文書の倉庫 (7)自然学問・理科系学問 転載貼り付け1

会員番号4655 佐藤裕一 投稿日:2010/12/27 01:20

 会員番号4655の佐藤裕一です。

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 文書の倉庫 (7)自然学問・理科系学問
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(佐藤裕一による転載貼り付け始め)

投稿時間:2003/05/11(Sun) 04:14
投稿者名:廣瀬哲雄
タイトル:アポロ11号搭載の日本製品

毎日新聞 朝刊 1969年7月18日 18面(14版)
(引用始め)

月へお供、日本の技術
煙感知器・テープレコーダー・レコーダー

 アポロ11号で、日本製品が活躍中――。十七日明らかにされたところによると、イオン式煙感知器(ニッタン)テープレコーダー(ソニー)露出計(ミノルタカメラ)が宇宙を飛んでいる。
 「わが社のイオン式煙感知器は純国産技術によるものですよ。それが月に向かって飛んでいるとは愉快ですね」というのは、火災探知機メーカーのニッタン株式会社(本社・東京都渋谷区幡ヶ谷、資本金一億六千八百万円、板倉緑社長)。年商三十三億円、探知器メーカーとしては、わが国で二-三位という”中堅企業”だけに、自社技術を認められたのがいかにもうれしそう。
 このイオン式煙感知器は、火災によって煙が発生すると同時に、放射線の作用で感知器の中を流れている電流が変化して警報を出す装置。アポロ11号に積まれたものは「NID-18」(国内価格は一万二千五百円)という型で、アメリカとスイスの火災報知器メーカーの製品とNASAで比較で比較テストした結果、ニッタン社製のものが高性能のうえ軽く(六百五十グラム)て小型(直径9センチ、高さ12センチ)なため採用されたという。
 ソニーはテープレコーダーが積みこまれた。このテープレコーダーは重さ六百グラムという超小型「TO-50」で、アポロ10号に積込まれているのをテレビ放送で発見、今回NASAにたしかめたもの。貴重なデータを記録すると同時に、地球から持っていった音楽テープを再生し飛行士を慰めるのに使われる。同社では「アポロ用に特別に作ったものでなく、一般に市販されているレコーダーが積込まれた」ことを強調している。
 ミノルタカメラの場合は同社で開発した特殊露出計「ミノルタスペースメーター」がアポロ11号で使用されている。この露出計は、NASAの要請により、一般に市販されていた「ミノルタオートスポット1゚」を宇宙空間でも使用できるように改良した。すでにアポロ8号、10号で、宇宙飛行士がTV放送や撮影する際の露出測定に使用されており、アポロに搭載されるのは今回で三度目。

(引用終わり)

毎日新聞 朝刊 1969年7月18日 18面(14版)

(佐藤裕一による転載貼り付け終わり)

 

(佐藤裕一による転載貼り付け始め)

投稿時間:2003/05/12(Mon) 01:12
投稿者名:廣瀬哲雄
タイトル:日本にある「月の石」

毎日新聞 朝刊 1969年7月25日 18面(14版)
(転載貼り付け開始)

月の”お石さま”やってくる
日本にも9月に”おすそわけ”

宝石なみ 研究室でもこっそりと
公開ダメ 紙より薄く削ってある

 アポロ11号が月面で拾ってきた石は、九月下旬ごろ日本にも”おすそわけ”される。科学者たちの期待はもちろんのこと、素人にも興味シンシン。「ぜひわが方で展示会を」とあちこちから名乗りが上がっているが、日本で月の石研究者に選ばれた三人の博士は「とんでもない」とひたすら断っている。税関には入国のさいのフリーパスを申請、研究室ではだれにも分からないところにコッソリかくして……と宝石以上のあつかいだ。

