阿修羅掲示板から3つの投稿文章を転載貼り付け

会員番号4655 佐藤裕一 投稿日:2010/09/07 00:00

会員番号4655の佐藤裕一です。

阿修羅掲示板から3つの投稿文章を転載貼り付け致します。1つ目は田中眞紀子衆議院議員の記事から。

(佐藤裕一による転載貼り付け始め)

01年の再来狙う?=小沢、田中真紀子氏が街頭演説-民主代表選
http://www.asyura2.com/10/senkyo93/msg/891.html
投稿者 hii8765 日時 2010 年 9 月 04 日 21:21:19: SUvgBP5/fSaow

01年の再来狙う?=小沢、田中真紀子氏が街頭演説-民主代表選
民主党代表選に立候補した小沢一郎前幹事長は4日午後、東京・JR池袋駅前で、田中真紀子元外相とともに演説した。小沢氏は「(菅直人首相は)いろんな話をああしたいこうしたいと言うが、実行できるかどうかだ。今までの経験、知識をすべて結集し、全力を挙げたい」と経験の差をアピールすると、田中氏も「政治は決断、そして結果だ」と小沢氏を持ち上げた。
田中氏はまた、首相が「クリーンな政治」の実現を訴えていることに触れ「クリーン、クリーンって、クリーニング屋さんじゃないんだから。長いこと人間やってれば、人間も靴の底も汚れるの」などと述べた。
田中氏は、2001年の自民党総裁選で支持する小泉純一郎元首相とともに街頭に立ち、党員・党友の支持で他候補を圧倒する原動力となり、劣勢が伝えられた小泉氏の勝利に貢献した。小沢氏としては、党員・サポーター票の掘り起こしに向け、田中氏の「発信力」に期待したようだ。
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2010090400288

(佐藤裕一による転載貼り付け終わり)

2つ目は田中角栄元首相について、脳科学者の茂木健一郎氏のツイッター文章まとめ。

(佐藤裕一による転載貼り付け始め)

田中角栄氏に関しての連続ツイート by 脳科学者・茂木健一郎
http://www.asyura2.com/10/senkyo93/msg/839.html
投稿者 びぼ 日時 2010 年 9 月 04 日 09:25:29: 0cYXJ4o7/SPzg

http://kenmogi.cocolog-nifty.com/qualia/2010/09/post-5b07.html

田中角栄氏に関しての連続ツイート
昨日深夜の田中角栄氏についての連続ツイートを、ここにまとめて掲載します。

茂木健一郎

金曜またぎの深夜でもあるし、帰って来ながらいろいろ考えたので、いつもは朝やる連続ツイートを、もう少ししたらやりたいと思います。

角栄(1)あれは数年前だったか、学生たちとカラオケをしている時に、「まあ、その?国民のみなさまにはですね、まあ、その?」と田中角栄のものまねをしたら、誰もわからなかった。昭和を象徴するあの人のダミ声を知らない世代が生まれてきているのだと知り、ショックだった。

角栄(2)その頃から、なぜか、田中角栄さんのことが気になった。最近になって、いろいろな意味で田中さんと比較される小沢一郎さんについての、マスコミの報道ぶりを見ていて、なぜ角栄さんのことが気になっていたのか、わかった気がする。角栄さんは、私たち日本人にとって、一つの「宿題」なのだ。

角栄(3)田中角栄さんは、高等小学校と中央工学校を卒業という決してエリートとは言えない出自の中、持ち前の強靱な知性と驚くべきバイタリティで、ついには総理大臣まで上り詰めた。支持率も高く、マスコミは「今太閤」と褒め称えた。

角栄(4)「コンピュータ付きブルドーザー」と評された頭の回転の速さと、エネルギー。人心を掌握する術にもたけていた田中角栄さんが、卓越した人物であったことを疑う人はいないだろう

角栄(5)田中角栄さんの最大の功績は、日中国交正常化を成し遂げたことだった。ニクソンの電撃的訪中によって、日本が「ジャパン・ナッシング」になる危険を察知した角栄さんは、総理大臣として驚くべきスピードで調整し、いろいろと障害のあった日中の国交正常化を成し遂げた。

角栄(6)その驚異的な頭の回転は、幾つもの伝説を読んでいる。大蔵大臣に就任した時、大臣室に来た官僚たち一人ひとりの名前を、フルネームで呼んで、居並ぶひとたちを感激させたという。

