百年の功徳

会員番号4655 佐藤裕一 投稿日:2011/01/31 22:01

 会員番号4655の佐藤裕一です。

 李さん、アマゾンのカスタマーレビュー消失と復旧の件ですが、「アマゾン」「レビュー」「削除」「消える」などでキーワード検索すると、結構あることのようです。私はネット通販利用を頑なに拒んでいますので(しかし、もう限界にきてるか)事情に疎く、勝手に復活した仕組みはよく分かりません。本投稿時点でも元通りのままのようで、良かったです。

 

異端医師の独り言
http://blog.livedoor.jp/leeshounann/

Amazon.co.jp: 癌患者を救いたい―PSA検診のウソ 李 漢栄 本
http://www.amazon.co.jp/dp/4901609297

 

 それでは以下、本文は基本「だ・である」口調の文体でいきます。

 

 書き込むタイミングを外してしまったのだが、1911年1月24日に幸徳秋水らが大逆事件で一斉に刑死してから(荒畑寒村と離婚した管野スガは翌25日処刑)、今年2011年で、まるまる100年が経ったことになる。

 私は幸徳本人の経歴や思想、大逆事件と検挙の背景、裁判の経緯などについて詳しくないが、ほとんどが濡れ衣・冤罪であり、しかも国策遂行の元に弾圧され処刑されていったらしい。当時の松室致検事総長はリベラル派なんだと。ウィキペディアの「幸徳事件」を見ると「1967年7月5日 最高裁、再審請求を棄却」とあるから、今現在においても確定されている判決ということだろう。

 数人には何らかの関与があったのだという。それにしたって死刑にするほどのもんじゃないわ、そんなもの。平沼騏一郎さんよ。

「アナーキー・イン・ニッポン」というサイトがあって、幸徳の文章が掲載されている。無政府主義者の考えることだから愚かにして短絡・矯激なものかと思いきや、全然そんなことはない。文面を見てみれば確かに当時の言葉だから判りにくいところはあるものの、頭脳明晰で論理的に物事を考えることが出来る人が書いた文章であることは、現代日本人の水準と比較してみても明らかである。主義主張や思想の賛否は別問題で、素晴らしいものをいろんな箇所においてその文意から感じ取れる。

 その幸徳が書いた「大逆事件の陳弁書」を、上記サイトで今日はじめて読んだ。現代語訳文にしてあるものだと思う。一部を引用させて頂きます。読み易いように、段落ごとに改行致します。

 

幸徳秋水 1
http://www.ne.jp/asahi/anarchy/anarchy/data/koutoku01.html

(佐藤裕一による引用始め)

聴取書及び調書の杜撰

 私ども無政府主義者は平生今の法律裁判という制度が完全に人間を審判し得るとは信じないのでしたけれど、今回実地を見聞してさらに危険を感じました。私はただ自己の運命に満足する考えですから、この点についてもはや呶々したくはありませんが、ただ多数被告の利害に大なる関係があるようですから一応申上げたいと思います。

 第一、検事の聴取書なるものは、何と書いてあるか知れたものではありません。私は数十回検事の調べに会いましたが、初め二、三回は聴取書を読み聞かされましたけれど、その後は一切その場で聴取書を作ることもなければ、したがって読み聞かせるなどということもありません。その後予審廷においてときどき、検事の聴取書にはこう書いてあると言われたのを聞くと、ほとんど私の申立と違わぬはないのです。たいてい、検事がこうであろうといった言葉が、私の申立として記されてあるのです。多数の被告についてもみな同様であったろうと思います。そのときにおいて予審判事は聴取書と被告の申立と、いずれに重きを置くでしょうか。実に危険ではありませんか。