 三十数キロの”月の石”は、11号の着水後、三飛行士と一緒にヒューストンの米航空宇宙局有人宇宙船センター内にある「月資料実験施設」へ運ばれ、厳重な検疫ののち日本を含む世界各国の学者約百五十人に同センターで手渡される。日本で石をもらうのは、東大理学部の久野久、永田武両教授、東大地震研究所の金森博雄助教授の三人。三年前、世界中から応募した約四百人の学者の中から米航空宇宙局が経歴、研究内容、実験設備などを参考に審査して約百五十人を選んだ。日本からは五人申請して三人が”パス”。
 久野教授は、岩石学の立場から顕微鏡や新しく二千六百万円で入れたX線マイクロ・アナライザー(電子ビームを石にぶつけて発生するX線の特性を調べ、それによって組成を判断する)で石の中身を研究、永田教授は磁気的性質、金森助教授は地震学的に弾性的性質を調べる。三人の研究を結合すれば日本の研究陣としての一応の結論が得られるわけだ。これによって、たちどころに月の内部の鉱物のようす、ひいては月の成因や地球と月との関係がわかるかどうかは「富士山のてっぱんの石ころを取って”これが地球だ”というようなもの」(永田教授)と疑問視するひとも多いが、ともかくこの”石ころ”地球と太陽系を見直す出発点になることはたしかである。
 研究は約三ヵ月かけて念入りに行い、来年一月三日に百五十人の学者が全員ヒューストンに集まって発表と討論の会を開く。
 ところで、石は拾ったままのナマの形ではなく、月資料実験施設で直径一・五センチ、厚さ百分の三ミリぐらいの薄板に削り、表面をみがいてわたされる。「一般の方がごらんになっても何のヘンテツもないしろもの。公開は、どうかごかんべんを」と、久野教授。 しかし、”ヘンテツ”はなくとも、初めて持帰る他の天体の”一部分”とあってみれば、人目見たいというのが人情というものだが、そうはいかない。おカネの話しをすれば、アポロ計画全体の経費が八兆六千億円だから、石ころ1グラム当たりの”値段”は約二億四千万円ナリの超貴重品。
 米航空宇宙局もひどく心配して「複雑なカギのかかる金庫に入れ、公式の機関で管理してほしい」と再三念を押してきた。金庫のほうは”しかるべきところ”に置くことになったが、”身元引受け”機関は「そんな大それたものは……」とどこもシリ込みして、文部省-東大-日本学術振興会とタライ回し、結局、久保亮五東大理学部長が引受けることで落着いた。
 さて月の石はできるだけ”下界”の空気にふれさせないでモトのまま見たい、とねがうのが学者の気持。三博士は羽田の税関でもフリーパスを申請することになり、たぶんOKだろうという。”そこのけ、そこのけ、お石さまが通る”である。

(転載貼り付け終わり)

毎日新聞 朝刊 1969年7月25日 18面(14版)

(佐藤裕一による転載貼り付け終わり)

 

(佐藤裕一による転載貼り付け始め)

投稿時間:2003/05/12(Mon) 01:15
投稿者名:廣瀬哲雄
タイトル:「月の石」と地震計

毎日新聞 朝刊 1969年7月27日 1面(14版)
(転載貼り付け開始)

「月の石」初めて肉眼に
アポロの採集物 点検始まる

 【ヒューストン有人宇宙船センター二十六日高榎特派員】アポロ11号が持帰った静かの海で採取した月面サンプルは米中部夏時間二十六日午前十一時半(日本時間二十七日午前一時半)すぎヒューストン宇宙センターの月資料受入れ施設で開かれ、初めて”月”を手に持って見る実験が開始される。
 このサンプルは二つの軽金属コンテナに納められ、二十五日、ヒューストン宇宙センターの受入れ施設に空輸された。
 持帰られた月面サンプルは合計約五十ポンド(約二十二・五キロ)月資料受入れ施設で予備的調査を受けるに先立ち、二十五日にコンテナの点検、洗浄、消毒が行われたが、最初の箱は重さ三十三・三ポンド(約十五キロ)で、十五ポンド(約六・八キロ)の月の岩石や砂が含まれている。またコア・サンプラーで採取された深さ二十センチまでのサンプルもこの中に入っている。

