近代日本文明ヴァイラス

会員番号4655 佐藤裕一 投稿日:2010/11/01 09:15

 会員番号4655の佐藤裕一です。

 ● 『文明の生態史観』読書感想

 故・今西錦司の『生物の世界 ほか』(今西錦司著、中央公論新社刊、2002年6日10日発行)と故・梅棹忠夫の『文明の生態史観 ほか』(梅棹忠夫著、中央公論新社刊、2002年11月10日発行)を読み終わった段階で、自分なりの意見を書き込もうと考えていたが、既に何年も前にここの旧・ふじむら掲示板において優れた見解や解説が幾つも示されていた。旧・ふじむら掲示板で「今西錦司」「梅棹忠夫」などの単語でワード検索をかければ詳しく出てくるので、あらためてここに転載はしない。

 私は今西、梅棹両氏の著書を1冊ずつ読んだだけなので、その道の専門家でもなんでもないし、単なる読後感想文程度に留めることにする。

 個人的な好き嫌いをいうと、私は今西錦司の本の方が好きだ。本を通しての感覚だが、おそらく人物・学者としても今西に好感を抱いた。話の分かり易さにおいては圧倒的に梅棹に軍配が上がる。学説が正しいかどうかは別として。

 学問業績については、比べてみても仕方ないことだろう。というのは両氏ともに人類学者であるが、同時に生態学その他各関連領域に精通しており単純ではなく、簡単には比較出来ない部分が多い。著書についても同様であり、主題からして重なる部分がないわけではないが、特徴も方向性もかなり異なってくるのは当然である。

 この投稿では梅棹から。その主著『文明の生態史観』についての感想を書くが、色々な意味で「なるほど」と思った。読み進めていくと、梅棹の独自性、学説の斬新さ、その本領発揮である比較文明論展開の鮮やかさに爽快感が溢れ出てくる。ここまでくると本当に文化人類学者というよりも「文明学者」と称されるのに相応しい。日本知識人批判の部分も面白かった。

 人によっては、読む前と読んだ後とでは、文明観や世界観がすっかり変わってしまう程の影響力があるだろう。私のように心構えが猜疑心・懐疑心・警戒心の塊のような人間でさえ、いたく感心してしまった程なのだから。確かにただ者ではないし、凡百の学説ではなく非凡だ。第一地域と第二地域の分類も見事なまでの説得力だ。

文明の生態史観 – wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/文明の生態史観

 そして見事に「近代日本文明ヴァイラス」の感染源の1つとなり、日本国中に撒き散らして伝播・大流行・発症するのに大いに貢献したのだろう。特に生来感染しやすい体質の日本知識人や言論人にとっては、大学者のお墨付きがほしい。

 梅棹の『日本とは何か-近代日本文明の形成と発展』『日本語と日本文明』『近代世界における日本文明-比較文明序説』『日本文明77の鍵』という一連の著作群となっていくわけだ。「日本文明」の連発、洪水、大氾濫である。「近代日本文明ヴァイラス」の直接の感染経路が、梅原である人は当時多かっただろう。

 だが「近代日本文明ヴァイラス」が全て梅棹の責任に帰すというのは当たらないだろう。彼一人が蔓延の元凶というわけではない。ウィキペディアの「日本文明」の項目で日本文明関係の参考文献が沢山掲載されている。

日本文明 – wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/日本文明

 ● 外国人学者による「日本文明」

 まぁ他にも探せば有象無象にあるだろうが、挙げられているうちでは私はサミュエル・P・ハンティントンの『文明の衝突』しか読んだことがないし、読む気も起きない。先生によれば正しくは『(諸)文明(間)の衝突』(The Clash of Civilizations)だということだ。この中で影響力というか、日本知識人の心の拠り所として最重要なのも、欧米人の大学者であるハンティントンであろう。

 まぁハンティントンにとってはどうでもよかったのだろうが、深く考えもせずに日本を「孤立文明」だとする最悪の置き土産を残していった。これですっかり公認された感じになってしまった。