 また検事の調べ方についても、常にいわゆる「カマ」をかけるのと、議論で強いることが多いので、このカマを看破する力と、検事と議論を上下し得るだけの口弁を有するにあらざる以上は、たいてい検事の指示するとおりの申立をすることになると思われます。私はこの点について一々例証を挙げ得ますけれど、クダクダしいから申しません。ただ私の例をもって推すに、他のかかる場所になれない地方の青年などに対しては、ことにヒドかったろうと思われます。石巻良夫が、「愚童より宮下の計画を聞けり」との申立をなしたということのごときも、私も当時聞きまして、また愚童をおとしいれんがために奸策を設けたなと思いました。宮下が爆弾製造のことは、愚童、石巻の会見よりはるか後のことですから、そんな談話のあるはずがありません。このことのごときはあまりに明白ですぐ分りますけれど、巧みな「カマ」には何人もかかります。そして「アノ人がそう言えば、ソンナ話があったかも知れません」くらいの申立をすれば、すぐ「ソンナ話がありました」と確言したように記載されて、これがまた他の被告に対する責道具となるようです。こんな次第で、私は検事の聴取書なるものは、ほとんど検事の曲筆舞文、牽強付会ででき上がっているだろうと察します。一読しなければ分りませんが。

 私は予審判事の公平、周到なることを信じます。他の予審判事は知らず、少なくとも私が調べられました潮判事が公平、周到を期せられたことは明白で、私は判事の御調べにほとんど満足しています。

 けれど、いかに判事その人が公平、周到でも、今日の方法制度では完全な調書のできるはずはありません。第一、調書は速記でなく、一通り被告の陳述を聞いたあとで、判事の考えでこれを取捨して問答の文章を作るのですから、申立の大部分が脱することもあれば、言わない言葉が挿入されることもあります。ゆえに被告の言葉を直接聞いた予審判事には被告の心持がよく分っていても、調書の文字となって他人が見れば、その文字次第で大分解釈が違うてまいります。

 第二は、調書訂正の困難です。できた調書を書記が読み聞かせますけれども、長い調べで少しでも頭脳が疲労していれば、早口に読み行く言葉を聞き損じないだけがヤットのことで、少し違ったようだと思っても、咄嗟の間に判断がつきません。それを考えるうちに読声はドンドン進んで行く。何を読まれたか分らずにしまう。そんな次第で数か所十数か所の誤りがあっても、指摘して訂正し得るのは一か所くらいに過ぎないのです。それも文字のない者などは適当な文字が見つからぬ。「こう書いても同じではないか」と言われれば、争うことのできぬのが多かろうと思います。私なども一々添削するわけにもゆかず、大概ならと思ってそのままにした場合が多かったのです。

 第三には、私初め予審の調べに会ったことのない者は、予審は大体の下調べだと思って、さほど重要と感じない。ことに調書の一字、一句がほとんど法律条項の文字のように確定してしまうものと思わないで、いずれ公判があるのだからそのとき訂正すればよいくらいで、強いて争わずに捨ておくのが多いと思います。これは大きな誤りで、今日になって見れば、予審調書の文字ほど大切なものはないのですけれど、法律裁判のことにまったく素人なる多数の被告は、そう考えたろうと察します。こんな次第で予審調書もはなはだ杜撰なものができ上がっています。私は多少文字のことに慣れていてずいぶん訂正もさせました。けれど、それすら多少疲れているときは面倒になって、いずれ公判があるからというのでそのままにいたしたのです。いわんや多数の被告をやです。

 聴取書、調書を杜撰にしたということは、制度のためのみでなく、私どものかかることに無経験なるより生じた不注意の結果でもあるので、私自身は今に至ってその訂正を求めるとか、誤謬を申し立てるとかいうことはいたしませんが、どうかかの気の毒な多数の地方青年のために御含み置きを願いたいと存じます。

 以上、私の申し上げて御参考に供したい考えの大体です。なにぶん連日の公判で頭脳が疲れているために、思想が順序よくまとまりません。加うるに、火のない室で、指先が凍ってしまい、これまで書く中に筆を三度も取り落したくらいですから、ただ冗長になるばかりで、文章も拙く、書体も乱れて、さぞ御読みづらいでありましょう。どうか御諒恕を願います。

 とにかく右述べました中に、多少の取るべきあらば、さらにこれを判官、検事諸公の耳目に達したいと存じます。

(佐藤裕一による引用終わり)