月物質入れた箱に茶色の斑点

 箱の外側には五セント硬貨、二十五セント硬貨ほどの大きさの灰色がかったいくつかの茶色の斑点が発見されたが、耐酸処理にもかかわらず消えなかった。
 月物質受入れ施設のキング博士は11号をケープケネディから打ち上げる前に、塩水がかかったのが原因ではないかとみている。同博士はこの観点から、斑点は月のホコリではないと判断している。

地球に似て地層状?

 一方、二十日、月面に設置されてまもなく、月面のナゾの震動記録した地震計は、耐熱設計が悪かったのか、その後摂氏九十以上に温度が上がっているが、観測をつづけており、二十五日までに第一回と同様な震動をその後二回にわたって記録した。これは波の形が初めに波長の短い波が来、ついで波長の長い波に変わるもので、地球上の普通の地震の波形とちょうど逆になっている。
 マサチューセッツ工科大の地球物理の権威ブレス博士は、この震動の強さから隕石の落下ではなく地震によるとみていたが、まだ原因は明らかにされていない。しかしNASAはこの震動の波形の観測から月の内部は均質ではなく地球のような地層状のような構造になっているのではないか、とみている。

(転載貼り付け終わり)

毎日新聞 朝刊 1969年7月27日 1面(14版)

(佐藤裕一による転載貼り付け終わり)

 

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投稿時間:2003/05/13(Tue) 00:37
投稿者名:廣瀬哲雄
タイトル:アポロ11号の前に失敗したサル衛星

毎日新聞 朝刊 1969年7月9日 1面(14版)
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“サル衛星”のボニー君に死ぬ
回収後に 体温低下が原因?

 【ホノルル八日UPI】七日午後一時(日本時間八日午前七時)ハワイ沖の海上で回収された生物衛星3号のサル、ボニー君は現地時間八日朝死んだ。米航空宇宙局の発表によると、ただちにボニー君の詳細な検視を開始した。
 ボニー君は長時間宇宙旅行の生物に与える影響などを研究するため、三十日間地球を回る予定だったが、食料分配器が故障、またボニー君は食欲減退などを起こし、健康が悪化したため、九日目百三十周で回収されたが「新陳代謝の低下とカプセルの温度が最低限度まで下がった」ため、ボニー君の体温は低下したといわれる。
 米国は生物衛星をこれまでに二回打上げているが、いずれも植物とこん虫を乗せたもので、動物を乗せたのは3号の”サル衛星”が始めて。最初の二回のうち一つは地上へ戻るためのロケットがうまく作動せず回収に失敗。他の一つは予定より一日早く回収せざるをえなかったが成功した。

人間の場合心配いらぬ

 自衛隊航空医学実験体長、横堀栄空将補の話 解剖結果と、宇宙船からのテレメーターによるボニーの脳波、心電図、呼吸などの生態情報を合わせてみなければわからないが、ボニーが死んだ原因は、二つの側面から考えられる。
 第一は宇宙船の故障。地球へ降りてくるとき、成層圏に近いところでは氷点下五三-五四度くらいの寒さだから、船内の温度維持装置がこわれていればたちまち体温が低下してしまう。人間だったら警報が鳴って、こわれた装置を直すこともできるが、サルにはそれができない。酸素計がこわれて酸素が少なくなったとも考えられる。
 第二はサル自体に原因があること。条件反射で食事をとらされていたはいいが、食べすぎて体の調子をわるくし、サルの意思能力がなくなり体調が低下したこと。おそらくこれらの原因が重なって衰弱し、死んだものと思う。サルだから起こった事故で、このことで人間の場合もありうるのではと、心配するのは不要だと思う。

(転載貼り付け終わり)

毎日新聞 朝刊 1969年7月9日 1面(14版)

(佐藤裕一による転載貼り付け終わり)

 

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投稿時間:2003/05/13(Tue) 00:52
投稿者名:廣瀬哲雄
タイトル:アポロ11号設置の月地震計の寿命

毎日新聞 朝刊 1969年7月24日 3面(14版)
(転載貼り付け開始)

数回の震動を記録
月地震計 損傷で寿命を短い?

