アジア政治経済掲示板から転載貼り付け10

会員番号4655 佐藤裕一 投稿日:2010/09/23 22:23

 会員番号4655の佐藤裕一です。

 続けてアジア政治経済掲示板から転載貼り付け致します。

 【佐藤裕一による転載貼り付け始め】

[1455] 会員番号4655 佐藤裕一 投稿者:故・片岡鉄哉先生関係の文章で阿修羅掲示板から転載まとめて保存2 投稿日:2009/12/01(Tue) 01:04:42

 会員番号4655の佐藤裕一です。

 続けて転載します。

(佐藤裕一による転載貼り付け始め)

朝鮮総連の政界窓口は野中広務から森喜朗へ引き継がれた
http://www.asyura2.com/0403/senkyo3/msg/730.html
投稿者 TORA 日時 2004 年 5 月 29 日 19:56:02:CP1Vgnax47n1s

株式日記と経済展望
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu71.htm

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初めて首相あいさつ代読=朝鮮総連大会に自民幹部出席
朝鮮総連の政界窓口は野中広務から森喜朗へ引き継がれた

2004年5月28日 金曜日

◆拉致家族連絡会など3団体、来月6日の集会中止
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040527-00000314-yom-soci

北朝鮮による拉致被害者の家族連絡会と支援組織「救う会」、超党派の国会議員による「拉致議連」の3団体は27日、来月6日に東京都内で予定していた拉致被害者の救出を訴える緊急集会を中止することを決めた。

 北朝鮮側が「死亡」などとしている10人についての説明の矛盾点を再確認した上で、国民に理解を呼びかける必要があると判断した。(読売新聞)
[5月27日23時20分更新]

◆初めて首相あいさつ代読=朝鮮総連大会に自民幹部出席
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040527-00000410-jij-pol

自民党は27日、都内で28日から開かれる在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)の全体大会に党を代表して甘利明筆頭副幹事長が出席、小泉純一郎首相(党総裁)のあいさつを代読することを決めた。同党によれば、朝鮮総連の大会で首相のあいさつが代読されるのは初めて。
 同大会は3年に1回開かれる朝鮮総連の最高決定機関。朝鮮総連から総裁あての招待状が届いた。前回はやはり筆頭副幹事長だった甘利氏が、6年前は森喜朗総務会長(当時)が出席したが、首相あいさつの紹介はなかった。先の日朝首脳会談を受けて、拉致問題などで北朝鮮に前向きな対応を促す狙いがあるとみられる。 (時事通信)
[5月27日19時1分更新]

◆【朝銀破綻処理最終段階】 公的資金1兆4千億円の陰に蠢いた魑魅魍魎 野村旗守
http://chogin.parfait.ne.jp/ref_20021001.html

(前略) 次の朝銀破綻が起こったのは、二年後の九九年五月のことだった。朝銀東京をはじめとする一三もの朝銀信用組合がいっせいに破綻を発表した。

 この直後に起こった出来事として、いまだ気になって仕方のない情報が二つある。

  一つは、破綻した朝銀東京の金庫のなかから、朝鮮総連のドン、許宗萬責任副議長が五〇億~六〇億円の現金を運び出し、どこかへ持っていったというものだ。これは、朝鮮総連中央本部の元財政局副局長・韓光煕氏が朝銀東京の理事長から直接聞いている。

 もう一つは、さらにその直後の九九年七月一日、許宗萬責任副議長が自民党の野中広務、森喜朗両氏(当時の内閣官房長官と自民党幹事長)と都内某所で密会していたという情報だ。これは朝鮮総連で許宗萬氏にきわめて近い中枢部から漏れてきた話である(この情報をある週刊誌の記者に伝えたところ、彼はことの真偽を確かめるため野中氏に直あたりした。野中氏は密会についてキッパリと否定した)。

 破綻した朝銀東京から極秘に持ち出された巨額の現金。そしてその直後の、朝鮮総連最高実力者と「影の総理」と呼ばれた“親朝派”大物議員との密会。無論、両者の因果関係が立証されているわけではないが、これだけの舞台設定が揃えば、勘ぐるなというほうに無理がある。

 この後、七月の衆院大蔵委員会で自由党(現保守党)の小池百合子議員が朝銀について質問。朝銀問題が国政の場ではじめて取り上げられた。以後、与野党の議員から朝銀への公的資金投入問題が盛んに追及されることになる。同月、自民党の外交部会小委員会でも朝銀問題が俎上にあがった。僭越ながら私もここに講師として招いてもらったわけだが、帰り際、ある代議士に後ろから肩を叩かれ「やあ、がんばってください」と激励された。思わず恐縮してペコペコと頭を下げてしまった記憶があるが、後から思うと、あれはいまほど有名でなかったころの鈴木宗男氏であった。「きっと偵察に来たのでしょう」と、後である人が耳打ちしてくれた。当時の鈴木氏が野中氏の側近中の側近であったことは、政界では知らぬ者のない事実である。

 その後、小池氏は内閣のほうに引っぱられ、自民党の朝銀問題小委員会もいつのまにか自然消滅してしまう。やはり、ここでも何者かの意思を感じないではいられなかった。

韓光煕氏の「送金疑惑」証言の衝撃
 信用組合に対する検査権限が金融監督庁(現金融庁)に委譲されたのは、二〇〇〇年四月。当然のことながら朝銀の検査も金融監督庁に委ねられることになった。

 しかし、本来なら朝鮮総連はもちろん、朝銀問題を外交問題に発展させたくないはずの日本政府も、検査の検査の緩い自治体に権限があるうちにすべての検査を終了させ、事業譲渡を完成させてしまいたいはずだ、というのが私の読みだった。事実、金融庁のほうからも「その方向で進んでいる」という内部情 報を掴んでいた。 しかし、そうならなかったのには理由がある。この直前、朝鮮総連中央本部で長らく財政局の副局長を務めた韓光煕氏がマスコミに登場し、朝銀のかかえる疑惑のなかでも最大の疑惑である北朝鮮への「送金疑惑」の実態を赤裸々に暴露してしまったからであった。

 韓光煕証言の概略は次のようなものである。

「日本から北朝鮮に送られる巨額資金の供給源は朝銀である。朝銀の裏口座に貯えられたカネは現金で引き出され、新潟港に停泊する万景峰号に積み込まれて北朝鮮に運ばれる。自分もそのようにして三〇億円以上のカネを運んだ。そのようにして北朝鮮に運ばれたカネは、自分が把握しているだけでも二〇〇億~三〇〇億円にのぼる」(後略)

