アジア政治経済掲示板から転載貼り付け16
会員番号4655の佐藤裕一です。
アジア政治経済掲示板から転載貼り付け致します。これで以上です。
投稿[1463]は5月1日に投稿しています。「米・官・政・業・電」の悪徳ペンタゴンという既得権益保守勢力による、6・2反小沢クーデターと鳩山首相辞任が起きる前です。この時点では私は自民党の復権を強く警戒し心配していましたが杞憂でした。しかしながら、それどころか党内反動勢力に政権をのっとられ、主導権を握られてしまった。
日本の欠陥政治メトロノームは未だに直っていないのだ。4年~8年くらいの間隔で首相交代や政権交代が定着するのが、一番望ましいという私の考えは変わっていない。日本は首相在任期間が短すぎ、政権交代が起きない期間が長すぎるのである。
但し、どんな首相だろうが在任期間が短いという理由のみで交代すべきでないなどという単細胞でもない。肝心の政治の中身が駄目なら、もちろん時期などにかかわらず交代すべきである。
【佐藤裕一による転載貼り付け始め】
[1463]振り切れたメトロノーム 投稿者:会員番号4655 佐藤裕一投稿日:2010/05/01(Sat) 22:01:34
会員番号4655の佐藤裕一です。
まず、今回の投稿文章は、当たり前と言えば当たり前のことばかりを書いていますので、必ず読んで下さいとは言えません(普段から言ってはいませんが)。もしお読み下さるかたがいらっしゃいましたらどうぞ、ということに致しますので、どうかご宥恕をたまわりたく存じます。
それから、アメリカのDemocratic Partyの日本語表記である民主党と、日本の民主党の名前が同じで非常に紛らわしいので、以降の本文では混同・混乱を避けるため、日本の民主党のことをここでは便宜的に、「日本民主党」と表記致します。
日本の民主党は、結党時から既に名前で自由民主党に負けているのが弱点の1つだなと、ずっと思っていました。自由民主党は自由でもあり民主でもある党、民主党は民主はあるが自由がない党、などと言われる原因になってしまいます。自由党を吸収合併した時に「日本民主党」とすれば良かったのでしょうけれども。しかし、自由民主党がこれからどんどん意義の無い政党として終わっていってしまって、党名変更などの悪あがきをしながら分裂・解体・消滅していくとすれば、民主党という名称のままでもいいかと今では思っています。そうなると別の政党が民主党と競うことになるということです。
では以降、「だ・である口調」の文体でいきます。
● 反体制派知識人の短期的思考
次の参議院選挙において、日本民主党を敗北させるため立候補者を多数落選させるべきだと説く、主観的には剥き出しの善意の塊のような日本知識人がいる。予測なのか希望的観測なのか分からないが日本民主党の大敗を予想している。
この知識人は、他の有象無象の、アメリカとテレビ・新聞・電通の手先の似非知識人・御用評論家・茶坊主学者・手先言論人・ポチ保守とは違って、日本では珍しいタイプの、本物の反骨精神あふれる知識人・評論家であるとは思う。常に在野で反体制派言論の立場にいる。
以前は当時野党の日本民主党を支持・応援していたご意見番のような存在であったが、あの奇怪な裏のありそうな大連立騒動以来は反民主、特に反小沢に転じた。未読だが反小沢になる前に小沢本も出しているらしい。
元々左翼体質の平和主義者であろうから、憲法や自衛隊のあり方(小沢氏の国連待機軍構想など。この知識人の意見とは何の関係も無いが、私は現時点ではあまり賛成出来ない)についても見解を無理にあわせていた感は否めなかったし、小沢氏とは肌合いが合わなかったので、あの騒動がなかったところで、どうせいつかは決裂していたのであろう。
この知識人の主張は、概ね以下のようなものであると認識している。生母からの大金贈与を知らないと言う首相や、政治資金で土地を購入して反省もなく辞任しない傲慢幹事長といった金権体質の政治家に率いられ続け、しかも日本民主党議員は唯々諾々と従い指導体制批判をせずに沈黙し、政権を取った途端に堕落し、さらに居丈高になり目に余るほどに日本民主党議員は驕り高ぶっている、というものである。両院の決議にある政治倫理綱領を遵守せよ、さもなくば議員辞職せよと声高に叫んでいる。
だから日本民主党を選挙で叩き落さなければならない、民意を正しく突きつけなければならないということである。その他、日本民主党の多くの政策、政治手法にも反対している。