 

 一読してこの文章の内容は、到底100年前のものだとは感ぜられないことが分かるだろう。今現在の検察に関することとして固有名詞を入れ替えたら、そのまま通用してしまうのではないか。これは悲劇だろうか喜劇だろうか。惨たらしい悲劇から100年経って何の進歩もない国というのは。

 検事にしても判事にしても、とんでもない恥知らずの上にバランス感覚の欠如した法匪連中だ。軽蔑しこそすれ尊敬する気持ちなど毛ほどもない。確かに旧憲法や下位法が時代錯誤の欠陥まみれであったという同情の余地はあるが、それを考慮しても軽蔑の念は到底払拭されない。誰かいるの? 旧憲法下の検事や判事どものうち、尊敬に値する人って。津田三蔵を死刑に処すのに反対した児島惟謙か。

 遅過ぎるとはいえ今からでも関係した検事と判事どもを、国民会議で不名誉決議を採択すべきだ。その上で幸徳らの名誉を回復を決議採択せよ。

 100年。

 それも、60年以上も前に、敗戦まで経ていての100年! いくら世の中ゆっくりとしか良くならないと分かってはいても、それにしても日本政治の歩みが遅過ぎはしないだろうか? 新憲法が施行されてからも、相変わらず法匪どもはのさばっている。

 これは遅きに失したどうこうの話ではない。マッカーサー元帥は去っても官僚制度はかなりの程度で温存された。内務省(無い無償と変換されてしまう)は分割され、解放軍は軍部支配から日本国民を解放したが、軍部を除く官僚支配から日本国民を解放はしなかった。

 占領軍は占領政策で官僚と共存した方が便利で近道だから妥協していった。今も現に属国管理共同運営の方針で大筋は妥協している。妥協は政治家の専売特許ではない。官僚は折り合いを付ける際に硬直的態度と柔軟な態度を、相手が強者と弱者の立場によって使い分ける弾力性を持っている。

 その弾力的な官僚主導政治が最近行き詰っている。官僚・役人と国民・政治家が、共存共栄(寄生)出来ない関係に入ってきている。20年かかって徐々に判明してきている。それでもまだ、政治主導にならない。

 この日本政治の体たらくを田中良紹氏のように「百年の孤独」※という、なんだか少しカッコイイ言い方をしてみてもいいが、これは取り残されてしまったという結果自体の表現である。原因は、高級官僚を後生ありがたがる「百年の功徳」という国民の習い性が、いまだに改まらないせいである。

 ※ちなみに私は高級焼酎「百年の孤独」を飲んだことはない。それからノーベル文学賞受賞者、ガブリエル・ガルシア=マルケスの長編小説『百年の孤独』を読んだことはない。以前に書店で1つあるのを見かけたのだが、購読するか迷っているうちに売れてしまったようだ。

 無論「百年の功徳」等と書いたところで、お受験エリート試験通過(日本版科挙官僚であり似非儒学の家産官僚)高級官僚なるものを恭しく崇め奉っても何の功徳も無い。戦後、一時期の愛国的通産官僚達が、企業群を導く形で高度経済成長を実現させた功績という例外的事例はあるが、成功すると同時に役目を終えてしまった。

 一日千秋のごとく「百年の功徳」を求めて、官僚達が難局的事態を打開することを待望して、搾取と増長と権限肥大化を強める高級官僚がより一層肥え太らせるだけの結果を招いていることに気付くが先か、新興カルト宗教団体の末端信者を馬鹿に出来た義理ではないことに気付くが先か。

 カルト宗教よりよっぽど古色蒼然たる日本の律令官僚教は一般大衆に支持され、明治維新で区切ってさえも、太政官政府と山縣有朋以来の歴史を誇るから、実際は140年近い。

 教祖の役職名は紆余曲折、時とともに変わっていったが、現代では法務事務次官と検事総長が共同教祖で、最高幹部は最高裁事務総長と次長検事以下検察首脳、警察庁長官以下警察首脳、財務事務次官、財務官、主計局長と主計官、後はいきなり離れたところで日銀総裁と幹部といったところか。地位と権力とに肥え太った現代の大僧正どもの姿を見よ。果たして国民政治家を引き摺り下ろすことに懸命になるのが公僕のあるべき姿なのか。