●小泉の真意と森喜朗の号泣
http://www.workers-net.org/north.html

 小泉は何を狙っているのであろうか。最近言われているように彼の指南役は森である。彼は、森喜朗の手の中で動いている。ではその森は何を考えているのであろうか。
 片岡鉄哉氏の九月十六日発行「アメリカ通信」No.57から引用しよう。
「思いますれば、日韓国交回復には五億ドルを払い、更にわが自民党はこの大部分を日本ゼネコンに対する発注によって取り返しております。ソウルの地下鉄はかくしてできたものであります。これこそ日本の誇るべき鉄道技術の粋であります。
 インフレを勘案すれば、一九六五年の五億ドルは、金丸先輩の八〇億ドル、現在の百億ドルに値するのであります。さらにこの度は特別の配慮をして、百億ドルが全部還元するように計らいましたことを指摘したいのであります。即ち、わが自民党は、日本の財政投資が、飢餓に苦しむ北朝鮮市民に届かず、軍の近代化に流用されることを避けるために、北朝鮮政府が自由裁量で契約先を決定することを避け、契約先は全部わが国の企業とすることになりました。
 こうすることで平和的目的以外の投資を避け、本邦のゼネコンが北朝鮮に『第三東名』を建築するという壮大な構想であります。これこそ、わが自民党の得意とする景気刺激策・デフレ対策の名案であります。
 資金還元が鈴木宗男代議士の真似だという非難を耳にしますが、そのような汚れた動機はわが自民党の関知せざる所であります。本スキームには北朝鮮市民に対する人道的な配慮と、ブッシュ政権の戦略的危惧に対する思いやり以外に何もありません。
 われわれは『和の政治』を尊びます。私自身も『親愛なるリーダー』金正日同志の面子を立てることに苦心しました。それだからこそ拉致された同胞の釈放にあたっては、さりげなく第三国にて釈放為されるよう私も助言したのであります。『人命は地球より重し』。これこそが福田赳夫先輩以来、わが森派の金科玉条とするところであります。
 皆様、わが日本は神の国であります。八紘一宇であります。『東洋平和のためならば』百億ドルは夷荻北鮮に捨てるはした金であります。『進軍ラッパ聞く度に瞼に浮かぶ』影は神州であり、父なる自民党であります。臣喜朗の赤心は天に通じ、落涙は珠となって地に砕け、同胞の皆様の号泣を誘うものと願っております。ご静聴ありがとうございました」。
 森の日本の経済援助の謎解きは、実に大胆率直なものがある。ここに、北朝鮮利権を、橋本派の野中広務からもぎ取った森派のドン・浪花節の森がいるのだ。
   (ワーカーズ 猪)

(私のコメント)
来月の6日の拉致被害者を救出をする集会が急遽中止されました。拉致被害者家族を非難するメールや電話が救う会の事務所に殺到したのが影響したようだ。それとは逆に朝鮮総連の大会には小泉首相のあいさつ文が送られて甘利副幹事長が出席して代読をするという異例の状況になっている。

小泉首相は就任当初は自分の出身派閥である森派の森会長には距離を保つスタンスでしたが、最近の対北朝鮮外交を見ると急速に森会長に近づいているように見える。元に戻ったとも言えますが、これに対しては自民党内でも異論が噴出して、自民党の対北朝鮮外交は二つに割れている。

今までの小泉外交はアメリカべったり外交で、悪の枢軸の一つである北朝鮮と国交回復への交渉など考えられない事なのですが、小泉外交が180度の方向転換をしたのはなぜなのか。小泉首相自身がブッシュ政権を見限った動きを見せ始めたのかですが、小泉首相のひらめき外交はよくわからない。

アメリカばかりに頼っていては危ないと見て、党内基盤のことを考えて森会長の北朝鮮利権に接近しようとしたのだろう。つまり小泉首相はブッシュは落選すると見て独自外交に踏み切り始めたのだ。しかし北朝鮮利権は金丸信や武村正義た野中広務の末路を見ても、手を出した政治家は哀れな末路をたどっている。例の法則が政局にも働いているのだろうか。

森派の森会長も北朝鮮利権を野中広務から奪い取ったのだから、ここいらで大きな話を纏めたいと思うのは当然だ。北朝鮮と話をつけるには朝鮮総連とも親密な関係を築かねばならず、朝鮮総連の大会に小泉首相の挨拶をおくる等のあの手この手を打っている。

しかし朝鮮総連という団体は一種の経済ヤクザのような団体であり、パチンコ業者などへの金融や税金などの相談にのる反面、裏金を朝銀などを通じて北朝鮮に送る取りまとめの役割を担っている。つまり北朝鮮は日本国内に国家内国家を作って日本の政治家にいろいろ圧力をかけている。

朝銀をめぐる不明朗な破たん処理も野中広務などが一声で公的資金による一兆円もの不良債権処理がおこなわれた。その中の多くが北朝鮮へ送金されて戻ってこない融資に対して、日本の税金が使われたのだ。このような不明朗なスキャンダルは国民には知らされず闇へ葬られる。

ちょうど日本を巡る国際情勢は幕末から明治維新の頃によく似ている。薩長も幕府も攘夷攘夷と言いながら、薩長は米英から援助を受けていたし、幕府はフランスやロシアから援助を受けていた。このように外国勢力の手を借りて権力を得るのはたやすい。しかし反政府勢力も外国の援助をもらって反撃すれば日本は二つに分断される。

現代の日本も米英の勢力の手先となって権力を握ろうとするグループと、中国や北朝鮮の手先になって権力を握ろうとする勢力で二分されている。外国勢力と手を組めば権力は容易く手に入るかもしれない。しかしそれでは日本は米中の二つの勢力に分断されてしまう。だから私はアメリカ魔の手を切り、中国・北朝鮮の魔の手を叩き切っている。これは幕末の攘夷思想の現代版だ。

ところが現代は親米ポチ保守と親中反米左派の二つに色分けされている。小泉総理が親米ポチ保守なら森前総理が親北朝鮮と複雑に二つの勢力が入り組んでいる。言論界も保守と左派に分かれていますが、民族主義的攘夷派と言うスタンスで活動している政治家や言論人は少ない。結局、外国の勢力の手を借りて権力を握るほうが楽だからそうなるのですが、現代に西郷隆盛や勝海舟はいないのだろうか。