この人のサイトの投稿文章を毎日のように読んでいて少し考えた。私はもとより個人主義者であるから、特殊日本的リベラルと特殊日本的中途半端保守がごちゃまぜになった烏合の衆であり、それを束ねるための小沢幹事長強権体制の全体主義体質政党である日本民主党は本来から、好きではない。
そしてこの知識人自身も根っこが左翼なだけあって、実は隠れ全体主義体質であるから同様にあまり好きではない。全体主義の方向や手法・主張の仕方が、この知識人と日本民主党とは違ってきたということである。全体主義者と全体主義者は向いている方向が違うと激しく対立するのが宿命である。だから私が日本民主党を批判しようとする角度が不一致なので、私がこれから反民主に転じることがあったとしても、この知識人の主義主張に共感することはない。
私はこの知識人の一部主張について理解出来る部分もあるし、賛成したいところもあるのだが、やはり今のままでは大きい部分で賛成出来ない。
● 健全に定着出来ない日本の二大政党政治と政権交代
それはつくづく思い知らされていることではあるが、アメリカにおける共和党と民主党の対応関係と二大政党制・政権交代の歴史を、そのまま日本における自由民主党と日本民主党の対応関係と二大政党制・政権交代の現状に当てはめて考えることは、到底出来ないという現実があるからなのだ。日本は二大政党政治が「健全に」定着していないからだ。
アメリカの共和党(保守)と民主党(リベラル)の関係は、日本の自由民主党(特殊日本民族的保守)と日本民主党(リベラルっぽい)の関係と類似しているというか、関係性を類推して考えることが、とりあえずなんとか可能ではある。またはイギリスの保守党(保守)と労働党(リベラル)の関係と比較してみることも出来る。先生も専門であるアメリカの保守とリベラルの政治的対立の分析においても、ひとまずはこれを提示される、大きくて一般的な理解の仕方だ。世界普遍価値からの見方を当てはめるところから始めるからであろう。
何故このような、各国家・国民の社会的特殊性や歴史的経緯・事情の相違や、言葉の意味のねじれまでを無視した乱雑な一般的理解を一旦はしなければならないのかというと、もちろん現状でも右と左の対立関係が未だに世界を覆っているからだ。ソ連が崩壊してからもこの政治対立の図式はしぶとく滅び去っていない。だからそういう枠組みの大雑把な見方を、思い切って一度はしてみなければならない。
それにも関わらず、やはりどう考えても日本とアメリカでは政治制度や意識どころの話ではなく、人種も宗教も社会も文化も思想も歴史的背景も何もかもが違いすぎる。この彼我の差はとてつもなく大きい。
前提がほとんど共通していないのであるから比較も大変難しいわけで、社会学上及び政治学上の分析には大胆と慎重、両方の態度をもって臨む必要がある。西欧近代国家同士ならまだしも、日本と西欧諸国の政治実態を、そのある一部だけを取り出して比較してみたり統計をとったりすることが一体どこまで有効で有益なのか、はなはだ疑わしいと言わざるを得ない。
それにしても二大政党は日本には合わないのであろうか。例えば、太平洋戦争敗戦後※の日本において政権交代が定着していないし、二大政党制が未だに根付いていないということである。
※私は戦中、または戦前の明治維新以降の帝国議会史・憲政史を、デモクラシーが行われていたというのは疑っている。民政党と政友会の二大政党と政権交代の歴史もまた近代国家のそれと同等なものとはみなしていない。私は憲政の常道と呼ばれるものも胡散臭い感覚があり信用していない。弱腰の議会政治家が、統帥権の独立を振りかざす軍部(特に陸軍)につけ込まれて戦争への道を突き進んだのだという認識も、真実の表層、一部の側面であろう。だから大日本帝国が、途中からどんどん天皇の意思が通るとは限らない立憲君主国になっていったという解釈も、当然とらない。この点で小室直樹先生の見方と私は相違がある。私は大日本帝国は明治維新から敗戦までずっと実態は専制君主国だったのではないかと疑っている。立憲君主国は見せ掛けだったのであろう。だがこの点については私はもう少し勉強しなければならない。
●日本社会党の存在価値は護憲的ブレーキのみ
