日本の臨界点

会員番号4655 佐藤裕一 投稿日:2010/11/06 07:01

 会員番号4655の佐藤裕一です。

 本日は2010年11月6日(土)です。昨日の深夜に起き出して重掲を見たら会員のライジング・サンさんが[116]「尖閣諸島漁船激突動画」を投稿しており、削除される前に大部分のユーチューブ動画を、最初のオリジナルで閲覧することが出来ました。ライジング・サンさん、ありがとうございます。

 まぁこれによって、見れないストレスは解消されたので、個人的には良かったのです。ですが他にはさしたる感想も湧いてこないし脱力感の方が多いです。映像の力、静止画よりも動画というものの威力は実感出来ます。視覚に訴えるということは効果がありますね。確かにどんなことであろうと国民は知らないより知るべきです。

 情報漏洩が一個人の暴露なのか、それとも一部政治勢力の意図的な公開なのではないかとか、背景や思惑をめぐって憶測や議論がされるお定まりの展開ですから、テレビのニューズ報道やワイドショーなんて見ても益が少ないですね。出演者達のつまらない上に耳障りなコメントを聞くような時間と忍耐力の浪費をするだったら、ユーチューブや阿修羅コメントやツイッターでも見てた方が余程いいというものです。
 
 さらに輪をかけて不愉快なのが一種の「ネタ潰し」ともいえる、特番・巨大・横並び一斉長時間報道による中・小報道のより一層の縮小扱いです。これでまたしばらく、本当に大事なことが吹っ飛び、隅っこに追いやられるのは目に見えています。テレビほどではないにせよ、新聞もその他の記事を圧縮する傾向があります。

 その点よく指摘されることですが、やはりインターネットは違うとあらためて感じます。新聞は一過性だしテレビは時間に束縛され過ぎているが、ネットの仮想世界は仮想とはいえ空間的な拡がりを持つから、調べたい題材を好きなときに好きな分量を調べられるし、過去に遡ることも比較的容易です(とはいえネット自体の歴史がまだ浅いけど)。

 テレビで過去のことを調べるとなれば録画再生しなければならないし、テレビ局自身以外で24時間365日記録をとっている人なんていないでしょうから、個人で完全にテレビ情報を活用するのは困難です。この点、新聞は保存しておけば多少劣化しても後から確認出来ますが、何せ場所をとるしキーワード検索も出来ない。新聞でわざわざ切り抜いて貴重なところだけ保存するという文化も、そろそろ終わりでしょうね。

 報道過少といえば、故・黒木昭雄氏の「死亡」に関してもそうです。それは本当に「自殺」であった可能性はあるでしょうけれども、疑問点があれば「他殺」の可能性も排除せずに、両方含めて捜査するということが必要です、ましてジャーナリスト(本物の)という危険を背負う職業の人間が不審死しているのであれば。いくら警察が身内に甘い体質だからといって、そして容疑者が身内にいるとしても、非公務員(現時点で)の一般人が被害者になっている可能性のある案件に対していい加減な捜査は許されないのです。

 その黒木氏の死を大きく取り上げることなく、捜査当局を追求しようとする姿勢を見せない大新聞・大テレビは、ジャーナリズム精神の欠片も元から持ち合わせていない、偽物の御用報道機関であると認定されても、決して不当な烙印とは言えないでしょう。これまで偽物記者はずっと安全地帯にいられましたが、今後はそうぬくぬくとはしていられない社会情勢になっていくのでしょう。

 黒木氏は『臨界点』という小説を書いて出版しています。私も今度街の大手書店に立ち寄ったら購読したいと思います。「元警視庁巡査部長でジャーナリストが死体で発見される」という話から始まるそうです。下記の広報サイトを見ると、宮崎学は「これが警察の真実の姿だ! この作家は抹殺される」と推薦しています。それが現実となりました。本当に恐ろしい世の中です。

 警察・検察だけでなく、日本国家と社会全体が徐々に「臨界点」に近付いていると思います。「臨界点」に到達したら一体どうなるのでしょうか。本当に世の中過渡期というか、変革期ですね。

 

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黒木昭雄、警察小説|『臨界点』
http://moura.jp/liter/kuroki/

楽天ブックス|著者インタビュー – 黒木昭雄さん『臨界点』
http://books.rakuten.co.jp/RBOOKS/pickup/interview/kuroki_a/

臨界点 – wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/臨界点