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副島隆彦
http://www.asyura2.com/08/senkyo56/msg/1098.html
投稿者 ワヤクチャ 日時 2008 年 12 月 20 日 15:15:57: YdRawkln5F9XQ

(回答先: 第93代 小沢内閣が発足しました。 投稿者 どんまい 日時 2008 年 12 月 20 日 03:27:33)

副島隆彦
http://ja.wikipedia.org/wiki/副島隆彦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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副島 隆彦(そえじま たかひこ、1953年5月1日 – )は、福岡県福岡市生まれの評論家、常葉学園大学教育学部特任教授。

目次 [非表示]
1 人物
1.1 概要
1.2 学生時代
1.3 評論家へ
2 思想
2.1 社会主義の受容と超克
2.2 属国論の展開
2.3 アメリカ政治・思想・経済分析
2.4 法学会への批判
2.5 文章の書き方への思考方法
3 評論活動に対する反論
4 エピソード
5 主な研究分野・著書
5.1 現代政治思想の研究
5.2 政治・経済分析
5.3 日本史研究
5.4 言語研究、用語辞典編纂
5.5 その他
6 参考文献
7 脚注
8 外部リンク

[編集] 人物

[編集] 概要
明治期の政治家副島種臣の傍流の子孫。早稲田大学法学部卒業。吉本隆明・久野収・小室直樹・岡田英弘・片岡鉄哉を師と仰ぎ、政治思想・法制度論・経済分析・社会時事評論の分野で評論家として活動。それ以外にもカール・マルクスやフランシス・フクヤマやアイン・ランドやマックス・ヴェーバーにも多大の影響を受け尊敬する。日米の政財界・シンクタンクに独自の情報源を持つとのことで、「民間人・国家戦略家」として、「日本は国家として独自の国家戦略を持つべきだ」と主張している。副島国家戦略研究所(SNSI)主宰。

[編集] 学生時代
マルクス主義や社会主義等の左翼思想に影響を受け、その後フルシチョフのスターリン批判や世界の左派の流れと同調するように、反帝・反スタのトロツキズムである新左翼の学生運動にはまっていった。多くの左派系の団体に参加していたが、本当は家で寝転んで本でも読んでいる方が好きだったという。この頃から吉本隆明を教祖の様に仰いでいた。内ゲバなど生命の危険に晒されながらも活動を続けたが、姉の夫が病気で寝たきりになったことから危険な活動からは身を引いた。 その後ボランティアで小室が主宰していた東大の自主ゼミに通い、学問の分野を超えて、社会学、政治学、経済学、法学等の指導を受ける。

[編集] 評論家へ
大学卒業後銀行に就職し、アメリカ等海外勤務を経て退職。その後日本に帰国し3年ほどは無職ですごしていた。「フェーム」という映画の影響でいろいろな出版社に自分の文章の売込みを始め、雑誌に執筆者名が載らない「埋め草(うめくさ)原稿」を書く仕事を手始めに、次第に仕事の幅を拡げていった。

[編集] 思想

[編集] 社会主義の受容と超克
学生時代左翼思想の影響を受けたが、その後日本共産党やソヴィエト共産党や、岩波知識人の一部をスターリン主義であるとして批判的な立場に変わっていった。後にそれでも実際にソヴィエトが崩壊するまでは彼らから逃れられず虜であったと語る。1980年に小室直樹の『ソビエト帝国の崩壊』を読んでだんだんと保守派やアメリカの社会学に影響を受け始め、凝り固まった右派・左派イデオロギーではなく大きな視点での事実のみを信じるようになった。

その後、アメリカの学問・思想を分析する上でアイン・ランドの客観主義に出会い、リバタリアニズムにも影響を受ける。銀行員時代アメリカ勤務を通して得た多くのアメリカ人・イギリス人の友人たちと10年以上にわたり議論を繰り返した結果、日本の学問・思想が、学問・思想における世界的普遍価値から大きく外れたものであり、しかも日本の学者・思想家が自らの利権を守るためそれを密教と化して、日本国民に大きな事実を隠してきたことを知ったとする。そのため、日本の一般民衆は、自分ですら自分が何を考えているかわからない無意識の状態になっており、その結果、日本では、政治家が育たず、国家戦略なき国家となり下がり、意識的・無意識的に、イギリス、アメリカ等その時代時代の覇権国のコントロールを受けているとする[1]。

[編集] 属国論の展開
1994年に総合法令から『政治を哲学する本』(後に後掲『決然たる政治学への道』に改題)でアメリカこそが世界の覇権国であり、日本を含め西欧諸国ですらその属国の一つにすぎないとする属国論を提唱し、日本は、アメリカに政治、金融経済、学問・思想のすべての面で完全に敗北しており、その現実を直視することによって初めて日本固有の民族的価値を守ることができると主張した。その上で、学問・思想における世界的普遍価値に基づけば、日本は天皇を主君とする前近代的な王政国家であることは明白であるとし、明治維新について、理想に燃える下級武士が単独で近代革命を成し遂げたとする司馬遼太郎によるいわゆる司馬史観を否定し、イギリスが当時覇権を争っていたロシア帝国の勢力拡大を防ぐため、岩倉具視、坂本龍馬らのスパイを育成・使役することによって親イギリス政府を作るという世界戦略の一環であったと主張している[2]。

[編集] アメリカ政治・思想・経済分析
アメリカが世界覇権国であるゆえんを明らかにするためには、そのよって立つ世界普遍価値を明らかにする必要があるとして、1995年に当時のアメリカの政治家と知識人の世界における思想的な対立を体系的に紹介し、ネオコンやグローバリズム、 リバータリアンによるアイソレーショニズムという政治的な対立を他に先駆けて紹介した。[3]。

[編集] 法学会への批判
戦後の人権一辺倒の政治的風潮や、日本の法学者の中に、自然法と自然権の区別ができていない者がいることを批判し(人権という概念自体を批判しているわけではなく、人権と対立する人権以外の概念をささえる大きな政治的対立があることを日本では正しく伝える人がほとんどいないことを批判している)自然法、自然権、人権、人定法、アニマル・ライツ、などの法思想の関係と対立を分かりやすく説明した[4]。

[編集] 文章の書き方への思考方法
文章を書く際にはオッカムの剃刀という考え方に気を使い、シンプルで誰にでも分かりやすくしているという。しかし単純化しすぎたり説明不足に落ちいる危険性も認識している。逆に新カント学派の流れをついだ、やたらと気取って難解で意味が伝わりにくい文章に批判的な立場である[要出典]。

