『JFK』JFK(1991) 4.ファイナル・ジャッジメント

会員番号4655 佐藤裕一 投稿日:2011/01/27 09:01

 会員番号4655の佐藤裕一です。

 投稿3に引き続いて、映画『JFK』について書きます。といっても今回は書籍を中心にして書きます。以下「だ・である」口調。ネタバレ注意。

 

  ● 「諸君の成功は公表されない。しかし失敗は喧伝される」

 Your successes are unheralded, your failures are trumpeted.

 悲劇的なことに、ジョン・F・ケネディ大統領は、かなりの程度で有言実行の人物であったようだ。

 CIAのチャールズ・キャベル副長官はピッグス湾事件の作戦失敗によって、アレン・ダレス長官とともにケネディ大統領から責任を取らされ解任され、恨み骨髄だったという。長官に上り詰める道も断たれた。リチャード・マーヴィン・ビッセル計画担当副長官もIDA(国防分析研究所)所長に転出させられている。

 ケネディの言葉は特務・諜報・工作機関の本質を突いている。確かに、完全に正当な指摘だが、こんなことを真正面から浴びせかけられればモチベーションだだ下がりであるし、当時のCIA職員達に組織存続についての危機感と憎悪の炎が燃え上がったことは想像に難くない。

 ケネディ暗殺当時のCIAトップはジョン・アレクサンダー・マッコーン長官、陸軍中将マーシャル・シルヴェスター・カーター副長官、そしてリチャード・M・ビッセルの後釜であるリチャード・マックゼーラー・ヘルムズ計画担当副長官らである。ジム・ギャリソン著『JFK―ケネディ暗殺犯を追え』の記述を読むと、ギャリソンはマッコーンやヘルムズについて、暗殺計画の事前承認者とはみていないようだ。該当箇所を引用する。

 

(佐藤裕一による引用始め)

 こまかく見ていくと、見せかけのスポンサーに関する説は次々と崩壊してしまうのだ。大統領を暗殺する動機と能力をそなえたスポンサーとして、唯一残される可能性をもっているのは、CIAの秘密工作担当者たちだ。

 CIAの秘密工作機構は、危険であると同時にひじょうに見えにくい存在であり、情報コミュニティのなかでも強力な要素となっている。政府の最上層にもきわめて近く、すくなくとも一九五〇年代以降は、外交政策の決定にも次第に影響を与えるようになってきている。

 情報収集とはちがって、秘密工作にはプロパガンダ(遠回しに言うと偽情報)の作成を拡散、秘密の軍事組織の養成、クーデターや場合によっては殺人(国内外を問わず。ただし、つねに隠密裏に行われる)の計画がふくまれる。CIAの全活動の三分の二以上は、その種の秘密工作なのだ。その結果、秘密工作の担当部局は、かつてCIAの高官であったフィリップ・エイジーも言ったとおり、“秘密政治警察……現代のゲシュタポ、SS(ナチスの親衛隊)”となっているのである。

 手のこんだ大統領暗殺計画が、一九六三年当時のCIA長官ジョン・マッコーンあるいは計画部担当副長官リチャード・ヘルムズによって承認されていたとは考えにくい。CIAのもっと下の段階で考え出され、政府外の個人あるいは団体の協力のもとに遂行されたというのが真相だろう。CIAの最上層に書類が回ったりすることのないように取り計られ、上層部はそれをいいことに見て見ぬふりをしていたのではないか。一九八七年に議会が調査を行ったイラン・コントラ事件も、その種の、政府の役人と民間の人間が関与した“準公式の”出来事だった。ウォーターゲート事件の際にも見られた、そのような政府当局と民間人の協力体制を、関係当事者の一人であったある政府高官は“事業”と呼んでいる。

 イラン・コントラ事件は、それよりはずっと強大な“事業”であったケネディ暗殺事件の系列に属するものだと私は信じている。どちらの事件も、CIAの秘密工作担当部門が考え出したものである。どちらの事件の場合も、不法で邪悪な工作を遂行するために、CIAのベテランと不可解な民間人が力を合わせている。いずれの事件も極右的な思想を背景としており、同時に不可解きわまりないできごとである。この連続性はなんとも不気味だ。極度に微妙で論争を招きそうな秘密工作活動を既存の情報機関の一部を活用して行ないつつ、外部の人間には絶対に証明できないものにしたいという、元CIA長官、故ウイリム・ケーシーの夢は、過去四半世紀にわたって――すくなくともケネディ大統領暗殺事件のころから――現実となっていたのだ、と私には思われる。

 見せかけのスポンサーたちとちがって、CIAにはあきらかに暗殺を遂行する能力があった。一九七五年、フランク・チャーチを委員長とする上院委員会は、CIAが、何件もの暗殺を企て、毒物や機関銃、ときにはマフィアのヒットマンまで用いていたことをつきとめた。委員会は国内における暗殺事件まで調べるよう要求されてはいなかったが、CIAが自分たちに気に入らない政策を実施している外国の指導者たちを暗殺しようと何度も企てたことをあきらかにしていた。

(佐藤裕一による引用終わり)『JFK―ケネディ暗殺犯を追え』(ジム・ギャリソン著、岩瀬孝雄訳、早川書房刊 ハヤカワ文庫NF、一九九二年二月十五日 発行、一九九二年四月十六日十六 十八刷、427~429頁から引用。ルビ、註番号等省略。読み易いように段落ごとに改行)

 

