アジア政治経済掲示板から転載貼り付け15

会員番号4655 佐藤裕一 投稿日:2010/09/23 22:58

 会員番号4655の佐藤裕一です。

 続けてアジア政治経済掲示板から転載貼り付け致します。私の投稿[1462]は今年の2月3日に書き込んでいます。民主党は理想と国民の期待を裏切ってはいけないと書いたのに……。返す返すも残念である。

 社会民主主義や修正資本主義などは個人的に嫌いだが、民主党が旧社会党と同じ末路を辿らないためには、いま一度国民の生活第一のマニフェスト理念と原点に立ち返るべきだろう。

 【佐藤裕一による転載貼り付け始め】

[1461]新年のごあいさつ 投稿者:会員番号4655 佐藤裕一投稿日:2010/01/01(Fri) 12:11:35

 会員番号4655の佐藤裕一です。

 新年明けましておめでとうございます。学問道場の更なる飛躍と発展をお祈りしています。今年もよろしくお願い申し上げます。

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[1462]自由民主党と日本社会党を反面教師として民主党が学習すべき事 投稿者:会員番号4655 佐藤裕一投稿日:2010/02/03(Wed) 20:29:58

 会員番号4655の佐藤裕一です。

 今回はタイトルの通り、自由民主党と日本社会党を反面教師として民主党が学習すべき事、それから日本社会党と同様に自由民主党が政治の主役から退場すべき事について書きます。以下、「だ・である口調」の文体で書きます。

 バブル崩壊が到来し、経済を回復させられなかった上に消費税導入、小沢氏の反乱と離反などが重なった事で、高度経済成長神話という錦の御旗を失った自由民主党は敗北した。当時の保守的な多くの有権者にとっては衝撃的な事態であったろう。私は小学生くらいだったので、あまり臨場感を持って書けない。

 自民党は一時与党から転落・下野した野党時代の僅かな期間に、もの凄く下卑た当時の政権与党批判(細川護煕政権・羽田政権時代)を連発したという。

 与党連合が分裂解体すると日本社会党(当時)を騙して取り込み、社会党出身の内閣総理大臣(村山富一)を上に戴く事すら厭わずに、恥も外聞もなく無理矢理政権与党に復帰した。だが社会党が政治の主役に踊り出たのは、戦後間もない頃の片山内閣と同様に、本当に束の間であった。

 社会党が旧ソ連よろしく人類の理想を裏切って自民党と組み、全ての期待を踏みにじって国民から顰蹙と軽蔑と失望を一手に買い集め引き受けた。

 アメリカの内政干渉も裏ではあったのだろうが、基本的には自民党の粘り勝ちであった。待ちの政治家と呼ばれる佐藤栄作首相以来の伝統と資金源を引き継いだ竹下登王朝が院政を敷いていたのであろう。竹下失脚は表面だけでアメリカからの攻撃さえも凌ぎきった。

 金丸信の失脚も関連して小沢一郎が政権交代を目指して飛び出したわけだが、アメリカの一部財閥と政治勢力の後押しを受けていたから出来た事でもあった。

 それにも関わらず政治の一新・刷新が失敗していったのは、国内政治に関してはアメリカよりも竹下の方が一枚上手といったところであろう。日本とは付き合い続けなければならないのだから、その後アメリカも嫌々ながらに手打ちをしたわけだ。この辺は先生の研究がものすごく詳しい。著書で真実の経緯、属国・日本が辿った政治の軌跡を書いている。いかに属国の国王(竹下)といえども、自分が失脚させられるとなったら帝国相手にでも抵抗する。

 それで、民意を裏切ったのは自民党ではなく社会党だと当時の国民の目に映ったのである。確かにそれも事実ではある。

 自民党は元来が民族主義的ではあるが現実主義者(国内で使用される普通の意味)の集団であり、保守合同・五十五年体制成立後はその出生の性質通りに、あらゆる政治を派閥の力学と妥協の産物で執り行なってきた。

