小沢一郎内閣総理大臣のもと、植草一秀経済財政政策担当大臣の実現によって小泉~菅政権の負の清算を!

会員番号4655 佐藤裕一 投稿日:2011/01/20 23:53

 会員番号4655の佐藤裕一です。

 以下、登場する人物が多過ぎるため、文中基本敬称略と致しますので悪しからずご了承を。

 内閣府特命担当大臣としての経済財政政策担当大臣ですが、まだ廃止されていなかったんですね。てっきり消滅したものだと思い込んでいましたよ。この経済財政担当相、さぞや首相から縁遠い伴食大臣だろうと思いきや、結構な重量級が任命されたりするようです。

 ウィキペディアの項目「経済財政政策担当大臣」を見てみると分かりますが、戦後すぐの国務大臣としての経済安定本部総務長官から経済企画庁長官を経て現在に至るまで、内閣総理大臣が事務取扱だけした場合(芦田均、吉田茂、佐藤榮作、田中角榮、羽田孜)を除いても、石橋湛山、池田勇人、三木武夫、宮澤喜一、福田赳夫、麻生太郎、菅直人などの経済通(?)の首相級を幾人も輩出しています。河野一郎や藤山愛一郎、高村正彦のような首相以外の派閥領袖級・会長は少ないようです。

 民間人からは堺屋太一、大田弘子、そして参議院当選前の竹中平蔵など。良し悪しを別として、経済財政担当相在任中に大きく実権を行使したのは、この竹中ぐらいしか思い浮かびません。強力な後ろ盾がなければ国会議員であろうと民間人であろうと何も出来ないポストのようです。たいした職務権限がないからでしょう。だから竹中も後述する与謝野馨と同じで、他の国務大臣を幾つも兼任していたりしましたね。

 翻って強大なる職務権限がある(はずの)歴代法務大臣などはポストとしては軽量級で、臨時代理を除き出身の首相は全くのゼロだそうです。派閥領袖級・会長では石井光次郎、前尾繁三郎、高村正彦など。

 

経済財政政策担当大臣 – Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/経済財政政策担当大臣

法務大臣 – Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/法務大臣

 

 なので経済財政担当相はたとえ実権は少なくとも、ポストとしてはそこそこ重要ということのようです。前任の海江田万里も民主党で期待される首相候補に挙げられるとのことですから、与謝野ほどの人物が就任しても、政治権力という側面からすれば別段おかしくはありません。職務経験者でもあります。

 日本には野中広務や青木幹雄、綿貫民輔、江藤隆美(故人)のような、首相経験者ではないのに最初から院政を敷くという感じの派閥領袖級・会長級の、ボス・ドンといった貫禄たっぷりの長老議員政治家がいます。最初から首相就任を目指していません。

 それとは違って与謝野馨は、加藤紘一、亀井静香、平沼赳夫、谷垣禎一らと同じく派閥領袖級あるいは党首・総裁級の首相候補(本人に意欲有り)と並んで挙げられた保守派の議員政治家です。加藤紘一は加藤の乱での派閥分裂と失脚がありますが、それを含めて上記の方達はみんな、小泉純一郎の劇的な登場によって首相になれなかったのは私にも分かります。

 森喜朗以降、安倍晋三、福田康夫まで4代続けて同派閥(清和会)から総理総裁が輩出しているのは、たとえ最大派閥になったとしても均衡を欠いており著しく偏っていました。最後の自民党総理総裁である麻生太郎は派閥違いですが、もはや同派にはなるべき人物がいなくなったので、仕方なく誰もが納得する血統で選出されたのです。

 李漢栄さんは主宰ブログサイトで「麻生政権が懐かしい」「ましだった」と嘆いておいでであり同感ですが、私はわりと麻生が好きでかなり面白い人だと思いますから、それでやはり歴史と伝統ある自由民主党の最後を華々しく有終の美(?)飾るのに、吉田茂の孫である彼が最も適切な、歴史的要請のある人物だったのだと考えます。

 首相になれなかった谷垣を含め、「麻垣康三」は全員小泉ほどの手先人間ではなかった。もしくは、結果的になりきれなかった。アメリカの要求と脅迫があまりにも苛烈過ぎて1年経つともたなくなり投げ出さざるを得なくなるのでしょう。鳩山由紀夫にしても脅迫に敗れたということです。

 自民党がアメリカから1度見捨てられてから政権復帰し2度目に見捨てられるまでに、アメリカの勝手な都合により(ネオコンが暴走して引き起こした対テロ戦争であるアフガン戦争、その次にイラク戦争に付き合わせる協力支援体制を万全に敷かせるため)、自民党を見捨てるのが先延ばしにされた時期が、小泉純一郎政権です。

 いまだに日本の一般国民は、薄々小泉政治の真相に気付いてきているのに、素直に反省を表明しないのです。自衛隊派遣の本格的な責任追及もしていません。イギリスのブレア元首相の境遇とは大違いです。まんまと騙されて支持したのが自分達一般国民だから、今更批判するのはどうしても恥ずかしいのですね。その点では田中・ロッキード裁判や人類月面着陸問題みたいなものです。過ちを認めたくないのです。

