文書の倉庫 (2)政治評論 (3)金融・経済分析 (4)法律学・法制度論 (5)日本戦後史・日米外交史 転載貼り付け

会員番号4655 佐藤裕一 投稿日:2010/12/27 01:16

 会員番号4655の佐藤裕一です。

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 文書の倉庫 (2)政治評論
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(佐藤裕一による転載貼り付け始め)

投稿時間:2000/10/31(Tue) 20:47
投稿者名:志村
タイトル:『日本の秘密』内「私の政治思想の全体枠が完成した」

(本文始まり)
  私の政治思想の全体枠が完成した―一九九一年から考え始めて、一九九六年に完成した

一九九七年五月十九日記

1 ソビエト・ロシアを一九九一年十二月に打倒したあとは、アメリカ合衆国が世界覇権国となった。

2 周辺属国は、覇権国アメリカの意思に従って生きるしかない。

3 日本も、属国のひとつであり、極東(東アジア)地域(リージョン)五国のうちのひとつに過ぎない。

4 日本が繁栄を続けてゆくためには、アメリカの意思――これが world values(世界普遍価値)でもある――に従って生きてゆくしかない。

5 経済的繁栄をつづけることが、全てに優先する。国民生活が貧しくなったら、何のための国家運営か分からなくなる。経済が第一であり、政治はそのあとからついてくるものである。

6 アメリカに、世界平和維持負担金を要求されるのであれば、払えるかぎり払いつづけねばならない。兵隊を出せ、と言われれば、出すしかない。ただし、日本側にも出せる限度というものがあるから、代表者(国民指導者)は、真剣に、アメリカ政府と交渉しなければならない。

7 ドイツ(日本と同様に敗戦した。ドイツの場合は、罰として連邦制(八つの州政府)に解体されて今日に至る)だけでなく、イギリスや、フランスでさえ、実は一九七〇年代に入ってアメリカの部分的属国(従属国)になってしまっていたことを、私は独力で解明した。従って、日本が属国だという事実を卑下することはない。

8 今や、アメリカのドル(紙幣、通貨)が世界の通貨である。ロシア・東欧でも、中国でも、南米でも、アフリカでも、アジア諸国でも、ドルが国内貨幣と同様に通用している。弱小国の場合、自国通貨の通用力が弱いので、米ドルがそのまま通貨となっている。日本の円も、実質的には、ドルとの高い兌換性(交換性)によって支えられている。

9 日本は、覇権国アメリカから見れば、先端産業の生産工業地帯である。日本は"アメリカの工業地帯"なのだ。だから日本人は、アメリカのワーキング・ロボットである。日本が安価で秀れた工業製品を製造することを、アメリカは大きく上から保護すればよい、と考える。そして、イザという時には、この生産システム(人と技術と設備)そのものを上から抑えてしまえばよい、と考えている。日本は言うことを聞くしかない。

10 ところが、世界帝国(世界覇権国)なるものは、内部から崩壊するという歴史法則を抱えている。帝国内部に抱える要因によって、崩壊に至る。世界中から流れ込んでくる、大量の移民たちが生みだす国内の人種対立と、銃・麻薬犯罪と、過度の訴訟と、不健全なマネー・ゲームと化した金融資本市場と、進歩しすぎた個人主義と過度の人権思想による社会機能の低下と、それから各種の度を超した文化的腐敗・退廃によって、帝国内が一種の分裂状態に陥る。
 毎日、小さな戦争(内戦)が起きているようなものだ。その大きな要因は、やはり、世界帝国には、世界中から、移民・難民がおしよせ、帝国の首都には、それぞれの出身国、あるいは人種ごとのゲットー(居住区)ができるからだ。
 ローマ帝国(紀元前後)、スペイン海洋帝国(一五世紀~一八世紀)、イギリス大英帝国(一九世紀)もそうだった。中東地域のペルシア帝国やオスマン・トルコ帝国もそうだ。歴代の東アジア帝国だった、漢、唐、宋、明、清の王朝もそうだ。日本は、二千年に渡って、その属国(朝貢国、藩国、冊封国)であった。ユーロ・アジア(ユーラシア)を支配した一三世紀のモンゴル帝国こそは、人類の歴史上、唯一の、遊牧民による世界帝国である。岡田英弘東京外国語大学名誉教授の学説に賛成する。

11 今や地球上に、アメリカに対抗できる勢力はいない。ただ、アラブ・イスラム文化圏だけが、唯一アメリカの覇権に屈伏しない頑強な勢力である。中国は、現在、周辺異民族諸国を使っての、アメリカの厳しい包囲網にあっている。中国をグルリと取り囲む形で、モンゴル、新疆ウイグル、チベット、雲南、ベトナム、(香港)、台湾、日本、韓半島、(満洲)というような国々に包囲された形になっている。中国の指導者たちは、そのように考えている。アメリカとしては、共産主義の旗を降ろそうとしない中国を、アメリカにとっての"現在の敵"に数えている。

12 従って、我々日本人としては、今のところ、アメリカの意思と命令に従って、徹底的に親米派 pro-America でなければならない。反米的 な態度をとってはならない。国の経済的繁栄が、国民生活にとって、何よりも大切だからだ。この点で「NOと言える日本」とか、「アメリカは、日本国に名誉を返せ」という反米民族主義の直情的な言論は、抑えなければならない。日本は、町人国家論(故・天谷直弘・通産審議官)の立場を、これからも守るべきだ。ただし、アメリカの覇権から、なるべく自立・独立する道をさぐる努力は、しなければならない。

13 従って、我々(日本の知識人と指導者層)は、アメリカ帝国内部の思想的な対立軸を、徹底的に研究し、アメリカ内部の勢力的対立構図をよくよく理解した上で、そこに、日本国の活路を見つけなければならない。

