文書の倉庫 (1)日本政治分析・国家戦略研究 転載貼り付け

会員番号4655 佐藤裕一 投稿日:2010/12/27 01:15

 会員番号4655の佐藤裕一です。

 引き続き「文書の倉庫」から転載貼り付け致します。各個人掲載のEメールアドレス及びURLは省きます。

 

 文書の倉庫 (1)日本政治分析・国家戦略研究
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(佐藤裕一による転載貼り付け始め)

投稿時間:2000/06/17(Sat) 21:52
投稿者名:荒木章文
タイトル:派閥政治の一考察

派閥政治の一考察
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荒木章文

派閥政治は、第二次世界大戦後に発生した。
これは片岡鉄哉教授の説である。以下その引用である。

1956年の師走に自民党は、鳩山の後継総裁を選ぶ選挙を行った。すでに、緒方が1月に死んだ翌月に総裁選挙があったが、これは鳩山の独壇場だったから、12月の選挙が本当の選挙であった。この選挙は自民党史の中で、一つの分岐点になる選挙だった。
というのは、この選挙で自民党の派閥が正式に登場したからである。
(日本永久占領 片岡鉄哉著 講談社α文庫 p.374)

ここで対立軸を明確にしていきたい。
戦後日本の政治史分析の中で、派閥と政党の関係性を明確に提示されたのは片岡教授の分析による。
それでは、派閥と政党の関係性の中で湧いてくる疑問について以下整理しておく。

1. その派閥の特徴とは何なのか?
2. 何故に政党の中に派閥という組織が誕生したのか?
3. その誕生の秘密は何なのか?
4. 日本以外における政治的派閥と、日本における派閥との違いとは何か?
これらの疑問について、以下の記述の中で解答を探していくことにする。

派閥とは、首相の座を狙う候補者を領軸とし、独立した本部、選挙組織を持ち、かなり安定した資金源を握っている集団である。そのメンバーは、普通、年功序列に従って、内閣や党務のポストを狙う国会議員によって構成されている。そういう集団が数え方によって、八つか九つ誕生した。永田町界隈では「七師団三個連隊」とか「八個師団」と言われたものである。
(日本永久占領 片岡鉄哉著 講談社α文庫 p.376)

以上の記述から、派閥の特徴を箇条書きにすると以下のようになる。
Ⅰ.首相の座を狙う候補者を領軸とする集団である。
Ⅱ.独立した本部、選挙組織を持っている。
Ⅲ.安定した資金源を持っている。
Ⅳ.そのメンバーは、普通、年功序列に従って内閣や党務のポストを狙う国会議員によって構成される。

という特徴がある。
さて、ここで注目して頂きたいのが、Ⅳ番の年功序列によって内閣や党務のポストが決定されていく仕組みである。
この特徴は、共同体の特徴である。
(共同体論については、別途、稿を改めて整理していきたい。)
日本における機能集団が共同体化する、傾向にある事例にもれず、やはり派閥においても同様の現象がみられるという事である。
機能集団であると同時に、共同体でもある。
そして、やがて自己組織保存の要請が、本来の機能集団の目的より優先される。
その結果として、機能不全に陥って機能集団は崩壊する。
そんな危険性をはらんでいるのである。

以上「派閥の特徴」とそれが内包する問題点について述べてきた。
それではこれから、2番~4番の疑問についての解答を探していくことにする。
片岡教授は次のように主張されている。
それは、自民党の派閥政治は、よその国の政治的派閥と異なる。
その異なる点は何で、何故戦後派閥が誕生したのかについて論じられている。

まず、自民党の派閥は、上述したように、独立した政党のような組織を持っている。だから自民党政権は、分立した小党の連立政権によくたとえられる。しかし自民党は連合政権ではないのである。
自民党はいくら内部でもめても、ある特定の争点(issue)については、必ず党としての規律に従うのである。自民党は党自体にレーゾンデートルがあるといえる。だから自民党は、党と派閥の二本立てだといってよい。
では自民党のレーゾンデートルとは何か。自民党が党として果たす機能とは何か。自民党の一番、肝心かなめの機能と任務は何か。
それは安保体制を握り、運営することである。この機能に関しては、鳩山派と吉田派が必ず一致団結して、社会党の攻撃と反対から身を守のである。それ以外の争点(issue)、たとえば、憲法については、自民党は割れるが、こと安保になると団結するのである。
言葉をかえていうと、自民党は、占領の落し子である政治三極構造を前提として成り立つ。鳩山派と吉田派が安保を守り、吉田派と社会党が憲法を守る、これで三極構造が成り立つ。
(日本永久占領 片岡鉄哉著 講談社α文庫 p.376・377)