角栄(7)政治家にとって、他人の名前を覚えるのは大事な能力うっかり誰かの名前を忘れてしまうと、角栄さんは、握手をしながら、「君の名前はなんだっけ?」と聞き、「鈴木です」と答えると、「名字はわかっているよ。下の名前はなんだっけ?」と相手を傷つけずに聞き出したのだという。

角栄(8)「日本列島改造論」などで、狂乱物価を引き起こしたと批判された田中角栄さんだが、その旺盛な活動の背後には、故郷の新潟の貧しさに対する深い思いがあった。何とか、冬は豪雪に覆われる地域の人々の生活を向上させたいと願ったのである。

角栄(9)「今太閤」とたたえられた田中角栄さんの運命が暗転したのは、マスコミが「田中金脈」批判のキャンペーンを張ったことだった。集中豪雨的な批判記事の圧力の下、角栄さんは総理大臣を辞した。

角栄(10)辞任の翌年、米国の上院における証言から、「ロッキード事件」が発覚する。「総理の犯罪」を追求するマスコミの嵐のような記事。角栄さんは、逮捕され、一審で実刑判決を受ける。

角栄(11)逮捕、起訴後も、角栄さんは自民党内で力を持ち続けた。そんな角栄さんに、マスコミは「闇将軍」というレッテルを張った。やがて、角栄さんは病に倒れ、その影響力は次第に低下していく。

角栄(12)最高裁に上告中、角栄さんは帰らぬ人となる。その刑事責任は、結局確定しないまま、公訴は消滅することとなった。

角栄(13)田中金脈追及からロッキード事件発覚にかけて、私は小学生から中学生だった。当時の私は、マスコミの記事、報道をそのまま信じて、田中角栄という人は悪いひとだ、「よっしゃ、よっしゃ」といって賄賂を受け取った、その後も「闇将軍」として居残り続けていると思っていた。

角栄(14)その一方で、人間としての田中角栄という人を、どうしても憎む気にはなれなかった。その頃、『わたくしの少年時代』という自伝を読んだことがある。そこから伝わってくるのは、あくまでも真っ直ぐな、情熱に満ちた人柄だった。

角栄(15)それでも、長い間、「総理の犯罪」「田中金脈」「闇将軍」というレッテルから、私の思考は自由にならなかった。田中角栄さんのことが気になり始めたのは、今年になって、日本の良識ある人々の中で、検察や、マスコミの「正義」に対する不信感が本格的に頭をもたげてからのことである。

角栄(16)マスコミは「政治とカネ」と一つ覚えのように言う。統計的に考えて、その悪弊はさまざまな政党のさまざまな人たちにポアソン分布で生じるだろう。それなのに、なぜ、政権交代を果たしたばかりの政党の代表と幹事長だけが狙い撃ちされるのか、まずここでおかしいと思った。

角栄(17)マスコミや検察の「正義」が絶対的なものではないということは、成熟した民主主義の下では当たり前のことだろう。ところが、「有罪率が100%近い」という近代国家ではあり得ない事態の下、日本人は、長らく、マスコミと検察は絶対正義であるという「幻想」の魔法の下にあった。

角栄(18)魔法がとけて見ると、田中角栄さんのことが気になり始めた。あの一連の出来事は、一体何だったのだろう? あの一切の異論、反論を許さないような報道の嵐の中で、本当に「正義」はなされたのか? 田中角栄さんは、マスコミが描こうとしたような、極悪人だったのか?

角栄(19)田中角栄さんの問題は、日本人が未解決のまま抱えている宿題だと思う。あれほど功績のあった人、卓越した人を、マスコミがヒステリーじみたキャンペーンで、葬りさった。その狂乱の本質は何だったのか、私たちは振り返り、整理すべき時期が来ている。

角栄(20)中国の人たちは、日本のマスコミのキャンペーンに踊らされなかった。日中関係の井戸を掘った偉人として、首脳が日本を訪れる度に、田中角栄氏を訪問した、今考えると、角栄という人物の本質を見ていたのは、マスコミだったのか、それとも中国の人たちだったのか?