 ● 『13デイズ』『グッド・シェパード』『ダラスの熱い日』

 アレン・ダレスやフーヴァーのような存在感たっぷりの悪役達とは違って、マッコーンCIA長官は現役であるにも関わらず、それほどの悪い噂は聞かれない。映画『JFK』にも出ていることすら確認出来ず、さっぱり重要人物として取り上げられていない。ベクテル・マッコーン社というベクテルのグループ企業から来ている人だから、CIA内部の組織人間にとってはいわば体制部外者である。ダレス更迭の上での後任であるから尚更そうであろう。ジョンソン大統領政権下ではヴェトナム戦争に関するイザコザで辞任。何にせよ印象が薄い。

 マーシャル・シルヴェスター・カーターCIA副長官も同様で、陸軍幹部としてキューバ危機に対応した1人ということだが、ケネディ暗殺との関わりでは何の話も出てこない。なんだかジョージ・キャトレット・マーシャルとシルヴェスター・スタローンとジミー・カーターを足して3で割ったような名前だなぁと思って英語版ウィキペディアを読んでみたら、本当に「マーシャル・プラン」のジョージ・マーシャル元帥の側近であり、ジョージ・マーシャル財団の会長だったのでビックリ。マーシャル繋がりだからか……。あと多分だがジミー・カーター大統領の親戚ではないと思う。

 マッコーン、カーターらが出てくる映画といえば、ロジャー・ドナルドソン監督の映画『13デイズ』Thirteen Days(2000)がキューバ危機を題材にしている。主人公はケネス・オドネル大統領特別補佐官で、こちらもケビン・コスナーが主演である。私はこの映画を観たいのだが、まだDVDを入手出来ていない。一度テレビ放送で少しだけ観たような記憶があるが、『13デイズ』であるか確信はない。確か、もはやキューバ危機がいよいよ切羽詰まってきた段階での政府高官会議で、

 ケネディ大統領「さぁ、みんな! 何か妙案があるなら今のうちに言った方がいい。意見が採用されるチャンスだぞ」

 全員「………………」

 という場面でCMに行ったのが印象的だった。別の映画かドラマだったかも。

 さて、影の薄いマッコーン長官やカーター副長官と比べて、CIA生え抜き組であるリチャード・ヘルムズ副長官の方は相当に怪しい。ジョンソン政権下でウィリアム・フランシス・レイボーン退役海軍中将の後任として長官に昇格しているが、ウォーターゲート事件関連でニクソンから辞めさせられるまで、かなりの長期間に渡ってCIAの指導部にいたことになる(後に偽証で有罪判決を受ける)。アレン・ダレスほどは目立たないが、ダレス以後のCIAにおけるFBIのフーヴァーに相当・対応する人物なのであろう。

 先生が翻訳したヴィクター・ソーン著『次の超大国は中国だとロックフェラーが決めた(上)』にはマイケル・コリンズ・パイパー著『最終判決:JFK暗殺事件陰謀説におけるミッシングリンク』について取り上げるために1章設けてあるが、OSS時代からヘルムズの部下でCIA防諜担当責任者であるジェームズ・ジーザス・アングルトンや、FBIからCIAに移ったウィリアム・キング・ハーヴェイ(当人は当時既にローマ支部転任)が組織したマングース作戦はじめZRライフル部隊などのカストロ暗殺計画(全て失敗)の狙撃者達が、なんとそのままケネディ大統領暗殺に使われた可能性があるということを指摘している。このアングルトンとハーヴェイは、映画『JFK』には出てこない。

『最終判決』によるとアングルトンはイスラエル首相ダヴィド・ベン=グリオンやモサドと親密な関係を築き、CIAとモサドの利害関係を強引に一致させ、一体化(ズブズブ)していったと指摘している。もしそうだとしたらソ連KGBとの関係性より重要だ。イスラエル国内にアングルトンの長年の貢献的行為(従属的忠誠)を称えた記念碑まであるという。パイパーはこのアングルトンをかなり重要視しており『最終判決』で頻繁に取り上げられている。

 ヘルムズの部下であるアングルトンがエヴェレット・ハワード・ハントに責任をなすりつけようとしていると、元CIA高官のヴィクター・マーチェッティ(マーケッティ)が告発した。現場にいた浮浪者の1人がハントではないかとまことしやかに噂されたのも、真実をごまかす工作の一環としてなされており、ハント自身は予定されていた偽のケネディ暗殺計画(ケネディを脅して従順にさせる)に関わっていたが、当日になるとケネディが本当に暗殺されてしまった。つまりハントは最初から、CIA内部によって騙されていた可能性が高い。CIAに世界の疑いの目が当然向けられる際に責任を取ってもらう囮役にされたということだ。だからハントもCIAだったのにゴタゴタと裁判をやっていたのである。ひきつけ専門という感じだ。

 それでロバート・デ・ニーロ監督の映画『グッド・シェパード』The Good Shepherd(2006)の主人公スパイのモデルがジェームズ・J・アングルトンやリチャード・M・ビッセルだということだ。私は一昨年の先生の講演会に行ったときに、ネットカフェのパソコンで視聴した。

 CIAやらKGBよりもスカル・アンド・ボーンズの方が気色悪いなぁという印象が強い。なぜに入会儀式で砂まみれの上から小便かけられなきゃならんのかと。あとは例の飛行機のシーンね。あれはトラウマになる。