この派閥政治の分析は、選挙制度つまり中選挙区制・小選挙区制が問題ではないことを示している。戦後日本の政治史の中で、自民党内での鳩山派(党人派)と吉田派(官僚派)の対立構図と、自民党と社会党の対立(?)構図の政治三極構造の中で生れてきたのである。
それでは、それ以前の政治においてはどうであったのだろうか?
2000年6月17日(土)つづく

(佐藤裕一による転載貼り付け終わり)

 

(佐藤裕一による転載貼り付け始め)

投稿時間:2000/09/07(Thu) 02:59
投稿者名:管理人
タイトル:副島本からの抜粋

日本人は、敗戦後、マッカーサーのSCAP(通称、GHQ)によるマインド・コントロールにより、「国家=悪」との考えを刷り込まれてしまった。
 以来、半世紀以上にわたって、夢遊病者のように、冷厳な国際政治の舞台をさまよい歩いている。今まで、その舞台から落ちて大怪我しなかったのは、 一握りの優れた人々の存在と、たまたま降り注いでくれたいくつかの僥倖のお蔭である。

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  現在、日本は、輸出と輸入の四割を、米国に頼っている。
 日本は、経済的に米国に依存しているのである。
 経済の生命線である石油の確保を、米国の国際石油資本に握られている。中東からのオイルの輸送ルートも米軍の海洋支配力に守られているのである。経済が何より重要なのだ。

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 日本では「政治思想」なるものはいつも断片的にバラバラに、前後の脈略なしに、適当に外側(欧米世界)から翻訳文として押し寄せ、流れ込む。しかも、世界の知識人たちが理解している全体構図とは関係なしに自分勝手な理解を国内に広める。
 そしてやがて捨て去り、次の新しいものにまた飛びつく。

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(以上『属国・日本論』『日本の秘密』『世界覇権国アメリカを動かす政治家と知識人たち』から抜粋)

※当文章の副島系サイト外への無断転載を禁ず。

(佐藤裕一による転載貼り付け終わり)

 

(佐藤裕一による転載貼り付け始め)

投稿時間:2000/11/04(Sat) 15:19
投稿者名:かたせ
タイトル:2000年8月時点の日本の政治状況

(注:この文章は、2000年前後の日本史を研究する、後世の歴史研究者に読んでもらう目的で、あるいは、そういうレトリックで書いております。その点を、ご了解の上、読み進めてください)
 副島隆彦先生の「ハリウッドで政治思想を読む」の中で、2000年8月現在の日本の政治的状況を説明する最良の文章が載っています。
2000年前後の日本史を研究している後世の研究者のみなさんの目にとまることを願ってやみません。以下に紹介します。
 なお、歴史研究の盲点として、その時代に、マスコミがどのような報道をして世の中にどのような影響を与えたかの研究がおそらく手薄になると思いますので、後世の研究者のために、説明しておきます。
 現在、2000年11月です。
 田中真紀子という田中角栄元首相の娘がヒロイン扱いになっております。自由民主党(なんとか政権を維持しています)の上層部(野中広務氏)とけんかして、仲間内でグループを作ったが、また、そこを脱退したとかそんなことが、サラリーマン向けの夜のニュース番組で大々的に報道されています。また、森首相という方(在任期間は短いと推定されます)が、側近の愛人スキャンダル等で、マスコミによって血祭りにあげられております。支持率が落ちております。
 一方、芸能番組では、「モーニング娘。」というアイドルグループに、「つんく」というプロデューサーが誰を加入させたとか、あと、誰がどんな理由で脱退したとかでいつも盛り上がっています。また、田代まさしという息の長いタレントが、カメラを使って破廉恥な行為をしたとかで、たたかれてます。
 そんな状況です。日本国内で一つの「世間」をつくっていて、仲間内の人間関係で盛り上がっています。外には関心が向きません。そこには「政治」と「芸能」との区別は一切ありません。どちらも同じ扱いを受けています。「芸能」とは、本来どうでもいいものであると日本国民は気づいております。ですので、「政治」もそれと同じくらいに、どうでもいいものだと、おそらく認めてしまっています。ただし、誰もそれを口にはしません。うまく気づいていません。これは、「自分たちの国のことを自分たちで決めなくてよい」という大きな現実、大きな制約条件に対する日本国民の見事な対応です。問題は、うまく対応しすぎて、日本国民自身がそれに気づいていないことだけです。ですから後世のみなさま方も、なんてあの時代の日本国民はあほ、馬鹿だったのだろう、なぜ、あそこまで追い詰められないと気づかなかったのだろう、などと結果論でもって嘲笑しないでください。安易な批判はつつしんでください。副島先生のように、日本のために苦しむ使命を帯びた人は、現時点において、すでに十分に苦しんでおられるのですから、それで勘弁してください。
 なお、この国が形づくる「世間」では、いまだに、ねたむ側に正義が託されております。ねたむ側の意見を代表して、もしくはそれに先んじて、マスコミが国民を誘導しております。ある人を利用して、まず、ほめまくります。もちあげます。そして、儲けます。そして、潮時を見計らって、ささいなことを口実に、たたきにかかります。ぼろぼろになるまでたたきます。そして、儲けます。これを私は「一粒で二度おいしい」作戦と名づけます。この作戦にすべての有名人がもてあそばれます。大きなところでは田中角栄元首相をはじめ、相撲の若乃花・貴乃花兄弟、その他、数え上げればきりがありません。
 田中真紀子さんもご自分が、この作戦のベルトコンベアーの上にのってしまっていることにいつ気づくか、それがこれからの人生を決めることでしょう。ぼろぼろにたたかれた後で気づくようでは、親父さんの人生から教訓を学べていないことになります。この件の結果については、後世のみなさまの方がよくご存知のはずですから、これ以上は申しません。
前口上が長くなってしまいました。