 政治が良くなれば国全体が良くなるので最終的に民にも良さが齎されるという、孔子と儒教の全体救済は素晴らしい。但し、官僚・役人を除いて理想の国が実現出来ればという前提条件付きであれば。

 さて、何故こうも変化が遅いのか。1つ目に国外環境要因があり2つ目に国内環境要因もある。それらは地球上、常にあるわけだから、そればかり気にしていても進歩がない。すると3つ目の阻害要因として、人そのものの考えがあげられる。なにしろ前近代人だから、考え方も前近代なのである。よって法意識や政治意識も前近代の段階にある。

 人々が正しく現状を認識し、更には意識が高まり、変化し、新たになっていてすら、実際の目に見える変化は急激にではなく漸進的に訪れる場合が多い。人々が誤って現状を認識し、更には意識が低いまま、変わらず、旧ければなおのこと、変化は緩慢としている。

 それどころか緩慢であればまだいい方で、往々にして停滞することもあり、最悪の場合は逆戻りすることもある。それは人々が現状誤認を続け、旧態依然とした意識のまま、流れに身を任せ続けるからであろう。改革・前進の潮目が変われば反動・後戻りの流れに流される。

 国民政治家であり政治指導者だけが確固不抜の信念を持ち、不撓不屈の精神を持っていても、肝心の国民が断固として後押ししなければ、どのような変革も成功は覚束ない。

 たとえ政治信条や理念、支持政党は違っても、政策に反対であっても、国民政治指導者を冤罪によって投獄しようとしたり、官僚支配の力を借りたり、検察や検審の策謀に乗ったりしてはいけない。政敵であっても政治家は国民の代表なのである。

 全野党よ。勝利するために、選挙で勝つために、官僚の増長や暴走を利用しようとするのは官僚政治事始である。もちろん与党にもいえる。政党政治を健全に定着させるためには官僚の力を利用しようとするべからず。与野党ともに官僚政治は抜きにするべきだ。

 国外阻害要因、即ちアメリカとジャパン・ハンドラーズ妨害要因という内政干渉を除けば、日本の支配者層はいまだに律令官僚が形成し、支配権を握り締めている。三権は東大法学部卒に簒奪され、首相は盥回しにされている(している)。天皇(玉)の直属の臣下(認証官)としての律令意識(無意識?)をもった官僚(東大法学部卒が頂点)が日本の律令体制支配を維持し、日本を律令国家のままにしている。植田信氏のご指摘通りである。

 日本人の「お上」意識と政治無関心・無気力が律令官僚をのさばらせている。日本の「法」は全て国会を通って成立するのに、実際のところ法案作成官僚の作文をろくな審議や議論もせずに素通りして通過させている。

 その律令官僚の作文が「法」を装った「律令」の条文なのである。国会(衆議院と参議院)はずっと「立法府」ではなくてその実「律令府」だったのだ。上がってきた律令条文をただただ承認するだけのお飾り機関である。お飾りは天皇のはずであったが政治家もまたお飾りであった。法案作成官僚は律令意識そのままの「天皇の官僚」であるから出来た条文もみな律令意識の反映であり駄文である。

 やっと日本にも小沢一郎という、日本の苦しみを一身に凝縮したような体現者が国民政治家が政治指導者として出現したのだ。小沢という変革者は、既存の秩序体制側にとっては凶器(狂気)の反逆者のように映るのである。

 小沢は所属政党や連立政権を壊しては作り直すクラッシャー(破壊者・壊し屋)という蔑称というか異名をとるが、私もある意味では確かに破壊者だと考える。大きくは律令体制破壊者だ。彼は元々律令体制内部の側にあって反対に動いた人だ。ほかの日本の反体制派は一切合財現実味がない。社会党は馴れ合いで野合するだけ、共産党は万年野党、過激派は先細り。

