アジア政治経済掲示板から転載貼り付け13

会員番号4655 佐藤裕一 投稿日:2010/09/23 22:34

 会員番号4655の佐藤裕一です。

 また途中で切れましたが、かまわず続けてアジア政治経済掲示板から転載貼り付け致します。

 【佐藤裕一による転載貼り付け始め】

 ります。6月4日の天安門事件16周年はともかく、7月7日は盧溝橋事件の記念日です。さらに東シナ海資源紛争。「燃料」はまだいくらでもあるのです。

 しかも、糞青が起こす反日活動は起爆剤でしかありません。問題は社会状況がいまなお一触即発ともいえる危険水域にあるということです。社会状況にまつわる諸問題は李肇星報告によっても何も解決されてやしませんから、危機は去っていないのです。

 また週末が巡ってきます。そこで再び何事かが起きるのかどうか、とりあえずはそれを眺めてみることにしましょう。

(私のコメント)
以前にも書きましたが公開されているニュースからだけでも分析すればかなりのことが分かってきます。日本では相次ぐ中央アジアの政変劇はほとんど注目されませんが、この中央アジアの政変が中国にも連鎖反応として現われてきたのだろう。グルジアーウクライナーキルギスと連鎖してきましたが、いよいよ中国で政変劇の幕が切られたのだろう。

最初は中国の反日デモが官製デモとして始まったのですが、活動家の中に中央アジアで民主化革命を成功させてきた活動家が混ざっているようだ。グルジアやウクライナの民主革命にはソロスから資金の出たNGOが革命の旗振り役になりましたが、当然中国にもNGOメンバーがいてそのノウハウをデモに生かしている。

だから同じ反日デモでも韓国と中国とでは性質が異なる。胡錦濤は焼きが回ったのだろうか。官製デモだから暴動になる可能性はなかったはずなのに、日本大使館や日系の商店が襲われた。デモ隊の中に民主化運動のプロがいて騒動を起こして世界中に知れ渡るようにした。

朝日新聞なども中国の反日デモで日本政府を追い込むつもりだったのでしょうが、中国そのものがデモの火消しに躍起になっている。朝日新聞も中央アジアの民主化革命の流れをわかっていないようだ。キルギスの次は中国なのかもしれない。これで胡錦濤政権が倒れれば朝日新聞が貢献したことになる。

しかし中央アジア諸国と違って中国はいまだに共産党独裁政権だから、天安門事件のように武力で暴動を鎮圧することは可能だが、今回はそれが出来るだろうか。天安門事件の首謀者はアメリカで健在だ。日本のマスコミはこのような華人社会のことはほとんど書きませんがネットでいくらでも知る事が出来る。それによれば2005年は中国共産党終末の年らしい。

◆百万人脱党応援 香港、台湾、ニューヨーク今週週末万人デモ 4月20日 大紀元
http://www.epochtimes.jp/jp/2005/04/html/d15111.html

反日デモ-崩壊の危機をそらすテクニック

共産党員の党性意識を高めるため当局が年初に始めた“保先活動”を更に強化させ、全国の共産党員に、7月1日までの新たな登録を要求する。そのほか、政治手段を利用して民衆の愛国感情を操縦し、4月から全国範囲で反日デモを行わせた。その後ろにある原因は、『九評共産党』が引き金を引いた脱党運動などのテンションを緩めるための自己防衛、および中国共産党政権の合理性に対する民衆の注意力をさらす目的であると見られている。

2005年-中共の“最後の審判”?

上海の著名な民主運動家・李国濤は、脱党声明を公表した。同じく重慶の民主運動家・許万平も共産主義青年団から脱退声明を公表し、重慶の民主運動者を代表してニューヨークの百万人脱党デモを支持の意を示した。著名知識人劉暁波、趙XIN、胡平、魏京生、王軍涛なども脱党ブームを公に支持した。各界から、『九評共産党』が中国の民衆に真相を伝え、民衆の目覚めと中国社会の進歩に大変な使命を果したと好評する一方、『九評共産党』が引き金を引いた脱党ブームの最高潮が来る時が、共産党の崩壊の時でもあるというのが一般的な見方だ。

ちまたやネット上で、鳥年の2005年は、中国共産党の運命と深く繋がっているとの各種予言が流行っているようだ。三国時代に諸葛孔明が書いた「馬前課」の第11課の解釈によると、2005年は中国共産党の終末の年だからだ。この予言が共産党崩壊の根拠になるのか否か、もしくはそれが中国共産党の崩壊を望む一般民衆の心情から発しているのか否かは、さして重要ではない。最も重要なのは、どのようにして中国共産党が終焉をむかえるかである。

◆反日デモが拡大、中国政府が裏で慎重に操作 4月17日 大紀元
http://www.epochtimes.jp/jp/2005/04/html/d66165.html

歴史教科書の歪曲問題

歴史教科書の歪曲問題について、世界のマスコミは、中国共産党が日本より遥かに共産党自身の歴史を歪曲したという見方もしている。マスコミは次のような事件を取り上げた。

中国大陸の歴史教科書では、共産党が1951年に当時独立したチベットに侵入したこと、1979年のベトナムへ侵略行為について一切触れていない。また、1950-1953年の朝鮮戦争への軍隊の派遣を一語で済ましている。

更に、中国の一般の若者は、毛沢東が起こした「文化大革命」によって何千万の中国人が亡くなった歴史をほとんど知らない。1989年に天安門事件で学生の正当行動を国家転覆暴動に歪曲して教えている。また、99年に「法輪功」という気功団体を弾圧するために、国内のマスコミをコントロールして全世界へ虚言を撒き散らした。今でも平気に行っている。

アメリカのAP通信社は日本の歴史を歪曲するのは、日本は恥辱を認めないとしたことに対し、中国共産党による歴史の歪曲は共産党の権力を維持するためだと説明している。

(私のコメント)
このように華僑向けの新聞では中国共産党から脱党する人が相次いでいるようだ。今週末の23日には世界各地で中国共産党100万人脱党支援デモが行われる。このように中国内外で連携したデモはネット世代が中心だ。中国国内の反日デモも当初は官製デモでしたがネット世代が相乗りして、それに民主活動家が相乗りしてきた。

