポロ12号のスケジュール

毎日新聞 朝刊 1969年10月19日 18面(14版)
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来月19日月面着陸
アポロ12号

 【ワシントン17日USIS】NASA(米航空宇宙局)は十七日、来月打上げられるアポロ12号の月面飛行の時間表を発表した。主な内容は次のとおり。
 ▽打上げ=十一月十五日一時二十三分▽テレビ放送=(三十分間)十六日七時五十三分▽月周回軌道にのる=十八日十二時五二分▽着陸=十九日十五時五十八分▽テレビ放送=(三時間半)同二十時三分▽第一回月面歩行開始=同二十時八分▽第一回月面歩行終了=同二十三時十八分▽第二回月面歩行開始=二十日十四時四十二分▽テレビ放送=(三時間半)歩行開始と同時刻▽サーベイヤー3号を点検=同十六時四十二分▽第二回月面歩行終了=十七時五十二分▽月面離陸=同二十三時十七分▽着水=二十五日六時六分

(転載貼り付け終わり)

毎日新聞 朝刊 1969年10月19日 3面(14版)

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投稿時間:2003/05/27(Tue) 01:09
投稿者名:廣瀬哲雄
タイトル:アポロ12号が積みこんだプルトニウム

毎日新聞 夕刊 1969年10月20日 2面(4版)
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アポロ12号にプルトニウム積載

 【ワシントン十九日AP=共同】AEC(米原子力委員会)は十九日、来月打上げられるアポロ12号にプルトニウム238のカプセルを積込むが、これは核実験を除いては宇宙空間に打上げられる放射性物質としては最大量であると発表した。

(転載貼り付け終わり)

毎日新聞 夕刊 1969年10月20日 2面(4版)

(佐藤裕一による転載貼り付け終わり)

 

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投稿時間:2003/05/27(Tue) 01:11
投稿者名:廣瀬哲雄
タイトル:もう宇宙ステーションは中止

毎日新聞 朝刊 1969年10月24日 3面(14版)
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宇宙ステーションは時期尚早

 【ワシントン二十二日UPI】NASA(米航空宇宙局)は、七月生物衛星で八日目に回収されたが間もなく死亡したサルのポニー君の実験を調査していたが、二十二日、この実験結果から「長期間にわたって人間が安全かつ効果的に活動できるような大型宇宙ステーションをつくる準備はできていない」と発表した。NASA当局は、最低一年間飛行する宇宙ステーションを計画しているが、今回の報告から、このステーションの建設は時期尚早であるとの結論がえられた。

(転載貼り付け終わり)

毎日新聞 朝刊 1969年10月24日 3面(14版)

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投稿時間:2003/06/15(Sun) 02:53
投稿者名:廣瀬哲雄
タイトル:NASA内の内部対立?

毎日新聞 朝刊 1969年11月3日 3面(14版)
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外電メモ

NASA有人飛行部長が辞任へ

 ワシントンの消息筋によると、NASA(米航空宇宙局)のジョージ・ミュラー有人飛行部長は一週間後に辞任する。同部長はジェミニ計画とアポロ計画の責任者だが、ペインNASA新局長と意見が対立しているといわれる。また、ロバート。シーマンズ氏が、空軍長官に転出して以来空席のNASA新副局長にはジョージ・ロウ博士が昇格する予定である。
(AFP、DPA=時事)

(転載貼り付け終わり)

毎日新聞 朝刊 1969年11月3日 3面(14版)

(佐藤裕一による転載貼り付け終わり)

 

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投稿時間:2003/06/15(Sun) 02:54
投稿者名:廣瀬哲雄
タイトル:12号の飛行計画

毎日新聞 朝刊 1969年11月6日 1面(14版)
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月面活動は二回
15日打上げのアポロ12号
あらしの太陽着陸 観測装置五種セット

【ワシントン五日久野特派員】米航空宇宙局(NASA)は五日、二度目の人間月面着陸をめざすアポロ12号の飛行計画の詳細お発表した。計画によると、チャールズ・コンラッド船長(三八)、リチャード・ゴードン(三九)アラン・ビーン(三七)の三飛行士が乗るアポロ12号は米東部標準時間十四日午前十一時二十二分(日本時間十五日午前一時二十二分、以下すべて日本時間)にケープケネディ基地から打上げられる。そして打上げ百十時間三十一分後の十九日午後三時五十三分、月面西にある”あらしの大洋”に着陸、月に三十一時間半とどまり、この間コンラッド船長とビーン飛行士が二回の月面活動をすることになっている。人間の月面着陸そのものは、すでに七月のアポロ11号で達成されているので、12号の計画は11号でみられたようなショー的要素は薄れ、きわめて実務的なものになっている。アポロ計画の有人探査はこの12号から本格的にスタートするといえそうである。

