「負の遺産は残さない」原発暴発阻止に立ち上がった60歳以上の元技術者達

黒瀬 投稿日:2011/05/26 15:24

何度か掲示している「福島原発暴発阻止プロジェクト」の続報です。
プロジェクトの発起人の1人で東京海洋大学名誉教授の塩谷亘弘氏へのインタビュー記事。下記の部分はとくに胸を打たれました。

「私自身が思っているのは、(今回の原発事故は)技術が生んだ事故。神様が与えたわけじゃない。天罰でもない。技術が生んだのだから、技術が直せ。それが、研究者の責任だと思う。原子力の先生方が『我々の判断が甘かった』と認めるのは偉いことだが、それより現場で一緒に行動しましょう。その後もいろんな先生がいろんなコメントを出しているが、実際に現場で作業するわけではない。そこが我々とは違うのかなと。技術で作った物は技術で押さえるという原点に立ち戻る。」

(転載貼り付け始め)

「負の遺産は残さない」原発暴発阻止に立ち上がった60歳以上の元技術者達
2011年05月24日16時00分
http://news.livedoor.com/article/detail/5581575/

「技術が生んだ事故は、技術で修復する。それが責任。」発起人の1人、塩谷教授は言う。

1号機に続き、2号機、3号機もメルトダウンが起こっていたことが判明した福島第一原発事故。「言った言わない」で責任を擦り付け合う政府のトップとは対照的に、「福島原発暴発阻止プロジェクト」を立ち上げ、何とか原子炉を冷温停止に収束させようと、自らが原発に入り、ボランティアで収束作業に当たる「行動隊」の結成を呼びかける人たちがいる。

行動隊の参加資格は原則60歳以上で現場作業に耐える体力・経験を有すること。募集を始めて約1ヵ月半、参加者は160名を超えた。日本の高度成長を支えてきた技術者達が、再び立ち上がろうとしている。【取材・構成:田野幸伸(BLOGOS編集部)】

この日開かれたばかりの事務局を訪ねた。

インタビューに応じてくれたのは、プロジェクトの発起人の1人で東京海洋大学名誉教授の塩谷亘弘氏。「放射線に関しては、普通の人より少しだけ詳しいかな」という教授だが、理化学研究所で陽電子を使い金属材料の研究をし、筑波の高エネルギー加速研究所でX線を使用し研究を行っていた経歴を持つ。

■プロジェクト立ち上げの経緯
塩谷:プロジェクトの代表の山田恭暉とは、中学から東大工学部まで一緒で、その後山田は技術畑、私は研究畑に進んだ。4月のはじめ、原発の状況がおかしいと山田から電話があり、会って分析をしてみた。どうもリスクマネジメントのセンスがない。原発が今の状況で、何が必要なのか、誰も判ってないんだろうなと。東電、東芝の技術者の方は優秀だが、既存の組織、既存の利害関係の中では「ここは触られたくない」という、はめられた条件の中で考えでは対応策がとれない可能性がある。2人とも、原発で作業した経験はない。だが、お互いの経験の中で、どうしたら良いか、立ち止まって考えた。我々には40年近い経験がある。現場で全ての状況を見て、サジェスチョンしたいと思った。

新聞発表のデータしかない中で、東電の方針はすでに組み込まれている冷却装置を何が何でも復旧させて冷やしたいというものだった。我々は、アレだけの水素爆発が起こっている中で、鉄骨の状況などを見て、原発内部もかなりのダメージと推察をした。ビルトインされた冷却装置を直そうというのは、作った者の発想。上手く行かないだろうと判断した。外付けの冷却装置を至急設計して設置する体制を作らねばと。

60歳を過ぎた者の被曝は、子供や妊婦や若い女性の被曝とは違う。瞬間的な強い被曝は別だが、(放射線の影響で)20年、30年後にガンの発生率が上がったとしても、影響は少ない。経験豊かで一度引退した人間を集める必要があると思い。Webで呼びかけを開始した。

作業に参加すれば、現地にはデータがあるはず。データがあれば、どういう知識をどこに投入すればいいか考えられる。しかし、東電に受け入れてもらわなければればどうにもならない。現地は立ち入り禁止。行ったところで相手にされてもらえない。そこで、政府関係者、国会議員、東電へのアプローチを開始した。実際に東電の方にも沢山会った。国会議員にも何人か会えた。