中国や韓国はしきりと日本の教科書にまで抗議してきますが、中国の歴史教科書では文化大革命もチベット進入もベトナム侵略も教えていない。天安門事件も歪曲している。これでは中国の若者も正しい判断が出来るはずがない。だから中国や韓国がデモで騒ごうが日本は突っぱねて相手にしないのが一番だ。そうすれば彼らは自滅する。

(佐藤裕一による転載貼り付け終わり)

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[1459]阿修羅掲示板から転載。劉暁波氏と08憲章について。2 投稿者:会員番号4655 佐藤裕一投稿日:2009/12/26(Sat) 09:19:35

 会員番号4655の佐藤裕一です。

 引き続き阿修羅掲示板から転載します。
 
(佐藤裕一による転載貼り付け始め)

中国の一党独裁終結求める署名 海外に拡大(産経)
http://www.asyura2.com/08/china01/msg/340.html
投稿者 kamenoko 日時 2008 年 12 月 12 日 00:44:07: pabqsWuV.mDlg

中国の一党独裁終結求める署名 海外に拡大(産経)
2008.12.11 22:24

1
【北京=野口東秀】中国で共産党による一党独裁体制の終結などを求めて学者や弁護士ら303人が公表した「08憲章」は海外の14カ国・地域に広がり、国内外の440人が新たに追加署名したことが11日、明らかになった。署名は一般人にも拡大しており、当局は「民主化勢力」と「社会不満分子」との結びつきを強く警戒している。

 憲章は10日にインターネット上で発表された。「共産党が政治、経済、社会の資源を独占し、政治改革を拒否し、官僚は腐敗、道徳も荒廃し、社会が二極分化している」と主張し、全面的な民主選挙の実施や司法の独立など19項目の要求を掲げている。

 憲章には独立系作家の余傑氏らが署名していたが、11日の追加署名者名簿には、天安門事件の学生指導者の一人、王丹氏や中国の民主化運動のリーダー的存在、王軍濤氏が名を連ね、職種も企業経営者や軍人、農民など多岐に渡っている。米国や英国、フランス、日本、スペイン、南アフリカなど海外の14カ国・地域にまで署名の輪が広がっている。中国国内のインターネット上では憲章掲載後間もなく、閲覧できなくなるケースが続いているが、転載が繰り返され広がりをみせており、今後も拡大することは必至だ。

2
当局は著名な反体制作家、劉暁波氏(53)を起草者とみて拘束した。関係者によると、11日も拘束が続いており、国家政権転覆扇動罪を適用し正式に逮捕するかどうかは、高いレベルの政治判断に委ねられるもようだ。

 インターネット上では消息筋の話として、劉氏の拘束は胡錦濤国家主席(党総書記)自身の命令によるものだ、と伝えられている。当局は、同憲章の中でも「民主憲政のもと中華連邦共和国を建立する」とのくだりを問題視しているとしている。

 北京では世界人権宣言60周年の10日、市民ら数十人が外務省前で人権改善を求めデモ活動を行った。今月4日には、国営の中国中央テレビ前で、数百人が土地の強制収用と当局の暴力などに抗議した。

1 http://sankei.jp.msn.com/world/china/081211/chn0812112224002-n1.htm
2 http://sankei.jp.msn.com/world/china/081211/chn0812112224002-n2.htm  

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Re: Re:ありがとうございます。
http://www.asyura2.com/08/asia11/msg/270.html
投稿者 そのまんま西 日時 2008 年 5 月 07 日 23:55:16: sypgvaaYz82Hc

(回答先: Re: Re:違うでしょ 投稿者 影の闇 日時 2008 年 5 月 07 日 15:07:25)

影の闇さん、レスを頂きましてありがとうございます。

【「国父」孫文の衣鉢を継ぎ、民族を統一し、主権を回復する(列強によって失ったものを取り戻す)という大義名分は共有しているのであり、後は「我々こそ」という正統と異端の問題でしかない。 「二つの中国」とか「別々の国を創る」という発想が出て来る余地が無いのです。 反対に、「一つの中国」を否定した時点で蒋介石氏は権力の座を降りなければならないーそれがレジティマシィに背馳するからです。 鉄砲で政権は生まれるかも知れませんが、それを保障するのはレジティマシィなのです。
勿論、かかるレジティマシィなり大義名分が広く中国人に共有されてるからこそ「香港返還」がスムーズにいった訳ですし、今回の「チベット問題」への理解もこの視点を抜きに考えることは出来ないのです。】

イメージとしては、孫文が「レジティマシィ(正当性)」としての「幹」であり、国民党や共産党はそこから「大義名分」を保障されている「枝葉」ということで宜しいでしょうか?

【勿論、かかるレジティマシィなり大義名分が広く中国人に共有されてるからこそ「香港返還」がスムーズにいった訳ですし、今回の「チベット問題」への理解もこの視点を抜きに考えることは出来ないのです。】

質問させて頂きたいのですが、
ここでの「中国人」という「定義」としては、いわゆる「漢民族」のことを指すのでしょうか?それとも「中華人民共和国の国籍を有する者(多くの華僑を含む)」ということになるのでしょうか?

なぜこのような質問をさせて頂いたのかといいますと、
下記の記事の内容と併せて御意見を伺いたいと考えたからです。

【中国における「民族自決」 孫文以来の漢民族中心主義 チベット暴動への視点
(日刊ベリタ)2008年03月15日13時09分掲載 】

【中国のチベット自治区ラサで14日、独立を求めるチベット仏教の僧侶や市民による大規模デモが起き、警官隊との衝突で多数の死傷者が出たと伝えられている。中国政府は、戒厳令が敷かれた1989年のラサ暴動と同様に武力鎮圧で収拾を図ると見られるが、独立を求める動きはチベットだけでなく新彊ウイグル地区でもくすぶっている。チベット問題、そして中国の民族自決について理解するには、横軸(違う国どおしの比較)、縦軸(時間的経緯)の両面で事実を整理し、正確に認識することが、今後の展開を展望する上でも非常に重要である。(寺田俊介) 
 