 それにしても『13デイズ』も観たいが、もっと観たいのはデイヴィッド・ミラー監督、バート・ランカスター主演の映画『ダラスの熱い日』Executive Action(1973)である。『JFK』よりも前の作品で、研究家のマーク・レーンらが原案だ。なかなか入手出来ない。

 

 ● 『ファイナル・ジャッジメント』とイスラエル諜報工作機関モサド

 ジョン・F・ケネディに関連する情報を調べていると、彼がいたるところ敵だらけであり、理想を追求しようとすればするとほどに敵を増やしていき、暗殺当日には完全に包囲されていたことが分かってくる。

 当時世界の政治家でケネディを暗殺する動機・理由が無いのが明白なのは、ニキータ・フルシチョフやフィデル・カストロなどの共産圏の指導者とアイルランド人ぐらいではないか? ケネディがすることはみんなアメリカ軍産複合体による冷戦商売の邪魔以外の何物でもない。マフィアも下請けと麻薬商売の繁盛を続けたい。CIAも麻薬産業でマフィアと馴れ合い。

 ヴェトナム戦争の早期終結をされて困るのは共産圏ではない。かといってアメリカ国内要因「だけ」でなされたのかといえば、そうでもないようだ。国外要因ではソ連でもキューバでもなく、イスラエルが浮上してくる。

 先程も少し言及したが、マイケル・コリンズ・パイパーという人が『最終判決:JFK暗殺事件陰謀説におけるミッシングリンク』‘Final Judgment: The Missing Link in the JFK Assassination Conspiracy’という本を書いている。

「マイケル・コリンズ」と聞くとどうしても、アイルランド独立運動の軍事指導者にして国民的英雄のマイケル・コリンズが浮かんでしまう。『マイケル・コリンズ』Michael Collins(1996)という映画にもなったが、ややこしいので著者は以下、パイパー。著書の略称は『最終判決』とする。

 日本では太田龍(故人)監訳で『ケネディとユダヤの秘密戦争: JFK暗殺の最終審判』という邦題になってしまったが、ユダヤというよりも、イスラエル政府首脳とケネディ大統領が時間が経過するにつれ、どんどん深く対立していったということだ。イスラエルということは、実行者として取り上げられる組織は当然、Mossad モサドである。

 その動機・理由の決定打は、ケネディが国自体の存亡の危機に晒されているイスラエルに核保有を許そうとしなかったからで、辞職する前のダヴィド・ベン=グリオン首相とケネディは険悪極まりなかったという。

 後任はレヴィ・エシュコル首相で、やはり核が対立要因となる。だからイスラエルと中国が裏で核実験・核開発のために繋がる。先生の話によると、2011年の現在ともなると、中国はイスラム圏との連帯を重視して、イスラエルとの親密な繋がりは切れているとのこと。時代の趨勢である。だがイスラエルと手を切って敵と繋がれば、謀略事件を引き起こされることを覚悟しなければならない。まだまだ極東情勢も、アメリカとイスラエルにあれこれ悩まされるだろう。

 さて、このケネディ暗殺事件の国外要因について、『次の超大国は中国だとロックフェラーが決めた(上)』から、まとまって言及されている箇所を引用致します。

 

(佐藤裕一による引用始め)

 マイケル・コリンズ・パイパーが『最終判決』で提示しているもう一つの重要ポイントは、ケネディ暗殺があった当時、イツハク・シャミル Yitzhak Shamir(のちのイスラエル首相)がモサドの暗殺チームの長をしており、このチームがケネディ大統領暗殺用の殺し屋をSDECE(フランスの国家情報機関)から雇っていたという点だ。この情報は、一九九二年七月三日付のイスラエル紙「ハーレツ」でも裏づけられている。同紙は、「シャミルが暗黒街のテロリスト経験を経てモサドの工作員となり、一九五五年から六四年まで暗殺チームを率いていた」と報じている。さらに信憑性を与えるのが、一九九二年七月四日付の「ワシントン・タイムズ」紙で、「この秘密の暗殺チームは存在しただけでなく、敵とみなす人間やナチスの戦犯と疑われる人物への攻撃も実行していた」と報じている。覚えているだろうか。デイヴィッド・ベングリオンはJFKを“イスラエル国家の敵”と呼んでいた。ケネディは、彼らから“敵とみなされる人間”だったのである。

 イツハク・シャミルがフランスの秘密情報機関SDECEから殺し屋を雇っていたという事実を考えたとき、奇異に思えるのは、ジェームズ・ジーザス・アングルトン――前述したケネディ暗殺の背後にいたCIAの有力者――が一九六三年一一月二二日(暗殺の当日)の午後、誰といたのかという事実だ。その相手とは、ジョルジュ・デ・ラヌリアン大佐、SDECEの副長官である。二人はヴァージニア州ラングレー LanglyにあるCIA本部で、不手際があった際の被害対策に備えていた。実際、CIA、モサド、SDECEという三つの情報機関が三角形を成し、そのすべてがケネディ大統領暗殺の周りに集まっていた。三者は生け贄リー・ハーベイ・オズワルドがキューバやソ連と繋がっていることをすでに確認しており、“共産主義者との冷戦”という作り話をアメリカの報道機関に流せば済むと考えていた。

