官僚に絡め取られた野田総理:野党時代は“すばらしい政治家”だった?

清野 眞一 投稿日:2012/01/22 10:55

「新ベンチャー革命」(2012年1月21日 No.515)を貼り付けます。

(転載貼り付け開始)

タイトル:官僚に絡め取られた野田総理:野党時代は“すばらしい政治家”だった?

1.野田総理の二枚舌演説の証拠画像がネットの話題に

 本ブログ(注1)にて野田総理の政見演説における豹変振りを紹介しました。この動画はユーチューブにて誰でも見られます(注2)。本件、ネットで話題が沸騰しているので、そのうち削除される可能性があります。そこで筆者は早速、ダウンロードしておきました。ネットでは多くの人がこうして画像を保存してしまっているので、権力側がいくら削除してももはや手遅れです。

 このような二枚舌の証拠画像を国民サイドに握られた総理大臣は歴史始まって以来、初めてではないでしょうか。

 いずれにしても、野田総理の居直りは半端ではありません(注3)。このような二枚舌の証拠を突きつけられても、おそらく“それがどうした”と居直りそうです。

 もしオモテの大手テレビ局がこの野田画像を全国の茶の間に流せば、全国の国民は仰天して腰を抜かすのではないでしょうか。人間、ここまで居直れるのかと唸ってしまいます。もしこれがマスコミの天敵・小沢氏の画像だったら、彼らマスコミ連中は連日、この画像を鬼の首でも獲ったかのように、繰り返し、繰り返し茶の間に流し続けるでしょう。しかしながら、野田総理に対して、その気配は全くありません。

 日本のマスコミはほんとうにとんでもなく狂ってしまいました。

2.なぜ、野田総理はこれほど豹変したのか

 野党時代の野田氏の名演説から、彼は2009年当時、官僚の天下りを根絶すれば、年間12兆円が捻出でき、消費税を5%から10%に上げる必要はないと単純・素直に考えていたと思われます。ところが政権に入って官僚を使いこなす立場になって、官僚を敵に回すと何もできないことがわかったのではないでしょうか。そこで、彼はひたすら官僚の言いなりになってしまったと想像されます。

 よく似た例は長妻・元厚労大臣にも見られます。彼も2009年の政権交代後、国民からの熱い期待を受けて張り切って厚労大臣になって長年懸案であった年金問題を解決しようとしたのですが、厚労官僚から思うように協力が得られなくて省内にて孤立してしまいました。今の長妻氏は別人のように存在感がなくなりました。また、小泉政権時代、外務大臣になった田中真紀子氏も外務省の人事に手を突っ込んだため、露骨な妨害をされてすぐに辞任を余儀なくされました。田中氏にとって外務官僚が妨害するのは想定内だったのですが、自分のスカートの裾を後ろから引っ張っていたのは、あろうことか、自分を外務大臣に任命した小泉首相その人だったと国会で告白しています。この話から、小泉首相の本性が透けて見えます。

 これらの事例は、日本における政治家と官僚の関係をよく物語っています。

ところで日本には亭主関白という言い方が残っていますが、それは主に男尊女卑社会と言われた西日本地方での話です。これにはウラがあって、女房はオモテムキ、亭主のメンツを立てていますが、現実は女房が家計を握っているわけです。

 長崎出身の歌手・さだまさしのヒット曲“関白宣言”はこの西日本文化を象徴しています。

 ちなみに、米国は日本の男尊女卑の逆のレディファースト社会と言われていますが、筆者の対米経験によれば、実は、米国こそ男性優位社会です、レディファーストというのは単にカムフラージュに過ぎません。

 さて話題を戻しますと、日本の政治家は“亭主”であり、官僚は“女房”と言えます。亭主は女房の言いなりになっていれば、いい気分でいられるのです。戦後の自民党政治家の大半が官僚にいい気分にさせてもらい、みんなそろって大臣病だったわけですが、官僚からは内心、バカにされていたということです。

3.政治家主導を唱えていたのは小沢氏だった

 自民党出身の小沢氏は、上記の自民政治家の大臣病体質を観て育っていますから、政権交代によって、国民の代表・政治家主導の日本、すなわち本来の民主主義政治を取り戻そうとしたことは周知の事実です。

 そこで、小沢氏は官僚にとって極めて不都合な政治家となって、悪徳ペンタゴン官僚の謀略によってひどい目に遭わされています。

なお、上記、悪徳ペンタゴン日本人勢力および彼らを動かす米国戦争屋の定義は、本ブログのNo.225の注記をご覧ください。

4.野田総理豹変の遠因は小沢ショックにあり

 2009年の政権交代を一言で表現すれば、それは『小沢vs 悪徳ペンタゴン官僚の対決』と総括できます。

 小沢攻略に血道を挙げる悪徳ペンタゴン官僚の後ろには、マスコミ、米国ジャパンハンドラーがついているのですが、これが小沢氏の敗因です。

 政権交代後の民主党若手議員は野田総理を含み、この対決構造を目の当たりにしたのです。その現象を本ブログでは“小沢ショック”と命名しています(注4)。

 そこで、上記の野田氏の豹変の遠因はこの小沢ショック症候群によるものと分析できます。

 野田総理を筆頭に民主党議員の多くは小沢ショック症候群に陥り、野党時代とは別人のように豹変したと思われます、そしてわれら国民から見れば、現在の不甲斐ない民主党議員は、かつての政権党時代の自民党議員となんら変わらなくなったのです。これこそまさに、小沢vs 悪徳ペンタゴン官僚対決における後者の勝利です、悔しながら・・・。