 中華人民共和国憲法における民族に関する規定は以下がある。
 
 第4条「中華人民共和国の諸民族は、一律に平等である。国家は、すべての少数民族の合法的な権利および利益を保証し、民族間の平等、団結および相互援助の関係を維持、発展させる。いずれの民族に対する差別と抑圧も禁止し、民族の団結を破壊し、または民族の分裂を引き起こす行為は、これを禁止する。(中略)少数民族の集居している地域では、区域自治を実施し、自治機関が設置されて、自治権を行使する。いずれの民族自治地域も、すべて中華人民共和国の切り離すことのできない一部である。」 

 第52条
「中華人民共和国は、国家の統一および全国諸民族の団結を維持する義務を負う。」 

 「民族自決」という表現は中華人民共和国憲法には盛り込まれていない。 
 
 中華人民共和国憲法に大きな影響を与えたであろうソ連憲法ではどうなっているか? ソ連憲法第70条は、「ソビエト社会主義共和国連邦は、社会主義的連邦制の原則にもとづき、自由な民族自決および同権のソビエト社会主義共和国の自由意志による結合の結果として形成された統一的な多民族連邦国家である」とし、第72条は、「各連邦構成共和国には、ソ連邦からの自由な脱退の権利が留保される」とある。 
 
 引用した憲法条文は1977年のものだが、この考え方はソ連邦創設時からあり、1977年に突然できたものではない。ソ連邦が1990年代前半に崩壊した時には、これらの規定が大きな役割を果たし、崩壊後は、各連邦構成共和国単位で新独立国家が発足したが、ソ連邦憲法の創設者達も、また西側のオブザーバー達も、これらの規定がまさか本当に重要な役割を果たすとはかっては思っていなかったであろう。 
 
 「三民主義」を唱えた孫文による、民族自決についての発言を、1924年の彼の講演から引用したい。(注:社会思想社刊の3巻本の孫文選集の第1巻所収の『三民主義』と題する講演記録から)。 

 ─「中国が秦漢以後、つねに一つの民族で一つの国家を形成してきた」(p21)
 
 ─「われわれが古今の民族生存の道理に照らし、中国を救おうとし、中国民族の永遠の存在を願うなら、われわれはなんとしても民族主義をとなえなければならない。そうしてこそ、主義の力をじゅうぶんに発揮し、国家を救うことができます。では、中国の民族はというと、中国民族の総数は4億、そのなかには、蒙古人が数百万、満州人が百数万、チベット人が数百万、回教徒のトルコ人が百数十万人まじっているだけで、外来民族の総数は1千万人にすぎず、だから、4億の中国人の大多数は、すべて漢人だといえます。おなじ血統、おなじ言語文字、おなじ宗教、おなじ風俗習慣をもつ完全な一つの民族なのであります。」(p25) 

 ─「漢人が苗族を雲南、貴州の境域に追っ払った結果、今では苗族はほとんど絶滅に近く、生存もできなくなった・・・」(p68) 
 
 中国で今も非常に尊敬されている孫文にとっては、
 中国の民族主義とは主に漢民族にとってのものであったようである。 
 
 王柯氏の著書『多民族国家 中国』(2005年、岩波新書)は、中国共産党の初期の少数民族政策を以下のように説明している。 

 同書から引用すると、1922年の中共第二次全国代表大会による決議案は、「辺境人民の自主を尊重し、モンゴル、チベット、回疆の三自治邦の成立を推進し、その後自由連邦制の原則に基づいて連合し、中華連邦共和国を樹立する」と唱えていた。また1934年の「中華ソビエト共和国憲法大綱」では、「中華ソビエト政権は中国領内の少数民族の自決権および各弱小民族が中国から離脱し、独自の国家を樹立する権利を有することを承認する」と主張し、「民族自決」と「連邦制」を唱えていたという。
 
 このような中国共産党の初期の少数民族政策は、
 現在の少数民族政策にそのまま繋がることはなかったようである。 
 
 中国の民主化運動家ですら、民族自決には無理解である。 
 
 中国が民族問題にどう対応するかについて展望するにあたっては、上記のような歴史的な背景で、どのような選択肢をとれるのかについて考えていく必要があるだろう。

http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=200803151309006

【中国で今も非常に尊敬されている孫文にとっては、
 中国の民族主義とは主に漢民族にとってのものであったようである。】

ということになると、孫文に因るところの「レジティマシィなり大義名分」というものは、主に「漢民族」の中でのものであり、「その他の民族」においては
「その限りではない」ということになってしまうのでしょうか?

【外国の軍隊にメチャクチャにされたのが中国の近代史だったのだから、「外国の軍隊を駐留させない」のが「評価」の中心になるのは当然といえば当然、そこに「誤解」の入る余地は在りません。 また、角栄氏が僕の言ったように理解したからこそ、その後の「資源自立外交」が出て来る訳です。 即ち日本の国家的自立の為に不可欠の「エネルギー問題」の解決と近隣諸国との善隣友好関係の形成による「日米安保」の有名無実化(米軍の存在理由の消滅)。】

【同時に又、田中外交をそのように読み切ったからこそ、アメリカとその手先どもによる、善隣関係の破壊と角栄氏追い落としを狙った様々な謀略が仕掛けられたのです。
「金大中氏拉致」(この動きは、後に日本人拉致に繋がる)、「東南アジア歴訪」の際の、タイやインドネシア等での、米情報機関による大規模な「反日暴動」の発生。
ーこの延長に「ロッキード事件」があるのです。】

この段階で、中国と田中角栄首相との間には「部分的な共通利害の構築の萌芽」が見られていたものの、上記の流れにあるように「アメリカの国益に反する」という理由から
スポイルされることになったということですね。

現在胡錦濤中国国家主席が来日していますが、
アメリカとしては今回はどのようなスタンスで対応しようとしているのでしょうか?
御意見を伺えれば幸いです。

今後とも宜しくお願い申し上げます。

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中国もロシアもアメリカも中央が殖民地を支配する国内帝国主義国家、言語や宗教や民族を強制的に統一しようという国内帝国主義
http://www.asyura2.com/08/bd53/msg/128.html
投稿者 TORA 日時 2008 年 5 月 12 日 14:45:02: GZSz.C7aK2zXo

株式日記と経済展望
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu167.htm
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/
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中国もロシアもアメリカも中央が殖民地を支配する国内帝国主義国家、
言語や宗教や民族を強制的に統一しようという国内帝国主義なのだ。

2008年5月12日 月曜日

◆「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」  5月11日
http://www.melma.com/backnumber_45206_4091733/

