外側視点の日本文化論

会員番号4655 佐藤裕一 投稿日:2010/09/21 07:59

 会員番号4655の佐藤裕一です。

 菊地研一郎さんへ

 投稿[20]「デパートメント・オブ・アンソロポロジー・アンド・リングイステイックス(人類・言語学部)」をありがとうございます。

 アメリカで発達した新しい学問運動による、ヨーロッパ既成学問に対する勝利(暫定)については、重要な政治的背景があるということですね。下火になったとはいえ未だに闘いの最中なのでしょう。国家として独立するだけではなく、学問においても抜け出していって、ついでにヒトラーの優生学利用のやらせ暴走でもってヨーロッパを地面に叩き落したのですね。先生の『属国日本論を超えて』という目立たずに凄い本があって、そこに学問の巨大な対立図式について詳しく書いてありますけれども、どっちにしろ近代同士の衝突であって前近代は蚊帳の外です。

 それにしても菊地さんの引用文中での対談で触れられているように、ルース・ベネディクトの『菊と刀』に対する当時の日本人学者達の反感は、相当なものがあっただろうなということは私にも理解出来ます。

 名誉ある立場にいる日本人の男であれば、あそこまで自分達が日本列島の原住民として素っ裸にされてしまえば面目丸つぶれで、そりゃ怒り出しますよ。しかしなにしろ現実で敗戦しているものだからブツブツ言っただけでしょう。それが学問の力でも実際に敗北していたのだから何ともむごい追い打ちです。

 日本固有の「高く深い文化」を、もったいぶった高級文化論に仕立て上げたところで、『菊と刀』を超えるどころか対等に渡り合えるわけもありません。というか歯が立たないし、足元にも及ばないでしょう。

 それでも「日本人だから日本のことが外国人よりもよく分かる」という特権で、日本人によるそれなりの日本文化論や日本人論は出ているでしょうが、それは内から見る視点を脱せていない。だから外側からの冷酷な生態観察で透視するという『菊と刀』には太刀打ち出来ないし、同じ日本文化論であって同じ土俵にあがれません。

 日本人によってその外側視点をはじめて導入して本格的な日本文化論を書いたのが先生の『属国・日本論』だということです。

 ところで先生の『属国日本論を超えて』の前書きによると、敗戦後の『菊と刀』から、各年代に発表された日本文化論の大作は以下の通り。

(佐藤裕一による引用始め)

 50年代『菊と刀』(ルース・ベネディクト著、1946年)
 60年代『タテ社会の人間関係』(中根千枝著、1967年)
 70年代『日本人とユダヤ人』(イザヤ・ベンダサン=山本七平著、1970年)と『甘えの構造』(土居健郎著、1971年)
 80年代『ザ・ジャパニーズ』(エドウィン・ライシャワー著、1977年)、『ジャパン・アズ・ナンバー・ワン』(エズラ・ヴォーゲル著、1979年)
 90年代『日本/権力構造の謎』(カレル・ヴァン・ウォルフレン著、1990年)

(佐藤裕一による引用終わり)『属国日本論を超えて』(副島隆彦著、五月書房刊、二〇〇二年八月一八日第一刷発行、二〇〇二年九月一〇日第二刷発行、引用第2頁)