14 私自身は、既に、共和党内の一大勢力であるリバータリアニズムという民衆的保守思想に接近しつつある。リバータリアニズム Libertarianism は、「反過剰福祉、反官僚制、反税金、反国家、海外内に駐留している軍隊を国内に撤退させよ」論を唱える強固な、個人主義的、古典自由主義者たちである。リバータリアンは徹底して、経済法則(市場原理)重視である。国家が、個人の生活に要らぬおせっかいや干渉をすることを拒絶する。彼らは、現在のアメリカを支配し、民主党リベラル派を操っているグローバリスト(globalist 世界を管理・支配しつづけようとする人々)たちと闘っている。

15 従って、若手評論家としての私は、①属国・日本論と、②リバータリアニズムの日本立てを、自分の政治思想の根幹にすえて、この二つの大柄な、大枠での思想的立場から、全ての出来事を説明してゆく。私は、遂には、「民間人・国家戦略家」 Japan’s National Strategist を自 称するに至った。やがて、この私の肩書きを嘲笑する者はいなくなるだろう。

16 もし、この二つの私の思想的な柱が、現実に妥当せず、かつ、激しい反論を浴びて、自分でも敗北を認めざるを得なくなるときには、私は、潔く、評論家(言論人)を廃業する。英語屋さんに撤して、英語勉強啓蒙書でも書いて糊口をしのぐ(その自信なら十分ある)か、田舎あるいはアメリカで家族といっしょにのんびりと暮らすさ。

17 そのかわり、日本国内の各種の無能な文科系の学者、評論家たち全員は、私の思想的刃を真っ正面からうけることを覚悟しなければならない。これから、各個撃破してゆく。
 左翼くずれのくせに、「真性保守」を名乗る集団。今だにゴキブリホイホイのように、朝日新聞の左翼リベラル派に結集している愚鈍な連中。自分の内心が、ただの反米(反アメリカ)民族主義(=周辺属国特有の反発)でしかないことに気づかない連中。個人主義など一度も成立したことのない、この前近代社会で、勝手に、性風俗化した、反社会秩序的個人欲望を賞賛する連中。日本は今だにモダン(近代)になったこともないのに、ポストモダン(近代のあと)を吹聴するおフランスかぶれたち。日本は今だに近代社会でも、資本主義でも、デモクラシー(民主政体)でもない。部族社会のままの伝統社会(トラディショナル・ソサエティ)である。ただし、私は、生来の、本来の素朴な愛国・民族主義者たちに対しては、一目おく。

18 日本の左翼たちの本質は、反米(反アメリカ)民族主義者に過ぎなかった。それと旧来の吉田茂・宏池会系の官僚保守派(原の底では反米だが、表面上は親米、というよりグローバリストの受け皿)が合体・野合したのが、自民党と社会党(社民党)の野合連立政権であり、この本質は「反米愛国民族統一戦線内閣」である。

19 ナショナリズム(民族主義)というのは、それぞれの国にある素朴な愛国感情のことではない。世界帝国(ヘジェモニック・ステイト)の支配に反発する周辺属国の内部に自己保存を求めて、自己防衛的に発生する感情の総称のことである。従って、世界帝国の本国の市民たち(たとえば、ローマ帝国下のローマ市民たち)には、ナショナリズムなるものはない。彼らは帝国領域内のどの属州・属国や半服属国にも自由に行き、暮らすことができる。そして、帝国の言語と文化(古代ローマ時代なら、ローマ語(ラテン語)。現代ならアメリカ英語)が全体に行きわたるのは当然のことだ。

20 従って、ナショナリスト(nationalist)というのは、そこらの右 翼・民族主義者や、「私はナショナリストだ」と、馬鹿の思いつきのように、一般庶民が口にする言葉のことではない。ナショナリストとは、周辺属国の各々の民族指導者(国民政治家)のことであり、世界帝国の皇帝と交渉する役割を負った人間のことだ。それを王、あるいは国王という。

21 従って、現在の日本国王は小沢一郎である。彼は、小学生の頃から、アメリカのグローバリストの教育係に育てられてきた。王子としての教育を与えるために、ルイーザ・ルービンファインという女性学者が派遣されている。属国の王子(クラウン・プリンス)には、このように帝国公認の養育係がつく。映画『王様と私』や『ラスト・エンペラー』と同じだ。
 小沢一郎は、世界帝国アメリカから属国証明書をもらっている正統の王であるから、国内の各部族の族長や大臣たちが、この国王に反旗を翻えして追放しても、小沢一郎を負かすことはできない。小沢にはアメリカの政官財界からの後ろ楯がある。もっとはっきり書くと、小沢一郎を支えているのはロックフェラー家である。従って、一九九四年の日本の政変(自社さ連立政権の誕生)は、国王(あるいは皇太子)である小沢に対する族長たちの反アメリカ的反乱だった、と考えるのが正しい。小沢はこのあとしばらく、"流浪の王子"の立場におかれるが、やがて国王の地位に戻るだろう。従って、現在の王権簒奪者は長らく竹下登である。問題は、短命である小沢一郎の次の日本国王は、誰なのか、ということだ。

22 このように、王 King とは、「漢の倭の奴の国王」の金印のように、世界皇帝から、属国(同盟国とも言う)の首長としての地位を認められる存在である。従って、日本の天皇は、そもそも英語で皇帝 emperor などと名乗るべき存在ではなかった。この二千年来、漢王朝のころから、日本は中国の属国であるのに、日本の天皇は、この日本が中国の属国であるという事実を絶対に認めないで、頑強に抵抗しつづけた、南方ポリネシア系の神聖体である。それに対して、歴代の武家政権の将軍たちが、平清盛も、足利義満も、徳川家康も、中国皇帝から、秘かに、「日本国王」の称号をもらっている。