[編集] 評論活動に対する反論
著作や訳書に陰謀論にもとづくものがある。
2004年には人類の月面着陸はなかったとウェブページと著書で主張した[5]。新聞の書評に「夏バテにはドリンク剤とトンデモ本が一番」と紹介され[6]、と学会からも間違いを指摘されて[7]、インターネット上でも同様の議論が数多くなされた(参照アポロ計画陰謀論)。『人類の月面着陸は無かったろう論』の後書きで副島は、「私の主張が明白に間違いで、アポロ11号の飛行士たちが月面に着陸していたことの明白な証拠が出てきたら、その時は私は筆を折る。もう二度と本を書いて出版することをしない。」とまで書いている。
以前、代々木ゼミナールで英語講師を務めていたこともあり、英文法関連の著作がある他、研究社刊行の英和辞典は間違いだらけであるとする著作を発表。同著に対しては山岸勝榮から反論がなされただけでなく[8]、研究社が同著の出版元であるJICC出版局(現宝島社)に対し出版の差し止めと名誉毀損による損害賠償を求めて東京地裁に訴えを起こした。判決では出版の差し止めは退けられたが、損害賠償に関しては研究社の主張が一部認められ400万円の賠償が宝島社に命じられた。その後、宝島社の控訴が棄却されて判決は確定した。

[編集] エピソード
現在、自身の学問上の弟子の慰留のため関東近県の避暑地に別荘を建設中である。スルガ銀行融資により資金調達、名を『大暴落荘』と呼ぶ。ネーミングの由来は不明である。
雑誌の対談等で漫画家小林よしのりに対し自身の学問上の師である小室直樹、岡田英弘に次ぐ師であると絶賛し告白する。理由は日本の保守派が実際のところ愛国派の衣を被った米国に媚びへつらう飼い犬のポチでしかない事を小林が見抜いた事による。
家に先住の猫を飼っているため、勤め先の大学近くに生息し、餌付けしている野良猫を拾ってやれず自著で嘆いている。
自らのことを、陰謀論者として葬り去ろうとする者には特に厳しく、情け容赦なく筆誅を加える旨を著作物で宣言している。実際に過去、自著よりの無断の盗作に対しては、実際に著者名、書名を挙げて自著にて筆誅を加え葬り去り抗議をしている。
また著書等で自らを、生まれてこの方組織というものに属したことが無いと繰り返し語り続けている。会社組織などに属することなく塾講師、銀行、家庭教師などを転々とした人生であり、世の全てに対し何のしがらみもないゆえに、著書などでこれから証拠つきの手槍を片手に、世の様々な団体、個人の尻を突き刺しながらの世の中すべての真実暴きの旅に出る旨を述べている。

[編集] 主な研究分野・著書

[編集] 現代政治思想の研究
『世界覇権国アメリカを動かす政治家と知識人たち』(講談社 +α文庫)ISBN 4062563347
『日本の秘密』(弓立社)ISBN 4772703616
『決然たる政治学への道』(弓立社)ISBN 4896672089
『ハリウッド映画で読む世界覇権国アメリカ〈上〉』(講談社 +α文庫)ISBN 4062568438
『ハリウッド映画で読む世界覇権国アメリカ〈下〉』(講談社 +α文庫)ISBN 4062568446
『現代の予言者・小室直樹の学問と思想』(橋爪大三郎との共著)(弓立社)ISBN 4896672631
『リバータリアニズム入門』(訳書)(洋泉社)ISBN 4896913442
『金儲けの精神をユダヤ思想に学ぶ』(編著)(祥伝社)ISBN 4396612346
『共産中国はアメリカがつくった』ジョセフ・マッカーシー(著)、 本原俊裕(訳)、 副島隆彦(監修・解説)(成甲書房)ISBN 4880861928
『次の超大国は中国だとロックフェラーが決めた 上 [技術・諜報]篇』ヴィクター・ソーン著、翻訳・責任編集)(徳間書店)ISBN 4198621535
『次の超大国は中国だとロックフェラーが決めた 下 [謀略・金融]篇』(ヴィクター・ソーン著、翻訳・責任編集)(徳間書店)ISBN 4198621543

[編集] 政治・経済分析
『悪の経済学』(祥伝社)ISBN 4396610742
『逆襲する日本経済』(祥伝社)ISBN 4396610882
『墮ちよ!日本経済』(祥伝社)ISBN 4396611080
『金融鎖国』(祥伝社)ISBN 4396611587
『預金封鎖』(祥伝社)ISBN 4396611943
『預金封鎖 実践対策編』(祥伝社)ISBN 4396612036
『老人税』(祥伝社)ISBN 4396612265
『日本の危機の本質』(講談社)ISBN 406209262
『アメリカの大嘘』(講談社)ISBN 4062099969
『悪賢いアメリカ、騙し返せ日本』(講談社)ISBN 4062105705
『日本壊死』(ビジネス社)(船井幸雄との共著)ISBN 4828411755
『昭和史からの警告』(ビジネス社)(船井幸雄との共著)ISBN 4828412816
『ジャパン・ハンドラーズ』(日本文芸社)(中田安彦との共著)ISBN 4537252855
『アメリカに食い尽くされる日本』(日本文芸社)(森田実との共著)ISBN 4537254068
『戦争経済(ウォー・エコノミー)に突入する日本』(祥伝社)ISBN 4396612761
『ドル覇権の崩壊』(徳間書店)ISBN 4198620105
『連鎖する大暴落』(徳間書店)ISBN 4198625093
『恐慌前夜』(祥伝社)ISBN 4396613148
『エコロジーという洗脳』(成甲書房)ISBN 4880862371

[編集] 日本史研究
『属国・日本論』(五月書房)ISBN 4772703616
『思想劇画 属国日本史 幕末編』(早月堂書房)ISBN 4907838220

[編集] 言語研究、用語辞典編纂
『欠陥英和辞典の研究』(宝島社)
『英語辞書大論争!』(宝島社)
『英文法の謎を解く』(筑摩書房)ISBN 4480056416
『続・英文法の謎を解く』(筑摩書房)ISBN 4480057064
『完結・英文法の謎を解く』(筑摩書房)ISBN 4480057714
『ネイティヴ・スピーカーが教えるシンプル英文法』(DHC)(パトリシア・T.オコナー著 副島隆彦訳)ISBN 4887243014
『Be と Have からわかる英語のしくみ』(日本文芸社)ISBN 4537204362

