最後の終戦記念日

会員番号4655 佐藤裕一 投稿日:2010/08/15 10:03

 会員番号4655の佐藤裕一です。

 学問道場がリニューアルされた頃から無闇矢鱈に忙しくなったり、パソコンが駄目になったりで控えていましたが、しばらくぶりに書き込み致します。

 大変遅くなりましたが、サイトのリニューアルおめでとうございます。すごくサッパリして見やすくなることに成功したようで、良かったです。

 ただし、掲示板ではないアルルさんのブログサイト「ジャパン・ハンドラーズと国際金融情報」がリンク集ではなくBBS一覧に入ったままだったり、何の活動もしていない「副島国家戦略研究所」(略称SNSI。2002年4月9日から更新していない。名義で先生と高弟である先進生が出した本も、刊行物一覧に載っていないという悲惨さ)が姉妹サイトにあるのに、研究員による最新の論文が掲載されている「副島隆彦の論文教室」はリンクされていなかったり、「アジア政治経済掲示板」などの隠れ掲示板郡(個別の管理人は不明)の入り口を表示するどころか完全にほったらかしにしていたりと、少々不満もあります。特に隠れ掲示板については公式サイト中にあるというのに、プルダウン選択からも行けなくなっちゃって、ググらないと行き着けない始末。「文書の倉庫」とかその他のいろんな投稿文章は削除してしまったの? ほとんど投稿が無いのであれば、せめて投稿文章入力部分を消して、サイトトップの下の方に終了した掲示板扱いで、過去の文章だけでも保存して閲覧出来るようにしてほしかった。これでは積極的に投稿する気が失せてしまって、そのうち重掲以外は過疎掲示板のゴーストタウンだらけになるでしょう。「阿修羅掲示板」の文章保存の精神ですよ。結構な量の先輩会員達の文章が行方不明になりまして、後々確認したり参照するのが非常に困難です。

 とはいえ、上記は新米平会員の無責任な、ごく僅かなる不満です。私はメカオンチで、WEBサイトを運営したことはないので、管理者や技術陣の皆さんが消費した労力は私の想像の範疇を超えるでしょう。

 さて、今年も厳かに終戦記念日を迎えました。

 露骨に言えば敗戦記念日ですね。戦死したり処刑された英霊達や、兵士ではなくとも空襲や原爆、地上戦で犠牲者になった先人達の御霊には、自然と頭が下がります。

 潔い死に方を他人に厚かましく押し付ける権力者ほど後々まで図々しく生き残る。未だにくたばっていない奴らがいる。本当に英霊を裏切っていたのはどこの誰か。敗北する側には、最初からの裏切り者と、途中からの裏切り者と、ことが済んだ後になってからの裏切り者がいる。ナチスドイツの生き残りの年寄りどもを裁判にかけて処刑した事例など引き合いに出す必要はないが、今からでもそいつらの不名誉決議を、今度こそ日本人の手で行うべきだ。歴史の審判は別に下される。

 8月15日が日本人にとって最後の終戦記念日となることを祈っています。

 ところで私は昨年の終戦記念日は、掲示板に何と書き込んだのかなと思って確認してみたら、何も書き込んでいませんでした。前後何日間か、月遅れ盆のお盆休みのつもりで、公私ともに偉そうに休んでいました。そんな身分ではないというのに。

 私が旧・気になる記事の転載掲示板に、最後に阿修羅掲示板の記事を転載投稿したのが2010年6月1日で、翌日にはサイトが実際にリニューアルされ、ついでに「6.2反小沢クーデター」が発生しました。鳩山由紀夫氏が首相を、小沢一郎氏が幹事長を辞任し、菅直人氏が代表選に立候補する様子を、職場の休憩室のテレビで見ていました。

 それで自民党の政治家達と同じくポカーンとなりました。私は個人的に菅直人氏が嫌いではなかったので、最初は鳩山氏辞任は無念だが、菅直人新首相であれば頭を切り換えて期待し応援しようと思いました。