 【ヒューストン二十二日ロイター=共同】ヒューストンのNASA(米航空宇宙局)当局者が二十二日明らかにしたところによると、アポロ11号の月着陸船が月面に設置した月地震計が、月着陸船の離陸後”数回の地震性震動”を記録した。この震動がなんであるかは今のところ明らかではない。
 また当局者によると、月地震計をおおう断熱材がその効果を発揮していないようである。これは月着陸船の離陸時のエンジン噴射のショックで断熱材の被膜が損傷したためとみられ、月地震計の温度が上昇している。ある当局者は月面の温度が摂氏百一度に達する二十六日の正午すぎまで、もちこたえられないのではないかとみている。

(転載貼り付け終わり)

毎日新聞 朝刊 1969年7月24日 3面(14版)

(佐藤裕一による転載貼り付け終わり)

 

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投稿時間:2003/05/13(Tue) 01:15
投稿者名:廣瀬哲雄
タイトル:”サル衛星”失敗の原因はやっぱり故障?

毎日新聞 夕刊 1969年7月8日 2面(4版)
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サル衛星を回収
ボニー君無事 健康検査へ

 【ホノルル七日UPI】サルのボニー君が乗った生物衛星3号は七日午後一時(日本時間八日午前七時)ハワイのカウアイ島北方四十キロの海上で回収された。
 ボニー君は三十日間地球を回る予定だったが、百三十周だけで終わった。
 【ホノルル七日AP=共同】ハワイ沖で七日回収された”サル衛星”のボニー君は、カプセルをホノルル・ヒッカム空軍基地に運んで調べたところ、生きていることが確認された。同基地では直ちにボニー君の健康状態の検査を開始した。
 ボニーの乗ったカプセルは、はじめ米空軍C-130が空中回収する予定だった地点から約百六十キロ離れた太平洋上にパラシュートで着水した。予定地点をそれたことについて米科学者は、大気圏再突入用ロケットの噴射がミスしたのではないか、と語った。

(転載貼り付け終わり)

毎日新聞 夕刊 1969年7月8日 2面(4版)

(佐藤裕一による転載貼り付け終わり)

 

(佐藤裕一による転載貼り付け始め)

投稿時間:2003/05/15(Thu) 02:01
投稿者名:廣瀬哲雄
タイトル:月のチリで成長促進?

毎日新聞 朝刊 1969年9月1日 3面(14版)
(転載貼り付け開始)

月のチリふりかけると
野菜の成育促進?
米で実験報告

 【ワシントン三十日DPA=時事】当地の植物研究所のホッゾ主任が三十日明らかにしたところによると、トマト、きゅうりその他に月のチリをふりかけたところ、成育が促進されるという実験結果が出た。
 同主任によると「月のチリをまぶしたものは、ほかのものに比べて一層力強く成育し、緑色が濃くなった」といわれる。しかし、その差はごくわずかであるため、この実験からはっきりした結論を引出すのは尚早という。

(転載貼り付け終わり)

毎日新聞 朝刊 1969年9月1日 3面(14版)

(佐藤裕一による転載貼り付け終わり)

 

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投稿時間:2003/05/15(Thu) 02:02
投稿者名:廣瀬哲雄
タイトル:月のホコリ、実はガラス

毎日新聞 朝刊 1969年9月2日 3面(14版)
(転載貼り付け始め)

