中国では「九・一八事変」という「満州事変(まんしゅうじへん)」。明仁天皇は、「満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び、今後の日本のあり方を考えていくことが、今、極めて大切なことだと思っています」と、2015年の年頭挨拶で述べた。

黒須 裕子 投稿日:2023/09/18 13:39

昭和6年(1931)9月18日、柳条湖(りゅうじょうこ)で日本の関東軍が南満州鉄道の線路を爆破した。関東軍はこれを中国軍の行為として出兵し、満州事変の口火を切った。

 満州事変(まんしゅうじへん)は1931年9月に起きた柳条湖 (りゆうじようこ) 事件に始まる日本の満州侵略戦争。かねてから満州占領の機会をねらっていた日本軍は,奉天近郊の柳条湖で鉄道爆破事件を起こして軍事行動を全満州に広げ,翌1932年満州国を成立させた。1933年には熱河省を占領して塘沽 (タンクー) 停戦協定を結び,満州国に編入した。中国の提訴を受けた国際連盟は,リットン調査団を派遣し,この事実を日本の侵略と判断した。そのため,日本は1933年国際連盟を脱退。(出典 旺文社世界史事典 三訂版)

 日本国内では,満州事変がファシズム体制成立への端緒となり,若槻礼次郎内閣が倒れて犬養毅内閣が成立したが,五・一五事件によって斎藤実内閣に取って代られ,政党内閣に終止符が打たれた。こうして日本のファッショ化と国際的孤立が急速に進み,満州事変は日中戦争へ,さらに太平洋戦争へと拡大されていった。(出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典)

 太平洋戦争は1941年12月から 1945年8月までの間,アメリカ合衆国,イギリスを中心とする連合国と日本との間で戦われた戦争をさし,広義には第2次世界大戦に含まれる。太平洋戦争という呼称はアメリカにとって太平洋での戦いであったために名づけられたもので,戦時中の日本では大東亜戦争と呼ばれていた。日本の敗戦後,連合国の占領を受けてからは日本でも太平洋戦争と呼ばれるようになった。(出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典)

 太平洋戦争は日本が日中戦争を行いながら武力南進策をとったことに起因する,米・英・中・ソ・英連邦諸国など連合国との戦争。当時の日本での呼称は大東亜戦争。日本は,中国の抗戦意思を挫折させるため,1940年(昭和15)援蒋ルート遮断を目的に仏印進駐を実行。さらに,フランスの降伏に代表されるドイツ勝利の報で南方植民地へ侵攻を始めた。
 同年9月27日の日独伊三国同盟締結はアメリカとの対立を深め,アメリカは,41年7月25日の在米日本資産凍結,8月1日の石油の全面禁輸によって南進阻止をはかった。41年12月8日,宣戦布告の手交前になされた真珠湾攻撃によって戦争勃発。日本とアメリカは,反対の陣営に立って第2次大戦にも参入することになった。
 緒戦は日本が優勢で42年半ばには支配領域が最大になったが,ミッドウェー海戦での敗北後,補給線が続かず制空権・制海権維持のための地上基地の不足によって連合国軍の反攻にあった。米海軍は中部太平洋から島づたいに北上し,米陸軍はニューギニア・フィリピンから進攻した。
 この間,日本は汪兆銘(おうちょうめい)政権や,連合国の植民地だった地域を大東亜共栄圏とよんだが,実態は日本への資源供給地としての位置づけにすぎなかった。輸送船団の崩壊,本土空襲,国民の戦意低下,原爆投下,ソ連参戦がポツダム宣言受諾を決意させた。45年9月2日降伏文書調印。(出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」)

 そして日本降伏から70年後の2015年(平成27)年、明仁天皇(当時)は1月1日の年頭挨拶で満州事変に言及した。その一節は下記のとおり。

「本年は終戦から70年という節目の年に当たります。多くの人々が亡くなった戦争でした。各戦場で亡くなった人々、広島、長崎の原爆、東京を始めとする各都市の爆撃などにより亡くなった人々の数は誠に多いものでした。この機会に、満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び、今後の日本のあり方を考えていくことが、今、極めて大切なことだと思っています」。

 天皇陛下のご感想(新年に当たり)平成27年 より
https://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/gokanso/shinnen-h27.html

 この年頭所感をうけて、矢部宏治氏は、今上天皇の「おことば」を収録した『戦争をしない国 明仁天皇メッセージ』(小学館刊)を2015年6月30日に出版した。

 以下、同書の紹介記事、目次などを貼り付けます。

●明仁天皇と昭和天皇の最大の違い おことば収録本の著者考察
https://www.news-postseven.com/archives/20150630_332536.html?DETAIL
2015.06.30 07:00 週刊ポスト

(貼り付け始め)

今年1月1日の年頭挨拶、天皇はこう述べた。

「本年は終戦から70年という節目の年に当たります」

「この機会に、満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び、今後の日本のあり方を考えていくことが、今、極めて大切なことだと思っています」

「象徴天皇」という制約のもと、政治的言動の許されない天皇が、「満州事変」という具体的な外交事変の名を口にしたのは異例である。1931年、本国の指令を聞かずに暴走した関東軍は南満州鉄道を爆破、中国側の破壊工作だと発表して軍事行動に移った。

「この事変をきっかけに日本は戦争への道を進みはじめる。軍部の暴走に、政府は、そして憲法はいかにストップをかけられるか──国の“ありかた”を考える上で、満州事変は戦前の大きな反省であり、戦後乗り越えるべき課題でもある。わざわざ具体名まで口にしたのは、日本がいま危険な方向に向かいつつある、との警鐘だと私は思いました」