[編集] その他
『人類の月面着陸は無かったろう論』(徳間書店)ISBN 4198618747
『法律学の正体』(洋泉社)ISBN 4896916425 (山口宏 (弁護士)との共著)
『裁判の秘密』(洋泉社)ISBN 4896917065 (山口宏との共著)
『私は税務署と闘う 恐ろしい日本の未来』(ビジネス社) ISBN 4828412042

[編集] 参考文献
と学会レポート 『人類の月面着陸はあったんだ論』(山本弘、植木不等式、江藤巌、志水一夫、皆神龍太郎) ISBN 4903063011
2005年度の日本トンデモ本大賞受賞作である『人類の月面着陸は無かったろう論』[1]。
読売新聞(2004年8月15日)の書評
『山岸勝榮 英語辞書・教育研究室 英語辞書論考』

[編集] 脚注
^ 上掲『決然たる政治学への道』
^ 上掲『属国・日本論』、『思想劇画 属国日本史 幕末編』
^ 上掲『世界覇権国アメリカを動かす政治家と知識人たち』
^ 上掲『世界覇権国アメリカを動かす政治家と知識人たち』
^ 上掲『人類の月面着陸は無かったろう論』
^ 上掲『読売新聞』(2004年8月15日)
^ 上掲『人類の月面着陸はあったんだ論』
^ 上掲『山岸勝榮 英語辞書・教育研究室 英語辞書論考』

[編集] 外部リンク
副島隆彦の学問道場 – 副島隆彦の公式サイト
副島国家戦略研究所(SNSI) – 副島隆彦の主宰するサイト
http://ja.wikipedia.org/wiki/副島隆彦” より作成
カテゴリ: 出典を必要とする記事/2008年9月 | 日本の評論家 | 経済評論家 | 1953年生 | 陰謀論者
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最終更新 2008年12月17日 (水) 12:44 (日時はオプションで未設定ならばUTC)。
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片岡鉄哉氏を悼む(ジャパン・ハンドラーズと国際金融情報)
http://www.asyura2.com/07/senkyo45/msg/993.html
投稿者 クマのプーさん 日時 2008 年 1 月 11 日 00:26:53: twUjz/PjYItws

http://amesei.exblog.jp/d2008-01-10

2008年 01月 10日
片岡鉄哉氏を悼む。

 私は、不覚にも全然知らなかったのだが、元米スタンフォード大学フーバー研究所で一時期フェローをしておられた、国際政治学者の片岡鉄哉氏が、昨年末急逝されたと言う話を知人をつてにして聞いた 片岡氏が活躍しておられた「産経新聞」や雑誌「VOICE」にもその訃報は載っておらず、また、所属していたフーバー研究所のウェブサイトにもその旨の報はない。(http://www.hoover.org/

 どうも、研究者や学者の訃報というのは、弟子だった人とか、教えを請うた人が任意で所属していた大学に連絡するものらしい。それを受けた大学事務局が、情報をとりまとめて、同窓会報やウェブサイトのアルマナイ欄に載せるのが通例だというのだ。勿論、遺族がひっそりとしておいてほしいと希望する場合もある。

 知人をつてに聞いたところでは、末期のガンだったという。私は、片岡氏に直接お会いしたことは一度しかない。それも高田馬場駅前で開催された、小さな勉強会に参加したおり、その後に評論家の宮崎正弘氏なども参加した簡単な打ち上げの親睦会に参加しただけである。私は一参加者に過ぎなかった。

 しかし、その時に片岡氏が話された内容は、以後、同様の内容は雑誌記事にもなっていると思うのだが、主著である『さらば吉田茂』(文庫版『日本永久占領』)にも書かれていなかった、直接的な日本人に対する問いかけだった。その内容は以前私が文字に書き起こしておいたものがある。それをここで紹介したい。(全文は最後に貼り付ける)

 片岡氏が紹介した中で重要なのは、ある雑誌に掲載された、田原総一郎と宮沢喜一の対談で、宮澤が発した次の一言である。宮澤は、吉田外交の継承者でありながら、このようなモラリスティックな疑問を常に抱いていたようだ。

(引用開始)

宮澤 「実は私は、外務大臣のときに次官以下の幹部の諸君に宿題を出したのですよ。まず、こう問いました。日本は憲法によって戦争の放棄を宣言し、どこの国とも仲良くするということを外交方針にしていると、私は考えているのだが、間違いはないか、とね。げんに、憲法の前文に『諸國民の公正と信義に信頼して……』と書いてあるのですよ。みんな、間違いない、その通りだと答えました。そこで私は言ったのです。もしも、どこの国とも仲良くするということを、実際に行うとこれは大変にモラリティの無い外交にならざるを得ない、とね。そうでしょ」

田原 わかりません。どうして、です?

宮澤 「どこの国とも仲良くすると言うことは、たとえ、どんなひどい、不正や非人間的な事が行われていても、その国に対して、制裁行動は起こさないで仲良くするということでしょう。これはモラリティの無い外交ではないですか」

宮沢氏がイランやソ連の行動を指しているのだろう、とは、容易に推察できた。

田原 非人間的なことが行われていれば、やはり、それに抗議すべきじゃないのですか。

宮澤 「抗議してやめてくれれば良いのですが、もしも改めなかったらどうするのです」

宮沢喜一氏は、逆に問うた。

宮澤 「口先でいうくらいじゃ抗議にもならない。まるで効果はない。といって、日本は武力行使はダメ、威圧もダメ、十字軍を出すこともできない。一体、どうすればよいのです」

どうすればよいのか、と、私は宮沢氏の言葉をそのまま口にするしかなかった。

宮澤 「結局、日本はモラリティのない外交しかできない。また、国民も本心ではそれを望んでいるのではないですか。一切の価値判断をしない外交。しかし、これは、ごまかし外交でしてね。価値判断と言えば損得勘定だけでしょうな。価値判断がないのだから、何も言えない。言うべき事がない。ただ、頭を叩かれれば引っ込める。世界の空気を眺めて大勢に従う。日本はこれまでそれでやってきたのですよ。念のために言っておきますが、日本の外交、いかにあるべきか、という宿題の解答は外務省の諸君からいまに到るももらってません」

(引用終わり)