23 従って私は、world values (世界普遍価値)と、nationalistic values (民族固有価値)の対立を、七耐三の割合だと考える。どうしても、どうせ世界普遍価値の方が日本国内を圧倒して勝ってしまうのである。それは、洋服の方が、和服(着物)を圧倒していったのと同じことだ。しかし、私は、残りの三割の民族固有価値を大切にする。ある小国で生活することになれば、どうしてもその国の民衆の暮らし方に従わなければならない。それが最も合理的だ。しかし、その民族固有価値が、世界普遍価値と衝突する場面では、大きくは、世界普遍価値の方がどうせ勝つ。それは愛とか、平和とか人権とかヒューマニズムとかのことだが、日本人としての民族固有価値が持つ切実な真実性をも、決して捨て去ることはできない。もしこれを嫌って捨て去れば、世界帝国の第二級市民(ザ・セカンド・シチズン、下層民)となって、帝国の方に流出してゆく人間になる。現に、そのような日本人がたくさんいる。

24 従って、王というのは、この二つの価値観の衝突する場面で、自国の利益を守ろうとして、その対立の板ばさみになる人間のことである。この板ばさみで苦しむところに小国の運命がある。
 故に、繰り返すが、民族主義者というのは、本当は、小国の国民政治家=民族指導者のことであって、そこらの右翼たちのことではない。ましてや、ある日、急に勝手に、ナショナリストを自覚して自称するような、アホな知識人たちのことでもない。

25 世界帝国の支配者たち(この内部が、帝権を求める皇帝と、共和政を死守しようとする元老院の議員たちで対立する)は、周辺属国が、自分たちの支配に、反抗したり支配から脱出しようとするのだということをよく知っている。
 世界帝国の支配者たちは、むしろ、このような、反抗や反乱を抑え込むために、代表者あるいは交渉係としての国王の存在を認めている。
 従って、次の王となるべき人間を、帝国の首都で育てる。日本の江戸時代の徳川氏が、各大名に課した「参勤交代」を想起すればよい。大名の奥方と長子は、人質としてずっと江戸にいなければならなかった。
 人類の歴史というのは、いつもこのようなものだ。ただし、私は、ここでは全てを徹底的に現実主義政治学と権力理論で説明していることを認める。理想主義の政治思想など、もうこのあと少なくとも数十年は存在しない、と判断しているからだ。

26 従って、私は、日本の現在の文科系の学者知識人集団というのは、この大きな事実を知らないのだから、ほとんどがアホだと判定している。たとえアメリカ・ヨーロッパ帰りの秀才であっても、少なくとも日本の文化的劣等を書かず、日本もまた属国のひとつに過ぎない、とわずかでも自覚して、告白して書かない限り、私は、その能力を一切認めない。

27 私は、日本のごく普通の国民大衆の生きている現実を、何よりも尊重する。この人々の中のひとりとして、自分もまた生きて死んで行ければそれでいいと思っている。だから反対に、日本国内でしか通用しない、愚かな国内言論の類の一切を軽蔑している。

28 私は、自分のことを、日本という「猿の惑星」‘The Planet of the Apes’ に生まれた若い猿だと思っている。そして、この若い猿は、ここが、「猿の惑星」であることに、他の猿たちよりも早く気づいてしまったのだ。もはや、私は、あれこれの虚偽の言論を撒き散らす者たちの列に加わることはできない。

(本文終り)

副島隆彦『日本の秘密』/_My Country, Right or Wrong_, 弓立社、1999年5月、pp.243-251.

(佐藤裕一による転載貼り付け終わり)

 

 文書の倉庫 (3)金融・経済分析
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(佐藤裕一による転載貼り付け始め)

投稿時間:2000/06/28(Wed) 23:29
投稿者名:荒木章文
タイトル:小室直樹のシステム論について

小室直樹のシステム論について

SNSI
荒木章文

システム論について考えていきたい。
何故、システム論を考えるてみようと思ったのか?
それは、システム論を理解することによって、小室直樹を理解できるからである。
小室直樹の学問と業績を理解することによって、その方法論を学ぶことによって、自分が存在する社会を理解することができるからである。
その自分が存在する社会を理解することによって、その時間的延長線上にある未来についてのなんらかの示唆を得ることができるからである。
自分が存在する社会の過去(歴史)を観ることによって、自分のアイデンティティを確認することができるからである。
それでは、システム論について考えていくことにする。

そもそも、小室直樹の学問と思想の中で一つのキーワードがでてくる。
それは「システム」である。
この小室直樹の学問と思想を理解するということは、その膨大な業績を理解するということである。
ここで、小室博士の弟子筋にあたられる、橋爪大三郎氏は次のように述べられている。

小室さんの仕事はあまり多岐にわたっていて、統一的な像がつかみにくい、と思っている人が多いのではないでしょうか。でも、私からみれば、話しは簡単です。全ての学問の中心にあるのは、システムの考え方である。そう押さえれば、すっきり理解できると思う。
(小室直樹の学問と思想 橋爪大三郎+副島隆彦著 弓立社 P.64)

つまり、システム論を理解すれば、小室直樹の学問を理解したと言えるのである。
ところがこのシステム程、訳のわからないものも無い訳である。
このシステムについて言えば、現実にシステムエンジニヤやシステム工学等という職業や学問が存在する。
また、一般的な言葉として、制度や仕組みという意味でシステムという言葉は使われている。
さてそこで、システムとは何か?について次のように述べられている。

…システムとは「多数の変数がお互いに複雑に結びついている全体」という意味だと考えればいいのです。
ある対象をシステムとみなすという事は、いくつもの変数が結びついたものとしてとらえることですから、その対象がどういう変数(どういう要因)の集まりなのかを、はっきりさせるのがまず第一です。一番大事な要因としてこういう要因があり、二番目に大事な要因としてこういう要因があり、…ずっと追いかけていって、n番目の要因までなるべく多く押さえようとするのがシステム的な考え方の特徴です。
(小室直樹の学問と思想 橋爪大三郎+副島隆彦著 弓立社 P.)