 前述のウィキペディア「日本文明」の項目ではハンティントンの他にカール・ヤスパース、アルフレッド・ヴェーバー、フィリプ・バグビー(九大文明と判断し、中国と日本、東方正教会と西欧を分類するなら11)、マシュー・メルコ(日本、中国、インド、イスラム、西欧と分類)、アーノルド・J・トインビーらが紹介されている。

 オスヴァルト・シュペングラー以来、日本は「一国一文明」説だとする文章もネット上でちらほら見受けられた。本当かどうか知らないが。他にもエドワード・W・サイードとか、色んなことを言ったり主張したりする外人学者がいるわけだ。

 歴史学者のアーノルド・J・トインビーは若泉敬や池田大作などと共著があり、梅棹にも刺激を与えている。トインビーによれば日本は「衛星文明」(satellite civilization)であり、中国の「独立文明」(independent civilization)からの派生として分類されるという。「中心文明」「大文明」とその派生である「周辺文明」「小文明」という捉え方でもいいだろう。

 トインビーの「独立文明」と、ハンティントンの日本が「孤立文明」などという、つまらない概念を一緒にしてはいけない。島国に孤立して発生する文明など本当に有り得るのか。大陸以外の、島で発祥した文明という例はあるのか?

 どうやら、外国人学者の学説において「日本文明」が言及されることは全く一切皆無、ということでもないらしい。ごくたまにオマケ程度で述べられることもある、くらいの認識が実際のところなんじゃないだろうか。

 ● 世界基準と国内基準

 世間受けを狙って珍奇なことを言ったりして一世を風靡したり、いい加減な言論商売をしているのもいるということを注意しなければらなない。これは日本人の専売特許というわけでもない。学問、学説、学者につきものの、負の側面である。

 それは何も珍説に限らず、欧米白人の大学者だからとて同じであって鵜呑みにしてはならない。日本人が気をつけなければならないのは、彼等自身いかに先人によって既に確立された旧説を打ち倒して、新しく規定される学説として打ち立てるか、その学問業績が評価され学者として死後も後々まで名を残せるか、そういうことを四六時中苛まれながら学問研究に取り組んでいる人種がいる、ということを理解しておかなければいけない。

 だから大学者であっても、既存の枠組みを完全に理解把握した上で、新語(造語)を試しに使ってみたり、新説やら珍説を観測気球として繰り出したりすることもあろう。もちろん慎重に試行錯誤の上でということが多いだろうが、電撃的に発表したりすることもあるだろう。真の大学者ともなれば巨大なところで勝負をかけるのだ。だから間違う際にも盛大に間違うことがある。後世の判定を待たねば分からないこともある。
 
 欧米白人の大学者が多少「日本文明」と書いたことがあるからといって、それが世界基準の通常認識や用語だから採用しようという考え違いをするのは早とちりであろう。ドドンとデカいことや新しい自説を展開したりする大学者よりも、むしろ堅実な欧米の中堅学者や世界の知識人の方が、きっと普通のものの考え方を率直に日本人にも教えてくれると思う。

 同様に理解の補助線として参考までに言及するのだが、先生や中田安彦さんが熱心に「ポピュリズム」という言葉の正しい意味や使い方を伝えようとしている。こっちは誤訳訂正運動の一環であるが、国内基準の「大衆迎合主義」(この日本語自体が罠じゃないのか)とするのは誤訳であり、日本語に適切に訳すとすれば「人民主義」とでもなるわけだ。

 しかしながら、世界でも「ポピュリズム」をワザと曲解したり、危険だと喧伝したり(誰にとって危険なのやら)、悪い意味に転じさせようとする勢力がいるだろう。それならそれでおおもとの理解をした上で、反対解釈もあるよ、と紹介すればいいのであって、反対解釈や捻じ曲げ解釈、偏った少数意見などを本義にすり替えても日本人の思考が混濁するだけであり、百害あって一理なしである。

 まず第一には通常の世界基準で通用する言葉を正しく理解し身につけることが大切だということだ。私も言葉使用の判定をかけるようになってきた。そろそろ日本語もそういう時期にさしかかってきたと思う。