 これらの情報機関は、どのように首尾よくやってのけたのだろうか。こうした状況をよりはっきりさせるために、マイケル・コリンズ・パイパーが引用している、アメリカ空軍退役パイロット、フレッチャー・プラウティ大佐の言葉を紹介しよう。「暗殺計画で必要不可欠な処置の一つが、大統領の周囲の警備網を取り除く、もしくは突破することだった。誰も暗殺を指揮してはいけない、それはただ漠然と起きるのだ。起きてもよいと密かに容認することが、積極的な役割を果たす。大統領の移動中に実施される通常の警備対策を解除する、あるいは手薄にすることが可能な人間は誰か、これが重要な糸口なのだ」「訳者註:デイヴィッド・アイク著『究極の大陰謀』(本多繁邦訳、三交社刊)に典拠あり」

 ではあのダラスでの午後、ケネディ大統領の警備を取り消す方法や手段、動機を持ち合わせていたのは誰だったのか。それは、ロシア人でも、キューバ人でも、マフィアでもない。間違いなくCIAである。これで状況がますますはっきりして来た。それでは主流派のメディアにおいて、同様のヤラセである「九・一一テロ攻撃」のときの真実を隠蔽する方法や手段、動機を持っていたのは誰だろうか。寄せ集めのテロリスト集団か、それともやっぱりCIAか。これも一考に価する問題である。

「訳者註:二〇〇四年頃から、CIAの幹部高官たちは、辞任したジョージ・テネット長官を筆頭にして団結し、ブッシュ政権を操るネオコン派及びイスラエルの情報機関の米政権内での暗躍に対して、抗議し、ホワイトハウスと激しく対立するようになった。九・一一事件はホワイトハウスの地下のウォー・ルーム(戦争指揮室)から、チェイニー副大統領が指揮して米空軍を操って実行させたものであることが判明しつつある。リチャード・(“ディック”)チェイニーはデイヴィッド・ロックフェラー九三歳の寵臣である」

(佐藤裕一による引用終わり)『次の超大国は中国だとロックフェラーが決めた(上)』(ヴィクター・ソーン著、副島隆彦翻訳・責任編集、徳間書店刊 5次元文庫、2008年8月31日 初版発行、174頁から177頁から引用。ルビ等省略。読み易いように段落ごとに改行。文中の訳者註釈は副島隆彦先生の文章)

 

 背筋の凍る恐ろしいケネディ包囲網の話がイスラエルのモサドだけでなく、フランスのSDECE(現在のフランス対外治安総局、DGSEの前身)まで出てくる。当時のSDECE副長官であるジョルジュ・デ・ラヌリアン大佐は、日本語のネット・キーワード検索では「ジョルジュ・ドラヌリアン」表記で少し引っ掛かる程度だ。それからイツハク・シャミルとはイツハク違いのイツハク・ラビン(当時はイスラエル軍の高官、後に首相在任中暗殺)もケネディ暗殺の当日に、ダラスにいたのだという。

 別にアメリカとイスラエル2国が組めば、それだけで作戦は完結出来るんじゃないか。それをわざわざフランスにまで一枚噛ませたのは、情報機関同士間において後で脅迫文句を言わせないように、ヨーロッパ西側諸国までをも共犯関係(秘密の共有、弱みの握り合い)に引き摺り込みたいという意図があったのではないかと、私は勘繰ってしまう。

 CIAが単独極秘任務でおこなうようなシンプルで鮮やかな普段の「仕事」からは程遠い。ケネディ暗殺の疑いを逸らして各方面に向けるという、各種偽装工作が必要だったということを抜きにして考えても、あまりにもゴタゴタしてしまった暗殺作戦だったようだ。

 弟のロバート・ケネディ暗殺にまでモサドが出てくる。該当部分をパイパーの『最終判決』から引用する。

 

(佐藤裕一による引用始め)

 CIAとモサドが共同で創設した「サバク」はケネディ家とは敵対関係にあったイランのシャーの秘密警察として機能した。CIAとモサドのために、1968年にロバート・ケネディ上院議員の暗殺を実行したのはサバクである。長くCIA高官を務め、後に長官となったリチャード・ヘルムズは、シャーの親しい友人で、ジェームズ・アングルトンのパトロンでもあった。1978年にE・ハワード・ハントを陥れてJFK暗殺事件のスケープゴートにしようとした計画には、ヘルムズも関与した。後に、ウォーターゲート事件をもみ消そうとしたリチャード・ニクソン大統領は、JFK暗殺でのCIAの役割をもちだしてヘルムズとCIAを脅そうとした。デブラ・デイヴィスの著書『キャサリン・ザ・グレート(Katharine the Great)』を情報源の一部として、著者パイパーは、アングルトンのほとんど知られていないホワイトハウス内のCIAデスクが、ニクソンを大統領職から引きずり下ろすためにウォーターゲート事件を画策したと主張している。ニクソンが自分の中東和平案を阻止しようとしたイスラエル・ロビーに、公然と攻撃を開始しようと計画していたことを示す新しい証拠もある。

(佐藤裕一による引用終わり)『ケネディとユダヤの秘密戦争: JFK暗殺の最終審判』(マイケル・コリンズ・パイパー著、太田龍訳、成甲書房刊、2006年5月発行、50頁から引用。掲載写真資料の説明文章であるため文中指示カッコ省略)

 

 このヘルムズはCIAを退職した後に駐イラン大使となっている。
 
 アルルさんが主宰ブログサイトに書いていたように、イスラエル・コネクション(モサド)やフレンチ・コネクション(SDECE、OAS)などの国外要因(太田風表現ではユダヤ要因か)を強調しすぎるきらいがあるとはいえ、パイパーの『最終判決』がイスラエル暗躍追求の急先鋒にして最先端であることは間違いないようだ。