 先生の言論活動により徐々に推移が飲み込めるようになってからというもの、すっかり脱力してしまいました。岩上安身氏と対談していた際に先生がおっしゃっていた通りの、恐れていた事態が訪れました。それでも私は即座の全面否定は避け、是々非々で判断していこうと考えていましたが、ついには消費税増税の話が出てきてしまいました。

 これで国民に絶望と無気力が蔓延しない方がおかしい。沖縄だけの問題ではありません。投票率の低下を嘆けるような政治状況ではないでしょう。小室直樹先生のおっしゃる、アノミー禍すら最近はあまり表出してきません。政治にも経済にも社会にも家庭にも既存宗教にも期待を持てず、新聞・テレビにも騙されず、新興宗教やらカルト宗教も馬鹿らしくて、犯罪にも走らないような性質の人間は、無力感に囚われながらネットでもしているしかありません。無気力が空気支配するようになってから、日本人は暴動のような抗議行動をすっかり起こさなくなりました。気力が萎えてしまって湧いてきません。

 私は旧掲示板の[701]において、菊地研一郎さんへのお返事として「Re:[700]。民主党は「暫定勝者」に過ぎないのか? 公明党にとってのねじれ現象」というタイトルで、楽観的で軽率な態度表明の文章を投稿しています。そこの文末を以下に転載致します。

(佐藤裕一による転載貼り付け始め)

 ……話が逸れ過ぎました。

 私も民公連立は大連立よりは成立の可能性があると思います。はっきり言って、私見では賛成出来ませんが、現実政治は厳しいでしょうから有り得るのでしょう。外国勢力との対決、取り込みという観点からもあるのでしょう。公明嫌いの脱落者も案外少ない可能性もあります。

 もし民公連立政権が出来るならば、その時は私としての民主支持は再考しなければならないと思います。考え直して、それでも支持出来るだけの理由が反官僚、反自民、反米以外に見当たれば支持し続けることもあるでしょう。どちらにせよ少し先のことです。公明に付け入る隙というか近寄る隙を与えないためにも、参院選では有無を言わさぬほどの民主圧勝を希望致します。

(佐藤裕一による転載貼り付け終わり)

 書き込んだ日が2010年5月21日です。いま読み返してみると、たったの二ヶ月すら価値を保てなかった文章であることが分かります。特に一番最後の部分、民主圧勝云々が無残です。これでは能無し似非知識人連中の駄本・駄文の書き散らし、粗製濫造を嘲笑出来ません。「暫定勝者」は民主党ではなく国民政治家であり、すぐに敗者かつ弱者の劣勢状態に戻りました。もうこのままの民主党なら構わないから、さっさと創価公明なんかと連立してしまえ。みんなの党の改革案でもいいから丸呑みしろ。

 こんなことは言いたくないし、甘すぎる希望的観測を述べていた人間として今更言うのもまた無残極まりないことなのですが、「6.2反小沢クーデター」後の、更に消費税増税を言い出した後では、民主党が敗北してよかったです。当然ながら、自民が勝利してよかったとか、みんなの党が躍進してよかったなどと言うことではありません。

 私の選挙区ではたまたま支持出来る民主党立候補者(当選)がいたから投票したものの、つらいのは悪影響のせいで落選していった民主党候補者達1人1人です。

 それにしても先生が予想されたことではありますが、こんなにも反動が早いとは。いや、確かに反動ではありますが、国民感情(あるとすれば)が自分達で反動に傾いたわけではありません。今回は以前ほどの散々な騙され具合、操られ踊らされ具合ではありません。

 ですから国民革命への反撃、反革命の蠢動です。反動と表現するのであれば「特定の反動勢力」が結託して陰に陽に主導して実行した、と詳しく言うべきでしょう。本来の国民の望みではありません。