 ● 猿のプラネタリウム

 前出のトインビーの「衛星文明」で思ったのだが、余談というか余計な話をすると、小松左京の『日本沈没』のパロディ作品で、筒井康隆の『日本以外全部沈没』という短編小説があるのを本屋で見かけたことがある。どちらも私は実際には読んだ事がないので詳しくは知らないが、題名を見れば内容は誰にでも見当はつくだろう。

 両方ともに分かりやすくてインパクトのあるタイトルである。日本人の潜在的な願望というか、口には出さないが現実になったら面白いだろうなと、読者に思わせられる部分がある。

 それで『日本以外全部沈没』であるが、もし地球が全人類にとってそんな状態になったと想像する。もちろん生き残っているのは日本人が最大多数であり、日本在住の外国人(もう外国は滅びたのだから難民か)を圧倒している。

 そうなってしまえば、「日本文明」という言葉を捏造しても許されるであろう。公言して憚らなくても問題ないどころか、生き残っている日本人の歴史家と歴史学者の多数派によって追認されるし、それどころか積極的に肯定されていくであろう。当然視される。

 その世界では当然に日本人の価値観と行動様式が支配するのであるから、言葉についても同様であり公認されるだろう。もちろん例えそんな事態になったとしても、日本人がはじめに文明を興したわけでも何でもないのだが、自己肯定と歴史の改竄、美化の作業が行われる。そうなれば本当に地球が『猿の惑星』になるわけだ。トインビーの「衛星文明」がここに重なってくる。

 先生は、映画『猿の惑星』とは日本のことであると解き明かしましたが、『日本以外全部沈没』的状況にならない以上、現実の日本人にとっては地球支配権は手に入らないし、いくら日本が世界だと現実と切り離して思い込んでみたところで、日本は惑星の表面の一部に過ぎない。

 だから日本は『猿の惑星』どころか「猿のプラネタリウム」だ。プラネタリウムの星空を見上げて、この宇宙空間の中で自分達が文明を興して、支配していると思い込んでいる。プラネタリウムの外側では中国とアメリカが仕切っているわけだが、内側からは遮られてしまって、管理者以外は外が見えない仕組みになっている。

 ● 「エジプト文明」は存在しない?

「近代日本文明」と言われても、日本人は何の違和感を感じないまでに定着している。私も先生の本を読まなければそうだった。問題は大きく「近代」(modern)と「文明」(civilizaiton)の2つに分かれるが、「近代」については今回は触れない。

 私が小学校以来習ってきたところでは、文明というのは4つあって、それが「世界四大文明」である、というものだ。

 それはウィキペディアに書いてあるように「メソポタミア文明(チグリス・ユーフラテス川)」「エジプト文明(ナイル河)」「インダス文明(インダス川)」「黄河文明(黄河)」の4つであり、それぞれ大河川付近の地域で発生した、というものである。

 そもそも「文明」という言葉の定義からして明確にあるのかどうかすらよく分からないし、日本語の「文明」が英語の(civilizaiton)と正確に対応しているかどうかも分からない。

文明 – wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/文明

世界四大文明 – wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/世界四大文明

 ところが私が色々な本を読んでいると困惑するのだが、「世界四大文明」で言及される中で「西洋・ヨーロッパ文明」とか「白人・キリスト教文明」、「地中海文明」、「ギリシャ・ローマ文明」などといった記述によく出会う。

 かわりに外されているのは決まって「エジプト文明」である。

 シュメールからの世界最古の「メソポタミア文明」を外すわけにはいかないし、インドと中国はメソポタミアからだいぶ離れている。メソポタミアに影響を受けているにしてもそれぞれ明らかに際立って異質な特徴があり、存立に疑いを容れない。

 翻ってエジプトは現在のイラクと距離も近いし砂漠ばかりで、スエズを挟んでいるといってもたいしたことはない。当時の遊牧民でも軍隊でも十分行き来出来る。「エジプト文明」というのは「メソポタミア文明」から派生した亜種に過ぎないのではないか、という疑問があるらしい。外すとすればエジプトだ(まぁ地中海に面してはいるが)。