月面のホコリ半分はガラス
米紙が分析結果発表

 【ワシントン一日共同】アポロ11号が月から持帰った岩石の分析について最初の合同報告が十二日ごろ米科学専門誌「アメリカン・ジャーナル・オブ・サイエンス」に発表され、分析にたずさわった科学者の記者会見が同日ワシントンで行なわれる予定だが、一日付ワシントン・ポストが伝えたところによると、いままでの分析で次のようなことがわかった。
 一、月表面のほこりは五〇パーセントがガラスであり、表面を歩いたアポロ飛行士が大変すべるといったのも、飛行士がとった写真を調べるとガラスの”破片”の上を歩いたことがわかった。
 一、月表面の下は割れ目のある大きな球で、深さ百キロないし千キロに達する割れ目で巨大なかたまりに分けられている(ちょうど割れたつぼのようなものニューヨーク州パラセーズの地質研究所のガリー・レーサム、モーリス・ユーイング同博士はいっている)。 
 一、月表面が驚くほど多くのガラスの”ホコリ”でおおわれていることは、非常な高熱が作用したことを物語っている。しかしそれがいん石の落石によるものか、内部の火山活動によるものかは、結論が出るまでにかなりの時間がかかりそうだ。

(転載貼り付け終わり)

毎日新聞 朝刊 1969年9月2日 3面(14版)

(佐藤裕一による転載貼り付け終わり)

 

(佐藤裕一による転載貼り付け始め)

投稿時間:2003/05/15(Thu) 02:05
投稿者名:廣瀬哲雄
タイトル:月面物質の分析結果・速報

毎日新聞 夕刊 1969年9月11日 2面(4版)
(転載貼り付け始め)

地球と同時期に誕生
生命認められず、土壌も無害
月面物質の分析結果

 【ヒューストン十日AP=共同】ヒューストンの月帰還対策センターの科学者たちは「月は地球と同じ時期に出来たが、間もなく活動を停止し、”静寂の世界”化した」と判断している。
 この結論は、科学者達が、アポロ11号が持ち帰った月の岩石やチリを分析調査して打出されたもので、NASA(米航空宇宙局)は十五日にワシントンで記者会見し調査結果を発表する予定である。
 月物質の分析から得られた主要な結論は次の通りである。
 一、月に生命の存在を示すものは全くなかった。
 一、月面物質を植物、魚類、ネズミ、小鳥など地球上の生物にさらす実験を徹底的に行ったが、月の土壌に細菌や病原菌が存在する兆候はなく、地球上の生物に有害でないことが証明された。
 一、分析の結果は、月が地球と同様に、約三十億年前はドロドロのかたまりだったことを示している。月は地球と同じく生成期にはものすごく熱く、ドロドロした溶岩の球体であった。
 一、地球が発展して生命を生み出したのに対し、月の方は誕生から約五億年後(現在から推定約二十三億年から三十七億年前までの間)に、最後の火山活動を終え冷たくなった。月はそのとき生命のない墓石になったわけである。
 一、月が活動していた時期に、月面にぶつかった”なにか”が月面地図作成者が”海”と呼ぶ平らな平原を作った。
 一、月の火山活動は、”海”を溶岩とちりでいっぱいになった。
 一、月の表面を保護する大気がないため、月面には無数のイン石が衝突、これが月面の特徴的な状態を形成した。
 一、月の岩床はイン石の衝突で、深部まで破壊され、クレーター(火口状地形)が作られた。アポロ11号が着陸した静かの海にあった岩石の一つは、一億五千万年前にできたものである。
 一、イン石は絶え間なく月面に落下した。衝突された月面物質の一部はガラス状物質となった。静かの海のチリの五〇パーセントが、ガラス状態の物質である。
 一、月面物質は、地球上で発見される再古代の岩石とほぼ同年齢で、チタニウム、ジルコニウム、クロミニウムといったなかなか熱に溶けない元素を多く含み、鉛、ポタジウム、ソジウムなどはほとんど含まれていなかった。

(転載貼り付け終わり)

毎日新聞 夕刊 1969年9月11日 2面(4版)

(佐藤裕一による転載貼り付け終わり)

 

(佐藤裕一による転載貼り付け始め)

投稿時間:2003/05/15(Thu) 02:07
投稿者名:廣瀬哲雄
タイトル:月の石の配布開始!