このシステム論について
1. 定量分析
2. 定性分析
の場合が考えられる。
定量分析のうまくいったのが「一般均衡論」の経済学、定性分析としてうまくいったのが社会学におけるマックス・ベーバーの理論といえる。
ここでさしあたり、システムについての定義をしておくことにする。
何故なら、システム論を理解する上でシステム論があまりにも多岐な話題に広がっているのでそれがシステムとどう関係があるのか?の根本的な問題を理解できなくなる可能性があるからである。

システムは、多くの要素が互いに関連を持ちながら、全体として共通の目的を達成しようとしている集合体という事ができます。
(システムのはなし 大村平著 日科技連 p.13)

システムは多くの関連要素のが、ある一定の目的の達成の為に存在する集合体の事である。
但し、ここで注意しなければならないのはこのシステムとは人為的な目的の元にシステム・エンジニヤがシステムを構築する場合を前提にしている事である。
システムを考える時、人為と自然(与件)ここの違いは明確にしておかなければならない。
目的と言った場合、人為的な目的を達成するために、各構成要素を関連づける。
それが狭い意味での、システムと言える。
(ここで出た目的、目的-手段選択の問題と原因-結果の問題については別途、稿を改めたい。)
それではシステム論として考えた時、定量分析としての事例を概要ではあるが引用してみることにする。

経済理論が取り扱わねばならぬ、幾多の変数をもつ問題の大部分は、調べてみると、諸市場の相互連関の問題であることが判明する。たとえば、賃金理論の比較的複雑な問題は、労働市場、消費財市場、および(おそらくは)資本市場の連関を含んでいる。国際貿易の比較的複雑な問題は、輸入品および輸出品の市場との相互連関を含んでいる。等々。われわれが主として必要とするのは諸市場の相互連関を研究するための手法である。
(価値と資本(上)J.R.ヒックス著 安井琢磨・熊谷尚夫訳 岩波文庫 p.33)

つまりこれらの分析を通して、言えることは其々の構成要素(諸市場)の相互連関分析なのである。
そしてたまたま経済学の場合には、価格という媒介変数が存在したからその構成要素間の関係を方程式で表現できた。
そういうことである。
(これらの個別具体的な事については、少しずつ作業を進めていくことになるだろう。)

次に定性分析の例として、マックス・ベーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」を挙げることになる。少し長めであるが引用することにする。

この研究の表題には、「資本主義の精神」というやや意味深げな概念が使われている。この言葉はいったい、どういう意味に解すべきなのか。「定義」というべきものをあたえようとすると、われわれはただちに、研究目的の本質に根ざすある種の困難に直面することになる。
およそ、このような名称の使用が何らかの意味をもちうるような、そうした対象が見出されうるとすれば、それは必ず一つの「歴史的固体」《historisches individuum》でなければならない。すなわち、歴史的現実のなかの諸関連をそれの文化意義という観点から概念的に組み合わせて作り上げられた一つの全体というか、そのような歴史的現実における諸関連の一つの複合体、つまり、「歴史的固体」でなければならない。
ところで、このような歴史的概念は内容的にみて、その固体的特性が成り立つために有意義であるようなそうした現象にかかわるものだから《genus proximum,differentia specifica》「直近の類、種差」という図式に従って定義する(ドイツ語でいえばabgrenzen限定する)ということは不可能で、むしろ、歴史的現実のなかから得られる個々の構成諸要素を用いて漸次に組み立て行くという道を取らねばならない。だから、その確定的な概念的把握は研究に先立って明らかにしうるものではなくて、むしろ、研究の結末において得らるべきものなのだ。言いかえるなら、ここで資本主義の「精神」と呼ばれているものの最良の-すなわち、われわれがここで問題としている観点にもっとも適合的な-定式化は、究明の過程を経てはじめて、しかもその主要な成果として提示することができるのだ。
(プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神 マックス・ベーバー著 大塚久雄訳 岩波文庫 p.38-39)

はじめてこの文章に出会った時、その意味するところが理解できなかった。つまり学問をするにあたってその学問の言葉の定義ができない。言葉の定義ができないものについて論じていくのは非常に理解に苦しむ。そいう印象をもっていた。
しかし、システム論の定義「システムは、多くの要素が互いに関連を持ちながら、全体として共通の目的を達成しようとしている集合体」これを前提にして考えるとすっきりと理解できる。
つまり、「資本主義の精神」はシステムなのである。
故に、システム全体に、「資本主義の精神」というラベルは貼るのであるがシステムであるから、システムを定義するという事は事実上できない。
私は、そのように理解した。
歴史的固体としての全体は、諸構成要素の関係性を解明していくことによって現れてくる。
そういうことである。

システム論として、ヒックスとベーバーの理論は理解する事ができる。
そしてこの理論を其々の、具体的な事例で学ぶことによってシステムとはなにか?
の具体的実感が得られるのではないだろうか?
2000年6月28日(水)つづく

(佐藤裕一による転載貼り付け終わり)

 

 文書の倉庫 (4)法律学・法制度論
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 文書の倉庫 (5)日本戦後史・日米外交史
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(佐藤裕一による転載貼り付け始め)

