阿修羅掲示板から転載「ニュースの匠:私情が一番コワい=鳥越俊太郎」

会員番号4655 佐藤裕一 投稿日:2011/02/08 18:59

 菊地研一郎さんへ

 会員番号4655の佐藤裕一です。

 菊地さん、ツイッターで「早起き朝食抜きは非効率」といったことを呟かれていますけれども、私は結構自然体で実践出来ています。

 私は「朝食抜き」というよりも「朝か昼どっちか抜きと夕食」、つまり「一日二食」にするか、もしくは「朝昼両方抜きで夕食のみ」の「一日一食」のどちらかがいいです。無理せずその日の体調・食欲に合わせますが、「一日三食」以上どうしても食べたくて仕方ない感じの日はほとんどありません。

 もちろん「朝抜き二食」が一番の理想なのですが、早起きといっても朝4時前とかの早過ぎる時間帯に起きてしまった場合、あまりにお腹が空き過ぎていれば朝食を食べて「昼抜き二食」にしています。なるべく夕食に大食する機会も少なくしています。

 菊地さんが考える「非効率」は、夕食に結局沢山食べてしまって、予想以上に取り戻してしまうということでしょうか。それとも効率ということで単に金銭面のことなのか、空腹が気になって集中出来ないということでしょうか。

 菊地さんは今までの食生活習慣に体がなじみ過ぎているのでは。私は大学入学から中退してずっと乱れましたから、「一日二食」で平気なのかも。

 私はコーヒー党なので常時飲んでいるせいか(まぁこれが副作用というかカフェイン依存症)、それ程腹具合などは気にならないのです。間食は、ただのチョコなどはいいですが、口でとけないような固形物を食べると眠気(睡魔こそ大敵!)が来てしまうので、あまり食べないようにしています。貧乏なので買えないということもありますが。力仕事はしないので、きっと私の体に合っているのでしょう。無理せず健康的だと思っています。

 ただ……。先程「集中出来ない」ことについて書きましたが。残念ながら集中力は上がらないようです。これも私個人に限った体験の話です。というのも私の場合は、集中力が低いとか持続しないとかの話ではなく、元々、集中力自体が欠如しているのでは……という疑惑が、日に日に大きくなっているからです。

 眠気・睡魔に作業を妨害されなくなればされなくなるほど、意識がハッキリと明瞭であればあるほど、私に集中力が欠如していることが、それはもうハッキリと判明してきます。予め欠如しているものに上がるも下がるもありません。

 だから私にとって「集中力」とは、食事に左右されるどころではない、効率云々以前の問であるわけです。それはもう考えたくもない、戦慄すべき人生の致命的に重大な事態であり、克服課題です。

 以前にも書いたことがありますが、思い返すと生まれてから一度も、何事かに集中出来たためし、記憶がありません。これまで打ち込めるものが見付からなかったからだ、と思い込みたいのですけれども。まだまだ、人生の追い込まれ具合が足りないのだと自覚反省する次第です。……なんだか菊地さんに愚痴ってしまってすみませんでした。

 

菊地研一郎 KIKUTI , Ken (kenitirokikuti) on Twitter
http://twitter.com/kenitirokikuti

 

 それでは阿修羅掲示板から転載貼り付け致します。

 

(佐藤裕一による転載貼り付け始め)

ニュースの匠:私情が一番コワい=鳥越俊太郎
http://www.asyura2.com/11/senkyo106/msg/696.html
投稿者 pochi 日時 2011 年 2 月 07 日 12:31:23: gS5.4Dk4S0rxA

鳥越俊太郎 ニュースの匠
2011年2月7日

ニュースの匠:私情が一番コワい=鳥越俊太郎

 私が小沢一郎氏を当コラムで取り上げると、いわゆるジャーナリストと称する方々が次々と私の実名をあげて批判を展開する。よほど痛いところを突いてしまったのかもしれない。朝日社説子しかり。今回は私の大先輩、岩見隆夫氏(「サンデー毎日」1月30日号「サンデー時評」)です。

 私もそのコラムの見出しにならって「岩見隆夫さんは間違っている」というタイトルで反論してみます。岩見さんの論点は「『不起訴=虚構』はとんでもない短絡」という批判です。その論拠として検察内部に処分を巡って対立があったことや起訴論が検察内部にあったことを挙げる。しかし、内部に何があろうと<不起訴>という現実が法と証拠に基づく司法の最終結論であり、結論までのプロセスでいろいろ議論があったらしいという推論で小沢氏を黒く見せようとする立論は、私の恐れるファシズムへの道であります。

 岩見氏は戦争の体験をどう総括されているのか。<アカ>という言葉ですべての戦争反対論者を葬り去り、国民を戦争賛美者に駆り立てていった苦い経験。私たちメディアで働く者は、分かりやすい言葉で国民を雪だるまが坂道を転がり落ちるような状態にしてしまわないように心すべきである。私はいま、「政治とカネ」の言葉が国民を思考停止状態に陥らせていると判断するのであえて「言葉のファシズム」という表現を取らせていただいたのです。

 岩見さんは、鳥越の主張は「検察不信」が小沢擁護に直結しているという。私はそんな感情論からスタートしているのではない。「検察の現実」からスタートしているのです。

 あえて言わせてもらうと、岩見さんは「長年、政治記者として小沢という人物を観察してきた確信である」といい、法と証拠で論ずべきところに自分の “長年の確信”という私情をはさんできた。<オレの見てきた小沢なら今度も有罪に違いない>。こうした思い込みがコワいのです。

(佐藤裕一による転載貼り付け終わり)