阿修羅掲示板から転載3本
会員番号4655の佐藤裕一です。
李さん、「インド奥地で未知の言語見つかる 使用者わずか800人」のニューズは初めて知りました。ありがとうございます。この21世紀に現在でも使用されている言語が新たに「発見」されるというのは驚愕です。
文字が無く話者も少ないとなると、奔流・洪水のようなインド社会の中では全然気にされないのでしょう。現在の人口が推定11億だか12億でしたか。インドと中国は「ポン!」ってな感じで軽く1億人くらいはすぐに増えますから。日本人は唖然呆然とするしかありません。
異端医師の独り言 【雑学】
http://blog.livedoor.jp/leeshounann/archives/51792407.html
それでは阿修羅掲示板から転載貼り付け致します。「鉄槌を下す」という表現は、自分達こそは「正義」であると思い込んでいるから出てくる言葉です。公務員の中でも検事という職業は税吏や警吏や刑吏と並んで、本来からして因業深いものなのでしょう。
(佐藤裕一による転載貼り付け始め)
検察幹部が森ゆうこ議員に「鉄槌を下してやる」 (森ゆうこTwitter)
http://www.asyura2.com/11/senkyo106/msg/150.html
投稿者 otoppi 日時 2011 年 1 月 31 日 18:54:22: cUHXG0u8x2am6
検察幹部が森ゆうこ議員に「鉄槌を下してやる」
森ゆうこ on Twitter 2011年1月31日 18:40
http://twitter.com/moriyukogiin
ある検察幹部が、私の調査に相当ナーバスになっているらしく、「鉄槌を下してやる」と言って、「不祥事」を捜していると司法記者から聞いた。「不祥事」は何でも、いつでも捏造できる。そして、私のやっている事は司法に対する政治介入だとキャンペーンを記者たちに行っているとのこと。気をつけなきゃ
(佐藤裕一による転載貼り付け終わり)
(佐藤裕一による転載貼り付け始め)
小沢一郎「強制起訴」の虚構に踊る政治家たち ( 有田芳生)
http://www.asyura2.com/11/senkyo106/msg/121.html
投稿者 pochi 日時 2011 年 1 月 31 日 13:02:17: gS5.4Dk4S0rxA
有田芳生の『酔醒漫録』
2011/01/31
小沢一郎「強制起訴」の虚構に踊る政治家たち
1月31日(月)小沢一郎元代表に対する「強制起訴」が今日にも行われると報じられている。第5東京検察審査会が小沢一郎元代表に対して「起訴議決」したことについて、私は昨年10月の法務委員会で質問した。検察審査会の意義を認めつつ、改正された審査会法に問題があることを具体的に問うたのだ。審査員の平均年齢が2度の人選ですべて異なるはずなのに、なぜか34・55歳と発表されたことなど、統計上はありえないことも専門家からの取材で明らかにした。何よりも議事録がないことには驚いた。そこで何が議論されたかも不明だ。あえていえば審査補助員である弁護士の誘導があった可能性もある。それは当人が新聞記者の取材に暴力団と政治家が同じようなものとの趣旨を審査員に語っていたからだ。昨年から今年にかけては森ゆうこ議員の執拗な追及によって各種書類が明らかにされた。2度目の審査事件票に「切り貼り」が行われたのではないかという指摘もある。疑惑はさらに深まっている。私は法務委員会の質疑でさらにこの問題を取り上げていく。制度上何が問題なのか。それは検察審査会の構成、議事内容などの不透明さはもとより、そもそも「嫌疑不十分」なケースまで「強制起訴」できる仕組みである。「週刊朝日」(2月4日号)は「小沢強制起訴やっぱりヘンだ!」という特集を組んだ。そこでは「事件」の重要証拠の信憑性が疑われているため、議決の根拠が崩れる可能性があることが明らかにされた。この特集のなかでは、強制起訴権限の制度設計にも携わった高井康行元特捜部検事・弁護士が〈「嫌疑不十分」の事件は強制起訴から外すべきだ〉と主張している。高井さんは「証拠があり有罪はほぼ間違いないが、情状などを勘案して不起訴とした」起訴猶予に対して「嫌疑不十分」についてこう語っている。「嫌疑不十分というのは、検察官が証拠を精査した上で『証拠が足りない』と判断したもの。検察官がそう判断したものを、プロでない審査員が証拠を精査しないで有罪だというのは不合理でしょう」。検察が1年以上も捜査をしたうえで2度も不起訴処分にした小沢ケースは、新しい証拠もないもとで、いくら強制起訴されても無罪になることは確実である。しかし頑迷固陋あるいは「小沢憎し」の本音を理屈で隠して権力闘争に利用する姑息な政治家たちは、詳しい事情を伝えない既成マスコミに影響された「世論」なる不確実な実体に依拠している。「酒を飲めば8割は小沢さんの悪口ばかり」の政治家が、小沢排除の急先鋒なのである。
http://saeaki.blog.ocn.ne.jp/arita/2011/01/post_27d0.html
(佐藤裕一による転載貼り付け終わり)
(佐藤裕一による転載貼り付け始め)
エジプトの騒乱を正確に報道しない日本
http://www.asyura2.com/11/senkyo106/msg/108.html
投稿者 月と星 日時 2011 年 1 月 31 日 09:04:07: vebXXayRfpINQ
前回投稿した「ジャスミン革命は日本で起きるか」という主張で提起したように、独裁体制にある官僚側とその宣伝機関であるマスコミは現在起きているエジプト、もっと大きく言えば中東全体の民衆の改革を叫ぶ行動を黙殺しようとしている。これらの報道に見られるものは単なる映像の提供だけで、専門家や知識人と言われる人々の議論は一切出てきていない。海外のマスメディアはほぼ24時間、この問題を詳細に分析し、議論して報道を続けている。
明らかに日本の権力側は「国民の覚醒」という事態を恐れているとしか思えない。過去から続く独裁体制で何も変わらないという国民の不満は、そのまま日本に当てはまる。我が国のエジプトの報道に見られるような、騒乱とか無秩序、治安の悪化は単なる副次的な問題にすぎない。本質は国民の権利の主張の爆発である。それから目を背かせるため、マスコミ報道は明らかに意図的に問題をそらせ、報道そのものを制限している。
この問題を議論すればするほど日本国民は自分たちの置かれている立場が、ある意味では同じ状態である事に気が付くはずである。小沢一郎の陸山会問題と言われているものの本質や、不当な冤罪の存在、それに関わる警察、検察、裁判所の腐敗、国民に対する情報開示なき予算の使われ方、増税と社会保障の問題、地方自治の在り方、等々のどれをとっても国民に対して満足な答えが提示されていない。その本質は、我が国が民主国家ではない「官僚社会主義」という国家形態である事実が隠されていた事にあるのだ。その存在や弊害が、今回のエジプトなどに見られる国民の覚醒という現象で明らかにされることを誰かが恐れている。
我々も覚醒しようではないか、そしてこの国が本当はどのような国であるかを多数の人々と機会あるごとに話し合うべきである。そうすることが結局、本当の意味の民主国家に変えるための近道につながるはずである。
(佐藤裕一による転載貼り付け終わり)