投稿時間:2000/10/31(Tue) 20:24
投稿者名:志村
タイトル:『切り捨て御免!』内「米軍は撤退し、日本の核武装が始まる」

(自分の意見始まり)
「米軍は撤退し、日本の核武装が始まる」は、その後に展開されたアメリカ政治思想論の序曲をなすものだと思います。

(自分の意見終り)

(副島隆彦の本文始まり)

  米軍は撤退し、日本の核武装が始まる

   過去五十年間置き去りにされた沖縄

 沖縄駐留米軍の海兵隊員三名による小学生膀胱事件に端を発した米軍基地に対する抗議行動は、現地沖縄で激しくなっている。今日の新聞(九五年十月二十二日)も、宜野湾市での県民総決起集会が六万人(主催者発表八万人)の人を集めて開かれたことを伝えている。沖縄の人々にしてみれば切実な気持ちにかられた血の叫びであろう。在日米軍基地の七五%が沖縄にあり、沖縄の面積の二〇%が基地なのである。日本駐留軍四万八千人のうちのじつに、二万七千人が沖縄にある。これまでに数多くの駐留兵士たちによる暴行事件を体験し、あるいは身近で聞いてきた人々にとっては、このような痛ましい事件は、まさに、まさに、怒り心頭に達するものであろう。
 もちろん、沖縄の不幸は現在だけではない。太平洋戦争最後の激戦の果てに戦死した日本海軍沖縄方面根拠地隊司令官太田実少将は、「県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」と海軍次官宛てに打電した。それから米軍基地が二十七年間居座り、沖縄はグアムやサイパンのようなアメリカの「信託統治領」となってアメリカ化し、米軍基地に依存して生活する多くの人々を抱えることになった。一九七二年に本土復帰が実現したが、これで沖縄の米軍基地が撤去・縮小されたのではなく、そのまま基地を抱え、日本に返還されたのである。
 日本は「非核三原則」という政府方針を貫いているので、米軍が沖縄の基地に核兵器を持ち込むことはできないはずである。だが、日本政府にそれを検証する権限は与えられておらず、「アメリカ側が『核はない』と回答しているので核の持ち込みはない」という態度で、この五十年間終始してきた。日本国内に米軍がいる限り、核兵器が存在することもまた当然のことなのに、である。
 核兵器は、どこに存在するのかが分からないからこそ兵器として威力を発揮するのであり、やったらやりかえすぞという、核抑止戦略(nuclear deterance starategy ニュークレア・デターランス・ストラテジー)に守られて日本という国が存在してきたという、厳然たる事実がある。アメリカの世界戦略の一部として、東アジア地域におけるソビエト連邦(ソビエト帝国)や共産主義・中国と対抗するための「反共の防波堤(breakwater ブレイクウォーター)」として、日本は位置づけられてきたという冷厳たる事実が、一方にあるのである。

   「地位協定」は不平等条約

 今回の沖縄の小学生暴行事件では「日米地位協定」のなかの、「刑事犯罪容疑者の捜査取調べ権と処罰権はまず米国にある」と定めた台一七条が議論の的となっている。この「地位協定」というのは、アメリカが世界中に軍隊を派遣している先の国々と締結している条約の一種である。日本の場合は、当然、「日米安全保障条約」の附属条約として定められた。
 アメリカは、このような安全保障条約や軍事基地協定を世界中六十個ほども抱えている。こられの国々は、友好国とか、同盟国(allies アライズ)と呼ばれるが、じつは、もっと簡単に言うと、アメリカから見れば、自分の支配下に入って、アメリカの軍事力の保護下にある属国(あるいは植民地)ということである。
 外国に派遣された軍隊は、当然に自治行動をとる。その軍隊の指揮権も命令系統も派遣国のものである。たとえば、PKOでカンボジアに派遣された自衛隊員の現地での犯罪行為を処罰する権限は日本側にあり、カンボジア政府にはなかった。今回の沖縄の事件でも同じことが問われているのである。
 日米地位協定の見直しを主張する人々の間で、「日本の領土内で行なわれた犯罪は、日本の法律で裁かれるべきだ。そうでなければ、これは、明治のはじめの不平等条約と同じではないか」という声があがった。日本とアメリカは、もしかしたら、ほんとうは不平等なのではないか、とう疑問が私たち日本人の脳裏をかすめ、もやもやした気持ちが私たちの胸のなかにわだかまっている。「日米平等」「日米同盟」というのは嘘なのではないか、という疑問が、日本人の心をとらえるようになってきた。
 日本もアメリカも、政策当局者たちは、今回の事件を、なんとかうまい具合に収めたいと考えている。九五年十一月に大阪で開かれるAPEC(エイペック=アジア太平洋経済協力会議)にはクリントン大統領も来る。村山首相もこれを花道にして引退し、いよいよ総選挙ということに政治日程はすでに決まっている。それまでに沖縄の人々の怒りを鎮め、日本国民の心のなかに広がっている「日本はアメリカの言いなりなのではないか」という疑念を抑え込んでフタをしようと考えている。
 アメリカ側にしてみれば、九月二十一日にモンデール駐日大使がこの件で謝罪したし、同じ日にラジオ番組のなかでクリントン大統領も遺憾の意を表明している。これでおしまいにしたいのである。「アメリカは日本を外敵から守ってやるために軍隊を日本に駐留させているのだから、感謝されるべきであっても嫌われるべき筋合いではない」というのがアメリカ政府の、それからアメリカ国民の基本的態度であるから、もうこれ以上謝罪を繰り返す気はない。
 あとは、日本側の態度である。沖縄の人々の基地撤去・縮小を求める直接的な怒りを別にすれば、日本人の大方は日米関係については、あいかわらずムッツリ・ダンマリというのが今回の態度であろう。地位協定の見直し、すなわち、せめてドイツ並みのものに変更しろとか、那覇軍港の縮小予定を早めようという対応問題を政府間では協議するだろうが、私たちの気持ちはこれでは済まなくなっている。

   朝日新聞も安保は必要?