 小泉を批判するということは大多数の国民にとって騙されたり踊らされたりした過去の事実(恥・汚点)を認めるということにつながります。だからそれを暗に避けてしまい臭い事実に蓋をするのです。それが更なる間違いの元となるのです。本当の平和主義者となった元・駐レバノン大使の天木直人が批判の急先鋒です。

 私は、小泉内閣から安倍内閣に引き継がれた時の、あのテレビを見ていて感じた奇妙な空気、強烈な違和感を今でも覚えています。テレビではほとんど誰も小泉を責めなかった。まともな業績評価の総括がなかった。普段はよってたかって散々に言われて退陣していくのが日本の首相の常ですよ。

 その後今に至るまで日本の状況を悪くした小泉への責任追及がありません。有権者の一般国民がそんなだから図に乗って世襲議員に地盤を継がせるのを許し、更には政界全体に院政を敷きたい輩が増えるのです。

 私も何度も書いてますが、現在日本のいわゆる世襲議員達は、選挙の洗礼を受けて当選しているのですよ。議員は全て国民の代表なのです。世襲だろうが二世三世四世だろうが、立派な人はやはり立派です(小沢一郎は二世、田中真紀子も二世、鳩山由紀夫は四世)。

 それでも、世襲議員の大多数がてんで駄目なのは確かです。私が言いたいのは、政党本位で投票行動を決めるのでないのだったら、少しは人物を見ろということです。だから私は各政党が党内規則で世襲制限をするのは勝手だけれども、あるいは官僚出身政治家を党が公認しないようにするとかは良いけれども、選挙法で世襲制限・禁止や前職による立候補制限などを制定するのは立候補の自由と選挙民の判断機会を奪うことになるから、賛成しません。有権者が血縁・血統だけで全てを判断する国になったのであれば、それはもはやどうしようもない国と国民だということです。

 さて、小泉純一郎の話に戻ります。アメリカの大統領のように2期8年とはいきませんが、小泉政権は安定して5年半ありました。日本では長期政権の方が例外です。5年半もの間に何もかも悪化しただけで、在任中に好転したことなど全く無いではありませんか。

 後任の安倍、福田、麻生らはたった1年ずつ、彼等なりにアメリカに小突き回されながらも精一杯やって、それでも悪化をくい止めることが出来なかっただけです。長期政権で今日までの悪化の元凶となった政権と、短期政権でその悪化状況を引き継いで転げ落ちていった政権。一体どちらがより悪いといえるでしょうか。彼ら3人は新聞テレビが小泉を責めないようにごまかすために、より一層矛先を向けられただけではありませんか。

 最近よく短命が悪い、日本政治の顔としてコロコロ変わるのは問題だ、などと急に言い出した人達がいます。今まで米・官の意向があった際に首相引き摺り下ろし言論を展開する手先人間達が、同じ口で恥知らずにもこんなことを言い出します。コロコロ変わっているのは手先人間自身の態度の方でしょう。命令に従って言動を変えていくからなのですね。

 日本の首相が長続きしないのは、日本国憲法下における議院内閣制(首班指名制)が持っている制度的な欠点・欠陥です。私も行法(行政)の安定性・継続性の観点からは確かに問題だとは思っていますが、首相公選制(直接選挙制)にするなどして任期を確定(固定)させなければ抜本的な改善は無理です。憲法改正しなければ出来ませんので、首相個人だけに帰する問題ではありません。

 昔の首相待望論の筆頭候補であった石原慎太郎や、現在の「次期首相にふさわしい人」で挙げられる野党の舛添要一、石破茂、渡辺喜美、石原伸晃、小泉進次郎、小池百合子、それから知事の東国原英夫、知事出身の田中康夫などの広報担当(人寄せパンダ)にふさわしい面々よりは与謝野馨の方が首相にふさわしい人物でしょうが、消費税増税の旗振り役という国民からの嫌われ役を押し付けるために呼ばれた人ですからね。小泉さえ登場しなければ彼も適切な時期に首相に選出されていたのかも。後の祭りですがね……。

 

時事ドットコム:内閣支持微増、21%=不支持は59%-時事世論調査
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2011011400594

 

 私は「戦後最悪の首相は誰か」という後ろ向きの設問が話題になる際に、いつも現役の首相の名前を挙げてしまうのは安易なので、軽々には判断しないように気をつけています。誰が首相だろうと常に「首相は責任をとって辞めろ」と言ってしまうのは悪癖です。考えなしの「戦後最悪の首相」のインフレ更新はよくありません。言葉の価値が減っていきますから。

 私は自我が芽生えて以降(一番古い記憶は宮沢喜一)の首相しか実感を伴っての評価は出来ませんが、「戦後最悪の首相は誰か」と問われれば小泉純一郎です。

 消費税を導入した世俗の王権簒奪者・竹下登や、従米化を促進させた中曽根康弘になると、もう首相現役時代を知らないので歴史的知識での判断しか出来ません。さらに前の田中角榮、岸信介、吉田茂を実感を伴って挙げることは完全に無理です。