「特定の反動勢力」というのは植草一秀氏命名の「悪徳ペンタゴン」です。体制守旧派は突如として発生するわけではありません。「悪徳ペンタゴン」は「政・官・業・外・電」の五者です。

「業」は日本の各種業界・財界のことで、もちろん一部は「6.2反小沢クーデター」に関わっているでしょうが、主要勢力ではないでしょう。「電」はマスゴミで、あらかじめ謀議に加わった最高幹部達がいるでしょう。先導かつ扇動の悪質報道をしていますが、権力追従の性格から後追いであって、あくまで援護射撃です。手先どころか足先だ。それも手足そのものですらなく、履き捨てられる薄汚い靴下、薄汚れた軍手。「政」は利権政治屋で、元来は専ら自民党の族議員のことを指すのですが、政権交代により既得権益を喪失してからは表面上の主役ですらなくなってしまいました。

 では「政」は誰に屈服し隷従するのでしょうか。言うまでもなく、序列上位の「外」と「官」に、です。

「外」は外圧で、アメリカとジャパン・ハンドラーズのことです。植草氏は最近は「外」ではなく「米」と、名指し表現にしているようです。「官」はそのまま官僚、特に東大出の高級官僚ですね。「外」が世界権力の頂点で、「官」が国内権力の頂点であることが再確認されました。

 無論「外」が最高権力ですから「官」は手下ですが、日本に限定すれば最強で頑強な、政治家と国民に対する抵抗勢力です。アメリカの不当要求に抵抗する愛国派官僚は金融敗戦以来の20年で小泉政権を経て、次々と追い出されていったでしょう。今現在でも残存している害悪な売国派官僚を叩きのめすのに一切の遠慮は不要です。そうなると生き残って権威と権力を維持するために、より必死に蠢くことになります。

 従前の例により、真の首謀者は「政」ではないようです。むしろ今度の「6.2反小沢クーデター」が単純に、日本の政治家同士の政治力学「だけ」によって起きた政治権力闘争の結果であったなら、私は政治家達が主役であるという意味においてのみ、評価すらしてもいいくらいです。

 しかし今日において現出している事態はもっと不愉快なものです。彼らは線路の上を走っている表舞台だけの主導者達です。事前に線路を敷いて切り換えと誘導を実行している真の首謀者は、やっぱりいつもの通り「外」と「官」の共謀であったということです。政局(政治の局面。各政治勢力の、権力と関係性の均衡が崩れていく変動状態。国民不在で推移していくことが多い)であるというのに、国会の外から引き起こされるのです。

 もはや「政」は従来の地元利益誘導・分配型の腐敗政治屋のことではなく、「外」に屈服した受け皿一辺倒の隷属政治家と、「官」である出身省庁の意向に沿う官僚政治家のことを指した方が現状に合っています。どんな悪徳政治家であったとしても、政治の場において主役の座にいなければ、本当の権力は自分達には無い、外部の人間達の指図を受けていると実感すれば、虚しさは募るばかりでしょう。

「業」「電」そして「政」すらも脇役なのです。ペンタゴンや鉄のトライアングルといっても、その形はいびつであって力関係も上下関係も対等ではない、ということをより一層、再認識すべきです。「外」と「官」の2者が突出して強いのです。「外」は別格ですから、すぐにどうこうなるという話ではありません。問題は「官」です。「政」の上に「官」がいるという転倒した関係が固定されていることです。これをあるべき正常な上下関係に是正しなければならないのです。

 裏で陰に隠れて政治的な動きを平気でするエリート試験選抜の高級官僚達にとっては、「6.2反小沢クーデター」は国民革命を阻止するための反革命であるだけでなく、カウンター・クーデターでもあります。威張り散らす自民の泥臭い政治家達が敗北していき、民主の国民政治家をも追い落としているのです。