 社会党の自論すら良い部分があれば取り込んでしまうご都合主義の固まりではあるが、米ソ対立の冷戦時代の隙間で国民を生き延びさせた。自民党は戦争をしなかった。飢えから脱出し、国家主導の経済成長と官民あげての産業政策によって、国民生活は豊かになり、食べていけるようになった。これについては一定の評価をする。私は統制経済と国家主導の産業保護などの指導行政が大嫌いだが、あの時代では仕方あるまい。

 対する社会党は建前が社会主義者の政党であり、理想主義者が集まっている政党であると見られていた。

 自民党は国民の理想を裏切っても、それは強かな国家戦略があり、例え支持者の声を無視しても国益上の観点から、止むを得ない措置や政策を実行する責任政党であると認識する事が出来る。現実主義の政党だから、現実に合わせていくらでも節操なく軌道修正が出来る。無節操・変節漢の集団である。

 ところが理想主義の政党である社会党が理想を裏切ったら、これは許されない。現実主義政党にとって理想を掲げる事は一つの手段であるが、理想主義の政党にとって理想とは、人々を惹きつける力の源泉であると同時に命にも等しいものだからだ。それをかなぐり捨てたら激怒されるに決まっているし、失望されて支持者はどんどん離れ去っていく。致命傷とはこの事である。

 自民党の当時の最高幹部連中は、事前に事態がどのように推移していくのかを的確に予測していたんだろう。自民の政治家お得意の、待ちの戦略の勝利である。現在の、息も絶え絶えで見る影もなくなった自民と違って、往年の自民はまだまだ余裕があり忍耐強い。

 案の定、社会党は壊滅的に崩れた。もはや取り返しがつかないまでに党勢は落ち込んだ後で、共産党と同じ批判野党に戻って名前を社会民主党に変えてみても、手遅れもいいところである。そんな変わり身を有権者が支持するはずがない。これで社民党は二度と政権主体政党になれなくなった。後世まで語り継がれて物笑いの種にされるだろう。

 私は子供だったので、あまりよく記憶していない。漠然とした思いであったが、後に私は一時期かなり思想上保守化して、当時の弱体連合与党の情けない実態と、旧社会党の裏切り行為にひどく怒りを覚えた。政治改革を潰し、日本に政権交代が根付く千載一遇の機会を妨害した旧社会党が憎たらしい、唾棄すべき存在であると思った。旧社会党のせいで、それから十数年も政権交代が阻止され封印されたのである。

 だが、今では少し考えが変わった。私は全体主義政党が大嫌いである。旧社会党が失敗してくれたおかげで、政権交代の相手側が常に社会主義政党であるという状態を防いでくれた。新しい選択の幅、複数の選択肢が出来たのである。

 旧社会党はどうせ時代遅れだったので、あのまま足を引っ張ったり裏切ったりしなくても、早晩行き詰まっていたであろう。いずれ切り捨てて政界の主役としては退場させなければならなかった。早めに滅び去ってくれて助かった。

 そんな旧社会党をボロ雑巾のように使い捨てた上で、公明党と離合集散する保守勢力(自由党、保守党など)と組みながら自民党は連立政権の主体でこれまできた。旧社会党といつまでも一緒にやっている必要はなくなったのだから、何かと注文をつけてきてうるさい左翼政党と組むよりも、政権に入りたくて仕方がない宗教政党と弱小保守と組んだ方が政権運営がやりやすい。もちろん憲政の常道に従って最大多数の自民党から内閣総理大臣を出してきた。

 それでも、自民単独で両院の過半数を制する事は出来ない。小沢革命、政権交代の失敗による大きい保守への反動が起きていたが、それでも自民一辺倒にはなかなか戻らなかった。あの小泉・竹中旋風の嵐の時期でさえそうだったのである。参議院の事も念頭に入れなければならない。

 自民党の凋落傾向は押し留めようもない程であった。高支持率の小泉純一郎政権の登場によって、少しだけ息を吹き返したが、アメリカがてこ入れをして手先内閣の延命を計ったというそれだけの現象であった。歴然と落ち目であったはずが、意図して作られた小泉旋風で国民が騙されて隠されてしまった。それで自民がまた盛り返した。