 エジプトでよく分からないのはピラミッドだ。

 といってもスフィンクスとか、一生懸命マネしたのであろうボロくていっぱいあるピラミッドもどき群はどうでもいいのだが、クフ王、カフラー王、メンカウラー王の墓(ほんとかよ)とされる壮大なギザの三大ピラミッドがあるから、オリオン座の位置が当てはまるとかいろんな話があるが、あの意味不明さと謎に惑わされていけない。大ピラミッドを建造するために周辺一帯が砂漠化したという説もあるが、本当なのかどうか。

 ちょっと前にフランスの建築家のジャン・ピエール・フーディンという人が、大ピラミッドが論理的に造れることを発表して、内側から外側に向かって作る建築方法という画期的な新設ということで話題になった。

 一体全体、なにゆえ人類史上最高の学問と世界最新の設計技術を持つ現代人が考えに考え抜いてやっと考えつくような方法を古代人が実践して成功したというのか、いまだに納得いく説明を聞けた試しがないが、それは仕方がない。

 何しろ実際にその手順通りだったかどうか、大ピラミッドを解体出来ないので完全には証明のしようがないから、あくまで説得力のある仮説の1つにとどまるしかない。壁の向こう側に行けないのだから。物理的な壁だけでなく、政治的な壁もある。

 神武天皇陵(うそこけ)や始皇帝陵(水銀だらけ?)と同じで、宗教や遺跡保護の観点で政府が進入や解体を許可しないため、制約や限定がきつ過ぎて考古学調査が遅々としか進まないからだ。一度バラしてしまえば後で修復しても完全には元に戻らない。爆破衝動や発破解体願望に駆られる考古学者は結構いると思う。壊せばいいんだ、権威と一緒に。

 とっても大ピラミッドの場合はエジプトの象徴だからエジプト人の国民感情が破壊を到底許さないが、日本の古墳や陵墓なんかは日本の国民感情に抵抗はほとんどないと思う。木っ端役人とつまらん保守派文化人くらいだろう反抗するのは。偉大だなんてとサラサラ思わないし、尊敬崇拝の念を感じないどころか、普段から意識にのぼらないしイメージすらあまり湧かない。どこそこにあるという論争にも興味がない。漠然と前方後円墳の鍵穴を思い浮かべるだけである。それが平均的な日本人の感覚だろう。青森県のキリストの墓と一緒に全部発掘調査したらどうだ。歴史的に日本人は良くも悪くも、建築物や建造物の偉大さに対する執着が薄いし精神的依存度が薄い。その実そんな対象になるシロモノが無いからだと思う。

 しかしながら、何も私は日本だけを殊更にこき下ろしたいわけではない。日本は伝統的に木造建築が主だったから時間が経過すると腐敗してしまうし、原形を留めて長期間保存するのが難しかったからそういった考えが生まれにくかったのだ……と、一応言い訳を書いておく。何も過去の遺物でなければ価値が低いというわけではあるまい。これからだって造ればいいのだから。

 現在のエジプト人達が、大ピラミッドを誇りに抱き、造ったのが自分達の偉大な祖先である古代王朝だと信じたい気持ちは分かるが、私はかなり怪しいと思う。むしろ大ピラミッドが何らかの理由で先にあって、後から来てその壮大さを崇拝したファラオや神官、人民達が集って王朝を建設したのではないか。

 是非、手段を選ばずに謎を解明してほしい、けど外国人だから何も要求する権利や資格はないが。なんにせよ大ピラミッドがあるからといって、果たして「エジプト文明」があったということには直結しないだろう。しかし「日本文明」があるくらいだったら「エジプト文明」もあるだろう。

 ● 新世界の「古代文明」

 ところで私は「文明」やピラミッドの話題になると、子供の頃にファミコン移植版の『太陽の神殿 ~ASTEKA II~』(開発は日本ファルコム)という、現代の設定のはずなのに異様にシュールでやたら難解なソフトが大好きで遊んでいたことをなつかしく思い出す。多分だが不人気ソフトの部類に入ると思う。

