学問の巨星墜ち、小惑星ばかり残る
会員番号4655の佐藤裕一です。
本日は2010年9月12日(日)です。菊地研一郎さん、お久しぶりです。
昨日は9月11日という、歴史的大事件が発生した日付けであり、9・11事件について書くべきだったのですが、後日に回すことに致します。その他にも時事的な話題として鈴木宗男氏のこと、村木厚子さんのこと、民主党代表選挙のことなど、投稿及び記事転載貼り付けすべき事柄が沢山ありますが、これらもまた今度あらためて、ということにします。
不世出の学者、小室直樹先生が既にお亡くなりになっていたということを私は、9月10日早朝の副島隆彦先生による重掲への書き込みで、その時にはじめて知りました。
以下の文章は10日のうちから書き始めたものなのですが、いつもの癖が出て冗長かつ散漫になってしまい、追悼文章を書く機会というのもこれまであまりなかったので巧くまとめられず、更に仕事の関係もあってあまり執筆時間もとれず、即座に書き込みなどの反応が出来ませんでした。私はものすごい遅筆だというのに、反省しています。
追悼といっても私は偉そうに献辞など出来るほどではない一介の読者でしかないので、自分の認識を書くだけであります。正式には副島先生が、これからも書いていくでしょう。
今年も9月9日に、そういえば小室先生の誕生日だったなとは思いはしましたが、現投稿時点でも死因や命日については公式確認されておらず、不確定段階と言っていいでしょう。享年78歳だそうです。
2007年の『硫黄島栗林忠道大将の教訓』(ワック社刊)以来、なかなか小室先生の新作が出ないなとは思っていましたが、ついに……ということです。
『信長 ー近代日本の曙と資本主義の精神ー』(ビジネス社刊)という本が新たに出ていたことは曖昧にしか知らなかったので、遺作ということになりましたから購入致しまして、読んでいるところです。2010年6月2日に初版の第1刷発行と書いてあり、世間と政界では普天間挫折とそれに続く鳩山首相・小沢幹事長辞任、菅首相就任などの6・2反小沢クーデター騒ぎの渦中にあり、その最中にあって出版されたのですね。
故・田中角栄を弁護する言論を孤軍奮闘で展開した小室先生が、現代の小沢一郎氏に対してどんなお考えを抱いていらっしゃったのか、お聴きできないのが残念で仕方ありませんけれども、こういう話題についてはすぐに「故人の思想を都合よく解釈して政治利用」云々……ということに直結してしまうので、深く掘り下げるのは止めておきます。
但し一つ言えることは、小室先生にはご自分から公式に発表している明確な政治思想や理論、論理が有るという、以上の明白な事実からして、政治の話題を避けて通るなんてこと自体が本当は無理なのです。温厚篤実に没政治的態度、非政治的であればそれでいい、謙遜謙虚の姿勢が大事、ということには当てはまりません。時代遅れになって現実の政治に当てはまらないとすれば仕方ありませんが、こちらは大いに当てはまるのです。評者による思想解釈の誤解や勝手な捻じ曲げ、作為的な曲解があれば訂正されなければならないでしょうが、それも一方的に断定されるだけでなく公に議論されることが前提となるでしょう。小室先生の理論に間違いがあることを指摘する場合も当然同様ということです。批判的継承により理論も発展していきます。
話を戻しますと、先程『信長 ー近代日本の曙と資本主義の精神ー』が遺作と書きましたが、上記の本は公式には最後に出版された本なのでしょうけれども、『信長の呪い――かくて、近代は生まれた』(光文社刊、1992年)に一部加筆したものということですから、果たして遺作と呼んでいいのかどうか判断がつきません。他にも執筆途上の作品が存在する可能性も有ります。後世の人が複数作品を遺作に挙げて論争になる場合は、それぞれがみんな遺作ということでいいらしいですね。
私は故人の生前の時からずっと、恐らくお会いする機会は得られないだろうと薄々思っていましたが、やはりその通りになりました。小室先生はインターネットの公式サイトなどを主宰していらっしゃいませんでしたので、きっとそうなるだろうなと。本人宛のメールアドレスも持たなかったでしょう。お忙しい中、私から私信なども出しませんでした。今から思えば、お返事無用のファンレターぐらい出せばよかったのでしょう。
いくら自分の先生の先生、師のそのまた師であるといっても、一度もお会いしたことがなければ、さして生身の実感は湧きません。吉本隆明先生しかり、岡田英弘先生しかり、本を通してしか人となりを存じ上げません。故・片岡鉄哉先生にしてもそうでした。人物像は漠然と、想像しているだけです。