片山哲内閣、芦田均内閣以後の五十五年体制成立後の政治状況下においては、一見すると自由民主党と日本社会党の二大政党制に見えるが、ついに社会党は政権交代を自力では起こせなかった。これは日本共産党がいてもいなくても同じだったのであろう。先生は浅沼稲次郎が山口二矢に刺殺されなければ、あの時には確実に社会党内閣が誕生していたとおっしゃっているが、私にとっては歴史上の出来事なので自分で見聞きした事もないし、時代の空気を吸っていないので、これについては何とも言えない。
日本における左の存在価値というのは、単に右の暴走を牽制・阻止し、しがみ付いて足を引っ張るブレーキの役割でしかなかった。その役割自体は適切な「国内の」政治バランスを保つためにも期待されるものだから、決して全否定すべきことではない。欧米の政治体制にもそういう側面がみられる。
アメリカの大統領選挙などと違って日本は議院内閣制を採用していることもあり、首班指名においては基本的に衆議院第一党から内閣総理大臣が選出されるのだから、第一党の座にずっと同じ政党が居座っていれば、首相を誰にするのかも自然と与党内の互選が先決されるようになってしまうのである。
首相公選制(国民投票による直接選挙)を採らない以上、政権交代をするには衆議院総選挙での勝敗が政権交代の鍵となる。内部権力抗争による分裂を誘導したり、大連立を成立させるなどして、政略を用いて政権交代を実現することも可能だが、選挙による民意の反映の方がより健全であり望ましい姿であることは言うまでもない。ただし私は前述の知識人と違って、政略の入る余地を完全否定まではしない。
ところが欧米にとっての左の諸政党とは違って、日本にとっての左(社会党・共産党)は単なるブレーキ(護憲、反戦平和)でしかなかった。自民党はアクセル(改憲派、自主憲法制定理念)とハンドル(政権運営)とブレーキ(安保体制維持)をみんな持っていたから旧社会党の役割は限定的だ。
それに加えて社会党だけではないが、まともな政治綱領や政策綱領がないということがある。アメリカ・西欧の左派政党(極左以外)は、いくら表面上の理想的(空想的)な政治目的・目標を選挙公約に掲げてはいても、それなりに実行・実現可能な政治綱領や政策綱領を作成して持っているだろう。それが議論の上での合意としてきちんと成り立っている。日本社会党からは、本当に真剣でまともな政策が国民に見えてこなかったのだと思う。しかも後で簡単に捻じ曲げ、結党の信念も投げ捨てて恥じなかった(しかも今に至って自覚が薄いのだから始末に負えない)。
欧米の左派政党と日本社会党の違いは他にもある。「国外要因」が内政に与える影響の強弱である。欧米の左派政党は、あくまでも民主政体を維持した上での左であって、一党独裁が目的ではない。例え左派政権が樹立されても即座にソ連の東欧の衛星国のように組み込まれるわけでもないし、あくまでも体制の枠内での左である。
西ヨーロッパには地続きのソ連との政治軍事的緊張があったから、各国の保守派に警戒心はあっただろうことは分かる。この点ではソ連とは海洋を隔てているアメリカの方がより穏やかであろう。アメリカの左である民主党政権は冷戦期間中に何度も成立しているが、だからといって大統領が当選直後にソ連の軍門に降る宣言を出す、などという事態が訪れるはずがないからだ(マッカーシーのアカ狩り旋風のように、事態を想定して警戒していた人々はいただろうけれども)。欧米の左翼政治勢力は基本的に民主政体の放棄を掲げていないのである。
● アメリカの要請と世界情勢が自民党に存在理由を与えてきた
対して冷戦中の日本社会党には、単独もしくは日本共産党と一緒に政権を樹立したとしても、東側陣営につかない、米軍を追い出さない、さらにはソ連軍を国土に引き入れて西側陣営との対立に入らない、という確実な保障はなかった。
少なくとも日本を戦争で痛めつけた過去を持つアメリカの政府と官僚は確信出来ないはずである。いくら社会党が反戦平和と護憲をお題目のように唱えてはいても、野党だから言っていることであって政権を奪取したら豹変する恐れが拭い去れない。社会主義的な自主憲法を制定して民主政体を放棄する可能性がある。そうなったら日本は牙をむく再軍備となるのである。アメリカによるアジアの対総合政策・戦略が根底から瓦解してしまう。
社会主義者の故・向坂逸郎は、護憲・非武装中立政策は日本が資本主義の間だけ唱えていることであり、社会党政権になれば当然社会主義憲法に改訂・軍備を持ってワルシャワ条約機構に加入する、そういった主旨の発言をしたという。