「メソアメリカ文明」の1つで、中米で最後期の「アステカ文明」がサブタイトルに用いられているが、雰囲気でつけたんじゃなかろうか。舞台はユカタン半島のチチェン・イッツァの遺跡なので、世界的にも有名な「マヤ文明」の遺跡群の1つだと思うのだが。アステカ王国は南米の「アンデス文明」最後のインカ帝国共々、スペインの侵略によって征服されことごとく滅ぼされた。その所業許すまじ。

チチェン・イッツァ – wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/チチェン=イッツァ

 子供時代の思い出深いゲームソフトの影響からか、私にとってはエジプトの大ピラミッドなどよりも、チチェン・イッツァの方がよっぽど古代のロマンと魅力を感じるし、行ってみたい。ウィキペディアの項目「チチェン・イッツァ」に写真が載っているカスティーヨというのが一番見事な形で残っているピラミッドであるが、私としては戦士の神殿という遺跡がかっこ良くて好きだ。ちょっと生け贄の習俗ばかりは受け入れ難いのだが。

 それで私は昔から「世界四大文明」に漠然とした疑問を抱いていた。「マヤ文明」どうするの? ということである。はじめから「世界四大文明」は新大陸を除外して考えられているわけだ。梁啓超という人が最初に唱えたらしい。

 もはや「世界四大文明」なんていうものは、現在ではほぼ学説として否定された仮説であったに過ぎない、という文章をよく見かける。確かにヨーロッパ世界をエジプト文明の後継と見るのはいかにも無理があるか。

 そもそも「文明」を無理に一定の数で括ろうとすること自体が無意味ということになるだろうか。「●大文明」に入る数が変わっているのを見掛けるたびにそう感じる。アーノルド・J・トインビーは26もの文明を識別するそうで、それだけあれば「日本文明」もエントリー出来るだろうと思った。

 ● 「日本文明」は言葉として間違いであり、尚且つ日本は文明国である

 先生が学問道場や著書でも繰り返し×「日本文明」(Japanese civilizaiton)(ジャパニーズ・シヴィライゼイション)という言葉など、世界では通用しないということをおっしゃっています。この断定に反感を抱き反発する人は多い。

 この日本国は文明国ではなく、野蛮国か未開国なのか? 日本人は文明人ではなく、野蛮人か未開人だというのか?

 そんなことはない。日本国は文明国であり、日本人は文明人である。日本国が文明国であることと、「日本文明」という言葉が間違っていることは、矛盾しない。

 それはこの「●●文明」という言葉には、「発祥」や「起源」という言葉が隠れているからだ。

「世界四大文明」を例にすれば「メソポタミア(において発祥した)文明」「エジプト(で発祥したとされる)文明」「インダス(を起源とする)文明」「黄河(が起源である)文明」である。

 このように「●●文明」の●●の部分は地名だったり大河川だったりするが、これは表現の仕方の違いで使い分けがあって、例えば「中華文明」と言えば「黄河文明」より古いと言われる「長江(揚子江)文明」も含めた用法だろう。文明が繁栄、発展してくるに連れて影響圏も次第に広がってくるため、河川周辺に限定した言い方だとしっくりこないことがあるからだ。

 だから「日本文明」が無いというのは、「日本(で発祥した)文明」「日本(を起源とする)文明」が無い、ということである。

 もし単に、既に文明がもたらされている地である、という意味で用いるのであれば「日本文明」は正しいだろう。だがそれでは言葉自体の存在意義がない。今現在の地球上に、進んでいるにせよ遅れているにせよ、文明化の波が訪れていない地域など皆無に等しいのだから。国の数だけ「●●文明」が出来てしまう。

「日本文明」がなかったところで、日本が現在も未だに未開の地であるとか野蛮人の地だということではない。日本は「中華文明」の影響を受けて既に「文明化」(civilized)された土地である。「教化」されたとも言っても同じだ。明治維新と敗戦で「西洋文明」の教化も受けた。