(読者の声1)以下は今月号の『WILL』で展開されたペマギャルポ氏と石平氏との対談です。傾聴に値する内容です。

 <中国は唯一の植民地大国>
 ぺマ:大事なことはいまだに、この21世紀においても植民地をもっている国は中国だけであるということです。中国が一番騙しているのは中国の国民である。
 中国の一番悪い点は、歴史を作文、つまり改竄することです。それは外国だけではなく、自国民を騙すことになっている。

 石平:ここに中国共産党の公式文書があります。
1922年、中国共産党の第二次全国人民代表大会記録で、「我々が目指すのは中華連邦である。中華連邦というのは漢民族中心で、チベット、モンゴル、ウイグルの各民族が、中華連邦に加入するか離脱するかは自由である」と主張しているのです。「中国共産党の歴史を勉強したのか」と言ってこの公式文書を胡錦濤国家主席に見せてやりたいと思いますね。

 ぺマ:中国は時間稼ぎの時の作戦として、譲歩するかのように見せたりしますが、絶対にその通りにはならない。

 石平:尖閣諸島についても、日本の援助が必要な時には棚上げしておいて、日本の援助が必要でなくなると自分達の領土だと言い始める。そして軍艦も出す。
 私は中国共産党に小学生の時から騙されてきましたし、ぺマ先生も先ほどのお話のように騙された。日本も同様に騙されているわけです。

 ぺマ:中国の歴代皇帝とダライ・ラマとの関係は、お寺と檀家の関係と同じだと言えます。ですから中国のほうから毎年、チベットに絹などの贈り物をおくってきていた。
元朝以来、歴代の中国皇帝は、ダライ・ラマに貢いだわけです。中国皇帝はそうして、ダライ・ラマから権威を与えてもらった。そういう意味で、お互いに補い合ってきました。(中略)
 日本人は中国5千年の歴史などと言いますが、中国の歴史は途切れています。
中国大陸の歴史は5千年でしょうが、王朝は次々と変わり、途切れている。日本と同じように一つの国の歴史として語ることはできません。

 <解放軍「侵略」の歴史>
 ぺマ:ダライ・ラマへの謁見も何日も前から申し込まなければならなかったし、英国の代表と中国の代表のどちらを上に座らせるかということで抗議を受けた記録文献もあります。そういう意味で駐蔵大臣は単なる大使、代表にすぎなかった。

 石平:チベットが中国の実効支配下に入ったのは、人民解放軍が入ってきたからだということですね。軍隊を派遣して他国に入り、自分達の国の一部だとする。それは明らかに侵略です。

 ぺマ:その通りですよ。いわゆる「17ヶ条協定」も国際法に照らし合わせると非合法的な条約です。なぜならば、チベットの全権大使は印鑑を持っておらず、中国が用意した印鑑を押したんですね。
 残念なのは1956年にダライ・ラマ法王がインドに行った時、あの条約は押し付けられたものだと言えば国際的に反論するチャンスでしたが、それを言わなかった。ダライ・ラマ法王には、中国となんとかなるだろうという期待感があったのでしょう。

 石平:今の日本と同じですね。

 ぺマ:そうです。その期待感で、条約を批准していないと訴えるチャンスを逃してしまいました。チベット問題は1911年から国連に提訴していますが、この間、国連は三度の決議をしています。「中国軍の即時撤退」、「チベット人の人権回復」、「平和的な解決」の三つです。しかし何も進まない。

 <台湾の次は日本を獲る>
 ぺマ:インドの初代首相であったネルーと周恩来は「平和5原則」を掲げてアジアの発展を目指していたため、国連でチベット問題を取り上げると欧米が介入してくることを恐れたということもあります。インドが仲介すると言っていたわけです。
 しかし1962年に中国軍がいきなりインドに入ってきて、ネルー首相は命を縮めることになりました。それからインドと中国は二度にわたって交戦することになります。
 
 石平:1950年代、中国にとって、いちばんの友好国はインドでした。その友好関係を使って、戦略的にチベットを獲る。インドの協力がなければチベットを獲ることはできないからです。しかし1959年になって、完全にダライ・ラマを追い出すことに成功し、チベットに対する支配を完全にしてからは、インドを獲りにいくわけです。
 日中関係もまさに同じ構図ですよ。例えば今は、日本に対して微笑外交をしている。それはまさにこれから台湾をチベットのように支配下に入れるためには、日本の協力、あるいは妥協がなければならないからです。日本を懐柔して台湾を獲った後は、日本を獲りに来るということを歴史が教えています。

 ぺマ:相手の中に入って自分の味方を作ります。
我々が中国に交渉に行く時、勉強するために2週間ほど早く現地入りします。その時、中国は案内しながら、誰を懐柔すればよいかというのを見極めている。
毎晩、我々が何を話したかを全て書き留めて、それを分析し、その分析を元に分断工作をします。
 そして、競争心を煽るために差をつけます。

 石平:まさに先日、日本がやられましたね。
まず、小沢一郎民主党代表を北京に呼び、感動させた。感動した小沢民主党代表は中国に対する「朝貢外交」を恥ずかしげもなくやって見せた。すると、後から訪中した福田首相は、小沢代表以上の友好姿勢を示そうということになり、キャッチボールして見せたりする(笑)。こうして中国は懐柔していく。
 その中国の鍛え上げられた罠に、与党と野党のトップがまんまと引っ掛かるという
のが今の日本です。一人も見識のある議員がいないのか。

 ぺマ:まだ日本は免疫ができていないですからね。
 頭にきているのは、アメリカは日本国を同盟国だとしていますが、最近のペンタゴンの文献には尖閣諸島を日本名で書いた後にスラッシュ(/)を引いて、中国名を書いています。中国はこういうところから少しずつ既成事実を作り、後に「前からこう書かれているではないか」と言い張ります。
 このような中国人のやり口に負けた原因の一つは、私たちチベット人にあるということを反省しています。あまりにも仏教を信仰しすぎました。僧を大事にしましたが、その僧こそが中国から肩書きを貰い、寄進してもらい、どれだけ立派な寺を建てたかを競うようになってしまった。
 
 石平:領土の話で言えば、台湾が自治区になれば、次は沖縄。沖縄が自治区になれば、次は本土です。(中略)中共内部の破綻を、外部を侵略することによって取り戻すしかありません。