 あるいは現在、その支払いが年間四千五百億円にも達している、駐留米軍への経費負担問題がある。これを日本では「思いやり予算」とか称している。この莫大な出費こそは、アメリカの軍事力に日本が頼って生きていることの証拠でもある。用心棒代ということである。
 このアメリカ軍の経費もまた、じつは、日米地位協定二四条を勝手に変更したものである。この経費負担問題を日本に有利に運ぶために、日本政府はアメリカ側に対し、今回の事件を交渉のカードとして使うだろう。あるいは、日米自動車交渉の際にCIAが動いて日本側の通信を盗聴したという最近のスキャンダルがあるが、これもまた、事実とすれば主権侵害行為であるから、日本としては断固抗議していいはずである。しかしこのスキャンダルも日本政府側は取引のカードに使うだけで、うやむやに決着するだろう。
 逆に、大和銀行ニューヨーク支店の損失隠蔽疑惑に対して、アメリカ側はこの問題を日米交渉のテーブルに乗せて、「大和銀行の日本人経営トップをアメリカに連行して処罰するぞ」と圧力をかけることもできる。アメリカの圧倒的に強い力という現実を前提にしてしか、これらの問題も観察できない。
 このように、すべては外交交渉上の駆け引きに使われる。日本からすれば、なるべくアメリカに金をセビられないようにするためにこれらのカードを切るのである。
 日本の政府に近いところにいる人々は、今回の米軍兵士による少女暴行事件の処理を穏便に済ませ、日米関係にヒビがはいらないようにしなければ、と力説している。たとえば、「基地問題への冷静な対応を望む」(志方俊之、『産経新聞』十月十二日)、「日米地位協定見直しに反対」(岡崎久彦、同紙十月七日)、「日米安保に代わる選択肢はない」(椎名素夫、同紙十月十七日)がその代表的なものである。
 また『朝日新聞』社説(九月三十日)も、「戦後五十年もたちながら、こうした現実が続く沖縄の姿を日本政府や政党をはじめ、本土の人々はどれほど理解しているだろうか。安保体制の必要性をいうなら、日本政府は、地位協定の見直しは無論のこと、基地の縮小に動くべきであろう」(傍点筆者)と書いてある。長年、安保条約反対のはずだった『朝日新聞』ですら「安保体制の必要性」を前提として、そのうえでアメリカに対してもっと強い態度に出るべきだ、という論調なのである。
 これら日本側の態度が一様に煮えきらないのは、今やほとんどの日本人が、アメリカの軍事力によって日本が守られているという現実を、一方で肯定し受け容れていることを示している。ただそれは、アメリカが勝手に日本を占領しそのまま居座った、つまり、われわれ日本人が守ってほしいと頼んだわけではない、という前提に立ったうえでの肯定であり、受容である。ここにおいて日本人は、右翼も左翼も保守も反保守もなく、同じ考えに立っている。

   国際政治学のなかの日本

 戦後五十年目に噴き出しつつあるこうした諸事件によって、日本人がなるべく見ないようにしてきた日本の真の姿が、徐々に露わになりつつある。
 国際政治学(international relations インターナショナル・リレーションズ)という学問分野がある。この国際政治学(国際関係論とも言う)には、「日米関係」などという言葉はない。この学問をキチンとたどるならば、存在するのは、「世界覇権国・アメリカによる東アジア戦略の一環としての対日本管理政策」でしかない。これ以外には存在しない。
 学問というのは世界性を前提にして、どこでも通用する事実に基づいて組み立てられている知識の集積のことであるから、当然このような理解になる。それを、まるで日本とアメリカが対等の立場であらゆることを決めているかのように、日本国内では教えられてきた。そのような見方は世界的な知識と学問に反する。冷酷に事実を見つめるならば、世界政治の一部分として日本も連動しているにすぎない。日本があって世界があるのではない。世界があってその一部として日本があるのである。
 国際政治学は、リアリズム(realism 現実主義)という根本的学問方法から始まる。ある国家の運命は、たとえるならば、ビリヤードの球のようなものである。球が打たれると別の球に当たって弾けてゆく。その球に相当するある国の内部構成がどのようなものであり、どのような深刻な国内問題を抱えていたとしても、そのこととは無関係に、その国の運命は、他の球、すなわち、周りの国とのぶつかりかたによって決まってゆくのである。これは、結局弱い国は強い国の力に支配されて生きざるを得ないということである。この考え方がリアリズムである。日本は世界帝国であるアメリカの要求に屈伏しないわけにはゆかないのである。そうやってなんとか生きのびてゆくしかないのである。だからみんな沖縄問題にムッツリとなるのである。
 戦後の日本の首相では、吉田茂がこのことをじつによく分かっていた。ナショナル・インタレスト(国家の重大な利害)とか、ナショナル・セキュリティ(国家安全保障。と訳すより国家存亡の軍事国防問題と訳すべきだ)がよく分かっていた人だ。
 吉田はアメリカに選ばれたあやつり人形だと悪口を言われた首相である。だが彼は、日本が生き残ってゆくためには、アメリカの要請に応じて自衛隊は持つけれどもそれ以上の軍備は持たない、経済復興にだけ力を注いで国を豊かにし、国民を幸せにするのが日本の戦後戦略だ、と定めた。これが「吉田ドクトリン」である。だから日本は、武士の名誉を捨てて、アメリカの要求に屈伏して、ソビエト・中国封じ込め戦略(containmento policy コンテインメント・ポリシー)を東アジアで分担した。これが、軍事同盟条約としての日米安保条約である。
 私は、吉田茂はたいへん偉かったと思う。この冷厳な事実自体には賛成も反対もありえない。それに対して、六〇年代の岸信介、佐藤栄作あたりから、日米は「イクォール・パートナー」だとか、「太平洋の架け橋」だとかさかんに言いだした。この頃から「日米対等」幻想が広がり始め、「アメリカ何するものぞ」という勇ましい掛け声があちこちで聞かれるようになった。世界の現実をあえて見ないことを前提にした、日本国内だけで通用する考えがどんどん強くなった。八〇年代の中曽根康弘首相も「ロン・ヤス関係」などと言って、レーガンに頼みこんで日米が対等なふりをしたので、アメリカでの発言と日本に帰って来てからの発言が違うじゃないかとボロを出した。