 12号が11号と違うところは、①着陸地点が西に移って”あらしの大洋”となり②滞月時間が三十一時間と長くなり③この間の二人の宇宙飛行士がそれぞれ二回の月面活動を行い④アイソトープ電池を使う本格的な月面観測装置を初めて月面にセット⑤着陸地点の近くにすでに着陸してる無人月探査機サーベイヤー3号を調べ、出来ればその部品を地球に持帰ること⑥離陸後、月着陸船を月面に落下させ、月面に人工地震を起こさせること、などである。
 さらに12号では月着陸船にカラーテレビを持込み、月面からカラー放送する予定になっているが、電源などの関係で実現できるかどうかはわからない。
 アポロ12号は打上げ後、前の11号とほぼ同じ経過をたどって月に向かう。十八日午後零時四十七分に月を回る軌道に乗り、約一日月を周回飛行してからコンラッド船長とビーン飛行士の二人が月着陸船に乗り月に向かう。月着陸船のコールサインはイントレビット(勇猛という意味)。司令船操縦士ゴードン飛行士は母船「ヤンキー・クリッパー」に残り待機する。
 月面着陸は十九日午後三時五十三分、場所は”あらしの大洋”にある第七地点(南緯二・九四度、西経二三・四五度)で11号と同じ海の部分である。この地点は11号が降りた”静かの海”の西約千五百四十キロのところ。着陸隊員は月面に三十一時間半滞月するが、これは11号より約十時間長い。
 十九日午後八時八分のコンラット船長を皮切りに二人の宇宙飛行士は、この滞月時間内にそれぞれ二回ずつ着陸船の外に出て、月の石を採取、写真撮影など行うが、この様子は11号同様にテレビ中継される。コンラッド船長の月面活動時間は二回、合計約六時間二十分で、これは11号のアームストロング船長の月面活動のざっと三倍。ビーン飛行士も二回で約五時間の月面活動をする。
 12号の着陸予定地点は一九六七年四月にサーベイヤー3号が着陸した地点とわずか三百メートルしか離れていない。もし12号がうまくこのサーベイヤー3号の着陸地点近くに着陸できれば、着陸隊員は二度目の月面活動のとき、このサーベイヤーの着陸地点まで足をのばし二年七ヵ月間にサーベイヤー3号がどうなったかを調べ、できればテレビ・カメラなどをと取りはずして持帰ることになっている。
 アポロ12号が月面にセットする観測機器は地震計、磁力計など五つの測定機から成り、ALSEP(アポロ月面実験装置)といわれるもの。ALSEPは11号で使われるはずだったが、間に合わず、こんどの12号で初めて使われる。

(転載貼り付け終わり)

毎日新聞 朝刊 1969年11月6日 1面(14版)

(佐藤裕一による転載貼り付け終わり)

 

(佐藤裕一による転載貼り付け始め)

投稿時間:2003/06/15(Sun) 02:55
投稿者名:廣瀬哲雄
タイトル:今度はカラー中継

毎日新聞 夕刊 1969年11月6日 2面(4版)
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月面歩行、今度はカラー中継
アポロ12号

 【ケープケネディ五日UP】十四日(日本時間十五日)に打上げが予定されているアポロ12号乗組員の月面歩行はカラーテレビで実況中継されることが五日明らかにされた。これで地上のテレビ視聴者は七月のアポロ11号のさいよりさらに鮮明で劇的な月面の映像を楽しめることになる。

(転載貼り付け終わり)

毎日新聞 夕刊 1969年11月6日 2面(4版)

(佐藤裕一による転載貼り付け終わり)

 

(佐藤裕一による転載貼り付け始め)

投稿時間:2003/06/15(Sun) 02:56
投稿者名:廣瀬哲雄
タイトル:猿回しの猿、帰国

毎日新聞 夕刊 1969年11月6日 2面(4版)
(転載貼り付け始め)

アポロ三飛行士帰国

 【ワシントン五日AFP】日本を含む世界主要諸国を歴訪していたアポロ11号の三飛行士は五日、ワシントンに帰着した。

(転載貼り付け終わり)

毎日新聞 夕刊 1969年11月6日 2面(4版)

(佐藤裕一による転載貼り付け終わり)

 

(佐藤裕一による転載貼り付け始め)

投稿時間:2003/06/15(Sun) 02:59
投稿者名:廣瀬哲雄
タイトル:月の石の組成:口外できない???