 ぺマ:常々、日本政府にネパールの王室を支援するようお願いしてきました。国王も皇太子もよい人物ではありませんでしたが、王室であることで何かが起こったときに民族の求心力が高まるからです。
 日本はこういう問題に疎く、東アジア共同体などと言っていますが、マレーシア、インドネシア、タイ、カンボジア、ラオスにどれだけの華人、華僑がいるかということです。そして誰が経済を握っているか。これは目に見えないもう一つの中華思想のテリトリーです。
 日本軍が中国に対して残虐行為を働いたなどと中国は言いますが、日本人に中国人のいうような残虐行為を行う発想はありませんね。あれは自分達がやったことではないでしょうか。腹を割き、胎児を引きずり出したりする習慣は日本にはありませんよね。
 石平:全くその通りです。恥ずかしながらあれは我が漢民族の習慣です。そして、日本軍が残虐行為を行ったということにして、自分達の罪を消そうとしたわけです。
     (UU生)

◆少数民族をおびやかしてきた旧ソ連と中国 (「現代」1992年10月号) 桃源郷
http://tousui.iza.ne.jp/blog/tag/16562/

司馬 民族というものは「われわれ」を共有する集団で、魅力的でもあり、いやらしくもあり、心のやすらぎをあたえるものでもあれば、他の少数民族を大量虐殺する危険な揮発性の高いガス体でもある。ソ連はマルキシズムという人工的な普遍思想によってこのガス体を強権で管理してきましたが、それが崩壊しました。そのあと、世界中で民族紛争が起こっています。以前、たしか九年前にも梅棹さんとこの問題で対談しましたね。

そのとき、やがて地球規模で少数民族の反乱が起こるだろうという話をしましたが、その通りになってしまった。それにしても、梅棹さんは何年も前からマルキシズムは崩壊すると言っていたでしょう。あんなこと言ってた人はほかにはいません。どうしてああいう予感があったのか、そのへんから話してください。

梅棹 わたしがそれを言い出したのは一九七八年だったと思います。東ヨーロッパを旅行したんですよ。ユーゴ、ブルガリア、ルーマニア、ハンガリー、チェコと歩いて、これはひょっとしたら、わたしの目の黒いうちに社会主義が全面的に崩壊するのをみることができるかもしれんと言ったんです。なぜかというと、あのころで、東欧諸国は革命後三十年たってるわけですね。ソ連は六十年ぐらいたっていた。これがその成果かというぐらいひどいんですよ。いったい、社会主義になって何がよくなったんだ。何十年かかって、たったこれだけのことしか達成できなかったのか。これではだめだと・・・・・。

司馬 同じころ日本社会党の代表も東独見学に行っていますが、人間というものはふしぎなものですね、おなじものをみて、このほうはすっかり東欧びいきになって、日本は東独のようにやらないといかんという新聞記事が出たのを覚えていますよ。

梅棹 バカなことを。何も見えていない。

司馬 ひとつに、招待されてる人と、それから一人の知識人が素足で歩いているのとの違いでしょう。東独では、貧富の差をなくそうというただ一つの目的のために、人間の牧場をつくって、その管理のために強大な秘密警察の網をめぐらし、恐怖政治をおこない、公害をそこのけにして、牧場的な工場生産をやっていた。招待されてゆくと、見えにくいでしょうな。

梅棹 こっちは自分の金で行ってますからね(笑)。

司馬 帝国主義を収奪の機構とすれば、ソ連なきあと、それに似た機構をもつ国として中国が残ってますね。むろん、名は社会主義ですが。北京による国内帝国主義でしょう。北京に軍隊を集めいておいて、そしてタコみたいに足を延ばして、各省をひっつかまえて、一方、多様な少数民族をおびやかすことによって成立してるわけだから。たとえば西蔵(チベット)民族からみれば、中国はマルクス・レーニン主義の国というよりも、それを看板にした帝国主義でしょう。旧ソ連もそうでしたが。

梅棹 そうなんです。ソ連も中国も、まさにそういう意味での帝國なんです。十八世紀的な帝國の残存物ですよ。そのうちの一つが崩壊して、あとの一つだけ帝國の亡霊が残った。

(私のコメント)
世界地図を見ると、ロシアや中国やアメリカの領地が巨大であることに気がつきますが、国家といっても日本やヨーロッパの各国のような一つの国家ではなく、国家が集まった連合体である。だから国名もアメリカ合衆国とかソビエト連邦とか名乗っていた。ソ連は崩壊しましたがまだロシア国内には帝国から離脱できない20カ国ほどの共和国がある。

中国も言語も民族も文化も異なる国家の連合体なのですが、日本人は中国やロシアやアメリカを日本と同じ一つの国家と捉えている。戦前においては日本も韓国や北朝鮮や台湾などを領有していた国内帝国主義国家であった。それが大戦の敗北によってそれぞれが独立したのですが、中国やロシアやアメリカは19世紀の帝国主義がそのまま残っているのだ。

イギリスもスコットランドや北アイルランドやウェールズなどの国内帝国主義国家ですが、言語も文化も民族も少し異なる。探せば他にも国内帝国主義国家がいくらでもあるのでしょう。しかしユーゴスラビアのような形での分離独立運動が起きると民族浄化などの悲劇が繰り返される可能性がある。コソボ独立などロシアや中国は神経質な反応を見せていますが、いつ分離独立の炎が飛び火するかわからないからだ。

アメリカも国名が示すように国家連合体なのですが、軍事的にも経済的にも強大であるので分離独立運動は見られない。しかしアメリカもテキサス共和国やカリフォルニア共和国をメキシコとの戦争で領有する事になった国内帝国主義国家だ。さらにはハワイ王国も領有している。

これらの国家連合体に共通している事は国家としての歴史の浅さであり、ロシアは20年足らずであり、中国も60年でありアメリカは200年余に過ぎない。つまり人工的に作られた国家連合体であり、都合が悪くなれば自由に離脱する権利が無ければならない。しかし中央政府はこのような分離独立の動きは武力で阻止する。

アメリカにしてもテキサスやカリフォルニアは合衆国に加わっていたほうが利益だから加わっているのであり、利害が反すれば南北戦争のときのような南部の独立の動きも起こりうる。ヨーロッパの歴史を見ても一つの大帝国であったのは300年程度に過ぎず、中央政府が腐敗堕落して経済力や軍事力が衰退すればバラバラに分裂してしまう宿命を持っている。