   平和主義者は日本優越主義者

 さらに困ったことは、この「日米対等」という幻想を、日本国内のオピニオン・リーダーである財界人や官僚や新聞記者や学者知識人たちが勘違いして信じ込み、それを自明のこととして自分たちの思考の土台に置いてしまったことである。これで、日本人は国際問題を理解する能力を失った。
 アメリカで暮らして、向こうの友人たちと少し本気になって議論すれば、こんな事実は、すべて明らかになることなのに、この現実をなるべく見ないようにして生きてきたのが私たち日本人なのである。原爆を落とされてボロボロに打ち破られて、ポツダム宣言を受け入れて無条件降伏をしたとき、日本民族は世界に向かって命乞いをしたのである。世界中の人々は今でもそう思っているが、日本人はそうは思わない。あれは、ただの「終戦」だと思っている。
 日本の国際政治学者たちが私たちに本当のことを教えないからいけないのである。彼らは、主権国理論の一部としてしか「日米関係」が存在しないことを重々承知している。ところが、「日本はアメリカの支配下にある属国のひとつだから、どうせアメリカの言うことを聞かなければいけないのだ」などと言ったら、日本国内では保守派からも反保守派からも総スカンを食い、イヤがられて、どの新聞・雑誌にも論文を載せてもらえなくなるのを心配するのである。だから勝手に遠慮して「日本の今後とるべき道」とか「アメリカの対日戦略はどうなるか」というようなタイトルになるのである。
 日本では、民族主義あるいは愛国主義を土台にした文章のスタイルしか長年受け入れられてこなかった。そのことをボソボソとこぼしているのが、たとえば、入江昭ハーヴァード大学教授である。入江氏はアメリカ歴史学会会長も務めたのだから優れた学者なのだろうが、彼が英語で書く論文と、それを日本向けにリメイク(改作)して日本で出版するときの書き方のズレのなかにことの事実が見て取れる。
 その他に、日本国内にはリアリズムと対立するアイデアリズム(理想主義)に立脚する国際政治学者たちがゴロゴロいて、彼らが、私たちが真実を理解することを邪魔してきた。この人たちは現在は「平和学(ピース・スタディーズ)」というのを唱導している。国益主義に対抗して、「ヒューマン・インタレスト」を唱えている。このアイデアリズムに立つ人々は何でもかんでも国連中心の平和・人権優先主義であり、そもそも戦争なんかこの地球に存在すべきでないという考えである。「日米対等」という幻想を日本国内にはびこらせたのも、じつはこの学派の人々である。彼らはアメリカ留学時代にはちっともそんなことは習っていないのに、日本に帰ってきたとたん、日米対等、日本優越主義者に変身してしまうのだ。
 私は何も、自虐的になって、日本人であることを自己卑下して、日本国をことさら貶めようとしてこのように書いているのではない。もっと大きな世界規模の見方をすれば、当然こうなると説いているにすぎない。自分たちの国や社会を尊敬することと、もっと大きな現実を直視することは矛盾しない。ただ、もっと大きな現実のほうを考え方の基本として優先させるべきだと主張しているのである。
 私は学生だった七〇年代に各地の反対運動やさまざまな政治運動に参加したが、やがてそれらの運動に強い限界を感じた。「もっと大きな現実」を見ようとせずに、己れの正義感に駆られ直情的な怒りをぶつけるだけでは、問題は解決しない。各種の政治的反対闘争が敗れざるを得ないのは、自分の側の正義だけを主張してこの「大きな現実」を見ようとしないところに原因があると気づいたので、政治運動から足を洗った。だが、後遺症は長く残った。

   米軍はいずれ撤退する?