毎日新聞 朝刊 1969年11月8日 1面(14版)
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ナゾ深まる月の石
永田、久城両氏が中間報告
三つの鉱物を確認
地球とは違う”磁石”も

 アポロ11号が持帰った月の石を分析中の永田武東大教授と久城育夫東大講師は七日、東大宇宙研で開かれた「月・惑星シンポジウム」と、これに続く記者会見で中間報告を行い、久城講師は「米国ヒューストンでの予備分析ではっきりわからなかった燐灰石、とろイライト、純粋なチタン鉄鉱の三つの新鉱物を確認した」と研究成果の一端を発表、また永田教授も「月の角礫岩は非常に中途半端な磁気を帯びており、地球上とは全く違った仕かけで”磁石”が出来たのだろう」と述べた。さらに久城博士は「同じ石の中におそろしく成文の違う鉱物が”同居”していたり、含水鉱物が全く見られないなど、注目すべきことが多い」と報告、研究が進むにつれて月成因のナゾがますます深まっていくことをほのめかした。
 両博士の研究を含めた世界中の分析結果は来年一月五日、米テキサス州ヒューストンの有人宇宙センターで開かれる第一回の月の石シンポジウムで公表され、討議かかわされるが、両博士がこの日報告したのは、研究成果のアウトライン。両博士はすでに八分どおり”仕事”を終えているが、NASA(米航空宇宙局)当局からデータ公表を禁じられたため奥歯にものがはさまったような発表。このため久城博士はしばしば「そのデータはいえません」と断りながら発表を続けたが、参加者や記者団の質問に答え①燐灰石、一〇〇パーセント純粋なチタン鉄鉱、トロイライトの三鉱石を新たに確認した②一つの小さな岩石の中に、元素の成分比が非常に違う鉱石が同居しており、マグマ(溶岩のモトになるドロドロの物質)の組成が急速に幅広い変化行なったらしい③岩石をつくるモトとなったマグマでは初めからチタンが多く、酸素が不足していたとしか考えられない④月の石は一般的にいって、地球の玄武岩でチタンと鉄、クロムなどを多くし、ナトリウムを少なくしたような岩石と思えばよい⑤鉱物の組織からみて、月では結晶の成長が非常に遅かったと考えられる⑥月のチリは三万気圧の下では先数百度で溶けることがわかったなどを明らかにした。
 また永田教授は①角礫岩のなかには、地球の岩盤などに比べれば弱く、何かの”汚染”と考えるには強すぎる中途半端残留磁気(三原山の溶岩に比べ三〇分の一ないし五〇分の一)を帯びたものがある②月物質の磁気の”担い手”は岩石中に含まれる自然鉄である③月の岩石の”磁石”は地球上のものに比べて、非常に不安定である。④月物質の”磁石”をつくるしかけは、地球上では考えられない全く新しいものとしか考えられない――と述べた。

(転載貼り付け終わり)

毎日新聞 朝刊 1969年11月8日 1面(14版)

(佐藤裕一による転載貼り付け終わり)

 

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投稿時間:2003/06/16(Mon) 01:36
投稿者名:廣瀬哲雄
タイトル:アポロ12号、着陸地点を発射直前に変更

毎日新聞 朝刊 1969年11月9日 3面(14版)
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サーベイヤーから90メートルの地点に
アポロ12号の着陸点変更

 【ワシントン七日共同】米航空宇宙局(NASA)はアポロ12号の発射を目前に控え、月着陸船の着陸地点をいままでよりも、サーベイヤー3号に近いところに変更することをこのほど決定した。
 NASA当局者が七日明らかにしたところによると、現計画の着陸地点はサーベイヤー3号から約三百四十メートル離れた場所だったものを、同3号が着陸しているクレーターぎりぎりの約九十メートルしか離れていない地点に移した。これはアポロ12号の月面活動でサーベイヤー3号の部品回収を容易にするのが目的で、着陸計画の検討の結果クレーターのふちから四十五メートル前後のむずかしい地点にも着陸出来る自信を深め、この予定変更に踏切ったものとみられる。