 現代日本人は「西洋文明」の影響を完全に受けいれている。影響を認めることに何の抵抗もない。何故ならばマシュー・カルブレイス・ペリーの黒船来航以来、もっと前に遡ったとしてもせいぜい種子島の鉄砲伝来(日本発見)やフランシスコ・ザビエル来日の辺り以来のものであって、それ以前に「日本文明」が成立していたことと衝突しないからだ。

 それが「中華文明」の影響となると事情が異なる。「日本文明」概念と真っ向から衝突することとなる。ここを指摘されるのが嫌だし、感情的に許せないから意地でも「日本文明」で通すことになる。これは日本人の伝統であり防衛本能であり遺伝子でもある。実質的な日本建国の時点で、天皇と神話を作って、日本列島に立て篭もり戦略で大陸に自己主張して対抗したからで、これを今現在でも引き摺っているのだ。このことを岡田英弘先生の学説として副島先生も支持されている。

 ● 岡田英弘先生の「対抗文明」(counter-civilization)(カウンター・シヴィライゼイション)について

 ところで、副島先生の読者でありかつ歴史に興味がある読書人階級の人間であれば気付くことだが、世界基準の歴史学者である岡田英弘先生は「日本文明」という言葉を使う。それで少し混乱してしまう人もいると思うのだが、岡田先生の場合はそこらの「日本文明」派とは言葉の使い方が違うのだ。

 参考までに岡田先生の著書『日本人のための歴史学 こうして世界史は創られた!』から言及箇所を一部引用させて頂きます。読み易いように段落ごとに改行します。ルビは省きます。

 

(佐藤裕一による引用始め)

『ヒストリアイ』と『史記』と『日本書紀』
――歴史はここに始まった

 歴史とは何か

『史記』に始まる中国人の歴史観を論じる前に、先ず一般に、歴史とは何かというところから話を始めよう。

 歴史というものは、単なる「過去に起こった事実の集積」ではないし、また「事実の忠実な記録」でもない。定義すれば、歴史は「人間の住む世界を、時間と空間の両方の軸に沿って、それも一個人が直接体験できる範囲を超えた尺度で、把握し、解釈し、理解し、説明し、叙述する営みのことである。」(岡田英弘著『世界史の誕生』ちくま文庫、三二頁)

 人間の住む世界は、無数の偶発事件から成り立っていて秩序はなく、そのままでは理解しがたい。この無秩序な世界に構造を与えて理解しやすくする解釈が、歴史である。言い換えれば、歴史は言葉であり、決して、外界に存在する実体ではなく、何かの事件が起こった時に成立するものでもない。歴史を創るのは、英雄でも人民でもなく、歴史家である。歴史家が文字を使って世界を記述した時に、歴史が創り出されるのである。その意味で、歴史は思想であり、文化の一種である。

 しかもこの歴史という文化は、世界のあらゆる文明に普遍的に存在する文化ではない。文明には、歴史のある文明と、もともと歴史を持てない、歴史のない文明の二種類がある。歴史のある文明の中でも、自生の歴史文化を持つ文明は、世界に二つしかない。一つは地中海文明であり、もう一つは中国文明である。それ以外の歴史のある文明は、対立する他の文明から歴史という文化を二次的にコピーした、対抗文明 counter-civilization (岡田の造語)である。

(中略)

 こうした地中海文明の歴史の枠組みは、その後、対抗文明であるイスラム文明に借用され、さらにイスラム文明の対抗文明である西ヨーロッパ文明が、イスラム文明から歴史の枠組みを借用して、その上で自分を地中海文明の直系の後継者と主張した。西ヨーロッパ文明の系列に属するフランシス・フクヤマが、米ソの対立・抗争そのものが歴史であり、ソ連の滅亡による東西対立の解消が「歴史の終焉」であると見なすのは、まったくヘーロドトスと「ヨハネの黙示録」以来の地中海文明の歴史観である。
(中略)