そう語るのは、今上天皇の「おことば」を収録した『戦争をしない国 明仁天皇メッセージ』(小学館刊)を6月30日に上梓する矢部宏治氏である。

「私は天皇という立場にある方の言葉だから、『聞いてほしい』というわけではありません。ひとりの知識人、思索と行動を兼ね備えた尊敬できる方の言葉だから、もっと知ってほしい、と思ってこの本を書きました」

同書は、“声なき人々”の苦しみに寄り添いながら、天皇が折々に発した29のおことばを、写真家・須田慎太郎氏の写真とともに紹介している。須田氏は、天皇の訪れたサイパン、パラオ、沖縄、広島、福島に赴き、その足跡を辿った。そこから浮かび上がってきたのは平和への切なる思いを抱きながら、象徴天皇のあるべき姿を体現しようと努める天皇の固い意思だった。冒頭に紹介した年頭挨拶も、その思いが貫かれた言葉の一つだ。

「日本はなぜ、戦争を止められなかったのか。この究極の問いに対して、もっとも深く、強く思いを巡らしてこられたのが明仁天皇ではないでしょうか。明仁皇太子が天皇に即位するため、考え続けた最大の問題は、前の時代に起きた大きな過ちをどうすれば自分の時代に繰り返さないで済むか──だったと私は思うからです」(矢部氏)

2013年12月18日、天皇は80歳の誕生日に際して、先の戦争を思いつつ、こんな言葉を発している。

「この戦争による日本人の犠牲者は約310万人と言われています。前途に様々な夢を持って生きていた多くの人々が、若くして命を失ったことを思うと、本当に痛ましい限りです。戦後、連合国軍の占領下にあった日本は、平和と民主主義を、守るべき大切なものとして、日本国憲法を作り、様々な改革を行なって、今日の日本を築きました」

その日本は現在、大きな曲がり角にある。安保法制を巡って安倍政権が「解釈」ひとつで憲法を変えようとし、憲法の意義が大きく揺らぎつつあることは誰しも感じるところだろう。矢部氏はこう語った。

「戦前を憂え、その過ちを決して繰り返さないことを誓った明仁天皇が最終的に辿り着いた立脚点──それが日本国憲法です。ここが明仁天皇と昭和天皇の最大の違いだと私は考えます」

昭和天皇も立憲君主制のもと、憲法を守るという意識があったのは間違いない。決して「国民の生活」をないがしろにしたわけではない、と矢部氏はいう。

「その一方、戦前の憲法の法的枠組みのなか、国家の非常事態に際しては、あらゆる制約を超えて行動することが許されるのだという意識を、昭和天皇が持っていたこともまた事実です。それを感じている明仁天皇は、自分は現憲法を徹底して守っていくのだという強い決意を折々に示されているのだと思います」

※週刊ポスト2015年7月10日号

(貼り付け終わり)

●戦争をしない国 明仁天皇メッセージ(小学館サイト 矢部宏治氏の動画あり 2015年6月制作
著/矢部宏治 撮/須田慎太郎
https://www.shogakukan.co.jp/pr/90th/389757.html

衝撃のベストセラー『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』の著者・矢部宏治は、なぜいま、明仁天皇の言葉に注目したのか。
戦後日本最大の矛盾である「沖縄問題」と真正面から向かい合い、その苦闘のなかから「声なき人びとの苦しみに寄り添う」という、象徴天皇のあるべき姿を築きあげていった明仁天皇。その平和への思いと重要なメッセージの数々を、写真家・須田慎太郎の美しい写真とともに紹介します。
サイパン、パラオ、韓国、中国、沖縄、広島、長崎、福島…。単行本としては空前の海外&国内ロケを敢行! 

●戦争をしない国 明仁天皇メッセージ
著/矢部宏治 撮/須田慎太郎

【編集担当からのおすすめ情報】
戦後70年がたち、いま日本は大きな曲がり角に立っています。

そうした時代のただなかにあって、折にふれて発信される明仁天皇の考え抜かれたメッセージ。

その根底にあるのは、「平和国家・日本」への強い思いです。

本書は、天皇という地位ではなく、ひとりの人間としての明仁天皇にスポットライトを当て、大きな苦悩と長い苦闘の中からつむぎだされた、その珠玉の言葉を美しい写真とともに紹介します。

目次
1章 I shall be Emperor.
2章 慰霊の旅・沖縄
3章 国民の苦しみと共に
4章 近隣諸国へのメッセージ
5章 戦争をしない国
6章 美智子皇后と共に
あとがき

【付録】世界はなぜ、戦争を止められないのか――国連憲章と集団的自衛権

著者等紹介
矢部宏治[ヤベコウジ]
1960年、兵庫県生まれ。慶応大学文学部卒業後、(株)博報堂マーケティング部を経て、1987年より書籍情報社代表

須田慎太郎[スダシンタロウ]
1957年、千葉県生まれ。日本大学芸術学部写真学科卒。在学中から日本報道写真の先駆・三木淳氏に師事。86年日本写真協会新人賞受賞。05年~07年、『ZOOM Japan』編集長(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

出版社 ‏ : ‎ 小学館 (2015/7/1)
発売日 ‏ : ‎ 2015/7/1
言語 ‏ : ‎ 日本語
単行本 ‏ : ‎ 128ページ

●Amazonサイト
戦争をしない国 明仁天皇メッセージ
著/矢部宏治 撮/須田慎太郎

●柳条湖事件(りゅうじょうこじけん)について 「コトバンク」
https://kotobank.jp/word/柳条湖事件-149668

●満州事変(まんしゅうじへん)について 「コトバンク」
https://kotobank.jp/word/満州事変-137958

●太平洋戦争(たいへいようせんそう)(英語表記)Pacific War 「コトバンク」
https://kotobank.jp/word/太平洋戦争-91982