だからあの時代の世界情勢では、とてもじゃないが米ソ世界覇権競争の対立時代(これがいわゆる冷戦だが、実際に両国軍が直接交戦したことなどは、ほとんどないはずだ。代理戦争ばかり)の真っ只中で、社会党などに政権を渡すわけにはいかなかったわけだ。日本は西側陣営、特にアメリカにとっての反共の防波堤であり不沈空母であった。社会党は、自民党の掲げるマッカーサー元帥と占領軍が付与した憲法第九条の改正及び自主憲法制定だけは断固阻止出来たが、結局はアメリカの望みどおり、最後までそれだけの批判野党であり続けた。
だから戦後日本政治は、政権交代によってではなく、与党自民党内の派閥力学・権力闘争による結果として政策の修正や方針転換なども行われてきたわけであったことは、もはや多くの国民が認める事実である。どの派閥から首相が出るのかが重要であり、首相や多くの閣僚を出せない非主流派・反主流派の派閥の領袖が伝統的に党内野党党首の役割を果たしてきた。これで多くの国民の不満も吸収出来ていたし、能無し左翼を尻目にして何事も丸く収まっていた。冷戦が終わらないで平和を維持できることと、経済・産業が万事うまくいくことが免罪符であった。
吉田茂以来の歴代の老練な現実主義的保守政権担当者たちは、社会党・共産党はじめ国内左翼勢力が存在すること、それ自体すらもアメリカに抵抗するための外交交渉カードとして使ってきた。アメリカがあまりに自民を痛めつけ過ぎてしまうと、反共の防波堤であるはずの日本に左翼政権が発足し、社会主義陣営に組み込まれてしまうという悪夢が現出する可能性を、ちらつかせることが出来た。アメリカはその万一の悪夢が払拭しきれない。
保守派も含め経済成長に邁進する大方の日本人の方がかえって安易に、そんな事態は来ないだろうというのが実感だったと思う。極左や過激派は操られながらも散発的な闘争を続け(内ゲバ含む)、革命を諦めていなかったが、どんどん大多数の国民から見放され、相手にされなくなっていき先鋭化・孤立化していった。
こうやって、アメリカに対してダダをこねる(安保タダ乗りなど。実際はタダなわけないが)抵抗・脅迫作戦で属国の平和と繁栄を達成してきたのだから、今となってはそれはそれで評価すべきである。そしてソ連崩壊後、当然このソ連カードの価値は失われた。全て先生が政治本で書いて指摘している通りである。今の日本はせいぜいが反中の防波堤、反北の防波堤が関の山である。それらの外交カードの効果はもはや極めて低いと言わざるを得ない。
● 擬似民主制国家日本
植草一秀氏が普段から主張している通り、政権交代が起きないで何十年も経過するような政治状況では例えいくら大きい政党が二つ有ったとしても、二大政党制などと呼べる代物ではない。それは見せ掛けだけの、擬似民主制国家である。
日本人が、アフリカや中南米、中東・その他アジア国家など外国の政治実態を伝える情報や解説を見聞きする時、その国でやたらに長い任期を誇る大統領が君臨していたり、特定政党の多数による議会政治支配が数十年にわたって公然と続いていると知れば、あぁその国は体裁だけの嘘っぱち民主国家なんだなとすぐに分かるだろう。だが実は、日本も似たような擬似民主国家だったのだ。自分の顔を自身の目で直接見ることが出来ないように、自分達自身のことは意外と見えないわけだ。鏡を使わなければならない、つまり比較することが理解にとって大切である。
しかし例えそういう擬似民主制国家であっても、煩わしい外国という存在を常に無視は出来ない。国際社会からうるさい批判をあまり受けたくないし、貿易や産業・経済における対外取引上の関係もあるし、自国民の不満もガス抜きせずに溜まりすぎると安定統治に悪影響を及ぼしてくる。下手をすると内乱や紛争に発展したり、世界覇権国から何やら言い掛かりをつけられる口実を与えてしまい、平和維持部隊と称する軍事介入を招く恐れだってある。だから、その国の既得権益を握りしめる支配者層は、民主制・民主化を全く考慮に入れないというわけにはいかない。それで言い訳程度に中身のない出来レースの不正集計選挙を実施し、申し訳程度の御用野党の立候補者に何人か議席を与えたりもする。それだけならまだいい方で、その議会自体にも実質的な立法権さえなかったりする。当然、司法の裁判所などは言うに及ばず、現体制にお墨付きの承認を与えるだけの白々しい存在である。支配者一族と与党、それに軍部と行政官僚機構だけが実際の権力を握っている。憲法も単なるお飾りのことが多い。