だから日本人が持つ国家感と、米中ロといった巨大帝国の国家感とはズレがあり、政治感覚も異なってくる。日本も中央政府の力が弱まれば国家はバラバラになりますが、民族や言語や宗教や文化はほぼ同一だから分離独立することは無かった。地理的な条件も海という自然の国境線で仕切られているから、中央の強権政治は織田徳川の戦国末期にしか見られない。

それに対して米中ロの巨大帝国は常に強力な中央政府を必要としており、スターリンや毛沢東のような独裁者でないと纏めきれない。アメリカも民主主義国家としてスタートしましたが、現在のような世界帝国となると共和制から帝政国家に変わっていくのも時間の問題だろう。9・11テロ事件以降はますますワシントン政府は権力を集中させて大統領は独裁者のような強力な人物でないと勤まらなくなってきた。

ローマ帝国も巨大化するにしたがって共和制から帝政国家に変わりましたが、米中ロも強大な軍事力を有する帝政国家である。形として民主政治であっても議会選挙は形式的になり、中央政府はマスコミを操縦して国民を一つに纏めようとする。中国やロシアは皇帝への非難は許されず言論の自由は形式的にしかない。アメリカもマスコミ操縦はますます巧妙になってきている。

それに対して日本や西欧諸国のような国は、独裁的権力を必要とせず比較的自由な言論活動が認められている。イタリアのように中央政府が腐敗堕落してもまとまっている。議会政治も多党制であり与党も複数の政党が集まって出来ているところが多い。イギリスは二大政党制ですが連合国家であるから政党が多数に分裂する事はないのだろう。

日本も多党化から無理やりに二大政党制に持っていこうとしていますが、現実としては与党連合政権になっている。多党化すれば独裁的な強力な政権は作れませんが、民主主義国家はこのような政権となる。それに対して米中ロは一党独裁か一党による単独政権で、何時でも戦争に備えた強力な政権体制を作っている。

このように見ればアメリカと中国とロシアが相性がいいのも同じような連合国家であり、多民族国家であるからだ。だから日本がこれらの連合国家と対するには正面から対抗するのではなく、多民族の国家連合であることを突くべきだ。中国に対してもロシアやアメリカに対しても分離独立をそそのかしながら外交を進めるべきなのだ。

日本の当面の目標としては中国の分離解体を目指すべきであり、チベットやウイグルなどの分離独立を支援すべきなのだ。南モンゴルや旧満州地域も北京政府の国内植民地であり言葉も民族も異なる。逆に北京政府は台湾を併合しようとしていますが、台湾の併合は日本の国益に反する。

もし台湾が中国に併合されるような事があれば、次は日本が狙われる事になる。だから日本としては、反転攻勢をかけてチベットやウイグルの分離独立を支援すべきなのだ。しかし反省すべきことは戦前における満州の独立ですが、欧米の勢力を排除した事により日本は孤立してしまった。もし欧米の資本を引き入れていれば大東亜戦争はせずに済んだかもしれない。

ロシアに対しても樺太や沿海州など、将来的に分離独立の動きが出てくることだろう。モスクワはあまりに遠く、日本ははるかに近い所にある。ロシアのような多民族国家ではモスクワ政権に対する帰属意識が薄く、歴史的に見ても革命の混乱期に極東共和国が作られたことがあり、アメリカも満州と同じく興味を示したが、革命による亡命ユダヤ人の国家を目指したのではないかと思う。

中国に関して言えば、北京政権は万里の長城から長江にはさまれた地域の政府であり、それ以外の地域は北京政権の植民地だ。また一昨日書いたように北京と上海とは言葉も異なるし、政権内においても勢力争いが絶えない。上海は日本に一番近い地域でもあり企業進出も盛んだ。超高層ビルも立ち並び国際都市となり、上海は独立志向を持っているようだ。将来的には香港のような一国二制度的な都市国家になるのではないだろうか。

ロシアにしてもウラジオストックが上海のように日本の資本を引き込んで国際都市に発展すれば極東共和国の分離独立の構想も起こってくるだろう。ウラジオとモスクワはあまりにも遠くて、日本から近すぎる。このように日本は日本に面した対岸に国際都市を作って行けば中国とロシアを牽制できる立場に立てることになるだろう。少なくとも都市国家レベルなら中国やロシアにも民主主義は成り立つからだ。バルト三国を見てもその可能性はある。

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アメリカはインドへは次世代多目的戦闘機F18を売却する用意
http://www.asyura2.com/0502/war68/msg/810.html
投稿者 外野 日時 2005 年 3 月 26 日 15:10:14: XZP4hFjFHTtWY

(回答先: パキスタンにF16売却へ 米大統領がインド側に通告 (共同通信) 投稿者 愚民党 日時 2005 年 3 月 26 日 04:18:48)

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2005年03月26日(土)

インドを「21世紀の世界大国」に=ブッシュ政権が育成戦略
http://news.goo.ne.jp/news/jiji/kokusai/20050326/050326012758.2c3xayi1.html?C=S

【ワシントン26日】第二次ブッシュ米政権がインドを「21世紀の世界大国」に育成する戦略を練っていることが分かった。中国や中東地域、中央アジアに対処する地政学上の要請から、米国は南アジアの要であるインドとの提携を深める。(1枚目の写真はインド南部バンガロールで、水道管を馬の背に乗せて運ぶ輸送業者)

計画によれば、ブッシュ政権はミサイル防衛その他の安全保障政策やハイテク技術の分野における協力を強化するとともに、経済・エネルギー協力の拡大を進めるため、インドとの「戦略対話」を推進する。米政府当局者によると、ライス国務長官はシン・インド首相に対し、両国の「より広範な戦略的関係」の概要を提示した。

米政府当局者は「戦略的関係の目標はインドを『21世紀の世界大国』に育成することにある。軍事を含め、その意義をわれれはよく理解している」と指摘。「米国にとって南アジアは極めて重要だ。一方に中国があり、方やイランをはじめとする中東地域が控える。それに加えて北方には、不安定な中央アジアもある」と述べた。