角栄(21)自分たちに絶対的な正義があると思っている人たちは、うさんくさい。「闇将軍」などと揶揄する記事を匿名で書き飛ばしていた新聞記者たちと、田中角栄さんと、どちらが人間として興味深く、また誠実に生きていたのか、今となっては答えは明かであるように私には思える。

角栄(22)ニーチェは、人間の最悪の罪の一つとして「ルサンチマン」を挙げた。田中角栄氏をめぐる一方的な報道ぶりを振り返ると、そこには、新聞記者たちの、角栄さんに対するルサンチマンがあったと思えてならない。

角栄(23)そもそも、権力者を次々と犯罪者に仕立てるのは、未成熟な国の特徴である。すばらしい点の多々あるお隣の国、韓国はまた、元大統領が次々と刑事被告人に貶められる国でもある。一方、成熟した民主主義の国では、そのような極端な変動は、絶えて久しい。

角栄(24)成熟した英国流のカモン・センスから言えば、田中角栄氏の「犯罪」は、果たして、あれほどのヒステリックな断罪が行われるべきことだったのか、大いにあやしい。少なくとも、その功績とのバランスにおいて総合的に判断する、そのような知的態度は有り得たはずである。

角栄(25)私は、過去に遡って、田中角栄氏にあやまりたい。小学校から中学校という、世間知らずの年代だったとは言え、自らの正義を信じて疑わないマスコミのヒステリックな報道によって、「闇将軍」であり、「悪人」であるとたとえ一時期でも思ってしまったことに対して、心から謝罪したい。

角栄(26)今、こうやって振り返って思い出すのは、ロッキード事件の渦中にあった頃の田中角栄氏が時折見せていた、孤独でさびしそうな横顔である。あそこには、人間の真実があった。一方、居丈高に正義を振りかざしていたマスコミの様子を思い出すと、浅薄さといやしさの印象だけが強まってくる。

角栄(27)ロッキード事件が明るみに出たあとも、田中角栄氏は、新潟でトップ当選し続けた。マスコミは、新潟の選挙民の意識が低いなどと揶揄し続けた。今考えれば、人間としてまともだったのは、一体どちらだったのだろう。

角栄(28)人間は、過去を振り返り、反省することで、未来への指針を得ることができる。日本の国の将来を、小学生の学級会のような幼稚な「正義」で危うくしてはならない。今こそ、田中角栄さんをめぐる一連の事態は一体何だったのか、真剣に検討すべき時期が来ているのではないか。

以上、田中角栄氏に関しての連続ツイートでした。深夜、大変お騒がせしました。おやすみなさい。

(佐藤裕一による転載貼り付け終わり)

3つ目も茂木健一郎氏の文章。私はあまり知らない人だが、良い文章を書いている人だと判断する。

(佐藤裕一による転載貼り付け始め)

新聞と全く無関係に動いている世論、コミュニティがあるということ by 脳科学者 茂木健一郎
http://www.asyura2.com/09/hihyo10/msg/850.html
投稿者 びぼ 日時 2010 年 9 月 06 日 14:07:40: 0cYXJ4o7/SPzg

ホテルで頼んであった新聞は、Japan Times。新幹線の駅のキオスクで、日本の新聞の見出しを見た。朝日、読売とも、民主党代表選についての世論調査を一面トップに持ってきている。相変わらずのマッチポンプ。ふつふつと怒りが込み上げる。

一面トップは、新聞社の顔だろう。なぜそこに、実施すれば数字が出る「世論調査」を安易に持ってくる? 自分たちで調査して、その結果をニュースにする。典型的なマッチポンプ。苦労して獲得したネタではない。こうやって、日本の新聞は自らの価値を劣化させ、モラル・ハザードに陥っていく。

「世論調査」の結果は、管氏が圧倒的に優勢だそうだ。私の周囲、及びツイッター上では全く逆である。霞ヶ関と予定調和の管氏に期待する声は低い。小沢氏ならば、何かをやってくれるだろう、新しい日本の構築に必要な創造的破壊をしてくれるだろうとの声が多い。

そもそも、若者は新聞を読まない。今日の朝刊の一面トップがまたもや世論調査だという事実も知らないだろう。日本は今、きわめて重要な過渡期に来ている。もはや一枚岩などではない。たとえば、新聞とネットの間に、深刻な溝が生まれつつあるのだ。

日本が均質な社会ではなくなったことは、ダイナミクスのためには良いことだろう。それと、新聞社の人たちは、自分たちがもはや世論の「全て」を代表する存在などでなく、新聞と全く無関係に動いている世論、コミュニティがあるということを自覚した方が良い。

新聞的なものと無関係に動いている世論、コミュニティこそが、日本を「次」に連れていく。これが私の直観であり、偏見である。新聞の紙面から伝わってくるのは、乗り越えられるべき「古い日本」の感触。今朝、「世論調査」を一面トップに持ってくる大新聞の有り様をみて、ますますその思いを強くした。

(佐藤裕一による転載貼り付け終わり)