 こういった国外要因が映画『JFK』で触れられないことについても『次の超大国は中国だとロックフェラーが決めた(上)』に説明があるので引用する。

 

(佐藤裕一による引用始め)

 では、念入りに細工された暗殺計画の最終段階を実行する手段と能力を有していたのは誰だったのだろうか。その答えは、ジェリー・ポリコフ著の『撃ち合いによる政治』‘Govement by Gunplay’(シグネット・ブックス刊)の中にある。「ケネディ暗殺事件の隠蔽論がこれほど長く続いている理由は、われわれの報道機関が、言われるままに鵜呑みにするか、それとも事実を自主的に検証するかの選択を迫られたときに単に前者を選んだからにすぎない」

 アメリカ国民を混乱させたままにしておくために、メディアは想像出来るありとあらゆる仮説――ただしイスラエル関与説だけは除いて――を国民の間に広めて押しつけた。映画監督のオリバー・ストーンは、一九九一年一二月二〇日付の「ニューヨーク・タイムズ」紙でこう語っている。「一国の指導者が暗殺されたら、通常メディアは問いかけるものだ。この指導者と対立し、暗殺することによって恩恵を受ける政治勢力はどこかと」

 ところが、マイケル・コリンズ・パイパーが『最終判決』で指摘しているように、オリバー・ストーン監督自身もイスラエル真犯人説を追跡しようとしなかった。これはおそらく、彼の映画『JFK』のエグゼクティブ・プロデューサーがアーノン・ミルチャンという男だったからだろう。この男については、一九九二年五月一八日発行の「ネーション」誌でアレグザンダー・コックバーンが書いているが、「イスラエル最大の武器商人と目される人物」である。さらに、ベンジャミン・ベトハラーミは、ミルチャンのことを「モサドの一員」と呼んでいる。

(佐藤裕一による引用終わり)『次の超大国は中国だとロックフェラーが決めた(上)』(ヴィクター・ソーン著、副島隆彦翻訳・責任編集、徳間書店刊 5次元文庫、2008年8月31日 初版発行、194頁、195頁から引用。ルビ等省略。読み易いように段落ごとに改行)

 

 アーノン・ミルチャンという映画プロデューサーがギャリソンの遺族から民事で告訴されていることがパイパーの『最終判決』に書いてある。

 確かにオリヴァー・ストーンが今も生きていることを考えると、そういう裏の背景と保険があるんだと思う。他ならぬアメリカ合衆国において映画『JFK』を撮影した商業映画監督のストーンに、「裏の隠された繋がりや援助を一切断て」「常に全ての身の危険に晒され続けろ」というのは酷な要求だろう。

 映画を制作するのは現実に生きている人間達なのだから、しがらみや煩わしい関係性から完全に自由というのは幻想であろう。だからクレイ・ショー裁判を中心にギャリソンの視点で展開される映画『JFK』の主要人物と現実では、実際の重要度が異なる部分があるだろう。

 

 ● 「パーミンデックス」と企業の関与

 それから「パーミンデックス」(パイパーの『最終判決』邦訳ではパーミンデクス)とかいう、パンデミックみたいな名前の、全然聞きなれない不気味な国際企業が出てくる。今現在もあるのかどうかは分からない。Permanent Industrial Expositions(永久の産業展覧会?)を縮めてPermindex らしい。気色悪い。

 クレイ・ショーはパーミンデックス社の理事であった。『JFK―ケネディ暗殺犯を追え』にはパーミンデックスについて書いてあるが、映画『JFK』には私が観た限りでは会社名は出てこなかったと記憶する。クレイ・ショー裁判の後になって分かった諸事実だからということもある。

 ジョゼフ・マッカーシーの弁護士であったロイ・コーンも、パーミンデックスのボードメンバーの1人だった。『次の超大国は中国だとロックフェラーが決めた(上)』からパーミンデックス言及箇所を以下に引用する。

 

(佐藤裕一による引用始め)

 メディアが黙殺した最も重要な要素は、CIA、モサド、ランスキー率いるマフィア、この三者の集合体の要になる存在、「パーミンデックス」だろう。パーミンデックスが何者かを説明しよう。パーミンデックス Permindex 社とは、ローマに拠点を置く武器製造業者で、他と同様マネー・ロンダリングに手を染め、CIAやマイヤー・ランスキー、イスラエルと繋がりがある。

『最終判決』のマイケル・コリンズ・パイパーのようにこの問題を詳細に調べることはわたしには無理だが、ケネディ暗殺事件におけるこの兵器製造販売組織の役割について簡単に説明しよう。パーミンデックスの取締役会長は、モサドの創設とイスラエルの建国に関わった二人の大物のうちの一人、ルイス・M・ブルームフィールド少佐であり、パーミンデックス株の五割を所有していた。ブルームフィールドはまた、J・エドガー・フーバー長官に請われてFBI内の悪名高きDivisions 5 (第五局)に雇われたことがある。そのうえ、ブロンフマン・ファミリーの表看板にもなっていた。前述(一八四頁)したように、ブロンフマンはジョー・ケネディと同様酒の密売人であり、ランスキーの犯罪組織を通じてそのシーグラム酒類帝国を築いた一族である。

 もう一人のパーミンデックスの主要株主は、ジュネーブにBCI(国際信用銀行)という銀行を設立したティボー・ローゼンバウムだ。ローゼンバウムはモサドの財務備品局長でもあった。一方で、彼の銀行BCIはマイヤー・ランスキーの資金洗浄を担っていた。BCIはモサドと当然親密な繋がりがあり、ローゼンバウムは「イスラエル国家のゴッドファーザー」と呼ばれていた。