 世間での「戦後最悪の首相」で定評があるのは村山富一と宇野宗佑で、細川護煕や鳩山由紀夫、菅直人を挙げる人もいらっしゃるでしょう。宇野を除き、これらの人達に共通するのは就任時に自民出身ではない首相だということです。

 ということは日本政界においては非・自民である時点で政治改革派に属するとみなされますので、改革が進捗しないと期待と現実との落差が激しいため失望の度合いも大きいため、本人の真意は何であれ裏切りと感じるのです。だから菅直人が「戦後最悪の首相」だという場合は、理想の裏切り、改革の後戻り、反動という点において言われるのです。

 小泉の場合は自民からの改革者(似非だけど)とみなされていたので、「失敗して元々」ということなのです。オバマ大統領だって実際に「チェンジ」出来ないと米国民に分かってくると、段々失望が広がってきて支持率が低下してきていることからも分かるように古今東西同じであって、日本政治だけの現象というわけではありません。

 日本が顕著なのは、改革派への見切りが早過ぎることです。情熱が冷めるのが早い。転落してしまった菅直人が烙印を押されるのは正当な評価であり当然ですが、だからといって改革自体をすぐに諦める無気力は問題です。一般国民が真の改革派と偽の改革派を見極めることもせず、すぐに保守反動に走るため非・自民政権はすぐに終焉を迎えます。

 これが日本の「欠陥政治メトロノーム」です。ずーっと自民(保守)、ちょっと非・自民(改革)、それが駄目だとまたずーっと自民(保守)。

 自民は日本国内基準における保守派なので、本来の性質からして改革が駄目でもいいわけです。なにしろ「保守派」なのですから、悪化しているこの「現状を保守」することが許されるという理屈です。

 だから小泉は似非改革派だったので、郵政関係(改革派というより破壊者だが)を除けば現状保守派とアメリカの支持(指示)で妥協出来ていたのです。コップの中の争い、自民政治における「やじろべえ」がうまくいったというだけのことです。

 偽の改革派による主導政治が駄目だったからといって、真の改革派への応援を止めることはない。有権者である一般国民が応援を止めていくから、国民政治家だって腰が座らないような事態に陥ります。国民が断固としていないからです。この悪循環を、もう断ち切らなければなりません。

 だから「ねじれ国会」だなんだと言われるが、小泉純一郎と菅直人こそが「ねじれ人物」です。小泉は保守政党に出現した改革派(似非)、菅は改革政党に出現した反動保守派(改革派の裏切り者)です。共通しているのは似非改革派だということです。

 だからこそ、保守派であれ改革派であれ、真の国民政治家を日本国の首相にしなければなりません。

 タイトルに「小沢一郎内閣総理大臣のもと、植草一秀経済財政政策担当大臣の実現によって小泉~菅政権の負の清算を!」と書きましたが、小泉政治の一番の犠牲者である植草一秀を経済閣僚に据えることが、小泉とマスゴミに騙され踊らされまくって彼に誹謗中傷の石を投げつけた一般国民が出来る謝罪であり贖罪です。彼が国民に謝罪するんじゃありませんよ。国民が彼に謝罪すべきです。私は植草氏とは経済思想が違いますが、日本国が負の清算をすることが最優先です。

 そして検察審査会によって強制起訴され刑事被告人となった人物が内閣総理大臣になる。もしくはその後からでもいい、国務大臣の起訴を受けて立つかどうか判断する。それで何がおかしかろう? 刑事被告人というのは有罪判決が確定していない状態の人物、つまり現時点で無罪である人間が内閣総理大臣に就任するという、ただそれだけのこと。

 これは国民政治家・小沢一郎だからという贔屓でのみ言っているんじゃない。誰であってもそうだ。たとえ菅直人が、これから何らかの理由で起訴され、受け入れないあるいは受けて刑事被告人となろうが、私はその事実だけを理由としての辞職要求は断じて「一切」しない! 政治家は、立法であれ行法(行政)であれ、政治的業績でのみ評価・判断するべきだ。結果責任は有権者である一般国民による選挙での当落によって示されるべきである。

 むしろ高級官僚による政治謀略の被害者が首相になるんだったら慶賀すべきことだ。そのような首相を持つことは誇りに思っていい。官僚の操り人形となって攻撃されない、クリーンを標榜する首相を持つよりよっぽどいい。このクリーン政治の罠に落ちないように気をつけなければなりません。デモクラシーにおける政治には膨大なカネがかかるのです。「政治とカネ」は当たり前のこと。

 アメリカと官僚は日本国民が騙されて国民政治家を攻撃する状態が大好きなのです。だからマスゴミと一緒になってそういう好都合な政治状況を作り出すのです。それを許しているのは有権者である一般国民です。どうしようもなく不完全ながらも「不逮捕特権」というものが何故あるのか、それを考えて正しく認識することが必要です。国民は思い上がった「官憲の横暴」を許してはなりません。勘違いが常態化して増長してしまった「彼等」に鉄槌を下すのです。