 戦後日本の律令支配体制は単なる自民党というだけではなかった。もちろんアメリカの支配を常に受けているが、それだけでもない。田中角栄が誰に謀られ陥れられ、小沢が紆余曲折を経ながらも何と戦っているのかを理解することが、日本国における政治の現状を明瞭に理解していく最良のきっかけなのである。往々にして正義の法は正当な権限の形をとって、既存の支配体制、国家権力に尽くし、とことん利用し利用されるものなのだ。

 小沢と比較対照的するとほぼ正反対なのは小泉純一郎元首相である。小泉と小沢とでは破壊の方向や方法、対象が違う。小泉は日本の国民生活を破壊し自民党を延命させた上で自滅に導いたが、律令官僚支配には構造改革のふりをして乗っかっていただけで正面から立ち向かってなどいない。

 だから竹中平蔵を前面に出して戦わせたが表面だけで実がない。社会階級も液状化した上で固定化した。天木直人氏が指摘しているように従米も固定化した。郵政民営化のように、官僚より上であるアメリカの支持と命令がある部分でだけ官僚攻撃が出来ただけの話である。全て先生や植草一秀氏の言うとおりである。

 小沢は国民生活を護り政治主導(国民の代表である政治家が正しく権限・権力を握る)を実現しようと奮闘している。そのために必要なら政党も破壊しなければならなかったろうし、現状の官僚支配の壁にしてもそうなのである。

 日本における秩序・律令体制という観点からだけみれば、小泉が改革者などちゃんちゃらおかしい。頭のてっぺんからつま先まで既存の体制従属者である男が改革者であるわけはない。誠実さの欠片もないかわりに、パフォーマンスと国民扇動の才能がすごかった。小沢一郎と真反対の男である。あのような男が改革者として登場したことの国民的誤解はすさまじい害悪を齎さずにはおかなかった。

 滑稽なのは、つい最近こそ官僚が国家権力を握っていることが国民にも知られてきたものの、ずっと悪の政治家と正義の官僚が対決しているように認識されていたことだ。検察官僚は正義と真実の代表であり、悪の政治家の圧力に屈せず戦っているように見られていた。

 それが本当はまるで逆なのである。権力を持っているのは官僚だったのだから。敗れ去り投獄される政治家は正義と真実を知っている。

 官僚こそは国家支配権力を持つ悪の律令体制の体現者そのものであり、政治家は官僚の暴走攻撃に怯え、遠慮し、ご機嫌を伺う。正義の国民政治家は痛めつけられる。どうせ新聞テレビが真実を国民に伝えない。官僚と報道機関は嘘八百で同盟を組む。だからますます政治家は萎縮する。検察官僚が正義と真実そのものとみられる国はこうなる。

 最近突如として官僚が劣化したわけではなく、ずっとそうだったことが思い込みの生で見えなかった。やっと覆い隠しきれなくなってきたので、どうしようもなく露見・露呈してきたというだけのことだろう。

 私達は最近、二つ木魚を叩き意味不明のアホだら経を唱える葬式仏教の住職や倅や坊主達を、ありがたい御方だなどと思わなくなってきた。それと同じで、いくら律令官僚を神のごとく崇拝してみたところで「百年の功徳」どころか何の御利益もないことを悟るべき時がついにきたのである。

 

アナーキー・イン・ニッポン
http://www.ne.jp/asahi/anarchy/anarchy/

幸徳秋水 2
http://www.ne.jp/asahi/anarchy/anarchy/data/koutoku02.html

幸徳秋水 3
http://www.ne.jp/asahi/anarchy/anarchy/data/koutoku03.html

幸徳秋水 4
http://www.ne.jp/asahi/anarchy/anarchy/data/koutoku04.html

 