■決死隊結成なのか?
塩谷:(今回集めている行動隊は)決して、「決死隊」でも「特攻隊」でもない。純粋に利害を離れて、この事故を収集させるために集まった集団である。中には、福島原発を実際に作った鳶さんや、自衛官・東大の名誉教授もいる。

いろいろな技能を持った人が集まった。危険を伴う現場なので、単純なボランティアのようには行かない。宿舎や休憩所なども使えるようにしなければいけない。政府の指示もあり、現場の状況は整いつつある。皆何か、特殊な技能を持っている。重機のスペシャリストや建築のプロ、壁の色や状態で危険度を判断できる人材。机の上で育ってきた人とは、違う力を持っている。

■危険な現場でも行くという原動力はどこから?
塩谷:危険な現場と言うが、被曝に関しては、今現場で働いている方々と同じ危機管理でもちろんやる。参加者から聞くのは”今のままでは耐えられない”という思い。

私自身が思っているのは、(今回の原発事故は)技術が生んだ事故。神様が与えたわけじゃない。天罰でもない。技術が生んだのだから、技術が直せ。それが、研究者の責任だと思う。原子力の先生方が「我々の判断が甘かった」と認めるのは偉いことだが、それより現場で一緒に行動しましょう。その後もいろんな先生がいろんなコメントを出しているが、実際に現場で作業するわけではない。そこが我々とは違うのかなと。技術で作った物は技術で押さえるという原点に立ち戻る。

組織に属していれば行動規範がある。身軽に動けない。働き盛りの40代や50代は(プロジェクトに参加することは)まず不可能。原子力学会にもシニア会員は沢山いる。もう少しアクティブに参加するべきだと思う。(学会の人は)今まで、原発推進で旗を振ってきた方が大部分。いまさら、自分達の失敗の火消しをやるという発想は厳しいのかなとも。

■政府・東電の対応で、問題だったと思う点、不安に思っている点は?
塩谷:東電も東芝も、多分、事故後の状態ではベストは尽くしているんだと思う。津波対策をしていなかったことは別として。被害のデータは取れなかったのかもしれない。でも米軍は無人偵察機でしっかりデータを取り、対策を始めた。官邸にも(放射能漏れの)データは来たはず。しかし、どこがどう汚染されたのか、公表しなかった。それが分かれば自主的に避難もできた。

原発というのは、国家機密、企業機密の塊。政府にしろ東電・東芝にしろ、できるだけ、データは出したくない。安全保障の問題がある。原発はテロの標的になる可能性がある。原発自体は多少のミサイルには耐える。しかし、使用済み核燃料プールが無防備であることが分かった。あそこは弱い。これはとんでもない情報が出たことになる。それ以上に、沢山の人が原発に行き、作業をするという事は、被害状況が分かる。どこを狙えばいいのか分かってしまう。現に、非常電源がどこに配置されたかは報道されない。一台はダミーで見せるが、電源車の配置場所も秘密。それだけ気を使いながら現場は仕事をしている。
それは承知しているが、冷温停止に向けての情報・工程は具体的に出して行かないと、不安に思うのではないか。

―事務局の佐々木和子さんにも、プロジェクトに参加した動機を伺った。

佐々木:私は小学校1年生の時に終戦を迎えた、直接の戦争責任はないが、未だに東南アジアの国々には申し訳ないと思う。日本は原爆被爆国から原発加害国になりつつある。私たちと同じ思いを、今の人たちにさせたくない。日本人は責任を明らかにしない民族。責任は今まで原発を使ってきた私たちにある。原発に賛成だったわけじゃないけど、その恩恵にあずかってきた。その責任がある。負の遺産を残してはいけない。何より、不安で仕方ないので、何か動くことによって、それを解決したいというのもある。逃避かもしれないけどね・・・

取材後、「私達は、反原発でも、原発推進でもない。とにかく、事故を収拾するために集まったのだ。」と言っていた。確かに、エネルギー政策の議論をする前に、原発を止めなければ話にならない。
5月23日現在、行動隊の志願者161名、賛同・応援者786名。「万が一があったとき、誰が責任取るんだ!?」などと揉めずに、政府・東電は彼らの思い、技術力、経験値を生かす方法を考えて欲しい。

プロジェクトの詳細、連絡先
福島原発 暴発阻止行動 プロジェクトhttp://bouhatsusoshi.jp/

(転載貼り付け終わり)