戦後日本の自民党単独長期政権も、諸外国からそのような目で見られていたということを考慮しなければならない。すなわち中国をはじめとして、現在でもあるアジアの後進国の開発独裁体制と似たり寄ったりの政治体制がずっと続いていたと外側世界から見られている可能性があるのだ、ということに日本人はなかなか思い当たらない。日本の場合は天皇を思考から除外すると一人の専制的独裁者はいなかった。戦後は高級官僚政治(行政幹部政治)と自民党実力者の折衷権力政治支配体制であった。実に日本的な集団指導体制である。
ここで西欧人に反発というか言い訳してみせることも出来るだろう。西欧人が抱く日本に対するイメージは悪意のある誤解に他ならない、他の開発発展途上国とは違って、日本は本当に公正・公平な選挙を実施して結果としてそうなっていただけなのだ、日本の自民党長期政権の特徴は他のどの独裁国家のそれとも類似し共通するものは見当たらない、首相も頻繁に交代している、自民長期政権は当時の国民による率直な民意の表れであったに過ぎないのだ、と。このように主張するのは簡単であろう。確かに日本は衆議院を首相が解散させることが可能なので、しょっちゅう総選挙を実施している。それなのにこの有様なのだからもう笑うしかない。
だから選挙法制度の不備の問題はかなり大きい。あるいは米ソ冷戦構造のせいであり、無責任野党の社会党のせいであり、日本共産党のせいであり、アメリカの政治的裏工作のせいであり、成長経済育成・保護産業振興政策の成功体験のせいであり、戦後欠陥教育のせいであり、未熟な政治意識のせいであり、日本人が前近代人であるからであり、そして日本文化のせいである。
● 作為の契機がないのに擬似民主政体国家
この辺りが民主(デモクラシー)国家と、外部からの社会工学(ソシアル・エンジニアリング)の手法を使って文明化外科手術を施された強制的民主化(デモクラタイゼーション)国家の違いであり、悲哀であろう。
日本は仕方なく開国し、仕方なく近代国家の憲法典や諸制度を導入し、仕方なく擬似民主化をしたのである。外国から無理矢理そうさせられたのであって、そこに主体性はない。作為の契機はない。この点が重要である。擬似的政治体制である上に、自分達が作為した結果ですらない。職業でもなければ、日本人が政治や法律というものを真剣に考えることすら避けたがる理由がここにある。茶化すことしか出来ない。
全て先生の言う通りである。民衆が自らの意思と実行によって勝ち取った政治制度や、自らが考え出した理念による法律ではないために愛着も湧かない。憲法の条文なども護憲の主張もどこか空々しい、他人のうわ言のようである。だからなかなか定着しない。
● ソ連崩壊後も政権交代のチャンスは何度も悪徳ペンタゴンに潰されている
ソ連崩壊によって、東西対立時代は確かに終焉した。ソ連の理想主義の行き着いた果ては、大粛清と強制労働と農奴搾取と潜在的失業と飢えと貧困と収容所群島であった。近い将来に日本が収容所列島と呼ばれる事態にならないよう祈る。
共産主義体制をとる国家群の退潮は火を見るよりも明らかで、中国、北朝鮮、キューバなど残存勢力は少ないし、もはや統一された陣営というわけでもない。しかも現在では周知のとおりであるが、経済実態は建前である共産主義の理念からは到底かけ離れている国家ばかりであり、続く一党政治支配はそのなれの果てだ。鄧小平の先富論などは、まるで資本主義社会の発展の仕方の話であり、その標語みたいなものである。到底共産主義の一部修正などで済ませられる範囲にはない。
支配者層の既得権力維持と保身だけが目的と成り果てた似非理想主義者の集団に率いられる国家ほど無様極まりないものはない。壮大な社会実験が一億人以上の犠牲者の屍を野原に晒して、ようやく終了した。だのに未だにこの連中を精神的に支持し、加担し、盲従してきたことを認めず、問題意識も政治思想転向した意識すらもない無自覚な元左翼や崩れ左翼が掃いて捨てる程多いのだから呆れ果てる。