(転載貼り付け終わり)

毎日新聞 朝刊 1969年11月9日 3面(14版)

(佐藤裕一による転載貼り付け終わり)

 

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投稿時間:2003/06/17(Tue) 00:42
投稿者名:廣瀬哲雄
タイトル:12号打上げ時の記者は激減

毎日新聞 夕刊 1969年11月14日 10面(4版)
(転載貼り付け始め)

「あァ、いつものアポロ」といった調子
打上げ基地
11号の熱狂はなく
記者団も10分の1に

 【ケネディ宇宙センター(米フロリダ州)十三日久野特派員】いよいよ、アポロ12号の打上げは今夜(日本時間十五日午前一時二十二分)だ。「ヤナギの下にドジョウは二匹までいる」といった人がいたが、「アポロの下のドジョウは二匹まではいない」ようだ。打上げ基地のケネディ宇宙センターはあの「11号」に比べなんとなくさびしい。

 打上げ日の人出は七十五万人には達しないだろうというのが基地の警察やホテル関係者の一致したヨミである。アポロ11号のときは全世界十億の人々がテレビを見たり百万人の見物客が泊まりこみでこの基地に殺到した。二十五万台の車が基地に向かう道路を南下し三千隻以上のランチやモーター・ボートが基地をはさんで流れるバナナ川とインディアン川の岸辺にイカリを下ろした。そして、ざっと三百機の飛行機が車のひしめく地上を避けて空中見物に舞上がった。それからわずか四ヵ月で。人間月着陸といっても二回目ともなれば、早くもケネディ宇宙センターで打上げられる数多い発射のほんの少しばかり大きなものの一つになってしまったらしい。
もっともわかりやすい数字が取材に集まった記者の数。11号のときは、それこそ世界のすみずみから集まった報道人は三千五百人といわれた。それがこんどの12号の場合は、これまでに正式に登録したものが二百九十九人。「もちろんまだ登録していない人も多数いるだろうが、いったい何人集まるか、アイ・ドント・ノーだ」とNASA米(航空宇宙局)の係官はクビをすくめて見せた。
 もっとも、テレビ関係はさすがに準備に忙しく、12号が打上げられる第39常発射台から約五キロ離れた報道席の近くには、中継車などが多く駐車し、テレビのコードがヘビのよにうねっていた。
 一方、ホテルの関係者も「11号のようにはいかない」と覚悟を決めている。「まあ、ふだんの打上げと同じですな」と基地のレストランを持つグレーフ氏はいう。この基地の空の玄関であるメルボルン空港そばのモテルでは、打上げ日にそなえて九部屋あけておいたが「もう部屋をあけておくのはやめようと思っている」と支配人が語っていた。
 だいたいこのモテルには打上げ前夜に泊まる客の予約がまだ一つもないという始末。もちろん客がフルに入っているモテルやホテルはあるのだがその数は少ない。「だいたい、オフシーズンだからね」とケープ警察のウィネット署長はいう。おかげで警察は大助かり。百万人の人出をさばいた経験からすれば「七十万人くらいなら楽なもの」というのもむりからぬところ。
 もっとも心配されているのは地上よりもむしろ空の交通整理。小型機の発着するケープ近くのチコ空港の航空管制は打上げ前日と打上げ当日の二日間は朝七時から夕方六時まではフル操業を覚悟、人を増やす方針だ。「飛行機だけは11号なみだ」と予想されるからだ。
 それと、この日からはじまった第二回の”反戦行動”――人々はこっちの方に関心があるようだ。遠い月よりもベトナム戦の方がはるかに切実な話題というわけか。さらにニューヨークでは爆弾騒ぎがあちこちで続発、新聞も爆弾事件で埋まっている。反戦デモに目を奪われ爆弾騒ぎに肝を冷やして、ニューヨーク市民は今のところ「月どころではない」といった感じである。

(転載貼り付け終わり)

毎日新聞 夕刊 1969年11月14日 10面(4版)

(佐藤裕一による転載貼り付け終わり)