先にインドを訪問したライス長官はシン首相と両国の戦略関係強化を討議したが、その内容は明らかにされていなかった。

米・インド関係は、1998年にインドが実施した核実験を契機に冷却化していたが、2000年5月、クリントン前米大統領がインドを訪問、関係改善の動きが始まった。

ブッシュ大統領はシン首相に対し、今年7月の訪米を要請。ブッシュ大統領も今年か来年にインドを訪問する意向を持っているという。

米当局者によれば、両国の戦略対話は、グローバルな問題、地域安全保障、インドの国防上のニーズ、ハイテク協力の拡大、防衛機器の共同開発をテーマとしている。防衛協力に関しては、米国は次世代多目的戦闘機F18をインドに売却する用意があるほか、インド軍の指揮命令システム、早期警戒システム、ミサイル防衛整備などで議論を進める考えだ。〔AFP=時事〕
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 インドも、ようやくネルー・ガンジー主義や国民会議派の社会主義的政策の長い呪縛から解かれ、富の分配の理論から富の創出の理論に移行して、IT産業をべースにバンガロール、ハイデラバード、ニューデリー郊外、チェンナイ(旧マドラス)、プネーなどの都市が暴走し始めた。かつて繁栄していたコルカタ(旧カルカッタ)やムンバイ(旧ボンベイ)はその波に乗り遅れ、発展から取り残されつつある。
 これは完全に地域国家論の世界だ。つまり、国家としてのインドが繁栄しているのではなく、世界中から富を呼び込むことに成功した地域だけが繁栄しているのだ。国全体の経済成長率9%という数字には意味がなく、繁栄している地域は20~30%成長し、ダメな地域はマイナス成長になっている。その平均が9%ということなのである。(「アメリカに代わる日本のフロンティアはBRICs TVTだ」大前研一)

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 『SAPIO』2005.01.19/02.02号

 アメリカに代わる日本のフロンティアはBRICs TVTだ
 大前研一

 ブラジル、ロシア、インド、中国の頭文字をとったBRICsが世界中から注目を浴びているのは周知の通りだ。今後30年間で、中国を筆頭に現在の経済大国をしのぐ勢いになるという予測も出され、投資も急増している。2005年はこの「BRICs」に加えて「TVT」(タイ、べトナム、トルコ)も脚光を浴びそうだ。「BRICs TVT」は本当に世界経済の牽引役となりうるのか──。
      *

 私がビジネスの視点から「BRICs TVT」に注目している理由は、この7か国で世界の人口の半分を占めているうえ、すべての国が04年1年間に8~9%の経済成長を遂げ、その株式市場も40~80%という急激な伸びを見せているからだ。
 まずBRICsについて説明しよう。アメリカの大手証券会社ゴールドマン・サックスの予測によれば、BRICsが今のぺースで経済発展していくと、2039年には現在のG6(世界経済のトップ6か国)であるアメリカ、日本、ドイツ、フランス、イギリス、イタリアの合計を経済規模で上回るという。
 20世紀が幕を開けた100年前を振り返ると、BRICsのうちすでに大国だったのはロシアだけで、ブラジル、インド、中国は「未来の大国」と言われていた。ところが実際には、この3か国は1OO年間眠っていた。ロシアも旧ソ連の崩壊後は、国力が大きく衰えてしまった。

 地域国家がBRICsを目覚めさせた

 では、なぜ21世紀の初めに再びBRICsなのか?1OO年前と今では何が違うのか?また深い眠りに陥る可能性はないのか?その答えは、私の「地域国家論」にある。
 私は10年前、国民国家(ネーション・ステート)に対する新たな概念として地域国家(リージョン・ステート)を打ち出し、21世紀の「繁栄の単位」は、もはや中央集権の国民国家ではなく、中央政府から解き放たれた地域国家である、と指摘した。それに基づき、日本では「道州制」を提案し、中国については「中華連邦」という考え方を提唱してきた。つまり、20世紀と21世紀では「繁栄の方程式」が一変したわけで、BRICsは21世紀の繁栄の方程式、すなわち「地域国家論」の世界に入ってきたのである。
 順に説明しよう。私は2004年11月、5年ぶりにブラジルヘ行ってきたが、5年前とは比較にならないほど景気が良くなっていた。5年前のブラジルは、自国通貨レアルと米ドルのリンクが外れてレアルが暴落し、パニックになった。しかし、その騒動が収まって2・8レアル=1ドルで落ち着いたら、輸出競争力が強くなり貿易収支も黒字に転じた。
 なぜ、ブラジルは再生したのか?政府が富を分配する中央集権のシステムがうまく機能しなくなって、地域が勝手に暴走しはじめたからである。つまり、国民国家型から地域国家型に移行したのである。
 その結果、繁栄する地域と繁栄しない地域にくっきりと分かれて富の偏在が加速し、もともと大きかった南北格差がいっそう拡大した。26州のうち、南部のパラナ州、サンパウロ州、サンタカタリーナ州という3つの州だけが大繁栄し、GDP(国内総生産)の7割ぐらいを占めている。あとの23州は置き去りとなり、とりわけ北部のアマゾン川流域はますます貧しくなっている。
 また、繁栄の弊害として、サンパウロをはじめとする南部の大都市の治安が極度に悪化している。
 たとえば、リオ・デ・ジャネイロに住んでいる私の友人で世界的に有名な建築家のオスカー・ニーマイヤ氏は「夜は一戸建ての自宅をガードマンが警備してくれない」と嘆いていた。ガードマンが仕事を断わるほど危険なわけだ。ニーマイヤ氏は昼間だけ自宅にいて、夜は安全なアパートで寝るという不便な生活を余儀なくされている。今は「警備会社が成長産業」と言われているほどだ。以前は危険エリアが線引きされていて、それ以外の地区は外国人が歩くこともできたが、今や安全と言える場所はほとんどなくなってしまった。
 そういう混迷を抱えてはいるけれど、広大なブラジル全体があまねく発展することはもはや不可能だから、ここは割り切るしかないだろう。パラナ州やサンパウロ州は人口が3000万~4000万。これはヨーロッパだと1つの国に匹敵する規模だから、ブラジルは国内に共和国ができたと考え、地域国家の発展を加速すべきだと私は思う。
 ロシアも国民国家としては事実上破綻し、その結果、地域国家が生まれつつある。ただし、あの広大な国の中で繁栄している地域は、今のところ3か所しかない。石油資源で潤っているモスクワ周辺、シベリアのイルクーツクを中心とするバイカル湖周辺、そしてサハリンである。あとの地域は火が消えたように産業が衰退し、たとえばエンジニアたちは国外に出るか、ポーランドなど東欧諸国の下請け仕事で食べているという状況だ。
 しかしながら、ロシアは人口1億5000万の巨大市場で、世界最大の産油国だからお金はうなっている。スーパーマーケットには物資があふれ、ロールスロイス、ベントレー、フェラーリなどの超高級車を売る店もたくさんある。
 要するに、ロシアの場合は前号でも述べたように、旧ソ連の崩壊後に社会に出てきた若い人たちと、それ以前の世代の人たちとの間に10倍以上の収入格差ができているのだ。ロシアでは若者による高齢者の切り捨てが起きている。これはもはや国民国家の姿ではない。ロシアは公平な富の分配や均衡ある国土の発展を目指す国民国家の維持をあきらめ、石油のある所や産業のある所だけ栄えなさい、という地域国家の形態を取り始めているのだ。
 インドも、ようやくネルー・ガンジー主義や国民会議派の社会主義的政策の長い呪縛から解かれ、富の分配の理論から富の創出の理論に移行して、IT産業をべースにバンガロール、ハイデラバード、ニューデリー郊外、チェンナイ(旧マドラス)、プネーなどの都市が暴走し始めた。かつて繁栄していたコルカタ(旧カルカッタ)やムンバイ(旧ボンベイ)はその波に乗り遅れ、発展から取り残されつつある。
 これは完全に地域国家論の世界だ。つまり、国家としてのインドが繁栄しているのではなく、世界中から富を呼び込むことに成功した地域だけが繁栄しているのだ。国全体の経済成長率9%という数字には意味がなく、繁栄している地域は20~30%成長し、ダメな地域はマイナス成長になっている。その平均が9%ということなのである。
 これは中国も全く同じで、国全体の経済成長率は8%だが、北東部の大連や瀋陽のそれは15%に達している。中国全体の発展を考えると気が遠くなるし、実際100年かかってもできなかった。だから北京政府がタガを外した途端に都市の単位で世界と交易するようになり、今や資本も技術も企業も人材も、すべて都ベースで入ってきている。
 競争相手も他の国ではなく、中国国内の他都市になっている。つまり、すでに中国は事実上、地域国家の集合体になっているわけで、これが私の「中華連邦論」である。