やはり小室先生の存在を知るのが遅過ぎたこと、それに何より私の消極さ加減がありました。直接お話することなどなくても、講義などを拝聴する方法などで、お顔を拝見出来る場は、きっと探せばあったはずだとは思うのですけれども。後には後悔しか残りません。
私の手元に残っている小室先生関連のものは、以前に菊地さんともここの旧掲示板でお話しましたが、中古で購入した著者本人謹呈の(偽筆でなければ)直筆入り『中国共産党帝国の崩壊』(光文社刊、1989年)と、その他の著作集です。
ちなみに『小室直樹経済ゼミナール 資本主義のための革新』(日本BP社刊、2000年)というドでかい本があって、特別付録で講演を収録したCDが入っているので、どんな感じの声であったかは知っています。勿論、故人の生前における肉声を直接聞いたことはありません。
ずいぶん古い著作では、まだ購入出来ていない本も沢山ありまして、未入手リストも自作で作っています。晩年に入る前までは多作でいらしたので、商業出版されたものに限っても膨大な数にのぼりますし、共著も多数あります。それこそ文献目録が必要になるのも首肯出来るというものです。
なかでも全国民必読の書があり、後世のため、後学のためにも本当の全集の編集、編纂作業などで、良書中の良書を選定するといったことが必要となるのでしょうけれども、それを宮台真司氏がおこなうのか橋爪大三郎氏がおこなうのか知りませんが、大変な時間がかかるし労力を消費するでしょう。
それには方向性の問題もあるし、弟子の誰に資格があるのかとか、そういった問題もあるでしょう。義務感以外に熱意や情熱が必要だと思いますが、そんな人生時間を投入出来る人が、小室先生の教え子の中にいらっしゃるのでしょうか、大いに疑問です。誰もが納得のいくように時間経過による冷却期間をおくということで、下手したら何十年か業績をほうっておかれる可能性もあります。
私は門外漢ですから元々発言資格無しと言われればそれまでですが、勿論私などにはその学問業績の全体像を大きく把握出来るまでには到底力不足でありまして、これは遠慮、謙遜では全くありません。
すると目下、簡単に有益に利用可能なのは個々の単行本というところに落ち着きます。私は以前から書いていましたが、日本人は義務教育で文部科学省のつまらない国定教科書なんかを読まされるくらだったら、いっそのこと小室先生の本を子供から全員が読むべきだと。そうすれば日本人は脳味噌が根底からまるごと入れ替わって、すっきりさっぱり意識改革されるんだと。何の笑える冗談でもなく考えていましたから。その方が余程良いじゃないかと今でも思っています。
これが副島先生の著作になってしまうと、一切合財全て世の中の真実を暴きたて過ぎているがために、子供は全員未来にも将来にも絶望してしまい、生きる気力を喪失してしまう可能性が大です。多感な少年期や青年期にあって、それはあまりにも酷というものでしょう。成長期には劇薬過ぎるのです。
副島先生の本は他人に押し付けて読むものではなく、惹きつけられてしまい恐る恐る自分から徐々に読むことになってしまう本です。未成年は読むならばそれなりの覚悟をして読めばいいのです。但し成年に達して、成人・大人となったらもはや行動だけではなく思考においても、いつまでも子供気分を引きずったような甘えは許されない。馬鹿でなければ、ということだ。大人の判断には誰からも物理的・強制的な命令、干渉を受ける必要は無い。自分自身がどうであるのか、ということがあるだけだ。誰からも何も押し付けられる謂れは無い。自戒もこめて書いています。
小室先生は後続、後発が歩む道を意識して、熱心に配慮していらっしゃったのが、ご著書の端々から読者側に伝わってくるのです。副島先生も弟子育成を大変重要視していらっしゃいますが、スパルタ放任形式教育なので、弟子の育て方という観点からするとかなり違うのでしょう。
また大幅に話が逸れましたが、とにかく各個人個人、それぞれが小室先生の本のリストから、自分に必要そうだなと感じるもの、タイトルに惹かれるものでも何でもいいから、気軽に本を手にとって読めるようになればいいというか理想ですね。まさにそれくらいの意義のある知的共有財産なのですから。小室先生がこの世を去られたのは、まさに日本の損失ですが、命と時間ばかりはどうしようもありません。
それにしても。小室先生の奥様のことや家庭の事情については、私は副島先生の文章からしか垣間見えないし、他人の私生活ですから私なんかが、アレやコレやと外野から何か言ってみたりして干渉するようなことではありません。