 これを読むと、宮沢元首相が紛れもなく、リベラリズムの信奉者であり、麻生太郎外相などに見られる「価値観外交」の萌芽のようなものを持ち続けていた人だと分かる。むろん、宮澤氏は、当然、無条件に価値判断をする外交を賞賛しているわけではないだろう。ネオコンのようなアメリカ政治の暴走に対しては異論を唱えるべきと考えていたはずだ。

 私は、この宮澤氏の設問がいつも引っかかっている。外務官僚はその答えを出していないそうだ。確かに難しい問題だろう。

 片岡氏の主張は、主著『さらば吉田茂』以外の雑誌寄稿文や論文では、かなり理念的な面では、保守的であり、一部ではネオコンに接近している面もないではないと思う。その意味では、私のような「吉田ドクトリン」派の人間に転向したものにとっては、賛成できるかと言われれば、そうではない。

 しかし、片岡氏の文章はそれを超えて読ませる内容だった。結果的に最後の書になってしまった、『核武装なき「改憲」は国を滅ぼす 』(PHP研究所)もそういう一冊だった。片岡氏の主張にうならざるを得ないのは、彼の持っている鋭い日本国内政治分析力ゆえだろう。異なる政治的な意見を持っている人だから、読まないというタイプの論客ではなかったと思う。

 片岡氏自身も以下のように述べていた。産経新聞に書いた書評の一つである。その中にこういう言葉がある。

 「私が政治学者として習得したことがある。ある人間、組織について情報が欲しかったら、敵のところに行けばよいのだ。アメリカン・リベラルの欠陥、裏情報を知りたければ、共和党に聞けばいい。無論その逆もなりたつ。」(産経新聞・2004年11月07日)

 例えば、中国研究をしている人なら、台湾の学者や法輪功が書いた中国政治分析を読む。アメリカ研究をしているなら、反米やマルクス系学者の評論を読む。国際金融について研究している人なら、陰謀史観で書かれた本を読む。これである。

 これが全て成功するわけではない。確かに感情的に思いこみで書かれたものはたくさんある。しかし、その中にも、輝くダイヤは存在するものだ。

 私はこれを実行してきたのだが、手練の政治学者である片岡氏もそれを実行していたというのは、勇気づけられる話だった。

 それと同じ意味で、片岡氏の書かれた、『日本永久占領』と言う本は、片岡氏の応援すると思われる(現在の安倍晋三や前原誠二のような)理念系の保守政治家に対しては今では懐疑的な批判的な私にとっても未だに重要な意味を持つ本である。

 最近、活動の噂が聞こえてこなかったのでどうしたのだろうと思っていた矢先の訃報だった。ご冥福をお祈りします。

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片岡鉄哉(かたおか てつや) スタンフォード大学フーバー研究所上級研究員
1933年(昭和8)、栃木県生まれ

 早稲田大学政治経済学部卒業。シカゴ大学大学院比較政治学専攻博士課程修了。ニューヨーク州立大学教授、筑波大学歴史・人類学系教授を経て現職。

 早い時期から、日本国憲法がうたう平和主義と日米安保に頼りきった経済主義を「吉田外交」の限界として批判、外交論壇のなかで異端視されたが、近年「脱・吉田外交」が日本の課題となるに及んで、もっとも注目される論客の一人となった。

 著書:『”黒船待ち”の日本』(82年、日本教文社)、『さらば吉田茂』(92年、文藝春秋 )、『日本は「政治大国」になれる』(92年年、PHP研究所)、『退場するアメリカ』(95年、PHP研究所)、『日本永久占領』(99年、講談社)ほか多数。朝日新聞記者も務めた作家の片岡鉄兵氏を父に持つ。

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 アルルの男・ヒロシ 拝

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国防問題研究会公開講座/講師:フーバー研究所シニアフェロー 片岡鉄哉
「変わるアメリカ、変わらぬ日本」2001年11月1日 於 高田馬場

【憲法死という日本の状況】

 いま私(片岡)が書いている米国の一般大衆向けの新しい本についての話から始めましょう。私が「さらば吉田茂」(文藝春秋社)を書き上げたのは湾岸危機のころでした。日本の不思議な外交行動は一体どこから来るのかということを考えて、日本国憲法(憲法)の生い立ちを振り返ってみましたが、それから10年たってみたらますますそう言う(おかしい)感じは強まってきています。

今度の本は、英語では”Death By Constitution”(憲法死)というものにしたい。日本が憲法のお陰でどうやって衰退したか、向こうの大衆に向けて書いた本です。日本の政治の状況をみて不思議に思うのは、橋本派と小泉首相とが、解散を巡って暗闘しているという記事が今日の新聞にもでていたが、表には出てこないが必ず憲法問題と関わってくるのです。

【吉田茂のモラル・コミットメント】

吉田茂の憲法を守るという決意についてはわかっています。
一つの国家が大きな成果なりをあげるときは、使命感(モラル・コミットメント)があるものですが、今の日本にはそれがない。中国も米国もそれを持っているにも関わらずです。吉田の場合は、表でモラルコミットメントを表せないので、憲法でそれを隠した訳です。

朝鮮戦争が始まると、ダレスが来日し、日本との平和条約交渉に拍車が掛かりましたが、吉田には引っかかっている点が2点あった。第1点にはカイロ宣言の問題。

ローズヴェルト、チャーチル、蒋介石が会談したあのカイロ会談で作成された、カイロ宣言はのちのポツダム宣言にも組み込まれています。カイロ宣言では、いわば歴史の改竄が行われた、
「日本が如何に暴力的に貪慾に他国の領土を盜んだ」とされてしまったのです。

台湾、朝鮮、樺太、千島、マーシャルと第1次大戦の初め以来からの領土までも、盜んだと言うことにされています。プロパガンダです。

(カイロ宣言の本文引用はじめ)

It is their purpose that Japan shall be stripped of all the islands in the Pacific which she has seized or occupied since the beginning of the first World War in 1914, and that all the territories Japan has stolen form the Chinese, such as Manchuria, Formosa, and the Pescadores, shall be restored to the Republic of China.
Japan will also be expelled from all other territories which she has taken by violence and greed. The aforesaid three great powers, mindful of the enslavement of the people of Korea, are determined that in due course Korea shall become free and independent.
http://www.yale.edu/lawweb/avalon/wwii/cairo.htm
(引用終わり。挿入したカイロ宣言の原文:片岡氏配布のコピーは上記サイトを使用している)