 当時から小泉政権と構造改革を絶賛していた似非知識人連中の名簿と文章を残して、言い逃れ出来ないように後々まで証拠とすべきであろう。私も一時期は訳も分からず小泉支持者であった。社会の閉塞感と、それから個人的な事情での閉塞状況が作用していたように思う。田中眞紀子外務大臣(当時)の更迭ぐらいまでは漠然と支持していたような気がする。

 小泉の後の安倍・福田・麻生の順送り政権でもって、自民党は本当にぶっ壊れてしまった。むしろ私はこの安倍・福田・麻生の期間もずーっと小泉にやってもらいたかった。そうすればさすがに小泉のおかしさが国民にも認知されて議論が活発になったであろう。

 私は小泉から安倍に政権がかわった時の頃のテレビの言論の奇妙さをよく覚えている。ほとんど小泉長期政権に対する総括がなかったのだ。引退した今でも小泉を批判する人物が表面に出てくる事は少ない。麻生前首相だけがおかしい、訳がないではないか。彼は最後に総裁・総理を務めたというだけの話である。敗因は自民の時代が終わったという事、そのものである。小泉元首相の引退とともに政治の主役から退場すべき時がきたのだ。

 自民党は支持基盤が脆弱になってきて、どんどん元支持者が離れていっている。さすがに馬鹿らしくなってきたのであろう。信仰上、強固な支持母体を持つ宗教政党との違いもある。何故か自民支持で今まで来た、奇妙な宗教団体もこれからは自民支持を見直していくだろう。民主党も烏合の衆であるが、自民党だってそうである。利権で繋がった幽霊政党。金の切れ目が縁の切れ目とはこの事。

 当時の細川・羽田の弱体連合与党を計略をもって瓦解させた悪事から、十数年経過してやっと自民党は復讐を受けたのである。これと小泉・竹中の先延ばし手先内閣の2つが、遠因(政権交代を「延引」させた事)となっている。旧社会党は裏切った事が誰の目にも明らかであったから、すぐに復讐され責任をとった。

 自民党は社会党と組めば、その後彼らがどうなるかを知っていて「裏切らせた」という、一見すると傍目には分かり難いが「裏切った」と同等の薄汚い行為を働いた。有権者、国民への詐術的行為である。その復讐を受けてやっと瓦解した。大変長い時間がかかった。

 だから現在の民社国連立政権の鳩山内閣と小沢一郎氏も気をつけるべきだと考えるのだが、理想主義者と目されている人達が理想を裏切り、踏みにじってはいけない。社民党は自らの経験を持って民主党にそう言うべきである。体験談なのだから説得力がある。これが日本社会党が反面教師となるお手本というか、負の見本である。

 それから、大連立は民主党から持ち掛けたりするべきではない、という事である。長い目で見ると、思わぬ所から復讐を受ける事になる。行き過ぎた権謀術数は良くない。民主党は堂々とした国民政党になればいい。自由民主党の姑息さを国民は覚えている。これが自由民主党を反面教師にすべき点なのである。民主党は失敗の先例から学習しなければならない。

 自民党もしくは自民党の一部などから政権に参加させてほしいと寄ってくるのであれば、それはそれで構わない。もうその人達は、二大政党制の一翼を担うというつもりも気概もない訳なのだから。政務官ポストでも1つか2つ恵んでやればいい。

 私は民主党のリベラル・全体主義体質が嫌いだから、肌に合わない。だからといって自民党はもう駄目である。もはや自民はあまりに汚れ過ぎた。歴史的役目を果たし終えたと見ている。次の総選挙では原形をとどめないように完膚なきまでに叩きのめすべきだ。

 そして自由民主党にかわって民主党に対抗し二大政党を担い得る、完全に新しい政党が誕生する事を強く望む。未来永劫、民主党が政権を握り続けなければならないと考える人も愚かである。

 歴史の潮流と呼ばれるものがあると思う。その新しい「何か」がこれから出現してこなければならない。それが国民にとって恐ろしいものになる事を深く憂慮するが、杞憂だと祈り信じたい。日本に今度こそ本当のデモクラシー(代議制民主政体)が定着する事を願う。

 【佐藤裕一による転載貼り付け終わり】