 安保条約の見直し問題については、保守派か反保守派かの違いなく、日本人は一様にためらっている。
 自民党と社会党が合体した村山連立政権は、九四年八月にものの見事に「社会党の一八〇度政策転換」というハレンチ極まりない大転向劇をやって「日米安保堅持」を宣言した。私は先に、この内閣はその本質において「反米愛国・民族統一戦線内閣」であると書いたが、日本国民の多数意見を代弁しているという意味ではきわめて柔軟な対応のできる優れた内閣であるとも思う。今や自民党も社会党(現社民党)も、それから反対党である新進党も、こと対米交渉や安保問題においては、本質的なところでは政策的に何の対立もないのである。「アメリカとの交渉をなるべく有利に無難に継続し、米軍基地をなるべく縮小してもらう」というのが彼らの本音であり、またそうした政策は国民の多数の支持を受けている。
 ではなぜ、私たちは日米安保条約について考えると、一様にムッツリしてしまうのか。それは、米軍の日本駐留に反対し、出ていってもらおうと思いながら、その一方で、米軍にこのまま留まっていてもらわなければならないとも感じるために、思考の分裂を起こしてしまうからである。
 昨今の安保条約をめぐる論議や安保反対運動のほとんどは、米軍はどうせ日本から撤退などしないだろうということを前提として行なわれているように、私には見受けられる。それは、米軍撤退後の具体的なプランについて何ひとつ議論も提案もなされないまま、情緒的に反安保が唱えられていることを見ても、明らかであろう。私たちの国際政治感覚は、六〇年代や七〇年代と少しも変わっていない。最後は止めてくれるとわかっていて、親に向かって「家出するぞ」と駄々をこねる子どものようなものである。
 だが、私たちは変わらなくとも、世界の状況は大きく変わっている。もはや、米軍が日本に駐留していることですら、国際政治のうえでは自明のことではなくなっている。
 アメリカ国内の現在の政治勢力を簡潔に述べると、まず「現行の世界秩序をアメリカの力で維持・管理する」と考えるグローバリスト(globalist 世界管理主義者)がいる。この勢力は、アメリカの軍事力を展開することによって、アメリカの国際的大企業群が世界中に持っている金融資産や利権を守ることを決意している。意外なことに、この世界管理主義者は、平和愛好的なはずの民主党を支持する人々のなかに多い。表面上は、「民主主義と人権を守るためにアメリカは積極的に世界秩序の維持・管理に関与すべきである」という思想に立脚するからである。
 このグローバリズムを代表する学者・政治家は、ジーン・カークパトリック女史やウォルター・ラキュール、エドワード・ルートワックらである。彼らはネオ・コンサヴァティズム(neo-consavatism 新保守主義)通称"ネオ・コン"と呼ばれ、ジョージタウン大学のCSIS(戦略国際問題研究所)に結集している。最近、ガリ国連事務総長に圧力をかけて明石康旧ユーゴ特使のクビを切らせたのもジーン・カークパトリック女史であり、彼女はレーガン政権の国連大使(閣僚待遇)を務めていた人物である。
 それに対して、「アメリカはもう家に帰ろう。(ソビエトを倒して)戦いは終わったのだから」と主張しているのが、アイソレーショニズム(isolationism 孤立主義、国内優先主義)である。代表は、共和党大 統領選挙戦に嵐を起こしたパット・ブキャナンである。彼らは、「アメリカが外国にまで出て行って、他国の経済まで支配することはない。それよりも山積みする国内問題の解決のために努力しよう」と考える。このアイソレーショニズムの伝統を引き継ぐのは、なんと、共和党のほうなのである。
 アメリカ国民は現在、この考えに傾き、ますます「内向き」になりつつある。この孤立主義を強固に支持して、反福祉・反税金・大きな政府反対の思想を体現している勢力をリバータリアン(libertarian 強固な個人主義的自由主義者)と呼ぶ。もしこのアイソレーショニズムとリバータリアンの勢力がアメリカで政治権力を握ることになったら、アメリカは、日本の事情などおかまいなしに、さっさと基地を撤退し、安保条約を廃棄し、アメリカに帰っていくだろう。

   そして核武装の時代へ

 キッシンジャー元国務長官が、最近「日米安保条約は将来、廃棄されるだろう」と各所で発言している。キッシンジャーはニクソン政権の閣僚だから保守的な共和党支持者に見えるが、本当はネオ・コン派のグローバリストである。そのキッシンジャーですらこのように明言するのだから、四年後(二〇〇〇年)は一部改定で済んだとしても、十四年後(二〇一〇年)の安保条約更新ののち、二〇一〇年にはもうないと、私たちは考えないわけにはいかない。アメリカ軍が撤退し、安保条約がなくなった後の日本の現実ということを、どうしても考えなければならなくなるのである。
 安保条約を廃棄したら、日本を軍事的に守るのに今の日本の軍隊(自衛隊)で充分だろうか、という疑問がすぐにわき起こってくる。「軍隊なんか不要だ。戦争には絶対反対だ」と言う人々の主張はここではあえて考慮しないことにする。絶対平和などとうい理想主義が通用しない現実からすべての話は始まっているのであり、沖縄や日本各地の米軍基地の存在の重大さやその必然性もそこにあるからである。
 もし安保条約が廃棄されることになったら、日本はただちに核武装を開始するだろうと、私は考える。私たちがどうこう主張し、反対し、異議を唱えることとは別個の冷酷な世界的現実として、日本は国家として核兵器を持つようになるだろう。日本が国民国家(ネイション・ステイト)であり、国家主権(ソブランティ)論に立脚した世界のなかの現実のひとつの国として存在していくかぎり、この事態の推移は、ほとんど不可避のものだと私は考える。
「世界の人々はもう戦争をイヤがっているから、これからは世界中から戦争がなくなるのだ」と考えたい気持ちは理解できるが、同時に、そんなに世界がうまい具合に進んでいくものか、と私は考える。人間(人類)という生き物は、まだそれほど賢くなっていない。なぜなら、私たちの身の回りの生活ひとつをとっても、人間同士の憎しみあいやだましあいや争いごとで満ちている。これを国家次元でだけ、私たちは平和国家になりましたと、宣言してみてもどうなるものではない。世界中の人々は、だいたいこのように考えている。
 少なくとも、曲がりなりにも戦後半世紀間、日本は平和な国であって、日本人は他の国の人々に比べれば平和で繁栄した生活を送ることができてよかった、と考えるべきである。それも、私たちの親や祖父母の世代が戦乱のなかで殺されたり逃げまどったりした体験のおかげであると言わなければならない。
 五十年間、平和が続いたのだから、そろそろまた悲惨な目に遭う順番が自分たちに回ってくるのではないか、と考えて私たちは心の準備を始めるべきだと思う。それが、歴史から学ぶ知恵というものではないだろうか。

(副島隆彦の本文終り)

副島隆彦『斬り捨て後免!-天に代わりて不義を討つ』/_SOEJIMA Takahiko’s Anthology of Political Essays_, 洋泉社、1996年6月、pp.171-186.

(佐藤裕一による転載貼り付け終わり)