そんなことから外務省の人間や吉田はカイロ宣言へ恨みを持っていました。

第2点としては、ダレスの態度です。ダレスは「今我々、自由主義陣営は共産主義者とたたかっている。日本の国民を引き連れてもう一度朝鮮で戦ってくれ」と吉田に言ったわけです。

確かに日本には「再軍備」をしようという人たちは居ましたが、そう言う人でさえも、もう一度朝鮮半島で「米国の手先」となろうという人はいなかったんですね。これが吉田を怒らせた二番目の理由です。

こういう事への怒りをあからさまには表せませんので、(吉田はモラルコミットメントの表し方として)「憲法は良い」と言い続けた。つまり憲法を評価することが、日本が復興して、経済的に発展するための便法になったわけです。

【角栄が発明した自民党政治手法】

日本の自民党は米国しか見えず、多角的な外交が出来ない。米国に対抗することが、「日本の自民党の至上命題になった」訳です。例えば60年安保の演出がそうでした。
米国と連携するような、岸信介とか中曽根康弘とか言う人が出てくると押さえ込む、吉田派は憲法の補強をやって、自繩自縛に陥りました。

憲法を巡っての第2段階、それは田中角栄の時代です。田中には吉田との完全な合意が存在しました。彼はプライベートには「日本をもう一度偉大な国にしよう」という風に考えて居たと思います。佐藤栄作内閣の終わりころ、これはベトナム戦争の尻拭いをさせられたニクソンの時代ですね、ニクソンは日本の態度を問題にして、「ニクソン・ショック」の演出を行いました。
そのころ佐藤首相は沖縄を返せと言っています。この頃の話については、最近、楠田實という人が「楠田實日記」を出版しました。佐藤に対し、ニクソンはこう言うわけですね。

「オキナワは返そう」と、だけれども、それと引き替えに『貿易と防衛のリンケイジ』をやって欲しいとこう言うわけです。つまり、繊維問題の解決です。あのころの日米の貿易問題と言えば、繊維だったんですね。佐藤首相は、当時の宮沢喜一通産大臣に交渉を任せます。ところが、宮沢さんは有能な官僚あがりの政治家だったので、「官僚としては、自由貿易と防衛の問題のリンケイジを拒否します」と言っちゃったわけです。そこで、佐藤は田中角栄に繊維交渉を任せます。田中というのは護憲の職業政治家です。今までは職業政治家といえば、鳩山一郎や三木武吉といった人で、改憲の考え方の人でした。、

田中が繊維交渉でやったことは簡単に言えば、「損失補てん」です。ニクソンは防衛問題でのただ乗りを責めて、「繊維製品の輸出をやめろ」と言った。これに対し、田中は「廢業した人は財政資金で補償する」と対応した。当時は毎年、2割から5割の税收のアップがありましたから、税金が余っている訳です。余った税金で、繊維業者を救済したわけです。

これが自民党政治の手法になっちゃったんですね。

竹下さんもやろうとしました。金利を操作することでジャパンマネーを米国にくれてやるということになりました。

1987年にブラックマンデーが発生、その時に就任直後の竹下登首相に米国から「困ったから助けてくれ」という電話がありました。相手は、ジェイムズ・ベーカーだったと思います。「日銀の金利を切ってくれ」と言うわけです。

同年の10月に竹下さんは金利を下げる決定をしました。それで超低金利になって、バブル経済となったわけです。この決断は竹下の大チョンボと言っていいでしょう。

この他にも米国から様々な「請求書」が来ました。実験装置を作りたい、宇宙ステーションをつくりたい、ソ連に融資してやってくれなど色々です。こういう要求を官僚ではなく政治家に向けてやるわけです。言ってみれば、金丸信さんやら自民党には票田というか権力の源泉が二つあった。一つは、日本の農村地帯による土建票、もう一つは米国です。

金丸さんといえば、いまのブッシュの親父と中が悪くなったことがある。国対での馴れ合いの関係にあった社会党の田辺誠に唆されて、「金丸さん、一緒に北朝鮮に行こうよ」と言われた。そこで田辺は、金日成と金丸を二人切りにしてしまうわけです。金丸は手玉に取られました。それを聞いたブッシュは怒った。金丸は一時、「江戸城登城禁止」と相成ってしまいました。それを解除してもらうために、日本は巨額の財政支出の約束をさせられてしまった。米国の方も、日本はどうせ何を言っても無駄だというあきらめがあったのでしょうか、ただのタカリの相手としか見なさなくなったんでしょう。

【憲法の”補強”】

ニクソンに話を戻しましょう。ニクソンが訪中してしまい、日本は孤立した状態におかれてしまった。「米国よりも中国に接近せねばならない」という状況に追い込まれた。要するに、キッシンジャーも日本も周恩来にハメられたと言っていいでしょう。角栄は米国よりも中国に接近し、結果的に「台湾は中国の固有の領土であること」を尊重するという譲歩をさせられてしまいました。ニクソンの上海コミュニケはここまで踏み込んだ表現ではなかったと思います。この日中共同声明によると、周辺事態法による台湾での日本の参戦は声明違反になってしまいます。そこで小渕首相の時代に決まった周辺事態法を見てみますと、「戦場から一線を画したところ」と言う表記になっています。(田中は周恩来の罠にハマって)日米同盟を割ってしまったといえるでしょう。

この事に関しては宮沢元首相が頭のいいことを言っている。宮沢さんは日本の憲法のスポークスマン的な人ですが、文藝春秋の80年の3月号で次の様に言っています。

「実は私は、外務大臣のときに次官以下の幹部の諸君に宿題を出したのですよ。まず、こう問いました。日本は憲法によって戦争の放棄を宣言し、どこの国とも仲良くするということを外交方針にしていると、私は考えているのだが、間違いはないか、とね。げんに、憲法の前文に『諸國民の公正と信義に信頼して……』と書いてあるのですよ。みんな、間違いない、その通りだと答えました。そこで私は言ったのです。もしも、どこの国とも仲良くするということを、実際に行うとこれは大変にモラリティの無い外交にならざるを得ない、とね。そうでしょ」

-わかりません。どうして、です?