 日本人の歴史観

 ヘーロドトスに始まる地中海=西ヨーロッパ型の歴史は、日本に輸入されて変形を受け、いわゆる「西洋史」の原型となった。司馬遷に始まる中国型の歴史は、日本のいわゆる「東洋史」の原型である。もともと枠組みが違うから、「西洋史」と「東洋史」をつきまぜても、一本の世界史にはならない。「日本史」に至っては、「東洋史」とすら無縁だが、これは日本最初の歴史『日本書紀』が創り出した、中国型ながら独特の枠組みのせいである。

 日本の建国は六六八年、天智天皇が近江の京で即位して、最初の天皇となった時であった。それ以前には日本は存在せず、日本史はまだ始まっていない。日本列島の住民が記録に登場するのは、紀元前一〇八年、前漢の武帝が朝鮮王国を併合して、韓半島を直轄領とした後である。五七年、後漢の光武帝が博多の倭人の酋長を「漢委奴国王」に封じて、初めて倭王が出現したが、倭王は中国皇帝の公認を経てなるものであり、二三九年の「親魏倭王」卑弥呼も同様であった。三〇四年に起こった五胡十六国の乱で中国皇帝が消滅した後、三六九年に百済王国の公認を経て、仁徳天皇が難波で倭王となった。これが畿内の倭国の起源である。しかし倭国の王権は、日本列島を統合したことはなかった。六六〇年、唐・新羅の連合軍が百済を滅ぼし、倭国の援軍も六六三年、白村江の海戦で壊滅した。中国による侵略の危機に対抗して、日本列島の多くの種族は天智天皇を中心として結集し、日本を建国したのである。

 建国の動機が中国の侵略に対する自衛運動だったから、天智天皇の弟の天武天皇が命じて編纂が始まった『日本書紀』も、対抗文明の歴史らしく、『史記』に始まる「正史」の枠組みを全面的に採用しながら、中国からの影響を完全に否認している。日本建国の年代を、百済の滅亡の翌年六六一年辛酉(「辛酉革命」)から一千三百二十年前の紀元前六六〇年辛酉に置き、日本列島はその時以来、常に天皇のもとに統合されていたとする。一千三百二十年は、後漢の鄭玄の理論では文明の一サイクルの長さである。『日本書紀』がこのサイクルを採用したのは、『史記』の、黄帝に始まり紀元前一〇四年に終わるサイクルという、中国史の枠組みの換骨奪胎である。しかも仮想の日本建国者・神武天皇から、皇統は万世一系で『日本書紀』編纂当時の天智天皇・天武天皇兄弟までつながるとしている。これは「正統」の日本版である。

 このように、『日本書紀』は、構造は中国型だが、記述の目的は、中国史とはあい容れない、日本独自の「正統」を主張することである。日本が建国以来千二百年、ついに中国と正式の国交を持たず、明治の開国まで鎖国を貫き通したのは、『日本書紀』が創った日本文明のアイデンティティが反中国を性格とするものだったからである。『日本書紀』の枠組みを継承した「日本史」が、「東洋史」とも「西洋史」ともなじまないのは当然である。

 司馬遷の『史記』は、『日本書紀』の枠組みを通して、日本文明の独自性という形で、現代日本人のアイデンティティに影響を与え続けているのである。

(佐藤裕一による引用終わり)(『日本人のための歴史学 こうして世界史は創られた!』岡田英弘著、ワック出版刊、2007年5月24日初版発行、37、38、44、48~50頁)

 

 ● 「対抗文明」と「対抗文化」

 このように「対抗文明」は岡田先生の造語であり、「自生の歴史文化を持つ文明」と「本来歴史のない文明」の間にあって「対立する他の文明から歴史という文化を二次的にコピーした対抗文明」という歴史学の観点から見た用語である。「日本文明」は「中国文明」に対抗して後からつくった、ということであって、古代のことに理解が限定されてしまいがちな「文明」概念に、時間軸を導入して正しく把握している、ということだ。誰か岡田先生に対抗出来る学者はいるのか。