 イスラエルという国が、デイヴィッド・ベングリオンや今挙げた人間たちにとっていかに重要であるか。また、母国の存続に関して彼らがいかに危機感を覚えていたかを考えると、こうした勢力(モサド、CIA、ランスキーのマフィア)がすべてパーミンデックスの周りに集まっていたという事実は、決して偶然ではない。それぞれがパーミンデックスと直接繋がりを持ち、それぞれの理由でケネディの死を望んでいた。にも拘わらず、アメリカのメディアが追った先は、リー・ハーベイ・オズワルドのような能無しが二〇世紀最大の犯罪をやってのけたという、狂った単独犯人説である。まったくお話にならない。

(佐藤裕一による引用終わり)『次の超大国は中国だとロックフェラーが決めた(上)』(ヴィクター・ソーン著、副島隆彦翻訳・責任編集、徳間書店刊 5次元文庫、2008年8月31日 初版発行、196頁、197頁から引用。ルビ等省略。読み易いように段落ごとに改行)

 

 パイパー『最終判決』の指摘では、このモサドのフロント企業であるパーミンデックスが、イスラエル首脳の支持(指示)でJFK暗殺に資金提供などの協力支援をしたということだ。映画『JFK』でもガイ・バニスターのお得意様がクレイ・ショーである様子が描かれているが、さらにパーミンデックスからの援助があったのであろう。パイパーの『最終判決』から該当箇所を引用する。

 

(佐藤裕一による引用始め)

 JFK暗殺事件を調査したニューオリンズの地方検事ジム・ギャリソンは、国際貿易会社役員でCIAの「資産」でもあったクレイ・ショーを暗殺の謀議に加わったとして起訴し、ショーがモサドのダミー会社であるパーミンデクスの理事を務めていることを突きとめた。ギャリソンは明らかに最後にはモサドが暗殺に関与したと結論づけていたが、その疑いを言葉にしたのは未発表の小説のなかだけだった。パーミンデクスの会長はモントリオールの法律家、ルイス・M・ブルームフィールド。カナダのイスラエル・ロビーを代表する人物で、酒造業界の大物サム・ブロンフマンの古くからの手先だった。ブロンフマンはイスラエルの重要な支援者であるとともに、ランスキーの犯罪シンジケートでも高い地位についていた。

 ニューオリンズのCIA契約工作員のバイ・バニスターとデイヴィッド・フェリーは、パーミンデクスのクレイ・ショーと結託し、フランスの秘密軍事組織OASとシャルル・ドゴール大統領暗殺計画を練った。この計画もパーミンデクスを通して資金を得ていた。ショー、バニスター、フェリーの3人は、リー・ハーヴェイ・オズワルドを「親カストロ」の扇動家として仕立て上げる工作も手がけた。バニスターの「右翼」の扇動家ケント・コートニーとの結びつきを、バニスターと共謀家たちの右翼傾向の証拠と指摘する向きもあるが、こうした研究者が見落としているのは、コートニーもまた熱心なイスラエル支持者だったことである。写真下はコートニーがソ連の拡大主義への防波堤としてイスラエルを賛美した1970年の記事。コートニーのイスラエル観はCIA内のモサドの連絡係、ジェームズ・アングルトンの考えと完全に合致していた。

(佐藤裕一による引用終わり)『ケネディとユダヤの秘密戦争: JFK暗殺の最終審判』(マイケル・コリンズ・パイパー著、太田龍訳、成甲書房刊、2006年5月発行、34頁から引用。掲載写真資料の説明文章であるため文中指示カッコ省略)

 

 このようにパイパーによれば、執念の人であるジム・ギャリソン地方検事でさえも、イスラエルとモサドによるケネディ暗殺関与を掴みながらも公式には言い出せず、避けて通ったということだ。

 ただし、クレイ・ショー裁判が敗訴に終わった後になってから判明してしまったショーの背後関係については、『JFK―ケネディ暗殺犯を追え』の「6 クレイ・バートランドことクレイ・ショー」に諸々の事実を記述しており、その際にフランス秘密軍事組織であるOASについては言及されてある。該当箇所を引用させていただく。

 

(佐藤裕一による引用始め)

 足を使って忍耐強く調べた結果、“クレイ・バートランド”が実際にクレイ・ショーであることがあきらかになった。クレイ・ショーといえば、インターナショナル・トレード・マート社の理事であり、ニューオーリンズではよく知られた名士だった。しかし、当時の私たちは、クレイ・ショーがニューオーリンズにおけるイメージよりもはるかに有力な大物であることを知らなかった。やがて、ショーがCIAの工作員として国際的役割を担っていたことを知るのだが、それはショーの裁判には間に合わなかった。知っていれば大いに助かったと思われるのだが。ショーはCIAの工作員として、ローマでファシズム復活を画策していた。彼のこの秘密工作活動はイタリアの新聞にすっぱ抜かれた。私たちにその記事を送ってくれたのは哲学者バートランド・ラッセルの秘書ラフル・ショーンマンである。彼は調査のごく初期からの協力者の一人である。