幸徳秋水 – Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/幸徳秋水

管野スガ – Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/管野スガ

荒畑寒村 – Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/荒畑寒村

幸徳事件 – Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/幸徳事件

平沼騏一郎 – Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/平沼騏一郎

松室致 – Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/松室致

津田三蔵 – Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/津田三蔵

児島惟謙 – Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/児島惟謙

ダグラス・マッカーサー – Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/ダグラス・マッカーサー

山縣有朋 – Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/山縣有朋

田中角栄 – Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/田中角栄

百年の孤独 – Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/百年の孤独

ガブリエル・ガルシア=マルケス – Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/ガブリエル・ガルシア=マルケス

百年の孤独 (焼酎) – Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/百年の孤独_(焼酎)

 

 それでは阿修羅掲示板から転載貼り付け致します。

 

(佐藤裕一による転載貼り付け始め)

百年の孤独 ( 田中良紹の「国会探検」 )
http://www.asyura2.com/11/senkyo104/msg/104.html
投稿者 pochi 日時 2011 年 1 月 09 日 08:36:45: gS5.4Dk4S0rxA

田中良紹の「国会探検」
2011年1月 9日 00:49

百年の孤独

 正月に高級焼酎「百年の孤独」を飲みながら百年前の世界を考えてみた。

 1911年の日本は、その前年に韓国を併合し、朝鮮半島を領有して帝国主義列強に伍す存在となり「東洋唯一の一等国」と言われた。しかし国内では平民が中心の政治を訴える社会主義への弾圧が強化され、1月に大逆事件で幸徳秋水らが死刑となり、8月には警視庁に特別高等警察課が設置されて「特高」と呼ばれる秘密警察の活動が始まった。

 中国では共和制を訴える辛亥革命が起こり、清朝が倒れて孫文が中華民国初代臨時大統領に選出された。辛亥革命を支持する団体の多くは日本国内で組織され、多くの日本人が中国の革命運動に参加した。右翼思想家・北一輝もその一人である。メキシコでは映画「革命児サパタ」で有名なエミリアーノ・サパタが「土地は人民のもの」と主張して政府との武装闘争を開始した。

 そしてこの年イギリスでは下院(庶民院)が上院(貴族院)より優越するという議会法が制定され、「国民主権」の政治が始まった。議会法の成立過程は、「ねじれ」に悩む日本政治にも参考になると思うので少し詳述する。

 イギリス議会は「議会制度の母」と言われる。1265年(文永2年―鎌倉時代)、戦費調達のための重税政策に反発した貴族が、貴族や聖職者、騎士などによる「諮問会議」を国王に開かせたのが起源とされる。議会のメンバーにはその後市民の代表も加えられ、1341年(暦応4年―南北朝時代)には生涯貴族や聖職者からなる上院(貴族院)と騎士や市民で構成される下院(庶民院)の二院制が確立した。

 上院と下院の違いは前者が非民選議員であるのに対し、後者は選挙で選ばれた議員で構成される。ただ性別や納税額などの制約がない「普通選挙」が実施されるのは20世紀に入ってからだから、当時の市民は今の市民と同じではない。

 議会の起源が戦費調達のための重税政策に対する反発だったことからもわかるように、議会の重要な使命は税金の使い道を決めることである。その税金を稼ぎ出して収めるのは国民だから、税金に関わる法案については貴族院よりも下院に優越権があると考えられた。17世紀の半ばから財政法案については下院に優越権が認められている。

 とは言っても、イギリス議会の長い歴史は貴族院と下院との闘いの歴史である。下院議員は権力を持つ国王や貴族に逆らう発言はやりにくい。別々に分かれて協議をし、下院の決定を貴族院議員のいる本会議に出向いて伝える役を下院議長が行ったが、議長は権力者から睨まれる危険を覚悟しなければならない。そのため今でも下院議長に選ばれるといったんは就任を嫌がる仕草をするのが慣習になっている。

 1909年(明治42年)、自由党のアスキス内閣の蔵相ロイド・ジョージは、ドイツに対抗するための莫大な軍事費と社会福祉の財源を捻出するため、地主に増税する予算案を議会に提出した。地主貴族が多数の貴族院はこれを通常の予算案と認めず、社会革命法案だとして否決した。それまで自由党内閣は213法案のうち18法案を貴族院の否決で潰されていた。