 明治維新以来の、敗戦と占領期でも滅びなかった日本国官僚支配の伝統的体制を突き崩し、覆そうとしている権力奪取行為は、高級官僚にとっては自分達に対するクーデターと映るでしょう。国家権力の本体は高度に意思統一された官僚機構であるという認識に立てば、真の統治者は天皇の直接の臣下である官僚、議会政治家や大臣などはオマケで、有っても無くてもいい。正当かつ正統な政治権力への攻撃に対する反撃は、反乱の鎮圧です。これでは一体誰が誰に反乱しているのか分かりません。

 中央官庁の官僚が共有する考え方、無知蒙昧なる大衆を正しく管理・指導しているのだという、勝手な正義感の思い込み・考え違いにこそ鉄槌を下さなければならないのです。官僚の増長した意識については、自身も官僚であった佐藤優氏や天木直人氏、高橋洋一氏、郷原信郎氏、三井環氏、植草氏たちが各所で証言しています。村木厚子さんのように逮捕されたりしている人もいます。

 とにかく官僚機構からの逸脱者はみんなそれぞれ不当なひどい仕打ちを受けています。内部事情を知っていて刃向かってくる者は、外部の敵よりも心底嫌われるという組織人間の宿命と、反逆者を許してはおかない血の掟があります。

 先生のような非公務員の、外部人間の敵対者は税務調査なんかで適当にいたぶって晒し者にすればいいですが、既に職場を離れた元官僚の場合は金銭面では攻めにくいので、冤罪逮捕と偏向報道で、犯罪者として見せしめと教訓にするわけです。小泉政権以来では、植草氏(元大蔵官僚)が一番ひどく痛めつけられたことは周知です。それが政治家の場合は資金面と犯罪捜査、両方で攻められるのです。

 天下りの官僚OBの方が大量にいて、もともと身内ですから、社会との繋がりも強固に維持しています。どうも脱藩した元官僚の反乱者達は、個々では強靭な精神の持ち主であることが多いですが、省庁の共同体から排除もしくは脱出した人達だけあって横の連帯が薄いですね。日本社会においては、共同体からの村八分、追放処分、世間からの白眼視、後ろ指は、まだまだ一番つらいことです。それでただひたすら忍従を強いる国民性が出来上がってしまったのです。

 政治家である鈴木宗男氏と佐藤優氏の関係の方が、かえって正常というか、まともに見えます。腐敗だなんだと言われたのでしょうが、キレイな官僚が政治家より上の実力をもっている現状の方がよっぽど歪んでいます。もっとも官僚だってそんなに偉そうなことを言える程キレイなわけもありませんが、権力に見合うほどの財産を得ているわけではない、というのは肯定してもいいです。

 この歪む(ゆがむ)、歪(ひずみ)の「歪」という、「不正」を一文字に縮めたような、実に嫌なこの漢字こそ、日本の議会政治家と高級官僚の関係性、官僚制度の有り方を表現するのに相応しいですね。歪み(ゆがみ)、歪(ひずみ)の状態を糺さなければ日本には一光の明るさも射し込まないのです。

 民主党支持の理由から反米、反官僚が失われ、反増税すら除かれた今となっては、弱り果ててしまった反自民くらいしか支持理由がなくなってしまいました。あとは小沢氏と、個々の良識的な政治家がいることです。それがまた同時に烏合の衆だ。

 民主党が国民政治家の手に戻らず、反革命政治家の手中に納まったまま牛耳られ続け、アメリカと官僚に唯々諾々と従ったまま本当の政治改革闘争を本当に諦めてしまうのであれば民主支持は止めます。まだ時期じゃない。

 本当の国民政治家が、国民政治家だけが集まった本当の意義ある新党を、それこそ国民新党じゃなくてもいいですが、小沢氏が作るならと、気が早いですが思っています。

 本日はこの辺で切り上げたいと思います。終戦記念日に内政のことばかりで、あまり相応しくなかったようです。

 菊地さん、[2]の「『保守主義の政治哲学要綱』(昭和35)」は、古き良き時代の文章ですね。読ませていただきました。転載ありがとうございます。