ソ連が自滅していったことによって、ようやく日本においても政権交代が許される政治情勢となった。もはや統一された東側陣営はないのだから、安心して政権交代が出来る。その冷戦崩壊後の第一回目の機会は失敗に終わった。小沢反乱で自民党分裂による細川護熙内閣発足、羽田孜内閣(片山哲内閣、芦田均内閣の九十年代ヴァージョン?)という短期間の政権交代が無残に瓦解・失敗していき、社会党と自民党が組んだ村山富一内閣を経て、またぞろ長期間にわたって自民第一党の連立政権が続いた。
みんな初体験状態だったため、あまりに不慣れだったのである。小沢さんの性格の災いと社会党の恥知らずな裏切り行為については、もういっぱい言われていることなのでここでは繰り返さない。きっと外側からの政治謀略もあったのだろう。竹下登の勝利であった。その後竹下は死去。残りの橋本派は要となる指導者を失い、結束力が弱まっていった。
それでついに森嘉朗内閣である。ところがここで政権交代によらない擬似体制変革が起きてしまった。作り上げられた小泉・田中旋風を計画的に利用した、アメリカと官僚、マスコミによる自民延命工作があったのであろう。
植草氏の言葉を借りるならば、小泉・竹中政権は、アメリカ支配者層及びジャパン・ハンドラーズ(外)と日米官僚(官)と新聞・テレビ・広告業界(電)と大資本(業)と自民(政)の、悪徳ペンタゴン五者による妥協の産物である。特に(外)と(官)が、(電)をこき使って主導して(政)を支援した。(業)は様々で一概には言えないが。それら既得権益保有者同士の利害が一致する均衡の上に小泉は祭り上げられて立っていただけのヤジロベエだったのである。
日本安保体制堅持・対テロ戦争協力と、アメリカによる財産巻き上げ・郵貯吸い上げ・雑巾搾り・隷属体制の維持・促進を担当させるための小泉・竹中政権であった。思い返せば小泉は自民の伝統政治を破壊したこと以外には、そんなに画期的な何かをなしていない。政権途中で田中眞紀子外務大臣(当時)をはじめとする愛国派の政治家達が、そのあまりになりふり構わない売国政権の方針についていけず、脱落・辞職・離党・更迭・失脚・落選・引退・逮捕・投獄・放火・死亡・自殺・他殺など様々な謀略手法によって排除されてしまい、多くが表舞台から去っていった。
小泉・竹中政権は自民の延命、その後の安倍・福田・麻生の各政権は短命内閣で総理順送り総裁たらい回しの惰性である(度合いは違えども小泉・竹中売国政権と比較すれば愛国的であった)。構造改革は先送りするばかりで、成果など何かあっただろうか。郵政三事業民営化か。自民党は官僚支配体制を終焉に導いたであろうか。安穏と官僚に担がれて乗っかっていただけではなかったか。
● 欠陥政治メトロノームを捨て去ろう
それで二〇〇九年八月三〇日の衆議院総選挙後における、日本民主党の鳩山由紀夫内閣誕生まで待たなければならなかった。まだ政権交代から一年も経っていない。
自民党が政権与党をとって以来単独か連立かの違いはあれども、こんな有様で二大政党制が機能していたと判断することなど出来ない。二大政党制と政権交代は二つで一つ、表裏一体の関係である。戦後政治史において自民党が政権を明渡している期間はほんのごく僅かである。政権交代が起きて「しまっている」、その一時期は戦後日本政治にとっての例外的な状態であって、それは「非」自民政権という軸で常に語られてきた。
この自民党への極端な揺り戻し期間の長さ、反動の振幅の著しい偏りは、政権交代が定着しているアメリカを始めとする近代国家の代議制民主政体国家の政治実態とは明らかに違う。
ピアノなど、針が一定の間隔で刻むリズムに合わせて、音楽の練習をするために置くメトロノームという物がある。振り子が左右に振れるのだが、戦後日本議会史におけるの政治状態はずっと右にばっかり寄っていて、たまに中央から少しだけ左に戻ったかと思うと、またビーンと右にばっかり向き続ける。これが日本の欠陥政治メトロノームである(不良品)。
日本人は平衡感覚を取り戻さなければならない。片方が数十年、片方が数ヶ月から一年かそこら。これは正常な政権交代ではない。大体、四年から八年くらいまでの間で首相や政権が交代するのがバランスがとれていて望ましいだろう。これが十年になると、もう長過ぎる。弊害の害悪部分が大きくなり益が少なくなる。その段になったら私は例え時の与党が支持政党であろうと反対派にまわる可能性がある。権力は必ず腐敗することを忘れてはならない。ソ連が崩壊した現在、もはや日本人には壊れた政治メトロノームは必要ないのだ。
【佐藤裕一による転載貼り付け終わり】