 アスキス内閣は貴族院と全面対決する。対決の方法は下院を解散して民意を問うことであった。1910年1月に行われた総選挙は政府与党の勝利となり、貴族院は譲歩を迫られ、やむを得ず予算案を可決した。しかし政府はそれで矛を収めなかった。さらに貴族院の権限を制約する議会法案を議会に提出して下院で成立させた。当然、貴族院はこれに大幅な修正を加える。下院はこの修正案を否決し、再び政府が伝家の宝刀を抜いた。

 こうして1911年8月、議会法が成立し、下院を通過した法案は貴族院の承認なしに成立することになった。貴族院は下院の決定をチェックすることはできるが決定する権限を失った。事実上の一院制になったと言っても良い。それが百年前のイギリスである。

 戦前の大日本帝国議会はイギリス議会を真似て作られ、貴族院が圧倒的な力を持っていた。大日本帝国憲法下の33人の総理はほとんどが貴族院出身で、国民に選ばれた衆議院出身は原敬、浜口雄幸、犬養毅の3人だけである。貴族院は「不偏不党」を掲げて政党政治を嫌い、国民から選ばれた政治家の政治を抑圧することを目的とした。

 その貴族院出身の松本丞治が戦後の新憲法を作る担当大臣となり、GHQの反対を押し切って参議院を作った。この時GHQは「イギリス議会の長い混乱を日本は繰り返すことになる」と反対したが、松本の抵抗で最後は世襲にしないことを条件に参議院を認めた。これがイギリスよりも複雑な「混乱の政治構造」を生みだす。

 総選挙で選ばれた与党は内閣を組織する。ところが参議院選挙で過半数を失うと、衆議院で可決した法案が参議院で否決され、不成立になる。これを覆すには衆議院の三分の二の賛成が必要で、それは極めてハードルが高い。衆議院の可決が民意なら参議院の可決も民意だから、日本の政治は民意で真っ二つに分断される。

 そこにイギリス流の「マニフェスト選挙」が加わってさらに複雑になった。衆議院選挙のマニフェストを選んだ国民が、それと対立するマニフェストを参議院選挙で選べば、どちらの政策も実現できないことになる。与野党が話し合って妥協しろと言っても、異なるマニフェストにはそれぞれ支持する国民が付いているから妥協も簡単でない。「政局よりも政策」と言うのが馬鹿に思えるほど、「政策よりも政局」を何とかしないと何も始まらない仕組みなのである。

 その政治構造を熟知して手を打てる政治技術がない限り、いかなる政策も、いかなる目標も「絵に描いた餅」に過ぎない。ところがそれをわかっているとは思えない政治家の発言が相次いでいる。年初以来の菅総理の発言も谷垣自民党総裁の発言も、まるで現実をわかっていないと私には思える。現在の日本政治を病気に例えれば重篤というのが私の診断だ。

 ただし菅総理が言った「政治とカネの問題にけじめをつける」は、総理とは逆の意味で望むところだ。ロッキード事件以来の「政治とカネ」のマインドコントロールで日本は民主主義の根本を見失った。その「愚民状態」から早く脱しないと重篤は危篤になる。

 議会は国民の税金の使い道を決めるところである。いかに国民生活を守るかを議論するところである。それを官僚任せにして「政治とカネ」の議論に終始してきたわが国の国会の馬鹿馬鹿しさを私はこれまで嫌というほど見てきた。証人喚問だの、議員辞職だのとさんざん騒いで大事な国民生活に背を向けてきたこれまでの阿呆な政治には反吐が出る。

 百年前から「政治とカネ」が官僚権力の民主主義を抑圧する仕掛けであったことに気付かないとこの国は沈没する。その意味で今年はぜひ「政治とカネ」にけじめをつけ、「国民主権」の政治が始められるようにして欲しい。「百年の孤独」を飲みながらそう思った。

http://www.the-journal.jp/contents/kokkai/2011/01/post_243.html

(佐藤裕一による転載貼り付け終わり)