「どこの国とも仲良くすると言うことは、たとえ、どんなひどい、不正や非人間的な事が行われていても、その国に対して、制裁行動は起こさないで仲良くするということでしょう。これはモラリティの無い外交ではないですか」

宮沢氏がイランやソ連の行動を指しているのだろう、とは、容易に推察できた。

-非人間的なことが行われていれば、やはり、それに抗議すべきじゃないのですか。

「抗議してやめてくれれば良いのですが、もしも改めなかったらどうするのです」

宮沢喜一氏は、逆に問うた。

「口先でいうくらいじゃ抗議にもならない。まるで効果はない。といって、日本は武力行使はダメ、威圧もダメ、十字軍を出すこともできない。一体、どうすればよいのです」

どうすればよいのか、と、私は宮沢氏の言葉をそのまま口にするしかなかった。

「結局、日本はモラリティのない外交しかできない。また、国民も本心ではそれを望んでいるのではないですか。一切の価値判断をしない外交。しかし、これは、ごまかし外交でしてね。価値判断と言えば損得勘定だけでしょうな。価値判断がないのだから、何も言えない。言うべき事がない。ただ、頭を叩かれれば引っ込める。世界の空気を眺めて大勢に従う。日本はこれまでそれでやってきたのですよ。念のために言っておきますが、日本の外交、いかにあるべきか、という宿題の解答は外務省の諸君からいまに到るももらってません」

文藝春秋1980年3月号 「ソ連は怖くないですか」宮沢喜一/聞き手 田原総一郎 から

私は宮沢さんの周囲の人から、「日本は占領されている。自主性はない。頭を叩かれたらやるしかない」と宮沢さんが考えているというのを聞いたことがあります。

米国の大統領や国務長官などは、「日本は真珠湾については、罪悪意識はない、ひょっとするか何時の日か復讐されるのではないか」というようなブリーフィングを受けているのではないか、という考え方があります。日米は疑心暗鬼に陥っているというのが宮沢説。加藤紘一さんや竹下さんもこういう風に考えていると思う。日本には西尾幹二のような本が色々と出ていますし、沖縄の米軍は「ビンのフタ」であるという言われ方もされています。

しかし、私は宮沢説を取りません。米国は言われれば出ていくでしょう。竹下派のバラマキ外交はひどいものです。それは今でも尾を引いています。

【現下の問題】

今日の新聞に内閣改造の話が出ていました。テロ対策措置法で、公明党は自民と民主の連携を阻止するために「事後承認」を持ち出した。靖国問題では、米国の国務省の介入があったようです。この種の介入は日本側にもパートナーとなって居る人物が居るはずで、これは野中広務さんと外務省ではないかと推測しています。野中さんの北京訪問は小泉首相の廬溝橋記念館訪問の打ち合わせだったと思います。小泉首相を押さえ込むには米国も一枚噛ませればいいと判断したんでしょう。

【憲法の悪用】

日本の弱いところは米国とのつき合いで真実を言えないということです。

あの太平洋戦争は、私は道義的には日本は正しいと思っていますが、負けるのをわかっていて避けないと言うのはやはり間違いだと考えています。実はあのとき、共和党の連中はローズベルトが何をするつもりだったのか、全て知っていました。ローズベルトはフーバーの責任を問うて、彼を引きずりおろし、バラマキ政治を始めました。しかし、ローズベルトは大恐慌からの痛手から回復することが出来ず、もはや戦争をやるしかないという所に追い込まれていくわけです。
仮定の話ですが、日本は共和党を上手に使って、ローズベルトに先に手を出させるように仕向けたら、日本と米国は引き分けに終わったかも知れません。

米国の覇権が滅んだときになるまでは、「米国の真実は世界の真実である」と米国は言い続けるでしょう、そうしないとあの国は持ちません。

【アフガン戦争について】

最後に、米国のアフガン戦争についてですが、ひょっとするとベトナム戦争になるかも知れません。真珠湾ではすまないかも知れない。あのときは、4,5人炭疽菌で亡くなっても国民は落胆などしなかった。当時は情報管制が敷かれていたから。ローズベルトが車椅子に乗っていたと言うことも隠されていたほどです。

【質疑応答】

Q 米国に原爆、東京大空襲について日本に謝罪させる事ができるのでしょうか

 クリントン政権時代に、ヒラリーの票が目的で、米国はドイツから補償金を取ってユダヤ人に補償させるというということをホワイトハウスが保証することを決めました。ドイツは(日本の左翼団体が主張するような思惑ではなく)、「絶対にこれでお終いだ。ドイツはベルリン共和国になる」と言って、応じました。

 こんどこれを聞き附けたある団体が「ドイツは50億ならば日本からは80億くらいは取れるのではないか」として、新聞にコラムを出した。

 これに対し、アマコストやら3人が反論した。その反論の論理構成はこういうことです。「この問題をいじくると、講和条約を破棄せざる得なくなる」と藪からでた蛇で、「米国の犯罪を追及されては困る」という風に考えたようです。

 慰安婦問題だって、問題にされるのは日本の国威が衰えているからではないかとも思います。金丸信さんが元気だったころに今の天皇陛下が、ロンドンに行ったときにビルマで日本の捕虜とされた男性から、モーターケードに尻を向けられたと言う事件があった。しかし、昭和天皇がロンドンに行ったときにはそんなことはなかった。日本の国家にスキが出来てきたと言うことではないでしょうか。

Q 日本とキリスト教国とのつき合い方についてどう考えるか
 
 日本のモラル・コミットメントは、以前はリージョナルヘゲモニー=東洋平和だった。特攻隊に朝鮮の人がいた。そう言う時代もあった。

 米国は9月11日と前と後では全然違う。クリントンとモニカ・ルインスキとの情事のような話はあれだけじゃなくてまだまだ一杯ある。平和は人間を墮落させるとはよく言ったもの。こんなことをいうと社民党の女性議員さんから「片岡というやつは軍国主義だ」などと批判されてしまいそうですが(笑)

 ブッシュと散々競り合ったゴアでさえ、いまは「ブッシュさんが大統領になって良かった」と言っています。

 ベトナム戦争の時代に、米国は一度負けました。戦争に負けると言うことは社会の価値がひっくり返ると言うことです。あのころの米国にも、カウンターカルチャーというか、日本の進歩的文化人というような人たちが出てきた。

 日本の場合には憲法の問題もありますが、単純に制度疲労の問題もあります。制度の作り直しが必要かも知れない。米国というのは二大政党で、定期的に制度の作り替えをしている。つまり戦争です。レーガンのころ、ニューディーラーの腐敗が表面化しました。たとえば、Welfare Queenと言って政府の補助金で私生児を育てると言うこともやりました。そういう風な流れの中でレーガンの戦争があると思います。

(佐藤裕一による転載貼り付け終わり)

 【佐藤裕一による転載貼り付け終わり】