キェルケゴール『死に至る病』の頁を捲ってみた…の前置きで、自然法と自然権について素描します

菊地研一郎(会員番号2555) 投稿日:2010/11/23 21:29

佐藤裕一さんへ

菊地研一郎(会員番号2555)です。

佐藤さんの投稿〈[78]『死に至る病』〉を読んで、
私も少しだけ『死に至る病』にトライしてみました。
キェルケゴール作品は私のレパートリー外ですし、
道場内でも言及されることは稀な人物だと認識しています。
道場hpを軽く『死に至る病』を検索してもヒット無しでした。

にもかかわらず試読した理由は何かというと、
ここ最近の読書の結果、今までよく分からなかった
フランス革命前後期(キェルケらの時代)の
ドイツ人哲学者たちの思想を掴んだ感触を得たからです。
具体的にはカントやヘーゲルらで、キェルケは
特にヘーゲルの影響が強い著述者です。

ついでにカントやヘーゲルらの適切なイメージを書いてみます。
補助として、『覇アメ』でも重視される術語、自然法と自然権を用います。

まず、自然法とは何か。それは1492年にユダヤ人を追放した
カトリック・スペイン海洋帝国の(国際)法であり、
ナトゥーラ(被造物・万物)に通用する法です。
そして1568年からスペイン領オランダで独立戦争が始まり、
17世紀に独立を果たします。と同時に今度は英蘭間で
戦争が始まり、結果、覇権は英国に移動します。

この中で、自然権という考えが生まれます。
これはナトゥーラの法を前提にすると、
人間には生まれながらに持つ権利(生得=自然の)がある、というものです。

その心は何かというと、キリスト教徒にとって重要なのは、
神の国が到来するまでキリスト教徒の共同体を保持することであり、
地上の政府や国家の存在意義は共同体の保全にある。
だから、暴政から離反したり抵抗したりすることは
キリスト教とにとって罪ではない、ということになります。

これが自然法(ナトゥーラの法)とそれを微分した
自然権(生得の権利)の適切な説明です。

さらに時代が下り、18世紀後半から19世紀前半、
すなわちフランス革命前後になると、理性 Reason が重視されます。
そのひとつがイルミナティの創設者アダム・ヴァイスハウプトの思想です。
(こちらはまだ十分に理解できていませんが)

キェルコゲールまでたどり着けませんでしたが、キリがよいので一度投稿します。

キェルコゲールを巡る話は痛々しく、読んでいて気が滅入ります。
デンマークという国はいっときスカンジナビア半島の覇権を握り、
ノルウェーやスウェーデンの宗主国となるのですが、
キェルケゴールの時代に覇権を失うのですね。
彼の著作にはずっとそれが反映しているのだと思います・