以下、副島隆彦先生著「ハリウッドで政治思想を読む」(2000年8月20日初版)248ページから引用します。現在の複雑な政治的状況について、安易な単純化をせずきちんと整理して、ここまでわかりやすく表現できている論者は副島先生の他にはおりません。

(引用開始)
 日本は、文明の周辺属国だから、特に知識人と呼ばれる輸入業者たちが、世界を流れる優勢思想の方に簡単に押し流される。それも上手な生き方であり商売だ。日本の戦後の知識人や学者たちの実に九五パーセントは、左翼あるいは反体制リベラル派だったのである。
(略)
 ソビエト型共産主義の運動は一九九一年一二月に、この地上から大きくは崩れ去っていった。そして、資本主義的な生産システム(市場経済)でだけが私たちの現実である。そこでは、冷酷な貧富の差のある実利的な世界が、そおまま私たちの現実である。今や誰もこのことは否定できない。
 しかし、問題は、左翼イデオロギー、あるいは社会主義思想が滅んだ後に、次の新たなる人類の大テーマがどこに存在するかということである。その際には、愚鈍なだけの反共保守思想をのさばらせる必要はない。巧妙に生き長らえただけの愚劣な保守的な現状肯定の思想を、批判していく道も、また正義である。愚かな宗教的な信念にとりつかれてきたリベラル派の旧式人間たちを冷笑し、嘲笑したからといって、何も生まれない。微妙に保守化しつつある朝日新聞や、残党社会党(社民党)を「あわれだな」と侮蔑する時期は過ぎた。朝日新聞も、最近、急激に反米(アンチ・アメリカ)民族主義的(ナショナリスティック)になりつつある。グローバリストと闘う勢力になれるかもしれない。それに比べれば、日本の民族保守、のふりをし愛国者のふりをしながら、その実態はアメリカの手先である「世界反共保守派」系の保守派の方が、はるかに悪質であり危険である。
 人類が掲げるべき、次の大きな理想が何であり、実現していくべき人間社会とは、どのようにあるべきか、という問いかけがやはり重要である。保守雑誌が、自分たちの勝利を祝って左翼叩きだけをやっていればいい時代は、今や過ぎ去った、と理解すべきなのだ。次の大敗北はいつも「勝った勝った」と騒いでいる者たちの足元から、始まる。
(引用終わり)

 このような、後世の研究者のみなさまもうならせるような、しっかりとした分析ができるのは、副島先生の、以下のようなものの見方によります。副島先生の才能を真似することはできませんが、ものの見方は、後世の研究者のみなさまにも十分参考になるはずです。

250ページから引用します。
(引用開始)
私が、自分の政治思想体験の中から言えることは、左(左翼)にも右(保守)にも、それぞれにりっぱな人々と、愚劣な人々がいたという事実である。私は、右(保守)だから正義で、かつ、優秀であり、左(左翼)だから愚かで、狂信的であると決め付けることはできないことをよく知っている。政治イデオロギーをめぐって、人間はこれからもいがみあいを続けていくのだが、その場合にも、個別の一人一人に着目しながら、判断を下していきたいと思う。
(引用終わり)
以上

(佐藤裕一による転載貼り付け終わり)