 それらの記事によれば、ある時期、独自の外交政策を展開していたCIAは、早くも一九六〇年代初めにイタリアであるプロジェクトを開始した。そのための組織であるサントロ・モンディアール・コメルシアール(世界貿易センター)は、はじめモントリオールで設立され、一九六一年にローマに移された。理事の一人にニューオーリンズのクレイ・ショーが名を連ねていた。
(中略)

 しかし、一九六七年になって、イタリアの新聞がサントロの理事会のメンバーをくわしく調べてみると、ひじょうに奇妙な構成であることが判明した。理事の一人、グティエレス・ディ・スパダフォロは、イタリア最後の王、ウンベルトを出したサヴォイ家の一員だった。スパダフォロは、武器や石油関連の株を大量に所有する有数の大金持ちで、かつて、ベニート・ムッソリーニのもとで農務次官を務めたこともあった。ニュールンベルクで裁判にかけられたナチの大蔵大臣ヤルマール・シャハトとは義理の娘を介して縁戚関係にあった。

 サントロの理事のなかには、かつてのイタリア王室の一族の弁護士を務めるカルロ・ダメリオや、追放されたハンガリーの元首相で、ハンガリーの主たる反共政党の元党首でもあったフェレンク・ナジがいた。イタリアの新聞によれば、ナジはパーミンデックスの総裁でもあった(パーミンデックスはサントロ・モンディアール・コメルシアールから派生したもので、表向きは恒久的展示場運営のための財団ということになっていた)。そして、彼はヨーロッパにおけるファシスト運動にひじょうに力を貸している、ということだった。そのほかには、ジュゼッピ・ジジオッティという名の理事がいて、彼は<市民軍のための全国ファシスト連合>とかいう団体の総裁だった。

 サントロの主要株主の一人はL・M・ブルームフィールドという少佐だった。彼はモントリオールに住んでいたが、国籍はアメリカで、CIAの母胎となった戦略情報局(OSS)の元エージェントだった。

(中略)

 一九六九年にパリス・フラモンドが著した『ケネディをめぐる陰謀』によれば、サントロは、イタリアのファシスト、アメリカのCIA、その他同様の団体を包含するヨーロッパの準軍事的右翼を代表するものであるという。それは「金の流れるルートを覆う外殻のごときものであり……その資産の源や流れる先は誰も知らない」とフラモンドは書いている。

 この組織がシュライン会や4Hクラブと性格を異にすることは、イタリア政府にもすぐにわかった。一九六二年に、イタリア政府はサントロとパーミンデックスを、破壊情報活動のかどでイタリアから追放した。

(中略)

 これら二つの団体のたどった道を、《ル・ドゥヴォアール》はこう説明している。「いずれにせよ、サントロ・コメルシアールとパーミンデックスはイタリア政府やスイス政府から睨まれることになった。これら二つの団体はその潤沢な資金の源をあきらかにすることを拒否したが、実際に商取引をしているようには思われない。両団体は一九六二年にスイス及びイタリアから追放され、ヨハネスブルクに本部を移した」

 パエサ・セラ紙はクレイ・ショーのサントロをこう評価している。「(極右組織に深い関わりをもつ人物たちが理事に名をつらねるこの団体は)……非合法の政治、情報活動のためのCIAの資金を秘密裏にイタリアに流すために……CIAによって設けられたものである。理事にクレイ・ショーおよび(OSSの)元少佐ブルームフィールドが実際のところいかなる活動をしているかは不明である」

 パエサ・セラ紙がサントロに関してこんなことも書いている。サントロは「反共を共通要素とする、ある意味でいかがわしい紐帯で結ばれた人々の接触点である。彼らの反共思想は強烈なものであり、ケネディをはじめとして、東西両陣営間の理性的関係のために闘った人々を呑み下してしまう」この辛辣な表現は、これらの団体の母胎ともいうべきCIAにもあてはまるものだろう。

 クレイ・ショーが同じく理事を務めていたパーミンデックスに関して、イタリアの新聞は、フランスの秘密軍事組織(OAS)の反ドゴール運動にもひそかに資金供与をしていたと暴露している。OASはアルジェリア独立を支持したドゴール大統領に反対し、何度か彼の暗殺を企てたとされている。一九六七年の時点でそのことを知っていたら、私たちはルイジアナ州ホーマの飛行場に出かけていたことだろう。ガイ・バニスターの工作に加わっていたデイヴィッド・フェリーその他の男たちは、その飛行場で、かつてCIAが暗殺を企てていたOASに提供した武器、弾薬をシュランベルジェ保管庫から回収したのだ。ショーの裁判において彼とCIAとの関係を明確にできれば、私たちは有利に闘えただろう。しかし不運にも、人員と予算がかぎられており、各方面の手掛かりを追わなければならなかったために、私たちはこの重要な情報を、もっとも必要なときに入手することができなかったのである。

(佐藤裕一による引用終わり)『JFK―ケネディ暗殺犯を追え』(ジム・ギャリソン著、岩瀬孝雄訳、早川書房刊 ハヤカワ文庫NF、一九九二年二月十五日 発行、一九九二年四月十六日十六 十八刷、149~153頁から引用。註番号等省略。読み易いように段落ごとに改行)
 

 他にもオズワルドが反共右翼と親しい関係を築いていたことを書いた「4 オズワルドと白系ロシア人社会」において、ジョージ・ド・モーレンシルトがダラス石油クラブの一員であり、シュランベルジェ社社長のジーン・ド・メニルと親しい友人でもあるが、シュランベルジェ社もCIAと関係が深いことを指摘している。