毎日新聞 朝刊 1969年9月14日 15面(14版)
(転載貼り付け始め)

月の岩石を配布

 【ヒューストン十二日UPI】アポロ11号が地球に持帰った岩石標本が十二日、米、英両国の六人の科学者に手渡された。有人宇宙船センターから初めて標本を受取ったのは、米アーゴン国立研究所の地球化学者ジョージ・リード博士らである。

日本では三学者
 【ヒューストン十二日AP=共同】日本人三科学者への配布分は次のとおり。
 金森博雄(東京大学)チリ十グラム。岩石二個計二十六グラム。弾性係数決定のため。 永田武(東京大学)チリ五グラム、岩石一個十六グラム。磁気特性を決定するため。
 久城育夫(東京大学)チリ十五グラム、岩石四個計十四グラム。岩石学的研究のため。
(転載貼り付け終わり)

毎日新聞 朝刊 1969年9月14日 15面(14版)

(佐藤裕一による転載貼り付け終わり)

 

(佐藤裕一による転載貼り付け始め)

投稿時間:2003/05/15(Thu) 02:08
投稿者名:廣瀬哲雄
タイトル:早くも有人火星探査は中止

毎日新聞 朝刊 1969年9月15日 1面(14版)
(転載貼り付け始め)

火星飛行お預け
代わりに大型ステーション建造
米宇宙政策 作業班が勧告か

 【ワシントン十四日高榎特派員】アポロ11号の月着陸に続き米政府が今後どのような宇宙政策を打出すかが注目されているが、十四日ワシントンで伝えられているところによれば、ニクソン米大統領の支持でこの春以来、本格的な宇宙計画の再検討を急いできたアグニュー副大統領ら米政府宇宙作業グループはこのほど今後の宇宙開発の主柱として論叢を呼んできた”八〇年代の火星旅行”は打出さず、代わって七五年打上げをメドに大型宇宙ステーションを建造することを決定、十五日ホワイトハウスで開かれる会議でニクソン大統領に勧告するといわれる。
 この勧告はアグニュー副大統領を中心にシーマンズ空軍長官、ペインNASA(米航空宇宙局)長官、デューブリッジ大統領科学補佐官、シーボーク原子力委員長ら十四人の手で作成されたもので、その内容は向こう十年間の米宇宙開発の基本的方向を決定づけるものとして六一年ケネディ大統領に七〇年代の月飛行を勧告した文章以上の重要性をもつことになるとみられる。
 アポロ以後の宇宙計画をどう決めるかはジョンソン政権時代からの懸案だった。
 しかし、火星計画は少なくとも十二ヵ年計画で六百四十億ドル以上を必要とすると見積もられているだけに有力科学者筋に批判が強くバン・アレン放射帯の発見で知られるバン・アレン・アイオア大学教授らは、むしろ無人ロケットによる惑星探査を主張、一方議会でも多数の議員がいま直ちに火星飛行計画に着手することには難色を示し、ミラー下院科学宇宙委員長も”バランス”のとれた宇宙計画を唱えていた。こうした中で十五日ニクソン大統領に提出されるといわれる勧告は今後十年間の宇宙計画の柱として火星飛行計画は正面に出さず、かわりに七五年打上げをメドに大型宇宙ステーションを建造することを目標にしているといわれる。
 にもかかわらず、この勧告で注目されるのは、米国が今後核ロケットの開発を促進すべきであるとし、今後十年間ソ連の出方など情勢の変化によっては途中からでも八〇年代の火星飛行実現に移れるよう”含み”を残している点である。

(転載貼り付け終わり)

毎日新聞 朝刊 1969年9月15日 1面(14版)

(佐藤裕一による転載貼り付け終わり)

 

(佐藤裕一による転載貼り付け始め)

投稿時間:2003/05/18(Sun) 03:09
投稿者名:廣瀬哲雄
タイトル:11号の着陸点が分かったのは地球に帰還してから?