 …(略)…

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中国の勃興と台湾(田中宇の国際ニュース解説)
http://www.asyura2.com/0406/bd36/msg/589.html
投稿者 シジミ 日時 2004 年 8 月 02 日 19:48:03:eWn45SEFYZ1R.

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★中国の勃興と台湾
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 中国のロケット技術開発の歴史には、中国の国家的な意志の変遷が感じられ
る。中国のロケット開発は、中華人民共和国ができてから8年しか経っていな
い1956年に開始されたが、これは当時の毛沢東政権が、中国が科学技術と
結びついた西欧の軍事力を軽視した結果、欧州や日本に支配されてしまった歴
史的な教訓から、軍事力の基礎となる科学技術の発展に力を入れていたことを
象徴している。

 1970年代後半にトウ小平が政権を握り、金儲けに力を入れる改革開放路
線を始めると、軍事的なロケット開発は人工衛星の打ち上げビジネスに転換さ
れ、中国は世界の衛星打ち上げ市場に参入し、欧米の軍事産業との受注競争が
展開された。
http://www.atimes.com/atimes/China/EK05Ad04.html

 1990年前後の社会主義圏の崩壊や、天安門事件後の国際的な経済制裁を
何とか乗り切り、経済大国への道を歩み始めたここ数年の中国は、アメリカの
かつてのアポロ計画の向こうを張るような月面着陸計画を開始している。昨年
10月には初めて有人ロケット「神舟5号」を打ち上げ、中国軍将校の楊利偉
を乗せた宇宙船は地球を14周した後、中国の内蒙古に帰還した。
http://www.panda.hello-net.info/person/ya/yangliwei.htm

 これまで世界で有人衛星の打ち上げに成功したのはアメリカとソ連だけであ
り、中国が米露と並ぶ大国になったことを内外に示すのが、中国の宇宙開発の
目的の一つであると感じられる。中国は2010年までに月面着陸を行う計画
だ。

 中国が有人衛星の打ち上げに成功した後、ブッシュ大統領はそれに対抗する
かのように「2020年までに再び月面着陸し、2030年までに火星への着
陸を成功させる」という野心的な宇宙開発計画を発表した。そして、昨年2月
のスペース・シャトルの爆発事故以来、削減される傾向になっていたNASA
の予算を急に増やしたりしている。だが、この計画は内容が具体的でないので、
真面目に推進されることはないと予測する関係者が多い。
http://www.smh.com.au/articles/2004/01/16/1073878033235.html

▼宇宙船に国連旗を積んだ中国

 昨年10月に中国が有人衛星を打ち上げたとき、機内に積まれていたものの
一つに国連の旗があった。このことは、ロケット打ち上げそのものと同様、中
国の国家的な意志を表している。「中国の大国化は、国際社会に脅威になるも
のではない。むしろ国際社会の安定に寄与するものだ」という意志表明である。
中国で初めて宇宙飛行をした楊利偉大佐は、飛行から数カ月後、ニューヨーク
の国連のアナン事務総長のもとを訪れ、宇宙飛行に持参した国連旗を寄贈した。
http://www.panda.hello-net.info/person/ya/yangliwei.htm

 国連は、宇宙の軍事化に反対しているが、アメリカでは米軍の活動範囲を宇
宙まで広げ、核兵器を搭載した人工衛星を打ち上げて、アメリカの脅威になり
そうな国を攻撃できる態勢を作る新戦略がタカ派勢力によって提唱されている。
http://www.nadir.org/nadir/initiativ/agp/free/9-11/rebuildingdefense.htm

 国連は、アメリカが国連を無視してイラクに侵攻して以来、アメリカの傀儡
だった従来の立場から脱却している。アナン事務総長は昨年9月、国連総会の
演説で「一部の国は、他国が自国を攻撃するための武器を<