「対抗文明」は、前述のアーノルド・J・トインビーの「衛星文明」とも近い。影響圏から抜け出せ切れない、という意味においては「衛星文明」は実情を示していて上手いといえば上手い。

 だがやはり「対抗文明」の方が概念として上だろう。それは「対抗文明」には伝染元の文明に対して、自己主張と反感・反発・対抗意識がある、という点を見事に表現していて優れているからだ。それで自作・自前の歴史と文明を創ろうとする先人達の涙ぐましい努力があるわけだ。

 日本人はそれほどまでに中国の文明圏に属するということ自体が嫌なのである。朝鮮半島の檀君神話を作るのと同じだが、日本は民族神話を作って信じ込むというか思い込み、しかも作った経緯自体をも忘れるということにかなり成功してしまった。これで喉元過ぎれば忘れっぽいという国民性が出来上がっていったのだろう。

 このように日本の場合、神話『日本書紀』を作って、はじめから「中国文明」に属していないことに、してしまった。建前上。なのに中華文明圏から脱け出そうと知識人や学者がもがいている。脱け出そうと努力しているということは、つまり日本は中国文明圏内にいるということなのである。今更、遡り民族神話を新たに捏造したところで状況は変わらない。

 今でも世界では文明ごとにそう規定されると副島先生が言っていることの意味を考えるが、かなり難しい。世界が「西洋文明」に席巻されて統一の「世界文明」が出来るかと思ったのだが。

 私としては、「対抗文明」としての「日本文明」という用語法であっても、現在のところは賛成出来ない。いちいち「私がここでいう日本文明とはあくまで対抗文明としての現代日本人の対抗意識を表現する意味合いで使用しているのであって云々」などと、とてもじゃないが煩わしくて断っていられないし、「日本対抗文明」などという言葉を使うのも変な違和感がある。「日本衛星文明」ではあまりに自虐的過ぎる。「対抗文明」概念は重要だが「日本文明」は使わない、というのが現時点での私の判断である。

 とにかくあまりに奇異なのだ「日本文明」では。中国と日本、文明は同じだけど文化は違う、それでいいじゃないのということだ。文明が共通だからといって国も同じでなければならないという道理はない。文明は文明、国は国である。どうしても中国に吸収合併されるという恐怖や自衛本能が働くのだろう。

 それで岡田先生以外の大多数の「日本文明」派では、「起源」「発祥」までは言わないにしても、「単一」「固有」「独自」といった言葉を主張する場合も出てくる。いまいち「日本文明」の出自に自信が持てないものだから、こういう単語が頻出するようになる。

「日本(固有の)文明」「日本(独自の)文明」というわけだ。これはもちろん、副島先生によって既に「日本文化」(Japanese culture)(ジャパニーズ・カルチャー)のことであると何度も確認されている。日本にあるのはその実「対抗文化」、カウンター・カルチャーだ。意識面だけでは「対抗文明」なのだが。

 まずもって「固有」とか「独自」などという表現がなされるに相応しい言葉といえば「文化」であって、「文明」は歴史観を除けばそういう表現を必要としない。「固有の文明」とか「独自の文明」とか言ってみても仕方ない。

 だいたい日本列島を起源として発祥した単一で固有で独自の文明があるのならば、何故自分達だけで創り出した文字が無いのだ。現に普段使っている文字は「漢字」、つまり中国語の輸入拝借であって、ひらがなもカタカナも漢字を参考に崩して作ったものである。外の世界から見たらそうとしか見えまい。最初に漢字を作ったのは実は日本人であるという主張もあるらしいがお好きにどうぞと言うしかない。

 ……文明の話になるとどうしても歴史の話になるし、岡田先生を抜きにしての議論など成り立たないので引用したのだが、本格的に岡田先生の話を採り上げると全編そればっかりになってしまうので、このくらいにしておく。梅棹の『文明の生態史観』の読書感想文のつもりが、岡田先生の話に逸れてしまった。

 結論。

 日本で発祥したのは「日本文明」ではなく、「近代日本文明ヴァイラス」に感染してしまって、ありもしない「近代日本文明病」が発症しただけの話である。