しかしながら、です。それにしても、です。僭越至極、不遜の極みながら小室先生に対して言及している身としては、傲慢ついでにこの日本社会に対して物申す。それは菊地研一郎さんの投稿「[15]小室直樹の訃報、報道されず?」における、菊地さんの実に率直でもっともな感覚に戻りまして、その点が私には疑問ですらあります。
日本が生んだ稀有の学者、稀代の大天才。日本の学問環境というか学問土壌・風土においては、世紀単位で得難い、真の大学者であると言っても過言ではないのが小室直樹先生です。立川談志が呼ぶところの無学者(これ以上修めるべきところが無い学者。無上、この上も無いということ。現代日本語で用いるには、かなり分かり難い表現ではある)という称号が贈られるほどの大人物です。日本が誇る当代随一の~ではなく、そのものズバリ日本一という表現が相応しいわけで、副島先生もそのように認めていらっしゃいます。
その偉大なる日本一の学者が最期を迎えたのに、ほとんどの日本人には何も思うところが無い。何も話せる事柄が無い。先生の存在すら何も知らないからだ。もしくは名前だけかろうじてくらいだ。学者の死なんて日常生活に影響しない、静かに厳かに波が引くように、学者の死なんて所詮はそういうものなのだ、で済ませられるのかこれは。
だから反応がネット上でポツポツと各人が言及するくらいなもので、世間一般においてはさざ波どころか、波紋1つ起こらない。そう感じるのは私だけでしょうか。まだ故人の逝去が知れ渡ってないからでしょうか。私には到底そうは思えません。これからそれが公然と判明してくるのではないでしょうか。
それは例え大々的に公式に訃報が流れたとしても、世間が無知無関心どころか、学界も注目せずに素通り通過していき、そんな事態に対して彼らは奇異な感じは抱かないと予想致します。総括どころかコメントなんて何も無いのが大方でしょう。あえて不当な評価をしたり、故意に無視しようとするのではなく、元来からその程度の認識しかないということです。小室先生の存在なんて彼らと大方の国民にとっては、無いに等しいのです。ましてや日本一なんていう認知も無いでしょう。
確かに小室先生は「日本一」の学者ではあっても、「日本を代表」する学者ではありませんでした。「日本を代表」するためには故・山本七平が喝破したところの、空気支配の承認を受けなければならない。つまり、曲学阿世の徒となり、茶坊主学者の中の、更にお茶の間を沸かせる人気者でなければ世間は認めないし受け付けない。認知しない。田中角栄対検察で大騒ぎしたことがある、単なる奇人変人学者の死となる。許せるか。
こんな国だからもう、あとは無内容の大学に居座るか象牙の塔に立て籠もるか、市井でつましく暮らしたり本を売ったりするしかない。これが日本社会における学問環境の悲惨な現状である。この国において、誰が希望を持って、大志を抱いて学者になるというのか。誰が後に続けるというのだろうか。
小室直樹先生のご逝去に対し、心からお悔やみ申し上げます。
小室直樹 – wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/小室直樹
小室直樹文献目録(佐藤裕一註:よく分からないのですが、学問道場内の「小室直樹文献目録」とは別にあるサイトの模様)
http://www.interq.or.jp/sun/atsun/komuro/
天才社会学者―小室直樹 死去|Dr.きのこるの もう、ゴールしてもいいよね・・・?(佐藤裕一註:故人の社会的評価について表明している文章を発見。この点において私はおおいに考えを同じく致します。URL貼付します)
http://ameblo.jp/drkinokoru/entry-10645664697.html
「埋もれた名著」「埋もれた巨匠」という幻想 – HALTANの日記(佐藤裕一註:複数のサイトで故人に言及されているが、冷めた視点での批評を発見。単純な小室直樹嫌いで反感を示したような文章ではなく、評者の思想的立場から発された文章である模様)
http://d.hatena.ne.jp/HALTAN/20100912/p1
旧掲示板[416] 日本語という名の天井 投稿者:会員番号4655 佐藤裕一 投稿日:2009/07/15(Wed) 21:54:44(小室先生は副島先生と同じく、この日本に生まれついてしまったという運命、宿命を背負ったかたでした)
http://www.snsi-j.jp/boards/past.cgi?room=mail&mode=find&word=%5B416%5D&cond=AND&view=10