 ショーの背後にあるパーミンデックスという企業にはケネディ暗殺に資金や物資、人員提供における支援協力を惜しまず、万全の体制を敷くという邪な目的があることは間違いないだろう。設立時点からしてそういう会社であったわけだ。

 

 ● 「無実」と「無罪」、「有実」と「有罪」

 私は直接この刑事裁判、通称クレイ・ショー裁判(エドワード・アロイシウス・ハガティ判事、被告側主任弁護士はアーヴィン・ダイモンド)を傍聴したわけではないし、裁判記録を精密に検査したわけでもない。

 しかし返す返すも残念なことではあるが、実在の人物であるジム・ギャリソン地方検事(主演:ケヴィン・コスナー)を中心とした視点で、制作側がギャリソンよりに有利な印象をもって展開させる映画『JFK』の法廷の様子でさえ、列挙された証拠のことや、さらには『JFK―ケネディ暗殺犯を追え』の記述内容を考えるとなると、クレイ・ショーを共謀罪で有罪とすることは出来ない。

 ショーを有罪としてしまうと「上」にまで共謀と関与の責任がのぼっていくから、ということだけの事情で無罪とされたわけでもないようだ。無関係の他国民である私も、陪審員団の評決を支持せざるを得ない。ほとんどが当時の目撃証言ばかりであり、物証が弱すぎて立証とするには到底足りない。被告側弁護士がどこかと仕組んで仕掛けたのであろう信用失墜作戦は考慮しないとしてもだ。あれではたとえ私が陪審員の一員であっても、無罪意見だろう。近代法治国としてそれが当然で正当(妥当)な判断である。映画ラストシーンで陪審員の1人が、

「我々も共謀はあったと思っています。しかし、クレイ・ショーがその一味であったとは考えられません」

 という見解を示している。証拠不十分で無罪だ。この「無罪」は「無実」ということと関連はしているが完全な同義ではない。以前の投稿で書いたので繰り返さないつもりだったが、やはり何度でも書いてしまう。

 当掲示板投稿[121]「非有罪状態」で文章を転載させて頂いたが、古市さんというかたの慧眼に賛成する。つまり、ショーは「非有罪」(有罪に非ず)ということだ。”not guilty” ノット・ギルティ判決を下されたのだ。そして、「それでいい」のである。

 この古市さんによる英語と日本語の違いと、そこから発生するものの見方・捉え方・法に対する認識の違いの発生に関する発見は重大極まりない! 私も遅ればせながら気付いた。

 後になって判明した諸情報を、もっと早く入手出来ていれば、裁判前に手元に揃っていれば、その後の展開も違うものに成り得たただろうに……。ギャリソンの無念は察して余りある。証拠不十分の元凶はウォーレン委員会の杜撰調査であることは言うまでもない。なにせ総元締め達のお仲間だからどうしようもないのだ。最初から報告書を杜撰に作るように決定されていたのだから。

 それでも。どんなに怪しくても、本心ではこの人は犯行に及んでいる(有実)だと信じていても、証拠不十分であれば「非有罪」としなければならない。「非有罪」は結果的に「無罪」と同じことである。「そうであっていい」のである。ショーは「非有罪判決」が下った以上は自由の身にならなければいけないのである。

「有実」か「無実」かということは、本当は分からないことが多い。この「有実」という言葉が日本語に無かったということが、日本人の法意識の前近代性を示し、同時に抜け落ちている欠陥部分を露呈しているといえよう。「無実」と「無罪」、「有実」と「有罪」。この区別が明確についているのであれば、結果的には「無罪」と同義となる「非有罪」を持ち出さなくてもよいのだが、日本の現状ではそうもいかない。

 ある事実が有ったか無かったかということは、最後はそれを信じるか信じないかということであり、何人であっても自分については「良心の自由」があるから勝手に思い込んでいい。誰であっても他人の内心に干渉して踏み込むことは許されないのである。あいつこそは真犯人であると決め付ける判断そのものは個人の自由だ。

 翻って裁判官や陪審員が法によって示す判断は、予め「有罪(と量刑)」か「無罪(非有罪)」か、ということに限定しなければならない。ことに刑事訴訟は人間の「身体の自由」を制限し拘束するものであるから当然である。犯行事実として「有実」であろうという判断に足る証拠を法廷に提出するのが検事の役割である(最重要なのは自白や証言ではなく物理的証拠だろう)。裁判官や陪審員の役割ではない。被告に反省や謝罪など強制してはならない。

 私、佐藤裕一は犯行現場にいたわけではない。自分の目で目撃したことすらないクレイ・ショーという人物が「有実」であると判断している。自分自身での現時点で考えての答え、自分の中での判定(ファイナル・ジャッジメント)という、ただそれだけのことだ。

 その上で、ショーに「無罪(非有罪)」評決が下されたことについて、裁判前に証拠が揃わなかったことを本当に残念に思うのと同時に、この評決は「素晴らしい」と感じている。アメリカが「羨ましい」と率直に思う。それは私が日本人で日本国の現状を認識しているからだ。映画『JFK』から日本人が学ぶべきことはたくさんある。

 ここに書いたことが分かる脳ミソがあるか? みんな分かっているからわざわざ言うまでもないこと、あまりにも当たり前のことだから誰も話題にもしないだけのこと、か? 分かっていれば果たして今現在の日本はこんな国になっているか。このままズルズルといつまで経っても理解出来なければ、日本は終わりだよ。

 投稿『JFK』JFK(1991) 5.正義の問題と秩序の問題