毎日新聞 夕刊 1969年7月30日 2面(4版)
(転載貼り付け始め)

正確な月着陸地点わかる

【ヒューストン二十九日ロイター=共同】NASA(米航空宇宙局)は二十九日、アポロ11号の月着陸船から撮影した写真と一六ミリムービー・フィルムを初めて公開したが、これを見た科学者たちは月の地形から月着陸船の着陸地点を正確に計算することができたと語った。
 この計算によると、着陸地点は北緯零度三八分五〇秒、東経二二度三〇分十七秒である。

(転載貼り付け終わり)

毎日新聞 夕刊 1969年7月30日 2面(4版)

(佐藤裕一による転載貼り付け終わり)

 

(佐藤裕一による転載貼り付け始め)

投稿時間:2003/05/18(Sun) 03:45
投稿者名:廣瀬哲雄
タイトル:原子力エンジン開発中!

毎日新聞 朝刊 1969年9月15日 3面(14版)

(転載貼り付け開始)

原子力ロケットエンジン実験も
米原子力委

 【ワシントン十八日AFP】米原子力委員会(AEC)は十八日夜、原子力ロケット・エンジンがネバダ州の地上実験場で過去数ヵ月間成功のうちに実験されたと
発表した。AECによると、このエンジンは推力五万ポンドで、三月以降二十八回噴射実験が行なわれ、延べ噴射時間は三時間四十八分に達した。これらの実験は推力七万五千ポンドのナーバ型原子炉の開発に使われるが、同型原子炉は最終的には飛行テストされる。
 原子力ロケットは、米国は一九八〇年代に開始するはずの火星飛行にとって必要になろう。

(転載貼り付け終わり)

毎日新聞 朝刊 1969年9月15日 3面(14版)

(佐藤裕一による転載貼り付け終わり)

 

(佐藤裕一による転載貼り付け始め)

投稿時間:2003/05/20(Tue) 00:20
投稿者名:廣瀬哲雄
タイトル:12号は着陸精度800メートル?

毎日新聞 夕刊 1969年10月1日 10面(4版)
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「サーベイヤーの破片持ち帰る」
アポロ12号船長談

 【ケープケネディ(米フロリダ州)三十日UPI】十一月十四日に打上げ予定のアポロ12号のコンラッド船長は三十日記者会見して「月着陸のさいには最高八百メートル月の地上を歩いてサーベイヤー3号の着陸している地点を訪れ、サーベイヤー3号の四つの破片を持帰りたい」と語った。
 四つの破片とは二年半前に打上げられたサーベイヤー8号のテレビ・カメラ、アルミニウム管、殺菌した針金および熱反射器とした用いられたガラスの破片であり、もし、これらの破片が地球へ持帰れるなら、月面上に置かれた機械がどのくらいの期間で影響を受けるかを調べるための貴重な資料となると期待されている。
 コンラッド船長は、ビーン飛行士とともに月面上に一日半とどまり、三時間半ずつ二度にわたって月面飛行を試みる予定であるが、三十日の記者会見で、どのくらい遠く月着陸船から歩けると思うか、との質問に対して同船長は、八百メートルぐらいだろうと述べ、もしアポロ12号がこれ以上の距離のところに着陸したら、サーベイヤー3号の発見は出来ないと思うと語った。

(転載貼り付け終わり)

毎日新聞 夕刊 1969年10月1日 10面(4版)

(佐藤裕一による転載貼り付け終わり)