 今の黄昏民主党の唯一の救いは、自民に比べて、小沢的政治家が少なからず残存している点です。

5.日米政治体制の違い

 われら国民は、戦後日本は米国の指導により米国型民主主義社会となったと認識しているかもしれませんが、これは大きな誤解です。日本は民主主義社会を偽装した官僚支配国家なのです。戦後の日本国民は悪徳ペンタゴン勢力に大きく騙されています。最近、多くの国民がウスウスそのことに気付いてきました。

 この日本の欺瞞的二重構造国家体制は1940年体制と呼ばれています(注5)。この体制は米国とまったく異なります。米国は小沢氏の目指す政治家主導国家です、ただし、現実は米国寡頭勢力(米国戦争屋含む)にステルス支配されていますが、いずれにしても米国は決して官僚支配国家ではありません。米国の官僚は米国連邦政府のアドミ担当の位置づけに過ぎません。

 戦後、日本を統治した米国GHQは日本の1940年生まれの官僚支配国家体制をアンチ民主主義体制とみなして、解体するどころか、逆に利用しようと考えて戦前の1940年に誕生した官僚主導の国家総動員体制を戦後も温存したのです(注6)。その意味で彼ら米国ジャパンハンドラーも二枚舌であり、ほんとうに狡猾な人たちです。

6.政策シンクタンク機能の日米相違

 筆者は米国シンクタンク・SRIインターナショナル(本部シリコンバレー)出身ですが、SRIはワシントンDCにも拠点を持ち、連邦政府の政策支援を担っています。SRIは特に科学技術政策に強い非営利中立シンクタンクです。このようにワシントンDCには多数の非営利中立シンクタンクが存在し、米国人政治家は官僚ではなく外部の非営利中立シンクタンクを活用して政策立案を行うのが常識です。一方、日本では米国の常識である非営利中立であるべき政策シンクタンク機能を官僚および官僚天下り機関が独占しているわけです。従って、日本の政治家は政策立案の際、官僚やその天下り機関に依存せざるを得ない仕組みが出来上がっています。この構造にこそ今日の日本の官僚支配体制の真髄があります。

 日本独特の官僚独占シンクタンク機能の問題点、それは、そのコストをすべてわれら国民の血税で賄っている点です。上記、野田氏の言うとおり、彼らシロアリ官僚は毎年12兆円の税金を浪費して政治家に対して、実質的官僚優位体制を維持しています、確かに野党時代の野田氏のシロアリ官僚批判論は正鵠を射ています(笑)。

 一方、米国では非営利中立政策シンクタンクに米国寡頭勢力が莫大な資金援助しており、米国人官僚が政策立案に入り込む余地はほとんどありません。だから米国連邦政府は実質的に米国寡頭勢力(戦争屋含む)に支配されています。

 さらに彼ら米国寡頭勢力はそのステルス支配ノウハウを米国支配から日本属国支配にまで拡大応用しています。そして、対日属国ステルス支配のために、日本の官僚を巧妙に利用しているわけです。それこそが、上記、悪徳ペンタゴン体制(1940年体制を含む)そのものなのです。

 2009年、野党時代の野田氏は、この悪徳ペンタゴン支配体制の本質をズバリ指摘していた“すばらしい政治家”であったのは確かです。2009年時点にて“すばらしい政治家”であったこの野田氏を2012年現在、極め付きの悪徳ペンタゴン政治家に豹変させた元凶、それこそが、悪徳ペンタゴン1940年体制そのものであるとわれら国民は認識すべきです。

注1:本ブログNo.514『われら国民は“ノダの振りみて我が振り直せ”をモットーにすべき』2012年1月19日
http://blogs.yahoo.co.jp/hisa_yamamot/28167248.html

注2:必見 野田佳彦の超特大ブーメラン発言、2012年1月19日
http://www.youtube.com/watch?v=THkY0BZqwjE

注3:本ブログNo.493『野田居直り政権の誕生:日本政治をここまで狂わせた元凶はマスコミを牛耳る黒幕と気付け!』2011年12月11日
http://blogs.yahoo.co.jp/hisa_yamamot/27733271.html

注4:本ブログNo.512『小沢ショックがもたらしたもの:日本の民主主義危機』2012年1月15日
http://blogs.yahoo.co.jp/hisa_yamamot/28125119.html

注5:ベンチャー革命No.032『1940年体制からの決別』2002年12月22日
http://www.geocities.co.jp/SiliconValley-Oakland/1386/mvr032.htm

注6:野口悠紀雄[2002]『1940年体制 さらば戦時経済』東洋経済新報社、新版版

(転載貼り付け終了)